蘭馬鹿日誌2013年および更新記録

ランのよしなしごとをつづる。下に行くほど昔 

連続有蘭花日数 4277日(2013/5/122013年5-9月 20131-4 20128-124-720123-201112-1110-520114-201012201011-1020109-720106-420103-1200912-109-76-420093-1200812-1110-98-76-54-320082-1200712-1110-98-76-542 32月後半2月前半20071200612-111098765432200612002 12 11 10 9 8 7 6 200512-111098-76543220051200412-1110987654322004120031211109876543220031200212111098-320022-12001年以前   日誌迷作選

 

Top 日誌 蘭のリスト 蘭扉頁 画像掲示板 球根園芸館 画像登録 

 

 

2013年9月29日(日)

  寒さに弱い蘭があって、毎年葉がなくなってやきもきするのであるが、ちょっと暖かそうな気候の場所に持っていった。

 

 テレビで報道されていた「ヘイトスピーチ」なるものにぎょっとした。「○○ぶっこ×せー、出てゆけー」とスピーカーで叫んでいた。近隣の国から日本に来てくださっている方々は、日本に永住している人もいるわけで、そういう人たちの基本的人権を脅かす行為だから、そんなのに表現の自由を認めていいのだろうか、と思った。日本にいるその個人と、近隣の国の動きを一緒にしたらいかんでしょう。例えば、自分が中国や韓国に行ってお仕事をしているときに、「てめえ日本人気にいらねえ」といわれたら気分悪いですよね。でも、緊密な仕事の関係が近隣諸国とは存在しているわけですよ。たくさん部品を買ってもらっているから、かなりお得意さんといってもいいくらいに。そういうものを損ないかねないなんともいえず気まずい報道だった。

 木村正昭監修「大地震が来る!」(学研ジュニアブックス1990)によると、関東大震災の際、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」というデマが流れて6000人もの罪もない朝鮮人の方が虐殺された、とある。そういうことしといてまだ「ぶっ○ろせ」とかいうの。ひどーい。なにかことが起こったらまた同胞が外国の人になにかするんじゃないかと心配になる。

 こういう荒れた国際関係の根は格差だと考えている。一昨日の報道で正規雇用と非正規雇用の年収の差が300万円とか報道されていた。非正規雇用は3人に一人にまで増えた。格差が大きくなると社会は荒れる。長時間働いても楽にならない。期限が来れば契約だからときられてしまう。はなからきりしろの点線までくっきり見えるような雇用契約である。次を探すのもまた重労働という世の中だ。そこに怒りの対象があればはけ口にしたくなるのは人情だろう。怒りなどの負の感情はたやすく脳みそを支配してしまう。親が荒れる→子供があれる→いじめ、という表出の仕方もあろうし、本人が荒れてさまざまな犯罪として現れることもあるだろう。だから格差の解消というのは大変重要なことだと思う。格差というのは、近年世界中で拡大傾向にある。日本はまだましなんだけどそれでもかなりコワイものだということがよくわかった。

 一方で心配なのはそういうヤケの表現をネットにすると、それはその人の記録としてついて回るということである。どういうことかというと、近年やるかたない憤懣をネットに吐露してとっちめられる高級官僚っていますよね。ネットって「まあみんな言ってるし」「おれがこういうこと言ってもわからんだろうし」「やーい、言ってやった、やってやった、どうだ俺ってすげー」というのが実のところ、長期間、追跡可能な状態で残るんでしょう。高級官僚だからニュースバリューがあって追跡されたといのがあるけど、個々人だって追跡できるでしょ。それを利用している商売ってたぶんあると思うよ。例えば、会社が人を雇うときとか、娘の彼氏がプロポーズしてきたときとか、その人の人となりが1件5000円くらいでわかったら利用したくなるかもしれませんよね。彼氏の名前とか、バンドルネームとか、メアドとか「うん、お父さんも彼に興味があるんだよ」とかなんとか言って聞き出して、そういう探偵サイトみたいなものに入力する。どういう技術かわかりませんけど、その道のプロってすごいものですよね。その上、スマホでその手の情報垂れ流していればその捕捉は容易になることでしょう。その結果上がってきたリポートに「ぶっ○ろせー」「××まじ△ね」とかいう表現やら、食べ物を粗末にしているような画像があったりすると引きません?。それゆえ過激な表現やノリの挙句の行為はおよしになっていただきたいものです。そんなもんそもそも表現とすら思えない。まあ、好意的に見ればご本人の苦境を如実に語るSOSなのかなあ。そんなはけ口のつぶやきでありつけそうだった職に袖にされたり、彼女に逃げられたらたまらんでしょう。

 

2013年9月28日(土)

  C. Miyuki ‘Abe’(2011年9月24日)が開花した。今年は花5つ。

 裏の棚は台風で遮光ネットが剥ぎ取られ、支柱が倒れ、散々な状態になっていた。昼に行って見ると日が当たっていなかったので、今年度の運用を終了し、ランを家の南側に移動した。

 C.ラビアタのつぼみがシースの中に3つ見えた。

 

 最近寄せ集め画像のテレビ番組が多いと思う。「衝撃映像」とやらを録画してみてみてたまげた。やたら痛そうな映像が多いのである。それにもまして人が殴りあうシーンが多くて、問題だと思った。若い頃そういうシーンを見るとコーフンしていた。たいていはやっつける側に我が身をおいて想像するだろう。血湧き肉踊るシーンというふうにみえる。多くの若い人はパンチをもらったり、人を殴ったことはないであろう。なかなかブライトさんみたいな人に殴ってもらえるチャンスはない。やればわかるが、当事者は「しもた、なしてこんなハメに」と思いながら実に情けない気分でああいう殴り合いをやっているのである。殴られたらもちろん痛い。数日痛い。殴るにしても手も妙な具合になってまことによろしくない。人間の体は結構壊れやすくあとあと痛むもろいものだというのがわかるのは結構あとになってからだろう。そういうことを思うに、昔はこの手の番組はもっと上品であったように思う。老人を殴ろうとする若者とか、飲食店で壮絶に殴りあう女性とか、審判をもろぶん殴るプレーヤーなど、もはや恐怖映像にしか見えない。まっとうな神経をしていれば嫌悪を催す映像を、体験が伴わずに面白がってみている人が多いからと流すテレビ局はどこかの鉄道会社みたいにレールや倫理が緩んでいて、ちょっと経営がやばいんじゃね?って思った。

 ありがたいことに、日常生活での暴力シーンは極めてまれである。

 おじさんたちはテレビに影響されないと思うが、気分よく啖呵を切るドラマがはやったそうである。そういうのに影響されていっちょやってみよう、とおもっているおじさんがいたら止めてあげたい。職場で、「だからあいつは馬鹿だ!」と吐き捨てるように言うおっちゃんもいる。そのあいつというのは上司だったりするのだが、いやあんたもつらいだろうけど、上司もいろいろあってつらいんじゃね、と私は双方をみていて思う。

 野村美月著「“文学少女”見習いの、卒業。」を読んだ(おいおい、おっさんなんてものを読んでいるのだ)。この作品は長大なシリーズとなっていて、毎回作品中で扱う事件が、よく知られた文学作品にからんで展開する。今回扱っていたのは夏目漱石の「こころ」。人間それぞれのココロにしたがってさまざまな衝突や悲しい出来事が避け難く起きるのだなあ、と感じ入った(先生も将来の奥さんを取られそうで焦ったかしらんけど、もうちょっとよくKと話し合って、よく説得してから行動するべきだったんじゃないの、Kにしてももそっとお嬢さんの気持ちを確認するとか攻め方があったんじゃないか、とか思ったけど、もう一度読んでみないとその辺に深い事情がわからない)。

ある上司はまじめで温厚だったが、職場の方針に則って、しかたなく部下に恨まれる処置をして、10年うらまれ続けていた。恨むとか、怒るとか、そういうのってなんというか進化の過程でふるーい昔(爬虫類だったころとか)に出来た脳みその部分が司っているって聞いたことがあるぞ。恨んでいる方も温厚な人だけど、かの出来事を思い出すと怒りにとらわれ、もう人が変わったみたいになってしまうのである。怒りや恨みって癖になるのだろうか。「則天去私」って漱石も書いてましたけど、エゴを去って天の理に則るっていうんですかねえ。自分の「むきゃー」という気持ちに振り回されちゃうと、どうもね、うまくまわらんと思うのですよ。

あんまりそういう「やっちゃれー」という部分を元気にするテレビ番組って見たくねー。やっぱ秋は読書、って思った。(うわ、夏目漱石って「こころ」「坊ちゃん」「三四郎」しか読んでない。情けない読書記録だ)

 

2013年9月27日(金)

  Den.クイーンサウスイースト(2008年11月28日)が開花した。我が家最古の蘭で、2000年から毎年コンスタントに咲いてくれている。しかしなぜかちっとも大きくならず、増えもしない。なんともつつましいデンファレであった。

 

2013年9月22日(日)

  C. Miyuki ‘Abe’(2011年9月24日)につぼみが上がってきた。今年は数が少ないようである。オンシジウムに花茎を見つけた。

 

 精神衛生と健康のために休日出かけて歩くことにした。息子を供に連れて大阪市内を歩く。懸案の適塾へ行ってきた。有名な幕末の医師緒方洪庵の塾で、橋本佐内、福沢諭吉、大鳥圭介、村田蔵六らが出た。幕末小説主役級の豪華キャストである。古風な昔の屋敷と庭を巡りながら、ここをそういう偉人やら、司馬遼太郎がここを歩いたのか、と思うとちょっと感激する。まあ息子にはよくわからないだろうけど、そのうち司馬遼太郎でも読めば、「ああ、おやじと適塾に行ったなあ」ということを思い出すのであろう。

 梅田から、日本橋までいつものように歩く。本当にワンパターンな遠足である。年に2回は同じ道を歩んでいるような気がする。やっぱり見に行く中古のHDD、本日は2TB5480円(新品は7480円だった)と安く感じたので前回(2TB5980円)に引き続き1つ買った。これまで購入したSATA形式のHDD8個(0.5,1,1,1,0.5,0.25,2,2TB、合計8.25TB、うち新品は1個だけ)は1個もつぶれていないのでまあ悪い買い物にはならないだろう。ほんとストレージ好きだなあ。不要不急の買い物ではあるが、ストレージをたくさん持っていると落ち着く。やっぱり買ってしまうラノベ10円コーナーで31冊310円。ざっと3kgあった。このクソ重たい本が1ヶ月の読書量よりも少ないのか、とあきれる。そんでもって息子のお気に入りの金龍ラーメン600円ライスキムチ食べ放題を食べて帰る。結構散財したけれど、最近お金を使わなくなったのであまり苦にならない。HDDはいつものように簡単に認識されたのはよかったが、クイックフォーマットにすれば早かったろうに、なぜか普通にフォーマットしてしまって4時間くらいかかってしまった。その間本日購入した本の一冊を読み終わった。さすがに10円の本というのは、内容がなんとなく残念な作品かなあ、と思いつつ、ラノベ読みはテキストを頭が高速で処理する感じがいいのだ、などと思いつつ読んだ。10円といいつつ、定価は619円+税で、2010年に出たのでまだきらきらと新しく、帯つきで金色の「金賞」の文字がけばい。こんなに新しくてキレイなのになぜ10円になったのだろうか。店の売れ残りかなあ。やっぱり中身がアレだったのだろうか・・・。いやいや、中にはきっといい作品もあるよ。

 

 半沢直樹とかいう金融関係のドラマがはやっているという。実は見たことがない。見れば面白いのだろう。「倍返しだ」というから、金利が高くて預けたお金が2倍になるのかなあ、そりゃまた結構な銀行で、などとおもっていた。昔金利が5%だった時代がある。100万円預けてほぼ「倍返し」の198万円まで14年かかるなあ、とあほな計算をしていた。金利5%の当時からすると途方もない年月だったけれど、今となっては過ぎ去ってしまった過去だ。あのときああしておけばよかった、などと考えることはない。話題のドラマの最終回よりは裏番組の「神の数式」に惹かれてそちらを録画した。素粒子の振る舞いを統一的に記述した式の話を昨夜からやっていた。物理学ってすごいことを考えていたのだなあ、と感嘆した。

 

2013年9月16日(月)

 夜中台風の雨と風がすごい。書斎の窓ガラスが風圧で割れたらえらいことになるだろうなあ、とおびえていた。ずーっとすごい量の雨が降っている。近所の川があふれないか心配になってきた。畑や蘭は大丈夫だろうか。家は震度2ぐらいでちょくちょく揺れるし、緊急車両のサイレンは聞こえるし、風の音はすごいしであまりよく寝られなかった。蘭をとりこんでいなかったことが悔やまれた。正直大変びびった。

 

 翌朝、いくつかの鉢はおっこちていたものの、大半の蘭は棚にそのまま乗っていて、被害らしい被害もなく、ほっとした。

 

 今回の台風にはけっこうびびらされた。夜も眠れないくらいであった。幸い被害らしいものは我が家ではなかったけれど、かつてこれほど台風で悩まされたことはなかっただろう。

 今年の猛暑やらやたらと頻度が増えた竜巻(ほぼ毎週)や「これまでに経験したことがないような」(でも毎月)それでいて頻繁に聞くようになった豪雨災害などなど。実際に電車が止まって帰宅困難になったりするし、いろいろと影響が出てくる。これってやっぱりCO2の出しすぎなんですかねえ。なにしろ原発ほとんど止めて天然ガスでCO2だしまくってきたわけで、そういうことを今後も続けてゆくとまたいろいろと自然災害に悩まされることになるのではと思わないではない。オリンピックの最中に「また竜巻警報か」「競技場の屋根が飛ぶような巨大台風」「都内42℃を記録」とかってやでしょ。個人的には、将来原発をやめるにしても、めったにない大地震でぶっこわれる原発事故はそうそうおこらないと思えるので、いまあるものはしっかり利用するべきだと思う。そうして利用して得られた利潤で使用済み核燃料をしっかり処理しないと、現状では運転しない場合のほうがリスクが高いのである。だって、運転して儲けをださなければ危ない燃料を処理しようとするインセンティブが働かないからである。「カネはださねえ、おまえらがわるいからやれ」って言ってコトが進むと思う?。表面上は「申し訳ございません」と言いつつ、絶対肝心なことは何一つ進まなくなると思うよ。東電をたたくばっかりじゃだめで、儲けさせれば(東電保有の原発の運転を認めるとか)、問題収束の動きがよくなると思うけど。政治家は当然そうかんがえるよね。

一面、原発反対派もしっかりしてくれよ、と思う。代替エネルギーの研究開発ってのを20年来見てきているけれど、風力、太陽、地熱などさっぱり延びてこない。「原発やめろー」ばっか言ってねえで「代替エネルギーに本気で取り組めー」と言ってみてはどうかと思う。本気ってのは、誰でも受験できるんだから公務員試験うけて役所に入るとか、エネルギー関連の研究をしている大学に入って「俺は代替エネルギーを推進するのだ」みたいな青雲の志に燃えて欲しい。まあ多分そういう人はいるだろう。でも代替エネルギーっていってもエネルギーって儲かるからやるので、儲からなければやらない。役所にいっても大学にいってもその現実はそのまんまである。まあそういう現実と戦って欲しい。

それより逃れようのない原発の敗戦処理を誰がやんねん。死のうんこ掃除だ。そういう方面を目指しているのだが果たしてたどりつけるのだろうか。

 

2013年9月15日(日)

 台風の接近に土曜日に気がついた。例年、蘭が飛びそうな場合は取り込んでいた。今回処置が遅れて、台風も弱そうだし、ありていに言ってサボっている。

 

 仕事の山場を越えてほうけていた。なんとか切り抜けてうまいことやってしのぎきった。見事だったかもしれない。でも手をかけすぎてこれからがまた一段とピンチだ。

 アホが年間400冊を読もうと積読の山をみながら残り日数107日だったかで107冊プラス40冊をなんとか読む算段をしているのであった。1冊10円から105円で集めたラノベ30冊のタワーが新宿副都心みたいに立ち並んでいる様をうっとり眺める。出来るだけ薄くて読みやすいもの、などと思ってしまう。こんなにもリソースが足りないときに何をやっているのか、と思う反面、これが読まずにやってられるか、という気分もある。270p未満の比較的薄い本を集めてみたところ40冊あった。図書館から借り出した107冊にこの40冊を読みきればミッション成功である。こういう具体的な目標が目に見えて明確に存在するとなんとなく達成できそうな気がしてくる。午後からそういうスイッチが入ってしまったかのように読んで途中放り出していたような本を読み始めた。安価に買った本は締め切りのある図書館の本を優先してしまうため、読みきる前に放り出してしまっていることがよくあった。そういう不良債権みたいなものの整理に乗り出したのであった。

 

 毎晩アマガエルが二匹書斎の窓に張り付いて虫を食っている。夜な夜な野生動物のセキララかつワイルドな活動を見せられる。別の窓にも大小二匹でへばりついていることがある。先輩と後輩なのだろうか。大口をあけて虫に飛び掛る様は大変すばやく、結構おっかなくて猛獣のようですらある。普段は乾燥した2階の窓付近にいるわけで、水などはどうしているのだろうか。夜露を皮膚から吸収するのであろうか。アマガエルは結構うんこをする生き物で、蘭の葉の上によくカエルのうんこを見出すことがある。これはこれで蘭のよい窒素リン肥料なのかなあ、とおもう。バンダなどにはカエルのうんこは重要な収入源なんじゃないだろうか。アマガエルは飼っていた人の記録で犬並に12年も生きていたというから、なかなかすごい生き物だとおもう。台風のため雨が窓にたたきつけられるので、アマガエルは避難しているのであろう。

 

 ふと思い立って勉強の極意について記す。たいていのテストでは8割を取れれば合格する。9割ねらって8割を取る。その方法は、当該科目の問題集をやること。間違った部分、自分の解答と問題集の解答をよく比べ、問題集の解答を理解した上で、間違った問題にチェックを書き入れて(斜線を赤でいれて、次回解けたら鉛筆で○をいれる、解けなければ斜線が1本増える)、後日時間を置いて再度出来るまでその問題をやること、である。丁寧にノートにやらなくても、広告の裏紙に書きなぐってもよい。とにかく間違ったら合うまで時間をおいて繰り返す。間違えたところこそが習得すべき解答技能と知識を含んでいるのである。その問題で○を得ることが学習の利益となる。だから全部丸が取れるようなやさしい問題集をやる必要なんかない。暗記科目を間違えたのなら当該内容を何回も書きなぐって覚え次回に備える。なお、問題集は学校から与えられるものとべつに1冊以上を用意する。チャート式でもなんでもいい。ソルブ、チェック、アンドリベンジ、この繰り返しをする。大変簡単明快な戦略である。

 子供らを見ていると、誰もこの方法をやらなかった。私が知らない何らかの困難が存在するものらしい。想像なのだけれど、問題に向かう、ということがかなりつらいのかもしれない。中二のころから、塾に行くでもなく自分で編み出した伝統の技ではあるけれど、確かに難しい問題集には歯が立たない問題があって、心理的な壁を感じていた。降参して解答を読む際はくやしい気持ちが理解を妨げて投げ出したくなった。そういう問題集でも点滴石を穿つがごとく、問題を削り取るようにやってくればそらまあ成績はあがる。結局、勉強とは孤独で辛抱が必要であることは論を待たない。また、例題を軽んじたりせず、よく検討した上で問題に向かえば、少々のひねりに躓かずに進むことが出来るので、むやみと先を急がないほうが良い。

 問題集の○つけによる征服は、例えば大学入試という有限の世界の征服と同じで、ある種国獲り物語である。「信長の野望」ではないが、壮大な3年がかりのゲーム、とみえないこともない。問題集を仕上げるほどに所領が広がって行く感覚がある。そういう遊び心で、苦手な古典やら国語、英語、物理をつぎつぎと攻略していった記憶がある。毎日が侵攻、征服、支配の日々であった。だんだん学力が強くなるのでさらに面白くなるのである。問題集の進捗は、指がめくる部分を見る。手垢をみればどれだけやりこんでいるかわかる。勉強している部分はくっきりと黒くなる。その黒い筋を見ればセンターで何点取れる勉強をしているか私には言い当てることが出来るようにすら思える。

方法は単純であるが、もちろん手間隙はかかる。勉強に王道=楽な道、はない。中学、高校時代それなりの成績を得るためには、己を律してテレビを見ない4時間を作り出す必要があった。今日では携帯を開かない4時間とも言える。それゆえ、ハードルが高いことは間違いない。そういうことが出来るようになるためには、それなりに自分の中に動機付けが出来てなければならない。そういうその人のやる気のエンジンに火がともるかどうかは、その人の人生の大問題なのじゃないだろうか。そのあたりが難しいのだろうなあ、と思う。

