蘭馬鹿日誌2011および更新記録

ランのよしなしごとをつづる。下に行くほど昔 

連続有蘭花日数3755日(2011/12/4)

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2011年10月30日(日)

昨夜温かったので蘭はだしっぱなしであった。シンビジウムに花芽が出ていた。

 

一日天気が悪かった。夕方には蘭を取り込んだ。カトレアのシースに花芽がみえる。

 

本日もどろーんとなにもしていないなあ。こんなことでいいのであろうか。いろいろ雑用をやっつけよう。貧乏暇なしだ。

まばらについていた黒豆の枝豆をぶちぶちちぎっては集めた。結構な量ある。家族は案外食べない。今年の枝豆は虫が結構頑張ってくれちゃったおかげで少々リスキーな食べ物になっている。そこで、中の豆だけ出して食材として冷凍保存することを提案したところ、かみさんから「さようせい」と言われた。かみさんは「戦国鍋TV」の見過ぎではないだろうか。

やばそうなところをはさみで切っておく。「水煮にしろ、半生がよい」といわれたので、塩を加えずにさっとゆでて皮をとる。ゆでが浅いのか、皮を取りにくい。形や、色のよいものは残し、いびつなものは食べて、虫食いは捨てた。かなり作業をして200gぐらいか。やれやれ。

黒大豆発送第二段のために畑で葉っぱをむしって引っこ抜いてくるのであるが、どれもまめの付がさっぱりであった。おおかた半分をひっこぬいてきた。もんくなしの不作、いや、まあいつもだいたい不作か。昨年が異常だったのだろう。それにしても我ながら農業がへたくそだ。もそっとうまいことやれないものだろうか。

黒大豆の水煮はさっそく晩飯の中華丼に食材として使用されていた。

 

荻原浩著「メリーゴーランド」を読んだ。過労死頻発職場を辞め田舎に帰って公務員になったかつての猛烈社員が、だめだめな市営テーマパークの活性化という仕事に回されたものの、これでもかというほどドローンとした地方公務員のあきれる仕事ぶりに足を取られつつ、奮闘するという話。なんぼなんでも地方公務員があんな仕事振りということはないと思うよ。ちょっとおもしろすぎる地方小説であった。

 

2011年10月29日(土)

良い天気だったので庭に蘭を展開して水遣りをした。バルボのエリザベスアンが花芽をだしてきている。律儀な蘭だなあ。

 

親戚に黒大豆を送る時期的リミットなので畑に行っていっぱい黒大豆をひっこぬいてきた。今年はなりが悪い上に虫がよく食っている。一体どうしたのかと思うが、どうも世間的にもあまりできがよくなかったらしく、市内のスーパーで見かけても安い。夏場あれほど枝豆が高かったのに、ブランド物の黒大豆の枝豆のほうが割安に感じるほどだ。

選べばそこそこいい豆がついた枝があって、それをかき集めるとなんとか東京に送る3kgを確保できた。しかし畑にはこれまで処理した4倍もの黒大豆が存在する。昨年のような豊作ならこのまま置いて豆にするとすごい量になるのだろうが、あまり豆もついていないのでさっさと枝豆にして食べてしまったほうがよかろう.

さつまいもをためしに1株ほってみた。戦艦二隻、巡洋艦4隻、駆逐艦2隻という感じの結構な芋がごろごろ出てきた。推定埋蔵量30kg。

庭に球根もさっさと植えてしまいたいと思っていた。例年球根の植付けが遅いのだけれど、もっと早く植えるともう少しマシになるのではないか、などと春に考えていた。ダイキに用事があって行って見ると、牛糞40L298円、バーク堆肥40L298円、鶏糞15kg98円とならんでいる。小遣いでこれらを買うのはだりーなあ、多量の肥料を買って庭にぶちまけるのもだりー。そもそも自分は球根じゃないんだからこれら堆肥や肥料がうれしいかどうかなんてよくわからない。毎年やっているけど、それらが効果があるかどうかなんて実のところよくわからないのである。昔本で読んだから毎年そういう風にしている、という程度のもので、「結局おれなんざあガーデニングのことなんざ何にもわかっちゃいなかったのよぉ」、という気分になる。ふと見ると炭が6kg290円で売られていたのでつい衝動買いして2ケース12kgを買ってしまった。これで勢いがついてしまって、牛糞2袋、バーク堆肥2袋、鶏糞2袋を買ってクルマに積み込んでしまった。最近の小遣いは、自分のための使い道というのがあまりないためか、家庭や、家族のため、という費目が増加傾向にある。なにか自分のために使って楽しいことがあるだろうか。

勢いがついてしまったので、庭をわーっと備中鍬で掘り返し、苦土石灰をまき、鶏糞、バーク、牛糞をそれぞれ1袋ずつぶちまけた。よくかき混ぜておく。まもなく雨が降るので、それで落ち着くだろう。来週には植付けにかかろう。

 

久しぶりにテレビを見たような気がする。世間のことはさっぱり把握していない。TPPってトータルで考えると商売のうまいやつがもうかるんだろうから国全体としてはもうかるんじゃないだろうか。タイっていつまで水に漬かっているのだろうか。おかげで買おうと思っていたHDD2TBが5000円台で買えなくなってしまったから当分我慢だ。ギリシアは結局デフォルトで、借金を踏み倒すわけか。また円高が進んでいるのか。70億人突破か。100億はいつごろかなあ。

2012」って映画を先週見た。特撮はすごかった。けど、すげ−妙な点がいろいろあったなあ。まずニュートリノがいっぱいでているから太陽の活動が活発になったって。太陽の中心で核融合が起きてニュートリノが8分15秒で地球に届くんだけど、肝心の核融合の熱が地球にとどくまでは長い年月がかかるそうである。それから太陽のニュートリノが地球の物質に相互作用して熱に変わるってのはどんだけ太陽がニュートリノだしたらええねんちゅうくらいすげー量の核融合をしないと無理だし、惑星直列で地球内部がとろけるってのもまあ起こらない。そんでもって、地球内部がとろけるような地質現象が過去にあったのならそういうのは地質学者がとっくの昔に見つけているわなあ。結論として、当分この世の終わりはこない。

ああいうこの世の終わり映画がくりかえし作られる理由は、「なんかおもしろくねーなあ」という気分を「生きてるだけましかも」という気分にさせてくれるカタルシス(浄化)があるからだろうなあ。

 

田中ロミオ著「人類は衰退しました」を読んだ。ファンタジーである。人類は文明の絶頂期を越えて活力を失い、科学を忘れ、平和に衰退しており、変わりに妖精なるものが活力をしめしているという世界のお話。まあ、人間だらけの人間しかいない地球よりはよさそうに思えるご時世である。いいおっさんが萌えっぽいかわいい女の子の絵が表紙に描いてあるラノベを電車で読むのは勇気がいる。近年まれに見る愉快でほのぼのしたお話である。しかしラノベは巻数が多い傾向にあり、入手価格が高く、続きが気になるという厄介な特性がある。幸いにもかみさんもはまってくれたので、図書館でたちまち残り5冊を押さえてくれた。すげー。古本屋を駆けずり回りお小遣いをすり減らすところを助けられた。

 

2011年10月23日(日)

終戦後、なにをしたものか、と途方にくれている週末である。曇ったかと思うと雨が降って、晴れたかと思うと風が強くなってきた。

 

黒大豆の不作にショックをうけて土いじりのモチベーションが低下してしまった。莫大な労力を投下して利益が少なかった。こういうリスクもあるんだなあ。しかしリスクは取らねばならない。利益は少ないとはいえあった。リスク怖さに何もしなければ利益は0だ。

 

2011年10月22日(土)

長い戦乱もようやく終わり、久しぶりに蘭を出したらかなり雨が降った。温かいので出しておこう。

 

この週は東京出張があった。時間があるとつい歩いてしまう。夜と早朝かなりあるいた。一泊二日での歩行距離は推定15kmであった。なんというか東京は外国みたいで面白い。整然としたせせこましさが興味深い。夜出歩いても安心感のある都市である。どこかの国みたいに怪我をして困っている人をほっておくようなことはありえない。適度に人間同士が気にかけている良い関係があるように感じる。

ネットのニュースで読んで愕然としたが、テレビでは映像付きで流れていたので血が下がるようなショックを受けた。幼児をクルマでひき逃げするのもひどいがそれを助けないというのはまったく理解できない。もはや人間社会の体をなしていない。何のために群れて暮らしているのであろうか。昔徘徊老人が国道わきで自転車でこけて途方にくれていたのを交番につれていったことがある。自分も困っているときに人に助けてもらったことがある。それがあたりまえと思っているのだが、どうも人類の4分の1くらいにはそういう常識が通用しそうもないらしい。大変気の毒な話である。

かの国から多くの人が働きに来ている。ダイエーの食堂では従業員全員がかの国の人たちらしく、日本語がすこしたどたどしい。中華飯を注文後たいそう待たされたが、よほど念入りに作っているのか、具沢山で、あつあつでたいそううまかった。かの国の人々は東京で重要な仕事にもついて多くが働いておられる。あのような忌まわしい事件が起こる背景は、かの国の社会に原因があるのだろう。まっとうな人はまだまっとうな部分の色濃い日本に逃げてきているのかもしれない。

 

東京のダイエーでおどろいたのが、探していた日清カップヌードル「チリトマト」があたりまえのように売られていることであった。街を歩けば自販機にドクターペッパーがあった。どちらも関西では絶滅したとおもわれていた商品である。手に入れにくい商品はネットで多めに買えば安くなる、という感覚を持っていたから探してみた。しかし、これらをネットで注文しようとすると少々割高になる。チリトマトヌードルはアマゾンで扱っていなかった。ネットも万能ではないのだなあ、と思った。結局、そろばんをはじいてダイエーからチリトマトヌードルを1ケース20個×138円=2760円を買ってサービスカウンターから送料525円(5日以上かかるとか)で自宅に送った。これで1個あたり三田市内のローソンで買った値段168円(その後在庫払底)より安い164.25円になる。なんというか流通といのは不思議で、需要があるのにちゃんと拾っていないのではないか、といぶかしく思う。そういうのをうまく掘り起こす方法はないのだろうか。ネットにそういう仕組みが備わっていないのだからネットビジネスはまだ成長途上にあるように思えた。要するにまだ「てぬるい」のである。どこかの倉庫に安く眠っている商品とそれを高く買いたい消費者が存在するにもかかわらず、それを利益にできていないのである。

売り手やメーカーは消費者の頭の中をうまくのぞけていないのだろう。関西には「チリトマト」と「ドクターペッパー」の真空地帯が存在し、潜在的な需要があるのだ。ある地域にあたりまえにあって、別の地域でさっぱり売られていない、という渇望の商品はまだまだ存在するだろう。これはおそらく、流通業界に問題がある。本来多様な商品が存在するはずなのだが、人件費や流通コストの関係で売り場に置ける種類が少ないのである。正直見たものばかりでつまらないものが多い。半端モノがでると安く売って在庫処理しないといけないと考えているらしいが、実のところ常に半端モノが多くの種類並んでいる店に魅力を感じる。そういう意味ではもう一期一会的に変なものに安く出会える業務スーパーが大変面白い。大手のイオンやダイエーなどはいつ行っても同じモノばかりで面白くない。競合するスーパーでどこに行くかを決める際にそこにしかない商品を頭に思い浮かべて店を決めるということは良くある。多様性というのは魅力のひとつである。

 

関東でいただけないのが、ミニスカートである。電車で目のやり場に困る。ひざ上15cmはどうかとおもう。関東に行くと、最初のうちは「おおっ、すげえ!!」とおもうのだが、だんだん「ちょっとえぐいなあ」と思うようになってくるのである。ヤマンバが速く走れるようにああいう格好をしているんじゃないか、という雰囲気である。

 

秋葉原でアヒルの形をしたレーザーポインター300円を買った。ボタンを押すと口からレーザーがでて「クワックワッ」という鳴き声がする。素晴らしい。家族からなぜ人数分買ってこなかったのかと怒られた。しかし、鳴き声付だとプレゼンに使うのははばかられるなあ。

メモリーカード2GB275円を買ってきた。4GB399円も買ってくればよかった。東京での買い物の大半は食料品だった。最近物欲が低下したなあ。

 

これを書いた直後、三田市内のスーパーマックスバリューで日清カップヌードルチリトマトを142円で発見した・・・。流通ってわかんね。

 

2011年10月16日(日)いろいろ開花

一週間庭に蘭をだしっぱなしにしておいたのであるが、本日は夕方から涼しくなってきたので取り込んだ。地生蘭のもらったやつ、また名前を忘れたやつが今年二度目の開花であった。

デンファレで貸し出して室内で弱った株がこの夏よく育って復活して咲いた。

 

土日仕事漬けである。守りを厚くしなければならないきつそうな状況で逆に攻め込んでいる。

 

オキュパイ東京ですか。東京と言ってもひろうござんすからねえ。そりゃまあがりがり亡者の金儲けばっかりの人がいないとはいわないけどねえ。なんだか勘違いをしたようなバクチ狂いのピーな経営者も増えてきたようだけど。ああいうのはゆるしたらいかんわねえ。会社を何打と思っているんだ!という奴は徹底的に追及するべきである。それはそれで東京ってどうしようっていうのか、当初ぴんとこなかった。

勉強不足かもしれないけど、日本は金持ちが払う税金がことさら安いということらしい。富める者の義務というか、そういうのをまぬかれているように思える。日本の金持ちは隣国の成金とは異なり、賢いので、見た目では金持とはわからない。節税対策もばっちりなんであろう。頭の下がる経営者もいて、会社を公器とみて、世間と従業員のためにあると考えているかたがたも存在するらしい。いわゆる「人よし、家よし、世間よし」という近江商人の考え方であろうか。そうじゃないとやってゆけないという歴史的に培われた商の心がうけつがれてきたのである。

世界的に強欲資本主義をなんとかしろという運動は意義があることだと思う。格差はえげつなく広がっている。優秀な若者が職に就けないのはもったいない。そういうもったいない将来の宝をスポイルする状況は確かにある。これまでは非正規雇用対正社員という対立が見えなくもなかったのだが、そういう枠組みは世界的な強欲資本主義の設定したものなのである。日本の商習慣もそういうグローバルスタンダードといういけすかねえものに蝕まれてきたのであった。

消費税を10%に上げる前に、もっと金持ちから取れ、と思うわなあ。これまでは金持ちから税金取ったら海外に逃げる、という話だった。世界的な運動になってゆくのであれば、世界的に金持ちからちゃんと税金を取れ、という運動にしたらええんじゃないの。もう金持ちには逃げ場がない、と言うふうに。そういうふうに政府に圧力をかけに行くのであれば、今後どこかで運動をしているのであれば参加しよう。

金持ちもただ税金を取られるだけじゃ面白くないから、会社が傾いたときに払った税金の額に応じて国から融資を受けられるようにしたらええんじゃないか、などというトーシローなことを考えたりしていた。いっぱい払ってくれたら国債をくれるとか。いっぱい税金を納めた人がいいめにあう仕組みにはなってないよなあ。

 

2011年10月10日(月)

庭に蘭をだしっぱなしにしておいた。水遣りをしておいた。今夜もぬくいので出しっぱなしだ。

 

黒大豆の枝豆は1束700円というのが市内の相場である。ものすごく丹精こめた我が家の黒大豆は不作だった。比較的よく豆がついている株でもさやつきで200gにしかなからなかった。塩ゆでして食べるとまあうまいにはうまいが小さいなあ。

このサイトで事前に皮算用をしたり自慢したりするとことごとく残念な結果になる。繰り返し実験してみたが、再現性がある。おもろい。

今後はたまねぎしか作るものがないので、たまねぎの苗を安く買って、ひとまずたまねぎの自給を目指そう。

 

だらだらだらだら過ごした一日だった。じわじわじわじわ仕事に攻め寄せていった。筋肉痛はゆっくりと取れていった。

 

500円のmp3プレーヤーは結構音が良かった。しかし曲の順番がいつも同じ曲から始まるのには閉口する。しかもすごい音量で始まる。最近はケータイが音楽プレーヤーを兼ねているためこのようなプレーヤーは駆逐されつつあるようで、市場では有名メーカーの物以外はあまり見かけなくなってきた。

 

2011年10月9日(日)

庭に蘭をだしっぱなしにしておいた。水遣りをしておいた。

宝塚ダイキで村上園芸が蘭展をしているやにはがきの案内がきていたが、諸般の事情でたどり着けそうもない。

今夜もだしっぱなしである。

 

本日は豊穣に感謝する祭りである。地域社会と自然への感謝もある。筋肉痛の足を酷使して12kmを歩いて山車をころがしてきた。餅がすごい勢いで飛んでくる戦場のような餅まきで15個を拾ってきた。一日中疲れに疲れを積み重ねるような休日であった。天気は良かったなあ。実にきつかった。帰ってぶったおれていた。

 

原田康子著「満月」をブックオフで105円で買って読んだ。津軽藩士が現代にタイムスリップして妙齢の高校生物女教師とむにゃむにゃ、というお話である。そのヒロインには感心しなかったけど、女性ってこんなこと考えているのか、といういろいろが意外でおもしろかった。それにお武家様ってカッコイー。昭和の作品だから売っていないようである。昭和の雰囲気がなんだか懐かしい。やっぱ武士道っていいなあ、でもぼくの好きな四字熟語は「卑怯未練」だったりするのでだめだろうなあ。

 

最近はまっている漫画に、にざかな著「B.B.Joker」がある。魅力ある少女漫画の絵で、えげつないギャグをやるとてつもないギャップ、いや、ギャグのセンスも絵も光っているすごい作品であった。その4巻の表紙に大輪のカトレアが描かれている。Blc. George King ‘Serendipity’ AM/AOSじゃないか、と思った.

