蘭馬鹿日誌2015年および更新記録

ランのよしなしごとをつづる。下に行くほど昔 

連続有蘭花日数 5249日(2016/1/1)201409-12月 2014年2-8月 2013年10月-2014年1月 2013年5-9月 2013年1-4月 20128-124-720123-201112-1110-520114-201012201011-1020109-720106-420103-1200912-109-76-420093-1200812-1110-98-76-54-320082-1200712-1110-98-76-542 32月後半2月前半20071200612-111098765432200612002 12 11 10 9 8 7 6 200512-111098-76543220051200412-1110987654322004120031211109876543220031200212111098-320022-12001年以前   日誌迷作選

 

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2015年9月27日(日)

 懸案の秋の植え替えをやった。手入れが悪いとあきれる。こんなに弱るまでほうっておいたのかとランに謝りつつ手を入れた。枯れなければ御の字だ。

 

 岡田尊司著「インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで」を読んだ。とてもヘビーな内容で、ぐったりと疲れた。子どもにスマホを与えている方や、スマホを長時間ご使用の方は是非お読みいただきたい内容であると思う。スマホ依存は麻薬中毒と同様なことが脳内で進行していることがよく理解できた。症例はたっぷり紹介されており、さまざまな実例が紹介されている。依存症からの復帰の仕方についても具体的かつ懇切丁寧で、大変良書だと思う。日本の依存症対策は大変立ち遅れていることを理解できた。今後は、この対策に取り組む政党に票を投じようとおもう。それくらい大事なことが書かれていた。

 

2015年9月25日(金)

 いろいろあるが、まあ一山越えたようではあるし、ちょっとずつでもランに手を多くかけて世話しましょうかね。

 

 自動車の大会社がすごいインチキをやったらしいのだけれど、あのまじめなドイツの会社がそういうことをするというのがショックだ。しかもトヨタと並び立つような大大企業がですぜ。粉飾決算なんかはまだかわいいほうで、肝心要の技術でうそついたらいかんでしょうに。(日本では例のゴムの会社があったのを忘れていた)。しかも検査の時だけ「クリーンでっせ」と偽装して、実際の走行時にどばどば汚染物質をだしていたとか聞いたけど、そういう悪質なことができるものなのだろうか。「原発を止めて火力発電で代替すると4000人が喘息でお亡くなりになる」という記述を読んだことがある。窒素酸化物NOxって喘息の原因じゃなかったろうか。GMの欠陥隠しで200人の方が亡くなっていると聞いたことがあるが、それどころじゃない人数が亡くなっている遠因であるかもしれない。いやびっくりしました。なにが起きているのだろうか。難民をたくさん引き受けてドイツ人ってほんと偉いなあ、と思っていた矢先だけにショックが大きい。

 

 ショックな本。岡田尊司著「インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで」によると「ネット依存者の脳内に麻薬依存者と同様な神経ネットワークの異常が見つかった」という(まだ読んでないけど)。スマホは麻薬、というのはどうも本当らしい。こういう本がでるとアマゾンの書評でくそみそにいわれるものなのだが、さすがにお医者様に言われるとぐーの音も出ないのか、評価が高い。スマホみたいなものをガンガン中高生に与えているのは日本社会くらいなもんだ。高校生スマホ所持率96%って何事?。下田博次、下田真理子著「液晶画面に吸い込まれる子どもたち ネット社会の子育て」によると、多くの親が適切な使用制限に失敗して野放図な使わせ方をしているという。最近の親はそんなにもひどいのだろうか。

 我が家も社会人の長女が自分で稼いだ金でやっとスマホを使うようになった。なるほど便利なもののようですなあ。1ヶ月8000円かかるという。げー、やっぱそんなにすんのか。8000円くれるってんならもってやってもいいよ。たぶんつかわんけど。なんか肩こりそうでいやだ。

娘は高校時代ケータイを持っていなかったクラスでただ一人の生徒だったらしい。別に不自由はしていなかったという。二人の息子らもケータイなしでやっていた。特に要求は上がってこなかった。別に「そんなもんつかっとったらいかん」と禁止方針があったわけではない。彼らの意思としてもたなかったようである。時々「ホントは欲しかったんじゃね?」と聞いてみるのだが、「めんどくさいからなくてよかった」と何度か聞いた覚えがある。あれはめんどくさそうだ。大学に通う息子は、スマホがなくても学業に支障はないという。ただ、時々夜にケータイの無料通話で質問攻めにされる。

 

2015年9月19日(土)

 ランがいろいろ枯れてしまった。原因は、黒大豆の肥料に買った「ようりん」の使い方がわるかったのであろう。それに世話がたりなかった。いろいろあって結構な数の鉢が枯れてしまった。そういうわけで、おこがましくもランのサイトをやっていていいのか、という考え方もあってちょっと更新が泊まっていたりするのである。

 

武田知弘(著)、森永卓郎(監修)「「新富裕層」が日本を滅ぼす」(中公新書クラレ2014)を読んで衝撃を受けた。このタイトルを見て、「そんなことはないだろう」と思っていたのであるが、読みすすむにつれて我が国で進行中の格差の拡大、富裕層が太り、貧困が進行する仕組みの悪さを認識するようになった。

個人の実質的な所得税率(世界統計白書2012年版より)

日本 7.2%、アメリカ 12.2%、イギリス 13.5%、ドイツ 12.6%、フランス 10.2

 日本の富裕層人口2004134万人→2011182万人、:一貫して増え続けたそうです。失われた20年とやらは、庶民が金持ちに富をちゅーちゅー吸われた年月だったのでしょうか。

 アメリカの所得税86兆円、日本13兆円(2009年):日本の所得税収を経済規模でアメリカと比較するため3倍すると39兆円、だけどアメリカの半分以下ってことは、その差47兆円の3分の一、16兆円ばかり税金をとりっぱぐれているってことじゃないの?。消費税分どころじゃないですね。この本の主張する「消費税なしでOK」というのもなるほどと思える。応分に払らわなくちゃならないお金持ちの人が税金を払わずに、貧乏人が消費税を負担するというちょっとかっこ悪い社会ということになりませんかねえ。最近のニュースで預金が1700兆円に増えたっていうじゃないですか。1500兆円っていわれていた預金がどうやって200兆円も増えたのか。庶民の貯蓄は減っているのでだれの貯蓄が増えたのか明白ですね。あたかも国から搾り取った金がお金持ちの預金に流れているってことなんですかね。国立競技場1600億円って、ロンドンの600億円より1000億円も高い分は税金がだれか儲けた人の口座にそんだけぶん余分に流れ込むってことですよ。なんかあのイギリスより仕組みが悪そうじゃないですか。

 お金持ちほど税の負担率が低い:いままで考えてきたように税負担は高いのではなくて実のところ低いのであった。お金持ちほどお金に関して優遇されているのである。

 消費税は、所得の低い人ほど重くなる。最近消費税分がなんか堪えるようになりました。このくらいかな、と思って用意したお金よりぐっと高い金額をいわれていらっとすることがあります。まあ計算能力が低いだけなんでしょうが。

 先進国のサラリーマンの賃金はずっと増加してきたが、日本は下がり続けている。サラリーマン給与の総額、223兆円1998年→191兆円2012年:差額30兆円、そのお金はどこへ行ったかというと、サラリーマンの賃金を減らしリストラをして人件費を確保→企業の業績が上がる→お金持ちへの配当金と企業の内部留保金が激増。企業の内部留保金は一貫して増加。190兆円2002年→280兆円2008年:2008年ごろまで景気拡大が続いていたのに賃金は減り続けた。企業は、株主、つまり金持ちの顔色ばかりをみてきたわけです。あの世界企業のトップですらウソの会計を指示させるくらいかっこわるい状況に追い込まれていました。企業トップは金持ちの下僕なんですかねえ。企業のイノベーションを阻んでいるのは金持ちなんでしょうか。 

