蘭馬鹿日誌2023年および更新記録

ランのよしなしごとをつづる。下に行くほど昔 

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20240331日

 暖かいのでランを庭に出して水やりをした。

 水仙が盛りなので撮影をした。チューリップも咲き始めた。暖冬なのに開花が遅かった印象。

 

 例によってサイクリングにゆく。本日は急坂で自転車を降りずに登りきった。往復26kmをばてずに走りきった。いやに体力がついてきている。体が散歩に出かける犬みたいに喜んでいるのが分かる。目的は古本市場にラノベを買いに行くことなんだけど、ほぼ名目になりつつあって、単純に走るのが楽しい。

 

 明日から新年度か。もうちょっと頭使って仕事しよう。

 

 

20240330土

 暖かいのでランを庭に出して水やりをした。カトレアにつぼみがでていた。インターメディアだろうか。

 庭のチューリップは開花はまだ2輪だった。水仙が盛りだ。暖冬だったと思うのだけれど、開花は例年より遅いような。

 

 2023年度が終わった。ほんとうにきつい一年だった。5種類の仕事で毎月毎月実験だの報告だの予算消化だの手続きだのどれもこれもプチ挑戦だらけで、よく回せたなあとあきれる。定年が近づくにつれてじわじわ仕事が増えているような。

 化学という専門性のおかげで食うには困らなかった。やりたい仕事をやっていると思う。子供のころの夢はずっとかなった状態といえるが、べつにそんなに気分がいい人生ではない。ただまあ世の中に恩返しができていないので、そこは最後まであがくところだろう。

 人手不足という。仕事はどれも国際的な競争力が求められるじゃないですか。IT人材とか、研究開発とか、株価が上がって期待される人材は専門性が要求されている。これから学ぶ若い人はしっかり学んで専門性をつければ幸せな時代が来ると考えている。正直、スマホのやりすぎで学問がさっぱりな人はそれなりの人生だ。学生時代は、スマホに使う時間(平均4時間?)くらいをまるっと勉強に使っていた。スマホばっかりで勉強してないなら、そんなもんろくな仕事ねえじゃん、給料低くて当たり前じゃんって思う。勉強や仕事をしっかりやってきた人生は、面白かったと思う。価値観を押し付けるつもりはないが、選ぶなら一所懸命やった人生はお勧めだ。スマホ見まくる人生なんてどいつもこいつもみんなやってんじゃん。専門性はさっぱりだよ。それでみなさんぶーぶー言っているのなら、そっちは選択しないほうがいいよ。

 

20240326火

 デンドロのちっこい鉢が咲いてくれている。ここ10年くらいちっこいままである。毎年数輪という安定のちっこさだ。

 

 Youtube動画に飽きてしまったのか、いままでぼーっと長時間見ていたのが、土曜日当たりから勉強したくなってきた。当初30分の文献読みが、だんだん時間と量がのびてきて本日は通勤中2時間勉強していた。半年くらい勉強をさぼっていたが、やっと意欲が出てきた。まあ学んで考えないとやってけない仕事なので、いろいろ気になる原因はあったにしても習慣が戻ってきたのはありがたい。

 

 昔500円で買った碁のソフトにずっと勝てない時代があった。あの手この手で研究して勝てるようになるまでかなり時間がかかった気がする。碁というのは、手堅く守ろうとするとまあ負ける。何とかして相手より地をとってやろうと相手の嫌がる攻め手を次々に繰り出しているとなんとか勝てるようになった。30代のころ、実生活で、守りに入って小さくまとまろうとするといろいろ不都合があるなあということに気が付いてしまった。なんか成長がすくないのよね。その仕事やります、と踏み出すと失敗したり、嫌な目にあったりするのだけど、得るものはある。自分の地は増える。踏み出さなければ楽かもしれないけど、行動しなければ40代あたりからより一層しんどい人生だったろうなあ、と振り返ってびびる。しんどかったけどやっといてよかったと思う。

 自分は臆病で、ものぐさだと思うので、今日の若い人が守りに入っていろいろいやなことを避ける心情はよく理解できる。いろいろ避けてきた人生だったと思う。しかしながら囲碁には手筋というものがあって、「そこはえいやと踏み出してがっつり地をとる」という方法論があって、自分をよく研究して、伸ばせるところは伸ばして、しっかり行動して生きていったら魅力的な人生になるんじゃないでしょうか、と思う。

 

20240323土

 予報通りの朝から雨で鬱々とする。年度末はなんかいろいろしんどそうだなあ、と思いつつ、ぼーっと動画見ていてもなんか血の巡りが悪くなりそうなので、雨雲レーダーをみて曇っているけれど降りそうもないなあとおもってチャリンコにのって出かけた。頭で考えれば取り立ててなにもないのが道中なのだけれど、山の木々やその匂い、とても濃くなった春のにおいをいっぱいに吸い込んで、はあはあいいながらちゃりをこぐと、体が喜んでいるのを感じる。ぼーっと考え事をしながら走るのだけれど、部屋でぼーっと動画を見ているのとは全然違うなにかいいかんじを脳内に感じる。体を動かしていい感じになれるのはまあありがたいことだなあ。2時間半はこいでいただろうか。山道、湖畔の道、ニュータウンといろいろ風景は変わる。古本市場でラノベを買い、業務スーパーやロピアを冷やかした。以前より魅力的な商品が増えたような気がする。物価はだんだん落ち着きつつあって、卵が200円を切ってきたし、いろいろが安い値段に思えてきた。腹ペコだったのだけれど、じじいになったおかげか特段欲しいものはなくて、さっさと家まで戻ってきた。日が落ちて、山ではフクロウの声を聴いた。ざっと30kmくらい走ったろうか。なんか稼いだ感じがする。

 

 「人生の経験値は、成功でも失敗でも手に入るんだ」、とは松山剛著「君死にたもう流星群2」にあった記述。まあそうだなあ。ゲームじゃないんだから、行動したことの全てが経験値になる。タイパ・コスパを判定する人は、それを正しく評価するだけの検討や経験を積んでいるといえるのだろうか。タイパって勝手に言っているだけなんじゃないか。タイパがいい行動をしたあげく、スマホいじっているだけなんじゃないのか。ただ単なるものぐさやえり好みに屁理屈をつけているように見えなくもない。タイパ(笑)とか思っている。その結果経験値が不足して人生がクソゲーに見えてきたりしないのか。

 

 

20240321木

 毎年ちょろっと咲くデンドロが咲いてくれている。手入れが悪いとちょろっと咲くのがデンドロである。手入れ下手になったからなあ。

 

 職場支給のiPhoneで仕事の写真を撮ってパソコンにメールで送ってトリミングしてパワポに写真を載せた。ちょっと便利になったような気がする。

 

20240316土

 朝からランをだして水やりをして、庭、畑に水やりをしてから歯医者に行った。先週まで奥歯が痛かったが、治療のおかげで痛みはなくなっていた。本日は歯石取りだけだった。そろそろ卒業が近いのだろうか。待合室でまっていると、どこかの爺様が治療を終えて帰るところで、靴を履くために段差1段足を降ろすことに難渋しておられた。付き添いのおっさんが辛抱強く待っていた。歳をとるというのはこういうことなんだなあととても多くを学ばせていただいた。

 

 買い物に行くと変なものを見つけた。トップバリューが出しているクラフトコーラとクラフトジンジャーエールが税込み52円。いやに安い。見たことがない形状のガラス瓶に入っている。パッケージもふるっている。でもいやにやすい。これはこだわりすぎた内容で消費者に受け入れられなかった結果なのではないだろうか。レジを通すときに判明したことは、元の値段は378円という驚くべきものだった。ジュース一本で378円ってもう日本の値段じゃないような。やっぱりこの商品はこだわりすぎている。車で早速味わってみたが、「濃い」「味が強い」「ショウガがすごい」「風邪に効きそう」「炭酸水で薄めたらおいしいかも」というとがりきった商品だった。別の店では198円で売られていたのを見た。成分がなんかつよつよで、クラフトコーラには、「レモン、オレンジ、ライム、シナモン、カルダモン、オールスパイス、クローブ、黒コショウ、スターアニス、黒糖蜜、砂糖化工品(カラメルだろうか)、コーヒー、しょうが汁」と原材料にあげられていた。カレーか?。いろいろ用事でまわったあとで、再度来店して買えるだけ買って帰った。中身が濃いのでお得感が強い。2種類で45本買ってきた。

 昨年の夏にかみさんの好きな三ツ矢サイダークラフトコーラが600ml58円とやすかったので3ケースをアマゾンで買った(まだ在庫がある)。昨年のアマゾンはこれだけ買ったなあ。のど越しさわやかなおいしいコーラだった。今回のクラフトコーラは3倍くらい濃く感じるしとても複雑な味がする。とがってるなあ。

 

 久しぶりに自転車に乗った。例によって13km離れた古本市場に向かう。気温は20℃、こういう春めいた日は松のようなにおいがする。春が来たなあと思う。西日の中を進んで、体がなまっているかと思ったらさくっと到着して、ラノベを買って復路を走るが、あまり疲れも出ずにさくっと家に帰ってきた。いやに元気な一日だった。あのクラフト飲料なにかに効いているのだろうか。

 

 

20240315金

 一週間が飛ぶように過ぎた。帰ってきて茫然としている。

 充当された予算を使えるのは本日までだったので、知恵を絞り有効な使用方法をひねり出して使い切った。ありがたくも充当していただいた研究費が今年はえぐい金額だった。そんなにいらんのにぶっこまれたのである。「やる、使え」って結構年度も残り少ない時期に注入され、ひいひい言いながら先のことを考えて必要なものを購入した。予算に見合うだけの仕事の量がえぐかった。扱う事象の数がものすごく増えた。手続きも大変だったけど、実験量も倍増した。給料変わらんのに仕事が倍になる感じ。でもまあ研究は面白いのでやはり研究で扱う事象が増えるのは研究者としては喜ばしく感じていた。

 

 若い人の能力というか、事象をさばく力というか、苦労に対処する力というか、そういうのはその人たちが人生を生きてゆくために十分なのだろうか。なんでこういうことを考えているかといえば、「なんか苦労が足りないんじゃね」「できることが減っているのじゃないか」「楽なほうへ進むとあとでつらい思いをするのじゃないか」という危惧をもったためだ。昭和のころは今の若い人たちより生活水準は低かったんじゃないか。収入は少ないし、自宅に風呂がなかったり、スマホやパソコンやネットなんてものはなくて、娯楽や飲食は今よりもだいぶしょぼかった(娯楽はいまより楽しく感じられて、食べ物の味は昔の方がよかったりして)。

 昭和の学生だった自分は、風呂がなかったので、ひどい時には1週間に1度銭湯にいったり、プロパンガスで湯を沸かして体をふいていた。トイレは汲み取り式の共同で、隣の部屋のマージャンの音がうるさかった。大学が終わると5時から10時までバイトして、学費・本題・飯代・部屋代を稼いでいた。10時に家に帰って夜中まで勉強していたようだ。奨学金(借金)は卒業時点で100万円ほどだったか。ものすごく勉強していたと思う。

 今日の学生さんたちも中には貧乏に苦しんでもモーレツに勉強している人もいるだろう。一方で学生としては恵まれた環境の人は多いんじゃないかと感じている。

 昭和の学生は、その後のバブル崩壊などの社会不安があったにしろ、誰にいわれたわけもなく、相手を捕まえて子供を作っていたと思う。外野の意見はともかく、相手だけを見て引っ付いてやることをやって子供を作っていた。将来の不安なんてのはどの世代でも変わらずにあったと思う。それでもやることはやってきた。

一方今日の若い人たちは、人類史的に際立った特徴がある。数字として表れているのは子供を作らないという点だ。昭和のおっさんの感覚からすると「そんなもんいい相手がいれば話でもして、引っ付いて、子供作りたくなるもんだろう」というのが人間として当たり前だと思っていた。なんかね、今日の若い人は、通勤中みていても、「ぱっとしない」「姿勢悪そう」「スマホで大事な時間を無駄にしていないんだろうか」「できることがすくなそう」「全体に能力が低下したから人手不足なんじゃないのか」「あとですげー苦労するぞ」というようなことを考えてしまう。まあエジプトの昔から「今の若いモンは」というじじいのたわごとだ。

でもまあ日本はこれから仕事が増えて忙しくなるからスキルを積んで金を稼いで家庭をもって子供をつくる人たちが増えていると考えている。心配することはないのだろうなあ。

失われた30年とか言われているけれど、真剣に生きてきた自分からすればいい時代だったと思う。いい国にいい時代に生きてこれたことを感謝している。

 

20240313水

 同僚がコロナで欠席。濃厚接触者のこっちは休んでらんねーので体内のコロナはぶっ殺す。つよつよ免疫で瞬殺だ。

 しんどい仕事が山場を越えた。歯を食いしばって突貫してまたまた乗り越えた。

 

 昨今はSDGs(笑)とか言われているそうである。なんか本質を外したファッションみたいな環境運動やってんなあ、とは思っていたが、いろいろ不都合が見えてきてめっきがはがれまくっているような。ぶっちゃけCO2出したくなかったら原発フル稼働しろや。電気自動車はクッソ重たくて作るのもCO2出しまくって、リサイクルも整備されていないし、電気はごっつうCO2出して作っている。海洋のプラスチックの8割は隣国が垂れ流しているのにレジ袋有料(笑)だしなあ。ツッコミどころ満載なSDGsだった。その結果つまんねえ投資をして大損をこいている。本質を見据えた日本の企業はしっかり稼いでいるようにみえる。

 SDGsは読めば立派なことが書いてあって、人類はこれを目標に据えたのか、素晴らしい世の中になりそうな期待を抱いた覚えはある。しかし人類には素晴らしい面もあればずっとげろげろな面があいかわらずある。戦争やってたり宗教対立やってたりするとSDGsの理想もかすんでしまうのではある。SDGsの理想の世界はまあ目指したらええんちゃう、というのはあるけど、げろげろな人類も混ざって暮らしているのだから、人種差別・治安悪すぎ(泥棒・暴力・麻薬・刑務所)・Paycheck to Paycheck(支払いに追われる日々)のデストピアUSAみたいなのが、人類の生活のまだましなほう、というレベルなんじゃないかなあ。日本は人類史上最も安全・安心・豊かな社会なので、これを当たり前だと思ったらまちがえるよ。

 

 チェルシーヨーグルトスカッチがなければ、ヨーグルト味の飴を食えばいいのよ。探してみたら「CHARMS チャームス ヨーグルトサワー袋入 45g9粒入り」129円というのがあったので買って食べた。味は別物だけれど、悪くない。甘い、さわやかな酸味、ヨーグルト味。本家のヨーグルトスカッチは転売品が10粒1900円もしている。まあそのうち復刻版が出ることを期待して待って居よう。

 

20240312火

 しんどい仕事が続くなあ。

 職場で支給される電話がガラケーからスマホになってしまった。よりにもよってアイホーンSEとかいうものらしい。5Gと表示されている。むむむむ。設定をしておけとURLが与えられていて、そこの動画などを見ながら設定をする。30分くらいかかったか。昔娘がスマホを買いに行くと4時間くらいまたされて、近くの図書館に本を借りに行って2冊読んだ記憶がある。それくらい時間がかかるものらしいのだが、「パスワードを決めて、ネットワークの設定をして、オフィスをインストールして、メールの設定をして、セキュリティソフトの設定をして、あれやこれややっとけ」という案内を見ながら設定をして使えるようになった。ほぼパソコンだ。キーボードと27インチディスプレイつなげてワードやエクセルで職場のファイルで仕事できたりするんだろうか。スマホの格好はしているけど、マックなんだろうか。通勤中にSNSを見るようなことはしないだろう。こんなちっこい画面で何を見ようというのだろうか。スマホの何がいいのかさっぱりわからない。だりーなあ。本格運用が開始されるまで職場の机の上になげてある。JKじぇねえんだから正直こんなもんあんまり触りたくない。

 

20240310日

 天気はよかったのでランを出して水やりした。風が冷たいのでさっさと撤収。

 

 買い物に出たので終売になるという明治のチェルシーを探してみたがかけらも見つからなかった。まあそうだろうなあ。気が付くのが遅すぎた。知っていたら鬼のように買ってため込んでいただろう。愛着のある品というのはなんか忘れられない。

 10年くらい前にHarrogateToffeeなる飴を見切り品の500円で買って食べて、10年くらい探している。英国産のどことなく上品な香りのよい飴だった。アマゾンで検索すると時々見るけどすごい値段だ。なんといかもう一度食べてみたい。

 チェルシーはヤフオクでアソート1袋が700円というのがあった。これぐらいならなんとか買えないこともないか。買って冷凍しておいて年に1個くらい食べるとかするか。アマゾンだとえぐい値段になっていた。チェルシーがなくなってマジ困っている。

 人にはなんというか忘れられない品というものがあるようだ。「花椿 洗濯石鹸 3コ入り」がアマゾンでは1800円で売られている。この石鹸なんか好きなので大事につかっている。飴とちがって賞味期限はないが、だんだん乾いて劣化しているかもしれない。1800円もするのか。77円でいっぱい買ってきたのではある。転売して儲けようとは考えない。

 それにしてもくそ腹立つ明治めぇ。会社買収して経営権にぎったろうか(だが、私は市井のただのおっさん)、とバカなことを考えたりするが、ヨーグルトスカッチもどきの飴の作り方を学んだ方が速そうだ。でも終売は1年くらい前に教えといてくれよなあ、と思う。私が思うもっともうまい飴はヨーグルトスカッチだった。明治さん今までありがとうございました。とほほすぎる。

 

 

20240309土

 本日は昨日同様雪が断続的に降って寒い。

 

 中国経済が衰退しているそうである。そういうのをテレビでやるようになったなあ。ふと思うに、中国産の愛してやまない製品ってあるんだろうか。筆、硯、墨、朱肉、印材ってところか。書道セットを20年以上も使っている。

 中国製の製品はいろいろあるんだろうけど、安いから使っていただけで、それが壊れて、もう一度これじゃなきゃ、というものがあるだろうか。中国が作らなくなったら日本が作るよねえ。スマホ、パソコン、自転車、バイク、車、工作機器、分析装置、さまざまなものがなにも中国製でなければならないものはない。世界の工場とかいっててこれかい。

 すごく科学技術が進んだようなことを聞いたように思うけど、なんか革新的なものがでてきただろうか。日清のカップ麵とか、ソニーのウオークマンとか、ビクターのビデオレコーダーとか、ソニーのリチウムイオン二次電池とか、三洋電機のニッケル水素電池とか、トヨタのハイブリッド車とか、日亜化学の青色ダイオードからの世界中LED照明とか、カラオケとか、プリクラとか、東芝のNANDメモリーとか。すげー考えたけど、さすがは中国の発明というものは、「紙、羅針盤、火薬」くらいしか思い出せない。だいぶ以前にそんなことを書いた記憶があるけれど、あれから大変に栄えたあと、あんだけやってとうとう何も出てこなかったんですね、とても残念です。まさに一炊の夢みたいな繁栄だったなあ。

やっぱ発明した人じゃなくて、支配階層がいいところを持って行ってしまう体制というのは、国民の知能が高くても革新的なものは生まれにくい、ということなんじゃないだろうか。だってすごい発明したってほにゃらら党の上司の手柄になるだけじゃん、ばからしくてやってらんねえよ、おれはアメリカに行くぜ、ってなるよね。そういうことから類推するとある種の技術において、自由にえげつなく稼げる米国などで開発されたえげつない技術の方が、実際に向き合ってみた場合モノをいうんじゃないだろうか。

 中国が誇るキャラクターってなんかあるだろうか。まあ孫悟空ねえ。ジャッキーチェンとか。日本には世界で愛されまくっているキャラが綺羅星のごとくあるようで、すごくお金を稼いでいる。

 中国で好きっていうと、司馬遷の史記、とか三国志とかになるんだろうか。三国志って弥生時代だっけ。日本で愛されている唯一の製品は金印だったりして。いや、窯変天目茶碗だろうか。いずれも国宝だった。

 ティラミスが日本で流行って以降で、中国からやってきたうまい食い物はあるだろうか。タピオカは台湾だから中国じゃない。スタバやマクドがなくなると困る人はいるだろうけど、中国のそういう店はないよね。隣国なのにない。中国料理の店はある。頭に浮かぶ店はないが。

 だからまあ、日本を大嫌いな(国民が日本を好いたら政府が批判されすぎて国を保てないからだろう)隣国がなんか不調といわれても、「そうですか、たいへんですね。まあがんばってください」という感じである。

 

 知らなかったのだけれど、チェルシーの生産が終了して、販売はこの3月いっぱいで終わりだそうである。ちょっと前にも買って食べていた記憶がある。有名人の訃報よりショックだった。買おうとしても店にない状態だそうで、ネットを見ると転売ですごい値段になっていた。あの飴作り方どこかに出ていないだろうか。

 

20240303日 セロジネ開花

 雨ばっかりの2月だったが、本日はぱらっと来たものの天気は良かった。ランを出して水やりをした。セロジネが咲いていた。久しぶりにランの開花を見たような気がする。

 

 朝からジャガイモ畑を耕していた。昨日撒いた牛糞を混ぜ込んで整地した。休み休みやるが腕がくたびれてきた。昼食後ジャガイモを入れる溝を手で掘った。45mにもなる。午後からジャガイモを溝に置く。昨夜半分に切ったもので、5sのイモは切って135個になった(1株平均で種芋は37gになっている)。位置を調整し30p間隔にした。一昨年から切り口を上にしておいている。天気が良かったのでしばらく天日で干しておいた。夕方ちかくにイモの間に14-14-14の肥料を少量置き、土をかけた。やっと完了した。2週間のべ5日を費やしたジャガイモ作付け作戦が完了した。今年は気合が入っているなあ。頑張って100kgの収穫を目指そう。

 

20240302土

 朝から畑を耕していた。風花が舞っていて朝日にキラキラ光っていた。ジャガイモを植える用意である。午後には種芋を買いに行った。5s(2+2+1kg)1889円(1sあたり378円。ちなみに食用に売られているものは1月の全国平均で381円だった)。たねいもたけえと思ったがジャガイモの相場の値段だった。2022年にまじめに収穫したイモすべての重さを測った結果だと同じ畝で5sを植えて88sの収穫を得た(種芋の17.6倍、うまい人なら20倍になる)。収穫した2022年6月の全国平均の値段は1sあたり470円だったので、時価41360円というものだった(その2か月後に過去111か月で最高値の576円/kgをつけた。なんか大儲けした気分)。数字で見るとえぐいなあ。ジャガイモは例年1月ぐらいまで利用できる。うまく作るととてもうまいイモが採れる。ほんとうにしみじみうまかった。それゆえ大変意欲の出る作業ではある。

 

 先週畑からひっこぬいてプランターに植えた水菜から花芽がでていた。水菜は黄色い菜の花が咲くそうである。これもアブラナ科だもんなあ。お仲間のブロッコリーにはスルフォラファンなる癌を抑制する物質が含まれているそうで、アブラナ科の野菜を食べるのはいいらしいねえ。その水菜をひとつかみ収穫してサラダにしてくったら、ちょっと茎が固くなっていた。歯ごたえが増したくらいに考えて食う。ちょっと収穫しただけでもすごい量だった。28円分の種でものすごい量の水菜が生えて、それを日々食べてきた冬だった。

 