 

2011年10月8日(土)カトレア・ラビアタ開花

蘭を庭に出して水遣りをしておいた。おっと、カトレア・ラビアタが開花している。

 

黒大豆は何本かぬいてきたらさっぱり豆が付いていなかった。まあそういうこともあるか。

 

 息子の希望で日本橋まで片道50kmのサイクリングに出る。ぼくたちけちんぼは、バス代650円、電車代740円、地下鉄代230円がとっても惜しいんだよ。だから交通費まるもうけのちゃりんこというしんどい道を選択するしかなかったんだよ。貧乏暇なしだよ。出発後45分で15km快調に進むかと思ったら息子の自転車がパンクしたよ。昨夜もパンク修理、今朝もパンク修理、 15km走ってパンク修理、池田のケンタッキー前でパンク修理、石橋でチューブを買ってパンク修理、三国でパンク修理。ぼくの息子はきっとパンク修理が下手で趣味なんだよ。ペニーワイズポンドフーリッシュってかあさんから言われていたよ。おかげでぼくはたっぷり休憩できてとっても楽なサイクリングだったよ。池田のケンタッキー前でお世話になっている大学のS先生に会ってしまったよ。腹の出たいいおっさんがサイクリングだなんてきっとバカだと思われたにきまっているよ。腹が出ているくせに豊中のマクドナルドでトイレ休憩と称してビッグマックを食べるよ。ビッグマックはなんの断りもなく320円に値上がりしていてショックを受けたよ。

 梅田はチャリンコで通過するにはあまりにも道がなくて迂回するしかないどうしようもないところだよ。大阪の道行く人達はケータイを見ながら横一列になって歩くよ。最近の人たちはどうしたんだろうというくらいケータイをやっていて、クルマを運転しながら、自転車に乗りながら画面を見ている人がいるかと思うと、トイレで放尿しながらメールを打っているあんちゃんがいたのには驚いたよ。ケータイももてない貧乏人のぼくたちは、日本ももうこれまでかと思ってしまったよ。でもぼく達みたいなあほ親子が安全にゆききできるわが国のありようはまだまだ捨てたものじゃないと思うよ。息子は、大阪はタバコくさくてかなわないっていっていたよ。彼は、先月の京都サイクリングでちょっとみてきた京都と大阪を比較して、格がちがう、なんてえらそうなことを言っていたよ。ぼくは大阪府で働いているからコメントを差しひかえるよ。街はぼくたちのような貧乏人ちゃりライダーがあふれていたよ。格の下がっちゃった大阪はきっときっと景気が悪いんだ。貧乏人のくせに志っぽいものをもっていると錯覚しているぼくたちは緒方洪庵の適塾の前までいってきたよ。村田蔵六、福沢諭吉、松本良順が通ったすごい学校だよ。貧乏人のぼく達は入場料の表示を見て「今日は遅くなりそうだから今度にしよう」と先を急いだよ。

 とうとうぼく達は交通費を節約して日本橋にやってきた。でもリュックひとつでは輸送力に問題があるから、前みたいにタワー型ジャンクパソコンまるまる1台2000円なんていうバクチみたいな無謀な買い物はできなかったよ。おっことして壊してしまった480円のmp3プレーヤーの後継機を500円という値段制限で血眼になって8軒探してゲットしたよ。買うあてもないHDDドライブのためにシリアルATAケーブル100円を買ったよ。ラグビー型の強力磁石2個100円、なんに使うということもなく買ったよ。

けちけち親子は、ごはん食べ放題の金龍ラーメン600円で帰りのエネルギーを補給したんだ。あまり買うものはなかったけど、とりあえず納得したのでとっとと帰るよ。アマゾンで買った15350円のちゃりは低速でとっても安定していたから、ものすごい人ごみでもぶちきれずに落ち着いて超低速で進むことが出来たよ。ちゃりはまだ値段の20%くらいしか元が取れていないよ。大阪を抜けるとつるべ落としのように日が沈んで、しまった無灯火だ、やばいこれは捕まるとびくびくしながらかえってきたよ。380円でみかけた自転車ライトセットを、100均で見つけ出そうと躍起になったけれど、みつからなかったよ。車道を走っていると、歩道からおねえさんが逆走して飛び出してきたときは肝をつぶしたよ。でぶな中年がパニックでどうすることもできないでいた間に若いお姉さんのほうが機敏なハンドル操作でぼくをよけてくれたよ。くそ女てめえ、と思ったけどいまは感謝しているよ。それ以外は、安全におっかない思いもせずに暗い夜道を月明かりを頼りに進んでゆけたよ。

 坂道で恐れていたガス欠になってしまったよ。5km先にあるコンビニのことを考えたよ。無性にアンパンが食べたくなったんだ。空腹は最高のソースだよ。コンビニの駐車場で食べたアンパン97円はとってもおいしかったよ。

 ここからは道がよくわかるので体力的に余裕をぶっこいていた息子はさっさと先に帰っていったよ。それまで80kmデーヴなオヤジの後ろにぴったりついてきていた息子の忍耐に感激したよ。真っ暗な谷は怖かったよ。夜なのに祭りシーズンなのであちこちで灯明が灯って、神社ではタイコの音がしていたよ。難所の標高300mの峠は、押してあがったららくちんだった。もうトシなんだから無理はしないよ。月明かりの川べりで立ちXxXをしたよ。なんだか爽快なサイクリングだったよ。もう二度とごめんだよ。

 

2011年10月2日(日)

曇りがちだが、蘭を庭に出して水遣りをしておいた。夜には取り込もう。

譲渡予定株を選抜してリストを作成し、お得意様にメールでお知らせを出した。リストの作成は、「蘭扉頁」のデータを使うので画像データへのリンクなどの編集作業が楽になった。

17時からもう寒いのでとっとと取り込む。

送風ファンの修理をしないとなあ。

 

譲渡株案内など、いろいろたまっていた懸案を片付ける。HDDレコーダーに溜め込んでいた番組をせっせとスキップ気味に見る。「遡り日本史、太平洋戦争」民間人の死者50万人(戦後保障なし)、戦死した兵士230万人の死因の60%は餓死だった、という話に憤りを覚える。

「買い物依存症」に関する番組を見た。「仕事のストレスと彼氏と別れて、買い物依存になり給料25万円の2倍の買い物をしてしまったあげく、買った服はどんどん質に入れて買い物に資金を得、家賃が払えなくなり実家に戻ったというOLの話」をみて驚く。服が1着3万円だとお?。CPUとHDDとマザーボード、DVDドライブにケースとメモリを買ってもおつりがくるやんけ。一ヶ月で50万円だなんて、パソコン3年に一回買い換えるペースで計算すると、パソコン代30年分やんけ。それを一ヶ月で?。蘭12年やったってその半分もかからんぞ。ふざけんじゃねえ。絶対おかしい。

服って「これを欲しい」と思って買った記憶がない。着て、見苦しくなければいいのだ。

私は、砂糖が170円を切っていると自分の小遣いが減るとわかっていても買いたくてうずうずしてしまう、というところはある。お得そうに見えるものに弱い。ジャガイモ「インカのめざめ」1kg58円に飛びついて、2袋買ったが、今年は田舎のジャガイモが豊作でこの買い物はよけいだったためちょっとめげた。重かったしなあ。でも先ほどフライドポテトにしてほとんど食ったからよしとしよう。

こういう買い物依存のねえちゃんってほかにもっとましな買うべきものはないのだろうか。

依存って誰しも結構あるらしい。私は仕事依存ではない。意志の力でえんやこらやるのが仕事である。「仕事をしていないと不安で仕方がない」というようなことはない。そんなダリー生活はごめんだ。蘭依存ってのもない。好きでやっているものは趣味であって、「やってはいけないとわかっていてもついやってしまう」というものではない。アルコール、買い物、ギャンブル、ケータイ、ゲーム、などなど、過度にやって自分の経済や生活、学業等に支障をきたすものを依存症と言うんだろう。微妙に共通しているのは、心の中の満たされない何かがあって、そこを痺れさせる高揚感(ここがおいらにはわからない)ってものを伴うようだ。まっとうに抑制している人間から見ると「ビョーキ」としか思えないので、将来「脳内で意志または辛抱をつかさどる物質、その分泌器官、受容体等」が発見されるかもしれない。買い物依存たけなわのねえちゃんの「うー、あの服買いてー」という状態や「とってもお似合いですよ」って店員に言われているとき、「買っちゃった-」(店員が並んでお見送り)という瞬間の脳の動きを陽電子なんとかグラフィーで調べたらいろいろわかるかもしれない。なんとなくおもうのは、脳もストレスなど、なんらかの原因でちりちり焦げたようになって部分的に壊れた状態になるんじゃないかなあ。

 

2011年10月1日(土)

ラビアタにつぼみを見つけた直後喜んで日誌に書いてアップロードした直後だったか、虫のインフォメーションを感じて庭に出てつぼみを見るとはやつぼみが欠けており、バルブの中ほどにナメクジが丸くなっていた。速攻殺害し、すべてのトレイにナメクジ殺しを撒いておいた。先週の日曜のことである。

 

本日はもう秋だ。一日寒々した気分で過ごす。夕方には大半を家の中に取り込んだ。

ファンのコードが壊れてしまい、修理が必要である。電源アダプターを見つけてひっつけるか、と思う。

 

退屈男となってしまって久しいなあ。なにか面白いことはないだろうか。娯楽あさりをはじめるとろくなことがないようである。

イグノーベル賞またも日本人受賞のニュースをみて喜ぶ。日本人は大まじめに笑える興味深い研究をやっていることがわかって喜ばしい。イグノーベル賞にはあきらかに受賞者を批判しておちょくっているものもあるが、日本人の受賞はなかなか立派な研究と思えるものが多い。

読書だけは絶好調だ。米村圭伍著「退屈姫君伝」が面白い。大江戸ミステリーである。ジュブナイルの文体でエロかったりするから変だ。新潮文庫は字が大きくて読みやすいなあ。シリーズで楽しめそうである。

犬村小六著「とある飛空士への恋歌」全5冊を読み終わってしまった。これもはやるだろう。アニメ映画ではやったら入手困難になることを見越してさっさと古本で揃えて読んだのだが、1冊350円というのはすごいコストだ。読書記録は5冊を1タイトルとして記録するので、この1件に1800円もかかったわけである。はやりモノに手を出すと高くつくなあ。

 

NHK教育の番組でケータイゲーム業界について解説していたので見た。「そんなゲームのどこが面白いのかさっぱりわからん」「アイテムを金を出して買うだと?」「時間の無駄としか思えない」というのが感想である。いやいやいやいや、なにかしらきらりと光る楽しみがあるからやればやったで面白いだろうし、くわずぎらいはいかんよねえ。

タバコが増税で値上げされるという。400円くらいか。700円になったら70%が禁煙するという。「手ぬるい、1箱1000円にしろ」「どんだけくさいけむい思いをしてきたとおもっているんだ」「酒税ももっとあげろ、ゲームや携帯にも税金のかけろ」というのが感想である。いやいやいや、そんな人の嗜好品や娯楽に呪詛してもなあ。おろかな国民に辛き政府ありと福沢諭吉もいっていたし自分で自分の首をしめているんだから私がとやかく言うことはない(フォローになってねえ)。

芸能人がブレーキのないちゃりに乗っていて捕まったと。「最近目に余るちゃりライダーが増えているから、その芸能人が捕まったおかげでどれだけ多くの人の目が覚め、傷つかずにすんでいるものやら」「あほちゃりライダーは徹底的に取り締まるべき」。すみません、ヘッドホンで音楽聴かずに運転します。

 

 

2011年9月25日(日)

ラビアタにつぼみを見つけた。ちょっと遅めだなあ。大事に育てよう。

秋口だから硫酸カリウムとりん肥料をやることにして、粉をポリバケツに入れ50Lほど水を入れ、HB101もぱっぱとふりかけておいた。効くかどうかはよくしらないが。

 

かなり以前に枯らしてしまったアングレカム・ディディエリは、かみさんによるとたいそう香りが良かったそうで、できればもう一度育ててみたいと思うのだが、そう思ったってそうそう簡単に手に入らないわなあ。

 

黒豆はまあそこそこ出来ているようだけれど、そんなに良くないかもしれないなあ、あんまり期待しないで置こう。

 

ろくでもない三連休であった。もっとましな使い方はなかったのだろうか。毎回同じことを繰り返すのだが、お楽しみ下手はどうにも治りそうもない。なにか楽しいことはないのであろうか。

そういえばこの9日間新たな戦闘が勃発して毎日けっこうきつい。最近はやりのセシウム(放射性ではない)について毎日あーでもないこーでもないをやっている。そのセシウムを今度使う。

仕事漬けはほどほどにして蘭をもっといじればよかったと思う。植え替えが必要なものが結構あったような。来週末は蘭をいじろう。週末といわず明日からでもいじろう。

 

2011年9月24日(土)

ちょっと寒いが庭に出したままである。秋だなあ。

古本屋で会田一之、鈴木有城、江尻宗一、斉藤亀三、大場良一、五島正共著、講談社カルチャーブックス「見る・知る・育てる 洋らんづくし こんなに奥深いらん学百科」(1992年、1500円)を105円で入手した。写真の多い、新しい本だなあ、中身も濃いし、などと思ってほんのデータをここへ引き写していたら驚いた。私がらんを手にした1998年より古い本だ。1992年!?。20年も前か。

 

福島の花火を使おうとしたら自治体に苦情が来てやめた、と?。屋外で雨風に当てていたもんじゃないんだから「震災前につくって保管していたものですから安全です。心配ありません」と確認の上言えるはずだが、聞いてくれなかったのだろうか。やめちゃったらオオゴトになるとは予想できたと思うが、そのあたりのリスクは思い至らなかったのだろうか。誰もいさめなかったのか。不思議だ。

福島のお米から少々放射能が出ようが、基準値をこえていようが、基準値そのものがものすごく低く設定してあるんだから、そんなのは市場にゆだねたらええじゃないかと思う。でも安く買って知らない人に高く売る奴が出るからやんないんだろうなあ。

 

ニュートリノが光速より速かった?。光より速い粒子っていうと昔タキオンってのを聞いたことがあった。相対性理論では光速を超えると質量が虚数になるんじゃなかったっけ?。

相対性理論も量子力学も、ニュートン力学では「なんかおかしい」という領域で新たに見つかったのである。量子力学のなんかおかしい、は加熱している容器からもれ出てくる光の波長が、温度の増加に伴って予想されたものが全然合わないというところから始まったそうな。そりゃまた微妙な。これを習ったとき「ふーん、なんじゃそりゃ」と思った。繰り返しそのあたりの解説を読んで、たしかに研究者には大問題だったろうなあと思う。とくに量子力学のへんなところは、並んだスリットに電子を打ち込んでその先の検出器で電子の数を数えたときに起こるとされる思考実験の結果だ。片方のスリットずつを開けて電子を入れると山なりの分布をするのだが、両方あけておくと2つの山ができるのではなく、さらに多くの山が出る。電子は波としてふるまい別の電子に干渉するというのである。「えー、なんじゃそりゃあ」ととってもへんてこりんな世の中の仕組みにいまだに首をひねる。マイナスの電荷をもった電子はプラスの電荷がある原子核と電気的に引っ付きたいだろうになぜ引っ付かないのか?そうすると原子の直径の10万分の1だったかの原子核に電子が落ち込んでしまい、原子がいまの10万分の1のサイズになってしまうわけで、世の中すべてきんきんに詰まった世界になってしまう。そういう根本的なことが我ながら歯がゆいことにわかっていない(単なる勉強不足だろう。ハイゼンベルグの不確定性原理とかいろいろあって原子はつぶれないのだ)。

このなんかおかしい現象が新しい物理学を切り開いてゆくことを期待したい。日本ではJPARKちゅう東海村の実験施設(中性子回折実験をしに原子炉の側まで行った。駅まで歩いたけどえらい遠かった)からニュートリノを出して遠くのカミオカンデでその到着をしらべニュートリノの速度を計測するのだそうだ。どうやるんですかねえ。「いくよー」「もうついたよー」「速すぎてよくわかんないねえ」ってことはないよね。

物理学者のグレゴリー・ベンフォードが書いた「タイムスケープ」というSF小説をかなり昔に読んだ。光より速い粒子があると過去と通信できるとか言う話じゃなかったろうか。

ショートショート

ニュートリノが光速を超える粒子であることが明らかとなった。科学者はカミオカンデのニュートリノ検出器を使って未来からのモールス信号を受信した。最初は素数を連続して発信する信号をキャッチした。1,3,5,7,11,13,17・・・。科学者たちは興奮して雄たけびをあげた。号外がでて新たな歴史が刻まれた。

翌日新たな信号が届いた。

「国債破綻、借金スルナ」

「・・・・無理」と誰もが思った。

信号はこなくなった。

 

2011年9月23日(金)

3連休の初日は毎度のことながらどろーんとすごしている。台風一過良い天気で蘭を庭に展開した。鉢をよく見る。結構弱ったものも多いようだ。打てる手を打つ。10月が近づいてくるなあ。裏の棚はもはや日が当たっていないので家の南側にすべてを展開する。秋らしく涼しい。まったく汗をかかない一日だった。

 

球根園芸館のトップページが昨年からずーっとかわっていなかった。春の庭の水仙(2011年4月)やらチューリップの画像をぼーっとみていたらえらくきれいに咲いていたのにぜんぜん画像をアップロードしていなかったので、なんというか、こういうええ感じの画像を世間にお届けしないのはよろしくないというかもったいないのではないかと思った。このサイトは、本来お花の画像や生育データを世間様に楽しんでいただくというスタンスでやっているのである。あたりまえのことなのであるが、管理人個人は世間のみなさんの働きのおかげで日々生活してゆけるのである。職を得て、金を得て、糧を得て、楽しみを得ている。すべてに背景にある社会の人々や自然界の活動を支えられている。そういうあたりまえを少し忘れていたのだけれど、根本にはそういう世間への感謝があって、世間から我が家の庭に届けられ、そこで咲いたお花の写真を捧げていたのである。まあこういう気分のほうが長続きする、と思う。

 

昨日は出張であった。出張はだるい。できればどこにも行きたくない。車中書き物で集中していたのであっというまに名古屋についた。普段よりはかどるなあ。出張先でいつもの危険な実験をしかける。「出たな毒ガス。いい香りだ。そうこなくっちゃ」と防毒マスクをかぶってあわてず騒がす復旧する。得られたブツはいい色をしていた。これが明日を変えると信じている。新しいマシンに手ごたえを感じる。このニッポンのお宝を山ほどつくってやろう。

 

2011年9月20日(火)台風避難 バンダに花芽

朝から警報が出て子供は学校が休みである。交通機関が堅牢なため仕事には支障がなかろうといつもどおりでかけた。なかなかの雨だなあ。急に名古屋方面の出張の話がでてくる。22日か。だが、名古屋はえらいことになっているらしい。

夕方雨が上がったのでなしを買いに行った。6個200円をゲット。

たいしたことがない台風だと思っていたのだが、ゆっくり進むうちに勢力を増して、いつのまにか暴風圏があらわれ、それが夜には四国ほどの大きさになってこちらに迫ってくるではありませんか。ひょっとして蘭によくないかも、と考えて庭に展開していた蘭を家に取り込んだ。

夕方に中心気圧が950hPaだったものが、夜10時には940まで下がり、最大瞬間風速は70m、非常に強い、といわれるまで強力になってきた。

蘭の取り込みは重労働ではあるが、幸い雨もやんで風もさほどではないので、ゆっくりやる。終わったら風が鳴り始めた。バンダを運んでいるとき、お約束のように今年も花芽を出しているのを確認した。

 

2011年9月19日(月)

家族の用事で出かけたついでに明幸園に行った。とくにでものはなかった。またまた暑い一日だったが、夕方から急変して、冷たい北風が雨を含んで吹き始めた。今日まで夏だったなあ、と思う。明日から秋だろうか。蘭は寒くないか。そろそろ出し入れを考える時期だなあ。

明幸園でバスケットを捜したが、大きいものしか見つからなかった。バンダとアスコセンダを一緒に置いていたのがたたって、アスコセンダのバスケットにバンダが根を伸ばし、取れなくなってしまっていた。アスコセンダはもらったときに明幸園で買ったバスケットに入れたのである。こういうバスケットをバンダにも、とおもっていたのであるが実はえらいことになっていた。

「ええばすけっとやん。おれのなあ、ちゃっちいぷらすちっくやねん。おれも成長してバスケットがえろう下のほうになってしもうて、新しい根っこがさぶうてかなわんねん。かんにんちょっといれさせてぇなあ。な、ちょっとだけ、さきっちょだけ」

なんかいやらしいバンダやなあ。まあさきっちょだけいいながらこんなにずぶずぶはいってってしもうてまあ、ぬけへん。えらいええ仲になってはるわぁ。

このアスコセンダは寒がりなのか、ここ数年花芽をだしてくるわりに途中でしけてきたのである。今年はずるをして温かいところへ持ってゆこうとしていたのだが、親の許さぬ不義いたずらのために難しくなってしまった。

あまり蘭棚をかまわなくなってしまったためカトレアなどで隣の鉢に根っこをぶっさして侵略する事件が多発している。「へへへ、おくさーん、いやらしい根っこでしょう、ほらほら」という雰囲気のカトレアが増えた(どんなカトレアやねん)。

 

もともと明幸園詣のドライブコースは、だんだんブックオフ3軒めぐりになり、最近は神戸近郊スイーツめぐりになってしまった。本日は明石で新しい店(美味らしい)が発見されてしまいケーキの数が増えた。これで道中のスイーツ店は6店になってしまった。昨日のサイクリングが堪えたのか、本日は肩こりで一日ドローンとしていた。

本日の本探しは漫画はさっぱり振るわず、ありがたくも入手困難で捜していたラノベ小説を3冊ゲットした。最近まで漫画を読むことのほうが多かったが、面白い漫画の入手がぱたっと止まってしまい、読書ばかりになっている。漫画は優れた表現方法なのだけれど、飽きやすい面がある。多分画像が描き込まれている分だけ想像の余地が少なくなっているためだろう。面白い漫画はそうそうあるわけではなく、コストも高いし、絵で好き嫌いが分かれることや、漫画に向かない話も多い。面白い本は数が多く、コストが安く、入手が容易である。ただ漫画は忙しい時期や集中を要する時期に手にとりやすい。すこし気持ちの余裕が出てきて読書が進むようになったらしい。読書の秋になったということだろうか。

 

風が強いけれど黒大豆は大丈夫か。少々傾いているように見える。そこそこさやはついているようだが、膨らむのはこれからである。早生ものが売られているようだ。ふくらんでくれるだろうか。

 

連休ってきついなあ。なかなか戦闘激化の三日間だった。

 

2011年9月18日(日)