上述の方法によれば、ほぼ確実に成績は上がる。理科や社会のような範囲の決まった局地戦で試してみればよくわかる。そして費用は、学校の問題集と、古本屋で買ってきた105円の問題集であることを考えれば大変安く上がる。高校二年生の今からの国公立へのスパートにも対応可能だ。公務員試験、各種資格試験にも多大な効果があった。塾に行かなければ勉強が出来ないということはないとおもうけどねえ。

ただ、どうしても問題集にまるぺけを書き込めないという人がいた。方法と自分を信じていないのであった。あと、この方式はノートに丁寧に作って勉強する人にはノートの形式が乱れて面白くない方法かもしれない。そもそもノートを使わない方法だった。記録は問題集の問題番号に斜線や○でのこるだけで、書きなぐった紙の山が出来るだけだった。勉強は、予習、復習、ノート作り、課題提出など、一見複雑なことをしているように見えるので、まさかそんな単純な方法で成績が上がるとは誰も思っていないのではないだろうか。私の高校時代にはいまほど課題がでていなかったので、好きなだけ自分の単純な勉強が出来たという事情はある。課題提出用には、書きなぐった紙(コピー用紙A4を裏表で使うとよいだろう)をクリアホルダーにでもとっておけばいいと思う。学校より進みが速かったので、先の先までやってある紙を束ねて出せば先生も納得してくれるだろう。入試というのは、結局受験者と問題、という関係なので、問題集と勉強する人、という単純な関係と同じことである。学校が不用であるということではない。学校は自分の到達度を測る上でありがたいし、課題やテストや日々の授業は日常のリズムを作り出してくれていたし、社会的な集団への参加は精神の健康のためにも必要である。そうでなければ浪人が有利ということになるが、実際はそんなことはない。

勉強ばっかりの学生生活はいやだ、という意見もあるだろう。私の楽しかった学生生活を思い出しつつ、いまのえらくつらそうな学生生活の話を聞くに、勉強でもして打開を図ってはどうか、といいたい。人のことを気にしすぎて疲れている今時の学生に、自分が楽しけりゃええじゃん、といってやった。自分が勝手に勝ったとおもってりゃいいのだ。負けたと勝手に思い込んでいるやつらが多いのだから勝つのは容易だ。人から負けをメールで分けてもらってどうするのだ。

古代ローマは敵を味方に引き込んで大きくなった。それゆえ、勉強の極意は、勉強を味方につける、ということだろう。

 

2013年9月12日(木)

 デンファレ2株は変わりなく咲いている。当分デンファレ頼みの日々だ。

 

 4月20日以来毎日一冊読む、というあほな習慣にとらわれて3冊くらいの本を常に携行しているのであった。もうとぎれてもいいや、とは思う。ちょっと仕事の量がものすごいので、正直途切れてくれたほうが楽だ。この1年で400冊読めたらいいなあ、なんてことを思っていた時期もあったが達成はまず無理だろう。なんでも読めばいいというものじゃない。まあ脳みそは多量のテキストを処理しているのでぼけ防止にはなるかもしれない。

石平著、「「歪んだ経済」で読み解く中国の謎 習近平と中国は何を狙っている?」(ワニブックス、2013)を読んだ。最近マスコミでも中国のことはあまり取り上げなくなったのでどうなっているのか気になったのである。年間の暴動件数が10万件から18万件になっているとか、不動産在庫がGDPの5分の一にもなる64兆円になったとか、統計を取り始めて以来はじめて中国は領空侵犯をしたとか、アブねー話のオンパレードだった。だが、正直思うに、「そんなのかんけいなーい、俺には関係ない。中国製品で欲しいものはない。あっちで行きたいところもない。中華のアニメもなければ、映画も漫画も小説もない。攻めてくりゃ、自分に出来ることをするけれど、仕事のじゃまをするな」というところである。唯一関心があるのは、石川達三著「生きている兵隊」を読んでみたいということぐらいだ。中華の歴史歪曲もひどいんだろうけど、日本人のなんか俺はやってないみたいな最近の論調もどうかなあ思うのだ。ほんとのところどうよ?ってある程度の情報は知った上でバランスを取る。頭に血がのぼった状態でがーっといっちゃったらすげーバカ見たのが日本人だ。フランクル著「夜と霧」も借りてきたのでぼちぼち読もう。あのお気の毒な隣国については、「はやくまっとうな選挙をすべし。自分らでかたをつけろ」、と思う。

上述の本では、「中国は外交戦で阿部外交の後塵を拝した」「アベノミクスで中国依存から脱却した」などなど、中国の状況は悪く、日本の状況は好転しつつあるようなことが書いてある。正直「ニッポンええやん!」と喜んだりするのであるが、そこで奢っちゃうとあとがコワイと思った。

確かにまあ、中国にはソニーもトヨタもパナソニックも東芝も日立も小松も、ほかキラ星のごとくある独自のブランドと優れた独自の製品を開発して世界に名の通った日本企業みたいなものが中国にはさっぱり思いつかない。中国のこの企業がすごい、この会社がなくなったらこまる、ここのこの製品、というものをどうしても思いつかない。ファミコン、Wii、PS3、DS、PSPなどは日本発祥だけど、そんな強力なものを中国が生み出した例をしらない。トランジスタラジオを小型化したとか、ウオークマンで世界を驚かせたとか、ビデオデッキを市販したとか、液晶テレビを大型化したとか、超長い海底トンネルを掘ったとか、世界最大のつり橋をつくったとか、ハイブリッド自動車を普及させたとか、ニッケル水素電池を普及させたとか、リチウムイオン二次電池を普及させたとか、DVDにつづきブルーレイディスクを普及させたとか、なんか中国発の世界的技術ってなによ?なんかあんの。

ええと、紙、火薬、羅針盤、かな・・・・?(どんだけ過去の栄光やねん!!!)

家電に役立つトロンみたいなソフトあんの?。ハイテク工作機器ってほとんど日本製だし、中国の論文で見かける分析機器ってやっぱり日本製が多い。

中国だのみ、と言われていたが、円安になって、あっちの人件費もあがったのだから、あっちが製品を作って儲けるためには日本の部品頼み、ということもあるので、日本は中国がなくても困らないのではないか、という雰囲気は感じ取れる。だからこういっちゃわるいけど、中国はとっても影が薄くなった。ここ20年の中国は、なんだか壮大なマジックショーでもやらかしていたようで、本質を言えば「詐術」である。稼いだ金の37%しか消費に回らない(日本は60%)そんな国民生活をないがしろにした経済は搾取と呼んでも良い。その上軍備拡張だなんでまあ、そんなのはいいから国民生活を豊かにすることに主眼を置けばよかったんじゃない。指導者のお名前にもあるように、所得倍増計画あたりからったらいかがですかねえ。孔子さんもおっしゃるように、学びて時にこれをう、またたのしからずや、って。

そういう中国の環境破壊、役人腐敗、人民搾取、周辺国への軍事的恫喝、国家的不正経理等の詐術に世界が気がつけば、コモディティの安売り競争におつきあいして持ち前のすばらしい開発力を曇らせていた日本はかの国に流れていた仕事を取り返し、すばらしい製品を開発して世界の将来の生活を楽しくしてくれるのではないかと期待し、それに日本人として参加したいと思うのであった。東京オリンピックIIまでニッポンの黄金時代が到来しそうな予感だ。必然的な流れとしてチャイナフリーが加速しているのであった。

 

2013年9月8日(日)Milt.spectabilis var moreliana開花

 今週はMilt. spectabilis var morelianaが開花した。3年ぶりぐらいだろうか。酷暑の中直射日光をあてて小さな株が黄色くなるくらい苛め抜いたら咲いてくれた。

 

 日々いろいろある。かなりきつい。しかしまあまだ読んだことがないのだけれどフランクル著「夜と霧」ほどのことはない。ナチスの収容所に比べれば私の生活は天国みたいなものだろう。

 昨日用事があって東京にいっていた。まあ大変立派な都である。上野で降りて行ったことがなかった国立博物館をみてから神田の皇居近くまで歩いた。御徒町に天然石の店があり、そこで買った蛍石の八面体の結晶105円がよかった。こんなええ感じの物が105円でええのだろうか。まあ特段使い道はないのである。これを4個買ったのがその日の唯一の自分のお買い物であった。秋葉原は用もないので素通りだった。

東京は安全で便利だし、テロもなければ人種差別もなく、反政府デモもなく、仕事はけっこうあって、世界で一番ミシュランの星の数が多いとけっこうづくめの街だ。そりゃまあオリンピックを開催できるだけの力量と、格がある。案外7年後も平和に幸せに多くの人が過ごしているのではないだろうか、と思う。でもまあ関東大震災から結構長い時間地震のエネルギーが蓄えられてきているのがなんかおっかないなあと思う。

 日曜は土曜日の歩きすぎがたたってぐだーっと過ごした。

 

2013年9月3日(火)

 デンファレ2株咲いているものを愛でる。別の花茎があがっているので、さらに長期間さいてくれるようだ。デンファレさまさまだなあ、と思う。花の形がまったくちがう2株だが、もとは1株だった。何でそういうことが起こるのかというくらいちがう。なにか私の勘違いではないのかとさえ思った。

 

 胃を気にし始めるとなんというか居心地が悪い。胃のことを考えすぎると胃に悪いような気がする。胃の事でくよくよするのはこれまた胃に悪い。出来うることならばあまり考えないようにして、暴飲暴食は控え、コーヒーをしばらくやめる。そこへ月曜日から仕事と激突した。何事かというくらい、自分でも「えっ!?」っと思うくらい、がちょーんっとぶつかっていった。

 

2013年8月31日(土)

 台風の接近で午後から雨が降った。蘭の活動は室内で花を愛でているデンファレにみずをやったくらい。

 

 仕事きつーい。先週山を越えたはずがたまっていた仕事にケツを蹴られ続けた一週間だった。うへえ。ずっと遠くの予定まで重畳する仕事の山が見える。うへえ。もうわが身がかわいそうとか考えている暇も惜しい。自分のこととか、世間のこととか、あれこれぐだぐだ考えるのはやめて、仕事にだけ集中しよう。今週は、ずーっと止まっていた日々のお勉強が復活した。涼しくなったからだろうか。ごく自発的に自然と始まり、違和感なく日常に定着している。なんか勉強していると落ち着く。別段読書で止まっていたわけではないのかもしれない。わが身かわいやなどと考えていると雑念が増えるから、そういう煩悩が減ると妙な余裕が出来るのであろうか。

 

 子供に「胃の調子でも悪いのか?息がにおうぞ」といわれた。自覚症状はないが胃に来ているのかもしれない。そういえば食欲もあまりない。おとなしく食べている。食べたいものもない。このところの忍耐生活に加えて、今後2ヶ月に山場7つ、チャレンジングな仕事もあって脳みそは闘志満々でも体は過負荷なのかもしれない。

 

2013年8月25日(日)

 雨はかなり降った。昨日同様涼しい。蘭の活動はなし。

 

 昨日早朝6時に地域の奉仕活動があったのを失念していた。一昨日根を詰めまくった仕事から11時半に家に帰ってきてその6時間半後に川の土手の草刈があったのであった。雨の中2時間の予定で。覚えていたら出ていたであろう。残念なことをした。草刈機または鎌を持参のこと、とあるので、我が家に草刈機がないことから鎌というとっても非力な戦力で参戦する予定だったのである。大して役に立たないとは思うが、30-60代のおっさんの塩からそうな近所づきあいは大事だ。惜しい機会を逸した。こういう失敗ですらくよくよしてしまう。

 特にすることもないので、仕事に出る。今年は年明けから絶え間なく仕事をげしげしやっつけてきた。このたびも本丸を攻め落としたあとで、細かい失敗がいろいろ積みあがっており、30時間ほどくよくよ考えて、辛抱たまらずいろいろな手を打った。本日は仕事からの帰り道、駅で電車に乗り遅れ、後続の電車が大雨の影響で大幅に遅れていた。駅で1時間ほど待たされ、ぶらぶらして過ごした。電車がつくとバスは出たあとで、40分待たされた。くよくよにむかむかが重なって実に散々な日曜日だった。ほんと毎日気分が悪いねえ。ラン日誌が愚痴日誌になっちゃってるよ。

 

 黒豆はものすごく大きくなった。見た目はたいそう立派だが、これで実がつかなければ手間だけが莫大である。このリスキーな農業が目下の楽しみとは。本当にいやなことばかりよく考えるなあ。

 

 先週NHKスペシャルで富裕層に関するルポをやっていた。タイトルをつけるとしたら「富裕層はつらいよ」だろうか。不幸にして株で金持ちになってしまったら、あなたどうしますか。いや、負け惜しみですよ、もちろん。日ごろ私がお金の使い道がないのに悩んでいるんですけど、それってたぶんお金大好き過ぎて使えなくなっているということなんでしょうかねえ。本日子供にりんご飴かって帰ってやろうと屋台にちかよってみたら、当初予算1本300円に対して、400円と表示されていたので、きびすを返してしまった。けちー。

でもね、フェラーリってシエンタとどんだけ違うんでしょうね。なんで運転士付きじゃないの。「パーカー、やってちょうだい」ってのが金持ちじゃないの。番組では信号無視して派手にタクシーと激突して悲惨な最期をとげておられたのをまことにお気の毒としか申し上げようもございませんでした。あんな速度でああなるんだったらダイハツタントで安全運転しているほうがよっぽどましじゃん、と思わないではない。

んで、お金もってなにすんの?

素敵な豪邸。広くて明るいリビング。まあきれい。でも本が少ない…。書斎はトレーダールームとなっていて、そこで株の売り買いをする。かっこいいんだけど、なんか孤独な仕事場だ。同僚と子供の話で盛り上がるってわけには行かないね。お金持ちさん、その仕事場で「1億円の損失だ・・・、今日はやめ」とか言っている。

コインをトスして表がでたらお金がもらえる、というゲームをしたときに勝ち続ける人はある一定の確率存在する。儲かる人は、たまたま才能があって、時流に乗っていて、情報のそばにいて、とまあいろいろな幸運が重なった結果儲かるというものなのじゃないだろうか。もちろん本人は自分の努力だと言うし、それは正しい。けんど、コインはいつまでも表がでつづけるわけじゃない。お金持ちの多くはその後大きな下げ局面に巻き込まれて金を失うことだって往々にしてある。なんか、富裕層っていうのはそんなはかないうたかたのような存在に見えてしまう。もちろん、負け惜しみですよ。

お金持ちのおっさんでも、高校時代好きだったあの娘のことをビターに思い出したりすることってあるんじゃないですかね。たとえ1100兆円あったってどうすることも出来ないことはあるんじゃないですか。

 

ボクが1兆円もっているお金持ちだったら。まずやくざを雇う。飛び切り頭のいいやくざを紹介してもらってやとう。いわれなき医療裁判で収監されていた天才医者を保釈して、いろいろ汚い手を使ってそいつに言うことを聞かせる。「貴様、そんなことだれがやるか!」「ふふふ、じゃあ娘がどうなってもいいのか」とかいう定番のえげつない手をつかう。エージェントをつかってモーツアルトやショパンの直筆楽譜や書簡、遺品とされるものをオークションで手に入れさせる。モーツアルトやショパンの家系の遺伝情報のデータを盗み出させる。競り落とした遺品から髪の毛などを取り出し、DNAを解析して本人と思われるもののDNAを取り出す。DNAを元にクローン胚をつくり、代理出産母にクローンを産ませる。シャブづけで死にそうだった音大卒の女に生まれた子供を育てさせる。不遇の天才音楽教師をやとって2歳から徹底して音楽教育を施す。モーツアルトとショパンのクローンっ子を互いに刺激させあいながらすごい曲を作らせる。やっていることは悪魔の所業でも、残った作品はのちに神の御技とか言われて多くの愛好家に感謝されたりして。こういうことはきっと誰か考えている。

なんかこっからは映画みたいな映像が頭を流れる。二人がそれぞれ作曲する曲は、元祖におよばないということにやがて二人は気がつく。クローンの悲しさなのか、はたまた時代の差なのか。いろいろとお互いを傷つけあう二人。そういう二人の間に美しい女性音楽教師かなんか介在させるのが映画のセオリーだわな。このねえちゃんが二人に、元祖を超えるあるヒントを授けた。ねえちゃんへの恋心もあって二人はしぶしぶ協力するようになる。鬼の天才音楽教師にもいい味をだしてもらう。運悪く、クーロンであったことから種々の疾患に見舞われ余命いくばくもないことが判明。命を削って二人は懸命に曲作りに励み、ついに元祖を超える名作を作り出し、ねえちゃんに看取られながらこの世を去る。ううう、なんかあらすじだけでめっちゃ泣ける。ハリウッドが買いに来そうな話やんけ。やっぱり勝手にクーロンなんかつくっちゃいけませんよね。

 

2013年8月24日(土)

 昨夜から久しぶりに雨が降った。水遣りをサボる。やれやれ助かった。

 連日の猛暑でスタンホペアが不調になり、100円で購入したマスデバリアはほぼ枯れている。マスデバリア栽培で33℃はないわー。かわいそうなことをした。

 

 連日35℃の猛暑日が17日間続いた勤務地で、乗り越えられるかどうかの不安に駆られながら長期間原稿作成の仕事をやっていたが、久しぶりに降った昨夜の雨とともにめでたく終戦を迎えた。今回は過去最大級のしんどさだった。この間休みの間否応なくリソースをつぎ込んできたセシウムやストロンチウム入りの論文はアクセプトされ、めでたくネット上に掲載された。本来喜んでお祝いにうまいものでも家族で食べに行くはずのところだったのだが、重畳するほかの案件の重圧でそれどころではなかった。仕事が一段落したとはいえ、先に見えているあれやこれやの案件にすでに強烈なプレッシャーを感じる。やれやれしんどいねえ。

 こういうアンダープレッシャーな日々では、ひょっとして心が折れるのでは、などという心配も加わる。中島聡著「「新型うつ病」のデタラメ」を読んでみた。新型うつ病というのは、「診断書もらって会社を長期間休み、それでも遊ぶことはしっかりとやれる」という点で変によく知られている。この新型うつ病を、悪用している人がいると著者は述べている。その点が世間で苦労しながら日々を乗り越えている働く人たちの心象を悪くしているらしい。良くわかっていないのだけれど、新型うつ病は、単なるヘタレではなくて病気と認められて診断書もでる。中には悪用して楽してお金をもらっているずるい人もいるらしいけれど、遊べるとはいえかかっている人にはかなりの苦しみがあるのだろうと思う。本の著者は「甘えるんじゃない、しっかりしろ」という論調で書かれている。そうもおもうけれど、同情すべき点も多々あると私は思う。それに、ずるい人にしてもそうでもしなければ生きてゆけないのかと思えば気の毒に思える。

 仕事でいろいろ下手こいた経験を思い起こすにいろいろとつらい思いをした。直近の仕事にすら乗り越えられるかどうか不安である。若いころはとくにヘタレだったので、うだうだ悩んでいるうちに時間がなくなって些細な仕事でも困難を感じていた。些細な躓きでへこたれていた。もし、しくじって怒られたら仕事を休んで引きこもりたくなったかもしれない。それゆえ、仕事をしくじって心が折れて家にこもちゃった人を私は気の毒だと思う。私もそうなってしまったかもしれない、と思う。案外自分はたまたま運がよかっただけで、ある環境におかれれば新型うつ病などを発症していたかもしれない。そうならなかったのはなぜだろうと考察した。発症には3つの要因があると考えた。

 1.人間関係の希薄化:若いころの職場を思うに、飲みに誘ってもらい、ソフトボールやバレーボールに誘ってもらい、仕事では教えてもらったり助けてもらった。多様な人間関係のリンクが存在していた。そういうまるで職場のセーフティネットのような人間関係が、今日すごく希薄そうな人っている。やり方を相談したり、報告して軌道修正をしてもらったりということがないと仕事はとたんに難しくなる。聞けば簡単に安心できることも自分の頭だけでもんもんと考えていると不安になってくる。いざ感情の暴風雨が吹き荒れるような危機的状況に陥ったときに、落ち着つかせてくれる人がいないと、職場とのもやい綱がはずれやすくなる。現実には、上長と働き手だけの関係で、横の連携がない人が結構いたりする。このような人間関係の希薄化は、時々起こりうるうざい衝突のリスクを最小にするためにしらずしらず関係を希薄化してきた現代人の志向によるものと考えられる。その根っこは中学、高校、というところで、人間の「ぼっち化」が大きなリスクであると私は考えている。