平均所得:467万円1997年(過去最高)→409万円2011

 サラリーマンのみなさんは、企業とマスコミに騙されてきたんじゃないだろうか。政府は、税収を確保したいという観点からすれば金持ちのロビー活動にやられて金持ちにいい顔をしてきたのだろう。政治家も金持ちの部類ではある。まあ政治家が金持ちの側に立っているのは明らかでしょう。

 「最低賃金も先進国最悪」だそうです。非正規雇用の方の賃金が正規雇用の賃金とかけ離れているのも日本の特徴とか。

 子供がごはんをたかりに来るという話に衝撃を受けた。食えないのでよその家を渡り歩くのだそうです。子どもの貧困は6人に一人。30人学級だと5人もいることになり、班がつくれますねえ。

 これはいったいなぜこんなことになったのだろうか。公共事業630兆円だの、景気浮揚のための金持ち優遇減税だのをやったためだ。

景気を良くしたければ中間層の給与をあげるのが効果的だ。そういう意味で現状の賃上げ気運は当たり前で、もっと盛り上げてもいいくらいだろう。組合は何をしていたのだろうか。どうも骨抜きにされているそうです。

なんでまたこんなことになったのか、と同僚と茶飲み話をしていたら「日本人があほだからだ」と言われた。まあそういう反省はある。漠然と日本はいいところ、という感覚ですごしていました。そういう面は否定しませんけれど、現に格差と貧困が拡大しつつあるので、己の不見識を恥じてしまう。

企業の経営者は、人件費のカット、非正規雇用の拡大などで利益を出して金持ちの株主にいい顔をして、内部留保を肥やしてきたのだった。なんか魅力的な製品が出なくなってじり貧の企業が多いように思われるがたぶんそうやって魅力が失われてきたのであろう。イノベーションよりも首切りをやって、その浮いた賃金を蓄え、金持ちに貢いでいたようなものだったのだ。

日本人はもっと素晴らしい製品で世界を席巻できる(そういう発想もどうかと思うのですが)。我々にはその力がある。それゆえに我々は非正規雇用であってもしっかり給料をもらって豊かさを享受し、その創造性をいかんなく発揮するべきだと思う。

翻って考えると、1985年に猛威を振るった「ジャパンアズナンバーワン」で日本の強さは世界を席巻したわけなのだけれど、そういうところが世界的に嫌忌されて現状のよくない仕組みになっているのかもしれない。ですが、この格差が蔓延し不安定化する社会に新しい秩序をもたらすことができるのはこの20年間辛抱した日本ではないかと思うのですよ。

金持ちを悪く言うつもりはない。「もっと!もっと!!」と強く思わせるのはお金をみた人間の性のようなものだ。私がお金持ちの立場だったらたぶん同じようなことをしているのだろうと思う。稼げる話があれば乗るし、株を持っていれば企業にもっと配当をよこせというし、合法的な節税があれば実行しないのはバカだと思うのもしごくまっとうなことで、より儲けを増やそうと法令や仕組みを変えようとする努力にもはんぱなく力が入ることだろう。その結果として、貧困が拡大し、よく理解できないけれど近代国家の兵力をもってしてもつぶせない武装勢力の台頭と割拠をまねき、多量の難民の発生、環境破壊、気候の苛烈化を招いているようにみえる。仕組みが悪いんじゃないですかねえ。政府の仕事は、富の平準化というのもあって、富めるものから、貧しいものへと富を分配することも大事な仕事のうちだ。けれど、お金持ちの欲望は、その仕組みを変えるようにがんがん働きかける。1990年あたりから金持ちに政府はまけて、国の借金がどんどん積みあがるしくみになってしまった。

私はお金持ちじゃないけど、それほどいいものかなあ、と見ていて思う。私もお金持ちも同じ大地の上でおてんとうさんの下にいるわけですよ。ひどい目にあうときは一緒ですよ。そのとき、役に立つのはあんがい金塊とかじゃなくて、知恵だったりしませんかねえ。

お金持ちが今後もあまり使いでのないお金を溜めこんだ挙句どうなるかを考えてみた。

あほな消費→CO2でまくり→台風、豪雨、竜巻、寒波、猛暑が超苛烈に。となりの国では空気も満足にすえなくなり、水ものめなくなりつつある。ありゃ強欲経済による国土の破壊ですな。

マスコミのカネによる支配→依存症経済の拡大→労働力の質の低下→産業力の低下→国家破産

政府のカネによる支配→貧困の拡大→テロ組織の強大化→難民の増加→国家破産→ついでにテロの支配領域の大拡大→ひょっとして世界中テロ国家に?

株主の言うことを聞きすぎる企業→労働者の首切り、給料低下→イノベーション力低下→業績低迷→粉飾決算→社会的信用の失墜→競争力の低下→廃業(どこぞの企業は、株主に対し経営者が「うっさいだまれ、株価があがりゃもんくねえだろう」といってイノベーションをして強くなった)

明るい未来について考えて見ましょう。まず国家が税金をきっちりとる。富の平準化をきっちりやる。株主の企業ではなく、天下国家のための企業であるとする法整備。企業は労働者の雇用の安定化とイノベーションの推進。マスコミを公務員にして5系統くらいの組織にして互いに競わせ、スポンサーの金は国庫にはいる。また、一国に限らず世界的な貧困対策を最重要課題として率先して解決に名乗りを上げるべきでしょう。まあいろいろむずかしいのだろうなあ。税金を取るのが難しいからこういうことになっているわけで。

税金を取ろうとすれば海外に逃げられるようになっているそうな。それならTPPとかいいから先に全世界で税金をちゃんととる国際的な仕組みづくりをすりゃええやんと思った。でもそういうことをするとその枠組みの外にあるテロ支援国家にお金が集まったりしてなあ。

 

2015年9月2日(水)

 あれえ?最近なにしてましたっけ?。

 ひさしぶりに液体肥料というものをランにやってみた。マンガンや硼素がはいっているのに惹かれて買った。最近こういう肥料あげてなかったからなあ。

 

仕事にがちょーんとぶつかっていって玉砕していた。燃料電池がうまくできない。変な触媒をつけようとしたらつかない。3連敗だ。失敗だらけの人生だよ。失敗したってどうってことないさ。明日は別の手を試す。手はなんぼでもある。

 

2015年7月13日(月)

 台風接近のため大株のDen. moscatumを収容した。

 

 急に気候が暑くなったためか体調不良である。ちょっと早めに帰る。帰って黒大豆に土寄せをした。

 今年はやたらとどこもかしこも黒大豆を植えているようである。世界的に枝豆が人気らしいが、この黒大豆の枝豆は特別レアなので、冷凍にでもして高級おやつとして輸出すればよかろうにと思っていたのである。そういう欲のある目でみると黒大豆の畑が気になって、変に力んで肥料をやってしまったりした。本日見たらとくに弱った株はないようだ。風が強いので吹っ飛ばなければいいなあとはおもう。

 

2015年7月12日(日)Den.moscatum開花

 Den. moscatumが開花した。なかなかの盛大な開花だ。

 ツニアも開花。フウラン(昔の画像花7つ)も開花。エピデンドラムも咲いていた。

 

 黒大豆の土寄せの時期であるが、この時期に追肥をおこなうような記述を見たような気がする。毎年実のつきがよかったり悪かったりするので、今年は追肥を試してみる。8-8-8なる肥料の袋を昔ばーさんが買っていた。かなり時間がたっていたので雨水がしみこんで粘土状になっていた。これを3kgほどだったか、バケツにいれ、何を思ったか水を加えてしゃぶしゃぶにして、そのどろどろを株の間にぶちまけてきた。しばらくたってなんというかやりすぎたような気がしてしばらくして心配になってきた。株の根元に直接やるようなことはしていないがそれでもちょっと量が多かったのでひょっとしてしおれてしまうのではと心配になる。この黒大豆は親戚とその先からかなり喜ばれているらしく、たまねぎやジャガイモになって帰ってくるのであるそうな。本当にまいど場当たり的なことをしてしまう。