Neost. Lou Sneary ‘Sato’が盛大に開花してくれるはずだったのだが、どうもバッタに食われたらしく、花が著しくへっていた。大変残念だ。バッタに味を覚えられてしまうと結構付けねらわれるようである。この株は里子に出すほかあるまい。このあいだもDen.HawaiianKingの花の上でお食事中だったキリギリスを殺害した。そういう決まりにしていたのでやりたくはなかったがしかたなしに殺った。いやだなあ殺生は。普段はアリを踏まないように歩いてるってのに。

 

終戦で呆けていた一週間だったが、次の攻撃目標に向かって国境線に集結しつつある、ような状況である。三連休も結構闘っている。全然面白くないけどねえ。

暑い部屋でうだー、としていても滅入るのでちゃりにのる。家から出かけるともっぱら南へ行くか北へ行くかという進路しかない。先週北にまだしらないところがあるので、北の探索にゆく。温泉地からの田舎道を探索したりしていた。さらに急峻な峠を乗り越えて南にどわーっとすすんだところで腹が減ってへろへろになってしまった。脂肪はすぐにはエネルギーにかわらないので、よたよた帰り道を進む。ドロップハンドルのちゃりって前傾姿勢だもんで重いあたまを支えるのが疲れる。標高差300m、峠4つを超え、40kmほど走った。体重は今年最低を記録した。

 

 読書だけは絶好調みたいだ。犬村小六著「とある飛空士への追憶」「とある飛空士への恋歌」なんてまあ高校生が読むような本を読んでうけていた。このシリーズははやるだろうなあ。

 米澤穂信著「ボトルネック」、ミステリーちゅうかファンタジーちゅうか、のっけからぐいぐい読ませる筆力がすごい。この作家の作品は手当たり次第に読むことにしよう。

 坂木司著「和菓子のアン」、かなり爆笑しつつ読んでいるなんでやねん和菓子ミステリー。和菓子もいいなあ。

 

 更新のためにネットにつなごう、という意思が薄い。ネットに見たいものがないからだ。ネットに用がないってまあ、どんだけ退屈男なのだろうか。なんかおもしろいことないっすかねえ。ちゃり乗りながらおもったのは、ナシくいてえ、だった。500円でナシ売っているところがあって、ちゃりに運ぶための荷台がなく、リュックもかついでなかったため買いそびれてしまった。後日ナシを買おう。

 ナシといえば借りている畑にナシの木がある。ナシの実がなっているのを見つけたのだけれど、あまり大きくならないうちに落ちてしまった。ひょっとして袋をかけないといけないのだろうか。

 

2011年9月13日(火)Neost. Lou Sneary ‘Sato’開花

Neost. Lou Sneary ‘Sato’が開花した。今年は花茎2本である。年々株が大きく立派になってきているのが頼もしい。この系統はこれまで何度か枯らしてきたので、どんどん大きくなるこの株はありがたい。

 

ウインドウズ7が1万円を切った。HDD2TBも5千円台のものがある。すわ、買いを入れるかと思った。パソコンを組んではや2年が経とうとしている。ウインドウズ7パソコンを作るつもりが、2年も我慢してしまった。これを機にパソコンの中身を刷新するか、などと思う。

いやいやいやいや、そんでウインドウズ7にして何をするの?。XPでやりたいことはすべて出来ている。ウインドウズ7にしてやりたいことが出来なくなるリスクはないのか?むやみと金がかかるようにならないのか。少々使えるメモリの上限が大きくなるからといって、操作がほんのちょっと速くなるからといって、少々新しい機能があってもやりたいことってほどのもんじゃない。パッドに押されてパソコンは安くなっている。それだけにOSも安くなってきたのだ。背景に経済不安があるのかもしれない。それゆえ今は模様眺めに徹するべきだ。

これを書いているパソコンは2001年に買ったウインドウズ2000だったりする。隣のXPとできることにさしたる違いはない。1万五千円もだして一体何をどうしたいというのか。

XPだからって世間に遅れていると思ったことはない。新しいOSってやっぱだりー。今度日本橋でも見物して合見積もりでも出してじっくり考えてみよう。

パソコンやOSの値段が下がるって、そろそろ経済でなにかごーんときそうでやだなあ。ヨーロッパがばたばたばたーときて、アメリカがすてーんといって、元気そうだった中国がどんがらがっしゃーん、日本だってただではすまないよね。経済の仕組みでおまんまたべてる国なんだから、経済がこわれちゃうとエネルギーや食料が入ってこなくなったりしないのだろうか。

 

2011年9月12日(月)クイーンサウスイースト開花

デンファレ、クイーンサウスイーストが開花した。我が家最古の蘭である。たしか2000年からの付き合いではないか。しかもこの蘭が咲かなかった年はないという結構なデンドロである。咲けば3ヶ月はあたりまえのように咲く。これで開花デンファレは4株になった。

 

3月10日にすったもんだしつつ始まったおっさんの戦いもちょうど半年経過した本日終戦を迎えた。やれやれ、やっとおわったか・・・。毎日毎日正月土日盆もなしで1時間以上欠かさず闘ってきた。ふっ、地味な闘いさ・・・。これからも毎日続ける。さあ次へいこ。自分へのご褒美ってのは特になし。あんまり達成感もなし。毎日いやなことを考えて過ごしたからなあ。リジェクトとか、大幅修正でポジティブな評価をいただいてからだってやっぱりどんでん返しでリジェクトとか。この150日間に4回もレフリー当たるし、審査される身としては誠心誠意審査したけどまあえらいきつかった。

職場にいるプロジェクトX級のおにいちゃんの仕事ぶりがすごい。頭が下がるすげえ奴がいるなあ。まあおもしろい職場だねえ。

 

2011年9月11日(日)

庭でほったらかしていたC. Bow Bells ‘Wright Person’を室内に取り込んで鑑賞する。昨年のC. Bow Bells ‘Wright Person’と違い今年の花はドーサルセパルがきりりと天を指していてカッコイー。んだが、実は右のお花がなめくじになめられたような変色が認められ、完璧な仕上がりとは言いがたいのである。まあ言わなきゃわかんねえべ。そんだったわけで、このなんともけっこーな画像を登録しよう。

久しぶりの画像登録

C. Bow Bells ‘Wright Person’

画像登録すると検索にかかりやすくなるようですなあ。蘭関連の画像検索をやると恐るべき頻度でこのサイトの画像が現れる。自分のサイトのURLは覚えていないのだが(覚える気がない)、C.labiataで検索するとこのサイトの画像が出るので簡単にたどり着けるのである。

 

9.11というとあの私の好きだったワールドトレードセンターがべっしゃんこになった日である。あたかもアメリカの前歯二本がパンチをくらって欠け落ちてしまったかのように感じていた。いわゆるしまらない面になった。それから10年アメリカは下手をこいてへろへろになった、ような言われ方をしている。そうかなあ、アメリカなんてベトナム敗戦以来いつもだいたいあんなモンだと思うが。

橋本治著「日本の行く道」(だったかなあ)を読んだ。日本は江戸時代からの優れた職人工業力でもって経済で世界の頂点を極めたようなことが書いてあった。1985年あたりだったろうか。当時我々は認識していなかったかもしれないが、人類史上最高の国家のありようだったかもしれませんぜ。寿命は世界最高レベル、医療はあまねく国民が享受し、教育もゆきとどき、人心はゆたかで、志というものがあったように思う。なんというか子供心に安心感があった社会だった。

日本人って今日でも立派な職人工業を持っていると思う。部分的な技術ではあっても世界唯一最高の技術をもっている。そういうプロ集団がうまい商売のやり方で生き残って日本と世界の工業を支えている。日本はまだまだそう悪くはならないんじゃないかと思っている。

 原発報道がかまびすしい。幸い誰も死んでいない原発の大事故と、大勢がお亡くなりになった自然災害を経験したのである。台風や竜巻、地震はしかたがないとあきらめているようなところがある。おっかないのは陰に隠れて進行中の人心の荒廃のほうじゃないのだろうか。まあいうたら子供の虐待やら、DVやら、いじめやら、そらもうえげつないんでっしゃろ。子供の将来のことを考えたらいまのえげつない状況のほうがよっぽど放射能よりコワイと私は思う。何人の子供がなぶり殺しにされているのか、数字出せと思う。そういう自分たちがやってることはかすんで、技術的に手を打てそうな原発をたたいてつぶすってのは将来に不安を覚える。原発より電車で暴れるよっぱらいのオヤジのほうがよっぽど危ない。世界は原発でがんがんゆくつもりだ。一部の足元が見えていない国家が遅れをとっているようだが、原発でここ20年を乗り切る以外に道はないのである。日本の教訓を生かせば儲かるより安全な原発が作れる。開き直って原発作って売るべきだ。仕事があれば家庭で女房子供に手を出すオヤジは減るのだ。原発を作ってリッター換算10円になる電気自動車を走らせ、石油を節約するべきなのだ。

 とまあ、かようなことを考えているのではあるが、それは自分が正しいと信じていることにすぎない。それが世の中の人にあまねくベストな考え方というのは世の中の人がきめるのである。ありがたいことにマスコミや声のでかい人の意向で決まるものではない。ちょっとは邪魔されるかもしれないが、だいたい妥当なところにおちつくのである。これまで、「これからはこうなる、こうだ!」ということを書いてきたが、まあ当たることもあれば、外れることだってある。地震やリーマンショックを予想した人はいるかもしれないが、それが世の中に影響を与えた様子はない。「あちゃあ、こんなことになっちゃったなあ、じゃあこうするか、よいしょよいしょ」と大勢の動きで決まるのであろう。

 

ちゃりんこで16時から息子の買い物に付き合って出かけた。往復30km走るとやはりケツが痛い。

 

2011年9月10日(土)?開花

蘭の棚でLanium avicula ラニウム・アビクラなる小さい蘭が咲いていた。

天気が良いので撮影をした。C. Bow Bells ‘Wright Person’は、開花当初今年は失敗かとおもっていたが、数日屋外で過ごすうちにえらくきりりと咲いてくれた。ちょっとなめくじになめられたあとみたいなものがあるが、写真はきれいに撮れた(2011年9月10日)。

蘭を買った・もらった!」で度忘れした蘭の名前を確認していたら、昨年C. gigas s/alba カトレア・ギガス セミアルバを買っていたという記述があって、すっかり忘れていたため「え?ギガス?どこどこ」と探す始末である。けっこう小さい鉢だったような気がする。

 ギガスで思い出すのがL.テネブロサだ。昨年村上園芸の社長が「これ1000円でいいよ」といっていたL.テネブロサが超でかくて超かっこよかった。あれほどかっこいいカトレアのバルブはみたことがない。あれが咲いたらさぞかしすごいだろう。それ以前にちいさい鉢を買っていたのでその素晴らしい1000円の株は辞退したのだが、うちのおちびさんは最近えらく立派になってきた。テネブロサはあと数年かかるだろう。

 9月というとC. labiata var. coerulea ‘Blue Giant’´‘The King’ なんかはどうしたのだろうか。人にあげちゃって忘れているということはあるか。

 

読みたい漫画もなく、なんかつまんねーなあ、と30℃を超えた部屋でドローンとしていたが、そういう「生きるヨロコビみたいなもんがないのは体を動かさなくなったからだろう」と考えてちゃりを買って1週間が過ぎた。しゃあねえ、ちゃりでもこぐか、たりーなあ、と思いつつ出かけてみた。

ちゃりんこは手放しが出来ないと不便だ。背中がだるくなるからな。まず手放しの練習をする(よいこはまねをしないように)。なれないとこわいもんだなあ。

ちゃりんこがはやっているらしい。まあたしかにちゃりんこは楽しい。1年で3000km走って椎間板ヘルニアがさっぱり痛まなくなったおれっちとしては「ちゃりはいいぜ!」というほかはない。でもまあ危ないからほどほどにね。

乗る前は億劫だったが、乗ってみると空は青く、白い雲がぽっかり浮かんでいて、風は涼しく、日差しを温かく感じられるほどに快適であった。ええなあ、ちゃりは。こりゃちゃり中毒がぶりかえしそうでやばいわ、ほんま。ここちよい推進力である。これが15650円(送料無料、代引き手数料込み)のちゃりとはとても思えない。

本日は家の前の川を延々遡った。この川は7km下ると神戸市の水源であるダム湖に注いでいる。オオサンショウウオが棲むほどの清流である。上流とはいえ田んぼを多く潤している。程なく急な谷を削る急流となる。坂でもちゃりの変速のおかげで楽に登れる。シマヘビを踏みそうになってあわてたりしていた。川では家族連れがバーベキューをしているようである。いくつか盆地のようなところを通っていると、田んぼは刈り入れが行われている。よその黒大豆もかなり大きいのがわかった。見る限りうちのが特別大きいわけでも豆の付が悪いわけでもなさそうである。まるっきり木造の橋をわたった。木の音がして板が折れそうでおっかなかった。山中の渓流を眺めていると超ビッグな石灯籠が見えた。10m(いや、8mぐらいだったか)をこえようかというような巨大な石塔が2本そそり立っている。別荘みたいな建物があってその建物よりも高い石灯籠がなんとも異様だ。それだけではない、なんか石像がやたらとみえる。橋があって、付近の最高峰への登山道になっているのか、案内板があった。橋を渡るとかの石像だらけの別荘である。垣間見たところでは古今東西の有名彫刻のレプリカのようでもある。虎あり、仏像あり、ギリシャ彫刻っぽいものもある。見覚えのあるような仏像のレプリカのようなものがいくつもある。しかし不動明王で顔が観音様してたらまずくねえか、とつっこんでいた。東寺の立体曼荼羅を思い出しておもったのは、如来の左側の明王チームは誰も彼もおっかない顔をしていたし、右側の観音チームはやさしそうな顔をしていた。製作者の好みでこういうおちゃめな像ってのは宗教的にはどうなんだろうなあ、などと似非仏教徒の私なんぞは考えていた。ふとみると、おっぱいまるだしのおばさん二人にひっつかれたおっさんの像があった。しゅみわるぅ、というようなものもあるのだ。こういうバブル様式の彫刻を多数広い庭に配置したバブルオヤジはきっと石像マニアで、自分の好みにあわせて仏教彫刻を改変するほどの財力があったのだろう。そういうツワモノの夢の後はどうなったのだろうか。それにしても大変立派な像の数々なのでじっくり見学できたらなあ、と思う。なんとなくバブルの宴の後という雰囲気の遺跡だった。バブル廃墟はほかに葛に覆われたテニスコートなどを見た。バブル崩壊から20年か。なにしてたかなあ。思えばもう二度とバブルはこないだろう。

小規模ながら温泉街もある。ここもバブル期以前の団体さん用温泉旅館の廃墟があった。このご時世らしい洗練されたおもてなしがウリのきれいな旅館もいくつか生き残っているようである。山間の谷川が急流になったなあと思って眺めていると「伝説の地 女郎が淵」なる看板が立っていた。どんな由来があるのかしらないが、おっかないので夜中は通りたくないなあと思う。こんな書かれ方をしているところをみるとこれ絶対飛び込んだんだろう。いやいや、じつは女郎に売られた村の小町娘に襲い掛かった引率者が本当は殺害して自殺に見せかけたということはないのだろうか。現代なら変死なのでいろいろ調べるから、いろいろばれるよねえ、ってなに推理小説にもちこんでんの。でもそういう凄惨な出来事だと、村人は口を閉ざして忘れようとするから伝説として残らないのじゃないか?その女郎さんが飛び込んだことでなにか美談が発生しないと伝説にならないはずだ。やっぱ気になるなあ。

緩やかな坂をどこまでも進むと、田んぼの広がる広いところに出た。天王というところだった。頭ではわかっていたが、川の最後は大阪府のはらがたわ峠(「はらわたが」じゃないのでご注意ください)までつながっていた。標高は500mくらいだろうか。峠をみて納得したので折り返して下り坂をゆっくり眺めながら帰ってきた。往復ざっと30kmくらいだろう。ケツを鍛えないともっと長距離はしんどいと思った。

 

今度の経済産業大臣の発言が凄いらしい。原発周辺の町を「死の町みたい」とか、「タッチ、これで君にも放射性物質がついた」といったとかいわないとか。記者は内心「やったー」と思ったろうなあ。おちゃめな大臣とおもってくれないのが日本人である。

こりゃもうあれだな、大臣は半年勤めないといわゆる老後のあれこれはなし、ということにしないと、「イエーイ、大臣いっぺんなったらこっちのもんよー」「ねー、つぎはやくかわってぇ」という大臣職たらいまわしが止まらないのではないの。なんか雲行きが怪しくなったらちょっと噛付かれそうな発言かましてさっさとやめることができ、生涯大臣経験者として特典がついてまわる大臣職っておいしすぎると思いませんか。

変なことを言わないように、側用人をつけるとか。記者から質問を受けたら、大臣は側用人にごにょごにょと耳打ちをする(ほーしゃのーちょーこわかったよ)。すると東大法学部卒の側用人が「大臣は、一刻も早く除染を行うとの方針を示しておられます」と発言するわけだ。

まいどまいどまいどまいどこんなばかげたことで国の重要なポストがころころうごくんかい。

 

近所の店でスイカがずっと300円だった。つい買って食べてしまう。2日で1個のペースだった。小用の回数がやたらふえる。なんというか、スイカを食うと冬風邪を引かないというようなことを信じていたりする。腸がきれいになるような気がする。さすがに9月9日にはなくなっていた。これまで4個買って3個食べた。来週分でおわりである(最後の一個は腐っていた)。

 

2011年9月5日(月)Den.サティおつとめ、C. Bow Bells ‘Wright Person’開花

台風一過というとさわやかな晴天を連想するが、ずっと雨が降ったりやんだりだ。

デンファレ・サティで買ったおつとめ品100円が開花した。買った当初、春だったとおもうが、「私の腕にかかれば秋には開花するぜ、わはははは」と豪語していたのだが、たっぷり3年くらいかかってしまった。花数もすくなく、まだ本領発揮とはいいがたい。デンファレといえども1年にしてはならずで、数年間のバルブへの蓄えがモノを言うようである。

多くのデンファレが花茎をのばしてきて、さながら建設ラッシュのタワークレーンを見るかのごとくである。

C. Bow Bells ‘Wright Person’が開花した。

 

近所の八百屋のスイカが気になって小雨もようだったけれど昼休憩でかけた。まるまる1個のスイカが300円で売れ残っていた。この前買ったやつもうまかったので(一人で全部食った)味を占めてまた一個買う。5kgくらいあるんだろうか。だが、店を出たら豪雨だった・・・。ちょっと降りが弱くなったと思って強行突破を試みたが、雨はもっと激しくなり体中満遍なく、内線電話も含めて全部ぬれた。おかげで午後は大変涼しく過ごした。

 

運動不足だわなあ、とおもって自転車をアマゾンで買った。15650円の6段変速のロードバイクっぽいちゃりである。夜中に、よしこくぞ、と近所を走る。5km走ってすれ違った車は2台というすごい田舎である。もちろん信号機は5km先に1箇所あるだけだ。ワイルドボアが時々向かってきたり、鹿が行く手をはばんだりするのにはきをつけなければならない。よくこんなデブを載せて結構な速度で転がるなあと感心するちゃりだった。息子がついてきやがる。ちくしょう余裕こいてやがるな。息が上がるぜ。はー、はー、はー。たった5kmでケツが4つに割れそうに痛い。サドルに座布団つけようかしら。スカッとする予定だったが、どろーんとつかれてしまった。それなのになぜー♪、今日にかぎって、更新なんかしている。

 

松任谷由美の「天国のドア」を買って聴いて2週間が経過した。200万枚も売れたCDだそうである。バブル華やかなりし頃に聞いた記憶がある。1990年末だから、ちょうどバブル終焉のころだ。もう20年以上前になるのか。どひゃー、歳を取るわけだ。この中の「満月のフォーチュン」という曲を気に入ってしまった。最初聴いたときに気にいってはいたのだろうが、曲の好みを認識するまで結構な回数聞いたあとからこの曲が好き、とはっきり意識するようになるらしい。最初は曲から気にいって、後で詩を味わうというものらしく、詩の中身がわかったのは本日じっくり聞いているときだった。満月の夜におもいっきり好きあっちゃった男女が覚悟をもってお付き合いに踏み切るという、なんかバブル期のやる気まんまんな雰囲気が力強く伝わってきて元気が出る曲である。「フォーチュン」なんて最近なかなか出会わない単語だ。やっぱ今風にはmajor depression(鬱)かなあ(なんでやねん)。

