蘭馬鹿日誌2018年および更新記録

ランのよしなしごとをつづる。下に行くほど昔 

連続有蘭花日数 6544日(2019/7/19201701  201510-201612  201501-09 201409-12 20142-8 201310-20141 20135-9 20131-4 20128-124-720123-201112-1110-520114-201012201011-1020109-720106-420103-1200912-109-76-420093-1200812-1110-98-76-54-320082-1200712-1110-98-76-542 32月後半2月前半20071200612-111098765432200612002 12 11 10 9 8 7 6 200512-111098-76543220051200412-1110987654322004120031211109876543220031200212111098-320022-12001年以前   日誌迷作選

 

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2018年7月6日(金)レリア・テネブロサ開花、それゆえ更新!?

 大雨のため昨日は交通機関が止まり帰宅困難となっていたところをかみさんに救出してもらった。本日はさらに降り続く大雨でえらいことになっていたのでお仕事に向かえず、お休みである。買い物のついでによった三田プレミアムアウトレットは狙い通りがらがらだった。高級チョコ店のチョコが85%びき。それだけかって帰る。まあ高速も通行止めなので当然か。

 

 大雨の中はたけを見に行く。近くの川は増水しているもののまだまだおうちが流されそうな気配はない。しかしにわかに激しく降り出した雨で傘が役に立たず、ずぶぬれになった。

 一昨日からランの棚でなにやら大きな花が咲いているのを部屋に取り込むことにした。常連のL.crispa2012年7月7日)  だと思っていたのだけれど、なんか色が違う。花が茶色くて、リップが紫だったりする。該当するのはL.テネブロサである。ええ?そんな有名な原種がうちで咲くかなあ?、と思うのだが、たしか一株持っていたのである。記録を見てみた。

 

L. tenebrosa (S. tenebrosa)  レリア・テネブロサ

2006年7月30日村上園芸 ダイキ明石EX

憧れの巨大輪レリアテネブロサを指名手配から3年目?にして手に入れた。バルブ3本。開花までは相当かかるなあ。

 

 相当どころか、12年もかかっている。よく枯れずに咲くまで大きくなったなあと思う。みたところ花はさほど大きくはなく、茶色いパープラタくらいのものである。咲くまでぜんぜん気がつかなかった。サプライズ開花である。おかげでケツを蹴られるように更新作業をしている。

 

 ランが10株も開花して実に結構な、とおもっていたらHPくらい更新するかと思って作業をするのであるが、1年以上やっていないとなんもかんもさび付いている。このままでは本当にぼけてしまう。

 

先日、母のいとこのじいさま約80歳に、日本映画の重鎮みたいな声で「本ばかり読んでちゃだめだぞぉ。やはり人間声を掛け合わなくちゃな。人とあって話すのが長生きの秘訣だよ。それからおまえもLINEやれ、ライン」とかいわれてしまった。なんか人生負けた感を味わう。ちょうどその日、大きな地震があって本好きのとあるおじい様が倒れてきた本棚の下敷きになってお亡くなりになったという報道があった(ご冥福をお祈りいたします)。国際学会にポスターを貼りに行くはずが、電車が止まり6kmほど歩いて、またぞろかみさんに救出してもらい、疲れていたというのはあるが、正直ラインは勘弁して欲しい。

別にスマホが嫌いというわけではないのだけれど、なんというか、読書もスマホも両方、というほど自分は器用ではないと思う。613日をもって読書記録は5000冊に到達していた(うち2300冊はラノベ)。ラノベの未読在庫は1928冊に達し、部屋にはラノベ山脈がそびえている。50代にもなってこんな趣味はないわー。

パソコンでネットを見ることは出来るのだが、ネットというのはそんなに面白いかなあ、と思う。ネットというと、お仕事がほとんどなので、ニュースっぽいものを見ることもあるけど、なんか人の顔ばっかりできもちわるい。時折見るニュースは、「日本は衰退しました」というサインを含んでいるように見えてしまう。