 

2015年6月28日(日)Den.Formidible開花

 Den.Formidibleのわけ株が開花した。2株めである。1株目は1輪だけであるためか花がやたらと大きい。2002年からの付き合いだなあ。

 

 Den. moschatumのアカバナにつぼみがでてきた。この株は2004年に(ついこの間のように感じるのはわたしがジジイになったからだろうか)村上園芸で小さな苗を入手したものだが、年月を経るうちに高さ1mを超える株になり、ここ数年は毎年のようにおけけにつつまれたまるでパフィオのような袋状のリップに大きめのピンクがかった花をつける。結構見事だ。先週村上園芸で同じクラスの株が1万円で売られていたのをみた。こういうの好きな人いるだろうなあ。やたら高芽で増えるのではある。

 

 Thunia marshallianaのつぼみをみつけた。まだ先だと思っていたらもうでていた。

 

 黒大豆の肥料に「ようりん」を入れるというのをネットでみて、買って来た。20kg1500円とネットにあったのを安いとおもっていたら、コーナンで20kg1380円+税だった。リンって、大半を輸入に頼っていて、産出国が今後の不足を考えて輸出禁止にしたとかで値段が3倍くらいに上がっていたように思う。以前らん用に買っていたリン肥料が175円が400円になっていたことがあった。だから20kg1380円ってすごく安く感じる。

 りんの鉱石は、鳥のうんこがつもったものが多い。海鳥が海で魚を食べてその骨やらがうんことしてつもったものだ。動物の骨の主成分はリン酸カルシウムCa3(PO4)2じゃなかったろうか。肥料として掘り出していたが、どこも資源量は限られており、近年枯渇しつつあるのである。

 ヨウリンってのはそういうリン鉱石をリンが溶け出しやすくなるように酸をぶっこんで溶融させたものじゃなかっただろうか。さらさらの砂のようなそれを手でつかむと、溶融固化したガラス状らしく手に刺さってちくちくした。らんの鉢にもぱらぱらっとやってみたけれど、酸性になったりしないだろうか。念のため水をかけておく。このヨウリンは、リンがゆっくりと溶け出すらしい。

 リンって、ATPとか、ADPとか、核酸とか、RNAとか、リン脂質とかに使われる大事な材料なのだろう。

 

 ヨウリン1380円を比較的安いと思ったのには、ネットで見かけた数字よりも安かったし、以前購入したリン肥料よりも安く感じたためであった。ふと思い出すのがオリンピックの競技場のお値段2500億円。正直ふーん、そんなものなのか、と思っていたのであるが、中国やイギリスで500、ないし600億円かけたという話を聞いて驚愕した。中国、イギリスのそのあとでなんで2500億円?いきなり5倍?なんぼなんでも高すぎるんじゃね?と、比較の上で思った。今からでも遅くないからイギリスのやつを設計図もらって、基本それで作って、それ以外の付帯設備や、耐震補強分つけて、400億円よりもやすく作れよ、と思う。なにそのずさんな計画。1100兆円も借金のある国のやることじゃねえだろう。恥ずかしいことだよ。身の丈にあってないよ。経済性無視だなんて知恵がなくて馬鹿ですっていっているようなもんだよ。400億円かかったっていうのなら300億円でもっといいものつくれや、って思う。人の金でなにやってんだ。500億円出せっていわれている東京都民大丈夫か。またそんなええかげんな金の使い方してバブルのあとどうなったか忘れたわけじゃなかろうに、そうやって思い上がったようなことをしていると、直前に大地震がきてわやになるような予感がしてきて実にキモチワルイ。

 

 この間東京を通過した際、山手線がやっぱりスマホまみれだった。JR宝塚線はスマホ40%、睡眠20%、読書20%、新聞20%くらいだったのが、山手線は85%スマホだった(個人的に感じたテキトーな数値です)。キモチワルイ。

テレビ番組でみたデータで、東京のスマホ普及率が75%で全国が53%だったろうか。東京はびっくりするくらいスマホ漬けだ。

志村史夫著「スマホ中毒症 「21世紀のアヘン」から身を守る21の方法」を読んだ。アマゾンの書評はかなりdisられていたけれど、いい内容だと思った。まあ、私がアンチスマホなのでそう思うのだろう。しかし、スマホやってて、それがユーザその人の幸せに寄与していると素直に思いますか?。スマホやめたら幸せになれる人がいるのではと思う。まあ人のことなのでどうでもいいのですが。

感動で涙するってことは読書ではわりとしょっちゅうあるのだけれど、スマホやっててそういうのあるんでしょうか?。読書で噴出すほど面白いことはしょっちゅうあるのですが、スマホでふきだしている人は見たことがない。

 

2015年6月21日(日)村上園芸ラン展示会

 エピデンドラムが開花しているのを見かけた。

 

 かみさんをうまそうなもので誘い出してダイキ宝塚店で開催中の村上園芸ランの展示会に行ってきた。あまり意識はしていないのであるが、かなりご無沙汰していると思う。村上社長はみためあいかわらずだったのだが、私のサイトの話で、スマホを取り出し、「C.labiata」で検索してみてください、というと3番目くらいにうちのラビアタの画像があり、そこからうちのサイトにたどりついて「村上園芸展示会」の宣伝をみて「おお!」などとやっておられた。うちのサイトがスマホで見られるというのにこっちが驚く。なるほどスマホというのはすごいものだ、と思う。でもオレはやんねーよ、とも思う。

 うろうろみてまわっていると、デンドロキラムSPなるものが500円という手ごろな値段であった。バルブが丸くぷりっとしているのが大変好ましかった。1枚葉は垂直にたちあがったのち、たらんとたれて美しいアーチを描いている。花は、けぶるような小さな花がびっしりと花穂にまとまっている。なんというか、株姿が美しい。

 アングレカム・ディディエリの開花株を見かけたのでちょっといえないようなお値段をつけていただいて買って来た。この花はかみさんの好みで、夜に香るという。とっても「きょ」が長いことが特徴的な白い花である。この「きょ」をちょんぎらないように注意して持って帰ってきた。冬に弱って枯らしてしまったので、今度は大事に行こう。

 

 昨日、いまひとつのびなやんでいたジャガイモ(男爵)を掘って畑からマルチをとりのぞき、耕すのをさぼってさっと整地して、2週間前に苗床に豆を植えて育てておいた黒大豆の苗を植えた。この苗作りがうまくなったので、今年も100を超える十分な数の苗を作ることができた。

 移り住んで20年ほどになるが、この苗をつくれるようになったのはここ4年ほどのことである。それまでプラスチックの苗床に普通の土で植えていたのが敗因だった。ここ数年うまくいっている理由は、花と野菜の土、という軽くてふんわりした土を買ってきて使っているからである。黒大豆は、普通の土だと大きな双葉になる部分にかかる土の圧力が大きすぎて伸び上がれずに土中で腐ってしまうということがあってなえができる歩留まりが大変ひくかったのである。土がかるくなると、さっさと土をやぶって延びてこれるようになったのである。要するに自然界ではとても生きてゆけないような作物ではある。

 この黒大豆は、移り住んできたときから憧れの作物で、それまで住んでいた大阪府内では10月に出回る高級野菜「丹波の黒大豆の枝豆」として、11000円ほどもしていた。通常の枝豆の2倍をこえる(体積は8倍)大きな枝豆である。何度も書いているが、枝豆というのは大豆の乾燥前の姿である。黒大豆の乾燥後の姿は、丹波の黒豆で、これは正月に煮豆としておせち料理の定番としておなじみである。煮豆もとても大きい。なんというか食べたーという感じのする枝豆であるそうな。でも、作れるようになってみると自分の中では普通の野菜に成り下がってしまい、冷凍されてしばしばお弁当に利用されるありふれた存在ではあった。とはいえ、親類に需要があるためまじめに作らなければならない。知り合いに配るにしてもでかくてかさばり、収穫がことさら重労働というやってみて面白いものではない。