 

2011年9月4日(日)C.Miyuki ‘Abe’開花

台風一過というとさわやかな晴天を連想するが、ずっと雨が降り続いている。

そろそろ蘭をださないとなあ。毎年律儀に咲くC. Miyuki ‘Abe’が開花した。

まもなくC. Bow Bells ‘Wright Person’が開花する。このカトレアは昨年やたらときれいに咲いてくれた。これらリンク先の写真には黒大豆が写っているから、昨年よりも1ヶ月は早いようである。昨年の黒大豆めっちゃうまそうやなあ。C. Bow Bells ‘Wright Person’をもういっちょう。

 

雨がやんだすきに畑の黒豆の復旧をする。結構風で横倒しになっていた。それを引き起こして根元に土を盛り固める。茎の太さは20mmを超えている。昨年より生育はいい。葉っぱの上に結構でかい毛の長い毒々しい毛虫が何匹もいる。これに刺されると一週間くらいかゆそうだ。かわいい作物のために見つけ次第追放する。80本も黒豆があると復旧作業もなかなか手間だ。さやもたくさん見かけるのだが、果たしてちゃんとまめになるのだろうか。図体ばかりものすごくでかくて豆がすこししかとれなかったらいやだろうなあ。いまから不作の心配をしていやな気分になっている家庭菜園ってどういう趣味なのであろうか。1本だけ20mmというぶっとい茎が裂けている株があった。被害といえばそれくらいである。こういう軽微な被害で不作のことを考えるというのはよほどペシミスティックなのだろう。あれだ。このサイトで自慢するといつもろくな結果にならないから、もうそういう結果を織り込んでいるんだろう。速報値が出ても折込済みってことで、先物であまり打撃を受けないように気分のリスクヘッジをしている。あれほど入れ込んで不作だったらちょっと打撃か大きいかも。

 

うつ病の診断は、2週間どくらーい気分がつづいたらうつ病、と診断されるそうである。そんなんでええんか?と驚いた記憶がある。本当に動くのすらつらい人と、ただ単にいやなことに直面して「いやだぁぁ」という気分(遊びに行ったりというのはOKらしい)の人も一緒くたである。このほどうつ病の人を血液検査で診断できる方法が開発されたそうで、その論文(M. Fuchikami, et al., PloS ONE, 6, e23881(2011).をちらっと読んでみたが、さすがにさっぱりわからない。そういう論文でも市井のおっさんが見られるようになったところになんかすごい時代の変化を感じる。微妙なDNAのメチル化なんてものからうつ病のあるなしを見分ける方法をよく見つけたなあと思う。うつ病ってMajor Depressionというのか。なんか「本格不景気」などと訳してしまいそうな字面だ。病気なんだから生化学的な背景がありそうに思っていたのだが、なるほどありましたか。

 

あんまりたいしたことない台風だったなあ、などと感じていたが、当地に降る雨は紀伊半島でブロックされ、かの地に降っていたのである。雨が集中する場所というのがたまたまあってそういうところがコワイのである。夜にテレビを見てあまりにも被害が大きいのでたまげる。やはり地球温暖化というのはコワイのであろうか。

 短い夏休みはずっと雨だった。その雨の合間買い物に出た際、遠い山の上に見えた巨大な風力発電機はどれも回転していなかった。「風が足りず、ほとんど赤字つづき」なのだそうだ。見通しが甘いんでしょうかねえ。原発がだめなら風力とか地熱とか太陽光というけれど、金がまわらないものは実現しにくい。CO2を出さないエネルギーってなかなか難しいんだよ。

 

2011年9月3日(土)台風来襲

夜中である。台風12号の強風域に入り、時々風の音がするが、雨はたいしたことがなく、虫の音が聞こえる。嵐の前の静けさであろうか。

蘭の避難は木曜日の夜に完了している。まったく問題はない。以前台風を舐めて蘭を痛めたことがあるので今回は用心した。

デンファレ類は2種が開花中で、ほかに3種が花茎をのばしている。

カトレアの大きなつぼみがいくつかある。

なんだか久しぶりに見るような気がする。

 

木曜日にまたぞろ締め切りがあり、どうなることかと思った仕事をなんとか乗り越えることが出来た。今回も少々きつかった。毎週なにかしら締め切りがある。

 

見事に育った黒豆が台風で被害を受ける恐れがある。まあそういうこともあるわなあ。そんときゃそのときだ。出来る限りの手当てをしよう。

けが人がでているようだ。誰も死ぬなよ、と願う。赤いわっかが近づいてくるなあ。あれ、同心円に見えるけれど、本当は右側に膨れたいびつな形をしているだろうと想像している。風のエネルギー密度でプロットしたらもっと実のある図になりそうなものだ。台風は右側が危ないという。進行方向への速度と風の速度があわさって強風が吹くからだそうな。

 

気がつくと9月だなあ。夏になにをしただろうか。実のところ高校野球でどこが優勝したのか知らない・・・。

 

一夜明けて意外にも台風はまだ四国に居た。とっくに日本海に抜けたと思っていたのが肩透かしを食った。その後も風雨が激しくなるということはなく、なんだか大型の割りにおとなしい台風だなあ、という印象である。

 

金田一蓮十郎の「ライヤー×ライヤー」にはまって3ヶ月、市販されている最後の一冊を読み終えてしまった。漫画を評価するブログで「ライヤー×ライヤー」が高評価だったため手に取ってみたら大変面白かった。えーと、「ジャングルはいつもハレのちグウ」10冊、「ハレグゥ」10冊、「チキンパーティー」3冊、「アストロベリー」2冊、「マーメードライン」、「ニコイチ」9冊、「ライヤー×ライヤー」2冊、「ミリオンのスペル」3冊であった。40冊か。すごいなあ。しかしいいおっさんがなんちゅうものを読んでいるのであろうか。

作者は高校時代からプロとして書き続けておられるそうで、頭が下がる。現在は少年誌、少女誌、青年誌に3本の連載を同時にこなしておられるそうで、雑誌に合わせた見事な描き分けや、その生産性の高さからいって当代屈指の漫画家の一人かもしれない。実のところ強固なチームで生産しているようにも見える。このプロ集団はちかく大ブレークするだろうなあと思う。こういう人が大阪にいるということや、「大阪市営地下鉄が黒字になった」などで、私の大阪に対する認識「弱い、甘い、商売がヘタ、お金にルーズ、汚い、治安が悪い」は大いに改まった。偉い人がいるなあ。(ガソリン撒いて人殺しを企てる腐れ外道もいたようだが)

マンガの中で「モンハン」という単語がよく出てくる。作者のはまっている「モンスターハンター」なるゲームであることを新聞サイトの解説記事で知った。かなりの数の大人がはまっているゲームだそうだ。私はこの単語を見るたびに「ノモンハン」を思い出して、司馬遼太郎、戦車、満州、ロシアなどを連想するのだが、まったく無関係である。ゲームをやれるというのはある種スタミナがあるんだろうなあ、と思う。ゲームと思うと「とてもやってられない」と思う自分はたぶんあっぷあっぷなのだろうなあ。それでも久しぶりに囲碁をやってみた。まあこれなら時間を作って出来そうな気がする。

 

そういうあっぷあっぷな人間だけに最近のスマホの流行は理解できない。画面の大きさが日ごろ使っている液晶の40分の1しかないのだ。そんなところでネットやメールやって面白いのかと思う。テレビとか、動画とか、カメラ、携帯音楽プレーヤー、ナビゲータ、いろいろ機能があるのだろうが、別に移動中そういうものを利用したいと思ったことはない。職場の内線電話がどこからでもかけたり受けたりできるようになったが、やっぱりほとんど使わないものは使わないなあ。一体ケータイはなにがいいのだろうか。

店先のデモを眺めてみると、あの小さな画面は大変高精彩であることがわかる。大変動きの多いデモだったが、できることがよく示されていてなるほど使い勝手がよさそうである。たいしたテクノロジーだ。値段が5万円をくだらないのもよくわかる。

しかし、老眼のジジイになった私がいまさら楽しいお友達にメールとか、おいしいスイーツ(笑)のお店はここよ、とか、いやーんお店の道がわかんなーい、とか、カワイイ動画を楽しみたいとか、ケータイ小説できゅんきゅんしたい、ってことはねえよwww。枯れたジジイのやりたいことはあの板にはない。

 

 日垣隆著「折れそうな心の鍛え方」(幻冬社新書、2009)を読んだ。幸い心が折れそうになるような災難にそうそう見舞われていないが、この夏は締め切り3つが重なって大荒れになりそうだったので、こういうタイトルの本に手が出た。今回の乗り切り方は「今月はものすごくツキがあって、気力も充実しているから、すべてがうまくいって必ず乗り切れる」と単純に信じてしまったことである。ある意味見事に乗り切った。通常なら最悪のことを考えすぎて心配でつぶれそうになるところだが、「じたばたしても始まらんわい」と、気分だけで淡々とこなして乗り切ってしまったのである。おっさんになるとさまざまな技が身につくものだ。しかし、いろいろめぐり合わせが悪く、いろいろな障害に足を取られてしまうことだって十分ありえたわけである。今回はただ本当に運が良かっただけなのだろう。

 この本は気持ちを軽くするさまざまないい方法が解説されている。その中で「共感できる映画を見て泣こう」というのはいい。「感動で泣く」というやつである。そういう映画のリストと解説がつけられていたので今後の楽しみにしたい。

 

 夜が長いのでぐだぐだ書く。

 松任谷由美にはまって1ヶ月半が経った。あっぷあっぷな男のくせにいろいろはまっているのが妙だが、おぼれるものはいろいろ掴むのである。ユーミンの海外カバー曲のCDを図書館から借りてきたのが発端だった。「Hello, My Friend」「How can I breath(霧雨で見えない)」「Carry On」「The Last Lie」「The Morning Light」「Graduation Photograph」「Somewhere in the rain」「Happy New Year」など、凄い名曲があることを知った。これで原曲が気になり、借りてきて聴いてみたところ、「Hello, My Friend」には衝撃を受けた。この明るい曲調でなぜ泣けるのかよくわからないが、聴くたびに泣ける。ユーミン恐るべしと思った次第である。

 ユーミンの歌詞というのは、聴く人間によってどのようにも取れて、さまざまな物語が人それぞれに展開されるうまいつくりになっているなあと感心する。「How can I breath(霧雨で見えない)」は海外ではおっさんが歌っていた。「どうやって息をする」というすさまじいタイトルになっている。多分「息も出来ないほど胸がつぶれるほど哀しい」という意味なのだろう。高校時代にハイファイセットが歌う「霧雨で見えない」を聴いて以来のファンだが、歌詞としてはおっさんでも女性が歌っても、しっくりする。このさわやかな曲調で、恋人に捨てられたきつい内容である。

 ユーミンって子供の頃からいろいろ聴いているような気がするが、まだまだ活動を続けておられるようで、なにやらわかりやすいすごさだなあと思う。

 

2011年8月27日(土)

デンドロやらフラグミやら、カトレア、バルボが咲いている。1週間ぶりにまともに見る蘭の棚である。よく育って入るんだけど最近手入れしていないなあ。蘭日誌というのもおこがましいさぼりっぷりだ。1998年からよく続いているとは思うが。

 

1998年というとNHKの教育番組を見て知ったのだが、ロシアがデフォルトになっていたのだそうだ。デフォルトってのは、国がした借金を踏み倒すことだという。日本でデフォルトになると国債を買っていた銀行がばたばたと倒れ、預けていた預金が消えてなくなり、年金も国債で運用したりしていたものらしく、年金も消えてなくなり、物価が倍くらいになり、失業率も3倍くらいになるという。それでも日本の国債はものすごく人気があってお値段も高いのだそうだ。つぶれそうでいてつぶれない、そんなところがこのサイトと似ていなくもない。

 

よく雨が降るので1週間園芸が楽だった。黒大豆はお化けのようにでかい。もう豆の鞘が見える。なんぼなんでも早すぎる。10月に鈴なりになっていて欲しいのだが、図体ばかりでかくて豆はさっぱりなんていうことだって大いにありえる。畑は、豆とサツマイモとニンジンで埋め尽くされ、あたかも樹海のように黒々として入りにくい。雑草もほとんど生えていないので秋までほうっておこうかと思う。家の周りが草だらけなので草取りをしよう。

 

昨日で仕事も一段落して、久しぶりの普通の休日だったりする。土日を入れた夏休みの5日間とその前後はほんとうにきつかった。これをさばききれるのか、という仕事の大波に翻弄された。いろいろ失敗もした。気がつくと秋の気配が漂っているのであった。

なんと日誌も1ヶ月くらいぶっとんでいる。ここ1ヶ月あまり記憶がないなあ。テレビもほとんど見ていないので世間がどうなっているのかよくわからない。

 

105円で入手した「残念な人の思考法」だったかを読んだ。アマゾンの書評を見たときかなりつまらない本のように書かれていたので面白くなさそうな本なのかと思っていたところ実際は大違いで大層ためになるいいことが書いてあった。読者にきついことを書いてある本はアマゾンの書評を見ると点数が低く、書き込み件数がものすごく多い。だから「アマゾンで書き込み件数が多くて点数が低い本はよむべし」と考えている。近年読者に向かって実際的にきついことを書いてある本をよく見かける様になった。これまで本は、誰もがうなずく当たり前のことを気持ちよく書いてあるものが売れてきたのだが、「こういう事例ではこういうところが銭にならない」「会社の志望動機としてこういうのは2分ではねられる」というモロ弱肉強食キャピタリズムの世界を見せつつ読者に己を査定させるきつーい本が出てくるようになった。これじゃいかん、と思って立ち向かう気のある読者は「ためになった」として己の糧にするのだろうが、どうにも本が求める水準に達しそうもない読者は「著者は自分の自慢がしたかったのだろう」ぐらいの下種なことを書く。そういう悪口を言いたい読者もなにか感じることがあったからあれほど書評が集まるのだろう。

読者の中には、頑張らなくてもいい人や頑張る気もない人がいるかもしれないなあ、と思う。そういう人がきついことを書いてある本を読むと、頑張る必要性もわからないし、なんだか厳しいことを言われて気分がわるい思いをするのかもしれない。読者の中には、自分の結構な立場でぬくぬくとして、他人の残念なところを楽しみたいと思って手に取った人や、気にいらない同僚の残念なところをやっつけたい気分で読み始めたのかもしれない。そういうある種幸せな人は、著者のアウディやら羽振りのよさにむっとしたのかもしれない。

 

 

2011年7月31日(日)

咲きそうなつぼみが2種ばかりあるなあ。フラグミはもう花が落ちていた。また次がさいてくれるといいが。

 

また台風がくるのであろうか。

 

取りつかれたように休日になると畑の草取りをしている。手ごたえのある草がもはやない。鵜の目鷹の目で草を探す。空いた土地には芋のつるを切って5株ばかり植えてしまったのでとうとう作付け率100%に達してしまい、草取りと水遣り、土寄せをしてしまうと眺めているしかない。面積がこの2倍くらいあったらまだすることがあるのだろうなあ。隣の土地なんか何も植えていないのにトラクターで耕していた。あれは何の意味があるのだろうか。黒大豆は大変立派に育っている。3週間前に摘芯といって、成長点をむしりとってしまってから、わき芽がよくでて大きく育ち、1株がぶわっと膨れたように大きく広がってきた。なんだかほれぼれするほど畑全体が緑に輝いて見える。たくさん植えたうえ、手入れが行き届いているため不作になりそうもない。さつまいもも立派だ。ニンジンも大きくなってきた。来年はもう少し手のかかるものを植えてみたい。

畑というのは、形容しがたい不思議な魅力がある。仕事のストレスやら不安やらいろいろあるわけだが、草むしりをしたり、水をくみ上げたり、土寄せをして汗で全身ぐっちょり濡れた状態になると心がやすらいでいるのである。黒大豆や芋がほしいわけじゃなくて、気持ちが落ち着くからやっている。

 

保安院のやらせだの、経済産業大臣が泣いちゃったりと、サンザンだ。正直関係者である。そりゃ直接原発に関係しているわけではないが、同じくエネルギー技術に携わるものとして持っている意見はある。原発が予期せぬ全電源喪失で吹っ飛ぶようなことがあるように、今後日本が全石油喪失、という事態だってありうるのである。現に、石油の値段は2倍になった。我々はたまたま円高の恩恵を受けて微増に感じているものの、そうでない国はまともに2倍の値段を請求されるところだってあるわけだ。もし経済がなんらかの理由でうまく回らなくなってしまったとしたら、経済に頼って食料とエネルギーの大半を海外に依存している我が国は干上がってしまう恐れがある。我が国は石油を止められて300万人もの人々が犠牲になる戦争を経験している。経済産業省のお役人さんたちは、そのあたりの怖さはよくわかっている人たちである。だから原発推進は多くのお役人が良かれと思ってやってこられたのだ。まじめに真摯に、しんどい仕事を毎日遅くまでやっておられる。役人の多くは天下りしたいから仕事をしているわけではない。あの優秀なお役人さんたちはもともと金がほしければビジネスの世界で十分成功しているか、どこかの会社でええ給料もらってえらくなっていたはずだ。気配りが行き届きすぎて、プルサーマル推進のために電力会社の社員を動員してしまったりしたが、こんな原発事故がなければ明るみ出る恐れのないごくあたりまえの配慮だったと思う。プルトニウムという燃料は燃やしてしまわなければならない燃料だった。

子供らのために危険な原発を止めよ、という考え方はよくわかる。一方で、経済は今後大変危険な面があって、持っている金が紙くずになり、世界から何も買えなくなる、ということだってありうる、そんなときに我々が手にしている食料やエネルギーは、子供らのために十分なのか、ということも考えて欲しい。

んでアメリカのデフォルトが回避されたのかどうか、新聞見てもなんにも書いてなかったのでこりゃやばいんじゃないかと気になった。デフォルトってのはいろんなシステムが壊れる様に思える。日本よりさきにやるなんてさすがアメリカは先生というかトモダチというか。

 

2011年7月30日(土)村上園芸

村上園芸がダイキ神戸北町店に来ているというので、かみさんをケーキで誘っていってきた。フラグミペジウムの交配種、ピンクの花がついたものを500円で買ってきた。いろいろいいものが安くあったのだが、ちょっと押さえ気味に1株購入にした。

 

庭ではいろいろ開花している。昨年も名前がよくわからないとか言っていた地生蘭も開花しているし、ミニカトレア2種が開花した。

 

2011年7月29日(金)デンファレ開花

我が家の古株デンファレが開花した。デンファレはこれから来年の5月までいろいろがかわるがわるながーいこと花があるという恐るべき植物である。デンファレが見られないのは初夏の2ヶ月間ぐらいなものだ。この時期咲くデンファレで補完すれば年中デンファレが見られることになるが、いまのところ初夏に咲いているデンファレは入手できていない。

 

おもいっきり強烈な仕事をやって帰ってきたらかみさんたちが味噌づくりからもどってきていた。明日の休日は野放しで大阪でもぶらつくかとおもっていたが、予定が狂った。まあ家族がいないよりはいてくれたほうがよい。この一週間おそろしく涼しい晩が続いたなあ。

 

2011年7月24日(日)Epi.フラグランス開花

Epi.フラグランス開花

 

2011年7月23日(土)Den.アフロダイト開花

Den.アフロダイト開花の記録わすれ。ちょっと前から咲いていた。結構栄えている株だが、花は昨年同様1輪だ。けち。

次の週末に近くで、たしか宝塚だったかで村上園芸がくるという葉書が来ていた。真夏の蘭展である。

 

午前中にせっせとお仕事をして本日分を消化してしまった。昼までは涼しかった。なにもすることがないので飯も食わずにぐーすか寝る。なーんにもしない日というのは大変貴重だ。

え?中国で高速鉄道の列車事故。雷で止まっていた列車に後続の列車が衝突とは。なんとまあ気の毒な。変な話だけど、「安全で新しい列車運行技術を開発」したらしいので、確かに独自技術で頑張っていたのでしょう。運行開始以来50年近く飛び込んだり、保線作業での事故意外、お客を巻き込んだ事故を起こしたことがない日本の新幹線技術とは明らかに異なった「独自技術」なのだろう。特許が取れるかどうか疑問だが。国威発揚、面子を重んじる国の政策としての高速鉄道で、特許取得を巡って国内でやいのやいのいっていたが、私は「川重が文句を言っていないところを見ると、儲かっているんだろう。川重が儲かってるんならいいじゃん」と思っていた。韓国も中国も製品が売れれば売れるほど日本が儲かるようになっていて、アジアの工業国は互いに緊密なパートナーであるように見える。どこかのえらいさんがつまんないことをいってぎゃーぎゃー言っているのは政治とマスコミとネットぐらいなもので、そんなもんで「食ってゆくこと」は揺るがない。しかしこの事故は痛い。早晩起きるとみなさんおもっていただろうが、ちと早かったねえ。やたらと雷に弱いのね。