研究機関に長年勤めていると、予算の縮小を肌で感じる。お金はどこにいったの?っておもう。実験室の高熱水料が払えなくて研究の縮小を余儀なくされるとか、特許出願したものを海外に出願しようとすると、審査が厳しくなっていて「出願国と特許収入の見通しを説明せよ」とかいわれ、妙に疲弊する。予算を一部頂戴する文部科学省の研究では四半期ごとに報告をもとめられるのであるが、あの省のえらいさんが汚職で逮捕されていた。元役人のわしらは、ふつう自分の子供の進学なんかより同僚への迷惑を考えちゃうもんだけどなあ。予算のおおもとの財務省だったかは、セクハラだったり、くびきのような政権権力者の保護のために文書改ざんをやったりでがたがたのようである。

イノベーションという面からみたらなんか中国に勝てる気がしない。彼らはイノベーションを嬉々としてやっているし、勢いがある。最前線で兵卒やってますけど、予算は、見通しは、と説明をもとめられ、なんか乏しい武器弾薬食料で前線に追いやられ負け戦っぽい状況が肌で感じられる。敗戦にひた走る旧日本軍の気分。あれだ、前線をしらん大本営があほな作戦で実際に戦う兵隊がひどい目にあうというあの感じ。インパールとかニューギニアとか。日本人の悪い癖だな。

今日の日本の科学技術の研究開発はなんというか仕組みがあまりよろしくないように思われる。かつては地方の変な研究からノーベル賞のタネや、技術革新のネタがでてきていたように思われるが、(クリスパーキャス9とか、光るくらげとか、静岡のゴルフ場で見つかった3億人を救った菌とか、炭素繊維とか、透明導電膜とか、青色LEDとか、Ru触媒とか、IPS細胞とか。不見識で思いつかないけど東京でどんな革新的シーズがでたんでしたっけ?人口の4分の1が居るのだからそれくらいはでるだろうに。オリザニン?)現状は首都圏に説明に来やすいネイチャー・サイエンスなどの有名学会誌に掲載実績のある有力研究室に大きな資金が流れ、地方の予算は削減されている。これだと、多くの地方の研究者が冷や飯をくって、多様な研究がやりづらくなる。もう大きくなっちゃってる研究に大きなお金をかけている。大きな資金というのもなんというかもらうほうはいろいろ大変で、成果が出ないと責任者はちょっと独特な精神状態に陥り、大規模な研究不正事件なども起きている。その中央の有名研究室(教授がかっちょよかった。じつに惜しい)の末路も気の毒だった。カネの圧力でつぶれたようなものだ。

全国の大学で真摯に研究をやっている人たちが安心してのびのびと研究をできるような仕組みのほうが長い目で見て世界に貢献できて日本が豊かになると思うのだけどなあ。大学からはじめるベーシック研究費インカムとかやっちゃわない?。あの役所があんなんでこんな現状に納得した。首都圏はあほなタックルはかましにくるわ、役人や政治家もあんなんで、栄養が足りてないのではないだろうか。

ニッポンは衰退しました。

 

本日は、数十年にあるかないかの災害?とされる警報がでている。そこへもってきてあのサリン事件の主犯7名の死刑実施という報を聞いて、「う、なんかめっちゃ不吉」と思ってしまった人は私だけではないのではないか。関係ないにきまっているけど、タイミングとしては気持ちが悪い。

刑が確定してからいままで長い年月法務大臣は仕事をしていなかったのではという疑惑が湧く。法務大臣は誰だろうとおもったら記者会見があって、「へー、このおばちゃんすごいなあ」、と思った。

その処刑実施のあとから、たまたまなのだけど、土砂崩れの報がいろいろ聞こえてきた。被害が拡大しなければいいなと思う。

 

 連続開花日数は6167日に達していた。フウラン、レリア、赤いカトレア2株、フォーミディブル2株、エリア、デンファレ2株、デンドロ1株が咲いている。

 1年ぶりの更新、はたして成功するだろうか。

 

2018年1月5日(金)

 田舎から帰るとオンシジウムと常連のバルボフィラムのおばけっぽい奴が咲いていた。寒さで枯れなくてよかった。

 