 2.仕事はやはり増えた:仕事をしすぎると、頭の中が焦げ付いたような疲労感を覚える。いやなことをいろいろ考えていると消化も悪くなるし、だんだん楽しいことを考えることが困難になってくる。給料は増えずに、仕事とプレッシャーは増えた。人の能力は高い人もいれば低い人もいる。低い人ほど仕事がきつくなるとアップアップするわけで、仕事の要求レベルが上がった今日、おぼれちゃう人が出るのはあたりまえのような気がする。仕事が多いと仕事が雑になるうえ、人との対応も粗雑になり、摩擦が生じやすくなるのも問題だ。

 3.つまらない娯楽が増えて人間の心が弱くなった:スマホ(ケータイ)、ゲーム、ビデオをやり玉に挙げる。メールのやりとりで人間関係を慎重に時間をかけて、短い言葉でやり取りしていると、職場で質問を受けたり、説明したり、報告したりする能力が低下しませんか?。多分対面でのやり取りというのは情報の密度が濃いので、処理能力を鍛えておかないと、「言いたいことが伝わらない」「わかってくれない」「いっていることがわからない」というコミュニケーション能力の低下を来すんじゃないか。

最近「なんかつまんないなあ」と思うことが多いのだけれど、京都を6kmほど歩いてから思ったのは、どうも血の巡りが悪いと人生つまらなく感じるんじゃないか、ということだった。カントも毎日歩いていたというじゃないの。人間ある程度体を動かさないと「なにかいいことがありそう」という希望を感じる生き方ってしにくいんじゃないだろうか。そうすると生きる活力って下がる。元凶は、液晶画面ばかり見ている今日の娯楽のありようである。ゲームばっかりやっているとゲームでしか遊べない人間になってしまうんじゃね。ゲーム、スマホ、テレビは体と頭にわるいよ、たぶん。

 人間の脆弱化、仕事の増大、人間関係の希薄化、と並べてみればそらまあ仕事をするのはまことにしんどくもなろう。

「私がモテないのはどう考えてもおまえらが悪い」というオソロシイアニメが放送されている。主人公の女子高校生は、個室が与えられ、ゲーム機、パソコン、スマホ、テレビ、ビデオ、エアコン完備であり、なにげにやさしい弟、母、および父がいて、大変恵まれた環境におかれている。しかしながら、彼女は特段の志や人生の目標があるでなく、本業の学業に適切に専念しているようにはさっぱり見えず、希薄なコミュニケーションに悩み、「女子高生たるものもてなければならない」という妄念にとりつかれ、さまざまな失敗に見舞われている。それを笑う、というアニメとしての作りになっているものの、若い人の病理を見るものに突きつけているようで、私には「この状況をなんとかしようぜ」というメッセージを感じる。

若い人たちは、本来社会へ出て食べてゆくための能力をはぐくむために与えられた恵まれた環境を、スマホやゲームに破壊されていていいんでしょうか。志を持って、人や友から学んで、よい教育を受けられる、世界的にも恵まれた環境なのに、勉強時間は0、教師や親の言うことは聞かず、友達とはメールのやり取りを神経質にやって、一人の部屋でスマホやネットやゲーム三昧で過ごすちゅうのは自分の競争力をどぶにすてるようなものだ。学力を落とし、コミュニケーション能力を開発せぬまま、楽ではあるがさみしい一人の空間に引っ込みたがる若者を、仕事が多くてドライな関係の社会に飛び込ませているのが今日のありようだ。こういうのを社会的に大々的にやっているのである。

私個人としては、学生なら一日4時間くらい自主学習して、家の手伝いをして、なおかつ体を動かすような遊びをしてしかるべきだと思っている。まあうちの子供らはそんなことはせんかったけれど。

政府に言いたい。税収が減るぞ。

企業に言いたい。顧客が減るぞ。

親に言いたい。年老いてなお子供の面倒をみるのか、と。

なんというのか、国民が持つべき道徳規範みたいなものまで、グローバル経済に売り渡しちゃった、みたいな。なんで月額7000円もだして親は子供にスマホを与えてスポイルするのかねえ。ネットでがーっとカネをかき集める世界企業にとっては顧客がバカでしょーもないサービスでもほいほいカネを落としてくれたほうが儲かる。個々人が個々人の好む価値を追う多様な社会だったら、グローバル企業なんてお呼びじゃないのだが、ネットで「いいね!」と付和雷同する人は「クリックマシーン」と化して、くいものにされているのである。

 もちろん能力を低下させた当人に責任がなかったとは言わない。賢い人間はある割合いて、自分を鍛えて社会でやってゆくのである。けれど、安きに流れ、己の不遇を人のせいにする人間はこれまた少なくない割合存在する。その不摂生を積み重ねていれば、体力は落ちる。新型うつ病とは、国家の屋台骨をぐずぐずにする重大な病気なのだと私には思える。 

 

2013年8月14日(水)

 本日より盆休みでぼんやりすごしている。明日から家族旅行に巻き込まれるので、多めに水遣りをしておいた。

 

 ここ1週間猛暑の上に雨が降らない。本日は暑い中ラン、庭、畑に水遣りをして過ごした。

 一昨日職場の隣町の豊中で39.8℃という気温になったそうである。おしい、もうちょっとでニュースになるところだったのになあ。べつにさほど暑くないので午前中は窓を開けて過ごしていた。お隣の国では電力が足りなくて役所はエアコンを止めたそうじゃないの。原発さまさまとまでは申しませんが、電力の安定供給はありがたい。

 

 汚染水がマーライオンのように海にだだもれ、というような表現はたぶんされていないのだろうが、イメージとしてはわかりやすい。まあよその国の名所をそういう表現に使ったら怒られるか。ふと思ったのだけれど、1000tの山からやってくる地下水がやぶれ原子炉から漏れ出す水を引き連れて海に流れ込むのがあかん、という話だわねえ。だったら、原発のまわりをぐるりと深い溝を掘って、コンクリートで固めれば周辺の地下水にちょっかいをだされることはないんじゃないの。そんでもってその溝から横穴を掘ってとろけた炉心を取り出しにかかるってのはどうだろうか。まあ多分その天然の地下水さまのおかげでその炉心が冷却されているみたいなことになっているのではないのか。だから垂れ流しは必要悪で、現実うまい解決策がなかったりして。バカ正直に凍土作戦をやると電気料金が思い切りあがったりしてねえ。地下水を遮断すると、とろけ炉心がまたとろけて、もう原発火山みたいになってやばかったりしてねえ。多分とろけ炉心はすごい放射能でとっても作業が出来る状態じゃないんだろうなあ。

 やっぱゴジラがやってきてとろけた炉心をむしゃむしゃ食べてくれて東京湾に帰って放射性ヨウ素たっぷりのげっぷでもしてくれりゃいいのになあ、と思う。

 とろけ炉心の熱で発電して、周辺を凍土にして固める、と炉心の冷却と地下水の流出が止められて一石二鳥か、と思ったりもする。

 

 課題だったお仕事は昨日をもって成功裏に終了した。1週間の休みをつぎ込んでなんとかやっつけた。精根尽きたようにドローンと過ごす。いや、それでも日課のお仕事はやる。

 マイクロSD32GBが1500円だった。1000円になったら買おう、と思ってかなり時間がたってしまった。1年前くらい1450円まで下がったものをみたような気がするが、当分下がりそうもないので買っておいた。昔1GBのHDDを1万円で買った記憶がある。それが鼻の先に貼り付けられるような板で32GBもの容量になって普通に使う時代がこようとは。

もはやストレージはだぶついており、それゆえ値段が下がらない世の中になってしまったのではないだろうか。HDD1TBには1週間ぶっつづけで見ても見切れない録画を溜め込むことが出来るが、それはもはや見切れないほど溜め込んでしまったということと同じである。もはやHDDを2TB以上使うのは無駄で、それゆえ今後はストレージの値段がほとんど下がらない時代になってしまったのかもしれない。

日本のアニメが世界にあふれ出して、麻薬の売れ行きが落ちているようなことを聞いたが、本当だろうか。麻薬をやったことがないのでわからないけど、使った後でどろーんといやな気分になるらしいじゃない。その点まあアニメはそこそこ楽しく過ごせてよいのだろう。麻薬って高いらしいし、体によくないし、アニメで楽しく過ごせるのなら結構なことだ。

日本のテレビは深夜枠ですらとてもフォローしきれないくらいに多量のアニメを流している。本当にすごい量だ。その原作は近年ラノベが過半数のようにみえる。そのラノベの量もものすごい。毎日1冊読んでもとてもじゃないがフォローしきれない。日本の人的資源のすばらしさゆえだとおもう。

 

2013年8月11日(日)デンファレ開花

 デンファレが開花した。これで当分ランの花が途切れることはない。外は35℃くらいだろうか。

 

 朝からいろいろやってそろそろ日付も変わろうかというころになってこの休みの1週間取り組んできた仕事に終わりが見えてきた。この一週間、京都を歩いたのだけが唯一休日らしい過ごし方だったのだが、あとは悶々と仕事をやっていたような気がする。先週の日曜、8日連続出勤でもう仕事はたくさん、と倒れるように休日に入ったというのにやっていたことはやはり仕事だった。あすゴールできれば、・・・次の仕事にかかれる。盆休みが少しあったようだが。

 

2013年8月10日(土)

 ラン棚に水やりをしよう。外は35℃くらいだろうか。なぜかエアコンを付けずに過ごす。

 夕立がくるかとおもったらぱらっときてそれっきりだった。

 

 暑いと頭を使う気がしない。午前中課題と激突。のこり半分になったがまだ予断を許さない。パソコンは暑い中落ちもせず稼動しているから、あのCPUファンの掃除が功を奏したのだろう。5000円とはいえごついCPUだった。ファンの厚みを合わせるとウルトラブックとやらの4倍くらいの厚みになる。同じコンピュータでもえらくCPUの雰囲気が違うものだ。あちーなあ。読書はできる。かろうじて読める。なんとなく作品に対する印象は悪くなるようである。

 

 HDDレコーダーの外付けHDD500GB(中古2000円で購入)がいっぱいになったので交換した。中身は主としてアニメである。このHDDは塩漬けにして、またいつか見たくなったら見よう。外付けUSBケース(1700円)からHDDを取り出し、かねて用意しておいたHDD1TB(中古3000円で購入)と交換した。以前パソコンの内臓用として使用していたHDD1TBを、パソコンで認識するかどうかみてみた。USB外づけにするとクイックフォーマットが必要だったようで、その後認識された。さらにHDDレコーダに取り付けるとやはりなんらかのフォーマットが必要らしく、前回の操作を忘れていたので、あれこれいじって「本体設定」なる項目でフォーマットすることができた。170時間録画できると表示されている。一週間以上徹夜で録画をみても見切れないほどの量が録画されるわけだ。しかし最近見たい番組はどんどん減っている。おとなしくテレビを見るという行為が億劫である。大好きなHDD1TBをこんなことに使って、と思わないではないが、パソコンのHDDすら結構あまっており、ストレージに余裕があるというのはココロ安らかな気分である。

 娯楽が過剰だなあ、と思う。とてもじゃないが消化し切れない。画面ばっかり、本ばっかり見てないでもうちょっと体を動かそうと思う。

 

 日本の借金が1000兆円ですか。来年3月には1100兆円になると。これって減るんでしょうかねえ。減らす気があるのか?。おれおれ詐欺が100億円の規模でじじばばの預金をうばっているそうですね。1000兆円はその10万倍。このままやって預金が雲散霧消したら、おれおれ詐欺の10万倍の規模だ。半年で1000兆円の借金が1100兆円に増えるんだったら。再来年くらいにもう預金ですらまかなえなくなったりしてなあ。

 この一週間ずっと35℃以上がつづくそうだ。昨日畑の作業で脱水して生水を1L飲んで無脂肪乳も1L飲んだら盛大に下ってしまった。でもまあおおむね平気だ。京都歩きで暑さに対する耐性がついたように感じる。なんか、こういう気候って堕落した日本人、いや人類に対する罰かなあ、などと考えてしまう。借金も、食えなくなるのも、酷暑、洪水、大寒波、竜巻、台風、なんやかんや、欲望に任せていろいろわややってきたことについての自業自得的な面を感じないではない。人間誰しもしんどいことより楽して豊かになることを追求したいよね。そういう楽志向でわが身もずいぶん弱く脆くなっているように思う。そういうツケの支払いを求められるのか、ああ大変だなあ、と思う今日この頃である。

 東電の汚染水垂れ流しを「けしからん!あれから何年たってまだそんなことをやっとるのか」などとちょっとは思った。しかし、ああいう優良企業には賢い働き者を多く雇っているはずで、そういう人たちでも手に余る仕事、と見ることも出来る。とろけて中身がでちゃった原発の始末は容易ではない。クルマが轢いてしまった猫の始末を率先してやれる人は少ないとおもうが、猫のホトケは精神的に堪えはしても、とろけ原発は近づくことさえ容易ではない。「原発はよくないから直ちに全部やめろ」という人の気持ちもわからないではないが、それでは原発関連施設が危険なまま放置されるという状況を作り出すことに繋がる、という指摘が里見清一著「衆愚の病理」にあった。使用済み核燃料がどの原発にも多量に存在し、冷却機能付きプールに蓄えられている。どのプールも冷却機能が損なわれるとメルトダウンに繋がるのである。そういうものをちゃんと処理して、処分する必要があるのに、世間は原子力に携わる技術者まで「あの村の住人」みたいに言うでしょ。有能で能力のある若者が志に燃えて「俺が日本の危機を救う!」と、これから何十年もかかる難事業に来てくれるとみなさん思いますか?。誰もやりたがらない仕事にしておいて、さらに嫌気をさそうような世間のありようである。「原子力の道に進むって言っただけで家族は止めるし、彼女は去っていった」てなことになりませんか?。こういうのを当事者でない視点、たとえば中国人の視点でみたらどう見えるか。「あいつら汚染水は垂れ流すし、やらなきゃならないことを誰もやりたがらず、権利意識に凝り固まって、借金で首が回らなくなりつつある上、危険を放置しっぱなしでなーんにもできねえんでやんの。ほんとばっかじゃねーの」って笑われるんじゃね?。本の著者も書いていたけれど「あいつらにだけは言われたくない」ようなことを現に日本人はやらかしていて、いろいろ言われているだろうことは想像にかたくない。自分らの問題なのに、「あれはだれそれのせいだ」ばっかり言っていても現実の大問題は解決しない。むしろあとのことを考えずにぎゃーぎゃー言っているだけの人間が一番じゃまくさい。

 私は原子力畑ではないのですが、毎日のようにセシウムやっている。今日も朝からセシウム漬け。まあそういう研究です。ひょっとしてこれって日本の役に立つんじゃね?って思ってやっています。かの本では、敗戦処理の重要性が書かれていた。しんどくてもやんなきゃならない仕事はある。そのうちそういう敗戦処理に参加できたらいいなあ、ぐらいに考えています。まあこの恵まれた我が国のありようがまだしばらくもてばいーですね。

 原発やめてもっと危険になってジリ貧経済でやってゆくか、いっそ国を挙げて原発をやって見事な発電と再処理システムをつくってセットにして世界に売り出して豊かになるか、どっちがいい?って思った。

 

2013年8月9日(金)

 ラン棚に水やりをした。ここ数日夕立がこない。

 

 ビニールポットで大きくしていた朝顔を地面に植えてネットをかけておいた。

 黒大豆にピンクの花が咲いた。地面も湿り気があるので受粉条件としてはわるくなさそうだ。スコップを持って周辺を雑草ごとえぐり、土寄せをしておいた。すこしやるのが遅かった。すでにこけている株もいくつかあった。すでに株はものすごい大きさになっている。一昨年もものすごく大きくなったけれど、豆はさっぱりつかなかった。わずかについた豆を煮て、冷凍煮豆にした莫大な手間を思いだす。そういうわけで今年もさっぱり期待していない。昨年は本数はすくないものの、たいそうなりがよかった。こんな巨大な枝豆に豆がたくさんついたらそれはそれで実に大変なことだと思う(誰が消費すんねん。黒豆として収穫するのはそれはそれで重労働)。これまでランのやりとりがあった人の中で、枝豆の最高級品とされる黒豆の枝豆をぜひ食べてみたいという人はメールください。たくさんとれたら送料着払いで送って差し上げましょう。

 

 五日もあった休みが気がつくと週末を残すのみだ。ヘビーな宿題は終わっていない。8月末にむけてまた仕事の山場が迫ってくる。ほんと気分の悪い休みだ。

 

2013年8月7日(水)

 今週末にダイキ宝塚でラン展をやるそうだ。

 

 職場にファイルをわすれて取りに行き、仕事をして11時ごろになった。かねて検討していた京都へ見物に行くことにした。本日の京都は36℃の気温が予想されている。11時にして大阪は32℃まで気温があがっていた。アニメでやっている森見登美彦著「有頂天家族」を読みつつ電車にのる。往復1000円かからずに世界的観光地である京都に行けるというのは結構ありがたい事ではないだろうか。アニメではおなじみの風景が大変魅力的に描かれていた。毎週それを見ていたら、こんなに近くに住んでいるのに京都を探索していないのはたいそうもったいないことのように思えてきたのである。

 あっというまに四条烏丸についた。まずは腹ごしらえ、と大丸を通って地上に出た。目的地は京都植物園であった。別に京都をぶらつけるのであればそれでいいとおもっていたが、出来れば目的地が欲しくて漠然と植物園とおもっていたのである。地下鉄で行くつもりがめしやを探して歩き出してしまった。チケット屋を見かけて帰りの切符が目に付いた。510円かかるところを380円と読める。本当かといぶかしく思いながら1枚てにいれておいた。ほどなく「なか卯」なるチェーン店で牛丼特盛490円を食べる。氷をいれた茶のサーバーから1Lほど茶を流し込んでおいた。飲み物代が浮いた。なにも京都まで来てファストフードにしなくてもと思ったが、読んでいた小説で牛丼がでてきたので食べたくなったのである。

 そのまま道を北上する。京都は菓子の店が多い。どれも立派できらびやかな店構えである。相当な気温らしいが多量の水分のおかげか暑さを感じない。ほどなく京都御所の敷地にぶちあたる。広大な御所の道は果てがよくみえない。そのまま炎天下本を読みながら進み、1.3kmを北に突き抜けて右に折れて進む。アニメでよく見た出町商店街がある。上からアニメでみた大きなサバの張りぼてが吊ってあるのを見た。私のようなミーハーな観光客はいないし、全国的にアニメファンには知られた商店街のわりにそれらしい宣伝は一切おこなっていない。アニメのポスターがべたべた張ってあるのだろうと思っていたら、離れたところに1枚だけ「有頂天家族」のポスターが掲示されていた。こういう浮ついたところのない様はさすがは京都、とおもった。

 商店街をでるとすぐ鴨川である。清流を眺めながら亀や千鳥のかたちの渡り石をわたった。魚がたくさん泳いでいた。大都市なのに、あちこちを清流が流れているというのが京都である。世界でもっとも美しい都市の1つ、といってよいのではないだろうか。なんというか、よどみや荒れたところを見つけるのが困難な街である。糺の森をとおり、下鴨神社をつっきって、うねうねとした道をとおり、酷暑の住宅街を抜ける。この日の気温は36℃を超えたそうだ。随所に富を感じる。鴨川の土手まで40mという敷地に、幅80m、つまり3200m2の敷地の豪邸の前を通り過ぎる。そういうすごいながらも落ち着いた豪邸はいくつもあった。

やがて植物園にたどりついた。炎天下の街を6kmくらい歩いたのだろうか。入園料200円、温室は別途200円である。温室でいろいろなランの写真を撮った。暑い部屋あり、涼しい部屋あり。夜間を模擬した部屋には月下美人はじめ夜に短時間だけ咲く美しい花が暗がりに美しく咲いていた。高山植物の部屋では、暑がるラン、Den.カスバートソニイはじめマスデバリアなど、じつにいろいろを多量に見ることが出来た。

ひろい植物園をさっとみてまわり、地下鉄に乗って四条烏丸に戻り、さっさと阪急電車で帰った。結局使ったお金は、牛丼490、電車代450+250+380、植物園の入場料200+200、神社のお賽銭100円のみだった。歩くのが目的みたいな一日だった。確かに京都は歩き甲斐のある街だ。

 

2013年8月6日(火)

 家で引きこもって過ごす。朝豪雨があったので水遣りはサボり。C. Bow Bells Wright Person(資料画像:201191   20101023  20101030 )が大変きれいにさいている。

 