 以前から日本人の働き手は、やる気のある人が5%ほどだとは聞いていた。テレビでそんな話をやっていた。

やる気を失ったことはないのだけれど、やる気がないのに仕事をするのってつらくないのだろうか。95%の人にとって仕事はつらいものなのかもしれない。よその企業の方と話をすると、なんか話がずれるなあとは感じていた。

逆に考えると、日本人が意欲に燃えるとなんとなくすごいことになるんじゃないだろうかと思う。今までは仕事を海外に取られていたけれど、円安だし、安い日本だし、いろいろ安くて世界中から仕事が集まってくるんだろうと思う。よい循環ができて日本人が生き生きと仕事をする世の中になればいいだろうなあと思う。

 

 

20240229木

 2月最後の本日も雨だった。風もあるのでよく濡れた。1か月の天気を振り返ってみると14日間、月の半分が雨だったようだ。なんかヒイヒイ言いながら仕事に立ち向かった1か月だったが、雨でさらにしんどかったような気がする。

 楽しそうな予定はない。連休は農作業でつぶした。お金はあるが食べたいものも買いたいものもない。これをくえばうまいだろう、といういろいろに気持ちが向かず、なにかしら今できる最善の行動はなにか、というようなことを考えてしまっていた。しょーもない仕事もごりごりやっつける。気後れする仕事にぐっと腹に力を入れて踏み込む。楽しみとか娯楽とかうまいものとかそういういろいろの魅力がどうでもよくなるこの気持ちはなんなのだろうか。受験期にもでてきたこの集中は稼ぐ力の源泉なんだろうなあ。

 

 大阪からの輸出は過去最高とかいうニュースを見たような。中国への半導体製造装置がかなり売れたそうである。そんなもの売っとるのか。まあ多分だいぶ以前の技術のものは売ってもよいのだろう。中国も自国通貨の価値が下がる前に買っておきたいものを買ったという感じだろうか。

 

20240227火

 書きたいことがあるから書いてきたのだけれど、あんまり意味はないなあ、と思いつつ、何かしら考えて書いてしまう。少子化について思う。昭和のころは女性は強いしがらみがあったのだと思う。大学に入った年に居候していたおじの家でのこと。おじおばの夫婦喧嘩をみていて、おじが暴力でおばをねじ伏せるのに腹が立って食って掛かったことがあった。犬も食わないとはいっても女性に暴力はいかんと嫌悪を覚えてしまった。こんなやつの飯は食えねえとおじのいえをおんでて、六畳一間風呂なしトイレ共同の下宿月13000円をみつけて引っ越した。今どき風呂なしトイレ共同ってところで生活した経験のある人はあんまりいないのではないだろうか。風呂はたまに銭湯にゆくか、体をふいていた。共同トイレには小便の池があったなあ。やべー生活だった。昭和は不衛生にもほどがある生活だった。幼少のころ私はギョウチュウもちだった。おかげで花粉症がでない。

 話がそれた。Youtube動画などで猫の交尾などを見ていると、生き物ってこういうもんかあ、と思ってしまう。オスがやりたいようにメスの首にかみついてやりたいようにしてしまっているように見える。猫のメスは拒否できるのだろうか?。

 今日女性はまだ社会的に職業選択などで割を食っているように見えるが、昭和の時代よりはしがらみが減ったように思う。その結果、嫌な男はいや、と拒否できるようになったのだろうか。でもまあ女性が受け入れなければ結婚や出産は成立しない。少子化は人類共通の課題みたいだ。

 男女が愛し合って子供を育むという関係のあるなしは、それぞれでいい悪いはいうてもせんないことなのだろう。男女お互いに愛して子供を育てる能力がある人たちだけが次代に子孫を残せる。それって人類が際限なく増えるということはなくてある意味正解なんじゃないのと思う。ああ、なんかいいんじゃね。独身の人は独身の楽しみがあるだろうし、家族持ちは家族持ちの苦労や楽しみがあるだろう。お互い尊重しあって、落ち着いた社会を目指せばええんじゃね。独居社会と少子化OK。なんか不都合があればうまいことやるだろう。独居の人たちは、夫婦や子供を暖かい目で見ていただきたいなあと思う。

 

 結婚や子育てのよいところを語る人はあまりいない。多分生きてゆくのは誰しも大変なので、そういうしんどい話は聞いたほうも「うわぁ」とおもっちゃうからあまり語られないのだろう。離婚は35%でも、結婚を続ける人は65%もいるわけで、まあ過半数だよ。まあでも結婚は、普通にお互い大事にするし、一緒にいて心安らぐし、ちゃんと作って食べるご飯は体によさそうだしうまいし、子供はかわいかったし、楽しい思い出もいっぱいあった。旅行とかそういうしんどそうなイベントじゃなくて近所の山をうろつくだけで大冒険だった。子育てのすごいのは、あんなにちっこくてかわいかった子供らが、思いやり深い頼もしいおばさんおじさんに育ったことだった。親のできないことができるようになるところがすごい。様々な面で親を超えてゆくのだった。人間すげーって思った。教育費がかかってしんどいと思ったことはない。自分の時間が持てないという不満を持ったことはない。かみさんの実家は田舎を授かったようなもので人生の幅が広がった。

なにかしら我慢しなければならない事象があってもそれもまた人生の薬味みたいなもんだと思っていた。家庭やら仕事やらで不満を持ってぶりぶり文句を言えば、それが自分に跳ね返ってきて家族や仕事仲間から自身の格付けみたいなものが低下してかえって待遇の低下を招く人をみたことがある。ぶりぶり不満を言う奴はその時は要求を通してもらったとしても、あとで機会損失をくらったりしている。(「なにもんくいってんの、じゃあおまえはぬきでやるよ」、とか思われている)傍で見てそこちょっと辛抱すれば幸せになれるんじゃね?と思う人はいる。文句垂れる前にどうにかできないか、Win-Winにできないか考えてみるほうが利得が大きい。辛抱は大事と思うのはこっちの勝手で、昨今の人たちは「それは自分を殺している」とか考えちゃって、そういうのは「価値観の違い」とか言っちゃうからもうそこで話は終わるのよね。なんか言いたいんだけど、言ったらいけないのよ。今の人は言っても聞かない。好きにすれば(自己責任で)、なのよ。バカはしくじり、賢い者はその失敗から学んで困難を乗り越える。でも最近の人はしくじりでくじけて逃げて引っ込んじゃったりしてるでしょ。育ちにくそう。それゆえか積み重ねが必要な給料高い仕事に人材がいない、それゆえ給料も上がっていない。まあ中国がこけたおかげでチャンスは増えている。稼げる仕事が日本で増えるのだから、これからの若い人は能力を上げて給料を高くして結婚して子供を作れるようになったらいいだろうなあと思う。

 

20240225日

 三日間雨の中野菜の収穫というか、ジャガイモを植える予定のある畝から野菜を撤去していた。食いきれない奴はプランターや別の場所に植え替えた。なんでこう雨が降るかなあ。寒いし冷たいし散々な三日間だった。数えてみると今月12日間も雨だった。まじか。雨の中とってきたやさいの食えない部分をどけて洗う処理など、雨に濡れまくった。さらに一部耕して、肥料をぶっかけておいた。野菜の処理中はさみで指を切ってどぱっと出血した。3連休どこにも行っていない。しんどかったなあ。来週か再来週にはイモを植えられそうだ。

 

20240223金

 山渓カラー名鑑「日本の樹木」「日本の野鳥」「日本のきのこ」を3220円調達した。「日本の野草」と4冊セットだったので「野草」がダブった。まあこんなんなんぼあってもええですからねえ。

このシリーズで欲しいと思っている本は残り「園芸植物」と「日本の山1000」である。1冊4000円くらいする写真だらけのこういう本は令和の今ではもう売っていないようだ。こういうこてこての本が8冊も積みあがっている。1冊1sは超えていそう。ときどきぱらぱらめくって眺めている。樹木、きのこ、野鳥について、還暦近くになって全然知らないというのももったいないと思った。

目に見えるこれはなんだろうという木とか鳥とか草とかキノコとか、ネットで調べればわかるものなのだろうか。画像をスマホで撮影して検索するとわかるらしいけど、その種の全体の位置づけって見えてこない気がする。

 

休みだが、このところいつも天気が悪いような気がする。この2月はものすごく雨の日が多かった印象だ。しかも気温が例年になく高い。本日は雨に降られながら野菜の収穫と水で洗って下処理をしてかなり寒い思いをした。

 

 

20240219月

 バブル期に旧帝大をでて国家一種で職を得た先輩が、昭和のころ「財テク」にいそしんで「今月7万儲かった」という羽振りの良い話をしていたが、1989年のバブル崩壊に遭遇して300万円の借金を負って婚期が7年延びたとかいうのをあとで聞いた。当時私は金利5%の郵貯一択だった。

荻原博子著「投資なんか、おやめなさい」を読んだ。まあ投資で成功する人もいるのだろうけど、基本世知辛いものだと思うよ。投資で儲かるんだったら、金持っている金融機関が頭のいい奴雇って頑張ってやってるはずだけど、そういうことはやらずに日銀に金利取られてお金預けているんでしょうに。バブル期に金融機関は貸しはがしなんてことをやったから、企業は内部留保をしっかりやって、デフレだから借金をへらしたとかやると、金融機関は貸すところがないという状況になって、なんかATMの手数料をちゃりんちゃりんとるようになったなんか残念な業界のように感じる。そういうところが投資やりませんかと売る投資信託なるもののあれこれが書かれていた。なんか投資っていやだなあ、と思う。自分のカワイイお金が手数料で吸い取られてゆくイメージしかない。

預けて1%も増えないものらしい。自分が動かせるお金は知れているので、そんなもん預けても1年でちっとも増えないし、株やるにしてもやっぱり原資がちんまいのですごく株が上がっても儲かった気はしないだろう。どこに行ったか分からない投資はなんかいやなので、その虎の子のへそくりを原資に、生活の質を上げつつ、貯金をふやせば、お金が増えたのでええんでないかと思う。1%くらいふえるやろ。過去20年振り返ってみると結構増えている。年利5%の複利で20年運用すると2.53倍になるか。へそくりは20年でそれ以上に増えている。じゃあ投資なんかやらんでええやろ。(投資はそういうものではない。へそくりはただ寝かしているだけ。でもまあ増えたんだからええんや)

増えた理由は、特許出願に伴う報奨金や実施料によるものだ。仕事でがんばればそれなりにお金は増えるよ。小遣いのうち消費がうまくなって小遣いが余ってそれがたまってゆくのが理想だ。ただまあかみさんに好みのスイーツなどを提供する費用が増大傾向にある。自分自身の支出は減って、いろいろいいものを安く調達できて満足している。欲望に駆られて文庫本400冊を12000円で過剰に調達してしまい、汚部屋の状態に困ってはいる。

畑で作るやさいはかなり利得が大きい。投資額に対して大きなリターンがある。家計に対する寄与が大きい。165円の種で蕪を植えるとものすごい量の蕪が取れる。蕪で儲けた気分。このような経済性の向上があれば、老後は安心だ、と先のことはわからないが、安心は得ている。

言いたいことは、消費を見直してみたらどうだろうかという話。子供の教育費は深刻らしいのだけれど、そんなにかけてもリターンが不確実すぎるのがつらいところだ。年間50万円かけて高い私立に通うことになった例を見た。うちみたいに塾から10km離れていると通うのがだるいのか、子供ら3人は塾や予備校に行っていない。行きたい希望があれば行ってもよいといっていたが、だれも行かなかった。各人やばいとおもったのか、まじめに勉強して3人公立に入った。このあたりから子供らも、ある意味消費で失うはずだったカネを取り返し始めていたのだと思う。

私の塾の思い出は、小中高と周りは塾に行っていたようだが、私は友人の勧めで1日だけ行った。英語の塾で、なぜか正座して授業を受ける。正座がつらいので1日だけ体験入塾したが、そこで使っていた教材を本屋でみつけてこれに食らいつき、成績を爆上げできた。「こりゃいいな、丸儲けだ」と中学生ながら味をしめた。この丸儲けが気に入ったのか独学の利得に目覚め、全教科に侵略をかけたのが中学2年のころだった。あの体験が人生の転機だったかもしれない。工夫してもうけを増やす、これは投資で成功するくらい楽しい行動だと思う。誰にでもできて案外実行できる人が少ない行動は、安い食材から体にいいおいしいものをつくって食べることだと思う。これにより食費、医療費の低減、よい配偶者を捕まえるなど巨大な利得がある。下手な投資ですってんてんになるひともいれば、がっつり貯金ができている料理上手な人がいるんじゃないでしょうか。投資で幸せになれると思ったらちょっとちがうんじゃないか。カネで得た幸せはコスパが悪い。

 

20240212月

 昨日は、小学校時代の先生を囲む会という少人数の同窓会のために郷里に帰ってきた。生徒は還暦前の7人で、先生は77歳だそうである。写真を見ると私がいちばんじじいに見える。

 あつまっているのは当時クラスの成績上位5名と、当時勉強がさっぱりできなかった私だった。

昔話が百出して、私の母の話になった。私は私生児で、父について母は、「東大を出て地元に帰って建設会社の社長になった」といっていた。当時は、東大出のおやじなら、ひょっとして自分も頭がいいのかもしれない、と考えて勉強に対して強気で取り組んでいた時期があった気がする。おかげで中学から劣等生を脱して勉強はできたのだけれど、じじいになった自分は「己の努力で今日があるのではなく、遺伝子のおかげというのはなんか不公平だよなあ」と、母子家庭という世間でいうところのハンデを背負っていたくせに不服だった。母子家庭の子供時代は特に不自由はなかった。

ちょっと考えてみても「東大出がスナックのママの母と子供作るわけないよなあ」「自分の子供ってわかっていてその後の人生でほったらかしにするような奴はマジろくでもねーくそ野郎だから、そんな奴が東大出であろうはずがない」と疑っていたのである。そこで、当時母とよく会話していた担任である先生に母がいうところの「東大出のおやじ」というのが本当だったのかどうかを質問してみたのである。先生によれば、母は「東大出というのは嘘でそのへんの男だった。東大出と息子にいってやれば勉強する気になるかもしれないと考えて嘘をついた」と言っていたそうだ。人生半世紀経って明かされた衝撃の事実。母よ、なぜその辺の男と子供つくった?と新たな謎が生まれた。いや、その後も割とつまらない男に引っかかっていたなあ。人生そんなもんか。結婚はその辺の人とするものかもしれない。知ってるだけで3人ほど。それが4人になっただけのことか。ただまあ私は母の嘘を十分に利用して勉強して安定した生活を得ている。ある意味その嘘を「心の支え」にしていた記憶がある。「僕はできるはずだ」という根拠だった。それってもう国語の時間に習った「一片のパン」みたいだ。ルーマニアの作家フランチスク・ムンティアヌの短編作品で、ユダヤ人としてナチスに捕まった主人公が、同行のラビから渡されたハンカチに包んだパンをできるだけ食べずにもっておけ、と渡されて脱走し、そのパンを心の支えに苦労の末家にたどり着いたらハンカチの中から木片が出てきた、という話。最後のセリフ「ありがとうラビ」じゃないが、「ありがとう母」なんだろうか。この結果、これまでの試験巧者という結果は、だれかの遺伝子的影響ではなくて、自分の様々なオリジナルな工夫と努力によるものらしい。そのことが分かったのは大きかった。遺伝子で人生が決まるんじゃなくて、自分の置かれた環境をみて「これ詰んでる臭くね?」と危機感をもって、そういうのを覆す人間が本来持つ力だったんじゃないかと思う。己の人生をとても肯定的にとらえることができて収穫の多い同窓会だった。

 

 投資の勉強をしてみた。庶民の投資は「将来少し楽になるためにやるもの」であって「金持ちになるため」のものではないそうである。金遣いがやべーやつが将来食いつめないように「今をすこし辛抱して」「将来の生活を用心」するためのものらしい。少子化で今後の年金がやべーのでそういう形で将来に備えるように政府も推奨している。昔だったら金利というものがあったから積立貯金、という毎月一定額を銀行に預けるようなやりかたがあったんだけど、今日の金利では無理だ。いまは結構複雑ないろいろでお金を回して数パーセントの運用益でインフレで目減りするお金を守るくらいになっているのか。

 思うのだけど、金遣いがやべー奴に年金の代わりに投資が必要なのかもしれないが、金銭感覚がまっとうであれば老後に備えて投資をするというようなことは考えなくてもいいんじゃないかと思う。しっかり稼いで、ちゃんと使えばあまり不安はないなあ。投資に対する思い入れが強すぎて金持ちにならねば、という肩に力が入った体でいる人がいて、変にリスクを取りすぎていたり、ちょっとの変動で右往左往して元本割れを起こしたりしくじる話をよく聞く。

 投資と金持ちになることは関係ないとしても、じじいになると、金持ちになることに魅力を感じなくなる人もいるみたい。私も金持ちになってやりたい特別なことはない。手持ちにあるお金でやりたいことはやれていると思う。かなり考えてみたけど、特にない。「海外旅行しておいしいものが食べたい」と思っている人がいるかもしれないけど、経験からいってそんなにいいものではない。海外旅行というのは日ごろの自分の暮らしと比べて油断できない未知のリスクはたんまりあるし、食べ物はそこそこか微妙というあたりじゃないか。若いうちだから楽しめる海外旅行だ。自分の周りだって奇跡の星地球の一部で、多くの人が知らないだけで、美しさと自然の神秘に満ちていると思う。少なくとも草や木、動物など知らないことだらけだ。

食うに困らない程度のお金を、健康を保つことで稼げる生活をしていたいと思う。「楽がしたい」というのは追い使われてきた人が思うことじゃないだろうか。それはそれで気の毒とは思うけれど、適度に働いていたほうが心身の健康を保てると考えている。「楽がしたい」「楽なほうに流れる」というのは危険だと思っている。「金出して食う飯」「店で食う飯」など、原材料から作らない飯の生活をするのは、心身によくないと思う。飲食店の思いは、客がわんさと来てお金を落としてくれることであって、客の健康を希求してくれているわけではない。

 

百田尚樹著「夢を売る男」を読んだ。最初の1行で鼻くそをほじっていた主人公は、最後から2行目でも鼻くそをほじっていた。この男、すごくおできになる。さすがというほどの人物を見事に描き切った作品だった。ものを書きたい人をおだててあげて本を出版させ、出版にかかる費用を負担させるという体で金をふんだくるという話だった。だけど、そういうカモをバカにするような発言はあっても仕事自体はとても真摯に取り組んでいるように読めるため、そのギャップに何かあると思わせ、最後まで興味を掻き立てられた。作者は本当にうまい。脇役の一人一人がいい味出している。本書で語られている「もう本を読む奴なんか絶滅危惧種だ」という記述に「じゃあ読者の俺は絶滅寸前か」と笑いが出る。いや、本は本当に面白いよ。ただぼーっと見る映像娯楽じゃなくて、脳みそがフル稼働できるのが読書という娯楽だ。やっぱ読書はいいなあ、と思わせる1冊だった。

 

20240203土

 かつて大豆を30kg購入したネットのお店は、支払いがPayPayだったりする。知らずに落札して代引きで支払ったように思うが、ひょっとしてお店に迷惑をかけたんじゃなかろうかと思ったりもした。ネット上の決済手段があるとお買い物がしやすいだろうか、と考えた。現状、コンビニ支払いなので、その都度手数料に100円取られている。ネットオークションが比較的頻繁に利用していたので、100円とはいえもったいないと思うようになった。

 PayPayの口座開設は、スマホで簡単にできることは理解できた。そんでもって、スマホを前提にしているため、それ以外はご遠慮くださいとかかいてあった。えー、パソコンはあかんのか。あったまくんなー。

 格安スマホでも持つか、と考えたりした。でも毎月1000円くらいかかるんだよなあ。あんまり使わなくても1000円とかとられるってどうよ。先月読んだ本21冊で1033円だ。スマホごときに月千円ってちょっとなあ。基本料金0円で使った分だけ払う、みたいなのはないのだろうか。ないな。月に数百円の決済手数料を節約するために毎月千円払って首が痛くなりそうなスマホを導入して読書量を減らすとかマジないわー。

 それにしてもパソコンでつかえないPayPayってどうよ。

 そういえば銀行に20年くらいいったことがない。口座はかみさんが管理している。なんんというか、ダンジョンの最深部で通帳が閉じ込められた水晶をでかい竜が取り巻いているようなイメージ。なんか口座っておっかないというか苦手なイメージがある。

 まあお金のことは、考えないほうが平穏かも。必要なものがあれば、便利な決済手段を考えるよりも、必要性と重要性と事後評価を考えて調達するよ。事後評価というのは、買い物をするたびに、「その買い物は必要だったのか」というのを使用中、消費しきるまで評価して記録することだ。ネットオークションについて1件ごとにエクセルに記録がある。「不要不急」「不可」「可」「良」「優」「お得」「超お得」など。どう使ったかも書いてある。

 まあこういうねちねちしたお金の使い方をしているから、金融機関に関心が向かなかったのだろう。しかしまあ、お金をとことんしゃぶりつくして、コツ湯の吸いまわしみたいに使って、楽しんでいるのだと思う。

 

 たまねぎが相変わらず高値だなあとおもう。北海道が夏場暑いとたまねぎが不作になって高値になるというのはここ数年おきている。我が家もちょっと多いかなあ、というくらいの玉ねぎを作付けしている。リンゴも今年は1個300円という値段をよく見るが、気候変動が原因で高いのだそうな。

 

20240202金

 狂乱の研究資金流入で往生していたが、なんとか必要なものの調達を完了した。きっと有効に使ったと思う。私のようなミジンコには過分な研究費で吐きそうになったが、無駄にするわけにもいかないので、ちょっと買えないような装置をわんさか購入して、これから鬼のように働くのである。もうじじいなので勘弁してほしいと思いつつも、うおー、やったるでー、という変な高揚感もある。めっさ戦って妙に強くなったからなあ。

 

 山渓カラー名鑑「観葉植物」を調達した。世界からあつめた観葉植物なので、全然知らない科がいろいろあるようだ。世界のいろんな植物図鑑になっている。植物の世界って広いなあ。

 

20240129月

 仕事でやらかしたポカは様々な手管を駆使してリカバーしつつある。眠れない夜は減るだろうか。そういえばまた仕事が増えたのだった。じじいらしく落ち着いた仕事ぶりになりつつあるような気がする。こうやってしっかり働けている間は、まあ生活の心配はなかろう。

 

 昨日は尾道ラーメンのカップラーメンを食べて、背脂にあたって腹が下って往生した。24年前も東京で背脂系ラーメン屋のラーメンを食べて下っていたから、背脂にはおなかが対応していないのだろう。好きでも食べられないものはあるんだなあ。高いお金を出してでも食べに行きたい、というものがなくてある意味心安らかなのかもしれないと思う。あと、どうしても欲しい高価なものがない。とても高性能なパソコンを欲しいと思ったりはせず、第四世代のCore i5くらいで十分満足しているというか、性能の良いパソコンでしたい仕事がない。ゲームしたことねえしなあ。すれば面白いのだろうけど、始めるとしたらスーファミのマリオ(1985年あたりに戻って)あたりからだろうか。ゲームをしようとするとタイパ悪そうに感じて手が止まる。ゲームより読書がいいなあ。ラノベのテキストを読み込むと、脳内でカラーのアニメをつくって動かすエンジンを持っている。読書ってなんか脳内がさわやかな感じになるんだよ。なんかストレスが消えてゆくような。現実から逃げているわけじゃなくて、寝る前あたりには次の日にやることを考えたり、アイデアを思いついたりできる。パソコンはアイデアを思いついて書きつける道具という使い方が一番利益が上がっていると思う。そういう用途にはジャンクパソコン7700円ほどのもので十分だったりする。