あれぇ。すんごい更新していないねえ。じじいになると時の流れが速くなるなあ。更新の仕方を思い出せるだろうか。更新する意欲ってものが低いのがそもそも更新できていない原因。

 誰も彼もネットでSNSだので情報発信をしている世の中になると、みんながやっているようなことはやりたくないへそ曲がりのじじいはなんとなくネットをやる気分でなくなるのだろうか。

 あいかわらずスマホをもちたいとは思わない。らいんやふぇいすぶっくやついったーなるものは本で読んだけれどとくにやってみたいものではなかった。ゲームはへたくそなので30年前にスーファミがでた以前、スペースインベーダーの頃から苦手としている。株やパチンコ酒たばこ風俗にも縁がない。仕事と本と蘭とクラッシクがあればいいや。メタボなので体長管理に気をつけて、今年もしぶとく生きてゆこう。

 

 アマゾンで10月ごろノートパソコンを18324円で購入した。Win10のやつだった。まいくろそふとおふぃす10がついていた。安くなったなあ。電池も40分くらいもってくれるし。仕事場のパソコンがプロジェクタとけんかをして表示されない事故が何度かあったので、こういうものを小遣いで買ったのである。今年は小遣いで買った自分のもので1万円を超えたものが2つになった。すごい豪遊だ。本末転倒のような気もする。けちとしての矜持はどうしたのか。いや、ノートパソコンを持ってみたかった、というのが正直なところだ。早速東京出張で大学の先生の集まりに出てプレゼンをやった。プレゼンはつつがなくおわったが、私の後ろではテレビにでたこともある有名な先生(NHKのメイク技術はすごい)がパソコンとプロジェクターの接続事故であたふたしておられた。うーん、やっぱり高いパソコンはあかんな、と会場でおそらく最も安いパソコンを使っていた私は思った。

 出張で泊まったホテルでネットに接続してWin10をアップデートしながらショパンのノクターン全集を聴くことができた。ノクターンというと2番くらいしか世間では聴かれていないようだが、20番台まで名曲の目白押しだった。ショパン奥が深いなあ。13番なんてどーんと重たい曲を気に入ってしまった。こういう名曲がタダで、人生の長い期間かかっても聴ききれないため、流行の曲というものに触れる機会がすくないのはもったいないと思う。なんつーか流行の曲に追いついてゆこうとすると結構お金がかかる。サザンとかは中学校の頃に聴いた「愛しのエリー」以降を知らない。

 11月に学会発表もこのパソコンでこなした後はさしたる使い道もなく部屋に転がっていたのであるが、このほど息子の学業に必要とのことで、かみさんに召し上げとなり、小遣い15000円帰ってきた。クリエーターズWin10までアップデートしたのになあ。

 

2017年11月2日(木)ランに毒蜘蛛が巣をつくっていた!

 デンファレは寒がりなので職場の屋外で栽培していたのである。そろそろ寒くなってきたので室内に入れて数週間がたっていた。水遣りの際にふと見るとクモが巣を張っていた。なんだかまるいものが巣にみえる。捕獲された虫の玉のようにはみえなかった。よく見るとその巣の主であるクモがゆっくりと動いていたので指でつまんでぺいとトレイからつまみ出した。ふとおもうに赤い色をしたクモだったことに気づく。つまんで投げたクモはなんかテレビなどで見たことがある奴だ。セアカゴケグモと脳内に電飾付でアラートが点灯する。まだのたのた逃げ遅れたそれをピンセットでつまんでサンプル袋に捕獲し、職場の安全衛生の部署に相談に行った。すると、「そこらじゅうにいますので処分してください」とのことだった。毒蜘蛛がそこらじゅうにいるという職場環境ってどうよ。だれか南大阪のことをラテン大阪って面白おかしく言っている同僚がいたけど、ここいら北大阪もたいがいラテンだなっ。