 やっとこさ久しぶりにトップページの画像が撮れた。一ヶ月も更新していない。そういう気力に乏しい。なぜこんなに元気がないのか。あれだけやって休みに入ってもまだ仕事があるのか。いっそぶん投げてやろうか。これが人生の危機なのか、単なるわがままなのかといえばたぶん後者だろう。本読んで笑ってられるうちはまだまだ苦労が足りないか。

 まあなんというか憂鬱なのは、いわゆる「エディターからのお手紙」の影響である。7月に投稿した論文にいろいろコワーイコメントがついて、これに誠心誠意懇切丁寧に英語で回答し、論文を手直しして一定期間内に送り返さなければならない。リジェクトはまぬかれて好意的なコメントをいただいても、ひょっとしてまだ理解できていない質問に悶絶するほど痛いところを突かれている(以前あった、徹夜で悩んだ)可能性があるんじゃないかと戦々恐々としながら取り組む。これで休みが楽しかろうはずがない。2007年の夏の休暇にも同じようなことがあった。あの時は壮絶だった。ほんときつかった。背中にべったり汗をかく仕事である。

あーあ、今年は年明けからずっとなにかしら締め切りに追われている。それに私生活でもほんとろくでもねーことばっかりだ。

 

 まいったなあ。やらなければならないことはあるが、やりたいことはない。田舎の奥地でバスで出かけるのが億劫である。そうまでして出かけたいところがない。欲しいものも食べたいものもこれといってない。暑い中読書をしていたらさすがにいやになってきた。14時に部屋の気温が32℃に達して、さすがにぐったりきたのでエアコンをつけた。

 

 世の中のいろいろにも興味がもてないのではあるが、どうも雲行きがよろしくないのは感じる。隣国が戦時中の日本がやった非道な行いを糾弾するのを、「もういいかげん世代もちがうんだから忘れたらええじゃん」などと思っていたのだが、当の日本も原爆についてずっとやっている。アメリカからすれば「もう双方納得した話じゃないか」とおもっているのではないだろうか。やったほうはそう思う。日本は、やったほうとやられたほうの両方を経験しているのだが、やられたことは良く覚えていても、やったほうはあまり覚えていないのかもしれない。原爆とあれやこれやを一緒にするな、と怒られそうだ。今の日本人は韓国の一連の行動に怒っているような雰囲気をマスコミの報道から感じる。

子供のころから「はだしのゲン」を読んでいる世代である。何十回も読んだ。なぜか強烈な魅力のある漫画だった。主人公が身近に感じて、逞しくて、悲しい話だった。韓国人が差別され強制労働させられていたという生々しい絵が何度も出てきた。実体験としてそれは本当だ、と感じていた。現に子供だった私の目からみてある大人は韓国人を悪く言っていた。今もよく言わない人がいる。日本人が韓国人にかなりつらい思いをさせたというのは確からしいことのように思える。なぜそう思うかといえば、大日本帝国の官憲に拷問の末命を落とした日本人が多くいただろうことを思い起こせば、当時日本が、下に見ていた韓国人をどう扱ったとおもうとつらいものがある。それでなくても朝鮮戦争の際大韓民国は地図から消えそうになった。日本の若者がゴーゴーを踊っていた時代にである。有事への感度は我々より数段高い。かの国が現状どれほど神経質になっているかおもうに、一連の行動は日本に過去の戦争について本気で考えるよう促していると見るべきである。

中学生の7割がいじめを経験するようなことを新聞で読んだ。日本人のメンタリティは、面白くないことがあると弱者をいじめて憂さ晴らしをするようである。それがなけりゃとってもかっこいい民族だと思うのだけれど、こればかりは戦前からずっとそういうことになっているらしい。このいじめ体質があるかぎり、外交上居心地の悪い状況が続くのではないだろうか。だれもかれも気分の悪い思いをするのだからいじめなんかやめりゃいいのにと思う。

死者数の比較はおそれおおいが、かの大地震のおよそ200倍といえば恐ろしいばかりである。そして周辺諸国の関係ばかりに目が向きがちだが、死因を追えば日本人がやったさまざまな愚劣な作戦の犠牲者であり、内容は恐ろしいような死に様である。我々が注視すべき大事な点は、日本人がどうやって自らをそういう死に追いやったか、に目を向けることだと思う。

日清日露に勝利し、中国人を侮っていた日本人は、中国の只中で戦争に引きずり込まれている。そこに慢心がなかったとは思えない。良し悪しはとりあえず問わない。大事なことは、今どうするか、だと思う。日本人は慢心してことに当たっていないだろうか。ひょっとすると危機的状況を楽観視していないだろうか。

よしだみどり著「知られざる「吉田松陰伝」『宝島』のスティーブンスンがなぜ?」によれば、「宝島」を著した英国人スティーブンスンは、英国に渡航していた日本政府の人間から吉田松陰の話を聞き、感銘を受けて伝記「ヨシダトラジロウ」を書いたそうである。虎次郎さんはいじめと対極にあるような人だった。日本人におなじみのあの虎さんのような笑顔で、差別されている人にも分け隔てなく自ら知るところの知識を分け与え、慕われていた。現在吉田松陰を知る人は少ないようである。この偉人のことをもっと学校で教育しておけばいじめとかいろいろな学校での諸問題が減るような気さえする。この吉田松陰にはじまる幕末の日本史はすばらしい歴史である、と司馬遼太郎は書いている。それをなぜ学校で教えていないのか。吉田松陰はかなり本を読み込まないと出合えない。現日本が長州政権であるがために、吉田松陰を大事にしすぎて軽々しく扱いたくない、という風がみえなくもない。清水義範著「偽史日本伝」の吉田松陰に関する部分だけでも国語の教科書に載せて欲しいなどと思う。

吉田松陰は、兵学者として敵を知るために国禁を犯してまで西洋列強の軍艦に乗り込もうとして従者ともども捕らえられ、後に幕府により命を絶たれたのである。敵を知ることは戦争のみならず和平においても重要であることは論を待たない。一方滅びた大日本帝国は、敵を侮り、彼我の兵力や国力を見誤り、敵を国民の目から隠して、楽観論に拠って闘った。今の日本は、近隣諸国のことをよく知った上で、商売のあり方、米国との関係、自衛隊のあり方、憲法なんやかんやを考えているのだろうか。子供らをいじめまみれにしている教育を思うに存外わが国は慢心でぐずぐずなのかもしれない。

 

2013年8月5日(月)

 家で引きこもって過ごす。朝豪雨があったので水遣りはサボり。

 

 休日というのに、家族が恒例の味噌づくりに田舎へ行ってしまったので、クルマもなく、家で引きこもって過ごす。 

パソコンがこのところ突然ブラックアウトするようになってしまった。ちょっと負荷をかけると電源からして落ちる。当初落雷の影響だろうかと思っていたが、だんだん頻度が上がってきた。実のところヘビーな仕事を持ち帰っている。職場は節電目的で今週休業しているのでパソコンを使いに行くのもはばかられる。これはCPUの過熱ではないかとめぼしをつけ調べてみた。CPUファンをはずしてみたところファンの下、CPUに接触するアルミのヒートシンクがべったりホコリで覆われていた。丁寧にピンセットでホコリを取り去る。すごい量のホコリが取れた。ヒートシンクのCPUの接触がまずいとCPUが働かなくなるのが怖いのだけど、なんとかこわごわファンを取り付けて起動したところ、とりあえずこうして日誌を書けるくらいには使えている。これであかんかったらファン付きのCPUでも買いに行かないといけなくなる。なんだかでかいCPUだったなあ。AMDのなんちゃらいう石で5000円くらいしたやつだ。その後きびきび動いているのでほっとする。

 

2013年8月4日(日)C. Bow Bells ‘Wright Person’開花

 デンファレに花茎が3本でていた。これが咲くまで現在咲いている株が咲き続けてくれれば半年は連続開花状態が延長されるなあ、と思っていた。

 庭の大きなつぼみのカトレアが開花した。夕立が来そうだったので部屋に入れた。

 

 なんでも節電のため職場が来週一週間休業になるとかで、土日が出勤日となってしまった。8日連続出勤で「もう仕事はたくさん・・・」という気分で家でもやはり仕事をしている。一時ほんといやけがさして精神的にやばそうなところにゆきそうになったが、読書でげらげら笑っていたからほんとうはたいしたことはなかったのであろう。

なんか集中力ついたなあ。仕事にかかる前のうだうだうろうろがなくなってすぱっと仕事にかかれる。この仕事の前のうだうだは、頭の中で考えをこねくり回している状態に余計なあれこれに手を出していたずらに時間が経つ、という悪癖だった。最近はちゃっちゃと取り掛かって必要なファイルを探し出し、いろいろなものをさくさく決断してやっつける。多分このところ仕事が多すぎて迷っている暇がなかったためこういう状態になったのだろう。終わるとぐったりして夕方になり腹が減るので早く帰るようになった。ただ、仕事と読書以外にあまりやらない人間になってしまった。これはこれでちと問題があるような。

 

2013年7月30日(火)

 仕事漬けでランの世話もサボりっぱなしである。本日も雨が降ったので完全にさぼっている。

 

 仕事のもっとも高い山場を本日越えた。実に苦しい3ヶ月間であった。あー、きつかった。体からしてなんか調子がおかしいほど参っていた。なぜか読書はペースが落ちずに2冊だった。

 なぜか職場に女子高生がいた。どうも大勢で見学に来ていたらしい。そういう見学対応を以前やっていたなあ。世界に冠たるニッポンの女子高生である。「ごらんのとおり文学少女よ!」とかいう人いないだろうか。コインを電磁誘導で超スピードで飛ばしちゃう人とか、実は魔王の妹さんだったりとか、召喚獣をあやつるとか、ロボットだったりとか、猫に化けるとか、オスの狸が化けているとか、本当は男子だったとか、魔法科高校の優等生だったりとか、市役所に文句を言いに来るとか、ほんとすごいよね。・・・いや、どんだけオタクやねん。

ラノベの女子高生に関する設定で多いのが「学年一位」。つまり頭のよい女の子に対する男性の需要が高いのである。頭のいい女の子にラノベ読者の野郎はあこがれているのであろう。いや、全体にラノベというのは女性のすばらしさを賞揚している。女性を一段上においてあがめている。尻にしかれたがっているとさえ見ることも出来る。あってもよさそうなヤローだけの冒険ラノベというのを私はまだ読んだことがない。次に多い設定が「胸が大きい」。んでもってやっぱり「美人」ってくる。そういうラノベ脳で現実を見ると、「そんなやつおらんやろ」となるはずが、高校時代部分的にそういうええ感じの女子高生を思い出としてもっている人は多いのではないだろうか。ラノベというのは、ある種ヤローが思い描く妄想には違いない。現実の女性は、ヤローの描く女性像をどう見るのだろうか。

ラノベの構造としてなのか、「ひっつかない」というのはある。希にひっついていても将来のことは問題にしていない。つまり、カップルの将来を考えるというと、進学とか、就職とか、仕事とか、夢とか、家族とか、家庭とか、老後とか、自分の力ではいかんともしがたい現実が読者にどーんと押し寄せてくるので、もはや「ライト」ではなくなってしまう。それを避けるために、「なんか二人いい雰囲気のまま、つづく」となるのである。まあそういうところは一服の清涼剤みたいな読書ということなのであろう。

「マザコン男は買い」という本のタイトルもあるように、ラノベ読者の男は買いだ。ラノベヤローは実によく読んでいる。そういう読書習慣を持つ人間は概して所得が高い。所得というのは文書の処理能力に比例しているところがある。また、ラノベには女性を貶めるような記述はまずない上、先に述べたように女性を上に置くような内容が多いことからラノベ男はフェミニストが多い。それゆえ将来のよき伴侶を得たいと思う女性は、ラノベ男をオタクと思わずに、ラノベをよく読みこんでラノベ男のツボを心得て捕獲に励むことをお勧めしたい。

 本日も強烈にヘビーだったので、こういう読書はガスが抜けて助かる。

 

 

2013年7月27日(土)カトレアにつぼみ

 仕事漬けでランの世話もサボりっぱなしである。ひさしぶりに水遣りをすると、でかいつぼみが出ているのに気がついた。毎年律儀に開花してくれるカトレアにつぼみがでてきた(資料画像:201191 C. Bow Bells Wright Person  20101023  20101030 )。この株ええなあ。

 

 仕事か読書の日々であったが、昨日は外勤で、脱水してなにやら調子を崩した。帰り道涼しい電車の中で服がぐっしょりぬれたようになっていて、体に熱がこもったような感覚を覚えた。帰ってから本来ならはらぺこの状態なのに食欲がなく、牛乳をがぶがぶ飲んでいた。本日も少々元気がないので、暑い中もっと働いていたら危なかったかもしれない。自分は大丈夫とおもっていても、時には厳しい環境におかれて調子を崩すということはあるだろう。そんなのを蓄積してゆけば確かに危ないことになる。

 また休日出勤だろうなあ。3週連続で。来週も確定なので4週連続である。この一ヶ月の業務の集中ぶりといったらもうすごい。なしとげることにかなり無理を感じる仕事もある。その仕事の実験では10連敗くらいしている。いろいろえらいめにあった。ほんとこういうのは二度とごめんだ。いっそけつをまくってやろうかと何度も思った。正直かなりやばかった。そんな状況でも本は読む。これが読まずにおれるか。今年の読書は203冊に達した。あははと笑っていられるのだからまだまだ余裕があるということだろうか。チョーサイアクの7月よ、去れ。

 

 カネ○ウ化粧品を、カネモウケショウヒン(金儲け商品)と聞き間違えた話を聞いて笑っていた。まあ商品とは金儲けのためのものではあるものの、買った人がある種得をするものでなければならず、肉体的、精神的苦痛を受けるというのは欠陥商品のそしりをまぬかれない。美白成分の構造を聞かれた。HOPhCH2CH2CHOHCH3:4(4-ヒドロキシフェニル)2ブタノールだったっけ。構造からして2位のカーボンにキラリティがあって光学異性体があるはずだけど、DとかLとかつかないのだろうか。そんなに合成が難しそうな物質ではなさそうだ。そんなに高そうな物質には思えないけど、美白薬品ってのは結構な値段がしていたねえ。おばさま方ってすげー金持ち。

私が日ごろから思うのは、「美白ってなんやねん」である。そういう趣味の人がいるのだろう、ぐらいに思っている。この時期は通勤中「ビハッカー(笑)(美白が趣味の人)」の日傘が歩行の邪魔ではある。帽子もかぶらずに農作業をしたため私の面はシミだらけだ。ぶっちゃけ人を感じるというのは、その人のココロが表情と言動に出るのを感じているので、少々つらがなまっちろくってもそれがどうしたと思う。

美人って日常見かけないほど少ない。正直目撃例を挙げられない。そんなものになろうとしてもなれるものじゃない。むかし「あの娘ええなあ」とおもっていた同級生を級友は「あんなホルスタインより、ボクのあの娘はサイコーだよ」と言う。そのあの娘はさっぱりボクの趣味ではなかった。美人ってひょっとすると顔の造作じゃないかもしれない。ぶっちゃけ本人が感じる相手との適合性や親和性の総体としての引力ちゅうかそういう実に主観的なものだよね。どんなにスペックが高くても、男は自分にはもったいないと思って引く場合があるので、やはりつりあいというのは重要なファクターかもしれない。顔はそう整っているわけではないけど、とても素敵な女性というのは確かに存在する。そういう素敵という概念が脳内でその女性の容貌を勝手に補正している、という解釈も成り立つ。じゃあ結局中身じゃないの、と私は思う。

中身は、簡単に言ってその人のものの考え方、経験の厚み、人生に対する取り組み、人との関係性の豊富さ、というものの総体じゃないだろうか。

なんかみためよさげっていうねーちゃんはいる。生命力ってもんだろうか。でもいずれはおばちゃんになるわけで、そのおばちゃんになってからの人生がいけてるねーちゃん時代に劣るとは思えない。だったら見てくれに拘泥するのはまあおばちゃんの趣味だわなあ。自分のつらを鏡で見たいとはあまりおもわない。最近は「うわ、このおっさんだれ?」とか思ってしまう。ジャパンのさわやかおやじみたいなデブだ。

化粧品をあつかってすごい技術で勝負できる人もいるみたいだけど、そういう才能のない人は、趣味なんだろうなあ、と思う。結構高いみたいだけど、私同様お金の使い道の乏しい人が趣味として買っているのだろう。して問いたい、肌を白くする趣味なのか、と。もし、人間の魅力、話の中身の面白さのほうがその人を輝かせるのであれば、本を読めば、と思う。図書館で借りればただだし。

 

2013年7月20日(土)エピデンドラム開花

 エピデンドラムの白いのが開花している。夏はエピデンドラムが長いこと咲いてくれるものだが、今回はどうだろうか。

 久しぶりに撮影をしたが、水遣りをサボっていたためかこころなしか花がでろーんとしている。

 

 今週も激戦過ぎて何があったか思い出せない。失敗のコンボダメージで「もうだめだ・・・」とがっくり来た日の翌日起死回生の一手、爆発とかきのこ雲とかを室内で見たような気がする。まあ本日は本日の戦いがあるなあ。

 

 昨日デトロイトの破産の話を聞いた。有名な街ですなあ。ミシガン州の州都でしたっけ。州都といえば、国家の首都みたいなものだ。ざっと70万人というとそんなに大きくはない。あんな廃屋みたいな建物だらけの街って日本じゃちょっと見られない寂れっぷりだよね。

図書館で林壮一著「オバマも救えないアメリカ」を借りて読んだ。著者は渡米して16年だったか、アメリカ国籍を持つ子供がいるフリーランスだそうな。アメリカの高校で教鞭をとって日本文化を教えておられた経験もある。アメリカ各地のインタビューで人々の生活ぶりとオバマ政権への声をつづっている本である。「このままだとデトロイトは地獄になるよ」というデトロイトのホームレスの声を拾った章があって、高校入学者の4人に一人しか卒業できない街なのだそうだ。ホームレスは50人に一人という割合だそうだ(日本は5000人に一人とか聞いたことがある)。高校は義務教育で無料みたいなことがかいてあった。とにかく書かれている内容ではアメリカって本当に大変そう、と思った。

本のおわりあたりで著者は日本に帰国して生活する中で「全員同じスタイルを強要する教育に幻滅した」「日本に絶望した」と書いているので私は混乱した。じゃあなんで日本で本だしてんだよ、って突っ込む。受けられる教育に背を向けてドロップアウトするアメリカの高校を書いていながら、「スタイルおしつけの」日本の学校に文句をいう。世界一の強国アメリカに美点がないはずはないので、アメリカのいいところをもう少し書いてくれれば、「この本なにがいいたいねん」みたいな感じは受けなかったかもしれない。だいたい無料で行ける高校に通いながら4分の3が卒業できないなんてわがままがすぎるんじゃねえか。そんで仕事にあぶれて「学が大事だった」っていっても後の祭りだろうが。「スタイルを強要」つううけど、日本じゃ形から入るもんよ。「考えるな、感じろ」は学問にはなじまねえぜ。

日本の高校生が幸せそうでないのはなんとなくわかる。かといってアメリカの高校生がなんかうれしいかといえば、この本に出てきた話についていえば、「片親で、学業もままならず、食事も満足に取れず、食うために働かなければならず、大学の学費がかなり高額なので進学もままならない」とよめる。特に大学の学費は年間300万円とかすごいようだ。別の本にもあったけど、卒業したら借金地獄というような状況があるらしい。この学費だけみておもうのだけれど、日本の国公立大学は年間52万円で授業料の減免制度もある。著者の視点もあるのだろうが、なにをもって幸せか、というところが読者の私とは異なっていると感じる。

日本の高校生の鬱屈ぶりはなんだろうか。職場の近くの高校でヤロー同士の殴りあいで不幸にも高校生がお亡くなりになっていた。高校生ではないが、17歳の女性を仲間7人で殺害ってのには広島県民として腹が立った。あれなに。はあ、あがあなことして誰も止めんわけ。女のケンカになんで男がおるん?。やられるほうの無念がたまらんのう。わしじゃったら化けてでちゃるけん。今後の人生やれんけえ覚悟しんさいや。

高校生の息子らはあまり楽しい高校生活ではなかったようである。革靴っぽいものを履いていないといけないことに驚いた。人によるのだろうが、交友関係でいろいろと気苦労が多いようである。私の高校時代は、体操服で高校に通い、校内でははだしですごし、毎日のように寝坊し、遅刻して、激烈ガリ勉の変人と認識されていた。そんな変人が生徒会で、朝礼の号令をかけていた。ものすごく学問が好きだったと思う。いいとおもうけどなあ、日本の高校。30年も前だけど。