 

 株がいくらあがろうが、資産運用とかずっと興味がなかったのでやりたいとは思えない。東京のマンションがすごく高値になる一方、一戸建ては売れなくなっているとか聞こえてきている。バブルなんだろうなあ、と思う。東京なんていつきつい地震が来ても不思議ではないのに、長い時間で見ると地震が少なく感じる。地殻に応力がたまりにたまっている感じがして、東京に出張する際は、飲料水と非常食を必ず携行して、目的地からの避難路の確認を事前に行っていたりする。そんな土地のマンションの価格が手が出ないほどに上がるというのは、まあいままで地震らしい地震がなかったからこれからもなさそうな気がしているのだろうなあ。アメリカもバブルだし、日本も立派なバブルだと思う。中国のバブルがはじけてお金が逃げ場を探して、比較的ましな日米に流れ込んで土地と株の値段が上がっているのだろう。いわゆるブラックスワンがやってこないうちに日本の景気が産業に裏打ちされた本物になればいいのではある。それでもマンションはえらく高いと思う。

 1989年のバブル崩壊では影響は受けなかった。今度バブルがはじけても影響は受けないと思う。やっぱりまた繰り返すんだなあ、あーあ、と思ってみている。頭のいい人が、最初うまく転がして値段を釣り上げて儲けると、あとから儲かるかもと思って食いついてくる人が必ず現れて、うまい人が値段が上がった分から利益を得て離脱して、それでもわっしょいわっしょい多くの人が値段を上げて、ものすごく値段が上がったころに、「あれれ、なんかこれ値段高すぎねえ」ってみんなうすうす気が付いたころに、どこかで資金繰りがうまく回らなくなって、値下がりは始まって、わっと一気に値崩れするというやつ。やるよ、絶対。多分どこかの国から逃げてきたお金が減ってきたあたりで、値下がりして、損はその国の人が被るんだろうけど、まあ元の国の資産よりはましだろうから、むしろ特需と前向きに考えると日本経済の起爆剤になるかも。儲からないあほな会社はつぶして、成長する会社が優れた人材を雇ってすごい商売を世界で繰り広げる時代が来ると信じている。

 

20240122月

 来週の休日出勤のため月曜は代休をとったのだが、働ける日に休みを取らなければならないのは、戦わねばならないときに動けない感じでとても落ち着かない。

 

 仕事のことを考えて眠れなくなる日が2日あった。今後眠れなくなる夜が増えていったらかなわんなあ。割とよく眠れない人は多いと聞いたことがある。私はだいたい123グぅくらいに寝入って、朝までノンストップで寝ていた。それはとても幸運なことだったのかもしれない。

 なんかいやだなあ、ということや心配ごとを考えているうちに2時間ぐらいたっていそうで、睡眠時間を削られるのはつらい。そのまま仕事に出るときは格別つらいものがあるが、割とよく働いていた。仕事に差し障りが出るほど寝られなくなるのはつらいだろうなあ。最近仕事つらいなあ、と思うことはちょくちょくある。それでも何とかやりおおせるというのはとてもありがたく感じる。

 一日だいたい仕事のことを考えて嫌な気分だった。ひょっとして運動不足では、と考えて、近所の山に出かけた。斜面を木の棒を拾って杖にして、道なき斜面を登る。少し息が上がる程度の負荷で登ってゆく。体力落ちているなあ、と思う。汗を結構かいた。お気に入りの場所まで上がってみた。山は静かで誰もいない。半径1qくらいに誰もいない感じ。寂しかったりおっかなかったりという気分でいたけれど、体を動かすうちにだんだんと、そこに一人立っていられる自分に頼もしさが感じられてきた。動物も鳥もめったに見かけない。西日が傾いてきた。このまま別の道を進んで麓に降りるのは危ないと思った。用心して元来た道を戻る。1回斜面で滑ってすっこけた。今回拾った杖の具合がよくて上り下りしやすかった。疲れからか、仕事に対する焦燥感がほぼなくなっていた。明日は明日で一生懸命やりゃあいいよ、という気分になっていた。1時間半の山歩きはなんだかとても精神に効いたように思う。ただ歩くだけでいいからまたやってみよう。

 

 人には大ぴらに言えないのだけれど、エロ漫画には芸術性が高い作品があるんじゃないだろうか。女性がとても美しく描かれている作品群を見つけた。

日ごろネットのおかげもあって世界の有名絵画を収集して、美術の世界に触れる機会が多かった。絵画の世界にあっても表現はとても多様だと思う。新しいものや最近のものが芸術として認識されるまで結構時間がかかるようで、印象派がとても素晴らしいことが人々に認識されるまで結構な時間がかかったそうである。日本の漫画表現は、時代を経るごとにストーリーとともにその芸術性が認められてくるんじゃないだろうか。その表現は力強く、繊細で、時にコミカルだったり、はっとするほど美しかったりする。誰もが手にできるマンガにしても人々の心に大きな影響を与える。マンガやアニメは、芸術として高い評価をすでに得ているのか。

だいぶ昔にロンドンの大英博物館で歌麿の春画展に遭遇した。こういう春画展は日本だと変な目で見られるのかもしれないけど、英国だと堂々芸術という扱いを受けていた。だからとてもおおぴらにこれでもかという迫力でたいそう驚かされた。こんなにすごいものだったのか日本の春画は、と感嘆した記憶がある。

かるま龍狼というエロマンガ家がいる。エロマンガというと、作者によって造形されるキャラは、ちょっとずつ違う、という程度で、ヒロインなどは割と似たような造形になるのだけれど、なんというかこの作家様は、モディリアーニの絵じゃないけど、様々なタイプの女性が出てくる。あと、女性に一味違う魅力があって、味わいが深く、様々な美しさを感じる。ストーリーが実験的で、妙なおかしみがある。この作家さんはとても芸術的だと感じて調べてみると芸術学部に通っておられたそうな。驚いたことに同郷人だった。どことなく懐かしい感じがした気もする。

将来日本のエロ漫画が海外で芸術として鑑賞される日が来ると信じている。(ただまあ、エロ漫画で不愉快になる人もいるからなあ。日本では歌麿の展示も英国ほど大々的ではないことを考えると、エロ漫画が芸術とみなされるには海外に打って出る必要があろうと思う。セリフに外国語をインポーズして世界への展開を図るべきだろう。日本の素晴らしいエロ漫画を海外の人にも知ってもらいたいと思う)

 

20240120土

 すげー戦ったような一週間だった。やらかしたポカをリカバーしつつある。まあ気を抜かずに戦うよ。

 

 寒いから家にいたいところだが、散歩に出た。家にいると、外はなんにもないつまらないところに感じてしまうので、だらだら動画を見たりして過ごしてしまう。散歩に出ると、外は様々な世界の一部が見える。思いのほか興味深い。なんにもないようでいて、部屋ではできない体の動かし方ができる。散歩もいいものだと思う。

部屋にはない植物がたくさん生えている。真冬にホトケノザの花が咲いていたりするのか。別物かもしれないが。ホトケノザがシソ科というのを「日本の野草」をめくっていて知った。よくみるとシソに似たようなところがある。「日本の野草」は、科ごとに野草が並んでいる。野草を知りたければ、大まかにどのような科があるのか知るのが近道なんじゃないかと思った。「これは何という植物だろうか」と思ったら、その植物が属する科が分かれば、図鑑を繰りやすくなると考えた。「日本の野草」をめくって科の特徴はなんだろうかと思うように眺めるようにした。

 オナモミといういわゆるマジックテープの天然版はキク科だった。思えばキク科のような臭いがした。ラン科も独特なにおいがある。においも有力な特徴だろう。

 かみさんと買い物をしていて植込みの花を見て「アネモネ?」といっていた。ここで自分は特徴をみて「キンポウゲ科か?」とでてきた。後で確認したら、科名はあっていた。ちっとは身についてきているようである。

 

 調達していた山渓カラー名鑑「日本の山」が届いた。山好きのくせにあまり登ったことはない。それゆえ、山の写真はなじみのないものだった。見事な写真が多いけど、山渓カラー名鑑の中ではインパクトが低かった。蘭>日本の野草>日本列島>日本の山、という序列でめくった回数が多い。

 

20240117水

 朝からごりごり仕事をしてへとへとになっていたのだろう。ミスが頻発した。調達の書類の金額を間違えたり、電池を作成して入れなきゃならない電極を入れ忘れて電圧がでなかった。「なんでだろう?」と思って開けてみたら金属リチウムを入れ忘れていた。あーあ、今日はもうだめだなあ、と尾羽打ち枯らしたように家に帰る。1120円で調達して本日届くだろうと楽しみにしていた「山渓カラー名鑑日本列島」が再配達になって届いていなかった。あーあ。ついてねえ一日だったぜ。

 ところが飯を食った後で、電話でお願いする前にクロネコ様が再配達してくださってカラー名鑑日本列島を手にすることができた。固い箱に入ったその本は26年くらい前に製本されたものなのだが、本当に新品みたいにピシッとしてツヤツヤだった。1984-88年ごろに撮影された写真はどれも鮮やかで、日本はずっと美しかったんだなあ、と思う。故郷の名所の写真を見てガツンと郷愁の念に打たれる。いい写真だなあ。うわあ、こんなすごい写真みたことねえなあ、という鳥肌物の作品がいろいろあった。写真家も編集者も最高水準のお仕事をした金字塔のような本なのだろうなあ。なんか涙出てきた。

 昨日昔の仲間から寒中見舞いをいただいていた。年賀状が来ないからどうしたのだろうと思っていたが、はがきが来ると嬉しいものだ。コンビニではがきを買ってきて寒中見舞いを書いて出した。なんというか、遠くで頑張っている仲間に励まされたように感じて気力を取り戻していた。

 山渓カラー名鑑の出物「日本の山」がでてきた。送料無料決済手数料こみで1000円。またまた調達してしまった。飲み食いよりは自分の趣味に使うのだからいいのだ、と思う。このあとは「園芸植物」「日本のきのこ」「日本の樹木」「観葉植物」などを集めてゆきたい。

 

20240116火

 年末年始ちょっと財布のひもを緩めた結果なのか貯金が急に減った感覚がある。原因は飲食店でかみさんに提供する飯がだいたい50%値上がりしていることじゃなかろうかと思う。なんつーか、内容を増やして単価が上がった、という感じだ。これがインフレで貯蓄が目減りするという現象だろう。貯金の価値が低下しているのである。今後はもっと稼げるようにしっかり働くってことなんだろうか。

 還暦近い年齢になってだんだん仕事が増えてきつくなってきた。ここらで「もう俺は嫌だ!」とか言い出すと、今後の仕事はさらに厳しくなるなあ。定年がなくなるとか聞こえてきているし、こりゃ死ぬまで働かないといけない世の中になるのか。体と精神を大事にせねば。

 もらえるお金の価値は減って、さらに稼ごうとすれば仕事がきつくなるというなんともきつい状況になるんだろうなあ。仕事がいまより少なくて、貯金が増え続けていたデフレ時代はよかったなあ、とか思っちゃうけど、まあきつい時代は誰にだってめぐってくるように思う。

 

 日本の株の時価総額が中国を上回って首位を奪還し、アジア1になったとかきこえてきた。日本に仕事がもどってきつつある。景気はよくなっていると思う。仕事もきつくなっているんだよなあ。今年に入って昨年よりいっそう仕事がきつい。

 以前はよくへこたれて「俺はもうだめだ」とか言っていたが、「もうそんなこと言ってらんねー」って必死に仕事に食らいついてゆく。ちょっとずつ新しい技を覚えて強くなっている感じはある。苦労は買ってでもしろ、とか思っていたことがあったけど、なかなかすごい量を自転車操業でさばいている感じ。

 

20240115月

 ちょっと仕事を乗り越えてぼけっとしていた。しんどいなあ仕事。もう死ぬまでずーっとしんどいんじゃないだろうか。いやまあ僕なんか大してしんどい部類には入らないと思う。役職定年後子供らの学費を稼ぐため月に3回の日曜日にバイトしていたおじさんの話を動画で聞いたので、世の中苦労人が多いと思った。少々でしんどいとか言ったらばちがあたるか。

 

ニューヨーク・タイムズが「2024年に行くべき52か所」を発表し、日本からは山口市が3位に選ばれたとか。田舎が山口県だけど、山口市は通ったかもしれないが行った記憶がない。山口市はどこにあってどう行くのかしらなかった。小学生のころ、鍾乳洞にはまって、小学生だった自分は一人で時刻表を調べて秋芳洞に行ったことがある。当時は新幹線の駅は小郡駅だった。現在は新山口駅だそうである。だから電車を乗り換えれば山口市へ行けるらしいが、小学生の私はひたすら秋芳洞・秋吉台に通っていた。小郡駅には昔うどん屋があって、そこのきつねうどんが100円で猛烈にうまかった記憶がある。いつも3杯食べていた。今思うと、このガキなに豪遊してんねん、と思う。小郡駅からはバスで秋芳洞にゆき、秋吉台をうろつき、小郡駅でうどんを食べて家のある広島県福山市に帰っていた。ほんまにそんなことをしていたのだろうか。探せばエビデンスがでてくるだろうか。なんにせよ小学生の私にとって山口県の秋吉台はエルドラドだった。

山口県は、「県魅力度ランキング」で43位だそうである。なんなんだろうねえ、ニューヨークタイムズの3位とのギャップは。山口が田舎の私から見ると、山口は謎が多い。私、30代になるまで長州藩ってどこかよくわかっていなかった。萩というところにあった。秋吉台の北になければ認識すらできていない都市だった。とてもめだたない。

司馬遼太郎の著作の多くは長州藩が大活躍している。本当にすごい歴史だった。世界屈指の面白い歴史だと思う。それなのにあまり話題になることがない。今思うと、山口県は、意図的にものすごく目立たないようにされているのではなかろうかと思う。総理大臣が歴代最多8人でているということもあまり言われない。山口県の第一の都市を言える人はあまりいないかもしれない。下関市である。これも50代になるまで知らなかった。のぞみが常時とまる広島、小倉の間で山口県には有力な都市がない。岩国、徳山、新山口、下関と新幹線が通るが、どれも小ぶりの都市に思える。豊かなのだけれど、古いものを大事にして、華美に走らない風がある。以前も書いたが、現在の日本は長州政権が続いている。そういう政権を運営している人たちはあのモーレツ吉田松陰みたいにモーレツで、ものすごく気を付けて国を運営しているんじゃなかろうかと思う。なにしろ、長州勢力の人たちが東京を離れて周防大島町に移り住んでくるだけで、市区町村の平均所得ランキングが、「港区、周防大島町、渋谷区、…」になるくらいモーレツなのである。本当はすごい山口県を、日本人には認識できないような不思議な仕組みがあるように思われる。生活してみると、地球で有数の豊かで、自然が美しくて、安全安心な地域なんじゃないだろうか。通りすがりの小学生が挨拶してくれる恐るべき地域だと思う。そういう田舎の良さを知っていると、東京に出張しても見たいところは特にない。

 

20240114日

 仕事でポカをやった週末はなにかと気分が悪い。まあそういうこともあるよ。リカバーは大変だけど何とかするよ。

 いろいろ考えながら、できることをする。家にいると、せっせといろんな用事を片付ける。ゆりを植えていなかったなあ。地植えにするとだんだん不調になるので近年は鉢植えで育てている。19鉢くらいになった。

 ランはだんだん少なくなってきたなあ。ランに入れあげていたころは幸せだったような。1998年あたりから、2016年あたりまで寝ても覚めても蘭だったような。仕事に身が入るようになって仕事がどんどん高度化して、重層化して、いろいろあれやこれややるようになって、まあ仕事は面白い面もあるけどしんどい面もあるなあ。人から当てにしてもらえるのはありがたいけど、時には失敗することもあるよ。

 

 以前よんだ有川浩著「植物図鑑」に影響されて、道端の植物に興味がわいてきた。ポケット図鑑を買ったりしたが、ちと写真がものたりないとか学名でほかの種とのつながりを知りたいとか思ったりして、「山渓カラー名鑑日本の野草」というものをオークションサイトで入手してしまった。700pもある。定価4010円もしたらしいが1000円で調達した(アマゾンで15000円だった)。写真も説明もいろいろすごい。写真には撮影日がついていて、みれば40年前のものだった。写真が古びていない。植物の姿が大変美しい。市販の印刷物というのはこの本が出た1983年あたりに最高水準だったんじゃないだろうか。ジャパンアズナンバーワンの時代だわなあ。野草としての日本の蘭がまた広く網羅されていてよい。こういうすごい本って昔はよく並んでいたけれど、今はどうなのか本屋に見に行ってみたけど、もうなさそうだ。

ネットでカヤツリグサを知らないのにカヤツリグサを探すのは大変だと思う。こういう本だと漫然と眺めていると、知らない植物だったものが写真で似たものにたどり着くことができるのではと思った。スマホをかざすだけで種名がわかる、というくらい便利になっているのかどうかは知らない。画像で調べたけどうまくいかなかった。

ネットのおかげで印刷物って縁遠くなったなあと思う。昔「non-noお料理基本大百科」というものを古本市場で80円で買ってきたことがある。定価4500円(1992年10月30日、アマゾンで5478円)。30年もまえの本なのだけれど、まったく古びていない。パラパラめくってみるとおいしそうな料理の写真がたくさんでてくる。シュウマイって作ったことがなかったのだけれど、案外簡単に作れることが見て取れた。食べたい料理は動画で作り方を見たりするけれど、こういう本をパラパラやって作ってみるというのもとっかかりとしてはいいように思える。

雑誌をパラパラと見ていた昔はなんというか楽しかったような気がする。じじいらしく昔を懐かしく思うようになったのだろうか。

 

数日前の夜明け前ごろだったか、夢で家の外に牛が10頭くらいいて、なんか大きくて怖いなどと思っていた。動物の鳴き声がして聞いたことがない鳴き声だなあと思っているとまだ暗い中目が覚めてしまった。覚醒したのに夢の中で聞いていたその鳴き声がまだ聞こえているのに驚く。鳥の鳴き声のようでいて、多くの鳥が声を合わせて鳴いているように聞こえる。とても規則正しい間隔で聞こえてくる。距離は60mくらい家から離れた場所のように思われた。でもこんな声で鳴く生物を知らない。意識がはっきりしてくるにつれてその鳴き声がただならぬもののように思えてきた。しかしあまりにも周期的だなあとおもっていたところ、かみさんの寝息であることがだんだん理解できて来た。寝息に起されるとは。よく私のいびきでかみさんを起こすことがあるそうなのでその申し訳なさがよく分かった。それにしてもとてもここちよい寝息だったようには思う。

 

 

20240106土

 やっと休みらしい休み。12/23以来だろうか。よく寝たけど、仕事の夢で目が覚めて寝ざめが悪い。だらだらしすぎではある。

 スマホで漫画データを読む方法を知らなかった。パソコンのデータをいろいろ古いスマホで利用することを検討していた。2012年ごろ製造の4000円で10個調達したスマホをいろいろいじっていると、様々なアプリがあって、マンガ、音楽、ムービーなど知らないアプリで楽しむことができた。12年前でこれほど発展していたとはスマホも大したもんだなあ。昔のスマホで満足している。ただ、さすがSONYは音がよい。ほかのスマホを使うといつも泣ける曲が泣けない。機械の差ってあるんだなあという気がする。

 スマホやSNSで幸せになっている人がいるらしいなあ、と思ってみている。害があるのは一部の人のように思う。スマホがあろうがなかろうが、勉強せん奴はせんのじゃ、と思う。スマホがあろうがなかろうが、SNSみて絶望している奴は遅かれ早かれ絶望すんねん、と思う。職場でアイホーンを渡されようが、スマホにうつむいて四六時中いじり散らすようなことを自分はしないだろう。そういうことしたくねえし。

 

 年末、年賀状を墨をすって筆で書いているときに、筆のコンディションがよろしくなくて文字の濃さが安定しなかった。この筆いつから使っていたのか気になった。日誌は10903pに達しており、かなり古い記録がのこっている。調べてみたら、1998年10月28日(水)に西安のホテルの売店で買った書道セット85元、当時のレート14.55/元、で1237円だったことがわかる。26年間使ってきた筆だった。この長い年月、年賀状を毎年30-25枚書いて、書き損じは記憶によると過去3枚だった。上下を逆に書いてしまったやつと、「先生」と書くところを「様」としてしまったりした。なんか12年もののスマホだったり26年の筆や硯やハンコだったり、物持ちがいいなあ。

 

 

20240103水

 精神修養みたいなかみさんの実家から帰ってきた。ほぼオフラインの5日間だった。YouTubeはなし。ニュースはちらりとみたが、正月番組もなし。ライトノベル8冊を読んで、勉強も少ししていた。畳に布団を敷いて寝ると腰痛が起きて、差すような痛みが腰と右足に発生した。とくに元旦と2日は痛かった。座っていると少しマシになるので、だましだまし活動をする。2日は義母の無茶ぶりで、「ジャガイモの種芋を入手し、ジャガイモの畝をつくって植え、黒マルチをかけろ」作戦が発動した。昼頃種芋キタアカリ5sをナフコにて1630円で調達し、15時から息子二人、義母、私の4人で、ミカン畑のまっ平らな土地を掘り返して畝をモリモリと長さ20m分つくり、4sの種芋を植え、肥料をぶっかけ、黒マルチを張ったら日が暮れた。私が1か月かけて準備するジャガイモの植え付けを1日でさせるとは。大汗をかいてどろどろになった。

 

 田舎の飯はひたすら刺身と魚、豆腐と野菜だった。うまいんだけど、刺身はずーっとだったので、当分見たくない。ハマチが安かったそうで、刺身と、あらと、頭の煮たやつ、味噌汁、吸い物など。外食なかったなあ。行き帰りのサービスエリアは作っていったおにぎりで通す。サービスエリアのめしはじじいになるとうまそうに見えない。

 子供ら3人とも就職したのだが、特段無駄遣いをするでなし、義母にお年玉を私(かみさん)、孫三人が差し出していた。義母は幸せだろうなあ。実の娘へのあたりはきついらしいが。私は、義母好みの肥料、万田アミノアルファ500ml2本を別途プレゼントしていた。これ、売っているのを見たときイオン系列のビッグで3267円という衝撃のお値段だった。これを3本買ったら9801円か(ヤフオクにて5620円で調達した)。昔懐かしいNECのパソコンの型番みたいだ。

 

 帰り道、関東に帰る息子がまだ新幹線の切符を押さえていないということで(妙なところで抜けているが、本人は泰然としていた)家族が心配して新岩国駅に寄った。きっとあの有名なお酒「獺祭」があるはずだとおもったので、売店へゆくと、「獺祭45 300ml」876円があったので迷いつつ購入。何年かぶりにお酒を買った。後で調べると、帰り道造り酒屋まで10q以内に接近していたのだった。なかなかの山の中にあるのだなあ。とても有名なお酒だったので、一度味わってみたかったのである。一回の飲酒量が5mlという超下戸なので、300mlあればかなりの回数味わえる。家について味わってみると、とても香りがよい美味しいお酒だった。いい買い物をしたと思う。年末年始の買い物は、古本市場での1200円(ここから7冊のラノベを読んだ)、義母のための花壇の土800円と、ジャガイモの種芋1600円と、この獺祭だけだった。