「北京炎上」という小説を読んだ。温家宝首相のブログが炎上するとかいう話ではない。近未来小説で、人口のわずか5%を占める共産党員の腐敗、汚職、経済政策の失敗などから民衆が結集して北京に集まり、民主化を勝ち取り、少数民族国家の独立と連邦制への移行を描いている。今回の鉄道事故への人々の怒りと政府の稚拙な対応をみているとなんだか近いうちに本当にこういうことが起こりそうだなあ、と思った。

 

ノルウェーで銃の乱射と爆弾テロ?あの国ってうまくいっていたんじゃないの。犯人もイケメンなら被害者もイケメンだらけだ。金持ちってろくでもないことを考えるのであろうか。ナチズムっておっとろしいなあ。テロで誰がいうこと聞くのだろう。深い狙いがあるのだろうか。

昼寝のあと、日が山の向こうに落ちてから庭の雑草とり、蘭の水やり、畑の水遣りをして汗をかいた。

今日から地デジですか。なんだかテレビ離れが進んだような気がする。人間がアップになり、ほくろやらしみやらしわやらセキララにみえてしまう。自分の面より管総理のお顔のほうがよく見えてしまう。パソコンのディスプレイで見るから近すぎるのだろう。

 

2011年7月23日(土)Epi.フラグランス開花

台風接近のため家の中に取り込んでいた蘭を庭に展開した。発生時これはえらいことになるとみたコワモテの台風だったが、じつのところこの地域はこれといって害はなかった。

Epi.フラグランスが開花した。

久しぶりにいろいろ撮影できてトップページを更新できた。

 

前にも書いたけれど、放射能という観点から見てかのセシウム入り牛肉は無害と言ってよい。自然放射能での体内被曝は40Kの4000ベクレルで年間0.2mSvになる。セシウムだからといって特別害があるわけではない。「そんなことをいってあんた確かめたわけじゃないだろう。いい加減なことを言うな」といわれそうだ。こっちはかの牛肉が安く出ていたら買って食べようと思っているのである。捨てるのか。食えるのに。実にもったいない。

 

選挙の不在者投票に行ってきたら、どういう偶然かたまたま投票した候補者の支援者から投票を呼びかける電話がかかってきた。誰に投票したとも言わず話を聞く。「原発は危ないのでやめます」とおっしゃる。「それでは代替エネルギーとしてどのようなものをお考えでしょうか」と質問をした。「風力、水力など再生可能エネルギーは原発の40倍も利用できます」とおっしゃる。「それに必要な費用はいかほどでしょうか」と質問をした。「詳しいことはわかりません。ただ、祖父が原爆投下のあと広島に入って髪が抜けるなどたいへんでしたので原子力はやめるべきです」とおっしゃる。うちの被爆者はぴんぴんしてます、とはいわず、そうですか、といって通話を切った。

 

このところ落ち目である。気分的に落ち目である。いろいろろくでもないことがあって手詰まりで、閉塞感を感じていた。何を思ったか本日は畑の草取りをした。黒大豆もサツマイモもよく育って葉の緑が美しい。空は青く、白い雲が浮いていて、風がすずしく、日光を温かく感じるほどだ。汗がどばどばたれてメガネに溜まる。鬱屈がエネルギーになるのか、ねちねちねちねち草を徹底的にむしる。土下座スタイルでむしる。立ったりしゃがんだりを果てしなく繰り返えした。2時間もやっていると汗がそれ程でなくなる。草取りがこれほど気持ちのよいものとはおもわなかった。作業の間物事を建設的に考えていた。草をつかむ手に力が入らなくなる頃、ほとんどの草がなくなった。生まれ変わったような気分でよいアイデアが出た。体重が一時1.4kg減った。夜はエアコンどころか、夜風が寒い。こういう日もあるのだなあ。

 

2011年7月18日(月)Den.モスカタム開花

Den.モスカタムが開花した。室内に取り込んだところ大きくて棚に収まらない。1本でもボリュームのある花茎が6本。なぜ我が家にこんな大株が。

 

数日前から気にしていた台風はあさって最接近する。名前が「マーゴン」だったか、なにやらこわそうだ。今回やばそうなので時間のある本日中に蘭の撤収をすることにしたが、結構な風雨で手間取った。いろいろつぼみが出ている。最近ほとんど移動していなかったので集めて眺めてみると成長して雰囲気が変わっていた。

 

明日からたいへんそうだなあ。いろいろ停止してさっさと逃げ帰ろうかしら。家にいるより仕事場のほうが面白いか。

 

ここ数日の猛暑で体調がおかしい。連休になると体調管理が難しい。熱中症で体調が悪くなるとつらいという思い出がある。まさか自分が、と思うようなシチュエーションで熱中症にかかる。今年はこれから大変そうだ。

台風が来るたびに思うのは、お亡くなりになる人が出るにしても今はまだ生きておられるということである。近年大規模な山津波などがおきやすくなっているという。逃げられるものなら逃れていただきたいものである。高知県こわいなあ。四国全部が暴風域にすっぽりはいるのではないか。

 

本日本屋で「バブル女は死ねばいい」というすさまじいタイトルの本を見かけた。別に「死ねばいいのに」というタイトルの本もあって、今日なにやら不健全な現代人の心情を吐露したもののように感じる。著者は女性である。女性同士はそんなに苛烈な精神世界に生きているのであろうか。どうもそういうものらしい。野郎同士のほうがまだ人情というものがあるような気がする。同性から受けた扱いを長期間気にしてトラウマにしている人もいて、その「つらい心情」とやらを聞いてもこっちはさっぱり理解できないということがあった。「勝ちたい」というという欲求があるのだそうな。なにをもって勝ちや負けが決まるのかわかりにくい。「負け犬の遠吠え」という言葉は、本来女性にもてない男の負け惜しみという意味合いで使っていたのであるが、いまや女性の前では使いにくい言葉になるほど、この「負け」は重いようである。しかし勝ち負けはサッカーのように誰しもがわかる様に人が判断するものではなく、結局本人が納得してそのような形に持ち込むしかない。

ちょっと読んでみたいタイトルではある。こういうえぐいタイトルの本が増えてきたなあとおもう。「ペットにしか心を開けない人たち」みたいなタイトルも「なんじゃ?」と思わせるし、「負けた教の信者」も気になる。「人は見た目が9割」なども結構えぐい。「親子という病」というオフェンシブなタイトルをみたときは「あんコラ」と毒づいてしまった。うまいといえばうまい。こういうキャッチーなタイトルの本は必ず読んでしまう。読めばだいたいまっとうなことが書いてある。

「バブル女は死ねばいい」には「アラフォー」「女子力」などにいろいろ手厳しいことが書いてある本らしい。「女子力」ってなんだ?。それは40前後の女性の「私はしたいようにするのよ、文句ある?」みたいな力なんだろうか。なんかすげー読みたいなあ。職場で「アラフォー」ちゅうか「アラフィフ」様から怪メールが発信されて、野郎どもは寄り集まって「なに言ってんだ」と話の種にはしてもその「女子力」という得体の知れないパワーが怖いのか腫れ物に触らないように放置している。なんというか、いいがかりめいたメールというのはある種の「SOS」ではないか、と私は見ている。

 

2011年7月16日(土)カトレア・ボーリンギアナセルレア開花

カトレア・ボーリンギアナセルレアが開花した。

 

夏に蘭の花が途切れる恐れがあったのだが、デンファレのつぼみが見つかったので、今年も磐石に連続開花日数を延ばしてゆくことであろう。連続開花日数3600日くらいか。10年間蘭の花が途切れたことがないということになろうか。こんなすちゃらか栽培者でも律儀に咲いてくれる蘭ってすげえなあ。

 

猛暑なのでせっせと蘭に水遣りをする。畑もからからだったので水遣りをした。川からバケツで70杯の水を70cmの高さにせっせとくみ上げた。ちょっと手をかけすぎたかとおもうが、まあ暑すぎて頭も働かず、することもないので汗をかいた。

 

いろいろろくでもないことが起きる。なにかにたたられているのかもしれない。大型乳鉢がパッカーンとわれてしまった。職場のゴミ捨て場で手に入れて重宝していた乳鉢であった。おしい鉢をなくした。ろくでもないことが続く場合考えることは、リスクに対する耐性があがるなあということや、苦あれば楽あり、かならずやなにかとってもいいことが起きるに違いない、などと思ってしまう。だからろくでもないことが続く時期は警戒レベルをあげ、これはこれで「儲け」と考える。これまでいろいろな困難に直面しても、リスクを見通し、最悪のケースを考えて手を打ち、致命的なしくじりを回避してやりぬけてきた。おっさんだなあ。今年の気温は大きなリスクだから高温への耐性をあげている。32℃の環境で長時間仕事をしても平気になってきた。

先週末所持金800円となったため今週は1円も使わなかった。娯楽は買い置きの漫画1冊だった。間食は禁止。出されたものをおいしく食べる。余裕があるところに負荷をかける。金がなかろうが、楽しみがなかろうが、ろくでもないことがふんだんにあろうが、仕事がたっぷりあろうが、それでも気分よく過ごす、というのはひとつの技術開発だと思う。まあ小さくてもチャレンジがあるってのが全てをシャキーンとさせてくれるんでしょうかねえ。デイル・ドーテン著「仕事は楽しいかね?」にある「試してみることに失敗はない」「遊び感覚でいろいろやって成り行きを見守る」という指針がここ数年大変よい結果を出している。

 

2011年7月11日(月)

そういえばカトレア・ボーリンギアナセルレアにシースがあって花茎がみえる。

くそ暑いのに水遣りもしていない。

 

不吉な予想をした手前気になっていた。東京の電力は発電可能量の88%までだった。よかった。32℃くらいだったからよかったが、もし39℃とかだったら一体どういうことになっていたのだろうかと考えるとはらはらする。猛暑のたびに落ち着かない。7月としては大変暑い一日だった。今日はいろいろしんどいこともあったがなんとか乗り越えた。

 

2011年7月10日(日)

ガンセキ蘭が開花した。4月2日に村上園芸から入手して庭に地植えしていたものである。すっかり忘れていた。なかなか立派に咲いてくれた。

 

種々撮影をしたが下手になったのかこれぞという画像がなくてトップページの更新がままならない。

 

明日関東は高温でやばそうだけど、計画停電の事前通告などはしなくてだいじょうぶなのだろうか。「あわあわ、発電量を超えそうです、停電させましょう」「えーと、どうしよう」とか言っている間に停電しちゃうと復旧が大変なんでしょうに。政府としちゃなんらかの思惑があるのかもしれないが。

 

香山リカ著「うつ病といいたがる人たち」だったかを読んだ。そういえばうれしそうに「私うつ病」という人がいた。「率直に言ってそんな風に見えない」と申し上げた。変な人がいるなあと当時は思っていた。言わんとするところは、「メンタル的にあまり強くないので気をつけてください」という意味らしい。

自分自身も失敗が重なったり、上司同僚からごもっともな指摘をうけたりしても気分的には簡単にブルーになるもので、そういうときに「ひょっとしてうつかも」などと思ったりするが、ちょっとうまくゆくと簡単に気分もはれるから、そういうのはやっぱりうつではないのだろう。うつというのはそんな生易しいものではなく、ずいぶん辛いものらしい。50人に一人はうつ病ということらしいが、本日のニュースでは精神疾患は急増しているそうである。いろいろしんどい世の中なので精神衛生を保つというのは難しそうだ。ひょっとして運動不足が原因か、と考えてちゃりをこぐ。余分なものを食わないようにする。心と体を鍛える。仕事で先手を打って窮しないようにする。適度に人に交わる。しょーもないことでも楽しいことを開発する、など予防に努める。

 

2011年7月9日(土)

フウランとプレウロタリス・プテロフェラだったかが開花した。最近ろくすっぽ世話をしていないなあ。雨も降って水遣りも楽だった。

 

黒大豆の摘芯(成長点を摘む)を行った。わき芽がよくでて横に広がり、豆の収量がふえるそうである。

 

昨日は仕事を終えて、すきっ腹でママちゃりを20kmこいで汗をかいた。夏への準備である。これで大停電が来そうだとなると、稼動中のものをさっさと停止して、ちゃりんこで家に帰る、という作戦である。家まで35kmあるが、楽しいサイクリングになりそうである。

気温30℃を超えていてもちゃりんこに乗るとやたら爽快である。汗だくで夕方の排気ガスいっぱいの池田、伊丹、塚口周辺をちゃりんこをこぐなんて地獄のサイクリングみたいだが、あの爽快感はなんだったのであろうか。

このサイクリングは金田一蓮十郎の漫画を探すという目的で今回4回目である。巡ったブックオフは6軒、走行距離は60kmになる。この日は坊主でかわりに入手した第一学習社の「最新図説化学」(105円)が面白かった。たとえば「マイナスイオン」に関するコラム。謎の化学種「マイナスイオン」にはいろいろよくわからない点が多い。サイコロ1個(1cm3)ほどの空間に10000個程度を「マイナスイオン発生を売りとする家電」は出すそうである。へー、そんなにあるのか?とおもったが、続きがあって「猛毒とされるダイオキシン分子もその中に100000個存在するといわれている」とあるのだ。「はあ?」と驚くと同時に、「うまい!」思った。「猛毒」がどんなものかしらないけど、「猛毒」が効かないのに、その1/10しかいないマイナスイオンがどんだけ効くのであろうか。効かないとは言わないがちょっと疑わしい。世間の思い込みなんてまあこんなものである。いまどきだれもダイオキシンなんて気にしていないだろう。対策がとられたというのはあるが、だれかダイオキシンで死んだ人がいるかしら?。

放射線を100mSvを食らう人はそうそういない。福島第一で危険な作業してくださっている方々に数十人はおられるのではないか。それだけ放射線を浴びるとがんのリスクが0.5%増加する、という記述を見た。癌でお亡くなりになる人は30%か。それが30.5%になるというわけではないのだろうが、よくわからないものは怖いので用心するに越したことはないのであろう。でもどんだけ危ないのか?。実はちゃんと調査していないのではないだろうか。ドイツでやっているように原発の近くでは子供の癌の割合がほかの地域より高い、というデータは、なにやら説得力がある。原発反対派は「子供のため」ってぎゃーぎゃーいうけど、データがあるんならそれを出れば誰もが納得してエネルギー問題にとりくむのではないだろうか。マスコミってぎゃーぎゃーいっているひとばかり映すけど、そういう人たちが本当は持っているデータをちゃんと示すのは職業的使命なんじゃないの。ほんとはデータがない?。データなしでぎゃーぎゃーいうとそれはなんとかモンスターってもんじゃないか。

 

NHKの討論番組を見ていると、福島ってやたらと原発が多いねえ。これは一人の男に話が遡るように思われた。保科正之でしたっけ。将軍秀忠の隠し子にして将軍家光の弟である。家光に好かれ、重く用いられて会津藩の初代藩主となった。大変な切れ者で、幕臣として大変活躍をなさった。江戸城に天守閣がないのもこの方の意見でそうなったそうである。さて、その藩主が家訓で「幕府を助けよ」と遺し、おかげで幕末になって徳川慶喜やら松平春獄から頼まれて荒れる京都の警備にあたるはめになった。そこで確か長州藩とかなりやりあったといういきさつがあって、長州からかなり恨まれることになったんでしたっけ。会津藩のみなさんは家訓を忠実に守っただけなんですが、錦の御旗を掲げた維新軍の長州にぼっこぼこにやられてしまった。そのあたりの話は司馬遼太郎の作品群に繰り返し出てくる。

現政権は長州色の強い政権だから、いまだに山口県から総理大臣がでてくるわけで、長い期間ねちねちと福島県に対するイヤガラセがつづき、県庁所在地が会津ではなくて郡山だったり、福島大学がなかったり、原発が多かったりするのだなあ、とぼくなんかはおもってしまう(大変な事実誤認:県庁所在地は、えーと、福島市で、国立大学として福島大学がある。大変失礼いたしました。また、会津は会津若松。自分の福島県地理への認識の低さの反省として、この部分は残す。こんな調子で事実誤認やら誤字脱字が多いのだろうなあ、と反省。誰も見ていないだろうと思いつつ、こういうアホ文を世の中にさらしてきたのか、と恥ずかしい)。

 

じゃあ、十分注意をして、節電をして、原発はひとまず止めて、燃料を抜いて絶対安全な状況にしておいて(でも気が変わったらまたすぐ使えるようにしておいて)、新しいエネルギー(火力、風力、太陽光、メタンハイドレート等)のインフラを整備するためにも消費税を20%に上げる、ということにしてはどうか。まあ用心してこの夏を乗り切らないとねえ。7月11日(月)の関東地方について不吉なことを書いてしまったが、どうも相当暑い日らしいのでご注意いただきたい。

 

NHKの討論番組面白いなあ。頭の切れるおっちゃんやら、ぶちきれているおじさんやら、知りたいことをいろいろ教えてくれる。原子力の1kWh当たりのコストは5円というが、じつのところ核燃料処理や廃棄物、今回のような事故がコスト増になり20円から30円になるという。それでも太陽電池の49円(数字がふらふらしている)よりは安い。有望なのは風力で12円という。そうはいっても風力は多くあっても不安定で、消費とうまくあっていないと停電が起きてしまう。多すぎた分は今後発展しつつある電池で吸収し、足りないときも電池を使えばいけるのではないだろうか。

「スリーマイルや、チェルノブイリの事故が起きるたびに原子力は死んだといわれてきたのだが、やはりそのつど原子力は復活してきた」といわれるとこれはこれでなんか説得力があるなあ。原子力の需要は世界的には増えこそすれ減ることはないと見るべきだろう。酸性雨が隣国から日本にくるように、隣国が原発を大爆発させて放射能が日本にくることだってありうる。しくじった日本こそが、より安全な原発をつくれるのではないか。

 

 「やらせメール」?。ほう。こりゃ停電やる気か。浜岡原発も、ストレステストも、手筋ちゃうか。みなさん、停電だけはぜひ阻止しましょう。

 

2011年7月2日(土)

がらがら蛇の尻尾みたいな蘭がさいていたなあ。ヘービがすきー、うなぎもすきー、にょろにょろがーすき、であるからまあ面白い蘭である。

 

日誌がファイルの大きさ制限にひっかかって表示されなくなってしまったので、ぶった切った。

 

黒大豆の苗が2週間かけてよくそだったので畑の空いたところに植えた。これで合計80本になる。近隣は黒大豆の産地なので、6000円で15本ほどの苗を育てるビジネスもあり、10月ごろに15本(?ほんとのところ何本かしらない:さやつきで7kgほど)の枝豆を収穫させてもらえるそうだ。その畑の近くでは、臨時駐車場に多くのクルマが止まっていて、割り当てられた畑に苗を植えていた。

さて、80本の黒大豆にはいろいろ実験を仕掛けている。「連作しているもの」「サツマイモと同居しているもの」「今年初めて植える場所のもの」「2週間ずらして植えたもの」「大豆の側にあるサツマイモ」など。

 

 

2011年6月30日(木)

ビフレナリアがさいてくれているのだが、撮影するまえによれよれしてきたなあ。

 