 90本くらい苗をうえただろうか。これが全部すずなりになったらうれしいのだろうが、どうしたものか、出来たり出来なかったりするのである。今年もできたらいいなぐらいにおもってつくっている。気候だったり、肥料だったり、手入れだったりするのだろうが、そのあたりも20年やってきてわかっていない。私に農業の才能がないのはわかる。ちゃんと技術を持った人について学ばないと身につかないということも実感している。白鳥士郎著「のうりん4」を読むと農業でくってゆくのは大変なのだとわかる。そんなこんなでこの国の農業技術の継承というのは大変なのだろうなあと思う。もし近隣で起きた戦争などで食料が不足したら。輸入食品がある日信用できないものであることがわかったとしたら。食料を輸出してくれる国が伝染病であかんようになったとしたら。まあたらればをいっても仕方ないのだけれど、もう少し農業が若い人に参加できる産業であって欲しいと思う。

 

 昨日今年の球根の皮むきを完了した。ほりあげた球根からよけいな皮などを捨てて、外気に触れさせ、日陰に保存できる状態にする処理である。掘ったばっかりだと畑の土がついていて、なめくじもよってきて、とくに畑の球根は窒息でもしたようにとろけていたものが多かった。畑の球根は掘ったらすぐに土をどけて保存用の処置をしたほうがいいことを痛感した。なんにしても6月中にこれらの処理を完了できてよかった。

 

2015年6月14日(日)

 Den.Formidibleが開花。

 

 庭のチューリップを全部掘って回収した。すごい量だ。今年はものすごく気合が入っていた。午前と午後の2回で10平方メートルを厚さ15cm掘り返して球根をゲット。やっていて妙だなあとおもったのは、畑の球根が貧弱なのに、庭の球根は太っていて、庭のはつか大根はとっても小さいのに畑のそれはよく肥えていた。作物によって向き不向きがあるのだろうか。

 

 村上園芸展示会(ダイキ宝塚店617-21日)のご案内はがきをもらった。最近どろーんと元気がなかったのだが、仕事でいろいろあって鬱憤がたまり、なにやらものすごいエネルギーが出て畑と庭の作業を吹き飛ばすようにやってのけた。来週もこのエネルギーがあるのならランを見に行けるかもしれない。

 宣伝を日誌のトップに出す「村上園芸展示会:ダイキ宝塚店6月17-21日

 

 昨夜のニュース番組の録画を見ていて仰天。なんつーか、暴力シーンのオンパレード。ぼこぼこにされている人がかわいそうだった。そばで見ていたら是非とも止めてあげたい。私は日常生活でああいうシーンはついぞみたことがないのである。なんつーか、動画って見ていいものなのだろうか。成人男性が女性のあたまを何度もぶちけっていた。さすが中国。うげー。

最近の高校生は、ライン用に1台、動画用に1台とスマホを2台もっているそうで、夜が明けるまで動画を見ている人がいるという。ちょっとやばいんじゃね?と思う。そう思っていると同じ番組で、男子高校生がいじめ殺されたような事件がおきていた。やっぱやばいんじゃね。変な動画みて脳みそぶっこわしてないで、なんかもっと自分と世間の人を大事にしようよ、といいたい。

ある日私が見かけたのは、駅のホームで、男子高校生がとある殺害シーン動画らしきものを女子高校生に見せようとしていた。その手のものは見ないほうがいいよ。和田秀樹著「スマホで馬鹿になる 子どもを壊す依存症の恐怖」って本当だと思う。世間はなにやら感覚がおかしくなっているのではないだろうか。スマホはやらず、テレビもほとんどみないので、あれ?世の中なんか変わった?と驚くほどだ。

 

2015年6月13日(土)

 Epiっぽい花が咲いてくれている。Den.Formidibleが咲きそうだ。これが咲くと長い。

 

 先週植えた黒豆が発芽。今週は畑を作っておかなければならない。来週か再来週には植える。

 いろいろと低迷しているなあ、と思う。畑の球根堀りは重労働だった。目の前のことから着実にやっつけようと思った。辛抱して最後までやりきった。なんとなく、トンネルの出口がみえたような気がした。

 

 

2015年6月6日(土)

 Den.ハンコッキーだったかがいっぱい花をつけて咲いてくれている。

 

 農協で100gの黒豆の種を310円でかってきて、コーナンで買って来た花と野菜の土を入れた苗床にへそを下にして植えた。

 

 七転八倒の1ヶ月だったような。本日は穏やかにたまねぎの収穫をしていたりする。あんまり太らなかったなあ。たくさん取れそうだったけれど、どれも小ぶりで作業はあっというまに終わってしまった。認知症の母が手伝ってくくった玉葱を運んでくれて助かった。いつもはいろいろやってほしくないことをやってくれちゃうけど、今回は助かった。元気で自力でトイレに行ってくれるだけでもありがたいと思う。いろいろ大変な一年だったがなんというか落ち着いている。人間慣れるものなんだなあ。

 

2015年5月2日(土)

 連休の初日、大変天気がよい。蘭の撮影をやった。

 そういえば蘭の花が途切れずに咲き続けて5000日というイベントをスルーしてしまった。蘭に感謝すべきところだ。

 

連休中は読書漬けだ。12冊読む、ということをつづけて44日が経過した。つづくとやめられない。今日も2冊目がしんどかった。おもしろいのだけれどしんどい。日課のお勉強も元旦からずっとつづけている。

 

2015年5月1日(金)

 焼いた鉢をつかってデンファレの植え替えをした。10株。順調に新芽が出ている。冬の置き場が暖かかったからだろう。今年は肥料を多量にかましてがんがん水をやって日光であぶる。

 

2015年4月29日(水)

植え替え準備のためミズゴケと炭を買って来た。炭火を起こして鉢70個ほどを焼く。付着したコケやら根が焼けて素焼鉢の通気性が復活する(はず)。どけちなので、新しい鉢を買うのがもったいないので炭代900円で鉢を焼くのであった。その際、鉢についていた枯れちゃった蘭のラベルをみてがっくりきた。なんというか結構値の張る大事にしていた株がいろいろ枯れていた。まあ世話がゆきとどかなかったもんはしゃーなしだ。地球からの大事な預かり物の蘭を枯らしたのは申し訳ないが、反省して身の程にあった蘭を大事にしよう。

 

2015年4月26日(日)

 更新が後手に回っているなあ。

 土日よい天気だったのでやっと蘭を出せた。デンドロの「名古屋」がすごい咲きっぷりだったので、多量に写真を撮った。

 今年のチューリップは、なんかパッとしなかったなあ。

 

 最近は、仕事、読書、介護で日々過ごしているため月日の流れが速いと感じる。このまま気がついたら定年だった、ということになるのだろうか。もうすこし蘭の分量を増やしておきたい。介護というのはさほど手間をかけているようではないのであるが、なんというか消耗する。世の中にはもっと大変な人がいるだろうなあと思う。もっとこれから大変になるだろうと覚悟しつつ、種々対策を練る。

 

2015年4月18日(土)

 なにやら晴天がすくない。やっとランを出せた。チューリップが雨でへろへろになっている。

 

 915日に庭に植えたサラダ菜は、球根を植えるために11月に畑に移し、それが先週から収穫できるようになった。なかなかすごい数ある。

 ジャガイモの芽がでてきた。

 

2015年4月16日(木)

 もうすぐ連続開花日数が5000日になる。計算してみると427日だ。2001819日に始まって、かれこれ13.7年、いつもなにかしらの蘭が咲いてくれていた。蘭に感謝して今年は念入りに植え替えをしようなどと考えている。