 

 腰痛やら体力低下などの課題を感じたので、ちょっと体を鍛えて、もう少し勉強しようかと思う。義母の田舎に行くと、日ごろやっていることは全然できなくなって生活が激変してとても不自由になり、いろいろ我慢と忍耐を強いられるのではある。でもまあそういうことは、覚悟のうえで行って、その不自由さの中で自分にできる最善を試す。自分に必要なことが見えてくるので、得るものはある。もう修行に行くようなものだ。子供らもそういう修養をよしとして誰一人文句を言わないので私も愚痴も言えない。私は何も彼らに強いていない。彼らは自ら志願して遠方から集まってきた。かみさんに率いられて着任し、現地の指令に鍛えられるという感じ。ああ、今年もきつい教練を修めたという感じ。なんか働く意欲を感じるよ。

 

 道中家族の会話のなかで、一部奥様方の行動を揶揄して「君の子供を育ててマウントを取ろう」というフレーズを聞いて笑った。「君の愛馬をそだててステージを狙おう」というフレーズのもじりか。

かつて人類は、仲間に殺される割合が2割だったそうである。マウントをとるというのは、人類の進化の過程で比較的知能が低い人が生存戦略としてやってきた行動のようなことを最近聞いたような気がする。知能が比較的高い人の場合、自分の賢さや優秀さをひけらかすことは、自分が属する集団の中での立場を危うくする場合が多かったようだ。例えば、リーダーから「こいつ俺の座をねらってやがるのでは」と思われると、狩りなどで偶発的にけがをした場合「こいつはもうだめだ」とおいてゆかれるか、こっそり始末されてしまうことがあるためである。一方知能が比較的低い人は、「間抜けは死ね」と始末されないように、己の能力をアピールする必要があり、それゆえリーダー以外の構成員に対してマウントをとったりするようだ。こういう話は原始人になったつもりで想像力を働かせるととても分かりやすかった。

そういう人類の行動の理解が進むにつれ、知能の高い低い、能力や収入など、えぐいほどよく見えるようになってしまって気持ちが悪い。知能が高い⇒能力が高い⇒稼ぎがよい⇒そんでもってお金の使い方が賢いが、そんなに楽しそうではない。知能が低い⇒能力が低く⇒稼ぎも低い⇒金遣いが下手、でも割と楽しそう(内心はわからんけど)。人をそんな目で見るな、と思う一方で、知能云々の分布は仕方がないことだと思う。それをうまいことやっているのは日本の良いところなんじゃないだろうか。お互いを尊重して共にうまいこと生きてゆくやり方は見事だと思う。無能に高給を払うという風にみられていることもあるが、無能を上手に活かしているのかもしれない。知能が低い人はあたかも別の能力を授かったように世渡りがうまそうだったり人生が楽しそうだったりするし、一方知能の高い人は楽しみは後回しにして必要なことをやるという特質ゆえに楽しみを削って実を取るようなところがある分損な役回りと見えなくもなくて、バランスが取れているような気がする。無能を高給優遇するな、と西洋的能力主義はいうだろうが、無能は金使いの能力も低いので、カッコつけに特化した無能な買い物をしがちにみえる。無能が生きてゆくためにはある程度あぶく銭の消費は仕方がないんじゃないの、と思う。有能だと給料が少なくてもしっかり貯めてしゃぶりつくすように使う能力がある。うまいことできているなあと思う。

 

20231229金

 休み1日目。毎年しんどい年賀状を書く。昨年は夜中の3時半までかかっていた。今年は年中しんどい仕事があったので鍛えられたのか、ちょこちょこ作業を重ねて0時に完了した。年賀状は墨を硯ですって、全部筆で書く。差出人、定型文、自作のハンコ、宛先、下手絵、今年の一言、を書く。下手絵の図案は毎回オリジナルで、筆で描けて干支と認識できるものを練習して描く。毎度まことにしんどい作業。やめるにやめられないことってある。だんだん来る人が減ってきているなあ。生きてますよー、というのを知らせる作業。ああ、今年も乗り越えた。

 

 しかしまあ今年のクリスマスなんかはかけらもクリスマスを感じられなかった。ずっと仕事だった。正月も、田舎の作業に駆り出されるという認識。暇な時間は勉強か読書で完全オフラインの5日間だ。ネットがなくても別に気にならない。楽しそうな予定は全くない。環境の激変で風邪をひきやすくなるので気を付けなければならない。いつもと違う労働があるだけ。なんか年末年始修行に行くような気持ち。この年賀状からして試練がはじまっているようなものだ。御用納めもえらい労働量だったしなあ。まあそういうものの中に生きる喜びみたいなもんはある。

 

20231225月

 この日仕事で狙って仕掛けた実験がうまくゆき、成果をつかんだ手ごたえがあった。ものすごい数仕掛けていたので、打率は低い。あとで考えて、これは大きいんじゃね、と思える成果なんだけど、他の死屍累々の仕事に押し流されていた。まあたくさんやらないと見えてこないものはある。

クリスマスらしいが、職場では忘年会だったりした。家族で過ごしたら良さそうな日に職場で忘年会ってなんかなー、と思いつつ、ささっと食って帰ってきた。

 ヤフオクでぽちっていた2684円のSSD256GBが84円の切手が貼られている封筒で届いた。これを2300円のジャンクパソコンに差し込んだ。総額4984円のパソコン。Win10のUSBをさしてWin10をインストールした。1時間かからずに更新まですんでいた。なかなかええやん。重量が軽い。電池の残りが5時間とか表示されている。

 

20231224日

 本日は神社の氏子として神社の清掃に参加する。8時集合。このところやたら寒いので7時台に起きて出かけるというのはとてもつらい。日曜日にきついなー、さぼりてーなー、と思いつつでかける。だがまあ、今年はいいことづくめの一年で、とても気分が悪かった。何言ってんのこの人みたいな状態。

いろいろやきもきしたあとで子供らが就職してとてもありがたかったり、きつい思いして投稿してはらはらした論文が通ってとてもありがたかったり、えぐい大きな予算がやってきてその取得手続きではらはらしたり、その予算をひいひい言いながら執行したり、共同研究で引き回されたあげくなにがしらかをつかんだり、特許出願のめんどくさい手続きや多量のドキュメント作成を経てやっと出願したり、学会発表したりで、とにかくしんどい思いをしてなんとかいろいろやってのけたという一年だった。定年まで仕事がどんどこ増えてゆくのはいいことなのかなんなのか。定年がだんだん遠ざかっているような。なんか最近頭がよくなっているような気がする。ほんと鍛えられた。

でもまあ、働けるのは今のうちだけなのだ。リタイヤしたらこんなに思いっきり働けないと思う。今が一番いい時かもしれない。来年も歯を食いしばって働く。

11月に感謝のお参りをしていたような。本日は感謝を労働でささげる朝だった。バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を頭で奏でながら優雅にやるつもりだったが、石段を掃き清める作業がいやにきつかった。なんか腰が痛い。1時間程度と聞いていたが、結構短い時間でお開きになってしまった。今度一人でやってきて掃除するかなあ。ただまあ、本日はあんまり調子は良くないなあ。

 

 買い物に出かける。世間はクリスマスか?。ぜんぜんそれっぽくない。田舎はまじめにクリスマスをやっていない。それに子供がいなくなってしまうとまったくそういう気分にならんなあ。子供が巣立つと子供のありがたみが分かる。子供がいた人生って本当に良かった。私が自分の人生をよかったと思えるのは、母とかみさんと子供らのおかげだ。

かみさんに二日続けて飯おごって、晩飯は二日続けて私が作った。全然クリスマス感ないっ!。

 晩飯のキノコたらこクリームパスタ、かみさんは好きなんだけど、私はちょっと苦手かもしれない。自分がYoutube動画で作り方を覚えて、作って出したら気に入られてしまった。まあ量が少ないのでかみさんが喜ぶならそれでええか、としょっちゅう作っている。

 

 年賀状を書かなければと思っていたら、年賀状がいない。部屋を探し回って3時間。トイレで考えていたら思い出した。台所で作業する案があったので、台所では。なるほど台所で見つかった。先月もそんな探し物をしていて、考えていたら答えがやってきた。まあちょっとものを減らそうか。

 

 

20231223土

 有川浩著「植物図鑑」(30円で調達)を読んでいたら、植物図鑑が欲しくなった。ヤフオクをみていたら、学研ポケット科学図鑑7冊セット、1200円送料込み、というのが出品されており、その中に植物図鑑があった。子供のころは図鑑を眺めるのが好きだったけど、最近そういうものを見ていない。正月は図鑑をもって散歩にでも行って知らない草の名前でも覚えようと考えていた。7冊は、植物、昆虫、動物、水生動物、宇宙と気象、鉱物・岩石、人体と保健、だった。なんかえげつなくお得な予感。この世界のいろいろということであるな。田舎の周防大島のことを思うに、世界は美しい。この世界のこともっと知りたいという欲求がむらむら湧いてきた。ええな、こういう感覚。子供のころと違うのは、50年くらいたって世界をいろいろ見てきたという経験がある。いろいろ発見があるかもしれない。そういうことを考えてぽちった。めちゃめちゃ有効なお金の使い方をするんだろうなあ、と思う。久しぶりに本買うのにコーフンしたわ。

 

20231219火

 自分は、勉強すればいい職につけていい給料もらえるという考え方で世の中を渡ってきたようなところがある。自分みたいなそんなに頭よくない中の下の中学生でも勉強ができるようになったのだから、多くの人が勉強できるようになるはずだ、と思い込んで生きてきたのである。だからだれでも勉強すればいい職につけるようになると思ってきたのだけれど、間違っていることが分かってきた。自分一人のちっぽけな成功体験は世の中の大半の人には通用しないことが理解できた。勉強がうまくいった人は「誰でも勉強すればいいのに」「努力しないのは逃げだ」とか言っちゃうけど、勉強がうまくいかなかった人はだいたい7割ぐらいの人がいて、「勉強できるようになるのは持って生まれたものが効く」ような考え方をしており、実のところそれが真実であることが明らかになっている。「日本人の3分の1は日本語が読めない」ということが、橘玲著「もっと言ってはいけない」で説明されている。学力は明らかに分布があって、給料が高いのは学力と相関がある。「みんなやれば」とかいうとみんなが上位3割になれるわけがないのは自明の理だ。少々頑張ったぐらいで給料が上がるのなら高い月謝払って塾に行ったりいやいや勉強したりするだろう。そういうことをしてもうまくゆかない場合を実際に目にしてきた(私はゴーマンにも、いやいややったりお金をかけたらだめだよ、とかぬかしていた)。上から三割とれば、どうしたって残りは7割だ。誰かが上がればだれかが下がる。みんな頑張って全体の能力が上がるだろうけど、どうしてもその集団の中での分布はつく。「勉強しなくちゃもったいないよ」みたいなことを書いてきた自分は間違っていたのだ。自分は鼻持ちならないくそ野郎だったと今にして思う。自分の好きな女の子が惚れているめっちゃスポーツができる男に、こんくらい普通だよ、みたいなことをいわれて「ぐぬぬ」ってなったのを思い出す。ただまあ、日本は世界的にみて知能が高い集団で、昔は多くの人が勉強していたのをみていたので、それでもって日本全体のパフォーマンスは高かった。それゆえ優れた技術を育てた我が国は世界に優れた製品を輸出してものすごく稼いでいたから世界的にみて日本は結構ましな国だと思う。それゆえ一人ひとり勉強することで利得があるのは確かだ。そうやってジャパンアズナンバーワンだったのだろうと思うと、やっぱ勉強はしたほうが、これから盛り返してゆく日本の状況を思うに得なんじゃないかとは思った。

 

 英国が16歳未満のSNSを禁止する法案を検討しているそうである。さすがコモンセンス英国。SNSはやんないほうがいいとは思う。人のこと気にする必要なんかさらさらない。基本どうでもよい。時間の無駄だ。明らかに学力が上がると思う。そうなると世の中の流れで、世界的に人の意識がSNSやめようとなるかもしれない。SNSやっていると「えー、そんなんやってんの」と引かれる世の中になったりして。もうたばこ扱いくらいに「人と飯食ってんのにスマホやってんじゃねーよ」って言われる日が来るのだろうか。

 アマゾンとかメルカリもなんというか存在が謎だ。なんとなく割高に感じるのだけど、あれは何がいいのだろうか。

 SNSをみて「私みたいなブスは世の中にいないほうがいい」みたいなことを掲示板にかましている人を見た。私はおもうのだけれど、美人とは「それってあなたの感想ですよね」の中にしかいない。最近美人を見ない。私が昔とても好ましいと思っていた同級生の女子を、友達は「あんなホルスタインより〇〇さんのほうがカワイイ」といっていた。私は、「〇〇さんは、ちんちくりんだ」ぐらい思っていた。人によって好ましいと思う女性は全然ちがうのだなあ、とそのやり取りでよく理解してしまった。だからまあ外見なんぞどいつもこいつも貧相な(ゆえにみなさん魅力不足で結婚をしない)令和にあって、気にするのもばからしいんだから、体と能力をきたえたらええんちゃう、と思う。

女性を輝かせるのはその魂だと私は思うのよ。心意気と挙措立ち居振る舞いに魂の良しあしが現れるんじゃないの。大事なのは、生きてゆこうとする意志だと思う。職場に立派な人多いけど、人を大事に、自分を大事に、生きてゆく意思を感じる。そういうのがある人は顔の美醜は問題にならない。ぱっと見整っていても魂がいやしいと言動に出ちゃうからねえ。巧言令色鮮し仁(口がうまくて見た目がよいってのは、心意気がいまひとつだったりするのよねえ。AIによると、「孔子の『論語学而』にある言葉で、「言葉巧みで表情をとりつくろっている人は、かえって仁の心が欠けているものだ」」という意味だそうな。いろいろな訳で微妙に意味が異なっている)

 

20231218月

 ネットでぼーっとする時間が多いなあ。国立西洋美術館の絵をぼけーっと眺めていたら、「あれ、フラゴナールみたいな絵」と思う絵があった。横に解説があったので画像をアップにしてみたら「ジャン=オノレ・フラゴナール 1732年 - 1806年 丘を下る羊の群 1763-65年頃」とあって、「げげ、見たことない絵を見て作者が分かるなんて、わし絵画の目利きなんじゃろうか」、とか思ってしまった。有名画家は、絵を見せるだけで画家の名前を頭に浮かばせるだけの力があるということではある。モネとかダリとかレンブラントとかカラバッジョなどはとても分かりやすいと思う。じじいになると植物の名前と画家の名前なんかは結構憶えて蓄積しているみたいだ。

フラゴナールで思い出すのは、昔ヤフオクで買った石鹸のまとめてセットに入っていた石鹸のブランドがフラゴナールといった。それでフラゴナールを検索すると、あのブランコで貴婦人がなんか人を驚かせているような有名な絵がでてきて覚えた画家だった。フラゴナールの絵は空と、木の描き方と、人物への光の当たり具合に特徴があるなあ、と絵を見て思った。

 

28年ぶりくらいにボーナスで小遣いをもらった。家のローンのため、子供の学費のためということでボーナス小遣いは四半世紀もらってなかった。ボーナスというのはどこか他人事だったなあ。これまでへそくりはまじめに貯金していても金額が増えない状況が続いていたが、ボーナスで小遣いがもらえるとなれば増加に転じるかもしれない。

昨日パソコンを落札した、Corei5、8GBメモリ、ストレージなし、のジャンクノートパソコン、落札価格1000円、送料+手数料1300円、合計2300円の過去最安のパソコンである。本日SSD256GBを2040円で調達した。毎度思うに、28年くらい前のパソコンからすると、1000倍の性能アップで、お値段は50分の1くらいになっている。ジャンクパソコンいじりが趣味になっているのはなんか情けないなあ。小遣いは増えたが、使うお金は減る傾向にある。蘭の手入れをしろや、と思ったりもするが、気が付けば真冬で手の出しようがなかった。

 

頭を良くしようと思ったら、適度な運動をするのがよいそうだ。最近走り方を忘れている。足が弱っている感じだ。ちょっとだけ走ってみた。ちょっとずつ筋力をつけてゆくべきだなあと思った。

 

 

20231217日

 休日に出張することになり昨日東京に往復してきた。おにぎり3個、ミカン10個、水筒にお茶を入れて出かけた。道中本を読んだり文献を読んだりしていた。最近勉強していなかったのだけれど、なんとか勉強してアイデアを得ることができた。到着後乗り換えて徒歩10分で会場へ。東京の会議はさすがに洗練されていた。会議が終わるとさっさとかえる。ラーメン屋をみかけてもなんか食欲湧かない。もうじじいだからラーメンにはそれほど煩悩しない。東京駅は昼も夕方もものすごい混みようだった。日本中どいつもこいつもスマホいじりながら歩くので、こっちがよけないといけないのだろうか。何も買わずにさっさと新幹線に乗った。行き帰り持ってきたもので食事も飲み物も事足りているのが楽でいい。かみさんの土産は大阪駅で買ったベーグル2個428円。東京はなんでも高いので見る気も起きなかった。

 移動中見てて思うのだけれど、最近スマホ見ている人の熱中ぶりがすごいような気がする。アメリカ人の懐がさみしくなっているのでGAFAの稼ぎが減っているのだろう。だからドーパミンを絞り出させにきて収益を確保しようとしているんじゃないか。

 所得とスマホの使用時間の関係を調べたらええんちゃう。橘玲著「上級国民/下級国民」だったかに「所得と知能の関係」が記述されていた。陰謀論などはなく、頭のいい人間は工夫して稼ぐということらしい。スマホにがっつり時間を持って行かれている人が稼げると思う?。稼ぎのいい人はそれなりにスマホの使用時間は短いと思うよ。

 最近Youtube動画の視聴時間が長くて、我ながらあほだなあ、と反省する。勉強が足りないし、よく考えて次の手を打ちたいところなのだけど、考える時間が減っている。正直ああいうものを見ても銭にならん。知恵を絞って稼ぎたいところで、割としょうもないものを見て時間が消費されてしまっている。そりゃまあ時々はヒントや知恵を授けてくれることがあるけど、それは己自身が考えて求めてこそ得られるもので、ぼーっとみていても何も得るところはない。なんとかせんとあかんなあ。

 

 水菜を根元から3pのところでカッターでぶったぎって2束収穫した。根が残っているのでまた出てきたりするのだろうか。収穫に数秒かけたこれだけの量を158円で売っているのを見た。洗って袋に入れてみるとすごい量あった。3個50円の半額豆腐に乗せてドレッシングをかけて食べた。4回目ともなるとなんか飽きてきたなあ。水菜ほんとすごい量あるのでせっせと食べよう。

 

 

20231213水

 休日に出張することになり、本日代休を取った。かみさんがチームラボの作品を姫路市立美術館に見に行きたいというので出かけた。チームラボは、いろいろ有名らしい。プロジェクションマッピングなる技法で、精緻な画像を壁に投影し、それを鑑賞する。絵がぬるぬる動く。四季の花が咲いては散り、というのを50分ぐらい同じ場所に立ってみていた。じっと見ていると、しおれるところとかは描かない。花弁が新鮮なうちにパッと散ってゆらゆらと空気に漂ってゆき、花柄は小さくなって消えてゆくというのはまあそういうコンセプトなんだろうけど、植物好きとしてはちょっとどうよ、と思いながら見ていた。ただ、とてもきれいに、同じ花がないように描かれている。ただ事ではない動く絵だった。それから、還暦近いジジイにもなって25年も園芸やっていて知らない花が多いなあ、と思った。この大規模な動画ってスクリーンセーバーにないんだろうかと思ってみていた。

 常設展示を覗いて、「マチスか、名前は聞いたことあるけど知らんなあ」という西洋画を見ていた。最近西洋画の動画をよく見る。数秒ごとに絵が切り替わって、画家の生涯の作品を紹介したりする動画がある。最近見たのは、お気に入りのカミーユ・コロー、クロード・モネ、サルバドール・ダリ、アルフレッド・シスレーなど。画家は、生涯でものすごい数の絵を描くようで。一人当たり40分とか、とても多くの絵を見ることになる。多くが、冴えない作品だったりするなかで、世界的に有名な作品が長期間の研鑽の末描かれているという感じだった。そういう冴えない絵のなかから好みに合うもののスクショを取ってコレクションするというあほな趣味を持っている。モネは2時間にわたる動画になっていて、その作品数はものすごくて、モチーフを晴れ、曇り、雨、雪、夕方、朝、昼、など様々な条件で描いていて、体力すげえって思った。この人鬼だなあ、と思っていた。

 驚いたのは、モネ(先週動画を見ていた)、シスレー(昨日見ていた)、コロー(先週見ていた)の作品が展示されていたことだった。どの作品も見た覚えがない。ただ、本物が目の前にあるというので、とても感動した。かなり好ましい絵だったと思う。この絵の前で100年以上前にかの巨匠が筆を振るっていたのだという事実があるわけで、なんかすごい。

名前の分かった絵:クロード・モネ「ル・プティ=ジュヌヴィリエにて、日の入り」1874年、シスレー「望楼」1875、コロー「湖」、

 

 月曜だったかに、いろいろ畑の葉っぱを収穫した奴を洗ってビニール袋に入れて冷蔵庫に保存していたやつをサラダにして月曜の晩に食べて火曜日の朝にくだったので、「いろいろ」混ぜるのはやめようと思うようになった。水菜は無難そうだ。ダイソーの種「サラダ水菜」とあるので、サラダOKちゅうことだろう。品種は「早生千筋京水菜」という。種は、1袋55円5.5ml入りで10mに筋蒔きして、半分残った。28円分の種でものすごい量生えている。これはこの冬食べきれる量なのだろうか。本日は、2つかみ分を引っこ抜いて収穫し、根元をばっさりやってもってかえる。引っこ抜かなくても上だけ切って収穫すればよかった。その2つかみ分の半分を食べた。3個半額50円の豆腐と、1つかみ分の水菜を皿に盛り、オイリオ黒酢たまねぎドレッシング(185mlで198円)をかけて食った。なんというか大変おいしく感じられる。歯ごたえがいい。なんだかいいものを食べているように感じられるのだった。ドレッシングや豆腐とすごく良く合う。すっかり水菜のファンだなあ。

 

 

20231211月

 戦後の復興みたいな気分で仕事をしていた。風邪も治ったし、プレッシャーも減った。今のうちにいろいろ手を打って備えよう。

 

 ご婦人がよく利用する掲示板に注目される書き込みがあって、「妹(社会人)がくれたお年玉(各人3000円)に3人の子供らが「少ない」とぼやいて、父親(子供らの祖父)が怒ってゲンコツをくれて子供を泣かす、という事件が今年の正月にあって、今度の正月に帰省しなくてよい、と母(子供らの祖母)から言い渡された」という話を読んだ。「妹は気にしていないと思う」(それってあなたの感想ですよね)。「子供にゲンコツは許容できない」「嫁は帰省しなくてラッキーとおもっている」「埋め合わせるように子供らは嫁の実家で多めのお年玉をもらった」という内容だった。500近い書き込みがあり、書き込んだ子供らの父の教育とその後の対処を非難する内容、嫁さんもよくないという内容、暴力(ゲンコツ)はだめという内容があった。