でもサンプルとしてそのクモは献上することになった。ランのトレイにあった巣には卵がひっついていたのでこれも処分。

セアカゴケグモというのは、見つかった当初は連日テレビで大騒ぎになっていたものであったがあれはいつのことなのだろうか。ネットで調べると1995年のことだったそうだ。古っ!。20年以上経過して「そこらじゅうにいるくも」になってしまったのである。こりゃヒアリもそのうちありふれた蟻になるだろうなあ。ただ、毒蜘蛛とはいえ日本では誰も死んでいないそうだ。ひとまず安心。

「毒蜘蛛に刺されてみた」なる記事もあったので、読むと結構コワイ。セアカゴケグモを指の付け根に押し付けて刺してもらっている。刺された感覚はほとんどないという。そのうち赤くなり、痒くなり、はれてきて、胸がくるしくなって、上半身がだるくなって、なんかやばい、という気分になったそうだ。幸いそこまでで、数日腫れたり痒かったりするそうな。

毒蜘蛛を素手で払いのけるなんて・・・、河口浩か?。なつかしいなあ。30年まえくらいにそういう歌詞の歌があった。

 

2017年5月28日(日)

 ランが10株花盛りであった。写真をたくさん撮った。

 

 仕事の実験がうまくゆかない。うまくゆくものもあるが、やればやるほど壁にぶち当たる回数も増える。うまくゆかない理由を考えてさまざまな手を打つ。「試してみることに失敗はない」となにかの本で読んだが、15試して12あかんかったりすると結構しんどい。くやしいので休日出勤までしてさらにしかける。でもむやみと疲れたのでちょっと落ち着こうか、と思った。納期も迫ってくるしうまくゆく方途もつかないので結構きついなあ。(その後ものすごい量の仕事をして切り抜けた)

 

 庭のチューリップを掘り返す。素手でがんがん掘る。

先日人間の体には人間のゲノムの100倍もの情報量をもつ菌が棲んでいるという話を(本で読んで)書いた。その人間とともに暮らす菌というのは、「殺菌」だの「除菌」だの「抗生物質」だのでダメージを受けるという。居なくなった菌のあとには、わっとはびこる菌が大勢を占めるという。

 昔とても体臭のきつい方がおられた。また、知り合いにとてつもなく足のくさい人がいた。その足のにおいというのは、イソ吉草酸のにおいだそうで、硫化水素の感じる閾値0.4ppmどころではなく、0.05ppmでもうくさいとかんじるそうなのだ。3-メチルブタノイックアシッドともいうんじゃなかったか。「酸目散るブタの逝く足っど」と書いてわらっていたが、ブタが死にそうになるくらいしゃれにならないくらいくさい。

 いずれも女性だったのだけれど、これは女性がきれい好きだったことに原因があるのではないだろうか。つい過度にキレイにしてしまったばっかりに体表菌の空白を作り出してしまい、そこにくさい物質をつくってしまう菌をはびこらせてしまったのではないかと考えている。

 なんとなく人間は自分についている菌も大事にしないといけないのではないだろうか。ではどう大事にするか。元来人間がさわってきたものはきちんと触ろうと思う。まず思いつくのが土。手と足でしっかりと土に触る。そりゃまあ恐い感染症だってあるのだから過度に不潔にしてはいけないけれど、清潔にしすぎるのもよくないと思う。

 

 畑で草むしりをしていて思い出すのだが、昭和の歌で、村のだれそれが通った後はぺんぺんぐさも生えていない、という部分があった。小学生の頃に聞いたのでなぜその人が通るとくさが生えていないのか疑問に思った。「放射能を出している→ゴジラな人」などと思っていた。おっさんになって司馬遼太郎の何かを読んでいて、「九州の鍋島藩では山がなく、木の葉を集めて堆肥をつくることができないため、雑草が過度にとられて生えてこない」というような記述をみた。そんなばかな、とおもったりもしたが、堆肥にとどまらず、植物の三代栄養素の一つカリウム源と考えれば切実だ。そりゃ金持ち日本は多量にカリウムを買ってくることができる。そんなに高いものではない。カリウムは、水によく溶けるので地表からだんだん失われてゆく。植物はカリウムがないと育たないから、植物そのものがカリウムを蓄えており、それゆえむしった草はありがたいカリウム源だ。そういうことを考えながらありがたく草をむしる。