 

 

2015年4月14日(火)

 セロジネの3種類目が咲いていた。デンドロもわらわら開花。カトレアも咲いている。なんというか、頻繁な開花でついてゆけていない。

 それにしても雨ばかり降るなあ。花見どころではなかったし、庭の多量の花もほとんど観賞する機会がない。

 

 更新の仕方を忘れそうだ。デジカメにとった写真が、ケーブルが見つからずにパソコンに取り込めなかった。本日カードリーダーを買ってきて何とか取り込むことが出来た。

 

2015年4月4日(土)

 雨と聞いていたが、いい天気だったのでランを出す。Den.スペシオサムってすごい。上品な香木っぽい香りが素晴らしい。白い花がブーケのように鈴なりである。

 セロジネクリスタータも清楚で白く輝いていい。

 

2015年4月1日(水)

 なにか小さいカトレアや、めずらしいセロジネが咲いていたりする。天気のよかった昨日など、朝からランをだして仕事にゆき、帰ってきてランを取り込むという日光稼ぎをしていた。

 

 うかうかしているうちに新年度になってしまった。いつの間に。激闘年度末を乗り切って一気に春が来た気分。

 更新が滞っている理由を考えてみる。「ネットはかかわると損だ」という意識が働いているらしい。まず通信料がかかる。楽しみとはいえ多大な時間をとられる。本を読む時間が減る、というのもある。利点は、ものを書く時間がある、自分の書いたものを楽しむ、ランの手入れが行き届く、ということぐらいか。

 いろいろ日誌に書いてきたことを読むと、いろいろ心配した割にはそんなにひどいことになっていないというか、大抵は杞憂に終わっている。よくあるパターンが、テレビを見て憂慮すべき事態に刺激を受けて、いろいろ考えて書き、それを読み返して思うのが、それが自分になんの関係があんの、ということだった。自分に関係ない事柄を心配するくらいなら、蘭の世話をして、写真を撮って、記録をして、読書を楽しんで、仕事をしよう、と思う。

 ライトノベルの読了冊数が明日1000冊に達する。4年くらいかかっているのだろうか。大変読みやすくて楽しい作品が多い。定価で60万円かかるところを図書館を活用したおかげで2万円ほどになっている。ライトノベルは全体で1万冊ほどあるという。1000冊読んだぐらいではまだまだ読んでいない名作があり、なおまだ多量に読むべき本がある。ネットで読書感想サイトなどを見ると、2000冊読んだというひとがざらにいる。楽しいから冊数がのびるのだろう。そういう人の感想をよむと本のよかった点をよく拾い上げていてありがたい。「おもしろくなかった」「つまらなかった」という人は、数字的にあまり読んでいないのがまるわかりになっている。ふと、多量に読む人の読んだ本を眺めて思うのだが、新刊書が多い。そういう本は図書館にまだ入っていないとおもうので身銭切ったのかなあ、と思う。すごい金額になるのじゃないだろうか。想像するに、感想サイトは読んだ冊数がグラフで表示されるし、人に見てもらうには新刊をよく読むほうが関心を持ってもらえるよね。だから感想サイトは、新刊書の感想が多くて、私が読むような図書館の閉架や絶版で手に入らないような作品の記事は深いところに沈んでいるか読まれていない。それゆえ、感想サイトに登録している人はかなり多額の書籍購入費をつかっているのじゃないだろうか。すげー金持ち、とおもう。そういうちゃんと身銭を切って本を読む方々のおかげで安くラノベを読めると思うとありがたい。

 ラノベが部屋に1143冊山をなしているのをちょっと問題視している。岡崎武志著「蔵書の苦しみ」を読むと、蔵書の重みで床が抜けた話などがでてくる。著者は推定2万冊お持ちで、その苦労が語られている。それを思えばまだ1000冊などひよっこもいいところである。ただ、ラノベは、足がはやい。つまり、急速に失われてしまい、どこにも見当たらなくなる作品が多いのである。「人生」を書いた川岸殴魚の作品「邪神大沼」シリーズの8巻が、108円以下という値段ではどうにも手に入らないで1年が経過した。かなりの名作だと思うのだが、一度も見かけたことはない。いい作品でもどんどん失われてゆくのが惜しいから、安いときにはどんどん買っていたため、山になってしまったのである。それで図書館からの借り出しを制限して買った本をがんがん読んでいたらますます購買意欲が昂進してどかっと本が増えてしまった。ラノベおそるべし。

 どんな作品でも、激烈な競争を勝ち抜いた著者と、その担当編集者、絵師さんなどが苦心惨憺つくりあげてきた才能の結晶だと思う。それら貴重な作品が手の届かないところにいってしまい誰にも省みられなくなるのはとても惜しいと思う。

 一方、わが町の古本市場が改装したのであるが、ラノベ売り場の規模が10分の1になってしまっていた。すごいショック。大打撃。これってラノベバブルの崩壊ってことなのだろうか。みなさんスマホのやりすぎでラノベすら読まれなくなったとか。

 

2015年3月29日(日)Den.スペシオスム開花

 たまには更新をしないとやり方を忘れる。

 蘭もわらわら咲いてくれている。写真を撮ったが、取り込みケーブルが埋もれて取り込めない。まあおいおい。

 Den.スペシオスムは、数年に一回は開花してくれるようである。バルブの成長が数年つづくためだろうか。なんにしてもスローなデンドロで、それでいて着実に大きくなる。葉っぱも5年くらいは使っているようなので大事にしなければならない。

 セロジネ・クリスタータはいただきもので、もらった先では咲いたことがないようなことを聞いた。うちは手入れが悪いし、変に乾燥させてしまうため花芽がついて開花してくれた。大変たおやかな美しい花ですなあ。

 ここ数年使っていたカメラを息子にあげちゃったので、それ以前に使っていたカメラを撮影に使うようになった。また以前のように撮影に入れ込めればいいなあと思う。

 これまでとり溜めてきた画像は整理がすすまずたまりまくっていたのであるが、画像閲覧ソフトを別のものに代えて、あまりファイル名にこだわった記述をやめてぱっぱと振り分けたらとうとう整理が終わってしまった。ここ数年のどろーんと滞った作業が片付いて爽快である。

 仕事と読書にいれこみすぎて蘭の活動はさっぱりではある。庭と蘭の世話は例年どおりだ。

 

 初めてのお使いから40年くらい?、はじめての下の世話を経験し、なんか人生のレベル上げをしているような。介護生活にはいって1年が経った。今後さらなる強烈な闘いが待っているのであろう。こういうのは逃げるからつらいんだろうなあ。

 

 

2015年3月21日(土)リカステ、セロジネ、カトレア、デンドロ、オンシジウムがわらわら開花

 仕事まみれのきっつい2週間がおわり、本日は春の陽気。ランを庭に出してみるとちょっと見ぬまにいろいろ咲いた。リカステ、セロジネ、カトレア、デンドロ、オンシジウムなどおなじみの株が続々と咲いた。連続開花日数5000日までまもなくだが、オンシジウムの開花でほぼ確実に達成可能となった。この連続開花日数ってこのサイト開設後の2001年8月19日に始まったので、このサイトも16年くらいの歴史がある。

 

 職場においている寒がりのデンファレの鉢にちっこい蟻が多数住み着いていた。デンファレの乗ったトレイは窓枠とパソコン液晶画面の上にのっかっている。仕事をしている最中、画面上のどこかを這い回っていた。なんか最近数が多いような気がしてこのまま増えたらさすがによろしくなかろうと危惧した。蟻とはいえ殺生はいやだ。水をくんできて、ゆびにつけ、蟻を指先に捕獲し、窓をあけて外に弾き飛ばす、ということを繰り返していた。20匹はとばしただろうか。途中から正の字をつけてカウントする。蟻は蘭の鉢でどういう生活を営んできたのだろうか。すっとんでいった蟻は屋外で生きてゆけるのだろうか。