 相手がどういう風に感じるのか理解しにくい人がいるので、一番のキーパーソンである子供らの父が、書き込みから人がどう感じるかを理解できれば解決に踏み出せるけれど、文面を読むに難しそうだなあ。

 いろいろ考えたけど、よその家のことなので基本どうでもいい。自分ならどう考えるだろうか。

 子供らが妹のなけなしの稼ぎから出したお年玉の額に文句を垂れたら父である自分がお尻をぶつ。我が家では頭への体罰は禁止されているのでお尻。もっともうちの子供らがお年玉の額に文句を言うことはない。

 非礼があったことを妹に詫びる。親の面倒をよく見てくれている妹には日ごろから感謝していると思う。

 もちろん親にも自分の子供らへの教育が足りなかったことをわびたと思う。

 嫁さんは自分の実家に来てくれているのだからありがたいと思っている。嫁が「来なくていいといわれてラッキー」という意見は親には聞かせられないけど、無理からぬことだと思う。そういうのを外部の掲示板に書くというのはどこで見られているのかわからないので、絶対にやってはならない。

 実母から「帰省しなくてよい」と言われたら、関係改善のために、家族に十分説明して、子供らを連れてはせ参じ、平身低頭詫びを入れると思う。ただまあ、世の中もともと関係の悪い親子・兄妹関係もあるから、掲示板に書かずに自分で判断しろよ、いい大人だろうが、と思う。でもまあ、義憤に駆られて書き込む人の気持ちもわかるくらいちょっとひどい内容で文句を言ってやりたくなる。言っても無駄だと文面をみて思う。

 まあ、人によって考え方というのはものすごい違うとおもう。なんかブーブー文句を言ったあと、真綿で首を締めるようにおとりつぶしになった福島正則の歴史を思うに、この子供らのご一家は、将来いろいろ苦労しそうだなあ、と思ったけど、実際はこういうわからんちんが世の中大多数で、こんな風に家族でもめながらすごしているのではないだろうか。

 

 

20231210日

 ランを外に出して水やり。うかつにも霜に当ててしまったようで、葉っぱが白くなった株がいくつかある。ランをやっているとはいいがたい不手際。

 

 コーヒー豆でいつものトップバリューのオリジナルブレンドを買いに行ったら500g545円だったかとおもうのだけれど、新しいパッケージになって380g646円になっていた。ぎゃー、120gも減らされて値段が100円も上がっている。1杯20g使うとして、34円。以前は、22円。54%の値上がりだ。これはすごい。

 

うまそうな葉っぱをいろいろ摘んできてよく洗ってサラダにして味わってみようか、と考えた。大根、小松菜、ホウレンソウ、蕪、はつか大根、水菜、を生で食う。本日買ってきた青じそドレッシングでくう。小松菜とほうれん草はシュウ酸を含むとかで、摂取には注意が必要ではある。はつか大根と蕪の葉は可もなく不可もなく。大根はわるくない。水菜が一番うまい。生のはっぱを食う利点は何なのだろうか。ビタミンCの量だろうか。繊維質が重要であるならば、煮たはっぱを食うのが量もとれて効率が良いそうだ。

 

20231209土

 玉ねぎの苗の余っていたものをマルチに穴をあけて全部植え付けて置いた。

 毎週せっせと野菜を収穫している。本日は1sのはつか大根、ほうれん草、小松菜、春菊、大根。ボールに2杯になった。かみさんが結構長いこと処理していたので、モノを食うのは大変だなあと思った。

飲食店で食べた豆腐サラダに水菜が入っていてうまかったなあとおもったら、水菜が育っていたのを思い出した。暗くなってから3つかみくらいの水菜をカッターでザクっと切ってきて、洗っておいた。マヨネーズと、ポン酢、亜麻仁油をかけて食った。うまい。でも量が多かったので腹が下るかも(下らなかった)。うまそうな葉っぱをいろいろ摘んできてよく洗ってサラダにして味わってみようか、と考えた。

 かみさんがせっせとサツマイモをくっている。いろいろ手を変え品を変えサツマイモがでてくる。おかげで毎日失礼こかせていただいている。世間的にはサツマイモの病気が広がっているらしく、値段も高いようだ。中くらいのイモが1本200円くらい。かみさんの実家に50本植えてきたものは超太いイモになってしまって1個が1sくらいあるものがごろごろあってこういうのは売り物にならないようである。こういうでかいイモは適期に収穫しないで長期間ほったらかしにしているとできる。こういうイモは得なのだろうか損なのだろうか。まあ食料安全保障のために植えたので、でかいイモが傷みやすいのならでかいイモから食えばいいのである。あと、有事の際はでかいイモから流通に乗せる。

 

メインパソコンは購入から3年になる。オークションサイトで購入した。入札した後で「キーが効かない」「アダプタ付属しない」と記述されていることに気が付いてしまったーと思った。7700円で調達したパソコンである。映像を27インチディスプレイに出力させ、USBでキーボードをつないでデスクトップパソコンっぽく利用している。不満があるとすれば、HDDで立ち上がりが遅く、容量が少ないという点くらい。CPUのパワーのあるデスクトップパソコンに引っ越したくはあるが、なかなか出物がない。でもまあヘビーな作業がないのでこのまんまでもええか、と思っていたりする。

 

20231208金

 先週大阪を歩いたときに購買意欲がなくて本屋によっても本を買えなかった。9月18日からの古本市場の閉店セールで、安い本の出物があり、377冊も買ってしまった。数字がおかしい。古本市場での購入は通常10冊以内という感じなのだが、高い本が30円というのでタガが外れてしまった。9月に50円、10月前半は40円、最後は30円、さらに割引券で27円という狂乱のお値段で売価200-400円の本を平均34円で調達した。定価の平均が708円の本が34円。買っていたころは本が多すぎてうんざりしていたが、読み進むにつれてありがたみが分かってきた。このため、どの本屋に行っても買いたい本がなかった。まず在庫を読め、と考えてしまう。9月18日から今日までの82日間で、この仕入れた在庫の10%、40冊読んだ。売価がちょっと高いだけあって読み応えのある本が多かった。

 

20231207木

 先日「町の図書館」で見つけた畑正憲著「ムツゴロウの野生教育」(廣済堂文庫1986)を読んだ。昭和の本だわな。畑正憲は今年亡くなったのだった。読めばほんとうに著者は超人だと思う。ものすごく集中して長期間取り組む人で、様々なことを体得して成し遂げてしまう。この本はいまから37年以上前の日本で著者が出会った育てられ方が悪かった人たちを描き、どうしてそうなったか、子供はどう育てるべきか、ということがみっちり語られている。著者のように満州からの引き上げてきた厳しい時代からすると、当時の人間は怠けていたりダメダメだったりするのだけど、読み手の自分からみて、日本人ってだいたいこんなもんじゃないかなあ、というふうに感じた。そりゃ立派な人もいるけど、どうにも億劫で働けない人だっている。人間はそういう風に様々な人がいるものだと思う。著者は仕事柄様々な人たちを濃密にみることになってそのダメダメなところをとてもよく味わって記述されていた。著者は誰でもやればできるという方法論も提示してくれていた。当時この本を読めば「著者の言うとおりだ!」「このままじゃだめだ」とか思っちゃうだろうけど、今日的には「いやまあ著者の勧める方法は必ずしも誰でもできるわけではない。できない人は多いと思う」「あの当時と今で日本が悪くなったとは到底思えない。まあこんなもんだし、これからも日本はこんな感じだろう」。

 著者の言うように「塾は無駄」というのは同感である。橘玲著「言ってはいけない」で読めた内容に(間違ってるかもしれないが)、幼児教育にはある程度の効果はあるが、中学校以上の親が強いるタイプの教育は効果が薄い。人間という生き物の習性として、子供は、親よりも近い年ごろの仲間社会を重視して行動する。年間50万円もかけて高校入試のための準備をするのはやめたほうがいいと思う。やる人間はやるしやらない人間はやらない。それよりも生活上の家事をちゃんとできる人間に育てるほうが教育効果が高いと思う。

 著者は、「才能があるのかないのかわからないのに幼児教育をするもんじゃない」という指摘はそうだとおもう。こういう才能を持っててほしいなあ、という押しつけじゃないのか。まあ人生は1度しかないので、子供の可能性を伸ばしてあげたい気持ちはわかるが、「楽器が弾けるようになって人生を豊かに過ごす」という本来的なスタンスから「コンクールで入賞する才能を育てる」は、本当に才能を持った人間にかち合っちゃうとよろしくないことになるという記述はなるほどなあ、と思った。我が家はあるかないかわからん才能に期待することはしなかった。なんかめっちゃ数学出来る奴おったけど、好きなだけやらせていたらええ給料もらうようになった。自分ができる限りで本人が好きなことをしていただくのがいいと思うよ。

畑正憲は、「こうやれば誰でもできる」という方法をしめしてくれた。その方法を試して自分なりの方法にして高い技能を体得してゆく人というのは、前述の「言ってはいけない」を読むと、そういう遺伝子を持った人に限定されているように思える。そういうもんだなあ、というのが自分が生きてきて思うところだ。やる奴はやるし、やらないやつはやらない。

 何はともあれ、とても強烈な読書体験だった。よい本を読んだ。

 

 

20231204月

 ふと屋外にある書棚「町の図書館」をのぞいてみたら、畑正憲のまだ読んでいない本2冊が見つかった。6600冊の既読本に一致しないタイトルを人間の脳は判別できるのだった。どれもだいたい「ムツゴロウの〇〇〇」というタイトルだから、一瞬で「まだ読んだことない」、と判定していた。これまで読んだ43冊の最後は1996年だった。えっ、27年も前?ついこの間のような気がする。なんにしてもまだ読んでいない本が見つかってうれしい。

 

 丹羽宇一郎著「死ぬほど読書」を読んでいたこの日、読書ってする人はするけど、しない人はしないわなあ、と思う。別の読んでも読まなくてもいいと思う。27歳のころまで、あんまり読書はしていなかったが、学生時代は参考書や問題集、専門書はえぐいくらい読み込んでいた。あれはあれで異質な読書だったと思う。「モリソンボイド有機化学」は3冊で1500pくらいで、総額15000円くらいした本で、章末問題の解答を買って、ものすごい数の問題すべてを解いた。この勉強というのはその後の人生にものすごく影響した。いろいろな試験で役に立った。多分面白くてやっていたのだろう。興味の赴くままに深く考えて、原子と原子のつながりを想像するように、登場するものすごい数の分子をなめるように学んでいた。いまだにあの頃の質感で原子分子を想像しながら合成の仕事をしている。なんというか、専門性から読む本は一般文芸とは全く異なっていて、向いている人はむさぼるように読んでとても深いところを知識やイメージとして体得し、そういうのがその人の仕事上での武器になる。そういうものを読んでいるときに己をその仕事に喜んでささげているようなところがある。脳細胞がどこかしら喜んでいてよくわからないよさげな物質がじわっとしみだしてくるような状態で長時間読んでいたりする。人間という生き物はそういうところがすごいのだと思う。こういう好ましい感覚を知らない人は多いのかもしれないのだけれど。

 そういう参考書や専門書は、「リアルに世の中そうなっているのか!」という発見と驚きに満ちていた。理系の人間の悦楽が詰まっていた。そんな読み方が、古文漢文英語地理世界史などに波及していったとおもう。一般文芸の読書より、参考書専門書の読書の楽しみは本当にリアルなものを相手にしているのである種別格の楽しみが存在していたと思う。そしてものすごく利得が大きかった。金額に換算するとすごいと思う。当時はわかっていなかったが、若いころに将来の稼ぎを得ていたようなものだ。得られた知識をつかって、高校、大学、就職、資格試験などものすごく役に立った。

 読書っていうのは、やるやつはするし、やらないやつはしない。やる人はきっかけもあるのだろうけど、生得的なものかもしれず、今日的にはやっぱり遺伝子に書いてあるように思われる。なんか頭がいい人は読んでいて、稼ぎもそれなりに高い。そういう自分相手の宝探しをしないのは損かもしれない。自分が何に向いているか、心惹かれる本を探してみたらいいんじゃないだろうか。読書は何の得になるのか、と問うている人はまだみつけていないということだ。専門書に入れ込む読書は億単位の利得があるといってもいいと思う。

 

昔買った本で、赤瀬川 原平著「ルーヴル美術館の楽しみ方 」(とんぼの本 1991/11/1)というのがあって、その本に橋の遺跡の絵があった。その本の中でもとても好きな絵だったと思う。30年くらい好きだったわけだ。ルーブルに行ったことがあるが、現物を見た記憶がない。その絵のレプリカに大塚美術館で再会して、ああいい絵だなあ、としみじみ好きな絵だとおもっていた。大塚美術館では絵の撮影が許されているので、その絵の写真データはときどきスクリーンセーバーとして画面で見られるようなった。この絵は何という絵なのだろうか、というのが気になった。Collot、という作者の名前とか憶えていたので、Youtube動画でコローの画集を眺めていると、イタリアのローマの近くにあるNarniというところにある橋の遺跡の絵であることがわかった。その橋は、皇帝アウグスツスが紀元前24年ごろに作ったとか。なんともとてつもなく古い遺跡だ。弥生時代やんけ。それが1825年ころにコローによって西洋絵画に描かれていたのだった。好きなものはとことん調べて味わうようになったなあ。便利な時代になったと思う。

 

20231202土

 風邪は寒いし鼻水がすごいしやだなあ。結局昨日購入したパンはバゲットしか食べていない。カレーは夜中と夜に食べて終了。汗が出てよかった。

 夜になってかみさんが帰ってきた。往路で事故しそうになってびびったそうである。こっちもびびる。ミカンが20s箱で6箱。風邪をひいているので食べてみると一気に8つくらい食ってしまった。体が求めているのね。

 食糧安全保障のために植えたサツマイモがお化けみたいな大きさになってはこばれてきた。需要を完全に上回っているため友達に配ったそうである。でかいなあ。5月に植えて11月に掘ったそうな。まあ十分な食料があるので人に配るけど。

 

 橘玲著「上級国民/下級国民」を読んだ。世界は頭のいい豊かな人とあまり頭の良くない貧乏な人に差が開きつつある。これは世界の大きな潮流で、世界中のあちこちで起きているそうだ。昭和の時代よりも格段に豊かになって自由が広がったため、頭の良い人はどんどん稼ぐし、頭の良くない人はそこそこの稼ぎで、どっちも豊かになっているのだけれど、なんというか下級っぽくなっちゃってるひとは生きづらく感じているという実像をこれでもかというデータで示された本だった。本によると自分は上級に分類される生活ぶりかもしれないが、だいたい嫌なことを考えながらびくびくしながら用心して生きているのではある。生きづらさはまあそんなに変わらないんじゃないだろうか。稼ぎという点で本人に不満のある子供の一人を見ていると、なんか自分より人生エンジョイしているようにみえなくもない。読み終わると「頭のわりーやつはスマホにお辞儀しながらちんたら歩くんじゃねえよ!」とか思ってろくでもないことを考えていたりする。でもまあ下流とか貧乏人とかおもっちゃう自分は間違っていると感じる。下流に分類されちゃう人だって立派な人はたくさんいるのを知っている。

 橘玲著「言ってはいけない」によると、頭のいい悪いは遺伝子に書いてあるのだそうな。自分の努力の結果だと思っていたので面白くないのだけれど、塾にもゆかずに勉強ができるようになって成績がぐんぐん上がっていった中学時代の経験から思うに、「親の教育じゃなくて、結局は遺伝子が決める」という行動遺伝学の結果がしっくりとくる。「やるやつはほっておいてもやる」というものらしく、息子がそんな感じだった。ほんとあいつすげーできた。「親の教育でいい大学に入れようとするのは無駄」というのは正直そうだと思う。「中学時代塾に年間50万かけたけど高校落ちた」、というのは行動遺伝学の知見から見て、かけてはいけないお金だったと断言できる。子供を塾にやるかどうかを悩んでいる親は「言ってはいけない」を読んで大事なお金を節約するとよい。でもまあ、各人はどんな遺伝子を持っているかわからないので親の学歴を見て若いうちにあきらめるのはもったいないと思う一方、やる奴はわかりやすくできるので、やらない奴はやっぱりやらない、というのが身もふたもない自分の結論である。でも大学落ちまくった挙句、ある時できるようになって国立に行って正社員になった人を実際に見ているので、本人がいつできるようになるのかよくわかりません。通勤中見かける真下のスマホを見ているような学生と、参考書を読んでいるような学生を見ると、前者はあほである確率が高い。そういう稼ぎの悪そうな人はどう生きていったらいいのだろうか。

 稼ぐ奴からしっかり税金を取って、手厚い福祉で守ればいい、ということで、日本はもうやっているのでいい国だなあと思う。竹内薫著「わが子をAIの奴隷にしないために」によると、稼げる人は世の中のために喜んで納税すべし、という記述があって、そうだなあ、と思う。年収600万円以下の人は、国からしてもらっていることのほうが国に差し出している税金よりも大きいということを聞いたことがある。母の介護を手厚くしてもらっていることを想うと、喜んで税金を納めるよ。消費税が、重税感が、増税眼鏡が、とか言っている意見をみると、正直「たっぷり日本を享受しながら、払う分に文句を言うんだ」と思っちゃう。齋藤孝著「55歳からの時間管理術」にささるフレーズがあった。日本に住む中国人が言っていたそうだが「日本人は、日本で暮らせることがどれだけ素晴らしいことかわかっていない」そうである。同感です。文句を言っているのはネットの「バカと暇人」なんだろうと感じるようになった。

 

 

20231201金

 仕事が山場を越えたあと風邪を引いた。出勤日だが、こわごわ出勤する。なんとか動ける。いろいろ仕事をこなして帰る。食欲が落ちているようなので、阪急の百貨店っぽいハイソなパン屋でバゲットとメロンパンとチーズパンを買った。935円。ええええええ。パン3つで1000円ちかい。昭和のじじいの感覚だとパン3つで600円くらい。まあそういう時代になったのだろう。そういうこと元気な時はわかっていたからここ1年パン屋でパンを買っていなかったが、本日みたいに気弱になって買ってしまって、げーっと思った。飯は自分で作れば安いので、買う飯はたけえなあ。そうはいっても1週間で3000円つかった。2回は買い飯。作れば300円は切っているだろう。

 

種から育てる玉ねぎのまとめ

苗はダイソーの種、泉州黄と赤玉ねぎを植えていました。園芸トレイ、30p×40p×深さ5pのトレイに土を入れて、ビニール袋に入れて夏の間太陽熱で草の種を蒸し殺しにして9月10日ごろに、種を植えました。植えた後は木陰の平らな地面の上に置き、玉ねぎの根が園芸トレイの底面の網目から下の地面の水分を利用できるようにしました。肥料は与えずに、ときどき水をやっていました。トレイ1つに300粒の種55円を2袋ずつ植え、トレイ4つで800本の苗がとれました。7列のマルチに植えてそだてています。苗のクオリティは年々上がってます。トレイが4つで440円と種が440円で880円で800本の苗です。苗の1本1本がかわいいので、全部植えるようにしています。

 

20231130木

 今年の最後のヘビーな仕事の一つ、学会座長をやりおおせて学会が終わった。今年はしんどいことがてんこ盛りなので、はいはいおわったねえ、次に行こうの気分。

 もう仕事したくねえ。なんか体調が悪いような。大阪市内をうろうろした。なんか食べたいものがない。弁当を持ってこなかったので何か腹に入れねばとおもうがあまり食欲がない。欲しいものが恐ろしくない。いろいろ見て回ればなにかいいものがあるのだろうか。5q歩いたが何にも心に引っかからなかった。よくゆくコースの古本を扱っているところは全滅だった。そりゃ安く300冊以上も調達したらもういいか。パソコン屋もジャンク屋も値段が高すぎて手が出ない。ネットで安く調達してしまううえ、ほぼ飽和状態か。

 餃子の王将の前を通ったら、ランチセット850円の内容が豪華だったのでとても珍しく男の一人外食である。豚骨ラーメン、天津飯、唐揚げとサラダ。そこそこ美味だった。ただまあ店員同士が言い合う声とかうるさくて落ち着かない飯だった。もはや飲食店に行くのは楽しみでも何でもないのか。

 家に帰る際かみさんが帰ってきた際の飯の用意に焼きそばの材料を買う。レバーが4割引きだったので買った。土曜の昼はすき焼き3回目にしようとシラタキと牛肉を買った。レバーには煩悩できた。なけなしの欲望が450円の4割引きのレバーだった。

 とはいえ本日は調子が悪い。9時まで食欲が出なかったがなんとか、レバー焼肉、最後のおでん10回目、インドカレーのめし。うまかった。なんというか、大阪をうろうろするより家でまったりしたい。老いぼれた私の世界はだんだんシュリンクしているのだろうか。だがまあ、学会が終わったのだから土曜日当たりどこかにサイクリングに行きたい。

 明日はかみさんのいない最終日である。特にしたいことはない。カレーは、あと6食で食い切らねば。カレーはしり上がりにうまくなるので楽しみだ。

 

20231129水

 今年の最後のヘビーな仕事の一つ、学会発表がつつがなく終わった。明日は座長が当たっている。

かみさんがいない週明け、月曜の朝仕事に出ようとして定期をいれた財布が行方不明であることが分かり、パニックになったが、30分後にイコカカードをもって出勤した。定期なしで電車代を1060円損した。財布は帰ってから4時間探して見つけた。この失敗で喝が入ったのかやたら仕事に打ち込んでいた。

 土曜日に作ったおでんを毎日食べて9食目、明日で最後だ。本日もおでんを弁当に入れていった。しみじみうまかった。学会発表前によその飯を食うよりは自分で詰めた軽めの弁当のほうがよかった。会場で弁当を買うと1000円を超える。1000円は大金だ。

 やれやれ終わったと家に帰っておでんを食べてから、インド風チキンカレーをつくりはじめる。カルディのスパイスだけ20g210円を先週買っておいた。作り方を見ながら、玉ねぎをみじん切りにしたり、ニンニクやショウガをすり下ろしたり、鶏もも肉を切っていれ、トマト缶を多めに入れたり、ヨーグルトをいれたりして出来上がった。食べるとものすごく発汗する。このカレーは、4日かけて食う。時間がたつにつれて猛烈にうまくなってゆく。鶏肉を詰めて持ってゆけばうまい弁当になる。

 かみさん不在の自炊の日々で、今回はすき焼き2回、餃子3回、おでん10回で、カレーは9回の予定。土曜日に買い出しをして食材を買ってもらって以来この5日間交通費以外の出費はない。全く何も買っていない。飲み物は水筒にコーヒーを詰めて出かけていた。おかげで3年ぶりに体重が大台を下回った。しんどい日々だったが、うまいものを食べていると思う。自分で作る飯はうまい。

 