五日間ほどエアコンなしの30℃以上で過ごした。ちゃりんこも10kmばかりこいでいた。この気候で早くも夏ばてである。この夏はものすごくきつそうだ。

昨日は早くも供給電力の93%まで使っちゃってるそうじゃないの。こりゃ早くも7月上旬から都市のブレーカーが飛ぶ。

以下は想像である。

7月11日(月)、その日は9時から早くも30℃を超えたピーカン照りの東京、政府は昨日からこの日があぶないという警報をだしていた。無風。関東全域で気温はうなぎのぼり、11時には神奈川、千葉、埼玉、東京、栃木の各地の気温は34℃をこえていた。昼休憩から戻り、仕事にかかる負荷の集中する時間がやってきた、それは後に魔の13時37分と呼ばれる。実際、この夏この時間にたびたびブラックアウトを起こして日本経済は大きなダメージを負ったのである。お仕事中のワードやエクセルがブラックアウト、通信データが途中でぶっち、満員電車が止まってエアコンも効かず、炎天下の中線路を歩く人々。信号も止まって大渋滞、エレベーターも真っ暗。諸般の影響により世界金融センターの一角としての東京の地位は大きく傷ついた。この停電がもたらしたその晩のNYダウ平均の下落は285ドルに達した。停電ぐらい平気と思っていた人も多かったのだが、いざ直面してみると圧迫感を伴うような高温にじわじわと取り込まれ、かつまた停電も長時間に及んだため、不安感から体調不良を訴える人が続出した。日ごろエアコンに慣れきっていた体を長時間の高温がこれでもかというほど責めた。エアコンの停止により熱中症で搬送される人が15時にピークに達した。15:40ごろ外気温は東京都心で36.4℃を記録した。電源を入れていた機器を止めることすら出来ず、停電から復旧したのは18:52のことだった。この日関東で停電が直接の原因となった死者387人。停電さえなければ失われることのない人名だった。

単なる想像です。まあ日本人はそんなにアホじゃないですよ、あははははは(でもほんちゃんの8月19日のはるか手前の6月でもう93%だもんね。30℃以上順化訓練を始めている)。

 

「子供の尿からセシウム137が1.3ベクレル検出された」というネットのニュースに接してぎょっとする。そりゃまあ静岡の茶から出るくらいだから子供からでても不思議はない。そりゃ親はたまったもんじゃないわなあ。子供から原発の原子炉内にあったところの死の灰の一部、セシウムが検出されたらそらびびるわなあ。白血病になるんじゃないか、毛がぬけるんじゃないか、骨肉腫になるんじゃないか、とか。

しかし、まてよ、と思った。アイザック・アシモフが化学エッセイで書いていた記事を覚えていた。体の中にはどなたでもカリウム40という核種がぶっ壊れて核エネルギーをぶちまけているというのを読んだ記憶がある。カリウムといえば、周期表でセシウムの上のルビジウムの上。イオン半径がセシウムよりふた周り小さいよく似たアルカリ金属である。調べてみた。なんとカリウム40は平均的大人の体内で4000ベクレルだそうだ。これで年間の被爆線量は0.2mSvほどになる。正直4000ベクレルといってもたいしたことねえじゃん、とおもう。単純にこのたび検出されたセシウム137の4000倍である。いやいやいや、それでもセシウムのほうがおっかなそうじゃないか、とさらに調べる。核反応の際のエネルギーはどうなのだろう。どっちも1MeV(メガ電子ボルト:電子を100万ボルトで加速したときに獲得するエネルギーだ)と結構でかいエネルギーだ。どっちもベーター崩壊といって、核の中性子が電子を出して陽子に変化するタイプの核反応を起こす。結論として、自然放射能に比べて今回検出されたセシウムはその影響が極めて小さなものだとわかる。

しかし、心の問題がある。ニュースだけみれば、子を持つ親にはかなり強い不安が生み出されているということである。ほとんど無害なレベルの放射能でもこのように報道されると過剰な心配をさせられ、何らかの行動(高価な線量計の購入や、行動の制限、移住など)をさせられているのである。繰り返すが、原発から出ようが、自然界にもともとあろうが、放射能は放射能である。原発由来のセシウムが天然の放射能よりも危ないということはない。そして本件のセシウムは自然放射能よりも遥かに低いレベルにある。こういう報道をすると、子を持つ親は子供の将来を心配して気が気ではないであろう。こんな報道はいったい誰の得になっているのか。

報道する側は、いたずらに人々の心配を煽る情報を垂れ流しているのである。人体には無害という量であることはちょっと調べればわかることだ。しかし、「セシウムが子供からでた!」と書くほうが耳目を集め、新聞雑誌がよく売れる。我々は等しく暑い夏を節電節電と言われ、こういう報道に心を痛めているのである。日本人はマゾか?。

 子供の被爆の問題は小さな危険にも配慮しなければならないのは言うまでもない。でも日本のマスコミはねえ、広告料収入を依存しているケータイ電話会社に遠慮して、ケータイに脳腫瘍のリスクがあることを報道したりしないんだよ。

 科学だからといって必ずしも正しいということはない。しかし科学的態度で自らが確かめられることを信じずに、時に科学めかしておためごかしを言うマスコミを信じるのはどうかと思う。なんたってやつらは先の戦争に向かわせた片棒を担いでいたと自らが認めている集団なのである。しかし翻って考えるに、マスコミも我が国の人々、政府もわれわれの代表であることを考えるに、日本人というのは、本当のところ戦争をしたがっていたように見えるし、国の産業や経済に大打撃を与えようが「なんかむかつく」電力会社や政府、原発にかみつきたいのだろうなあ、と思う。大部分の日本人は、「原発だってうまく使え、危なくないように使えばいい」くらいにおもっているかもしれないが、「こんな世の中めためたになれ」「なんかおもしれえ」「えらそうなやつらを引きずりおろせ」とおもっている何ら世の中や周辺の人に責任を負っていない人たちが、後先考えずに言いたいことをいっているのを垂れ流しているのがマスコミなんじゃないのかなあ。そういう言いたい放題の人たちに逆に感化され、迎合しちゃって、マスコミというのは本来インテリであるべきところの「品格」とか、「バランス」、「志」、「敬意」、「本当に大事なことはなにか、という熟考」ってもんが感じられなくなった。モンスター大衆の玩具に堕したかのようである。

 

 放射線利用業務者研修などを毎年受けては右から左ではある。放射線を1シーベルトも食らった人のヒサンな状況などを詳しく教えてもらえる。チェルノブイリに関する報告もあった。記憶に間違いがなければ、一般の人たちがかの原発から放出されている放射性物質にさらされることでのリスクは高くないと私は、考えている。それゆえ、報道機関は、放射線をどの程度浴びる、内部被爆をどの程度こうむる、という実例が研究されているはずなので、それと、今回の事故を比較して、どの程度安全でどの程度危険かを、今後示すのだろう。また、一般人よりも遥かに高く被爆している福島第一原発で働いてくださっている方々をもっと注目すべきではないのだろうか。

 

死人が出るかもしれないのに原発を止めて電気がたりなくなっているわけですわねえ。浜岡原発は、いまにも東海地震がおきそうなくらいおっかない状況にあったから仕方がないとしても、ほかに動かせる原発があるのなら、その自治体に頭下げてお願いをして、まずは秋まで運転をして、それまでに原発を安全対策を検討しつつ、つづけるつづけないを代替エネルギーの問題、余分な燃料代の負担など考え合わせて、しっかり議論すべきじゃないの。原発やめたーっつったときのリスクをちゃんとみてよ。イタリアなんざちゃっかりフランスの原発電気買ってるんでしょ。それって原発やめたことになんの?。ドイツだってお隣のフランスから買えるでしょ。日本って韓国から電気買えるとおもう?。こんなヨウ素セシウムストロンチウムプルトニウムうるさい気分に流されて、原発はだめじゃー、とやって停電におびえながら過ごして死人まで出したら取り返しがつかんでしょうが。

原発は廃棄物がすごいので、ゆくゆくはやめるべき発電方式であるというのは誰しも一致するところである。そんなほかにいい方法がありゃ、さっさとそっちにのりかえてるよ。エネルギーの8割を日本でとれない石油石炭天然ガスに頼って、1割ちょっとを原子力、のこりを水力、地熱、太陽、風力・・・でやっているわけね。ざっとみて原子力50年、水力80年、地熱40年、太陽30年、風力20年(数字は適当)、って時間をかけて開発してきたことを思えば、天才ほにゃらら博士が「それではわしが開発したほにゃららエネルギーを使おう」で片がつくわけがないでしょうに。

リスクみてなくて勢いでやっちゃうから先の戦争みたいなことになるんでしょうに。真珠湾攻撃のニュースで「はればれした気持ちになった」って書いてあるのを読んだけど、「国として原発をやめた」ことで「はればれ」しても、やっぱりあの時同様あとが泥沼ってことはないか、よーく考えていただきたい。

 

2011年6月26日(日)

ビフレナリアがさいてくれているのだが、撮影する気力が涌かない。

 

24日に6週間の激闘もひとまず休戦となった。あらゆる手は尽くした。ほんときついきつい42日間であった。なんか今年はこんなのばっかりだなあ。土日に開放感いっぱい、というようなことはなくて、5キロもやせちゃったし、リハビリが必要か。この5日間エアコンなしで31℃生活をしてきた。2日で1kg体重が減った。やっぱ暑い夏になったか。これからがんがんに35℃以上の猛暑日になるのだろう。停電になったら仕事も上がったりだからちゃりこいで帰るか。やれやれ。

 

やっぱりぐだぐだなことを書く  

与謝野馨著「堂々たる政治」を読んでいると、埋蔵金なんざたかがしれていて(2、3兆円でてきても屁にもならん)、少々下手な節約(数千億円規模。仕分けかなんかしらんけどスパコンのケツを蹴ったのが唯一の成果か。新エネルギー開発の予算削減はタイムリーエラーの大失敗だったなあ)をやって成長の芽を摘むようなことはせんと、借金は国民が負担するべきものなのだから増税あたりまえ、という考えになる。それでも2015年までに消費税を10%に、なんてぬるいことを言っている。10年前にボストンでCDを買ったときの税率が17.5%だったかとおもう。よそはそんなもんだ。IMFから15%くらいにしろ、みたいなことを言われている。そんなもん言われる前に20%ぐらいにしろ。

金もっていて票ももっている年寄り連中の医療費だの年金だの国債という借金の返済だので年間50兆円借金がふくらみつづけてゆき、このままゆくとその年寄りの貯蓄1500兆円を消滅させるわけである。じゃあ年寄りのみなさんは、政治家をして税率を上げさせないと大損こくんじゃねえか。政治家にええのええのいわれて、政治かも縛られて、どっちも危ない方向に行っているようにみえる。やい、じじい、ばばあ、あんたら今の銭を惜しんであとで丸裸になる気か?

1500兆円って、1兆円でざっと一人当たり1万円だから、一人当たり1500万円か。うち8割を人口の3割を占める65歳以上が所有していると考える。3000万人で1200兆円。1500万世帯それぞれが平均で4000万円ため込んでいると推算する。老後の資金としては妥当なところかもしれない。でもそれがここ10年で紙くずになる可能性がある。どこかに投資すればと考えてみたけれど、そういうのがさっぱりわからない私にはどうしていいのかわからない。逃げ場があったら気の利いた銀行なら格付けの低い国債なんか買わずにそっちに金を流しているのではないか。プロはリスクを考え抜いた上で結局日本国内から動けずにいるのだろうと思える。1500兆円もの資金がありながらそれを使って金融で儲けていないのは日本の金融の力が弱いからなのか、世界の投資リスクが高すぎるからなのか。FXやってるご婦人たちを称して「ミセスワタナベ」といわれているそうだけど、これがこのたびの震災でカモにされ、結束した海外の投資家にごっそり巻き上げられてしまったそうである。日本の金融機関が世界の金融を舞台にたっぷり儲けているのであれば、日本ってもっとお金持ちでもいいだろうにとおもう。そうじゃないからありていにいってヘタなのだろう。今後げろげろの世界的混乱の中でまっとうに生きてゆくためには、とりあず100円のものに20円の税金をつけて払うほうがまだましなのではないか。我が国だけでも正気を保つのに税率2割ですめば安いものではないのか。

政治かも落選怖さにまっとうな増税のことを言い出せなくなっているそうだが、じゃあ大連立こいて政治家全員で大増税やりゃいいじゃないか。みんなでやれば怖くない。国民が選んだ議員全員でやるんだからどこからも文句は出ない。消費税2割なんざなれりゃどうってことねえよ。つまんねえもん買うな。いいものつくろうって企業ががんばるだろうから国際競争力が上がるぞ。

こうやってまっとうに税金を取ればわしらもタックスペイヤーとしての意識があがって不公平な税金に文句も出ようというものである。なんだか所得税をたっぷり持ってゆかれているみたいだが、これ以上誰かのしょんべんにされてはかなわないのである。払うものびしっと払って文句があるならちゃんと言え。

 

2011年6月19日(日)

蘭の配置換えをちょこちょこやったぐらいだった。

 

この時期サツマイモくらいしか植えつけるものがないのだが借りた畑は広い面積があいていた。サツマイモの苗を買いにいったのだが、1本48円というのをみて高い、と思い、ホームセンターでみかけた50本1750円を買った。家庭のために1750円の小遣いを使うのは少々痛い。そういう家族への散財がつづくのであるが、本日は父の日だそうだ。サツマイモを植えた。そういえば晩飯も作る羽目になった。父の日ってのは家族のために働く日なのだろうか。

少年ジャンプのマンガを見ていてけしからんなあ、と思うのはお父さんというのはめったに出てこない。「ヒカルの碁」の主人公には父はいるらしいが、ただの一度も出てこなかった。「バクマン」では影とか声だけである。少年にとって父というのは「煙たい」存在らしい。オヤジがジャンプでうるさいことを言うと売れ行きに響くのだろう。まあ父ってのは家族が乗っている船の機関部やら船長みたいなもので、かみさんと子供らが晩餐会をしていてもエンジンを回したり氷山を監視したり、という役目だろうか。いやいやいや、子供らをそんなお客様にしたらいかんよねえ、と僕なんか思う。だから積極的に煙たいことを言うのである。オヤジが世の中の道理ちゅうものをいっておかないと、外に出てお客様してたら使い物にならん。友達親子だあ、ふざけんじゃねえ、と思う。やいクソガキ、てめえそんな甘い考えで世の中に出てやって行けると思ってんのか、とかいっちゃう。しかし、言うべきことを言ってもクソガキはクソガキである。

 

年収50兆円のやりくりで、支出が90兆円だったか。そこに、借金が1000兆円あって、実は1500兆円の借金だった、という話を読んでいた。脳貧血になりそうだったのでさっぱりはかどらない読書だったが、とうとう図書館に返却する期日になり、読み終わらずに返してしまった。すこしほっとしている。ちょっと疲れる読書だ。なかなかいやなものを読むのはしんどい。

年収500万円の家計で、支出900万円、それに借金が1億円あって、実はなんやかんやで膨らんで1億5000万円の借金だった、という家庭だったらめちゃめちゃいやだねえ。なんだか借金の利息で年収が吹っ飛びそうな家計である。

なんでこういうことになったのでしょうか。先進国中最悪の借金漬けである。これねえ、だれかの陰謀じゃなかったら日本人はあほってことになっちゃうよね。陰謀といえば、この借金って米国などに結構しゃぶられちゃったりしてないんでしょうか。借金して貢いだと。それじゃホスト狂いの馬鹿×(伏字)みたいだが、それを国家規模でやったとか。いやいやそうじゃないんだ、という数字がほしいねえ。そもそも何に使ったのか。

政治家先生ってよく海外行くでしょ。そういうところでいろいろ吹き込まれてかえってくるんじゃないでしょうか。イエール大のえらい財政学の教授かなんかがなぜか同席しているあっちの国の政治家なんかに「政治家が選挙の地元に利益をもたらすのは当然のことです。それこそが政治家の務めなのです。橋、道路、鉄道、砂防、公民館に美術館、そういうものがそろってこそ、日本は世界に冠たる技術大国、文化大国、経済大国である以上に責任ある役割を果たせる国としてその威光を世界に示すべきなのです」とかおだてられまくって帰ってくる、というようなことを繰り返してきたんじゃないでしょうか。やつらは「このイエローモンキーどもをのさばらせると、日本よりももっとコワイ中国がチョーシこいてギリシア・ローマ時代から綿々と我々が受け継いできた西洋文明が危ない。昔日本のショーグンもやったというサンキンコウタイという政治手法でやつらにお金を使わせて弱らせるのデース」。国の金で外遊した挙句、ろくでもないことを吹き込まれて帰ってきてさらに無駄遣いをする、ということをしこたま繰り返してきた、というのは想像にかたくない。アメリカの周辺国をみよ、大アメリカ共栄圏になっておるか?。ほかの西洋諸国とおなじく、こすっからーく外交を展開して注意深く付き合ってゆくべきところを、ト―シロウのセンセ方ぎょーさん送り込んで外交もへちまもないでしょうが。基地問題がどうとか、大臣が交代したから、なんやかんやでアメリカ詣でをするたびに、あちらで外交にやられて、ええ気分で帰ってきたからこんなになってしまったという可能性は高い。日本のバブルでアメリカはすげー儲けたそうじゃないの。テープレコーダーや半導体で昔勝ったかしらんけど、それ以降いいようにやられぱなし、というふうに思える。アメリカを悪く言うつもりはない。相手がずっと上手だったのだと思う。バブル崩壊直前、日本の一人当たりのGDPはアメリカ人の9割のところまでいったそうだが、今じゃ7割だ。多くの人が、わしらは日本人だもん、アメリカと方を並べるくらいさ、とか思ってるだろ。7割だぞ!。あっちが500万の年収だったらこっちは350万ってのに等しい。あっちはまだ活気があるのに、こっちは借金の沼に沈もうとしている。くやしくねえのか日本人は。

英、仏、米、露、中は原発をやめないっていう。奴らは技術で押さえ込む自身があるのだ。一方、独、伊、は原発をやめるつもりだ。これに日がくわわると、あらら枢軸国がそろうじゃん。なんかヤバくね?連合国対枢軸国か?こりゃ負けるだろう。どーすんだよ、エネルギーでもまた負けんのか?。「うぎゃー、エネルギーよこせぇ」てまた暴れてぼこぼこにされるのか?。そりゃ原発がああなりゃ世間の反応も過敏になるけど、そこで感情にながされて大計をあやまるとあとでまたすげー死人がでねえか。あの原発の爆発で、死人が出ていないというのがすばらしい。建物から5mのところに自衛官がクルマを止めた瞬間にどかんときたというじゃないの。いずれ原発をやめるにしても次を見つけてからやめろと思う(辞めるんなら次を見つけてからやめないと野垂れ死にするぞ、ってあれだ)。原発がいやならモノになりそうな、中国に東シナ海の航行を止められても安定供給できるエネルギーをつかんでから止めろ、と思う。

 

 ベントでもたもた7時間もなにやっていたのか、という切歯扼腕のNHKスペシャルを見たが、最初にぶったおれていた送電線を復旧する手はなかったのだろうか。たまたま送電線の鉄塔が倒れた、というところが実に痛かったのではないか。正直、現場責任者、技術者、保安院、政府関係者、有識者、に誰を持ってきても正解が出せたかどうか。それじゃやっぱり原発はあぶないのか。別の考え方として、メルトダウンしても水素爆発を回避できていれば正解だったという考え方もある。津波がくるまでの時間のこっていた電源で原子炉内部からのびる排気管を開放してしまえば、煙突から水素は逃げる。しかし、東電では原子炉圧力容器内部の気体を外界に出すというのは絶対にしたくないことだったから、現場を死の恐怖にさらしまくってでもベントをせず(結局ベントは機器が動作せず、できなかった)3回の爆発に至ってしまった。

 上層部にある人たちは世間の怒りを浴びるのであるが、現場で作業している人たちはあまりにも危険な現場であり、何が起こるかわからない恐怖の状態の中で、一人の死人も出さず、今日までやってこられたということに頭が下がる。

 

2011年6月18日(土)

Den.モスカタムの赤花に花芽が5つばかり出ている。昨年も面白い大きな花が咲いたが、今年はさらに盛大に咲いてくれそうである。

 

村上園芸の展示会をやっているというダイキ稲美ってどこだ?と思ったが、どうも明幸園の西15kmぐらいのところにあるらしい。地図を持ってゆけばかろうじてたどり着けるだろう。今まで忘れていたくらいだからなんともしようがないのだが。

 

お勉強やらなんやらの時間を朝取ったため、9時過ぎには本日分を消化してしまった。珍しいことだ。買い物やらなんやらも済ませてしまった。懸案だった丹波篠山のゆり園にもいって百合の写真を撮ってきた。まだ15時だ。本日はこれから何をしたものかと思う。さしてしたいことがないというのもまた情けない。しゃーない更新でもするか、とファイルを開くが、更新ネタがすくない。

 