高校に通うってのは、勉強する得がたいチャンスって自覚がないところがもったいない。年収を決定付ける3年間やど。もう毎日が真剣勝負みたいなもんや。能力つけられるだけつけたらええのんや。日本にはアメリカや中国、ヨーロッパや、韓国よりも仕事があるらしい。完全失業率4.1%は比較的低い。自分のやりたいことをさっさと見つけてしっかり能力つければ世界に勇躍するチャンスがどの国よりも多い。そういうチャンスと時間をどぶに捨てているような高校生が多いように思われる。

デトロイト破産でまず思ったのは、「図書館に新刊が入らないだろうなあ」ということだった。いやだそんな市町村。本日もわが市では新刊の村上凛著「おまえをオタクにしてやるから俺をリア充にしてくれ!7」が貸し出されていた。早っ!。読みたい本がこれでもかというくらい入ってくる。そういう読書中毒の視点からみれば、日本は世界一すばらしい国だと思う。ブラボー。どんなピンチな状況でも本は読みたい。

なんつーか、オバマがどうこう、安部内閣がどうこういわんと、各人の「わしはこうするんじゃ」こそがその人の人生と、そういう人たちの総体である国家の趨勢を決めるんじゃないの、と思った。そういう意味では、この本の著者は日本人を識らず、と感じた。

 

Chopin 幻想曲Fantaisie in F Minor Op49 演奏Murray Perahiaにはまる。出だしがもろ「ゆーきのふるまちをー」というモチーフで始まる。その印象が強すぎて、後半のなんとも優美な旋律を味わえるようになるまで時間がかかってしまった。ピアノ協奏曲1番のイントロが「北の宿から」だったのにもたまげたが、まあ偶然なんでしょうねえ。

歌謡曲のタイトルの横に「変ロ短調」とか「嬰ニ長調」とかついたら面白いだろうなあ、などと思った。なぜクラシックにはそういう表記がしつこくつくのだろうか。歌の文句に「C調言葉」というのがあったけど、「ハ長調(明るく勇壮)の言葉?」とか思っていた。モーツァルトピアノ協奏曲21番ハ長調を思い出す。たぶん首都圏独特の言い回しで「金髪」→「パツキン」のように「チョーシ」をひっくりかえしたのだろうか。

 

期日前投票行ってきた。

 

2013年7月13日(土)

 連続開花のとぎれそうな状況はひとまず回避できた。ツニア、フウラン、Den.ハワイアンキングが相次いで開花してくれた。

 

 本日も猛暑日だらけの日だったようである。買い物と図書館から帰ると、空は真っ黒い雲がひろがって劇的に気温が下がっていた。体感27℃。すげー涼しい。見る間に大粒の雨が降ってきた。恵みの雨だ。

 

 まあ仕事で死にはしないとは思う。昨日は炎天下ちゃりんこで400m移動を10回、室内でも肉体労働をげしげしやり、夕方あたり力尽きていたのかポカをやってしまった。真っ向勝負のダイハード(あくまでやりぬく)な一週間だった。一日目:粉砕とフルイかけで汗みどろ3時間半で筋肉痛、二日目:基材調達、重たい基材の設置、三日目:反応8時間、4日目:生成したブツの回収1時間と粉砕1時間、水洗10Lろ過。5日目:少量ずつ粉砕を10回、ろ過乾燥。あの労力で得られたブツがこれっぽっち!と終業間際むかっ腹をたてていたが、よくよく計測してみれば目標の1/3まで来ていた(それでも最終的にブツの質がぜんぜんダメだったということはありうるのだが、そうなったら「こんなもん商売になるか、やめてしまえ!」と開き直る予定)。今週の作戦には勝利したが、別方面の作戦に必要なリソースを多量に消費し、ますます追い詰められた状況になりつつある。最も困難な作戦に着手すら出来ていない。やっべー、アセだらだらだらだら(^^;)。手を動かすのも大事だが、頭使わないとなあ。3連休は頭を使おう。

 

2013年7月6日(土)

 デンファレが金曜日にしおれはじめたので、家になにか咲いていなければ連続開花4000日は途絶えるという危機的状況であった。1株、シェーノルキスなるものが2輪、2mmの花をつけていた。やっべー。これもちかぢか終わりそうな雰囲気である。

 つぼみはカトレアが1つ、デンドロが1つ、ツニアが1つ。あのデンドロにつなげば1月は稼げそうだ。しばらく綱渡りの状況であるようだ。

 

 仕事も綱渡りのような危機的状況にある。まあべつにランの開花が途切れようが、仕事でクライアントにあきれられようが死ぬことはない。あかんときはあかんもんや。なぜか、「学会の会場でわし発表やのにプレゼン用PPTができてない!」という悪夢を見た。先週も、「クライアントへのプレゼンやのにPPTが出来てない!」という悪夢を見た。深層意識で「やっべー」という警報が出ていることが理解できた。がんがん仕事をやっつけているが、それでもなしうるかどうか微妙な仕事の大波が迫ってくる。今年度は波乱万丈だなあ。そのせいかどうか、初めて帰りのバスで寝過ごして終点までつれてゆかれてしまった。夜道を1kmほど歩いて帰った。これはやばそうだ。

 

 そうはいいつつ、本日も本を読んだ。今年178冊目。4月21日に途切れて以来78日間1日1冊以上本を読んでいる。平均360p毎日の速度で。

連続日数を意識してしまうと止められないというのはある。こんなやベー時期になんということか。3市の図書館から借り出した本約20冊の貸し出し期限に追いまくられてこんなことになってしまった。パソコン立ち上げて最初に開くファイルは、読書スケジュール。貸し出し期限の迫った本をカレンダーに並べて管理している。

本日も2冊返して「なに、夏の期間中10冊まで借りれると!」といって4冊も借りてしまった。読書の強烈な魅力のため、物欲は低下し、小遣いが余る。気分だけリッチだ。テレビ、DVD、漫画など読書に追いやられてしまっている。

 

 以前スマホは姿勢がわるくて肩こりとかでて大変じゃないのだろうか、てなことを書いたがどうもそういうものらしい。いまはスマホかもしれないけど、早晩別の何かに変わる。あんなもん長続きせんやろ。スマホつくっている会社も最近は調子がわるいそうじゃないの。電話会社がばっさり切ってしぼっちゃったとか。「みんなちがってみんないい」ってすればいいのに。

パソコンで楽にできることを電車や移動中にむりしてするこたぁないのにと思う。使用者の貴重な時間やお金や集中力、労働力、学習意欲を蕩尽して、あのデバイスにかがみこみ、それが使用者の大事な人生にどう寄与するのか使用者はわが身かわいさに考えてみていただきたいものである。スマホ使って得してるって思う?。気のせいか読書をしている人が少し増えたかなあと思う。読書のほうがスマホより姿勢が楽だ。

 

 エジプトの様子を見るに、食えなくなっている国が増えているのだなあと思う。人口は増えるが稼ぎの増加と、富を分配する仕組みの高度化が進んでいない。仕組みのまずい国は食えない人が増えて、格差が大きくなり、暴れる人が増える。そういううまくゆかなくなった国が増えつつあると感じる。

 選挙である。投票する側からすれば、「給料上げろ」「税金とるな」「仕事くれ」「福祉を手厚く」「原発反対」「TPP反対」などなど、それぞれの立場からの要望で候補者を選ぶ。政治をやっている側はどうかんがえているだろうか。以下想像。

 「給料上げろいうたって、国民がうまいこと働いて稼げば業績が上がってもうかりまっしゃろう。かつてのように競争力のある製品つくってもらわんとあきまへんなあ。そやから物の値段が上がるような策をしこんでますがな。デフレじゃイノベーションがでまへんなあ。そんでも大企業はマネジメントのやりすぎと株主の顔色ばっかうかがって業績をおとしてますなあ。リスクとりませんしねえ。大企業ちゅうてももうあてになりまへん。競争力があるのは中小企業の部品ちゃいまっか。せやさかいに中小企業にええ政策やったほうが見た目にはめだたんのだけど国が富む思うて中小企業優遇をやりまっさ。

 税金安くしろって借金つみあげてどの口がいいますのや。金持ちから取るようにしますけど、それでも知れてるいいますなあ。中間層をそだてるのが税収面ではええそうですから、やはり競争力つけてもらわんとあきまへんで。消費税は払ろうてもらいまっせ。

 仕事は国民のがんばり次第でっせ。隣国から仕事とってくるくらい競争力をあげるのが方法のひとつですから、円安は効果あったんちゃいますか。

 福祉は子供には今後手厚くしまひょ。高齢者には負担してもらえる人にはたっぷり負担してもらいまひょ。

 原発は、代替エネルギーのめどがつくまではしっかりだましだましでも使いまっせ。国民は停電の恐ろしさを知らんようですわねえ。そらもう仕事になりまへんで。電気はなにがなんでも止めさせまへん。

 TPPは、農業の守るべきところはまもって、国内向けには農業生産高をあげるための道具にして農業に活を入れる。競争力のある工業製品ではえげつなく稼ぐ。日本は製品では負けてるように見えますけど、部品ではぜんぜん負けてまへんで。」

 政治家先生は、お貴族様でもなければ、富豪、名家ではなく、人種や民族がちがうわけでもない、我々日本人から選ばれている。どこかの国みたいにわずか5%のほにゃらら党が牛耳る国家ではなく、ちゃんと選挙で選ばれている。ただ、日本は幕末から長州政権のように見える。現総理は地元が山口県。歴代総理大臣には山口県が多い。長州といえば毛利、と思うのだが、別に毛利の殿様が日本を支配しているというわけではない。たぶん、思想、というものが受け継がれているのではないかと思う。源流は吉田松陰。彼の思想と行動により幕末の日本はすごいことになってしまった。現代にもそういう思想が受け継がれているように思う。それゆえ、政治家の脳裏には「吉田松陰ならどう考えるか」という意識は少なからず働いているとおもわれる。だからアメリカの手先だったり、中国にへつらっているとか、韓国に弱腰、ということはないと個人的には信じている。

国民は、先にのべた生活視点でものを考えるのであるが、政治家はそういうわけにはゆかない。国民には知りえないさまざまな危機を事前に察知し、それに備える施策をおこなう。ただ、国民やマスコミとは視点や長期展望がちがうので、芝居もうてば、とぼけたりもするのだろう。

どこに投票するのか考えもしたが、いろいろ大変そうな世界情勢なので、なんとなく大きな政治上のたくらみに乗った方向に、ちゃんとたくらんでいる党と政治家に投票したいと思った。

 

2013年6月29日(土)

 夏のデンドロ、デンドロビウム・ハワイアンキング ‘ジャイアント’(2010年8月5日)のつぼみが大きくなりつつある。

 久しぶりに更新をした。もっとまめにラン画像を撮影しないと画像のストックがないので更新へのモチベーションが沸かない。そういえば撮影したくなるような目だったランは咲いてないなあ。ありゃ、なんかやばいんじゃね、ちゅうくらい開花している株が少ない。

 ツニア・マーシャリアナ(資料画像2012年8月5日)につぼみが出てきた。

 

 よく晴れて暑い。風が通る家の中は涼しい。

 ラン棚にアクセスしやすいように庭に道を掘った。掘った土を積み上げて山を作った。毎年山を作っているなあ。今年はどこまで高く出来るか遊んでみようか、などと思った。

 追加で作成した黒大豆の苗を植えた。この苗床は乾燥しやすいのか水遣りをサボるとすぐ苗が弱る。かなり余剰があるので、畑の隙間に押し込むように植えた。 この夏の畑は黒豆のみ90本体制でゆく。極力ほったらかす。

 

 テレビ録画を見ていたら6人の企業で、電気自動車のスポーツカーを作っている、という紹介番組があった。自動車産業というのはいうまでもなく、わが国の産業の主力とも言うべき巨大産業である。それを車体を作り、電池や充電器などパーツを買ってきて、くみ上げて、スポーツカーにしてしまうというのはなんちゅうことやねんと驚いた。近い将来産業の大転換が起きるかもしれない。家電の巨大企業の存在感がかすんだように、自動車の大企業もその存在意義を問われる時代がさっさと来そうな気がする。ソニーのVAIO車とか、パナソニックもクルマをだしたりして。案外アイリスオーヤマ車が市場を席巻?

 5年後、若い人たちの間でクルマをつくるのがはやったりして。車体をアマゾンで注文し、それが家のガレージに届けられる。電池、モーター、充電器、シート、クルマ用パソコンなどもすでに届いている。これらを組み付けたら、クルマ用OS「CarsOs3.1」なんてのをインストールする。もちろんプラグアンドラン対応。クルマパソコンは、カーナビ、通信機能、テレビが標準装備で、ユーザーが組み立てた車の部品のエラーを検出し、問題がなければ国土交通省と通信して自動的に認証を得る仕組みになっている。ユーザーは画面に「認証OKです」と出たら公道に出られるのだった。すげー。こうなると、儲かるのはOS、電池、モーター、充電器、シート、パソコン、車体のメーカーである。電池もいろいろあって、かさばるけど容量が大きくて安い硫黄系やらシリケート系とか、パワーが出るコバルト系とか、やっぱり安全性に配慮してリン酸鉄系やニッケル水素とか、自動車に特化したいろいろな電池が群雄割拠して、ユーザーは好みの電池を用途と経済性に合わせてミックスして使用できる。エアコンじゃ電池がもたないので、直接ケツを冷やすペルチェ素子が流行る。かつてパソコンはNECが独占していた時代があった。1台50万円もしていた。いつのまにかパーツで組める時代がきた。10万円のパソコンは3万円で組めるのである。150万円のクルマが30万円で組める時代がくるのではないか。

 これまで自動車は芸術的なまでに精緻な機械だった。エンジンという重くて精巧な機械が複雑な燃焼という化学反応を制御して動力を生み出していた。燃料から走行へのエネルギー効率は10%程度という。このエンジンについてはスパコンまでつかってものすごい研究が必要だったのである。1台100−300万円もする高い機械だけに内装も凝ることが出来て高級感があった。けれど車の運転自体は肉体労働であることには変わりがない。いくら高級車でも居眠りなどすれば棺おけと同じである。「パーカーやってちょうだい」とか言って任せられるのなら任せて本でも読んでいたいと私は思う。

クルマは今後家電になってしまうかもしれない。そういう家電化したクルマはまた一味違うことが起きるのだろう。

5年後のクルマは運転しなくてもいい。超音波、赤外、電波などのさまざまなセンサーのモジュールが安価につくられ、車体に標準で搭載されている。これらのセンサーの信号と、他車との通信、信号機との通信、道路情報の通信内容をコンピュータは解析し、クルマを安全かつ効率的に走行させる。将棋で人間に勝てるコンピュータなんだから運転ができねえってこたあないだろう。現在開発中のAIが進化し、搭載され、車の運転と乗っている人間の面倒をみてくれるのだった。パソコンカーを組み立てたご主人様は、大きな液晶画面でAIを選択する。メイド服姿の萌えキャラ「嫁ちゃん」を選ぶ。プロパティから、成績を「学年一位」(やたらこの設定は多い)、スリーサイズを88:60:90、「ツンデレ度」のバーを10%、髪はピンク(カラーパレットや数値で指定可)、好みの声優(1358人)から選び、細かく指定しておく。

「いいか、おまえは今日から俺の嫁だ。嫁ちゃんとよぶぞ」

「かしこまりましたご主人様」とアニメ声で対応してくれる。クルマOSのAIキャラクタは標準の冴子さん以外にさまざまな萌えキャラがネットで販売されている。好みのキャラクタをえらび、自分なりにスリーサイズだの、理系だの文系だのさまざまにカスタマイズして自分だけのキャラクタを造ることも可能だ。歌唱指導などをしてすばらしい歌声をもつキャラとか、秘書業務に特化して仕事でも使えるキャラとか、エロ過ぎて表に出せないのとかさまざまである。

「今日はどうなさいますか?」

「まずはコタツの電源を入れろ。走行中40℃で」。コタツはモーターの熱を熱媒体の循環により温める仕組みになっている。車内は、運転席パーツの値段が高いので運転ははなからしないことにしてOSに任せてしまい、コタツだけがあるというオタクっぷりである。

「そうだなあ、まずは日本橋のアニメイトまで運んでもらおうか」

「こちらの地図のこの店舗ですね」画面に地図と店舗の写真が表示されている。

「ああ、そこへたのむ。電気は足りる?」

「往復120km、バッテリー容量の30%ほどです。電気代は120円ほどです」。10kmあたり10円見当じゃなかったろうか。電車代より安いことや車体の安さ、維持費の安さにより自作自動車はますます需要が増加している。このOSのAIは世間話機能が充実していて、悩みは聞いてくれるし、適切なアドバイスもしてくれるので、道中も退屈しない。途中腹が減って「マクドが食べたい」といえば「画面にメニューが表示され、選べば決済して、最寄の店舗と通信して待たずに商品を受け取れるという至れり尽くせりであった。この時代スマホはもうすたれている。しんどい姿勢であの小さなデバイスを指でしゃっこしゃっこやって体の不調を訴えるよりは、自作車でくつろいでAIと楽しい会話に興じる若者が増えているのであった。

ヘッドセットをかぶると天井の360度カメラに連動したバーチャルな街の風景に、立体的な嫁ちゃんと二人で差し向かい、さながら二階建てオープンバスでデートでもしているような感覚を味わえる。ユーザーの視線の先にあるものを判別し、「あれ何?」と問えば「新しく出来たショッピングモールです」と答えてくれる。

「バイト先コンビニの店長なあ、ちょっと理不尽なのよね。おればっかつらく当たるてか」とこぼせば、

「なにかしませんでした?失敗とか?」と親身な顔をして話を聴いてくれる

「そういえば誤発注で幕の内弁当を余分に20個もいれちゃって、売れ残ってたなあ」

「だめじゃないですか。そりゃ怒りますよ。しっかりしてくださいよぉ」と適切なつっこみをいれてくれる。じつは話し手の表情をよみながらさまざまな受け答えが可能で、なおかつカウンセラーのノウハウがソフトに実装されており、話しての日ごろのストレスを和らげたり、気持ちの整理に役立ったりする機能があるのだった。これに近いものがすでに存在しているらしい。「なんかクルマに乗ると気持ちがすっきりして、次の行動がみてくるんだよね。励ましてくれるし。元気が出るんだよ」というユーザーの評判を勝ち得たOSってのがあったら売れるんじゃないかなあ、と思う。逆にそういうのってちょっとやばくね?って思わないでもないが。いや、そういうのはギャルゲーが先にやるか。会話ですすめるAIギャルゲーってなんかやばそうだなあ。

CarOSはスマホに取って代わる。AIはバックグラウンドでご主人様の情報をそれまでのケータイ端末の履歴やクラウド、アクセスした情報などから分析し、その性癖、人格までも把握する。「嫁ちゃん」はますますご主人様の好みを理解し、かくしてクルマ内部は自分の部屋よりも心地のよい世界へと変化し、若者はその世界に耽溺してゆくのであった。

 

フィクションだけど、そういうところを目指しているように思われる。

 ふと思うのだけれど、なんでもITでやっていると、機械で出来ることが衰退しないだろうか。 

 

2013年6月28日(金)

 くもり。梅雨らしい天気である。夜にランをみてまわったけれど、あんまり変化はないか。パフィオ2株に花芽らしきものがあるのがうれしい。なんというかパフィオの花なんて久しぶりだよねえ。ああいうお花はめったに見られない時期ですよね。村上園芸の展示会を逃すと秋のラン展か、冬のラン展までパフィオのご尊顔を拝するチャンスがない。

 

 本日も青天の霹靂的なあれやこれやが。きつい日々だが、ある意味安定していたというか、変わりのない日々だったかもしれない。ある日を境にまったく環境が変わってしまうということはある。思い出すのは東京出向。あれも6月だったなあ。拝命したときには「うわー、かんべんしてくれー」とか思っていたが、長い人生通してみれば「東京は楽しかった」ということになっているのである。なんとなく今後も読書中毒のままでいるわけにはいかないようだ。余命などと縁起でもないことを昨日書いたが、確かに残された時間は少ない。大きな変化があるとして、それまでの時間を大事にしよう。

 

2013年6月27日(木)

 くもり。梅雨らしい天気である。狂い咲きデンファレの3つある花のうち1つがしおれはじめた。葉のないはげバルブからの開花なので、養分持ち出しのサービス開花だし、夏に咲くようなもんじゃないので、1ヶ月も咲いてくれれば御の字である。小さい鉢なのに新芽が3つもあり、透明な緑色の根が美しい。蘭の根を鑑賞したくなる時期だなあとおもう。週末は肥料をやろう。

 