20231126日

 かみさんがいないので寝坊をした。朝昼一緒の飯はおでんと味噌汁にごはんだった。おでんは、結構おいしくできている。これなら明日の弁当に使えそうだ。

庭にチューリップ球根を植える。作業するとばてて汗だらだらになるのでやすみやすみやる。時間があるようでいてどんどん過ぎてゆくなあ。2回休んで、本日中は無理かなあ、と思ったところから最後の踏ん張りで予定の場所に全部植え切った。庭で育った球根も全部植えた。球根は保管中に干からびてしまうものも結構あるのだが、もっと生存率を上げる保管方法を検討しなくちゃなるまい。かみさんの実家で使う予定の球根がいい数で余った。11月中にチューリップ球根を植え終わったというのはここ数年なかった。いろんな仕事がこんな風にさっさと片付くといいなあ。

庭の中央には年末に見切り品になった球根を植える予定。

作業の間に餃子を作る。餃子食いたかったんだよねえ。ニラを半束刻み、ニンニク1かけらをすりおろし、キャベツ8分の1をみじん切りにして、合挽きミンチ200gを加え、塩小さじ1杯、ごま油小さじ5杯を加えて素手でよく練りこんで餡をつくった。70円の皮30枚だったが、うまく調節してちょうどになるように包み切った。15個ずつを食べる。今晩と明日の晩用。調理時間20分くらいか。自宅で作る餃子というのはときどき猛烈にうまいことがある。店で6個を300円くらいで食うくらいなら、家で作って食いたい。たぶん店で食うよりうまいかもしれない。

 

橘玲著「言ってはいけない」を読み終わった。とても有益な情報がてんこ盛りの読書体験だった。人間の習性というものを研究した結果からちょっといえないような人間というものの真に迫った姿が記述されていた。生きてくうえでそういう行動をしないと死んじゃう動物としての習性が人間にもあった。例えば、原始時代に生まれた子供は、忙しいおかあちゃんとではなくて、年の近い兄弟や近所の子供とうまくやってゆかないと命にかかわるという状況におかれていた。そういうわけで、子供というのは、親の言うことを聞かずに、友達側について行動するのだそうだ。なるほどそういうところは確かにあった。若いころにこういう知識があったらなあと思う。

 

20231125土

 奥歯付近に痛みが出たので歯医者を予約したら都合がつかず2週間たって痛みも引いたころに見てもらった。歯石をとって調べてみるとのこと。これからしばらく歯医者に通う。いいトシをしてびびっていた。

 

 本日より、かみさんは田舎のミカンの収穫を手伝うためいやいや実家に帰る。これから一週間自炊の日々であった。買い物に行く。すきやき、おでん、餃子、インドカレーを予定している。

 

 すき焼きって5年くらい作っていないような。牛肉(冷凍のあまりもの)、シイタケ半分に切っていれ、エノキタケ128円の4分の1、畑からとってきた春菊、長ネギ(6本入り200円のうち2本)、白滝(半袋)、揚げ豆腐(98円1袋)、を小さいフライパンに盛り付けた。砂糖大匙5杯、ヒガシマルうすくちしょうゆ大匙5杯。ここまで仕込みは5分で終わる。弱火にかけてぐつぐつ煮る。煮えていない奴を下に突っ込む。材料それぞれに火が通ったと思うところで、火からおろして、新聞紙の上にのせてテーブルで食べた。ひさしぶりの生卵だ。といた生卵にくぐらせて食べる。うまいなあ。がつがつ食う。牛肉が冷蔵庫臭いのだけが難点だが、砂糖と醤油と素材の汁が混ざりあったものがとてつもなくいい味をつけている。野菜もがっつり食えるこういう簡単な料理がこれほどうまいというのは料理をしないともったいない。本当にうまい昼飯だった。

 

 かみさんがいないとなんか時間がゆっくり進む感じがある。一昨日近所のおじさんに100Lの容器をもらっていたやつを、川であらって、水をためた。でかい容器である。自分が死体になったら入れておけそうだ。川からバケツ半分の水を20回くみ上げた。この入れ物にたまった水を如雨露に汲んで畑にかけて回った。ちょっと便利になったような気がする。

 西日が東の山にあたって紅葉を照り映えていたところに小雨が降っているのか虹がかかっていた。大変に美しい眺めだった。

 

 予定していたおでんを作る。おでんは、味がしみこむまでに時間がかかる。その都度素材が変化していて、だんだんにうまくなってくる。パスタを煮る鍋に水を3分の1ほどいれ、昆布を2切れいれた。大根の皮をピーラーで剥き、厚さ2pに切って入れた。6月に収穫したジャガイモ3個をピーラーでよく削って芽もとっていれた。里芋5個の皮をむいていれた。鳥ガラが好きなんだけど売っていなかったので骨付き鶏肉6本をいれ、すじ肉を好みの大きさに切っていれ、こんにゃく98円を切っていれ、ちくわ、はんぺんなどのねりものなど入れ、ゆでたまごを10個つくって殻をむいてから入れた。東丸薄口醬油は使い切ってしまったので、よくしらない醤油を150ml、たから本みりんを150mlほど入れた。作業時間20分ほどだろうか。弱火で加熱し続けること4時間、なんかいい匂いがしてきた。

 晩飯に食った。うまかったがそこそこにしておいた。

 なぜか直後腹下りに見舞われた。昼のすき焼きの牛肉がよくなかったのだろうか。正露丸を飲んだ。3回下ってなんとか止まった。

 

20231123木

 祭日の休み。4mの畝を整地して、マルチを張って玉ねぎの苗を植えた。7列28行、196穴。3番目のトレイは124本の太い苗が取れた。売っているような立派な苗だった。見た目のわりに数は少なかった。1番目と2番目のトレイは、種を二袋撒いていたのでそれぞれ300本くらいの苗がいたので602穴を埋めることができた。1袋だと半分以下になるのは当たり前か。第四トレイからは、84本の苗を取って植えた。あと40本くらいの予備の苗が残った。欠員が出たら植えるか、穴と穴の間に植えるかしよう。

 

 40円の袋めんの醤油ラーメンを買っておいた。休日に畑に生えている葉物野菜をとってきて、ラーメンに突っ込んで食べるというようなことをする。間引き菜の小松菜、かぶ、だいこん、水菜、ほうれん草といったところを入れた。砂が入らないように2回丁寧に洗ってゆでて食べた。食べる際になんか黒い3pほどの植物の穂みたいなものが浮いていた。よくみると毛虫じゃないんだろうか。あまり見ないようにして捨てて、まあ変な出汁がでてるけど気にせずに食べた。安い袋めんはそこそこの味だ。野菜をそれぞれ味わって食べる。2pほどに育っていた蕪がとても甘かったのに驚いた。ほうれん草は土臭い味がした。カイワレ大根の種で育てた大根は結構大きくなっている。太さ2pほどで長さ20pくらい。大根になるのだろうか。葉っぱはいい感じだ。よく洗ったけど、スープのそこには砂が沈殿していた。

 

 

20231119日

 チューリップ球根を植えるにあたって、2年連続で大きなメスのトノサマガエルが出てきた場所をこわごわ掘る。カエルが入り込んでいた場合に備えて横から丁寧に掘る。結局カエルはいなかった。カエルが冬眠してもいいようにつちをふかふかにして、チューリップ球根を植えた。やれやれ。くわで掘り返してカエルが出てきたときはビビった。くわでカエルをぶっさしたらトラウマになる。まずカエルの越冬地を丁寧に整備しておいたわけだ。庭に生息する野生動物なので扱いが丁寧になる。

チューリップ球根を植えにはすこし遅いかもしれないが、例年よりは早い。とっとと終わらせてしまいたい。空いた土地には12月末に安くなった球根を植える。

 

堀りそびれていたサツマイモを掘る。5sくらいでてきた。芋ほりが楽しいという感覚はもはやないなあ。

 

新社会人が9-17時の労働で「おかしくなりそう」と涙ながらに訴えたという話を聞いた。まあつらい仕事ってあるんだろうなあ。うちの子二人も同じ時期に新社会人になっている。一人は長時間労働もあって、仕事が楽しいとかいっていた。元気に勤めてくれさえすりゃ御の字だ。こういうのは人それぞれで、過ごしてきた環境で感想はことなるだろう。

少子化社会ってなんでそうなったって考えたときに、「好きになった人のためにつくす能力が低下したらから、互いの魅力が低下したのではないか」というのが私の説。してもらったことの本質を理解できない人が、増えているみたい。ありがたみを感じないから相手をありがたく感じないのだろう。だって自分はできないから。病気で寝込んでいる奥さんに「で、俺の飯は?」って言っちゃうような人。

昭和の自分って小学生のころからガスコンロ使って調理したり、掃除したり、時刻表を読んで一人で新幹線やバスを乗り継いで旅行したりしていた。同級生は私より能力が高い人はざらにいて、お姉さんお兄さんに見えた人も多くいた。彼らは他者を自分の長じた能力で助けたり、他人から助けられたりしていて、お互いが魅力的な存在だったと思う。子供から自分のしたいことを親に願っていろいろなことをさせてもらっていたからいろいろができた。今日では、子供らは塾やスマホ、ゲームといったものを与えられて、家事はしていないのだろうか。自分でやらざるを得ない状況に置かれて、困った経験がないとしてもらうことのありがたみがわからないだろう。「私できないんだからあんたやってよ、当然でしょ」といっちゃう能力の低い人にはしてもらうということが理解できない。お金を出してやってもらうとちょっとしたことでも高くつくもので、お金がかかることが当たり前になってお金がたまらないことにも疑問を持たない。それが全部能力が低いということに起因している。息子が言うに「同年代の奴らは掃除も満足にできない。あいつらは勉強以外なにもしてきていない」と言い放った。息子は、スカウト活動のほか、家事はよくやっていて、お菓子作りが得意だ。どうしてそうなったのだろうか。多分、「楽なほうへ流された」、楽に見えるほうを選択した、というのが私の見解。そういう選択ができるというのはいいことだと思うよ。その当人の人生がどうなろうとそういう選択ができるというのはいい社会なんだよ。そりゃえげつない差ができるとおもう。自らの選択による「人為選択」で、苦労しても子どもをなす人の遺伝子が受け継がれてゆく。「9-17時のような長時間働きたくない」人はそのような選択はできる。ただし、それ相応の報酬になる。そんでもって一人でいてできない部分はお金で買う。できる人が家で工夫してやっていることを高いお金を出して買う。楽をしたいからどうしたって稼ぎがほしい。それゆえ年収のことばかりで人や仕事を見るようになってしまうのだろう。できる人同士は互いの魅力が分かるので引っ付くし、できない人はあぶれる。できない人は年収は?っていうから、その時点で「自分は能力が低いから年収だけが頼みです」と言っちゃっているようなものか、というのは言い過ぎだろうか。次の世代はましになっているかもしれない。人為選択は案外うまい仕組み?

 

20231118土

 たまねぎ畑のマルチの残りの穴に玉ねぎの苗164本を植えた。602個の穴を、2つの苗トレイから苗を取って、穴以外の場所に植えたりもしたので、4本足りなかった。トレイ2つで600本もの苗が取れたのが驚きだ。市価3000円の苗が、200円のトレイと、庭の土、55円の種4袋、しめて420円でつくれたことになる。2580円の節約。問題は、苗のトレイはあと二つあって、それぞれ55円の種一袋をまいたものだ。それぞれに150本を超える苗が生えている。今年は、マルチの穴と穴の作り出す正方形の真ん中に指で穴をあけて苗を植え付ける試みをやる。穴が7列86行あいているので、その間に6列85行の穴をあけることができて、510本の苗を植え付けることができる。せっかく生えてくれた苗を無駄にしたくないという苗かわいさもあるが、やっぱりけちけち精神がつよいのだろうなあ。

 

 ノートパソコン2台(中古7700円Corei5、3800円Corei7、いろいろ追加してチェーナップしたやつ)を27インチディスプレイ2枚で日々つかっていたりするのだけれど、なんというか、メインパソコンはHDD320GBのまんまだし、サブはSSD128GB、外付けHDD2TBという感じで、なんかパワーと容量が足らんのよね。ここらで大容量のSSDとHDDを搭載できるデスクトップでも調達しようかと考えていたりする。1万円を切る中古でいいのである。ゲームに興味は感じないので、なんかものを考えるのに都合がいい環境が欲しい。動画だらだら見るのはなんかいやになってきた。ちょうどいいでものがあったのに、入札締め切りが変な時間だったため落札されずに逃してしまった。またでてくるだろうか。

 円安の影響もあって、自作でパソコンを組むとすごく高くつくようである。ものを書いたり計算したり、多量のファイルを参照したりするのに高いパソコンは必要ない。CPUは、最新が14世代のものが1個6万円とかするらしいが、6ないし7世代でも十分だし、現状3−5世代のあたりをうろうろしている。まあ1万円以内だな。1万円を超える自分のための買い物というのは、けちけちポリシーに反するというか、すごく抵抗がある。

 

20231117金

 かみさんがミカンの収穫で近々実家に帰るそうである。夏にも味噌づくりで帰っていた。実家の義母のケアという面がつよい。歳を取ると親のケア、といういろいろがふりかかってくるのよ。

 そういう一人ぼっちの一週間は自炊をしていた。この夏は、21食を外食1回を除いて自分で作っただろうか。その外食を除けば20食で使ったお金が2000円だったと記憶している。いろいろ冷蔵庫に買ってもらっていたからだろうけど、感覚的に1食200円くらいだったりする。こんにちコンビニのおにぎり1個が200円くらいするそうである。正直コンビニの食品に全く魅力を感じない(じじいだし)。

 このところ思うのは、買って食べたものはそんなにおいしく感じられないということである。だから弁当を家で作ったものをつめて持って行っていた。唐揚げだったりとんかつだったり餃子だったりチャーハンだったりしたような。それでも出来合いのミートボールなどを入れるとその味は自分が作ったものより劣るように感じた。

 自炊技量を上げると、朝晩の食事と弁当がうまくなるし、食費を安く抑えることができる。これがスマホを毎日5時間くらいやって、めんどくさいからコンビニで1000円くらい使って昼とか夜とか済ませていたら、生活の質はどうなんでしょうかねえ。そういうのが当たり前の世の中になっている。結婚しないのが当たり前、単身世帯で当たり前、飯は店で食べたり買って食うのが当たり前、そんな風に世の中は変化しているように思う人も多いだろう。でもそれは、そういうことをしている人たちの間の話で、まっとうに飯を作って食っている人もいて、そういうのは人それぞれでよく見えないようになっている。スマホで集めているのはスマホを持つ人がひきつけられる情報であって、実像ではない。スマホは、さまざまなものを売る店の都合を「お得なクーポン」みたいな体でおしつけてはきても、よりよい生活の指針を与えてくれるものではない。人にとって良い生活の指針は、地味で、手間がかかって、技量の積み重ねが要求されるので、長時間スマホを触っているような人とは相いれない。

 

20231114火

 どたばた仕事をしてくたくたになってバスで寝ていたら終点に連れてゆかれてしまった。おうちまで1qある。電車だと40qも奥地に運ばれてしまうこともあるので、まあ1qで済んでよかったと思うことにしよう。寝ぼけ頭で歩き出す。カシオペア座らしいものがみえたので、アンドロメダ銀河を探してみたりするのだけれど、探し方を忘れた。それらしい銀河は見えない。木星がとても明るくてきれいだ。

終点に連れてゆかれたのは30年間で3回目くらいだろうか。なんでこんなに眠かったのだろうか。なんか家までめちゃくちゃ遠く感じる。あたりは田んぼで見通しがよい。50m間隔の街灯を数えると16本みえるから、この先の曲がり角まで800mもある。もうトシなので歩きスマホのお兄さんに追い越されたほど足が遅くなっている。歩きスマホをしようにもスマホもってないので、現状の片付かないあれこれについて考える。散歩をしながらものを考えるのは貴重な時間のように思える。思考がとっちらかっているので、今こそ頭の中を整理しようか。

仕事はいつもうまくいっていないように感じる。このあと家でうつ病に関する動画を見ていたりする。うつ病の人ってとても気の毒だと思う。身近にいたら助けてあげたいと思う。それらしい人は見たことはないのだけれど。最近は男性で8人に一人とか、女性で4人に一人とか増えているとかどうとか。そんなことはないよなあ。たぶん。人のことは案外わからんけどなあ。

うつ病になると楽しいとかいう感覚はなくなるそうだ。うーん、楽しい感覚かあ。なんかあるかなあ。正月過ぎのしんどい予定が目について正月の楽しみがない。今年も年明けからしんどかったなあ。あのしんどさのなかからよく論文書く気になったなあ。あの頃の自分すげーなあ。そういうことをしてずーっとしんどい気分で過ごすのはよくないのだろうなあ。

年末年始が楽しみでないというのはちょっとよろしくない状況じゃないだろうか。なんか田舎に強制連行される感じだろうか。田舎でなにをしたいのか。行った先で何か楽しいことを見出すしかあるまい。お店見て回っても何もほしいものがなくて、食べに行きたい店もないとなるとちょっと自分はまずいのではないか、という気がしてきた。

 ほのかに、野菜の収穫がしたいとか、チューリップ球根を植えたいとか、玉ねぎの苗を植えたいとか、仕事をいろいろ進めておきたいとか、そういう欲求はある。だいたい週末だなあ。

 まあ一番の原因は学会発表準備がまだできていないということだ。とても単純なことではないか。きりがない仕事に振り回されずに、期限の決まっている仕事をちゃっちゃとやるべきだ。今日は余計な仕事をしすぎてへとへとになって、またやらねばならない仕事を先送りした罪悪感で頭がおかしくなっていたというだけのことだった。

 まあこうやってときどきおかしくなる自分の悩みを書き出して整理しようか。自分みたいな人間は、だいたい毎日楽しくはないのだけれど、うつ病にはならずに過ごしているように思う。

 スマホを5時間やる人って、その5時間リアルに自分がしなくちゃならないことをうっちゃってスマホをやるという感じなんだろうか。生活の段どりとか、勉強とか、ヘルスケアとか、休息とか、食事とか。自分のためのいろいろが回らなくなって、気分悪くなったりしないのだろうか。しわ寄せが睡眠時間にきたりしないのだろうか。スマホの5時間って、生活に必要なのだろうか。

 自分も家に帰ってどのくらいネットを見ていただろうか。3時間くらいだろうか。リビングでふと蘭の鉢をみて、手入れが足りないなあ、と感じた。ネットは趣味を奪うという話も聞いたような。ネットを3時間も見て、今日もさして得るものはなかった。うつ病に関する知識を得たくらいだ。うーん、ほかにないなあ。ネットの時間をなんとか自分のための時間に有効利用したいと思うのだけれど、人間はだらだらしたいんだろうなあ。自分の首がしまる感じがよくわかる時間の使い方だった。ああ、3時間あったら現状「焦燥感を感じる」問題は解決できたんじゃないかと思う。

 

20231112日

 昨日に引き続き、朝から玉ねぎの苗を植えた。午前午後で最初の苗トレイ(今年買った泉州黄たまねぎ2袋)が完了。苗箱1つからいい感じの苗が288本(どこかで数え落としたらしく388本だったらしい)とれた。2番目の苗トレイ(昨年買った赤玉ねぎと泉州黄たまねぎ)から100本採取して植えた。あとのこり200個の穴には来週植える。苗トレイ2つめで終わりそうな予感。昨日見たたまねぎ苗の植え付け動画で、穴のないマルチにそのつど指で穴をあけて苗を植える方法を見た。3つ目4つ目の苗トレイの苗はマルチの穴の間に指で穴をあけて植える手もある。一部苗については、そういう植え付けも試してみたが、さほど難しくはない。余った苗は、不調になる苗などもあるので、おいおい苗箱から植え替えてゆく予定。

 すでに太ももに筋肉痛を感じるので、明日なんかえらい目にあいそうだ。

 

 だんだん動画を見ている時間がもったいないと感じるようになってきた。メモでも取っておきたくなるような話というのはあまりなくて、たっぷり時間をもってゆかれるわりに得るものが少ないというか、その時間が薄味に感じてしまう。GAFAは別になくてもやってゆけるものに現代人は多大なお金と時間をつぎ込んでいる。一日のスマホの使用時間が5時間という人が22%もいるそうだが、お気の毒というほかはない(余計なお世話だろうけど)。ここらで画面に向けている関心を自分が実際に行動することに取り戻そうかと考えるようになった。

 橘玲著「言ってはいけない」を読んでいると、知能は遺伝子で決まっている、とかなんとか書いてあった。一生懸命努力して大学に入って、頭を使う仕事に就いたのは、遺伝子のおかげ、というのはなんか釈然としなかった。まあ一念発起してやらんことには大学も仕事もねえので、意思が大事、とおもったのだけれど、そういう意思をもてるかもてないかは、遺伝子に左右される、ということらしい。まあ小心者で、コツコツ努力する性格というのは遺伝子に書かれていそうだ。なんか息子も自分によく似ている。

知能って使ってなんぼだとは思う。知能を使い倒すのにはどうしたらいいかといえば、「まんず動画なんか見てたらもったいないなあ」と思った。「動画を自分の知を求める意思をもたずに見るのはもったいない。自分の頭でまず考えて、参考にするのはいい。目下の自分の課題にまず取り組むべし」というのは頭ではわかっているのだけれど、ついだらだら動画をみてしまう。知能って、「ついだらだら」というところが差がつくところなんじゃないだろうか。じゃあやっぱり意思なんだろうか。「課題から目をそらさずに集中して考える」というのがなんか知能高そうだなあと思う。めっちゃできる同僚がそんな感じ。なんか動画がおもしろくなくなってきたのは、じじいになっても知能を上げられるということを意味しているのだろうか、と思ったりする。実際若い頃より知能高いような気がする。

知能をどうとらえるかはどこかに研究があるのだろうけど、「処理速度」「多角的な見方」「考え続ける力」「つぎつぎ試してみる意思」というようなものなんじゃないかなあ、ということを考えていた。我ながらそんなことも知らんのか、と勉強がたらんなあ、と思う。処理速度は若いころはかなりあった気がする。そっちは衰えつつあり、それ以外の粘り強くてしつこい思考や、いろいろやってみるという手数の多さが伸びてきている。若いころの自分ってかなりしょーもなかったと思う。

若い人が、親ガチャとか、遺伝子で決まるから努力は無駄、などと言っているのを聞くと、「なんかもったいないなあ」と正直思ってしまう。人間はとても複雑な深みのある存在のように思われる。知能が高い人も低い人も食えるように努力してきた人、食えている人は誰しも立派だと感じる。他人の「親ガチャ」とかいう言葉で、自分の価値を否定して、自分を磨くのをやめてしまうと、その後の人生がもったいないなあと思うのである。まあ楽をしたいというさもしい気持ちにとらわれているのだろうねえ。楽したがりは、貧乏まっしぐらで、かえってよけいに苦労が多くなるものだと思いますよ。いろんな人を見ていると、「ひとにやらせよう」という思考が透けて見える人は、やっぱりそうなったかー、という状況に追い込まれてしまうんだなあ、と思いますもん。

 

20231111土

 昨夜は寒気が迫ってくる嵐で、すごい風が吹いて気温が下がった。

 朝から皿あらって風呂洗って、玉ねぎ用に用意した畝に7孔のマルチを張っていた。今年は敷設の仕方がなんかいい加減だなあ、と思いつつ、機械でやるのじゃないのだから、まあ手作業で曲がった畝を微調整しながら張った。長さが足りず、3mほど張れなかったので、後日延長作業をするか。87行×7列=602孔。100本ほど苗を植えて力尽きた。手ぶらで帰るのももったいないので、小松菜、大根、はつか大根の間引き菜と春菊を取って帰った。洗ってボールにいれたらいっぱいになった。毎週ボールいっぱいの野菜(春菊、大根(カイワレ)、小松菜、はつか大根(赤と白)、ほうれん草、水菜、蕪、小松菜、青梗菜)を10月14日(土)から収穫している感じ。3月まで6か月間たっぷり収穫できる予定。