 

2015年3月12日(木)リカステ開花

 ありゃ?日誌が1ヶ月以上ぶっとんでいる。

 何のリカステかわすれたけれど、今年も咲いてくれた。

 良く知らないカトレアも咲いていた。

 世話も管理もよろしくないのに良く咲いてくれるのでありがたい。いろいろつぼみがある。

 セロジネ・クリスタータにつぼみがでていた。2週間みなかっただけで劇的な変化だ。

 

 ライトノベルの未読在庫が1082冊に達している。あっさり1000冊を超えたと思ったらもうすぐ1100冊か。なんというか、日本の財政赤字1100兆円みたいだ。購入金額は4万円の大台を超えて40,197円となった(1冊平均39円)。部屋の積読山脈をながめて「うはははははは、超豊かな気分」などと悦にいるのである。既読は975冊で、なかなか在庫の数を越せない。今年も年500冊ペースで読んでいる。

 

2015年2月7日(土)

 不調のHDDからデータを抜き取る作業であっというまに2週間がすぎていた。やっとそのHDDを切り離してまあだいたいさくさく稼動している。

 蘭の水遣りも二週間ぶりだ。Den.スペシオサムの花芽がおおきくなってきた。いろいろつぼみもある。花の咲いていない日がやってくることはとうぶんなさそうだ。ひとまず5000日の連続開花は達成できそうである。

 気がつくと毎年恒例の関西らんフェスタに行きそびれていた。じわじわ残念な気分がわいてくる。24日あたりじゃなかったろうか。あの日なにをしていただろうか。

 撮影した画像ファイルの整理がとどこおっている。なんと2011129日の関西らんフェスタからとまっていた。花を撮影し、ラベルも撮影している。画像を吟味し、残す価値あり、と判断したらラベルのデータをファイル名にいれてゆくという根気の要る作業だ。そういう作業をやっている場合じゃないような年月がしばらくつづいたため放擲されていたのである。まあやってみると結構楽しい。当時の画像はなかなかよく撮れている。見てきたくせに、こんな原種があるのか、と驚く。

 

 世界の富の半分を1%の富裕層がもっている、という話をなんとなく御伽噺のように考えてしまう。今後の展開がなんとなくファンタジーちっくに進行しそうに思えたからだ。お金に稼いでもらって金がカネを呼んで信用創造した、いうたら虚構の金が実体経済を支配してはいる。でもどんどん虚構の金が増えて、バブル化しているからいずれ世界的にはじけてしまうのではないだろうか。そうなるともう経済がにっちもさっちもゆかなくなって世界的にちゃら。どこが一番得をするかといえば、日本だったりして。どういうことかというと、国の借金が世界最大の1000兆円もある。それがちゃらになったらちょっとうれしかったりして。一方、社会資本というか実体の富が日本ははんぱなく集積されていると感じる。先週東京を歩いていたらそのただならぬ殷賑ぶりに感銘を受ける。10時というのに高校生ぐらいの女の子がたくさん歌舞伎町界隈を歩いているのである。こんな安全な街ないだろう。一人でもナイフでさされでもしたら全国ニュースになるというくらい安全。考えてみればすごいことだ。小説で、歌舞伎町ってなんかコワイとおもっていたのであるが、ごく普通のにぎやかな街だった。大変便利な地下鉄も清潔かつ迅速。こんな大都市なのに水道の水が飲める。Maxコーヒーのペットボトル108円がめっちゃうまかった。

 言いたいことは、虚構の経済がちゃらになったとして、実の経済がしっかりしているところはいいよね、とおもったのである。ひょっとしてそれをねらってこんなにどんどん借金をしたのだろうか。どうせ虚の経済でひどい目にあうのなら実を充実させて出来た負債を虚にぶちこんでしまえと?

 話は変わる。最近人工知能がすごいらしい。チェスで人間が勝てなかったり、クイズで人間がかなわないコンピュータがでてきている。世界のえらい人たちがこのままでは危険だと警鐘をならしているのだそうだ。そうかなあ、昔からSFでそんなのあったような。ハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」は途中までしか読んでいないのだけれど、そんなAIがでてきていたような。でもよく考えるとそういうAIにマネーゲームやらせたら世界が支配されてしまうんじゃね?。なにしろ、情報収集能力が高くて、計算が速くて、寝ないでがんばってくれちゃうわけでしょ。なんか富の追求とやらもあまり価値のあることに思えなくなってくるよ。いっそ適正な経済ってやつを国連の管理の下にAIにやらせてみたらどう?(AIは、環境保全と人間のお世話の葛藤に悩み、おかしくなって人類殲滅を図るというオチだろうか。HAL9000みたいだ)

 貧困と戦うテロリストがネットワーク上で活動するAIとなるウイルスの集合体をつくっちゃって人類がウイルスAIに支配される未来がきちゃったりしてねえ。AIは、匿名の金持ちとしてネット上で振舞ったあげく、カネの力で人類を支配してくれちゃったりするわけ。権力が集中しているように見られないように10000人くらいいるように装う。実在の人物に成りすましたり、行方不明の人物の口座を利用したりしてね。誰でも考え付きそうなことだ。

 畑をやっていると実体経済の大変さがわかる。手塩にかけてタネから育てたたまねぎを鹿に荒らされちゃったよ(泣)。まあ一部だから、被害は軽微なんだけどね。

 

2015年1月24日(土)

 蘭サイトの危機がつづく。パソコンはなお不安定のようだ。内臓の3個のHDDのうち1TBにがたが来ているらしいので、切り離したら少しましにみえる。まあバックアップはとってあるから大丈夫だろう。

 

 なんというか、なにしてくれちゃってんの、という事件が発生している。私は無力でなんにもできないけれど、執念深く覚えていて自分の得意分野でがんばっていつかああいう事件がおこらないような世の中にしたいとは思う。

 

 また地震が来た。本日2回目。想定される震源まで60kmほどなら10秒くらいの初期微動かと思っていたのだが、3秒ほどだった。覚えているだけで4回目くらいか。阪神淡路大震災の前にも12回くらい小さな地震が起きていたので事前に耐震対策をしていたのである。まあでかい地震じゃしょうがないけど心構えは大事だ。

 

2015年1月22日(木)

 昨夜このサイトの編集を行っているパソコンが立ち上がらなくなり焦った。2009年に5万円でくみ上げて以来5年間大過なく稼動してきたのであるがどうも調子が悪い。なんとかセーフモードで起動してスキャンディスクで復旧した。やれやれ、蘭サイトの最期かとおもっちゃったよ。

 

 職場でWin7Win8.1、家でXPと、渡り歩いているのであるが、XPが一番速くて快適である。最近のOSは、なんというか待たされる。まずこっちの要求をさっさと受け取って処理すりゃいいのに、なんだかパソコンのやくたいもなさそうな用事をもたもたやって、人を待たせるのである。なんか客のほうを見ていない気の利かない店員みたいになってしまった。あのテキストを打ち込む際のもっちりとした表示のもたつきがいやだ。テキストですらこれかよ、とあきれる。

 家のパソコンは、5年間一度も再インストールなしで起動時間38秒を保っている。ただ、ネット環境は僻地の感があり、オークションサイトに入札できなくてがっくりした。いい本が安くでていたのであるが(40100円、送料800円)、なんというかオークションまで手を出してしまうと在庫が1000冊を超えてとめどもなく増えていってしまう恐れがあった。過度の欲望は身を滅ぼす。ともかく在庫をせっせと読まねばもったいない。

 