 本日もひどい目にあった。今月はなにか特別なのか畳み掛けるようにいろいろあるなあ。予定表に「ほにゃらら事件」という、ろくでもない目にあった場合の記述がたくさん残っている。本日のやつは大打撃なのかもしれない。結構堪えたけれどくよくよする暇もないくらいいろいろな処理をした。明日は明日の風が吹くのだろう。なるようにしかならんよねえ。出来ることをせっせとやるだけ。苦労は買ってでもしろ、っていうけどねえ。

三日で6冊読んだら本日は老眼が進んだように思える。なんか作業する手元がよくみえないのよ。なんか人生短そうだなあと思う。あと1年、いや3年で死ぬ、って言われたらすっごい仕事しそうな気がする。まあなんか本日ある方面の仕事でばっさり切られたように思うので、大本命の仕事に、もう余命1年くらいの気持ちでぶちあたってみようか、などと思った。クソ暑いのにまたすごい本気がでそうである。そういう意味では「惨憺たるチャンス」といえるかも。

 

2013年6月23日(日)蘭棚設営

 くもり時々雨。梅雨らしい天気である。やっと蘭棚設営に着手。スチール製の棚を裏庭からずーるずーるひっぱってきた。これに孔をあけた横木を2本ボルトでとめ、これにべつの2本の横木を木ねじで固定した。脚立を使うおっかない作業であった。雨が降ってきたが、そのまま作業した。昨年使ったネットを物置から引っ張り出してきて鋲でとめた。ランを置く棚はそのままだと4トレイほどしか置けないので、長い横木を何本もわたしてその上にトレイを並べ、7トレイほど載るように拡張した。裏の蘭棚で込み合っていたランを設営した蘭棚に運び込み、それぞれの棚で蘭株の間を広く取ることが出来た。やれやれ、やっと夏が来た、という気分である。

 毎年同じようなことをやっているのだからだんだん手際はよくなってくる。

 

2013年6月22日(土)

 くもり時々雨。フウランのつぼみが多数出てきていた。

 

 黒豆の苗がかなり大きくなったので、先週耕しておいた畑に植えた。ネットで「黒豆の育て方」を調べた際に、「植えつけて水遣りをしないほうが苗が必死になって根をはるからあとの成長がよい」とあったので、過保護に水遣りしたいのを我慢した。程なく小雨が降ってきたがまあ問題はなかろう。できるだけ手抜きで育てる。ただ、もうしばらくして大きくなったら「てきしん」といって成長点を摘んで、横への生育を促す作業をおこなう。苗は81本で畑にはほかに何も植える場所がなくなってしまった。先週新たに撒いた種は不用だったようだ。庭にでも植えるか。

 

 アジアティックリリーという分類のゆりがこの時期さかりである。庭が大変華やかだ。今年は香りのよい7月開花予定のオリエンタルハイブリッド系のゆりの生育がいまいちのように見える。中には大変生育のよいものもあり、220円で買ってきたダイエーの見切り品球根「コンカドール」は2年目の開花で、庭と畑に植えているものが、畑の株はなぜか成長点が二つに分岐してそれぞれ14個ものつぼみを付けてお化けみたいに大きくなった。畑のものはつぼみがひらくごとに1輪ずつ切って鑑賞することにしよう。

 

2013年6月18日(火)

 くもり。水遣りをして蘭の配置をあれこれいじっておいた。遮光面積が足りないので蘭がせせこましく並んでいる。週末に蘭の棚を立ち上げないとねえ。

 

 夜中に腹痛で目が覚めた。ブルーチーズにあたったらしい。寝込みを襲われたような気分である。両手から血の気が引いている。こういうのは初めてなので大変びびる。ふらつきながらもトイレに入って毒気を抜こうと勤める。これからどんな目にあうのかわからないのでかなりの恐怖を感じた。日常の健康がどれほどありがたいかわかる。それはなんだかはるかな高みにあって、私は奈落に沈んでゆくような感覚を覚える。健康だったものがある日突然失われてその後どうなるのかわからないというようなことは自分の年齢では珍しいことではない。ああ、元気な時にもっとやるべきことをやって置けばよかったなどと考える。そういう真夜中の思いっきりど暗い思考に打ちのめされて過ごす。実際は20分ほどだったろうか。苦手なリバースもなく、出すものを出して、正露丸を飲んで寝床に入ったら落ち着いた。朝には体調はほぼ正常だった。いろいろが単なるとりこし苦労というやつだったらしい。けれど感じた恐怖は本物なので忘れずに時間と体を大事にしたい。

 

2013年6月16日(日)

 宣伝:村上園芸 展示会 ダイキ明石店 6月20-23日(アップロード忘れで宣伝にならず)

 

 本日も真夏日である。昨日の雨でからから状態を脱した。蘭はそこそこ相変わらずという状態である。夏用の棚の設営のため用地の整地を昨日やって、本日は棚をはこびこむところまで進めなかった。

 

 このところの高温のためジャガイモが枯れたので芋ほりをした。大きくはないが、食べられそうな芋を10Lほど、おそらく10kgくらいを収穫した。畝の下をモグラのトンネルが縦断していた。モグラが不作の原因というわけではなさそうである。大汗をかきながら耕しておいた。

 黒豆の苗を追加で作成するため、花と野菜の土105円を100均で買ってきて苗用トレイに植えつけておいた。余った土で、あさがおやマリーゴールドの種もまいておいた。

 ほりあげたチューリップの球根をむきをほぼ完了した。開花球と小球をよりわけておきたい。はたして我が家で出来た球根で来年必要な球根をまかなうことが出来るのであろうか。

 

 公職にあるひとが、職場で関係した人間の悪口をネットでつぶやくとマスコミに相当たたかれるものらしい。特定できる人や団体の悪口を誰にでも見えるところに書き残すのはやってはならない。それでホテルを首になった従業員とかいたしねえ。でもその公職の人が責任者で、関係者から罵声を浴びせられるようなつらい状況を経験したり、仕事がしんどかったりしたらぼやきや悪口もでるだろうねえ。そういうのをマスコミがとっても大きな増幅された力で叩くってどうよ。役人だから叩く、っていう風にみえなくもない。国家が国のカネで多額の予算で運営しているええ大学を出て、これまた難関の試験を受けて入ってきた官僚をなにやら叩きたい人が多いようである。マスコミが叩きたい人に迎合してそういうことをやる。官僚というのは、中国の共産党員とはちがって世襲制ではなく、だれもが努力すれば試験を受けてなれる。それに仕事の割りに給料は安い。2000万稼げるええ大学を出ている優秀な人材が800万の給料で誇りを持ってきつーい仕事、サービス残業、深夜労働ではたらいている。しかも復興財源で8%の給料を差し出して働いている。実のところ、常人をはるかにしのぐ能力を発揮しているのだが、その能力は常人には計りがたい。昔は「官」といえばかなり敬意をもって扱われていたものだった。それをなんというか最近はあまりよい印象をもって見られていない。多くの日本人は、上に立つ人を、盛り立てるでもなく、不当に引き下げるようになってしまった。今後まじめに働く官僚にヤジを浴びせる人が増えるのではないか。これは優秀な人材が人のために働くモチベーションを損なっているようにみえる。結局損をするのは自分たちだと思う。

 

2013年6月15日(土)

  宣伝:村上園芸 展示会 ダイキ明石店 6月20-23日:スタンホペアのつぼみつき、つるらん、だるまえびね、初夏咲きパフィオなどなどを販売なさるとか。

 

久しぶりに雨が降った。梅雨はどこにいったのかという真夏の天候が続いていたので助かった。雨の中球根ほりを完了し、畑をたがやしておいた。こういうしんどい作業は、日曜日にやると月曜日にぐったりして仕事に障るため前倒しで無理やりがんばった。たまねぎ跡地を掘り返すと多量の肥料の塊が出土した。備中グワに肥料の板が突き刺さって現れるのである。ぶっかけただけで混ぜていないという雰囲気だ。担当した母は近年すっかり衰えてしまい、なにやらおそろしい土作りをやらかしていたようである。こりゃ葱坊主だらけのたまねぎになるはずだとおもった。黒豆もあまり期待できないかもしれない。

 

 先週植えた黒豆が86個も芽吹いて苗作りは例年になく順調に見える。苗床に、100均で買った「花と野菜の土」を使ったためか、例年使う普通の土よりも軽いのか水もちがいいのかやたらと発芽率がよろしい。一昨年の80株を思い出すのだが、やたらと実のつきが悪かったのでなんとなくいやな予感がする。昨年は苗が14株しか取れなかった一方で、豆はいいものが出来た。つかいものにしたため家では1株しか食べていない。

 例年さつまいもを植えるのであるが、つる1本30円とおもうと今年はやめておこう。あす見切り品を見かけたら考える。黒豆の苗が安い調達コストで多量に作れたので(土代105円、種は310円)黒豆一本で畑全面を使う。

 

 昨日職場付近は猛暑日36℃を記録した。二日続きの猛暑日である。まだ6月なのに・・・。前日の天気予報で、大阪だけ全国で唯一猛暑日が予報されており、周辺の気温の記録を見てもよくあたっていた。天気予報ってすごいなあ、と驚いた。

 

 中華パッドがなぜか復旧した。接触不良だったのだろうか。また壊れることもあるだろう。静電パッドで世間はスマホに入れ込んでいるようだが、扱っている姿勢をみるとなんか肩がこりそうだし、首に悪い、目に悪いんじゃないか。何年かしたら「スマホ訴訟」とか起きないのだろうか。

中華パッドをあつかっていてそれほどのもんかなあ、と思った。ネットやってもなあ。ゲームなんかもなんか時間がもったいないとおもってさっぱりつづかなかった。コミュニケーション能力が下がってああいうものしかやることがなくなっているのではないか、という恐るべきことを考えたりした。リア充ならもっとほかに楽しいことがあるんじゃないの。昔「ザウルス」ってのがすごく流行ったけど、いまだれも言わないよね。ガラケーも絶滅危惧種になりつつある。スマホもここ2年ほどだけど、あと2年も経てば別のものが流行っているように思う。しかし最近のスマホはやりすぎでしょう。

 

2013年6月11日(火)

 デンファレが狂い咲きをしている。葉のないバルブからにょろーんと花茎がでて、2花開花し、つぼみが1つある。新芽も3つでている。ピンクのデンファレで確か捨てられていたのを救出して3年かかってさいてくれたやつだったろうか。この株があるのでしばらくは花が途絶える心配はなさそうだ。

 

 月曜日は球根堀の疲れで体中が重かった。肉体労働が翌日に堪えるトシになったのだなあ。ついこの間まで若いつもりでいたのだけれどもうすっかりおっさんである。成人病の心配をせにゃならん年齢になっている。人生あっちゅうまだよ。子供のころは時間がたっぷりあったという印象だったけれど、就職してからホントはやかったねえ。かなり堅実にやってきたことを振り返って、若い子供らにいってやりたいことは山ほどあるけど、言ってためになる人間ならもう行動してるだろうなあと思って好きにすれば、と投げているのであった。私にしても自分で痛い目にあって軌道修正をしつづけてきたのである。人間は変われるか?。答えはYesだ。悪い習慣を絶つこともできるし、かみさんや同僚からの諌言を聞いて自分の行動をあらためることはできる。自分で自分の起動のずれを検出して多大な努力で軌道修正を行う。攻めるべきときは自らの判断で攻勢をかける。だがそれがさっぱり出来ない人間はいる。そのほうが楽だしね。ああ、今日も君たちはやすきにながれているねえ。楽あれば苦ありだよ、人生は。私は教育も下手だったんだなあ、と振り返って思う。

 

2013年6月9日(日)

 宣伝:村上園芸 展示会 ダイキ川内店 6月13-16日

 

そういえばシンビジウム・スイートデボン ‘スイート’(2009年6月13日)が咲いていた。ちょっと前までシンビジウム・デボニアナム2010年6月19日)も咲いていた。

 

 先週に引き続きチューリップの球根掘りをしている。本日は庭。毎度きついなあ。大変汗をかいた。こうやって汗をかいておけば暑くなってからも体がついてゆける。ただ、先週の球根堀は疲れが抜けずに月曜日は散々だった。明日は大丈夫だろうか。(えらい目にあった。仕事きつかった)

 

 今年のたまねぎはたいそう不作だった。

 

2013年6月8日(土)

 植え替えにやっと着手。26株を植え替えた。リカステって毎年やっているような。コケの劣化が早いなあ。

 

黒豆の種を農協で買ってきた。なぜかある農協一箇所だけが100g300円の黒豆の種を扱っている。100g300円ってのは安い。128粒を専用のトレイに植えた。例年この日付ちかくでやっている。昨年は苗の歩留まりが悪くて14株を植えただけだったが豆のつきがよかった。一昨年2011年は80株植えてさっぱり豆がつかなかった。2010年は20株程度植えたが豆のつきがよかった。毎年さっぱり読めない。

空梅雨で好調と思われていたジャガイモがへろへろになり、30kgとれそうとかおもっていたのが、あんまりとれそうもない。

たまねぎは不作。やたら葱坊主がでてしまった。

 

小遣いを使う気力がなく、欲しいものもまったくないので12000円くらいたまっていた。家族をつれて食べ放題に行ってきた。なんというか久しぶりに焼肉というものが食べたかったのである。最近これといって食べたいものもないので、こういう欲求は大事にしようと思った。いろいろ食べて最初の30分くらいたいそううまかった。しかし、やっぱり食べ過ぎて気持ちの悪い思いをした。家族は淡々と食べていた。5人で9000円である。我が家にも世間並みにさまざまな不幸というものが存在する。おっさんが少々悩んで努力してもどうにもならないことはある。あれやこれや悩んでもしょうがないなあということをくよくよ考えずに淡々と受け止める。まあとりあえずみな元気に食えるのだから客観的には幸せなのだろう。おっさんになると、少々いいことがあってもさっぱりうれしくはない。どうしても冴えない部分や、ほころびた部分に目がいってなさけなーい気分で過ごすことが多い。また仕事が過熱気味だからどうしても先を読んでしまうためだろうか。

小遣いを使わなくなったのは過度な読書が原因だろう。昨年の今頃は「業務スーパーへ通う」というのが趣味だった。近頃はわずかな時間も惜しい。朝、昼、晩と時間を作っては読む。一日3冊や2冊という日もあり、平均1.3冊というペースまで加速している。図書館が優秀すぎるのではないか、と思う。どのくらいすごいかといえば、大型書店で新刊が売り切れてない状況で、図書館にはそれがあるのである。新刊が入ったことをネットで察知するや、図書館で誰よりも早くその本をゲットできた。大型書店の棚をみて、だめだこの本屋、とおもった。棚には新刊がなく、図書館では閉架入りしているような本がならんでいるのである。商売ってものがわかっていない。これじゃアマゾンにやられるはずだ。どんな仕入れをしているのだろうか。もっとも図書館(3市5箇所)のヘビーユーザーになると、もはやアマゾンやブックオフなども用がないのであった。

本大好きの高校生ならスマホで図書館の新刊くらいすぐに察知できるだろうに、おっさんの方が情報と機動力が優れているのである。スマホを使って何かをしようという発想がなくて、スマホをつかうことこそが目的なのかもしれない。いや、ただ単にラノベの読者がもはや高校生ではなくおっさんということかもしれない。しかしえらそうなことを書いているが、私はまだ図書館でリクエストを出したことはない。本好きの癖に情けない限りである。いち早く新刊を読めるのもリクエストをだしてくれた方のおかげである。その方を差し置いて本日新刊を2冊も借り出してくるとはけしからんとは思う。

 

2013年6月3日(月)

 日誌が5か月分にもなり、巨大化していたのでぶった切った。

 

2013年6月2日(日)マキシラリア開花

 昨年も咲いていたマキシラリアが開花した。えーと、クルティペスだったかなあ。たしかI氏からのいただきものだったような。

 

 えらくしんどい作業の末に畑のチューリップを全部回収した。チューリップの球根は地表から20cm以上の畑深くにもぐりこんでいる場合がある。掘っては土をかき出し、球根を取り、という屈伸作業を延々繰り返して下半身はがたがたになった。運動不足だ。球根はバケツ4杯あった。開花球根は何球になるか来週集計する予定。

最近気温が28℃を超えるとぐったりする。汗腺が十分に機能していないのでなんというか大変不快に感じる。こういうしんどい作業をして汗をかけば夏に順応できてよろしいかとおもう。それにしても今週も能力が足りなくて蘭の世話にたどりつけない。

 

ショパンの舟歌、Chopin Barcarole in F sharp major Op60 にはまる。20回くらい聴いた末に、なんかええなあ、と思い始める。今年は年明けからずっとショパンがつづいている。はまると2ヶ月ぐらいそればかり聴いていることがある。水面をわたる風を想像する大変さわやかな曲で、誰しもある過去の切ない記憶なんかも呼び覚ましてくれるなんとも懐かしい味わいがある。最近深夜アニメ以外ほとんどテレビを見ないのでどんな曲が流行っているかさっぱりわからないけど、流行の曲ってキャッチーである反面、短く曲想も単調ですぐ飽きてしまう。こういう曲は実に濃いので100回くらいは飽きることなく聴ける。この曲は現状中ほどが何度聴いても覚えられない。図書館では5人ほどの名ピアニストが演奏したものをただで借りて聴くことが出来る。動画がみられる環境ならば、曲名を検索するだけで簡単に聴ける。

 

2013年6月1日(土)ノビル系デンドロ開花

 またまた追加でいただいたノビル系デンドロが開花した。

 

 畑のチューリップを掘り返した。時々大きな球根がある。開花球根がどのくらいあるか集計したほうがよいだろうなあとおもう。

 

 田母神俊雄著「ほんとうは危ない日本」を読んだ。核兵器で日本の各都市に狙いを付けているかの隣国と今後やりあうのなら日本は核武装すべきである、と述べている。抑止力がないのだから向こうが結構強く出てしまうというのは予想できる。交渉する政府の人間だってびびるだろう。国民は大騒ぎだ。そのときになってあわててもしかたがない。

核兵器の材料も技術も日本国内にはある。精密誘導長距離ミサイルもプルトニウムもたんまりある。だから「なんちゃって核兵器」を持ったらええんちゃう、と思う。いや、もう持っているといってもいいだろう。先方が「東京を火の海にしてやる」といったら「あーら、こっちだってもう5000発は用意してますのよ、おほほほ」といってやればいいのだ。「沈黙の艦隊作戦」とでもいうか。核兵器をもっているかもっていないかよくわからない作戦である。国民の手前核兵器を持つというと政権はこけるし、アメリカもいい顔はしないだろう。だから「プルトニウムをここにいれるだけ」、というミサイルと、「ミサイルに入れるだけ」の形にしたプルトニウムをつくっておく。プルトニウムは国際的に厳重に管理されているのだけれど、「安全な形」に加工して厳重に保管しておく。そう、「サトウの鏡餅」みたいに。そういうなんちゃって核兵器を用意しておいて、あながちうそでもないはったりをかませばいいのである。「いやー、アメリカの核ミサイルの部品って日本製だもんね。本家日本のミサイルはすごいよ。核シェルターくらいは突き破ってねらった獲物(人民からたっぷり巻き上げた富で地下はにこもっているえらいさん)ははずさないよ」ぐらいいってやれ。

 

 最近中国がどうなっているという報道がない。少々不気味ではある。経済が調子悪い、ということはあちらにしてみればえらいことではある。何らかの報道管制を疑う。結構やばい状況になっているのじゃないだろうか。

 

 こういう自主検閲にひっかかるような内容ばかり書き散らしているから最近アップロードができないのだろうなあ。まあおっさんのたわごとだ。

 

2013年5月25日(土)ノビル系デンドロ開花

 追加でいただいたノビル系デンドロが開花した。

 

 バブル崩壊前に就職した当時を振り返ると、初任者研修からして「財テクのすすめ」なんてのをやっていた。講師が財テクの必要性とうまみについて軽快に語って聞かせるという研修で、株価は3万円台、もっとあがるという当時のこと、俺もやってみようかな、と思うことは思った。同僚はせっせと財テクに励んでいたようで、毎月7万円儲かっているという羽振りのよい話も聞こえてきていた。安月給で親を養っていた身としては元手がないので株などはやらずせいぜい郵便貯金の定額積み立てをやっていたぐらいである。だが、ほどなくバブルは崩壊し、羽振りがよかった同僚は300万円の借金をかかえて返し終わるまで結構な年月かかったとか、嫁さんをもらうまでが比較的ながかったというか、相当な痛手だったように記憶している。