 

 寒くなってきたのでランをリビングに入れようとしたら、ランの棚周辺を掃除しろとかみさんに言われた。まあごもっとも。蘭の棚を撤去して、床をふき、窓を拭き、レールの溝を掃除した。すごく汚れていた。磨き上げて雑巾で拭いて雑巾を洗うと泥水がどばどば出る。しんどい作業だったので力尽きた。

 

 庭からランを撤収するにあたり、チューリップ花壇用地に米ぬか手提げ袋3つ分、鶏糞68円2袋、牛糞258円2袋、をまいて、14-14-14化成肥料をまいた。それからランをトレイにまとめてリビングに撤収した。

 本日久しぶりにランが室内にいるのであるが、こんなに遅い時期までランが出ずっぱりだったのは異常ではある。果たして自分はランをちゃんと世話しているのだろうか。正直ランへの関心が低いと思う。「蘭」というホームページをやっているとはとても言えない。ただのじじいのボヤキを吐き出しているだけのサイトと言ってしかるべきだろう。

 

 一日なんかくたびれたなあとおもっていたら、かみさんから晩飯に焼きそばをつくれといわれた。飯食った後特にやりたいことはないなあ。

 善通寺で行ったうどん屋うまかったなあ、と思い出していたが、そういえば兵庫県生まれの丸亀製麵って何年も行っていないような気がする。行けばうまいものがあると思うのだが、かみさんの好みの店に連れていかれるので行く機会がない。香川県をグーグルマップに表示させて丸亀製麵を検索すると、高松に1軒あるなあ。岡山には10軒以上見える。香川のうどん恐るべし。「四国料理「貧乏くさい」で秋田知事謝罪」という記事が目に留まる。まあ秋田でどんなもの食べているかわからんけど、多くの人が同意できないネガティブな発言を選挙でえらばれる人は言うたらあかんと思う。「こいつ〇〇じゃねえの」と思われるからだ。香川のうどん屋はとてもいいと思う。

 

20231109木

 今夜も窓にアマガエルが1匹はりついている。暖かい夜なのででてきたのだろう。11月とは思えない。

 週末はなぜかマルチを張って玉ねぎの苗を植えるのを楽しみにしていたりする。しんどい年中行事をなぜ楽しみにしているのであろうか。先月は博多行ったり、東京行ったりしたが、食べ歩きたいとか欲しいものを買ったりとか、そういう楽しげな時間は全然なかった。香川の毎年1回だけゆくうどん屋が異様に楽しみだったりしたが、そういう楽しみはどうやって発生するのだろうか。

 玉ねぎの苗を植えると、中腰の姿勢で植えるためか、ふとももに多量の乳酸ができるのか、週明けに大きな精神の落ち込みを感じることがあった。そんな目にあう重労働がなぜか楽しみだったりするのである。例年やらなければならない億劫な作業だったように思うのだが、今年はなぜか楽しみだったりする。植えた後の苗がぴんと立ってその姿がかわいいというか、いとおしいという感覚がある。葉物野菜の緑がとても美しいので、畑でぼーっと眺めていたくなる。そういう楽しさが畑にはある。あと、これから植えるチューリップ球根がとても優美で美しいと思ってしまう。楽しみが少なくなった昨今だが、ないことはないのだなあ。一方、通勤中いろいろ買い物ができる場所を通って帰ってくるのだけれど、全然欲しいものがない。正直つまらないと思う。まあ、いろいろ買って食っていたら糖尿病まっしぐらだろう。年齢相応に悪いことではない。

 

20231107火

 例年になく畑や庭の作業が進んでいるような気がする。今度の土日で玉ねぎの苗を植えたら、庭のチューリップはその次の週に完了しそうだ。へろへろな一か月だったが、なんというか手数が多くてよく進んでいる。

 

 日本のGDPがドイツに抜かれて世界第4位になるとかだいぶ前に書いたような気がする。以前中国に抜かれた時点で、「ああ豊かさってGDPじゃねえんだな」と思った。ただつみあげた量じゃん。2位だった時代よりも今のほうがいいと思う。日本はずっと世界一いい国のまんま、と思っている。うらやましい、行ってみたい、すてきな国、ってない。香川県にゆくと外国に行った気になる。ハワイより香川県のほうが食い物がうまくて、自然が美しくて、金毘羅さんは美しい神社を堪能した。ハワイってブランドのショッピングが楽しいくらいじゃないか。そんなのはどーでもいいと思っている人からするとそんなに面白くない場所ではある。ブランド品なんかメルカリで調達すりゃいいじゃん。ハワイ行ってまで買いたいものなんかない。1食4000円かかるハンバーガーセットか、うどん280円+とり天150円+ゲソ天140円か。もう香川の圧勝でしょう。

 世界一の自動車メーカーは日本にある。電気自動車はこけた。世界の工場もこけた。世界のモノづくりはこれから日本の仕事になる。国別の知能が発表されているが、東アジアが欧米より高く、その中で日本はとてもいい教育を受けている国で、これから大いに盛り返してくるだろう。もううつ病を作り出すGAFAの出る幕はない。パックスジャパーナの時代になるのだ。ただまあよその国に競り勝つよりも、各人が安全安心に幸せを追求できる国になればいいのである。

 

 カレーにサツマイモが入っていた。言われなければ気が付かなかった。かみさんは、「ジャガイモがなければサツマイモを食えばいいのよ」という。6月に収穫したジャガイモがそろそろなくなってきたところにさつまいもがたっぷりとれたので、みそしる、カレー、煮物、いろいろにサツマイモが利用されている。じゃがいもよりもサツマイモは少々高いのでカレーには入れないみたいだけど、うちみたいにふんだんにあると、まあこれでもいいかと思う。違和感がない。

 

20231106月

 仕事は多方面の用事に鼻づらを引っ張りまわされるように肝心なことはさせてもらえなくて、防戦一方だった。仕掛けたことはほぼうまくゆかず、連敗続き。家族旅行でも、仕事のことを考えないようにしないと精神衛生上よくないと判断。くよくよしても何も進まないとわかっていたので、まあ戦える状態になったらしっかり戦う。今は辛抱しかないか。月の運勢ってものがあるように感じる時があるけど、毎月なにかしらか特徴があって、この一か月は本当に気分はとても悪かったような。だいたいこの一年ずっと気分は悪いのだけれど、この度は格別だった。なんとかこの流れを変えたいなあ。散歩でもするかなあ。

 

20231104土

 11月だというのに、かなり汗をかくほど暑かった。夜には窓にアマガエルが張り付いていた。

 10/9に植えた白はつか大根(ホワイトアイシクル)、小松菜、ベビーリーフ(小松菜、青梗菜など6種だそうな)、蕪、カイワレ大根、春菊、ほうれん草の畑で植えたものがどの種類もいい葉っぱが出てでわさわさになっている。大豊作の予感。来週から2月まで冬野菜は途切れることがないだろう。そこへもってきて同規模の野菜畝を10/22にバックアップで植えた。これも全種類ほとんどが発芽した模様。寒い時期になってから猛烈にとれる。多すぎてもなんなので、間引き菜でせっせと食べるようにしよう。

 

 かみさんの家族は年一回金毘羅さんに巡礼に行くという習慣があって、子供らや私も招待される。家族があつまって車に乗って、私は3列シートの一番後ろでナビをやっていた。もうじじいなので、旅行であれこれしたい欲求はない。ただ、金毘羅さんに行く途中の昼食が讃岐平野のうどん屋にゆく。香川のうどん屋は安くてとてもレベルが高い。善通寺ICをおりて、近くにある一屋とかいううどん屋をここ3年利用している。旅館でうどんがでるので、私は中華そば(小)280円を頼む。これがなんというか素朴な味でとてもおいしく感じる。自分で皿にとる総菜がなんかすごい。牛肉の煮物一皿自分で盛って300円、フランクフルトソーセージ130円、コロッケ130円、巨大な鶏肉のフライ150円を食う。(ミニサイズのタコ2匹を串に刺した天ぷらや、大きなゲソ天などもあり、香川うどん店でしか食べられないようなものがある)ここへ行く前に、5回くらい、グーグルの写真を眺めて検討し、食べたいと思ったものをつかんで食べた。予習は十分だったのだが、まちがっていた。なんというかこの店にくることを楽しみにしすぎていた。一食は一食なので、過剰にうまそうなものを盛り込んでも食べるのに往生するのである。最初うまかったのだけど、だんだん「しまった、多かった」と思いつつ詰め込む。じじいがやっていい食事ではなかった。毎年こんなことをやっていた。一年に一度しかない楽しみすぎる食事というのは困ったものだと思った。香川のうどん屋は、ほかの地域では食べられないセットなので、1年間ずっと「いやーあれはうまかった」という記憶として残るのである。

 金毘羅さんは、なんというかものすごい回数来たような気がする(調べてみたら8年連続で8回目)。1年があっという間に過ぎているように感じる。実際はものすごい事象が詰め込まれた一年なんだけど、金毘羅さんでやっていることはほぼトレースなので、不思議な気分になる。コロナ前は8月上旬にやっていた。奥の院まで石段が1368段あって、これを登っていた。本殿が785段というから、倍近い。80の義母がこれを歩いて往復するのがすごい。今年は、奥の院の都合でお祓いを本殿で受けることになっていた。本殿は本殿でなんというかとても興味深い。長い空中回廊を歩いて神社の美しい建築を眺めることができる。この日は快晴で、南に讃岐山脈の高い山々を見ることができて、なんというか外国にでも来たような心洗われるようないい眺めだった。

 

20231031火

 9/18から通っている閉店セールの古本市場のおかげで在庫が360冊、このうち読み終わった本が27冊、というなんかすさまじい本だらけの状態になっている。おかげでラノベ一辺倒だったのが、本日は新書、橘玲著「もっと言ってはいけない」を読んでいた。「日本人のおよそ3人に一人は日本語が読めない」「パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない」(えー!?)、など知能の話がいろいろとえぐい。「言ってはいけないけど、書くのはいいのよ、だってバカは本をよまないから」ということをいっているんだろうなあ、このタイトルは。本は正しく書けて、担当につっこまれて磨かれているので、少々のバカがいちゃもんをつけてきても、「読解力低い」「ちゃんと読んでからこい」といわれる。本の内容に対し、バカなことをSNS等で書き込むとおもっくそバカにされる。p86に良い例があった。米国にサマーズ財務長官という人がいたのを覚えていた。その人が、「女性は統計的にみて数学と科学の最高レベルの研究に適していない」と発言したそうである。知能の分布をみると、野郎は超できるやつと、おもっくそ馬鹿なやつに広く分布しているけど、女性は、その分布が狭くて、男女で知能の平均は差がないが、分布が違うということを言っていて、内容自体は統計的には正しいとのこと。でもまあこういう発言は「言ってはいけない」んだろうねえ。衝撃を受けたのは、162p「パレスティナ人とはイスラームに改宗したユダヤ人」という記述。えー、あの人たちなにやってるんでしょうか。

 

20231029日

 また本日も閉店間際の古本市場に行った。10月31日に閉店するので本日が最後の購入である。本1冊30円でなお多くの本が残っていた。本日は一般文芸の文庫を中心に80冊を買ってきた。まあゆっくり読んでゆくよ。

 

 祭りの際に神社にお賽銭をもっていっていなかったので、本日お参りをしてきた。神社にお参りした理由は、日々の生活への感謝の気持ちからだった。毎日ろくでもない気持ちではあるが、実質はおいしいご飯にぽかぽかお風呂、あったかい布団で寝ている。近所でとれるコシヒカリ30s8000円は安くてとてもおいしく、持ちがよい。たまねぎ、じゃがいも、さつまいも、さまざまな野菜のめぐみに感謝している。論文も掲載されたし、子供も就職して、各人元気に生きているので、感謝しかない。祈願というのはなんというか、神様の立場からしたら知らんがな、という内容だったりするのだろうなあ、などということを思うに、この一年の感謝の念しか思い浮かばなかった。神社は誰もいなかった。山から獣が下りてくるので、神社の参道は巨大な柵で下界と遮断されているのがとてもシュールだった。柵には閂のかかる扉があって、そこをくぐって出入りする。こういうものがあると気軽に参拝しにくくなったように思う。柵の内側には本当に人っ子一人いない。とても美しい場所だなあと思ってぼけーっとながめていた。こういう時間はいいなあと思う。

 田舎からミカンが届いた。リンゴを切らしていたので助かる。リンゴが1個250円くらいしているのがすごい。これからはミカンでやってゆくよ。

 

 芋ほりの残りを掘った。記録を見ると紅はるからしい。超でかいイモがいくつかでてきた。1株で3sくらいの集団が出てきた。有名ブランドイモだが、そんなに食べることに執着していないような。食糧危機に対する用心だったので、ありがたくも日本は平和なので、食料はふんだんにある。おいしいイモがふんだんにあって、このあと食卓にのぼるというのは豊かな気持ちになれるだろうなあ。

 

 畑でダイソーの種いろいろ10袋、550円分をまいてこの冬も野菜の豊作は間違いないと思えるくらいいい苗が育っているのであるが、昨日いつものようにダイソーの種の売り場を巡回した際に、種の陳列そのものが消滅しているのをみてしまった。種の多くは裏の記述を見るに、外国産が多い。大根の種が今年いやに品薄だったことを思うに、円安でこれまでの値段で売れなくなったので、販売をやめてしまったのではなかろうか、という嫌なことを考えてしまった。ダイソーの種がないと、今後は野菜1種について135円から400円くらいの種の袋を買うことになってしまうだろう。

 大根の種が入手できなかったのやら、9月に植えた大根が猛暑でかれてしまったのやらあって、今年は「カイワレ大根」を大根代わりに植えている。ダイソーの種「カイワレ大根」は、いくつかある大根の種と比べると、ものすごい数が入っていてお得なのだけれど、本当に大根が取れるかどうかはわからない。調べてみると、大根が取れたが大きくはない、という人と、大根はできない、という記述があったりする。後者はエビデンスはない。本日見た限りでは、まだ小さいながらもいい感じに育っている普通の大根に見える。大根は「9月10日に植えろ(静岡県のおばあさん談)」と言われており、10月に植えたものは小さくなる傾向にある。昨年のうちの大根は小さかったのでなるほどと思った。大根はべつに小さくても大根として使えるので問題ないと思う。大根が「9月10日」に植えるべきものだとしたら、全国的な猛暑だったことを思うに、この冬は大根の値段があがるんじゃないだろうか。

 カイワレ大根以外に、以前撒いて残っていた大根の種を植えたのだけれど、それは発芽しなかった。大根の種の寿命は短いのかもしれないと思った。

 ダイソーの種は、1袋、10mを筋蒔きするといいかんじにまけるなあ、と感じた。種をまくときに種を入れる皿を用意していたが、最近は袋をうまいこと切り開いてそこから種を指でつまんで、撒いている。以前より手際が良くなったなあと思う。

 かつては撒いたのにあんまり生えてこないほうれん草だったのだけれど、筋蒔きにしたら、撒いたその後に注目してしまい、今回はよい発芽率でよく育っている。種まきしてからは乾かないように気を付けて水やりしていたので、今回は結果がよかったようだ。ほうれん草が体に良い作用があるような動画を見たので、ほうれん草栽培に気合が入っていた。

 畑の緑を毎日眺めていると、これはこれでとても気持ちの良い趣味だと思う。

 

 

20231028土

 なんか昨日の仕事はヘビーだったなあ、と思いつつ、芋ほりをする。20sほどとれただろうか。1株でほぼ3sのイモが取れたりしていた。さつまいもすごいなあ、と思う。掘りきれなかったので明日もやる。西日が差すなか小雨が降ってきて素晴らしい虹が見えた。美しい眺めだった。

 

 本日も閉店間際の古本市場に行った。本日本はなんでも30円になっていた。1000円の定価で、480円の値札が付いていても、30円である。かご2杯分買った。クーポンで10冊分値段が引かれている。本日在庫リストに登録したのは98冊だった。とても重かった。登録作業もちんたらやって数時間かかった。ずーっと一般文芸を読んでいなかったので新鮮に感じる。

 

20231023月

 九州出張である。50円で買ったアンデシュ・ハンセン著「スマホ脳」をよみつつ電車で運ばれていった。ラノベ以外は読みにくいと感じてしまうこの頃なのだが、この本はつるつる読めて気持ちがよかった。スマホ持ってないので全くわからないけどなんか大変そうですねえ。スマホの小さい画面が老眼で見るにはどうにも苦手でスマホをやる気にならないのであった。8人に一人だったかがうつ予備軍とか聞く今日この頃だけれど、本当だろうか。みなさん楽しそうに見えるけどなあ。

 この本は「人類がバカになってゆくのも、うつ病の人がガンガン増えてゆくのも、毎日気分が悪いのも、みーんなスマホのせい!」というようなばっさり断言というのではなくて、数多くの研究結果を紹介して、「スマホの過度の使用が原因になったと考えられる」という感じに読者に提示してくれている。「スマホをうまく役立てている人もいる」というのも確かで、過度にスマホにふけってえらい目にあう人がいるというデータを様々に示してくれている。

 本音をぶっちゃけると、みんなスマホ漬けになって、能力低下を起こせば、スマホやらずに手をよく動かして仕事をしてるこっちは相対的に高い技能を保持した状態になり、くいっぱぐれることがなくなる、と考えているのである。そんな感じで、近年仕事を頼まれることが多くなってきた。大学の戦力たる学生諸君がタイパを気にして、もしくはみっちりスマホをやるために17時に帰ってしまうようになったそうで、現物を合成できるこちらに仕事と予算が回ってくるようになった。能力が低下してゆく多くの人々を、ほくそ笑んで見ているのである。だが、仕事と予算が多すぎて勘弁してほしいとも思っている。

 「俺スマホもってねーし」、で気持ちよく読んできたのだけれど、画面の前にいる時間が長いので、著者の提言である「心拍数の上がるような運動をちょっとくらいはこころがけてしよう」というを励行してゆきたいと思った。

 出張でスマホがなくても不便はない。必要と思われることを事前に考えてパソコンで調べておいて、ホテル予約、新幹線予約をして、現地の地図、路線図などファイルにまとめて、必要なら打ち出して持ってゆくだけである。まあじじいは枯れてるからなあ。突如ラーメンが食べたくなって夜中に出かけてゆき、替え玉まで食ってくるというような超アクティブな同僚のような元気はない。

 パソコンでもSNSはできるらしいけど、やりたくない。えらい先生のツイッターみてたら、関係者は「論文書いたぞー」みたいな記述が多くて、論文で苦労しているときに見たくない記述が多い。私が若くてSNSをみて他人のイケてる生活をみたらとても嫌な気分になると思う。そんなもん見ないほうがいいに決まっている。そんなもん見なくても全然問題はない。じじいになったらよーくわかるけど、いいことばっかりじゃないんだよ。なんか負けた気になって発奮してなんとかなるほど世の中は甘くない。人は人、自分は自分でやっていったほうがなんぼか幸せになれる。人のうらやむ生活を目指すことが人生の目的ではなくて、自分が満足する生活を送ることを目的とすべきではないでしょうか。その大事な「自分の満足」が人の価値観にすり替えられてしまうのがSNSの超絶いやらしいところだと思う。へどがでるよ。知らず知らず自分の生き方の根幹を台無しにされるリスクがあるような、そんなもの(SNS)を喜んでつかっているなんでどんな神経をしているのだろうかと思う。自分の努力や経験で培った価値観が知らず知らずのうちに「金使って、楽で、楽しい生活を」って、そりゃくそバカほどええなっておもうかしらんけど、自分の親みりゃ世の中そんなに甘くないって気が付かなきゃ。子供らのことを大事に思うのだったら高校生までスマホ持つの法律で禁止したほうがいいと思うよ。パソコンはいいけどスマホはあかんやろう。もうかがみこんでやってる姿勢からしてダメダメだ。

SNSから距離を置いてみれば、「海外旅行ってだりー」「高級ホテルより家で過ごすほうがええ」「こじゃれた飯食いに行くのだりー」「高級ブランドいらねー」「もっとましな金の使い方ねえのか」としか思えない。まあじじいだからなあ。

 

20231022日

 朝8時半におきて飯を食って畑に行き、実がつかなかった黒大豆をひっこぬき、芋ほりを始めた。最初に植えた株から出たつるをぶっちぎって植えたサツマイモだったので、イモはそれほど大きくはなく、かごいっぱいくらいですぐに芋ほりは完了した。そこから鍬をもって畝(長さ10mくらい)を耕した。結構しんどい。やすみやすみやる。9時ごろまでに耕すのは完了した。そこから種まきをできるように整地して、くわの柄で筋を描いて、1袋の種を10mほどにまいておいた。5すじに、はつか大根、蕪、蕪、サラダ水菜、強健ほうれん草を撒いて水やりをしておいた。10平方メートルの野菜畑が種代275円で実現できる。さっきまで植わっていたものを引っこ抜いて、耕して、種を植えてというのを午前中でやってしまった。これがワーカホリックな仕事ぶりという奴だろうか。これで冬場は莫大な量の青物を食えるだろう、多分。

 

 閉店近い古本市場に5週間にわたって通っている。本日は、「100円以上の本50円セール」だった。200円、400円、それ以上の値札の本が全部50円。80円の本は40円。「1000円以上の購入で300円割引」のクーポンもあって、68冊2940円のすごい買い物になった。1冊平均43円。読んでおきたかったアンデシュ・ハンセン著「スマホ脳」(定価980円、値札400円)など多数を50円でゲットした。この5週間で書斎の本の在庫が200冊(10%)も増えてしまった。一種の特需なんだろうなあ。今年気分はいつも悪いけれど、恐ろしいほどの好景気で毎日へとへとだよ。

 

20231021土

 九月に野菜の種、大根、蕪、小松菜だったかを植えた。9月の気温があまりにも高すぎて、ちゃんと育ったのは春菊だけだった。先週ボールいっぱい収穫して、今週もボールいっぱい、毎週こんなペースで収穫できそう。ダイソー55円の種でたっぷりとれてうれしい。55円の種を売ってくれるのはダイソーだけだなあ。この品じゃなきゃ、とおもうものを売ってくれているありがたい企業だ。このダイソーの種のシリーズのおかげで野菜栽培を手軽に学ぶことができた。2週間前に植えたカイワレ大根(どんな大根になるのか興味があって植えた。いや、大根の種がダイソーで軒並み品切れだったので代替品として植えた)、春菊、ベビーリーフ、治郎丸ほうれん草、時無し蕪などしっかり芽が出て大きくなってきた。

 

 黒大豆の収穫時期なので引っこ抜いてみたが豆が付いていなかった。10年以上付き合ってきたが、ますますわからない作物だと思う。今年は、「多肥料がよかったんじゃないか説」で肥料を多めにいれて育てた。結果は全然ダメだった。「連作障害で何をやってもだめ説」が現状頭にあって、もう来年から植えなくていいや、と思っている。毎年多大な労力をつぎ込んできたが、年々悪くなるのであった。まあ気分を切り替えて、冬野菜の種でも撒いておこうと思う。