たまねぎの取入れがおわったので、跡地を耕して、30mの畝を2本に分割して、2週間育てた黒大豆の苗を雨の中植えた。60本くらいあっただろうか。1本400円として24000円分の黒大豆、ってまあそんなわけはないか。そんなに食べきれるわけがない。元手400円である。懸案がつぎつぎ片付くので気分爽快である。

 

斉藤孝著「なぜ日本人は学ばなくなったのか」を読んだ。おばか芸人がもてはやされている今日このごろである(いや、すぐに人気も移ろってしまっていまや冷や飯をくっているかもしれない)。「お前も馬鹿?」「うんおれも馬鹿」とお互いの馬鹿を確認して安心しているらしい。まあココロ安らかに生きてゆきたいのはわかるが、そうやっていやなもの直視しない、いやなことを先延ばしにする癖が昨今の日本人は病的な領域にあると思う。斉藤先生によると、「本を読まない」ということにつきるようだ。ふと読書の顔を上げて電車内を見渡すと、本を読んでいるのは私と他3名であと25人近くは、ケータイ、新聞、仮眠、という風情である。確かに読書人口は減っているようである。

また、日本人には憧れがなくなったという指摘もなるほどとおもう。私の世代にはいろいろあったが、現在は若い人たちになにがあるのだろうか。国のリーダーなんかはごめんだとおもっているんじゃないか。「偉くなって人のためになることをしたい」っていうのは昔は結構いたのだが、そういう人たちが「票集めのために金をばら撒いて1000兆円の借金を作った大馬鹿ども」という認識がされているかもしれず、人の上に立っている偉い人はいっぱいいると思うのだけれど、そういうのは実に見えにくい。じゃあ、野球選手、ミュージシャン、アイドル、漫才師、プロサッカー選手、宇宙飛行士、プロ棋士、プロゴルファー、漫画家、科学者、医者、弁護士、並べてみるとどれも才能ってもんが必要で、若い人は結構醒めているそうである。配管工、大工、左官屋、表具屋、水道工、和菓子職人、寿司職人、調理師、運転士、建築士、プラント設計士、行政書士、自衛官、ガラス職人、フランス料理人、ソムリエ、しごともいろいろあるなあ。仕事はどれも勉強と研鑽が必要である。手に職をつけてそれで家族を養えれば結構なことだと思うんですが、そういう幸せにあこがれたりしないんでしょうか。

さらに、リスペクトする対象を持たない、というのもある。「えらい人や」「この人についてゆこう」「こいつできるなあ、技ぬすんだろ」ちゅうのがなくて、「なんだ、あんなやつちょっとぐらい勉強が出来るだけで、おれんちなんかiPod買ってもらってるもんね」という変なところで勝ったつもりになって自分をだまして自分の能力低下から目をそらす。

また、コミュニケーション不全が進行中だそうだ。「おい、そりゃまずいんじゃないか?」っていうのを聞かない、というか怖くて聞けなくなってしまい軌道修正が困難になってしまうのである。

以上、読書や勉強をしない、あこがれをもたない、リスペクトしない、コミュニケーション力が低下し、人間の能力がかなり低下しているという指摘の本であった。アマゾンの書評で、「でも何でそうなったか書かれていない」と低い点をつける方が多くみられた。まあ、安きに流れたからなんでしょう、日本人が。そのツケは人間力の低下のみならず、技術、産業、政治、金融へと、ぐだぐだな状態が昂進している。

実のところ我が国は、世界の国の中でもっとも巨額の借金を抱えており、それがどんどん膨れ上がっているのだ。ギリシアの次に破産するのは日本であるといわれている。ギリシアの今後に注目したいが、日本では何が起こるのか?。まっとうな政権なら票目当てのばら撒きはやめて、予算の切りつめを行う。その結果英国では学生が暴れていた。日本では「まあこわい」ぐらいにおもっていただろうが、あっちがまっとうなのでこっちがおかしいのである。

日本の借金は国債として発行され、国民の預金を預かった銀行が引き受けている。国が破産して、返せません、となったら銀行が国民にお金を返せなくなって倒れる。「え?わしの預けた金は?1000万円まで補償してくれるんじゃないの?」というが、そら国が破産していない場合の話で、要するに預金は消滅する。そうならないように「国債は日銀が全部引き受ける」という話になったとしよう。日銀がお札をすって銀行に1000兆円かえすとどうなるか。よその国からみてそんなうそ臭い円の価値が暴落して、すごいインフレも起きて、結局預金を消滅させたような効果がある。金持ちは相当割を食う。私が金持ちだったら、海外に資産を移すかなあ、と思う。でもそういうことをするといよいよ国は立ち行かなくなる。よその国だって日本がそんなになったら無事ではすまない。逃げ回るお金の嵐にもまれるように世界中であぶく銭が雲散霧消するのである。いずれにせよ日本が世界の大迷惑国家として歴史に刻まれるのはここ10年以内といわれているのである。日本人の多くはそういうことは難しくてわからん、を決め込んでいる。

 

2011年6月16日(木)ビフレナリア開花

雨の中ビフレナリア・ハリソニアナ アルバが開花していた。ビフレナリアは10年くらい持っているかと思うが、咲いたのは初めてだ。なんでもかなり古いバルブに開花する種らしいので、シロウトの私などは、植え替えのたびに開花資格のあるバルブをとっちゃってた可能性がある。

 

2011年6月12日(日)

雨の中蘭棚の整備をして、蘭のトレイを並べた。蘭の活動はこれくらいだった。

 

球根の皮むき作業を完了した。すごい量だった。植えた球根がほぼ返ってきたほどに感じる育ちのよさであった。今度まじめに集計してみよう。来年咲く球根は非対称化している。大きさも要因ではあるが、片側が膨らんでいるものが咲く。そういうものをより分けておいた。推定500個はありそうだ。咲かないと思われる球根も良く肥えている。いずれもプラスチックのかごに入れて通気性よく、蘭棚の下の段、雨のかからない場所にナメクジ殺しを撒いて置いた。今年の花壇は、東、中央、西、北の4箇所で、それぞれ150、100、200、50くらい植えつけていただろうか。250個ほどが購入した球根である。来年は中央を厚くしよう。

 

黒豆の枝豆の苗をつくるため、先週プラスチックトレイに農協で買ってきた100g310円の黒豆を植えた。植え付けにはふかふかした花と野菜の土を2L100円で別途買ってきた。昨年、庭の土に植えたところ発芽率がやたらと悪かった(しかも苗が出来て畑に植えたものの大半は鹿に食われた。残った19株だったかは鹿の来ない場所に植えたところ全て実って大豊作だった)。おそらく土が固くて重かったため頭でっかちの黒豆が土から双葉を出せなかったためだと考えた。今年は腐葉土を多く含んだ軽い土だったため発芽の歩留まりが大変高いようだ。かごをかけて鳥から防ぎ、ナメクジ殺しを撒いて置いた。30本の苗が取れそうである。苗1本で400円相当の枝豆が取れたのでうまみが大きい(別に売るわけではなくて、買ったらそういう値段で、贈答に用いる分がまるまる浮いた。人に差し上げたら喜ばれた)。

 

中国では停電が頻発しているそうである。政府が電気代を上げないようにぎゃんぎゃん言ってくる一方、燃料の石炭などが著しく値上がりしたため、発電すればするほど赤字になることから、「ばからし、発電しねえよ、メンテナンス中だよ」ということで電気がこなくなっているのだそうだ。企業の活動を政府が制御しにくくなってきているのである。まあむりからぬことだわなあ、と納得した次第。ところが昨日「関西電力も節電15%!みなさんよろしく」と来たのでぴんときた。私が電力会社だったらこう思う。「原発止めろだあ?ふざけんじゃねえよ。そんなことになったら商売あがったりじゃねえか。わしらのお先真っ暗じゃん。いくらかけてきたと思ってんだ?国の政策でやってきたんだろうが。いまさらそりゃねえぜ。どんだけ経産省にへえこらして商売してきたんだか。へまやったのは東電だろうが。なんでうちまで原発とめろってのよ。日本海に津波が来るか?くるわきゃねえだろうが。いつくるかわからんような津波が怖くて電気が作れるかってんだよ。運転しようぜ。そんでもってせっせと堤防でも何でもつくりゃいいじゃないの。え?反対運動?全部とめろって。デモやってんじゃん。あーん、それでやってけるわけねえじゃん・・・。(思案中)

・・・わかったよ。とめりゃいいでしょうが。原発のない生活がどんなものか、よーくわかっていただきましょう。15%節約してもらいましょうよ。いいよ、しろよ。節電節電っていってりゃもう気分だけで必ず熱中症で死ぬ奴がでるんだよ。わかってんのか?昨年みたいに35℃の日が70日近くあるんだぜ(だったっけ?)。フランスでお年寄りが1万人お亡くなりになったことがあったじゃない。いままでなら暑い自宅からどこかにげこめるところがあったろうけど、どこもかしこも節電じゃ逃げ場がないぞ。放射能より熱中症のほうがよっぽど危なくねえか?。もともと3割は癌でおなくなりになるんでしょうが。15%節電でどこがわりをくうって工場だろ?。みんなの雇用はどーなんのよ。産業へろへろになっちまうんじゃねえか。産業まで2流、政治は3流、借金超一流でどーすんのよ」。まあ単なる想像である。関東だけでなく関西もエネルギーのことをよくよく考えるよい機会ではないだろうか。

電力会社は、猛暑の夏に電気の兵糧攻めを画策している可能性はある。今は「お母さんが線量計で子供の遊び場が1マイクロシーベルトを超えるとばっちいからやめましょう」なんていう報道をしている。ところが8月になると「熱中症でもう1000人も死んでいる。節電を迫られた企業は派遣切りをどんどこやっている。隣近所エアコンの使用を見張るようになっている。企業では節電まみれで活動が低下している。こんなになっても原発を運転しないのか!」とマスコミが言い始めるかもしれない。世論がころっと変わるのを電気を絞り込んで待つのは簡単だ。電力の3割を占める原発を止めればいいのである。原発反対派も1000人も熱中症で死んでしまうとどう考えるのだろうか。電力会社はいうのだ、「原発反対をとなえる皆様の仰るように、十分な安全体制を整えてゆくことが出来ておりませんので、仕方なくとめております」と。こういわれちゃうともう文句のつけようがない。「じゃあどうすれば運転できるのか?」とみんな考えるようになるんじゃないか。政府に産業界など各方面から圧力がかかる。「十分な津波対策や地震対策で、原子炉の冷却が行えなくなるような事態を回避する技術的に十分な方法をこのように定めた」と政府が言う。すると節電と猛暑と不景気、失業者の激増に辟易していた日本人は9月ごろには「もうそれでいきましょうや」と納得するのである。まあ日本人はそういうもんかもしれないなあ、と私なんか根性がないからおもっちゃうね。

まあこれくらい節電節電言われているので、心構えも違ってくるのでなんとか乗り越えられるとは思う。ほんと大変だなあ。本当に猛暑日が70日あったらどうなるやら。例年ほとんど休暇を消化していないのであるが、今年は休みを多めに取って自宅でエアコンなしの生活を送ったほうが世のなかのためになるかもしれない。

 さっき「たけしのテレビタックル」の録画みて知ったんだけど、民主党って新エネルギー省エネルギーの研究開発予算をごっそり削っちゃったんだって?。あーあ。

 

 本日のNHKスペシャルで、カロリー25%ダウンで寿命100歳という話をしていた。おー、まさにあらまほしきこれからの生き方ではないか。Sirtuin(サーチュイン)遺伝子をカロリーダウンで起動すると、ミトコンドリアの増加、免疫細胞の自分の体への攻撃が避けられるなど100種類ものさまざまな働きにより寿命が延びるのだそうだ。へー、食事制限をはじめて3週間、最近よく走っているからSirtuin遺伝子が早くも起動しているのかもしれない。番組の後半では、Sirtuin遺伝子の起動を促すというレスベラトロールなるサプリメントでおいしいものを食べながら老化を抑制するというアメリカンな方法が紹介されていた。(うわ、お肉おいしそう。だらだらだらー)ばっかもーん!苦あれば楽ありじゃ、そんなダルダルな奴が長生きしてもはじまらんじゃろうが、とおもった。まあ負け惜しみだが。

 サプリも積もれば大金だ。食事をバランスよく、カロリーを下げれば食費が浮く。けちけちな私にはカロリーダウンの道しかない。チョーデブな私だが足は速い。この爽快感は身もココロもデブな奴にはわからねーだろうが。

 やっぱ負け惜しみか。結局人生の豊かさってひとそれぞれだわな。

 

2011年6月11日(土)

更新の仕方を忘れそうだなあ。きつい2週間だった。

あの台風の後、過去最大の被害が出ていたのであった。蘭棚は南北二つとも崩壊し、トレイ二つ分がふっとんで、植え替えた中身が地面に転がっていた。ベアルート状態になっていたそれらの株を植えなおしたのは4日後で、一週間後にPaph. concolor パフォオペディラム・コンカラー が崩壊した蘭棚から救い出されたという救助活動の遅さであった。

先週裏の蘭棚を仮復旧し、庭のチューリップを掘り返し、夏の蘭棚を整備したのでなんとか例年通りの状態にはなった。

 

ビフレナリア・ハリソニエにつぼみがでてきた。春にもつぼみがあったがしけてしまい、別の株からつぼみがでてきたのである。村上園芸の社長によると、かなり古いバルブから花が出るので、植え替えちゃうとうっかり花が出るバルブをとってしまうのでなかなか咲かないらしいし、かなりいじめないと咲かないのだそうだ。この冬はよくいじめたような気がする。

 

本日球根の皮むきをしていた。例年夏ごろからからに乾いたやつをむくのだが、まだ湿っている状態のほうが処理しやすいことがわかった。今年は球根の出来がよろしい。すごい数だ。5月の気候が涼しかったからだろう。

 

職場の検査でひっかかって、「もうトシだからやばいなあ」という気分で病院で検査を受けた。めちゃめちゃまたされるのだろうとおもって文献を読んでいたら読みきらないうちに検査が始まり幸い「問題ありません」との診断をいただいた。その「問題なし」に検査費用をたっぷり払った。一時おそろしく心配したのだが、さすがに2週間も心配し続けると飽きるのか本日はなるようになれと思って検査を受けて、結果に「ふーん」という感想をもってとくに安心した気分にはならなかった。

中年はダイエットをするな、ということが言われている。「ちょいデブ」が長生きするのだそうだ。そうはいっても糖尿は怖い。数値は「ちょいデブ」ではなく「ちょーデブ」領域にいるため、間食をやめた。昼食と晩飯の間が9時間ぐらい開いているため、夕方げしげしはたらいていると飢餓状態になる。そこでガムをかめとかみさんに言われ、3粒のガムを3時間もかむ羽目になった。ときどき口の中を噛んで悶絶している。噛むと食欲がおさえられるのだそうだ。こういうのは多分趣味なんだろうなあ。こういうしんどいことは趣味でないと出来ない。しんどいことはちょっと癖になる。しんどいなあ。

 

久しぶりにテレビを見たような。AKBねえ。おっさんにはどうでもいいような話をやってる。HDDビデオのおかげでテレビ離れが加速してしまった。節電地獄の暑い夏になりそうだ。デブには夏は辛いらしいが、毎日多量に汗をかいているのでおそらく私に有利になるだろう。涼しい顔で過ごせそうだ。

 

毎週1冊ときめていた羽海野チカ著「3月のライオン」を読み終わってしまった。楽しい5週間であった。なんというか泣かせる話である。将棋の勉強をしてソフトを手に入れてやってみたがぜんぜん覚えていない。いまだに角の動きがよくわかっていない。若い頃に覚えないと覚えられないのであろう。

しかしなんというか、最近のマンガというのは登場人物にすごい能力が備わっているところから話を始める傾向があるのだろうか。ものすごい苦労して稀有の将棋能力を得た主人公がしょっぱなから出てくる。こういう傑物は実在のモデルがいるので、読み手はへーすげーなあ、と思いつつ読む。しかしまあマンガの危険な点を1つ指摘しておきたい。マンガは読者が「ええなあ」と思う状況を極めて効果的に作り出しており、世界最高のマンガの産地日本ではとっても優れたマンガが日々生産されている。これに若い頃浸り続けたため社会人になった際に往生した。その第一は「おれはビッグになる」幻想である。若い頃からそうそう成功できるものではない。甘い幻想は打ち砕かれるのでこれに耐える必要があるのである。うまくいっている話ばかり読んできたら、自分のつまらない状況が延々つづく日常とのギャップから現実に対する取り組みがうまく行かなくなるのである。実のところかなりおできになる人たちにしても日常がわくわく楽しいばっかりちゅうことはないとみている。正直マンガで得た知識が役に立ったためしがない。世界の日本マンガなんだけど、日本の若者のためになっているかどうかは疑問だ。まあ現実とサンザンやりあってきたおっさんにはちょっとくらい「ええ話や」の世界が必要なのだろうと思ってマンガを読む。

正月から読んでいた河下水希著「いちご100%」を読み終わった。もう脳内麻薬生産マンガである。なんでもありのドスケベマンガも世界有数の生産量を誇る日本であるが、このマンガには少年誌なりの矜持と品格がある。ドスケベマンガばかり読んでいた私には不可解なラストであったが、ある種の「オキテ」がある少年誌ならではの結末であった。さて、なぜ19冊を読むのに半年もかかってしまったのだろうか。たぶんおじさんには刺激が強すぎたのであろう。根底には望めどもかなわぬ人間というものの本質が描かれている。萌系マンガ史に燦然と輝く名作といえよう。作者さまには作品を書いていただきたいと切に願っている。

 

2011年5月29日(日)L.crispa開花

朝から雨が降っている。出かけて帰ってきたらL. crispaが開花していた。大雨と強風の中でナメクジにかじられながらも開花してくれた。どうも最近世話が行き届かなくてわりーなあ、と反省している。蘭を家に収容しそこねてしまった。もう数時間の辛抱だから外で持ちこたえて欲しい。

18℃だそうな。5月といいつつ寒いような日が続く。家が揺れるほどの風が吹き始めた。すげーなあ。怖くて外に出られない。蘭もどうなっているやら。あーあ。

 

今日もおっさんのぐだぐだぼやきを書く。

こんなになっても原発を日本から買ってくれるという国があるそうな。情誼の厚いかの国にはイラク戦争のときも助けていただいたかと記憶している。こんなになっただけにものすごい経験とノウハウを蓄積中の日本である。どこの国から買うかといえばまあフランスからと考えるところだろうが、やっぱり苦労しまくってきた日本をお勧めする。高騰する石油に対応してエネルギーの確保は喫緊の課題であるので、原子力を使わざるを得ない面もあるのだろう。「石油がなければ太陽電池があるじゃない」といったってそんな「ブリオッシュ」じゃあるまいし、「小麦」に相当するエネルギー源「石油」が高騰しているのだからおいそれと太陽電池も安くは作れない。ゆくゆくは安全なエネルギーをつかうとしても原子力は重要な「つなぎ」なのである。

今回メルトダウンのおかげで莫大な量の放射性廃棄物がでるのであろう。海外の力をかりるにしても多量にあるだけに国内で処理しなければならなくなる。すると国内の放射性廃棄物処理の能力が上がるんじゃないだろうか。いままで使用済み燃料処理など英仏に依存していたところを国内で出来るようになるとなると原発産業の力が上がってくるのではないか。

「若者ホームレス」や「30代文系ホワイトカラーがクビになる」などど暗い本ばかりを読んでいる。「2020年、日本が破綻する日」なども読み始めた。なにくそと働いてはいるが、世の中だいじょうぶかなあ、という話ばかりが聞こえてくるので情報収集もその方面になってしまうのである。雇用がどんどこ減っているのは、ひとつには、儲かっているところが少なくなっているということだろう。クールジャパンな商品、魅力的なメイドインジャパンがすくなくなっているのだろう。えーと、いまは何が外国人によろこばれているのだろうか?。最近聞いたのは「コシヒカリ」だったり「粉ミルク」だったりした。どうも世界の富裕層を相手にしているようで、聞いてもぴんとこないゴージャスなトイレ一式、テレビ一式など高級品が多いようですな。半導体とか、ソフトとか、新しいコンセプトの製品(強いてあげればニンテンドー3DS)など、あまり聞かなくなった。iPADだのスマートフォンだの、こういうのは日本がやりそうなところも欧米にやられてしまっている。まあどれもどうでもいいようなものが流行っているように思える。だからもはやメイドインジャパンはおじさんにはよくわからない。