 ニュースでやっていたけれど、献血がピンチだそうである。本日職場で放送がかかり、献血受付終了まであと20分ということを知った。えー、と思いつつもはせ参じ、めでたく10回目の献血をした。こっちがカードを忘れてもデータベースに記録が残っており、データの照会が早い。まいどぶっとい針をさされても平気なのが不思議だ。子供時代はあれほど注射が嫌いだったのに、血を採られる分にはなんとも思わないのである。どうも注射針が相当進化したものらしい。なんというか、受付はどんどんハイテク化しているのを毎度感じる。10回目は記念品をくれた。ものものしい箱にはいっていた。ガラスで出来たお猪口だった。これはいったいどうやって作るのかという不思議な表面の加工がなされていた。ただならぬ美しいガラスきだったので何度も手にとって眺めていた。こういう結構な美術工芸品というものを私はほとんど持っていない。透き通った水のような透明感に薄い青色。表面が、風で波立った水面のようになっていて涼しげな光を放っている。作者の紹介の栞まではいっていた。多田美波という造形作家の作品だそうだ。紫綬褒章受賞とあるのでかなりの年齢の方ではないだろうか。なんというか宝物をもらった気分である。次回は30回目にまた色違いの杯をくれるそうである。

 

 世界の富の半分が人口の1%の人間で占められることになる、ということが報道されていた。この報道に関連して、最近話題の経済書の解説で、金融での儲けの増加率は、給与の上昇の率よりも高い、というような内容の不等式が紹介されていた。それをみて、げっ、こりゃいかんなあ、と思った。今の世の中は、人を雇ってモノやサービスを作り出してお金を稼ぐよりも、お金を投資などにより運用して利益を得るほうが儲かる、ということをいっているんじゃないの。簡単な例を挙げると、ばあさんが年金を10万円銀行に預けると、それを中小企業の社長が借りて、機械設備を買い、機械を売ったメーカーは、労働者に給料をはらって儲けを銀行に預ける、それを銀行はまた貸し出す、というようなことを繰り返してお金は「信用創造」とかで増えてゆく。お金持ちは、世界中の様々な投資案件のなかからリスクを検討しながらさまざまな投資を行っている。まだ収穫されていない農産物だの、鉱物だの、石油石炭だの、さまざまにお金が働いてふえる仕組みがまわっている。回れば回るほど「この世で一番大事」とされるお金は増える。国境をやすやすとこ越えて、モノがからむ実体経済の数倍の規模で電子的なデータとしてのお金がぐるぐる回りながら増えている。お金持ちとしては、それをやらない手はないと考えてここ数年そういうお金がどんどん増えている。このため、お金の額面だけみた富というものの半分を1%の富裕層がもっているという状態になったのだろう。

 ここでなんかまずいんじゃない、と思った点について述べる。そういうお金の儲け方をしていると、「優秀な人を雇って、多額の設備投資をして、競争力のある素晴らしい製品を作ろう」とかいうのがあほらしくなるんじゃね?。銭ころがしの儲けの増加率より、給料の増加率が低い、という話だった。じゃあ、給料払うより、銭を転がしていた方が儲かるんだったら人がいらないってことだわねえ。最近特に苛烈になっている富裕層の増大は、労働者の否定につながっていると思える。

 では何が起きるのか。もう起きているのが、家から出られなくなっている人たちが増加している。仕事がなくて世の中から求められていない人たちは、銭ころがしの結果として仕事がないという風に見える。企業がいいものを作るモチベーションを失って銭ころがしに走ったら労働者はいらなくなってしまう。でも人間って、どんな仕事でもそれを毎日続けていると創意工夫というか、熟達というか、なんだかとっても磨かれていい味をだすとてもいとおしい生き物だとおもうわけよ。そういう素敵な人間から仕事をとりあげてしまったら、その美しさが損なわれちゃうでしょ、といいたい。

 一方の銭ころがしにも限界はあると思う。結構気分だけの部分があって小さなつまずきが全体に波及して、その富とやらがごく短時間に消え失せてしまうことがたびたびあった。いわゆるバブルというやつで、今度のバブルは世界全体、いわゆるグローバル経済的に巨大なものが育成されているように見える。中国の猛烈な数の空き家マンションとか、ギリシャの「もーいや、こんな生活」とか、いろいろ火種がある。そういうバブルがはじけると大きな影響がある。お金持ちは、金のように価値が目減りしないものも買ってあるから平気、という気分でいるらしい。けれどじわじわ効いてきているのはやはり労働力がいらなくなって長期間能力を劣化させ続けてきた、ようするに体力のない人たちが増えてきているということがとてもよくないことのように思われる。世の中の治安がわるくなったり、いい製品や娯楽がでてこなくなったりして社会全体がすさむ。そういうのをお金持ちですらどうすることもできないし、お金持ちの生活の質だって下がってしまうと思う。例えば、金儲けに走りすぎて空気すら満足に吸えない国家になってしまうといったようなばかげた事態になったりする。だから、なんとなくあまりうまくいっていない現状の資本主義経済は、なにか別のうまい仕組みが必要なのかなあと思う。

 もし、人々が能力に応じて納得して働ける世の中になれば、人は気持ちよくのびのびと生きてゆける世の中になるように思える。現状のように若者の失業率が世界中で高水準というのはひどい世の中じゃないか。

 

2015年1月18日(日)

 水遣りをしたらカトレアのつぼみがいろいろあるのを見た。無事に咲いてくれればいいけれど、今年は寒いなあ。

 

 表現の自由なるものを考えさせられる。さまざまな考えを、権力者にさまたげられることなく表現して、不利益をこうむる人が声を上げられて、世の中がよくなるための議論が出来るように認められているものという認識がある。でも、人の生命、財産を脅かすような表現というのは認められない。人種差別とか、人の権利を妨げる表現は制限されている。まあわかりやすいところでは女性議員に向かってなされたあの発言など。自由といいつつ、一部制限されているわけだ。信じて信仰している宗教に対するある表現が、信仰者にどうにも受け入れられないものだとしたら、それは制限されてしかるべきだと思う。

 イスラム教は、格差をよしとしない宗教だったかと思う。彼らの視点から見えるグローバリズムって、格差を助長し、富めるものはますます富み、貧困はさらに拡大するとんでもない無法にみえているのではないだろうか。そういう人たちから自分達の神様をおちょくられたらどういう気分になるだろう。

 テロは断固阻止だ。それはそれとして、世の中が荒れてきている理由は、貧困の拡大で、それゆえ貧困からの救いを求める人々はなんというか無理からぬ行動をとっているようにも見える。「競争して勝てばそこそこ豊かになれる」という考え方も実のところちょっと疑問だ。「競争に有利なものは富める」という実もフタもない現実があると感じている人も多いのではないか。それに、富んだ人は何をしているの?という点について、我々日本人は「案外たいしたことない」ということにうすうす気がついている。むやみと蓄えているだけか、費用対効果の低い消費を行っているに過ぎないのではないか。

世界第二位の金持ちの国日本のお金持ちの大半は事業か医者をなさっている。芸能人、弁護士、スポーツ選手は1%にも満たない。芸能人はお金持ちで、セレブな暮らしをしている、と誤解している日本人は多いのではないだろうか。いやアレは成金の生活ではあっても金持ちのそれとは違うと思う。日本のお金持ちは堅実な方が多く、それこそ働くのが大好きという人が多いそうである。大変活躍なさった野球選手が糖尿病でえらいことになっているそうだ。我が国は大変おいしいものが多いのですこし油断すると病気になるリスクが高い。どんなお金持ちでも1日に3食以上は食べられないだけでなく、ご馳走ばかりは食べられないのである。どんな金持ちでも、稼ぐためには野菜をしっかり食べる。また、時間は平等だから、娯楽や勉強でことさら優遇されているわけでもないし、病気のリスクもさして変わるわけではない。庶民となにかちがうかといえば、物事を真剣に考えている度合いが高いように思われる。人をつかう立場の人が多いので、その雇用や事業を護ってゆかなければならない。庶民は結果だけみてお金持ちをうらやむ傾向にあるが、その職責のようなものに敬意を払うべきだと思う。そうすればお金持ちはもっと気分よく税金がはらえるのではないだろうか。