 庭の芋ほりをした。5%くらい完了。1sほどとれた。きゅうりがいたあたりに色がうすくなったきゅうりがいた。これは食えるのだろうか。5月に種を植えたピーマンが今頃になって1つ成っている。55円の種からピーマン1個か。その横に同じく55円の種から育てたミニトマトが1平方メートルの地面を覆うほど大きくなっている。ときどきミニトマトが取れる。もうちょっと置いておこう。その横には、玉ねぎの種330円分6袋を植えて苗が多量に生えたトレイが4つ並んでいる。玉ねぎの苗は順調だ。

 黒大豆がさっぱりだったので、この秋の収穫はさつまいもを掘る、という作業が中心になる。さっさと作業をして、冬野菜の畝、玉ねぎの植える場所、チューリップ球根を植える場所を確保しよう。

 

20231016月

 東京出張である。いつものバスで出かける。JRで余裕をもって新大阪を目指していたが、塚口のあたりで、「橋脚に車が接触したため安全確認のため止まっております」とかで30分くらいとまってしまった。新幹線は予約した9:06は出た後で、スマートEXで予約した内容が改札で打ち出されたものをもって9:24の新幹線に乗り、「乗り遅れたら後続の新幹線の自由席に乗っていいんだよね…」「のぞみって自由席あるんだろうか。案内がない。1−3号車だろうか。やたらグリーン車多いなあ。あんまり人が乗ってないけど。グリーン車ってそんなにありがたそうに見えない。指定席の表示はぺかーっと光ってんのに自由席は薄ら暗くて草。わかりにくい。本当に自由席だろうか。ガラガラにすいていてラッキー。」検札がきて、打ち出しとイコカを差し出したら、1秒で返してくれた。OKだったらしい。

 市ヶ谷にゆくのに、中央線だなあ、と記憶していた。たしかお茶の水で各駅停車にのりかえるのだった。東京駅からえらく近い。日高屋(中華食堂)で半チャーハンラーメンセット670円を食べる。安くて腹は膨れるけど、普段は200円くらいの原価で弁当作ってもらっているのだった。まあかみさんの人件費は超絶高そうなので、670円はそんなにたかくないのだろう。なぜか大汗をかいた。

 昨年度終了したプロジェクトの最終報告会であった。いつもならこういう会議に出ると妙なアイデアが出たりするのだけれど、全行程行き帰り何にもアイデアが出なかった。パソコンはまったくネット接続していなかったが珍しく何もいい知恵が出なかった。珍しい一日だった。何しに行ってきた、という気分。

 帰りに東京駅でかみさんへの貢物を探す。スイートポテトたまごとチョコレートマロンたまごがあったのでこれでいいやと買っておく。東京駅すげーこじゃれたものがおおいのだけど、いろいろがなんかすごい値段だ。お弁当も1000円以上するものばかりだ。みんな金持ちだなあ。これまでの経験から、なんつーかお金のわりに満足感が少ない気がするので、何も買わずに乗る。カバンの中に、リンゴ1個90円、ポップコーン60g47円、赤ちゃん用の乾パン60g47円、ドデカミン500ml68円、イモけんぴ225g139円を非常食にもっていたので、いもけんぴ以外を消費した。

 新大阪からバスに間に合うように電車を乗り継いで帰ってきた。めしを茶碗に半分と豚汁で晩飯。なんか買って食うより家で食うのがいいなあ、と思うのはじじいになったからだろう。

 

 一人当たりのGDPがランキングで31位になっているのを見た。イタリアが上にいる。G7中では最下位らしい。35000ドルの日本に対し、米国は8万ドルとか。へー、と思う。あんまり興味がない。コメが安くてうまいからいいか、などと思っていたりする。所得が倍になったからと言ってラーメン一杯2800円というのはおかしい。日本だと800円くらいか。所得が倍になっても、ラーメンは4倍近いので、なんだかなあ、と思う。日本以外のG7での生活でやりたいことを思いつかないから日本でいいかな。治安がいいのが一番だと思う。

 

 

20231015日

 なんとなく腰の痛い日だった。昨日は、朝からタコ焼きを64個つくり、畑に水やりをして、店じまいの古本市場で33冊本を買い、未読リストに登録をして、近所の広場で銀杏拾いをして、銀杏の種を取り出す作業をして、晩飯にお好み焼きを作ったあと夜から腰が痛かった。

日曜は買い物に出かけた。遠くのジュンテンドーでチューリップ球根詰め放題が昨年に続いてやっていて、32個つめて550円。いい感じのしっかり咲いてくれそうな球根だった。8種の球根それぞれに1袋ずつつめておよそ240個4400円。今年は早めに植えよう。

ムニエルにあこがれていたので、Youtube動画をみてつくってみた。ベトナム産の名前の知らない白身魚の切り身、「パンガシウス」とかいう名前だったろうか。調べたらナマズの一種だった。とても大きな切り身が300円少々だった。小麦粉をまぶして、オリーブオイルでじっくり両面を焼き、バターと醤油で味付けをした。うーん、ご飯があればよかったのだろうが、ちょっと油やバターを入れすぎた。かなり量があった。三人分くらいあったけど、全部食べた。おかずとしたらいい感じだったろうけど、それだけで食べるとコメが欲しかったか。

 

20231013金

 デンファレがいい感じに咲いている。カトレアがしおれ始めたか。

 

 Youtube動画を見ていて気になる情報を見た。うちの田舎、周防大島町は、平均年収が1177万円と日本の町の中では日本一になったそうである。全国平均年収は440万円だそうなので、3倍くらいか。市区町村という区分けで見ると、全国2位、1位の港区、3位千代田区、4位渋谷区、5位中央区に、ど田舎の島が食い込んでいるのがあきらかにおかしい。すげーなあ。なにがおきた。ん?義母ってあの超絶うまいミカンでものすごく稼いでいるのだろうか。あのミカンちょっとおかしい。

聞けば、富裕層が200億円分の年収を引っ提げて島に移り住んだそうで、そんなんで平均年収が大きく増加したとか。

 じゃあ、なんで周防大島なのか。

 日本史を紐解くと、幕末に薩長土肥が討幕をして明治政府ができた。薩摩が西南戦争でこけて日本は当時からずーっと長州政権ということらしく、山口県からやたらめったら総理大臣が出る。いい大人になって30代に司馬遼太郎の作品を読むまで、長州藩がどこにあるのかを知らなかった。それくらい日本史に関心がなかった。思うに、長州藩の人たちは日本を動かしつつも、目立つことは極力避けていたのじゃなかろうかと思える。だから私が、日本は長州政権が続いているといっても、変な顔をされる。

 福島に原発がたっぷりあったり、福島大学という国立大学があたまにうかばなかったりするのは、幕末に福島にあった会津藩が京都で長州藩士をいろいろ取り締まった影響だったりする。長州藩の人は執念深いので、中央政府にいた長州人から、結構長いこと福島県にイケズを働いてきた。なお、福島県がひどい目に合うことになる歴史的遠因は、二代将軍、えーと誰だっけ、秀忠さんね。家光の父ちゃんが浮気をしてつくった子供、保科正之が幕府によくしてもらったうえに会津藩を治めて、「幕府を助けよ」と家訓に記したことであり、このため幕府からたのまれて京都の警備を任され、長州藩士を取り締まった。要するに浮気が原因で福島原発の事故が起きた、と言えなくもない。(下世話な話を司馬遼太郎風に記述してみた)

長州藩の有力者が江戸に移って日本を動かしてきたらしいのだが、ここへきてその財力を引っ提げて故郷の山口県に疎開してきているのじゃないだろうか。さて、その疎開とはなにゆえなのだろうか。

大島上空はよく米軍の戦闘機が通る。オスプレイとかもみかける。岩国基地が近いからである。それゆえ有事の際、防衛の傘が厚いのじゃなかろうか。

東京になにか起きるという予想があったから疎開したのじゃないだろうか。東京へ行く際は、非常用の食料と飲料を携行している。正直いつ何が起きてもおかしくはない。ただ、逃げるのに難がある。これは東京出向中に夜中自転車で走り回って感じたことだが、どこへどう逃げたらいいのか、事前に検討してもいい案は浮かばない。津波が来ると広範囲でえらいことになる。その点大島は高台へのアクセスが良い。島を脱出する際にも船舶が込み合っているわけでもなく、船があればあらゆる方向へ逃げられるといえなくもない。東京ではこうはいかないだろう。東京でなにか大ごとがあると、誰もが逃げる手段を失うんじゃないか、という閉塞感を感じるのは私だけなのだろうか。

田舎は食糧備蓄が容易なのだということをこの度知った。コメを買っておくと、1年おいしく食べられる量を一度に買っておいて置ける。野菜も潤沢にある。肉の代わりになる大豆が数年分ある。水の確保、電気の確保もできた。東京ではこうはいかないだろう。水も電気も止まり、食料は入手困難になる恐れがある。何しろ金と物流がたのみだ。

義母は、昔うちが家を買うときにおがみやさんに足を運んだという。そのアドバイスに従って今の自宅がある。山口の人は、そういう神秘的な人を頼るのかどうかよく知らないのだけれど、迷ったら何らかの指針をくれる人というのはありがたい存在なのかもしれない。そういう神秘的な人が、なんらかのお告げで周防大島に移住を勧めたりしたとか、そんな背景があったら面白いなあとは思う。なんにしても東京の生活よりは大島の生活のほうが魅力的に思える。わざわざ都会に出かけて行って欲しいものはない。

そんなことを考えていたら、偉い先生の号令で東京の報告会に出席することになってしまった。非常食と飲料水を持って移動するよ。

 

20231009月

 三連休というとあんまり楽しくないのはなぜなんだろうか。7時におきて、芋ほりをしてへとへとになって、午後から耕して、へとへとになって、夕方に秋冬野菜の種まきをしてぐったりした。二十日大根、小松菜、大根、かぶ、春菊、ほうれん草を植えた。

 その間かみさんにおやつを貢ぎ、閉店セールをやっている古本市場で本を多量に買い込み、買い込んだ本をパソコンに登録した。こういうのを楽しむ気持ちは以前はあったのだが、なんか最近は、「なにかやるべきことがありそうで気持ちが悪い」という気分で落ち着かない。色々な仕事に追い回されて過敏になっているのだろう。

 

20231008日

 祭りである。氏子なので参加する。7時半ごろ飯を食って1qを歩いて8時に出向くと、準備当番の氏子しかいなかった。山車は9時出発なので集合するのは8時半ごろらしい。祭りは4年ぶりだそうである。そんなになるかなあ。その歳月が効いたのか、注目していたダンディーなおじいさまがいない。祭りの指揮官として大変かっこいい人だった。今年の指揮官はつるっぱげの声のでかいじいさまだ。悪くない。例年氏子の子供が山車に4人乗って太鼓をたたくのだが、今年はどうしたものか乗らないことになったそうな。少子高齢化ちゅうやつだろうか。

 驚くべきおっさんたちの連携により全員が暗黙の裡に行動して、祭りが実行されている。なんというか尊敬の念を禁じ得ない。自分がだんだんじじいになってゆくとわかってくることがある。世代間で受け継がれてゆく大事なものが見えているような気がする。

 自分から見ると40代くらいの若い人たちは、景気が悪くて給料が上がらないとか、親の金でパチンコして多額の小遣いを浪費している人とか、車のグレードの話なんかが聞こえてくる。40代はいろいろわりをくってきたのだろうか。

 祭りの時間はゆったりと流れるので、自分を取り囲む自然に目が向く。草とか木とかいろいろ観察していると、知らない種がたくさんあることがわかる。見たことがない木の実を見つけてしまった。葉や実のにおいをかいでみる。枯れた実があって、みたことがあるものだった。八角だと思った。日本で八角が取れるとは聞いていなかった。かじってみたら八角の味がしないので、ぺっぺと吐き出しておいた。日本のオリゼー(コウジカビ)に毒はないが、欧州のオリゼーは毒がある、ということを思うに、この八角みたいなものに毒があったらと考えて吐き出しておいた。葉っぱが夾竹桃っぽくみえなくもないので、夾竹桃の仲間だったらしぬかもしれない。軽率にかじるべきではなかったと思った。タミフルの原料になる八角が日本で取れないことは知っていたので、なにか違うものかもしれない。夜に調べたら、シキミといって万葉集にも出てくる植物だ。実に毒がある。八角と思って料理に使って死亡した例があるそうな。危なかった。今後は天然物には気を付けよう。

 昼飯は仕出し弁当が出る。ものすごく豪華だった。4種の刺身、貝が3種類入った酢の物、味わったことがないような煮物が5種類、天ぷら4種、とても大きな弁当だった。写真を撮っておきたかった。デスクトップの画像にしてもいいような素敵な弁当だった。豊かだなあニッポン。

 食事時にとなりの爺様70代とお話をした。食の勉強、体の勉強、語学の勉強など、老後の生き方に関する様々なレクチャーを聴いた。老後の生き方の考え方について学ぶことが多い人だった。いろいろ得るところが多い祭りだった。

 

 注文していたお米、コシヒカリ新米30s8袋が先週届けられた。お値段据え置き1袋8000円(税込み)で、農協で買うと10800円(税込み)するらしい。精米費用が別途300円かかる。今年もよい出来らしい。昨年の同種のコメは、今週いっぱいで終わりになるという。昨年は30s6袋だった。この量で1年、家族がたっぷりたべて、ずっとおいしかった。本当においしかった。お米というのは素晴らしい。安くてうまいので、あまりパンを買わなくなってしまったほどだ。正直主食が安くてうまいので、知恵と技でおかずを作れば物価高がよそ事に感じる。まあスーパーで5s2400円以上するらしいので、田舎のよいところのひとつなのだろうか。まあ、精米で腰に負担が来た気がする。

 

 やんなきゃなあ、という仕事に着手する。なんというか逃げていると気持ちの悪い仕事というのがある。逃げると、時間が足りなくなって質が落ちる。こういうのは学生時代の勉強と同じで手をかければ点数が上がる。仕事も手をかければ質があがり、次の仕事につながる。そこで思ったのが、給料の良し悪しや、学業の出来不出来、結果を出せた人、人からの信頼って、なんというか人それぞれの生き方のなかで培われた、自分がやんなきゃいけないと思っていることへの取り組み方と蓄積した技能によるんだろうなあ、と思う。給料が高い人、学業ができる人、結果を出してきた人は、だらだら過ごしたい気持ちを抑えて、やりたいことややんなきゃならないことに時間を使って、どうやったらうまくできるかを考えて、実際にいろいろ手を動かして試して、結果を出してきたということなんだろうなあ。一方、給料が安い人や学業が伸びなかった人って、自分がどうしたらいいかあんまり考えずに、楽なほうへ流れて、周りがだらーんとしていたら安心してだらーんとして、自分の評価があまくて、やりたいことややんなきゃならないことを見出すことがうまくゆかず、あんまりいろいろやってこなくて、結果を出すための集中やこだわりが薄くて、時間がたっちゃった、という感じなのだろうか。これじゃいかん、と思った時に、ほんのちょっとの違いだけど、「なんかこれをやったらよさそう、やろう」「まあこんどやろう」「なにをしようか」「まあいいか」など意思決定の違いがあって、それが積み重なって生き方の違いがでてくるのだろう。まあ自分にできることをやろう、というのが各人各様のあり方でいいと思う。その結果を享受するのは各人とその家族なのだから。人のことは知らん。

 

 

20231007土

 サツマイモのシルクスイートが154日目に達していたので掘ったが、見切り品200円分の苗から、200円くらいするイモが10本くらいとれただろうか。こう書くと儲かったような気がするのだが、Youtube動画で多量のサツマイモをゲットするシーンをちょくちょく見ていたため、なんとなく少なく感じるのであった。シルクスイートのとなりは安納芋というふうに記録されていた。一株掘ってみたらもっと大きいイモが出てきた。でも安納芋特有のずんぐりしたイモではなくて、大きくて長い。これまで見てきた安納芋とは異なっている。本当に安納芋なんだろうか。

 

 古本市場の閉店セールで80円の本が半額の40円だったので30冊くらい買ってきた。ずーっとラノベばかり読んできたが、一般的文庫にも面白そうな本がたくさんあるようで、面白そうな本をたっぷり仕入れてきた。

 

20231006金

 仕事が山場を越えた。くたくたで何もしたくない。だらだら過ごしているのもつまらなく感じる。とっととねよう。明日はサツマイモのシルクスイートが154日目に達しているので、掘る。

 メインパソコンをリプレースした。2500円の中古のパソコンに引っ越した。動画視聴用のノートパソコンでなぜかこれまでの作業をしていたりする。環境が変わってもまあネットであんまりしたいことがないので、なんかできることをしよう。

 

 かみさんの知り合いの息子氏が弁護士になって東京の事務所で勤めていたが、仕事がつらすぎるあまり転職なさったそうである。息子が転職する話はわりとよく聞く。いやすぎる仕事にしがみつくことはないと思う。危ないと思ったら逃げるに限るよ。

 

 ブルムバーグとかいう欧米のマスコミに、日本経済をべた褒めする記事が出たそうである。探したけど見つからなかった。まあなんかいいところがあるのだろうと思う。仕事の予算が潤沢についたり、今後仕事がとても多くみえたりするので、なんか景気いいんだろうなあ、ぐらいには思っている。正直デフレ時代のほうが好きだけど。割と結構な30年間だったと思う。これから定年までうんざりするほど忙しそうだ。

 

 

20231004水

 デンファレとミユキアベが開花してくれている。この時期の定番の花だ。

 

 仕事したくないから娯楽に向かっていたのであるが、案外娯楽は楽しくなかった。仕事が多いときは家に居ようが仕事をとことんしてみることにした。まあ仕事が多方面から押し寄せてきていた時期だったのでしゃーなしだ。そうやって仕事に立ち向かっていると、なんとか囲みを突破できそうなところまで来た。今度の三連休はなんとか心安らかに過ごせそうな気がする。本当にしんどい日々だった。

 

 1979年ごろだったかなあ、当時中学生だった私は、ABBAという音楽グループの楽曲にはまった。LPレコードというものを初めて買って、ステレオで聞いていた。2800円くらいしていただろうか。今なら中古のパソコンが買える値段だ。ステレオって一式で1mくらいあるやつ。今ならスマホかパソコンで聞く。Youtube動画でABBAにゆきあって、当時の曲を聞いたら50曲もあった。今聞いてもいい曲だなあと思う。ただ、ネットもスマホもない時代に、どうやって50曲もそれぞれすごい回数聴けたのか謎だ。あと、英語のヒヤリング能力が中学生だろうと英検準一級の今の自分とあんまり変わらない気がする。相変わらずなんて歌っているのかよくわからない。まあ外国へ行って「やってきた目的は?、帰りの航空券はもってますか?、ホテルはとってますか?」などのやり取りで困ったことはないし、学会発表と質疑応答を英語でやっていたりするし、論文は英語で書く。ただ、字幕なしで映画の内容を理解はできないし、日本語の本と比べると、英語の読み物を楽しめるほどの能力はない。そんなもんよ。かっこつけようとして英語を習うより受験英語のほうがなんぼかサラリーに効くと人生振り返って思った。英語がうまくてかっこいいと思ったのは東京出向中に英語で司会していた東大出の上司だけだった。22年も前だ。だいたいみんな英語は下手だ。英米人、インド人、オーストラリア人の英語は聞き取りにくいし、日本人の英語が世界的には一番よく通じるらしい。まあ、ネイティブが「まじやばくね、がちやばくね、それな、ぴえんぴえん、それま?、これはあがる、ちょーうける、それしかかたん」とかいう会話しててもさっぱり理解できないだろう。そんなのが聞き取れないからといって困らん。

 

20231001日

 やっと30℃を切ったという一日だった。かみさんの懸案だったMiho美術館というところに行ってきた。下調べを十分にしたのでスムーズにたどり着けたが、信楽インターを降りて、一般道にでたときに意外にも案内板がなく、右か左か、の二択で、左を選択して正解した。あれはびびった。予習が足りなかった。こんなところに美術館が?と驚くような山奥に連れてゆかれた。山の中に洗練された近代的な建築があって、外国に来たような気分。外国からのお客も多く、座った便器の高さまで海外向けだった。

 開催中の特別展からみる。「金峯山の遺宝と神仏」とはなんだろうか。きんぶせん、と読むそうな。役行者なる古代の有名人がでてくる。漫画で見たことがある。へー、漠然と紀伊半島の修験道の世界が頭に浮かぶ。そこから蔵王権現なるものがどーんと出てくる。片足上げて、片腕を上げて、イエーイみたいな恰好でおっかない顔をしている。ヘアースタイルが独特だ。この権現さんがものすごい数いろいろな遺宝として展示されていた。調べてみると、役行者の時代に起源不明の日本独自の仏様なんだそうな。あれが仏?。平安時代、あの栄華を極めた藤原道長が金峯山に祈願に来たそうな。その記録が残っていてなんとなく当時のしんどそうな大旅行が脳裏に浮かぶ。大自然渦巻く紀伊半島への大冒険は大変だったろうなあ。その祈願の後、道長の娘が天皇の子を産み藤原家のすごい栄華がはじまったそうな。そんなこんなで、仏教の世界で脈々と続く世界の展示を見て回った。なんだかめっちゃ腹が減った。

 このあと、常設のエジプト、ギリシャ、ローマ、インド、中国の美術品をいろいろとみた。歴史的な美術品は、見ごたえのある美しさを有していた。ええもんみたなあと思う。歴史だけだとトーシローがみてもなんじゃろうか、というモノが多いのだけれど、その中にあって美しいものを集めたという充実した内容だった。インドガンダーラの仏像がなんか西洋人でかっこいい。日本の仏様みたいにぶすくれていなくてしゅっとしてなまめかしくていいかんじ。全部見終わったころに昼を過ぎていて、ものすごい数の人がやってきていた。できるだけ早く来ないと人が多くて美術品を見るのが困難になるだろうなあ。人が多いので、飯も食えずに帰ってきた。

 

 仕事で些細な嫌なことがあって、それを延々引きずってきた。夏休みと土日、嫌な気分で過ごしてきた。仕事で嫌な気分にならない方法について研究しようかと思った。そうはいってもだいたい9月は嫌な気分だった。おおむねうまくやっていたのに、嫌な気分にはなる。これは運動が足りないとか、なにか摂取すべき栄養成分が足りないからとか原因があるのかもしれない。いやな気分のときには、懸念点を繰り返し点検しているので、大事な仕事をしている時期にはむしろ必要なのかもしれない。鬱まではゆかないが、嫌な気分がずっと続くと「こんなに頑張っているのにこの気分はなんだ」と腹が立ってくる。やばいほど攻撃性が増していることがある。そんな時に他人ともめたら身の破滅だろうという懸念はある。まあそんな感じに嫌な日々は続く。世間では、十分な収入もあって仕事がうまくって毎日ちゃんとしたご飯を食べている人は幸せルンルンな気分で生きているのだろうと思っているかもしれないが、年明けからだいたいくそみたいな気分である。やりたいことはないし、楽しみな予定もないし、欲しいものもない、食べたいものもない。しゃーなしに本を読んでいる。小遣いの大半はかみさんに貢ぐ。なんか楽しいことねーかなあ。

 かみさん大喜びの休日だったので、作戦は成功したのだが、気分だけは悪いなあ。明日から溜まっている仕事に取り組む。憂鬱だ。

 

 

 

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