そういう日本の開発力の低下がある一方、「仕事くれ!」というアジア、インド、ブラジルなど新興国のパワーにまけちゃっているようなところがある。昔日本にいっぱいあった仕事が海外に安い人件費でとられていってしまっている。少子化、財政赤字、学力低下、高齢化、いろいろ小粒な理由はあるが、大きな流れとして、ハングリーな国に仕事を取られているため、日本はしょうしょうなことでは元気が出ないのではないかと思う。くりかえすが、政治が悪くて、借金がつみあがりすぎて、日本人が馬鹿になったなど、いろいろあるにしても、周辺が栄え始めて仕事をとられたというのが根本だと思う。

でもまあ、「山のあなた」ではないが、世界のどこにも楽園なんかない。日本はかなりマシな部類だ。少なくとも潤沢に水があるだけマシ。みよ、外を。こんなに水が降ってくるではないか。すばらしい・・・これ全部真水なのだ。自慢だが、我が家の水道水はかなりうまい。お隣の国はお気の毒にも旱魃のため田植えも出来ないというのになあ。

 

HDDレコーダーに番組を録画するのはいいが、さっぱり見ている暇がない。ちゃっちゃとみてさっさと消すしかなかろう。なんだかテレビというのはあまり面白くないなあ、と思う。絶景もだんだん眠くなってくるのである。

 

強風と雨による家のゆれがひどくなってきた。怖いなあ。停電する前に保存しよう。

 

2011年5月28日(土)Cym. Sweet Debon ‘Sweet’及びDenファーメリー開花。

Cym. Sweet Debon ‘Sweet’ が開花していた。ついでにDen.ファーメリーも開花。雨がやたらと降るのでどうもぱっとしない。

L. crispaにつぼみが出ていたことに気がつかず、ナメクジに結構食われていた。もったいない。

デンドロもいろいろ咲いているが、把握していない。台風が来るのか。

 

 

2011年5月22日(日)

朝から雨が降って昨日の汗だくな気候が嘘の様に寒かった。あまり風が強いので朝から蘭をみまわる。カトレア・ワーネリーは、ずっと屋外でほったらかしでずいぶんいたんでいたので、本日は家に持ってはいる。このワーネリーというカトレアはめったにみかけない。画像もこれぐらいしかないC. warnerii ‘Integra’。香りがあるなあ。

 

24インチのディスプレイをみていると、これでプレステ3で遊んだらさぞかしおもしろいんじゃなかろうか、と継続的に考えていた。プレステ3は160GBのものが27900円HDMIケーブル付だそうな。しかし、ふと見ると1年以上まえに購入したDVDのパソゲー「MYST IV Revelation」をまだ冒頭の30分ほどしか遊んでいない。「これをクリアーしてから考えよう・・・」とおもってやってみようとするのだが、「だるい・・・」と断念。「なにがかなしゅうてこのおっさんがゲームしてあそばなならんねん。なんの生産性もない」などと思う。しかしまあせっかく買ったんだからなあ。2009/3/8に2480円で買ったというレシートが出てきた。結構大金である。一日30分くらいは時間をひねり出して遊んでみるか、とおもう。自分でこつこつ探し回ってステージをクリアーするのはたるいので、どこかのヒントサイトでもみながらちゃっちゃとやりまひょ、などとゲーマの風上にも置けないようなことを考えていた。このシリーズは情景がきれいなのでしかたなくやっているようなところがある。

テレビもあまり見ていないなあ。たしかにきれいになったけれど内容が格段によくなるわけでもない。映画もだるいので、とっておいてもなかなか見ない。マンガも小説も新書も、ぼちぼち読みはするが、買っておいてある備蓄のほうが多い。なにか楽しいことはないだろうか。ここ数年最も興奮したのは、庭でチューリップを掘りとったあとの土で山を作ったときだっただろうか。ええとしをしてなにをしているものやら。そろそろ蛍がでてきたので、そういう土いじりに時期になる。おっさんになると、楽しいことをかんがえるよりもいやなことを考えるほうを優先してしまうなあ。毎日いやなことをいっぱい考えている。

 

2011年5月21日(土)カトレア・ワーネリー、オンシ「元気」、Den.レインボーダンス、Den.「家」開花。

きつい一週間だった、って毎週言ってるなあ。

 

カトレア・ワーネリーが咲いてくれたが、外の環境が寒かったり風が強かったりといまいちだったため花が痛んでいるようである。大きくて立派なカトレアだが、本領発揮にはまだよく育てなければなるまい。

デンドロもいろいろ5株くらいさいているなあ。

 

24インチ液晶ディスプレイを買って、それまで使っていたディスプレイがあぶれた。これを有効活用するべく、先週の日曜日に日本橋でジャンクのデスクトップパソコンを買ってきた。某パソコンショップのセットであった。HDD80GB、Celeron2.9GHz、メモリ256MB、DVD-ROM、ちゅう構成である。2000円だった。ミニタワーとはいえ幅が広くて流行のスリムタイプとは違って場所を取るから安いのだろうか。見た目は新しいが、安すぎるのでさっぱりジャンクである可能性が高い。

電源は入るが、OS等はないようである。そりゃそうか。OSを入れてみたら入らない。こりゃぶっこわれているのだろうか。OSのバージョンを落としていれてみたら何とか入った。やれやれ。しかしドライバがないので表示の解像度は著しく低い。これが一日目。

二日目は、マザーボードの型番を確認。

三日目は、マザーボードのドライバをダウンロードし、インストール。なんとか仕事レベルでは使えるマシンになった。DVDドライブは、データこそ読み取れるものの、再生が出来ない。

四日目は、DVD-ROMの型番を調べる。パソコンの型番などから2005年頃のパソコンとわかる。

五日目にDVDドライブのドライバをダウンロードしてインストールしたが、なにか不明なトラブルがあってうまく行かないようである。DVDの再生は出来ない。

まあ2000円で、そこそこお仕事に使えるパソコンになったのだからいいか、と思う。いじりパソコンということでいろいろいじってみよう。まあなんというかパソコンいじりは楽しい。

そろそろ常用パソコンをWin7にしたいなあ、と思いつつも、現在の使いやすい環境を手放すのが惜しい。しばらくこのままでゆく。

 

日本のガラパゴスケータイの絶滅が危惧されているそうである。最近日本のものづくりとやらはどうなってしまったのだろうか。そらまあ国産メーカーのものを買うようにはしているのだが、流行のよく売れるものでクールジャパンはどこへいってしまったのだろうか。

PS3はなぜ失敗したか?」という新書を読んだ。日本人が大好きなソニーの迷走がいろいろ書かれている。ソニーというと15年くらい使っている15インチのブラウン管テレビがある。ソニータイマーっつって「保障期間が過ぎるとまるでタイマーでも仕込まれたように故障する」という都市伝説があるが、まあ単なるうわさなのであろう。3本目だという上司のバイオの電池とか、火を噴く電池数百万本回収とかいろいろ言われてきたが、プレステの効果は絶大だった。あれで遊びすぎた日本人は多かったのではないか。恐るべきプレステである。

プレステ3を300台だったかつないでスパコンを作った人がいるそうである。世界30位の性能だったという。プレステ3ってすごいんだろうなあ、と気にしているのである。美しいグラフィックぐりぐりの画面を見て見たい。私もゲームでもしてみようかと思うのである。本日家電量販店で見て、昔6ないし7万円していたというプレステ3は27000円ほどになっていた。ほー、えらく安くなったのだな、と興味が涌く。私が好みそうなできるだけ絵のきれいそうなゲームを探してみたのだが、みあたらない。殺伐としたホラーだったり、戦闘ものだったり、萌えだったりだ。立派なディスプレイがあるので、これで遊んで見たいと思うので、もうすこしマシなゲームがないかどうか探してみよう。

 

食糧危機に関する小説を読み終わった直後にパンの値上げのアナウンスがあったのでぎくっとした。もうはじまったのか?と思ったのである。しょうゆ、味噌、豆腐、納豆、あげ、枝豆などのおおもとである大豆の自給率は5%くらいだそうだ。えー、大豆がぁ?と思った。

食糧危機は、新興国の需要が爆発的に増えていることが原因とされる。中国の現在の旱魃が気になる。長江が渇水だそうな。おっかないねえ。大豆が入ってこなくなったらおかずはどうすりゃいいんだろうか。

 

かのメルトダウンというのは、地震後津波で冷却水循環のための電源設備が失われて空焚きになってメルトダウンにいたる16時間といわれる間に、海水注入など何らかの処置をすれば防げたのだろうか、と今にして思う。もし防げたのであれば「なにやっとったんじゃあ」と思うし、防げなかったにしても、やっぱり「女川は助かったのに、福島は用意が悪い」と思う。かのメルトダウンで世の中が大きく変わってしまった感がある。

電気自動車は、CO2の排出削減の最有力技術だったが、それは原発が担っている深夜電力による充電を前提としていた。深夜電気自動車を充電すると、原発の発電量を増やすことが出来て、昼間の電力需要の多い時間帯の火力発電によって補っていた部分を原発電気に置き換えることが出来たはずだった、のである。鳩山総理の「25%削減」にはこのような技術的目論見があったに違いない。3.11以来この目論見はふっとんでしまった。今後電気自動車は走れば走るほどCO2を増やすということになってしまう。

つい数年前まで燃料電池車の開発が流行っていた。「どうも電気自動車がいいぞ」というので、燃料電池開発からはさーっと人モノ金が逃げて電池開発へと研究開発資源が振り向けられたのであるが、急にまた「電気自動車は充電がネックだから、やっぱ燃料電池じゃね?」とささやかれるようになったのである。電池技術は、ハイブリッド車をもう少し進化させるような技術開発は成されるだろうが、電気を有効に使うために電池で電気をためるための電池の研究がなされるらしい。自動車業界からの要求というのはいつも厳しすぎるので、燃料電池もクルマよりは家庭での発電から実用化されている。今度もスマートグリッド対応の家庭用電池がまず開発されるようである。

さて、これからの日本のものづくりはなにをめざしたらいいんでしょうかねえ。

 

日本の借金は、国民一人当たり900万円ちかくになったという。先進国中ダントツだとか。我が家だと、人数分6台も借金してベンツをかったような状況だろうか。1台国産車があるだけだから、6台もあったら異様だ。うちだけで5400万円の借金か。想像もつかないなあ。それだけの金をナニに使ったのだろうか。最近借金で首が回らなくなりつつあるお金持ちのご家族の話をきいたのだが、彼らは「ションベンにした」そうである。うち、だれもお酒のまないんだけどねえ。

 

また総理換えるの?次誰がやんのよ。小沢さんがやんの。

 

なんか今日はぼやきがおおいなあ。ぼやきおやじになっちゃったよ。

 

2011年5月14日(土)村上園芸、Cym.デボニアナム、オンシ、Lc開花。

きつい一週間だった、って毎週言っているような気がする。あまり記憶がない。気がつくと週末になっている。あんなに咲いていたチューリップがいなくなっていた。そういえば3日も雨が降っていた。

Cym. devonianumが盛大に開花していた。Lc. Aloha Case ‘#32’× C. intermedia var. delicateは午前中つぼみだったが、午後から開花した。オンシジウムの2鉢目も開花している。デンドロはこれから2株開花だ。

C. warneriiのつぼみが間もなく咲きそうである。「ブラジルの中高温性着生種。2重シースから花茎をのばして晩春から初夏に香りの良い、色が良く変わる数花をつけて咲く。花径20 cm。名の由来: Warnerにちなむ」 2006年に手柄山植物園の蘭展で500円で買った株だ。5年6年は待つのを覚悟で安いのを買うのである。葉っぱの半分がやけているのにつぼみ2つをどーんとだしている。

 

宝塚のダイキに来ている村上園芸にいってきた。宣伝をするのを忘れていた。バルボ・フラグランスって昔持っていたような気もするが、かみさんが香りがよいといって勧めるのでつかんできた。パンネアという蘭を昔なにかでみかけたことがあるのだが、「金木犀の強い香りがする」とこれもかみさんに勧められてつかんできた。村上園芸はなんというか花の数がすばらしく多くて見ごたえがあった。

 

昼間は大層暑かったが、雨が通って夕方から気温が下がってきたなあ。そろそろ蘭棚を改修しなければ。

 

裏に小川が流れている。その川を泳ぐ魚を食べたことがある。長さ25cmくらいの川魚だった。沢蟹もいる。大きなはぜや赤ハライモリの類も生息している。家の敷地と川の間にはフェンスを隔ててコンクリートの平らな土地10m×1mがある。普段だれもやってこない。かみさんいわく「あれもうちの土地だ」。そんなフロンティアがあったとは認識していなかった。蘭を置けばすごい広さになる。しかも川から水を汲めば水遣りが極めて楽じゃないか。「フェンスの金網をぶち破って通り道をつくり、その土地を開拓するべし」とかみさんがいう。移り住んで15年、ふってわいたような話である。まだ半信半疑だが、うまくやれば面白いことになりそうだ。

 

2012年にごっつい食糧危機がくるという2008年ごろに書かれた本を読んでいる。「シカゴファイル2012」という。「なんかとっつきにくい文体だなあ」と思いつつ読む。小説なのだけれど、登場人物の名前が覚えられないというか話の中心をなす人物がいないという稀有なつくりである。ただならぬ現実的な、そして自分にモロふりかかってきそうなオソロしげな話がじわじわと展開してゆくため、「つかみは悪い」くせにぐいぐい読ませるのである。気になって統計を見たところ食料の値段は高止まりしており、この本にあるように世界の食料はじわじわと足りなくなってきているのだ。「国際分業ちゅうもんで、少々自給率が低くても買えばいいのだ」というようなことをいう人をテレビでみたことがある。それにしては低すぎる自給率四割で、この先産業も低迷する日本がいったいどうやって海外から食料を調達するのか。「買い負け」という言葉を聞く様になった。分業ちゅーても売ってくれなくなったらどうしようもない、という状況も描かれている。そこへ持ってきてこの3月の買占め騒ぎを見ていると、こんなんで日本は大丈夫か、と心配になった。この本は現実に進行中のとてつもない危機について書かれている様に思われる。

 

2011年5月7日(土)

C.ワーネリーがつぼみを出してきた。やたら日焼けに弱い株で、日焼けしてはっぱが半分になったバルブからつぼみが2つでてきたので、こりゃ大丈夫かしらと思いつつ開花を期待している。

本日は27℃くらいまで気温が上がってきた。20℃以上が珍しかっただけに大変高い数字に感じられる。4月から30℃という日があったような年もあるので、この時期安定して涼しいのは結構なことである。

 

焼肉であの惨状なのである。実のところ故意に毒を入れたとされるかの餃子よりも危険だということである。隣国の食品が我が国のものよりも危険とはもはやいえない。我が国の飲食店の方が危ない。悲しいかなわが同胞のやることなすこと評判が地に落ちてしまったのである。金融、情報、エネルギー、食品、政治、教育、福祉、雇用、あれもこれもである。まあ頑張りましょう。

 

あの逆ギレ社長、富山県民らしく堅実に頑張ってきたのにもったいない、と思う。ああいう会見をする前にコンサルタント会社に危機管理の相談をすりゃいいのに、と思っていたが、あれほどの惨劇になってしまった以上ただではすまないので少々やぶれかぶれになっても仕方がないかと思う。

蘭の古鉢を焼きたいので炭火で焼肉をしたいのだけれど、メタボなのでなかなか踏み切れない。お肉も安くないしねえ。

かの焼肉屋は4月18日にテレビで紹介されていたのだそうな。1皿100円の焼肉なんてあったら家族でいっちゃうし、280円のユッケなんてあったら多分頼んでいるかもしれない。

しかし、あんまり被害がひどいので、ひょっとして故意に肉の菌汚染を誰かやったんじゃなかろうか、とさえ思ってしまう。その線でも捜査が着手されているだろう。

 

最近ど暗い話ばかり読んでいるからろくでもない未来ばかり考えてしまう。まあ日ごろ最悪のことを考えてはいろいろ備えるのではある。1999年に恐怖の大王が降ってこなかったからまあこれからも落ち着いて堅く生きてゆこう。本日も図書館でど暗い本を借りてきた。やはり次の世代の教育と現時点での雇用をどうするか、という点が重要かとおもう。でもまあ、政府もあんなに原発と震災対応でへろへろでは重要な政治課題に取り組めないんじゃないか。原発を将来どうするかは次の投票までに各人がおちついて考えることにして、エネルギーのつなぎとして原発は必要なんじゃないか、くらいに考えてもう少し重要な課題に取り組むべきではと思う。

 

なんとまあ動いている原発まで止めてしまうのか。電気が足りなくなって危機意識を持つためにはむしろよい方法かもしれない。でもさすがに連日38℃みたいな夏になったらたまらんでしょう。涼しい夏でありますように。

 

台風来るかもしれないなあ。

 

2011年5月5日(木)

昨日に引き続き本日も植え替えが続く。40鉢ぐらいやったのだろうか。トレイに4つ以上ある。

ミズゴケが尽きてしまった。買ってくるまで植え替えも休戦だ。

 

2011年5月4日(水)植え替え大会

ミズゴケ1パック500gまるごとみずをぶっかけておいた。椰子殻チップと、昨年炭火で焼いておいたリサイクル鉢を水洗いして乾かしておいた。すべての鉢に水をやってやわらかくしておく。買い物から帰ってきてかかる。

鉢底の穴を石で打ち欠いてひろげ、右手親指を突っ込んで中身を下から押し出すという作業からはじまるのであるが、なかみがぽんとでた弾みで親指の皮を鉢穴にうちつけ血が出て負傷した。

この日は26鉢を作った。例年記録をつけていたような気もするが、とてもじゃないが手が回らない。ふと見ると鉢に「2009.5.4」などと鉛筆で書いてあるのである。これは植え替えたときに書いたもので2年間しっかり消えずに残っていたのだ。驚いたことにダイソーで買ってきたプラ鉢にも鉛筆書きが2年間変わらず残っていた。これはいいなあ、と鉢の古さを読み、新しい鉢に日付を書き込む。そりゃまあラベルに書くのが基本なのだろうが、札なし鉢が結構多いのであった。

 

山田昌弘著「パラサイト社会のゆくえ」を読んだ。これに先立つ「パラサイトシングル」なる本では、親元で結婚せずあくせくせずリッチに過ごすパラサイトシングルの生活ぶりが記述されていたのであるが、2004年に書かれた本書では、1998年から日本社会はがらりとかわってしまい、いろいろな指標が悪化し、パラサイトシングルの親も年を取り、どんどん先細る日本の若者(34歳まで入るそうだ)の現状が暗澹と記述されている。2004年ごろはそういうことは考えなかったのであるが、現状の姿が2004年ごろに予言されているかのごとく示されている。当時中高生の多くは自主的に勉強する時間が0だったという記述がある。よくそんな無茶が出来るなあとおもう。かわいそうにゲームやケータイしか出来ないくらい力が落ちていたのではないだろうか。ある種知の極貧生活である。やすきに流れすぎたんじゃないか、日本人は。「重い荷をしょって長い坂を登るが如し」と考えてちょうどいいくらいじゃないの。

 

 

焼肉屋に行ったのは2年くらいまえだろうか。年に1度あるかないかだ。いいなあ、焼肉。ちっ、10kg痩せろっていわれちゃったよ。急に生肉がたべたくなり、スーパーで探してみたがさすがに見当たらなかった。

考えられることは、「企業のモラルハザード、コストや賃金の低下により材料や労働力の質の低下をおこしている。もはや日本は安全ではない」「人間の抵抗力が極端に下がっている」「病原菌が消毒により生き残った強烈なものになっている」など。いままでユッケというのはあたりまえの料理でスーパーでも当たり前に売られていたのである。それが安心して食べられなくなるというのはなんとも情けない。

 

 

2011年5月3日(火)いろいろ開花

マキシラリア・テヌイフォリア、シンビジウム・ボーイが開花した。

 

本日から外に出しっぱなしにすることにした。長い冬だった。それでもまだ夜は寒く感じる。カエルの鳴き声が聞こえたのでOKとした。田植えも始まったようだ。

 

連休とはいえ、特段したいことはなく、やったほうがいいことは多く、やらねばならないときめていることも多い。

 

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