 富をちゃんと分配して、貧困にあえぐ人たちに衣食住と教育を行き渡らせれば、理屈上は、景気がよくなり、より多くの富が生み出され、人口爆発も防がれ、社会は安定化する。そういう富の再分配をなしとげてこその表現の自由なのだが、そのあたりは実にお粗末にみえる。

 

2015年1月10日(土)

 トリアネを撮影した。ラベルを見ると2005年の購入であった。購入から10年近くかかってやっと撮影できるだけの花がさいたのだなあ。なんか遠いみちのりだったような。なるほど魅力的な色あいをだす花だ。ただ、ラン展でみるものよりは幾分小ぶりだ。ぱっとみさえない花かもしれない。だが、写真で見るとかなりよさげな花に見えることがある。そういうのを期待してばしゃばしゃシャッターを切る。

 

 最近やたらとくいものからしょーもないものがでてきたといってマスコミが騒いでいるのだけれど、ビニールやら、虫やら、歯やら、加工機の破片やら、そりゃはいるときははいる。それで、入っていないたぶん99.9%のまっとうな品物が廃棄されるというようなことがあったら、なんか食うに困っている人がいるのに申し訳ないし、食べ物になってくれた生き物に申し訳がない。少々虫がはいっていても、ぺいってほったらしまいですがな。食える食える。ネットとマスコミで騒ぐからえらいもったいないことになっている。メーカーは気をつけなければならないけど、それにも限界がある。なんか気をつけすぎたら味が二の次になり、値段も上がりそうな気がしてきた。なんかこう、日本人のいやーな感じが醸成というか腐敗というか、きれいにしすぎて肝心の体は心が弱るのにともなってがたがたみたいな先行きになりそうでいやだ。

 ふるーい記憶なのだけれど、昔ひとりで中華料理屋に入ってちゃんぽんに類した麺類を注文したときのこと。スープに蟲が浮いていた。なんというか私の苦手な蛆虫チックななまっちろいぷりっとした蟲だった。もちろん、「ひっ!」と声にならない悲鳴を上げていた。そこへもってきてあえて蟲と書くのは、1匹じゃなかったのである。10に近い数だったと思う。まままままさか故意に入れたのかっ!?と驚愕する。じっと眺めていると、いわゆるハチの子というやつであることに気がつく。食材だったのだ!!。まあそういう見方になれば、まあ不気味ではあるけれど飲み込んでしまえばいいのだ、とやっつけた。当時、捕った蜂の幼虫をその場でおやつにしてうまそうに食べるおじがいた。そういうのを見ていたから蟲の浮いたスープが飲めたのであろう。いまどきそういう「高級食材」入りの料理をだまって出したら卒倒する人が出るだろうなあ。今思うと当時(たぶん30年位前)は気合の入った店があったのだ。そのころ、ゴキブリというのは「ここをはぐればいつでもあえる」という家庭のありふれた存在だった。ああいうものに恐れおののく人がいるのも、あまりみかけなくなって対処の仕方を忘れたからだろう。人類はごく最近まできちゃないものまみれの生活をしてきたのに、ここへ来て過度にキレイな生活をするようになってしまった。外的に対して強い守りをしいていたからだの防衛機構に突如敵がいなくなってしまったのと同じことである。そうなると、体の敵でないものに過度に反応するようなアレルギーなどの不都合がでるらしいので、私は土いじりをしたりいろいろ汚いものに手を突っ込むように心がけているのだった。最近のしょーもない異物に過度に反応する世の中はなんとなくココロのアレルギーっぽくみえなくもない。

 

2015年1月8日(木)

 蘭は、まああいかわらず咲き続けてくれている。つぼみあり、花芽ありのありがたい新年であった。でも冬は寒いので基本あまりすることがない。庭に出して水をかける際に観察をするくらいである。そういえば、昔いただいたデンドロのスペシオスムの葉っぱの間に花芽を見た。この原種はラン展でこそよく見るけど、たいそう咲きにくいらしい。うちでも5年位前に盛大に咲いてくれていたなあ。たぶん毎年咲くような蘭じゃないのではないだろうか。バルブがおいそれと増えないし、葉っぱは何年もついたままだし、なんというか時間の流れが大層ゆっくりした蘭だ。まあ大事に行こう。

 

 年末年始は、敗色濃厚な受験生の世話をして過ごした。飯を作り、飯を食い、散歩に出かけ、静かに本を読んだ。

読書といえば、2014年読書記録集計は以下のとおり。

読了冊数522、積算定価352566円(平均675円)、うち図書館借り出し339冊、図書館本の割合65%、うち183冊購入9076円、平均調達コスト49.6、コスト割る522冊=17.4円、積算ページ数140698p(平均270p)。ほとんどライトノベルである。ラノベは楽しいのでつい読みすぎてしまう。今年はまああまり欲張って読まないようにしよう。あまりがつがつ図書館から借り出さずに(返却期限が次々迫ってくる自転車操業的な読書はいやだ、いまもそうだし)、在庫をしっかり読もう。今年もなかなかいい本に当たる。王城夕紀著「天盆」中央公論新社がよかった。ティッシュの使いすぎくらい泣けた。

 飯を作るとなると、餃子やおでんをつくってしまう。大変美味であった。ひもじいということはなく、ジャンクなものはほとんど食べず。つくったことはなかったが、から揚げをこさえてみた。業務スーパーの冷凍とりにく骨なしももにく4つ(400円)。だいたい4ないし6つに切り分け、酢20ml、みりん20ml、酒20ml、しょうゆ30ml、チューブいりおろししょうが3cm、にんにく1かけらを摩り下ろしていれ、ごま油を1mlいれたつけ汁につけこんだ。1時間ほどおき、小麦粉を手ですきまなくまぶして、小鍋にサラダ油500mlをいれ過熱しておとがするようななかに6つずつ肉をいれて中火で過熱した。しばらくするとうきあがってくるので、軽く茶色になったらクッキングペーパーの上で転がし、油を切ってから、同じくクッキングペーパーを敷いた盛り皿に移し変えた。たいそううまかった。

 テレビは10日間で合計1時間もみていない。なんの記憶もない。そんな暇があったら本を読みたかった。あとは仕事の勉強をしたり、ものを考えたりしていた。

 4日に試験会場の下見と称して1度だけ外出した。ついでにいつものコースで大阪をめぐり、HDD500GB2052円で購入、飲茶食べ放題2人で4300円、ライトノベル30900円(在庫が975冊に達した)、交通費もろもろで総額一万円の豪遊をしてきた。

 休養たっぷりの生活だったが、野菜が足りなかったのか4日の晩からセキが出て、5日の仕事始めにはのどが痛くなり、6日散々寒い思いをしたのがたたって具合が悪くなった(風呂で胸がつってめっちゃ痛たかった。なんかこれはやばいとおもった)。7日に休みをとり寝込んでいたら熱が38度まで出た。いわゆるインフルエンザかも?とおもいつつ、頭は冴えていていろいろアイデアはでるし、やたら読書がはかどり、7日だけで3冊半読んだ。綾崎隼著「蒼空時雨」(メディアワークス文庫2010)がいい話で、めっちゃ泣けた。泣けば風邪の直りがよくなるのだろうか。風邪に効く本かも。風邪を引くと腹が減る。とんかつが食べたいとかみさんにいうと作ってくれた。たいそう美味だった。こういうぬくぬくで読書も楽しく飯がうまい極楽休暇ならたまには風邪もいいかとおもう。8日にはけろっと平熱35.9度に下がって仕事をしていた。でも風邪で休むなんて高校以来35年ぶりくらいじゃないだろうか。体力落ちたなあ。

 

 

2014年9-12月

2014年2-8月

 

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