 株って資産の一部として長期にもっている分にはまあそれもありかなっておもうけど、なんか最近の株やってるってまあバクチというかパチンコみたいにみえる。円安で輸出が伸びそうだから株が上がるって雰囲気だったけど、日本企業なんかこれっちゅう技術や製品やサービスがあって伸びているように見えない。そんなんだからぱっと価値が雲散霧消してしまうはかなさがある。経済活動があさましいギャンブルに見えるってのはなんかこの国のぐずぐずぐだぐだ感が悲しい。アベノミクスはみんなでがんばれば本当の繁栄を享受できるかもしれないけど、金持ちの金あそびに振り回されているうちはまだ本物じゃない。いや、むしろ金持ちの金遊びこそがえげつない規模なのかもしれない。格差が広がっていいことなんか何もないのだから金持ちのあぶく銭にえげつなく課税するのが政府の仕事じゃないのか、と思う。それで国を出てゆく金持ちなら出て行ったらいいのだ。

 中国の経済失速を受けての暴落だったらしいけど、じゃあ日本に仕事が戻ってくると考えれば長期的に株価が上がったってよさそうなものだけど、コンピュータに「中国失速という発表だったら株を売れ」と設定してあったとかで、一斉の売りになったというのがまたなさけないような。やっているひとたちはそういう株の怪しさゆえにぱっと逃げる気まんまんで取引して、逃げた挙句の暴落といういかにもバブルっぽい軽薄な経済だったというわけで、まじめにやっている人たちはいい迷惑だろう。

 通りがかった電気屋で4Kテレビが売られていたのをみた。もうでているのかと驚く。これまでのハイビジョンと並べて展示してあったのだけれど、違いのわかるおっさんではないので正直ありがたみがわからない。15万円もすんの?。テレビって高いんだなあ。パソコンの液晶画面をテレビと兼用しているため、15000円ほどだし、チューナーはHDDレコーダ12000円だ。パソコンは3万円ほど。目玉から液晶までの距離は40cmである。近いので大画面っぽくみえなくもない。パソコンとテレビを行ったり来たりしながら使っている。もはやテレビを買ってまでみたいとは考えていない。リビングでごろごろすることはもはやないし。すこしはキレイかもしれないけど、そもそもテレビって高い金払ってまでみるような内容だろうか。画面がきれいになったら映画がそのぶん面白くなるだろうか。和田秀樹著「経営者の大罪 なぜ日本経済が活性化しないのか」に「企業経営者が低俗な番組にスポンサーになるから番組の質が下がった」と書いていたが、そうだなあ、としみじみ思う。また、HDD外付け1TBが9800円もしていた。HDD1TB中古3000円+ケース1500円で運用しているが、2TB外付けが6980円だった頃もあるのだ。なにこの異常な経済活動は。需要もある重要な商品は、価格が下がりこそすれ上がったらいかんだろうと思うのだけれど、なにかいやらしい価格操作とかしてないだろうなあ。ひとつ思ったのは希土類の輸出規制が原因だろうか。ディスプロシウムだったか強力な磁石の材料が強烈な価格上昇に見舞われているとか。世界シェアの9割をしめていたかの国が突然輸出規制なんかするからだろう。けしからん話である。そんなへぼなやり方じゃあ経済が失速して当然じゃないか。

 

 古森義久著「『中国の正体』を暴く アメリカが威信をかける『赤い脅威研究』の現場から」を読んだ。中国すごい軍拡で大変な兵力である。もちろん核兵器も宇宙兵器も戦闘機も原潜も中国はいろいろ取り揃えているおっかない軍事大国であることを知った。厳しい現実を知るのはこたえるなあ。

昔日中戦争というのをやって日本軍が中国に攻め込んでいったのだけれど、緒戦から大変な苦戦で、基本的には負けていたのだった。日本人にはどうしても日清戦争で勝ったという記憶だけが鮮やかに残っているらしいけれど、泥沼のような日中戦争で多くの日本兵を失い挙句負けたということをあまり語る人はいない。あんがいベトナム戦争という超悲惨な戦争を知らないという人も多いのじゃないだろうか。私だって知っているとはおこがましくもいえないけど、アメリカはものすごい兵力と物量を投入して激しく戦ったけれど中国に援助されたベトナムにじわじわと押され、とうとうベトナムから追い出されてしまったのである。韓国の兵隊さんもアメリカの手先として送り込まれ大変な目にあったそうだ。もちろんベトナムの人たちも大変だったろう。ベトナムすげーなあ、と思った。ベトナムと中国がそのあとカンボジアをめぐって戦火を交えるのだがそのときもベトナムは中国を押し返した。ベトナムすげー。いや、ベトナムの話じゃない。朝鮮戦争というのも大変悲惨な戦争だった。やっぱり中国がすごい兵力でやってきて米軍とやるわけで、結局2つの国に分裂していまだににらみ合っている。チベットはダライラマが治めていたものを中国がわーっとやってきて占領してダライラマを追い出してしまった。中国はインド、フィリピンともにらみ合っている。

話はかわるけど韓国で「原爆は神の懲罰」って新聞に書かれたという。え?あちゃらの神さんそんなことしはるの?、って思った。ぼくキリスト教徒じゃないけど、かの宗教って「神は人間を愛する」みたいなことが根底にあったんじゃなかったっけ?。それなのに非戦闘員20万人を懲罰的に殺してしまいなさるのか?。なんか教義に反していないか。ゆうたら異端?。まあ多分キリスト教徒じゃなかったんだろう。

まあそういう突っ込みは脇においておいて思うのは、韓国は日本を攻撃することで中国に矛先を向けられたくない必死のパフォーマンスをしているのではないか、と思ったのである。だって、親の代が朝鮮戦争みたいな悲惨な目にあっていまだに砲弾が飛んでくる国なのだ。日米韓と中国北朝鮮で紛争が起きたら真っ先にやられるのは韓国である。「中国はん、うちら日本と仲間ちゃいまっせ、日米とやっとくれやす」という必死のジェスチャーかなあ、と思う。だから竹島パフォーマンスやら従軍慰安婦問題をむりやりにでも蒸し返して両国間の関係悪化を装っているのではないか。正直かの国の大変な状況は私が子供のころ「夜間外出禁止」とか、ついこのまえのデフォルトとかいろいろみている。この東アジアに暮らす恐ろしさを日本よりもよく知っているのが韓国の人たちで、我々はたぶんそのあたりの機微はわかっていない。我々日本人はせいぜい新しく出来たショッピングゾーンとかスポーツ芸能とか、物価や給料、余暇の過ごし方ぐらいしか関心がない。そういう現実の日本人に、「歴史認識」なんていわれて、そんな80代以上のじいさんたちが担っていた当時の出来事を言われて国家間が険悪になるわ、デモが起きるわ、店が破壊されるわ、なんてのは、当時を知らない学習能力の低いおっさんの私にとっては困惑するばかりである。ああいうのはそういうのを持ち出す国家がある目的をもって敢然とやっているのである。その恐ろしい野望をくじくにはどうしたろうかと考えをめぐらせる。

アベノミクスってそういう意味で経済戦争なのかなあ、と思う。あの軍事大国とまともに戦ってもめもあてられないことになるだけだ。だから経済でゆさぶっているのかもしれない。こんな政府じゃやってゆけない、というようなことをかの国の指導者はいろいろやらかしている。どうも経済失速があの指導部には堪えるらしい。かの国の仕組みさえ民主的になればかの国は経済の牽引車として心強い世界の仲間なのである。だから日本が市場をとりに行く作戦が発動しているんじゃね。アベノミクスはそういう死活問題の大事な政であるやもしれず、それをかるがるしく「なんか油の値段があがったのよね」とか「株が下がって早くもめっきがはがれた」とか、「円安で庶民はわりをくうし、給料はちっとも上がらないし、いいことはない」とおもっちゃいかんのかもしれない。むしろ「内部留保を溜め込んで、リストラしまくり、非正規雇用を増やし、ベア0社会にして経営者の保身を図り、イノベーションはさっぱりやってこなかった企業しっかりせい」って思って欲しい。

 

2013年5月24日(金)ノビル系デンドロ開花

 いただいたノビル系デンドロが開花した。2株目。

 

 夜帰ってきてバス停でバスを降りると、街頭に照らされた川べりの白壁があり、そこに見知ったカエルがいた。昨年同じ場所に5月から10月あたりまで見かけたカエルじゃないかとおもう。夜になると川の石の間から出てきて、比較的明るい白壁にたかる虫を食べているものらしい。このカエルは本当に昨年のカエルなのだろうか。いつも同じ場所にやってくるというのは、その場所を記憶するだけの知能があるということなのだろうか。ダルマガエルほどの大きさなのだが、いかなる種類のカエルなのだろうか。いっぺんとっつかまえて撮影するなどして個体を特定し、長期間観察してみたいものである。

 

2013年5月20日(月)ノビル系デンドロ「名古屋」開花

 I氏に昔いただいたノビル系デンドロ「名古屋」が開花した。

カトレアワルケリアナセルレアxシレリアナ セルレア2010年6月13日)は朝方大変よく香っていた。

 

職場でそだてていたアマリリスが金曜日に開花し、月曜日はつぼみ3つが咲きそろって実に見事だった。大きなカトレアみたいな花である。品種はみたところアップルブロッサムらしい。アマリリスもええなあ。

 

2013年5月19日(日)カトレア開花

 カトレアワルケリアナセルレアxシレリアナ セルレア2010年6月13日)が開花していた。なかなかいい感じの面白い姿をしたカトレアである。

 

風邪を引いてどろーんとすごしている。風邪を引くと当然のことながら気分が悪い。あんなに働いて、さまざまな困難を乗り越えたあげくこんなめにあうとは、なんというふんだりけったりな毎日、と悲憤慷慨しちゃうよ。

 

2013年5月18日(土)

 風邪を引いてどろーんとすごしている。この一週間調子が悪かった。本来なら植え替えをする予定だったが体が言うことを聞かない。

 

 風邪を引いているくせに読書のペースが落ちない。むしろ一日2冊ペースになっている。することがないからだろう。読書中毒もたけなわだ。今年の読書量は118冊(33036p)で、うち1冊を105円で買った以外は図書館で借りたものである。残り日数227日を一日1冊ペースで読むと年間では345冊読める。くらくらするようなすごい冊数だ。積み重ねると3mちょっと。昔一緒に飲んでいた東大出のおじさんが年間700冊を読んだというからすごい。このまま加速して一日2冊ペースになれば可能かもしれない。懸念ははたして345冊も読みたい本が図書館に残っているのか、ということである。現状3市の図書館から借り出した23冊がつみあがっており、買い集めた備蓄も60冊ほどある。図書館には閉架図書というものがあり、ちょっと古いラノベはこちらにはいっている。ネットで予約すれば簡単に借り出すことができ、多量の読むべき本があるようだ。

 読書管理というファイルを作り、図書館から借りた本の返却予定をチェックしつつ、読む本の順番を日程表にして、読んだ本の感想や読書記録を作成している。

 感想の記述が貧弱だなあと、読書記録のエクセルファイルを見て思う。ラノベの紹介サイトや感想書きまくりサイトがあるが、頭が下がるほどいっぱい書いてある。まあ読んで楽しければいいのだ、と割り切ることにしている。

 

2013年5月14日(火)

 蘭はすべての株が屋外にいる。朝から水遣りをした。

 

 タイム特ダネハンターKojimaです。私は現在西暦2013年5月14日大阪の中心地梅田にいます。時間は現地時間8:30をまわったところです。本日は痴漢の逮捕についてレポートをお送りします。

 痴漢というものがこの時代の日本には驚くべきことに日常的に存在していました。現代2199年の我々はもはやそのような社会的な病理から解放されていますが、この時代の女性たちは絶えず吐き気を伴うような暴力に晒されていたのです。

 本日取材に応じてくれたのは会社員A子さん25歳です。取材に関する交渉などは我々独自のノウハウや技術等あって公開できません。たとえばみたものを忘れる光線とか、自分のことを仲間だと思わせるガスとか、自分のことを小石くらいにしか思わない存在を消しちゃう帽子とか使ってないんだからねっ!。

A子さんは、痴漢多発地帯で有名な地下鉄御堂筋線のラッシュアワーにここ半年の間繰り返し同じ痴漢に体のあちこちを触られるという恐怖の日々を送ってこられたそうです。痴漢に遭遇したあとで出勤した際、嘔吐をくりかえすほど心理的な責め苦をうけつづけていたことを本日同行している男性の同僚B氏32歳が目撃しています。

 B氏「いやあ、真っ青な顔して震えながらトイレから出てくるんですよ。繰り返ししつこくでしょ。男にはわかりにくいもんでしたけど、彼女の様子を見ているとこりゃたまらんのやなあと思って、こうやってその痴漢のゲス野郎をとっ捕まえてやろうとこうやってでばってきたちゅうわけなんですわ」

 Kojima「でも危なくないんですか。この時代はナイフ振り回したりするそうじゃないですか。刺されでもしたらどうします?」

 B氏「相手がそうでてきたらいろいろ撃退兵器があります。まずカプサイシンスプレー、そんで「目がぁ、めがぁ」とムスカになったところでひっこかしてこのスタンガンでビビらすと。もういっぱつですわ」(画面の隅に「ムスカ」についての歴史的試料映像が流れ、当時の若者の心をとらえた名作映画の悪役であると紹介される。このほか有名な名台詞には「人がごみのようだ」「どこへゆこうというのかね」「ラピュタの王の前にいるのだ」などがある)

 Kojima「そらまあえらい念の入ったことで。おおこわ。」

 当時の大阪の人たちはこのように緊張する危険な局面でも「いちびる」というジョークを飛ばしつつリラックスして平常心を取り戻すという大変たくましい人たちのようです。

 彼らは改札を抜けると互いに無関係を装いホームへとおりてゆきます。

 通行人「あんちゃん、あんた何ちゅう格好をして地下鉄のってまんねん。その服ボタンもないけどどうやって着るの。なにこれ、カメラ。のぞきとちゃうやろねえ。おもろいわぁ。あほみたいやけど」

 あほみたい、とは本来の意味では「知能の足りない人に見える」という意味なのですが、実際は「笑いの取れる人気者」という意味でこの大阪では用いられているようです。ですから全身銀白色でカメラつきゴーグルをつけた明らかに怪しい私の取材が単に「いちびっている」と受け取られるため今回の取材は大変やりやすいものでした。ちょうどあそこに「ゴシックロリータ」と呼ばれる全身黒ずくめのひらひらした暑苦しい衣装を着た40台の女性が立っています。当時はこれを見る人が「痛い」といっていたそうです。意味は「あんたそこまでやるか、すげーなあ。おれには視線が痛いのでそこまではやれない」という意味の一面リスペクトを含んだ感覚とでもいえばいいでしょうか。以前に江戸の回で紹介した「かぶく」という要素がこの時代の日本にもあったということでしょう。この時代はこの女性のように人の視線が痛い「コスプレ」や、乗用車と呼ばれる内燃機関でたかだか100km/hで走行する乗り物に当時を代表する絵師による「萌え画」を貼り付けた「痛い」がもてはやされていました。現代では名画である「萌え画」をプライベートな交通手段に描いて町を闊歩するというのは大変爽快な「痛い」ではなかったでしょうか。

 さて、地下鉄は淀屋橋駅に到着してものすごい込み具合になってまいりました。A子さんは、本日のために比較的長いスカートを着用しています。当時の日本は女性に対する偏見が強くて、「あんたがそんな短いスカートをはいてるから男がその気になっちゃったんじゃないの」という信じられないような官憲の暴力発言が行われ、女性は怒りのために言葉を失うというようなことがあったそうです。その予防策として、この時代太もも丸出しでパンツがみえそうなミニスカートが横行しているのですが(資料映像、駅の階段をしたから見上げて女性のあられもない姿を撮影した映像。その瞬間Kojimaは盗撮容疑で連行されるが、「もしもし、本部のフジコさん、官憲につかまってしまったので転送おねがいします」といって亜空間に脱出する。)そういうことを言われて裁判で紛糾しないために予防線をはったそうです。

 混んだ電車の中でA子さんは比較的痴漢によく遭遇した場所で待機しています。B氏は隣のつり革でA子さんからの合図を待ちます。私はステルスカメラで彼らの真上から状況を撮影しています。A子さんスカートは長いんですが、カメラの位置からだと胸の谷間が良く見えています。なかなか大きな胸です。現代の我々からすると数段大きいのではないでしょうか。我々はもはやむらむらしたりはしません。性欲は自宅の医療マシーンによって数値化され、適正水準になるまで専用の機器によって「抜かれる」わけです。われわれは誰でも気軽に、効率よく、快適に、気持ちのよい「抜く」行為になじんでいます。この時代そのシステムがないことはお気の毒というほかありません。この時代の男性には、科学としての性欲の処理が未発達でした。この時代の1世代前などは、よその国の女性を無理やりさらってきて軍人の性欲の処理にあたらせた、と隣国から訴えられているそうで、この時代では大変な国際問題になっています。つい先日もこの地域の政治家が、この国に駐留する軍隊に性欲の処理について「国内の風俗産業を活用せよ」という趣旨の意見を述べ、世間の顰蹙を買っていたそうです。驚いたことにこの時代お金を支払うことで実際の女性と性行為を行える場所が珍しくもなく存在しているというのです。その性行為自体は明確な売春として法律で禁じられているのですが、女性には経済的事情が、男性には男社会としての性欲への寛容さからお目こぼしがなされているという驚くべき状況です。政治家が法律違反を他国の軍隊に薦めるというくらいぶっとんだ時代だったのです。また当然その料金は大変高価で、給与のあまり高くない軍人にその利用が可能かどうかは疑問の残るところです。それ以上に、軍組織の予算が暗黙の了解とはいえ本来非合法な行為に支出される道理がありません。日本政府にそのツケをまわされたら国の予算審議が紛糾するのは明らかでしょう。なんにせよ、そのような産業の存在は、現代を生きる我々からすると驚くべきことです。

性欲の処理についてその重要性に着目し、政府が予算をつけて行われた試みが行われた時代でもあります。それは南極調査隊に支給された「南極1号」と呼ばれる抱き人形でした(資料映像、「あ、それバーバラさんといって似てますけど時代がべつです。アニメだし」)。歴史的な試みでしたが、こっけいな失敗として語り継がれてしまいました。この「ちゃんと抜く」という重要な着眼が生かされなかったため、この分野での技術的な開発はこのあと数十年を待たねばならず、当時の特殊な病理を抱えた男性は性欲に突き動かされ、女性の股間の撮影、今回紹介する痴漢行為、はては女性宅に押し入り強姦を働くといったとてつもない狂気の犯罪が繰り返えされていたのです。

再び電車内の映像です。多くの乗客が乗り込み車内はすし詰め状態です。われわれからすれば、何でこんな混雑した環境で男女が接触しているのか疑問に思うのですが、これが当時の大阪の有り様でした。A子さんは車両中ほどのつり革につかまった状態で、B氏はその隣で同じくつり革につかまっています。彼らの前で座っている乗客は目を閉じて寝ているようです。乗降口から通路を男が歩いてきました。どうやらA子さんに接近している模様です。問題の痴漢は先ほどの淀屋橋駅から乗り込んでくると考えられています。身長171cm、体重76kg、小太り、てっぺんが薄くなっているのがカメラからよく観察できます。心拍数が徐々に上がっているのがセンサーにより捕らえられています。おっと、A子さんのうしろで止まった。痴漢の日ごろの行動として、男性性器を怒張させてA子さんの臀部にこすりつけるという行動がよく行われているとのことです。そういうことをして何がえられるのかわかりにくい行為です。実はA子さんのスカートの当該部位にあらかじめ色のついた粉をつけてあり、犯行が行われた場合痴漢の股間が着色され、痴漢の明確な証拠が得られる仕掛けになっています。おっと、問題の行動を痴漢が取り始めた模様です。A子さんの血圧、心拍数等に劇的な変化が現れています。これはよほど嫌悪を感じた際の反応です。この時代の人の感覚でわかりやすく言えば、スピード違反で捕まってこっちへゆけ、と誘導されているときの人間の反応に近いものがあります。脳貧血に似た感覚をあじわっているのではないでしょうか。一方の痴漢は大変強い刺激を脳に受けていることが陽電子観察によりわかります。常人には得がたい感覚を得ている模様です。痴漢はある特定の人間が行う行為ですが、その背景にはこの強い刺激に対する抗いがたい欲求という脳科学的な病理があると考えられています。なにしろ他人に最大級の嫌悪を与えて行う身勝手で独りよがりな大迷惑行為ですからまともな感覚ではこういうことをなせるはずがありません。映像は滑稽ですらありますが被害者にとっては許しがたい犯罪が行われているのです。

十分「証拠」が痴漢についたと判断される状況でA子さんはとなりのBさんに合図をおくります。まもなく心斎橋駅に電車が入ろうかというところで、A子さんはBさんの腕をつかみました。

B氏「おい、あんたなにしてんだ!」。周辺の乗客が振り返るようなすこし大きめの声を発します。痴漢は突然のことにびくっとひるんでいます。畳み掛けるようにB氏は痴漢の腕を押して「降りよう。降りましょう。話をしましょう」と痴漢を押して戸口へ移動します。しおしおと動く痴漢はどことなく元気がなく、こちらも先ほどのA子さん同様劇的な血圧と心拍数の変化が見られます。脳貧血状態でしょうか。A子さんも続きます。ホームでB氏は臨戦態勢のまま痴漢を確保し、A子さんが駅の人間を連れてきます。痴漢はぐったりうなだれています。やがて二人の駅員とともに全員がホームをあとにします。周囲の人々はなにがあったかわかったような顔をして視線を送っています。

駅員室において確認が行われ、警察が呼ばれて、関係者全員が警察署に移動してのやりとりになっています。痴漢はC氏36歳、商社に勤めるサラリーマンです。彼の年齢を考慮して、A子さんの母(51)、C氏の上司D氏(48)が呼ばれています。C氏は痴漢の容疑を認めており、繰り返し行ったことも認めています。警察は、とっ捕まえて裁判、という方法もあるが、当事者同士の示談も可としているそうです。この時代熾烈な競争をおこなっていた科学技術の予算を削減しようとしたことで有名な女性議員の秘書が、自転車に乗りながら女子高生のおしりを触ったことでつかまり同じように示談になったということもありました。今回の場合も関係者一同お金による解決を図るもようです。A子母より50万円という金額が提示されましたが、C氏は経済的に困難であるのか減額を要求、D氏もC氏の給与水準について言及し、30万円で決着したようです。この金額は、この時代の人たちが日ごろ使っている乗用車で事故を起こした場合の修理費ほどに相当するものです。少なくない金額ですが、勤め人には比較的軽い罰といえるのではないでしょうか。もちろんこの種の犯罪を二度としたくない程度の金額であり、上司に知られているということが社会的にも罰を受けているという状況にあることが考慮されているようです。また、このようなやり取りとなった理由は、C氏が前科者となってしまった場合職を失うなど、生活に支障を来たすことを配慮してのことでしょう。D氏は、会社の長に報告はするものの、仕事はまじめなC氏をこの件で辞職させる気はないようです。

D氏は仕事のあと居酒屋で我々のインタビューに応じてくれました。

Kojima「Dさん、C氏はなぜあのようなことをしてしまったのでしょうか」

D氏「Cは、まじめなんですけど、ときどき自制が働かないって言うんですかねえ、熱くなってしまってやりすぎてしまったり、言い過ぎてしまったりっていうタイプでもあります。もてないタイプで、どことなく女性を下に見ているふうもありました。女性にコンプレックスがあるようなところもあります。あの歳で独身ですからいろいろ屈折した思いもあるのかもしれません。

Kojima「この時代の人は誰しも痴漢をしたいと思うほど欲求をためこんでいるものなのでしょうか?」

D氏「私自身は電車で女性に触りたいと思ったことはないんですよ。大半の男性はそういうことをすると恐ろしいことになるということがわかっている。だからまずもってやらない。けれどときどきなんでこの人こんなことをするかなあ、という人はいます。男性にはお手軽な性欲処理方法があって、無理に禁欲しなければ変に欲求を溜め込むことはないでしょう。ただ、盗撮、痴漢、強姦という行為は男性の私からしても異常だと思います。見ず知らずの女性に手を出すというのはもはや病気なんじゃないかと思うんですよ」

D氏の「病気ではないか」というのは的を射た見解でしょう。現代の我々は、脳内で抑制が利かず社会的禁忌を犯してしまう疾患が存在することをみいだしています。この時代の人々がそのような病理の存在に気づき、早く適切な処置が行われることを望んでいます。

Kojima「ちなみに、「こうしたらいいよ」って助言したり技術的な情報を漏らしたりするとボク首になっちゃうんであしからず。」

D氏「ボクと契約して、ドラえもんになってよ、ってわけにゃいきませんか。それにしても女性のこういう苦労って男にわかりにくいものですよね。昔、満員電車の中でガタイのでかい男が押してくるもので、押し返してやったら、こっちが辟易して逃げても執拗に押してくるって体験があってものすごく怖かったんですよ。ああいう目に男はなかなか遭う機会がないけど、女性にとっての痴漢ってのはやはりガタイがでかい何考えているのかわからないやつが迫ってくるっていう恐怖の部分だけはわかったような気がしましたね。女性がどんなにこわいめにあっているか男の視点ではわかりにくいことに気がつきました」

Kojima「そうですね。この時代の病気は、相手がどういう気持ちになるかってことを想像するスキルが低いっていうところから始まっているように思いますよ。我々の時代はそういう教育はしっかりしてますから」

痴漢にかぎらず、数多くの女性への虐待が存在するこの時代の病理は、当時の男社会とその男性の想像力の欠如からきていることをまだこの国の人々には理解できていません。そのような想像力の欠如が、本来最高の知性をもってあたるべき隣国との関係さえギクシャクしたものにしており、我々が歴史で知るこのあとの東アジア紛争への火種のひとつとなったことはみなさんご記憶のことでしょう。私たちの時代の意見は、当時の女性にもこの時点で十分に行動を起こせる力があった、にもかかわらず問題を放置した責任があったとされています。当時の女性はどうせ男社会だからと男性に任せきりにしていた面もありましたし、日本人男性は長年それをよしとしてきたのでした。そういう震源地の大阪のあの時に、一人の勇気ある女性の行動をみていただきました。それではまた別の時代でお会いしましょう。

 

こういうことを書くと痴漢でつかまりそうでいやなんだけどなあ。

 

2013年5月12日(日)Cym.デボニアナム、Den.ハンコッキー開花

 朝から天気がよいのでランを出した。Den.ハンコッキー(2012年5月7日)とCym.デボニアナム(2010年6月19日)が咲いていた。なんというかナメクジが跳梁跋扈しているようでいろいろ被害が出ている。3月あたりから活発に活動してナメクジ殺しを撒いたが薬効が薄れているのか駆除できていない。薬を替えるかして駆除に努めよう。

 日光がきつくなってきたので、裏手の蘭棚「寂光院」の復旧にかかる。この土地は時々すんごい強風が長時間吹きすさぶので、棚も傾いてぼろぼろになっていた。あっちおこしこっちおこし、まきついた遮光ネットのからみを解いて、形は思い出したが、いろいろ補強、補修をしなくてはならない。

 午後になり暑くなってきた。葉がやけそうなピーカン照りだ。壊れた棚をちょこちょこ補修してなんとか使えるようにした。10トレイほどこちらに移してひとまず安心である。いろいろ植え替えの必要なものがある。

 

 本日は村上園芸が近くに来ていたのだが、かみさんが風邪を引いて週末の活動がさっぱりわやになったため一日中家に居た。

 3時に寝て朝7時起きで仕事と激突していた。忙しいのではなくてリソース(時間と能力)が足りないのである。ラノベ読みの速度が一日1冊を上回って備蓄が3冊できているので、そのリソースを仕事に回す。いらんことをいろいろしつつ、時々仕事というだらけスタイルである。

 22時になって、二日がかりの仕事にめどがついた。眠いなあ。

 

 和田秀樹著「経営者の大罪 なぜ日本経済が活性化しないのか」を読んだ。いろいろそうだそうだ、と経営者の悪口を言いたくなる気持ちになる本だ。リーマンショックがあってもサムスンやアップル、グーグル、アマゾンは元気だったようにみえる。経営者はなにをしていたのか?と誰しも思うだろう。NHKの再放送で「メイドインジャパン逆襲のシナリオ1 岐路に立つ日本の家電産業」をみた。「経営者の大罪」にもあったように経営といものが自由闊達なものづくり環境、働き手を縛りつけ、イノベーションから遠ざけていた例を見た。これは日ごろいろいろ感じることではある。製造業では事故を恐れるあまり徹底した安全管理を行って働き手の事故対応能力を低下させている。事故の多くは、現場の腕っこきを大量リストラしたあげくに起きている例が多いのだが、管理のし過ぎで、製造を行う能力そのものまで低下させ、さらに事故がおきるという悪循環をまねいているのだ。経営と現場の乖離は深刻である。業績にこだわって株主にいい顔して働き手をないがしろにした挙句の凋落である。200兆円の内部留保なんかせずに働き手を大事にしてイノベーションしてりゃこんなに落ち目にならずにすんだろうにと思う。ほんとはらたつなあ。現場でいろいろ飲まされた煮え湯の味を思い出すよ。リスクとってしくじったら文句言われるし、それなら危ないことをしないで指示待ちをしたほうが無難にサラリーマンをやってゆける、という風にもっていったのはほかでもない経営者だ。

番組でもすばらしい製品がいろいろあったものが軒並み開発中止に追い込まれたという。画面全部にピントがあっているテレビというのはいいなとおもった。現在のハイビジョンは、レポーターにピントが合っていると、レポーターの「どんだけほくろつけてんねん」「生え際がやばそう」「てかっている」「ちかいちかい」というあまり見たくもない部分が鮮明に見えるのだが(それでテレビ離れか)、背景に気になるものがあってもぼやけている。それを画面全部ピントが合うという、アニメ的なことが起きる。本来人間は視線の先にピントを合わせるからそれがぼやけているとストレスをかんじていないだろうか。これは映画でもそういうストレスを感じたことがある。全部にピントがあっているテレビというのはあったら欲しい。

 でもまあ円安でちょっと前の水準の100円くらいになっただけで「儲かりました」という話がいっぱい入ってくるところをみると、円高というのがかなりの足かせだったのだろう。けれど、政策ひとつでこんなに為替が変化するってのはどういうこと?と思う。よほど副作用も覚悟して使っている「強い薬」なのだろうか。やっぱり国際政治がらみの大きなシナリオが透けて見えるような気がする。 

 

2013年5月10日(金)

 今朝の最低気温は7℃を下回っていたらしい。それなのに蛙が鳴くからとランをだしっぱなしにしてしまった。本日も寒い。いつまで寒いのやら。

 

 また本日も己をうたがうようなポカをやらかしていた。なんか日々のふんだりけったり状態が強烈だ。しかし三連コンボで襲い掛かってくる仕事の締め切りのせいでくよくよしている暇がないのが助かる。

 

2013年5月9日(木)

 今朝の最低気温4.9℃から昼は一転27.5℃を記録した。日格差23度。それにしても5℃を切っているのには驚いた。

 朝蘭をだして、こんばんはぬくいので蛙も良く鳴いていることだし出しておく。

 

 職場でへまをやらかして始末書を書いた。気をつけてよく手当てをしていた部分で思いがけず青天の霹靂のようにしくじりが出た。よく「信じられるのは自分だけ」とかいうけれど、「自分を過信したらあかん」「まず自分を疑え」と思った。同僚のサポートでポカが大きくなるところを小さくしていただいたのだ。隣近所はありがたいのである。方々に頭を下げる。50人くらいを前に堂々とよどみなく自分の不始末を報告するというようなこともやった。たいていは情けない気分で落ち込むところなのだが、逆に攻めに出てやたらと仕事がはかどった。たるみきった気分に喝が入ったのだろう。毎日いろいろなことがあるなあ。

 

2013年5月7日(火)

 寒い一日だった。もう出しっぱなしで遮光の心配をしなければならない時期のはずがランを家にいれたままであった。いまだに電気ストーブにお世話になっている。

 

 2TBのHDDのプロパティをみると「2,000,396,288,000バイト 1.81TB」と表示されている。ざっと2×1012という数字と1.81TBがどうやってイコールになっているのかよくしらんけど。桁が兆に届いている。2バイトで1文字くらいの情報量だっただろうか。つーことは1兆文字の情報が記録できる?。ラノベの1pは40文字*16行=640文字、300pだと192000文字(ラノベ毎日1冊読むと約20万文字を脳みそは処理しているのね。手書きで1文字書くのも結構手間かかるのにねえ。4時間で1冊読むとすると毎秒14文字を処理している)。1兆字はざっとラノベ520万冊分の文字だ。すげー。20年くらいかけて2000冊読むのがやっとだったので、その情報量のすごさにくらくらする。1年に100冊読んでも52000年かかる。うまく詰め込めば図書館分くらいはHDD1個に入るんじゃないだろうか。

最近は死ぬまで読んでも4000冊ほどしか読めそうもないなあと思うとなんか焦りを覚える。人生はたぶんそんなに長くはない。

 日ごろ当たり前に使っているパソコンだが、なんというかいろいろすごいところがある。エクセルのデータが6万行くらいになってしまってグラフにすると編集できなくなることがあった。データを100行ごとに間引くマクロというのを記述したりした。コピペでやったら気の遠くなるような作業を数秒でやっつけてくれた。使う私の能力がないだけで、パソコンでものすごいことが出来るのだろうとは思う。いろいろと奥が深いのだ。

 本日本屋で「一生使うXP」というタイトルを見た。そこまでゆきますか。

 そういう奥の深いパソコンが廃れて、パッドやスマホになってゆくんですかねえ。なんからくーな方へ楽な方へと退化していないだろうか。変な例えですけど、おうちのデスクトップパソコンってのは、一戸建ての住宅みたいに書斎ありリビングありのくつろげる空間のイメージだとすると、ノートパソコンってのはビジネスホテルっぽくて、スマホっていうともう夜行バス、ケータイはテントのイメージである。特にネットに繋がっていないおうちのパソコンは落ち着く。ものをじっくり書いたりするのにネットに繋がっていると実にじゃまくさい。なにしろ画面の隅にメールが届いたとか表示されるわけだし、なにか気になることがあるとネットで調べたりして実にせわしない。外から来るものより、自分の中からでてくる疑問や考えを計算したり文章にしたりするほうが面白いと思う。 

 

2013年5月6日(月)

 よい天気であったので蘭を出し、水遣りをする。まだ寒いので夜は取り込む。

 トップページにSlc. Rocket Burst ‘Deep Enamel’ HCC/AOSをもってきた。毎年咲くカトレアだが、今年は3月21日ごろにすでに咲いていたような記述があり、現在も咲いている。ちゃんと記録していれば50日咲くすごいカトレアということになるのだろう。

 

 どのような行楽も思いつかなかったので読書だ。すっかり年寄りになったなあ。図書館に2冊返して2冊借りてきて、1冊読んだ。ゴールデンウイーク期間中10日間で12冊読んだ。

 ゴールデンウイークとやらが終わる。読書ばかりしていないでもっとまじめに仕事をしておけばよかったと思う。一日1時間では足りなかった。そういう奴隷根性もなんかまずいんじゃね、と思う。一方で、春の野山を歩いて置けばよかった、というようなことも考える。蘭の棚の整備をすればよかった。思えば悔いの残らない連休の最終日というものを経験したことがない。だらだら過ごしていたことは確かだ。

 

2013年5月5日(日)

 よい天気であったが家族の用事で出かけたため蘭は出さず。

 

 村上園芸より展示会の案内が来ていた。ダイキ神戸北町店5月9-12日だそうな。

 

 8時ごろ駅にリリースしてもらい、仕事にゆき、点検等を済ませて、川西図書館で3冊借りて、昼過ぎに日本橋へ。さすが人が多いねえ。しかし、まいどまいど都会へ出るというとまったく変わりなく同じコースをたどる。本当に発想が貧困な休日の過ごし方であった。何か新しいことをやろうとか何かに挑戦しようというようなことがない。またぞろパソコンのHDDの空きが少なくなってきたので安いものがあったら買っておこうと思ったのである。血出痔、じゃない地デジの録画で結構HDDが埋まるのでその交換用にも欲しい。ところが最近のパソコン離れでHDDの生産制限、はたまた円安によるものか、HDDは価格が高騰しており、中古HDDは欲しい1TBが三千円(2012年12月)だったものが→3480円(2013年3月)→3980円(2013年5月5日)と値段があがっている。自作ショップですら目当ての1TBは新品が6000円台、2TBも9千円から8千円後半というお値段である。そこに本日は中古2TB5980円という特売品を見かけてしまった。当初1TB3000円で2個希望していたのである。探し回った挙句1TBは3980円が相場だったため断念。2TBなら1TB2個を一まとめでお徳感がある。2TBを買うからにはWindows7にしよう、と3年位前から考えていた憧れのHDDであった。今となってはちょっと容量の大きなHDDでしかなく、Win7て「はあ、なにそれ」というものである。しかしそんなでかい容量のHDDってXPで管理できただろうか?などと素人的なひるみを覚えて、いったん引いて頭を冷やす。

前回見つけたラノベ10円コーナーで24冊もラノベを買いつつ、HDDについてじっくり検討する。前回3月に買ったラノベ20冊を一冊も読んでいない。しかし、図書館にはない癖のありそうなタイトルが10円で並んでいるのでつい手を出してしまう。50円の棚からも2冊買う。本日図書館から借りた3冊、現時点で読んでいる2冊とあわせて合計で31冊にもなり、かばんが膨れ上がった。本だけで3kgはありそうだ。

前回買ったラノベにまったく手がつけられなかった理由は、この期間図書館から借りてきた50冊を読んだので買い置きを読む暇がなかったのである。こんだけラノベを溜め込んで突如読む気が失せてしまったら大変だろうなあ。昔新書に凝っていたときにそういうことがあった。ラノベバブルになってしまう。まあ、本日の多量なラノベにしても330円だったから大した損失にはならないとはおもうが。このところの苛烈な仕事で心が折れたらそういう事態もありえる。

あれこれ考えて、やっぱり2TBが5980円はお徳と判断して、見かけた店に戻り、買うことにした。これまでHDDは2年間値段が乱高下した。2年前の最安値は5千円台だったので、それより高い値段で中古を買うというケチな私にとっては屈辱的な状況である。つまり2年間パソコン用HDDは値段が動かなかったということだ。それ以前の20年間HDDの容量は毎年増加し、値段は安くなった。最初の自作パソコンのHDDは容量500MB、次が1GB、8GB、20GB、40GB、80GB、120GBとまあここまでがIDE型のHDDだったか。いまのパソコンになってシリアルATA型のHDDとなり、500GB、1TB、+1TB、+2TBと増設をやってきた。その間HDDは容量あたりの値段が常に安くなりつづけていたのである。それがここへきて止まってしまった。大変な変化だ。

時代はまさにスマホということなのだろう。私は明らかに流行に置いてきぼりをくらったのである。それでも私は言いたい。「スマホなんざまっぴらだ」と。老眼だしね。

まああほな動画をしこたまいれてもHDDは早々埋まらなくなった。好きなものをどれだけ入れても、それを楽しむ時間のほうが限られているのである。個人が必要とする容量を遥かに超えてしまったと見えないこともない。地デジの30分が3GBなら、1TBはざっと10000分で、そんなに録画しても全部見るのにぶっつづけで7日間かかる。この娯楽過剰な世の中でそうそうテレビばかりをみてもいられないよね。

今後HDDは高値安定しそうだ。これまで購入したSATAHDD6個(0.5,1,1,1,0.5,0.25TB、合計4.25TB、うち新品は1個だけ)は1個もつぶれていないのでまあ悪い買い物にはならないだろう。

 大阪駅でかみさんへのみやげのアップルポテトパイを買ってよたよたかえる。そういえばなにやら新たな繁華街がこの近辺に出来たらしいが、興味がないのでスルーだ。どうせ人が多くて近づくことすらままならないだろう。本を読んでいるほうがなんぼかいい。

 げしげし本を読んだおかげで本日分は読み終わり、読了寸前の本が別に2冊ある。つまり、読書に備蓄ができた。おかげで忙しい日に分厚い本に当たっても毎日一冊のペースはゆるがないということである。変な習慣を作ると縛られて往生するなあ。

 帰ってひと心地ついたところでパソコンをあけてHDD2TBを取り付けてみる。あっさりと認識され、フォーマットして使えるようになった。この間10分とかかってない。地デジ録画に回すHDD1TBから2TBにデータを流し込む。138分かかるそうだ。交換してとりだしてみるとHDDというのは茶が沸かせるくらい熱くなるのだなあ。機械ってほんとすごいなあ。HDD1TB1個でDVD-Rざっと200枚分のデータが入るってんだから。

 

2013年5月3日(金)

 昨日の最低気温3℃という寒い5月である。蘭をだしていない。

 

 仕事が不首尾で反省して過ごす。まあうまくゆかないことはある。どろーん。ほんとまじきつい4月だった。基本的にゴールデンウイークというものはない。正月からこっちのんびりしたことはない。

 

日誌2013年4月へ

 

Top 日誌 蘭のリスト 蘭扉頁 画像掲示板 球根園芸館 画像登録 

 

SEO [PR] カードローン比較  空気洗浄 冷え対策 動画 無料レンタルサーバー SEO