 放射能といえば、カリウムはセシウムと同様なエネルギーのガンマー線をだしていたと記憶している。ガイガーカウンターをカリウム塩に近づけると音が強くなる。食品では昆布などが重量あたりで多くのカリウムを含んでいる。人間ひとり分のカリウムで2000ベクレルではなかったか。ベクレルって1秒間に壊れる核子の数じゃなかったか。毎秒2000個の放射性カリウム原子核が壊れているという意味か。自然放射能なので害があるわけではない。放射性カリウムの原子核の崩壊では、セシウムと近いエネルギーを放出してぶっ壊れる。放射性セシウムは、核子が有害そうな元素に変化するので心配する人もいるみたいだけれど、ものすごく濃度が低いので害があるとは思えない。そういうのを心配するより、土から遠ざかった自分の体のありようを心配したほうがいいのではないかと思う。

 珍しい深海魚が相次いで千葉と三重で見つかったというニュースを聞いてぎょぎょっとした。深海といえば、東南海地震。そんでもって大地震で首都機能の停止や物流の大動脈が深刻なダメージを受けたりすると、猛烈な円安で、エネルギー源が買えず、食料が足りなくなり、カリウムなどの肥料も買えず、というようなことを考えてしまう。そうなるとさらに気合を入れて草むしりをするのだろうなあ、というようなことを考えて、いつもはくさぼーぼーだった土手の部分はぺんぺん草も生えていない状態となった。いや、もともとナズナは生えていなかったような。

 

2017年5月14日(日)

 月日の流れが速いなあ。ランの遮光棚の整備。

 

 連休中かみさんの田舎でミカンの木の手入れだの、たけのこ山の整備だのをしていた。だいたい本を読んでぐーたらしていた。物欲も食欲もあまりない。たけのこは世間では高いらしいなあ。1600円のたけのこをみた。安くても600円くらい。最近野菜がなんでも高く感じる。じゃがいも158円とかいうのをみる。昨年の台風の影響がいまだに品薄を招いているそうな。

 ミカンって私の感覚だと10kg1000円というところなのだが、実際は5kg3000円というのをみた。いろいろな農産物が高くなっている。今後も野菜って高どまりだろうなあと思う。なにしろ農業従事者に若い人があまりいない。歳のいった方々に農業をやっていただくと、生産量がじわじわと減って、供給量が減って、値段があがるのではなかろうか。

 田舎にはたけのこ山がある。子供の頃だと、山でたけのこを見かけたら掘りたくて仕方がなかった記憶がある。我が家はたけのこを焼酎漬けなどにして保存するものだから年中たけのこが潤沢にある。たけのこを掘る意欲はあまりなかった。やってみると地面は硬いし、なかなかうまく掘れない。収穫のめんどくさい野菜である。しかも傾斜地をうろうろして採るわけだから手間がバカにならない。お値段が高いのもうなずける。収穫しそこなったたけのこは竹が増えすぎても困るとかでのこぎりで切り倒して回った。高さ5mくらいのたけのこを切り倒すと、ずーんと重いしめった音がして倒れる。汗だくになって切ったが、ものすごい数があった。都会で高値で売れるたけのこだが、おびただしい量が収穫されないままだなあ、なんかすこしもったいないなあと思う。

 みかんの収穫も結構大変だったという記憶がある。自分にしても毎年のたまねぎ、じゃがいも、にんじん、黒大豆は重労働だ。

 おいしい、健康によいものを求める風潮があるいっぽうで、安くて日々の食事としてはいかがなものか、という食生活もひろまっている。ぱっと見貧困だなあ、というめし。でもそれ経済うんぬんというよりも少々知恵があれば野菜たっぷりのめしというのは実現可能じゃないかと思う。貧困問題は知恵の問題ということはないか。知恵というとなんか漠然としているので、学問と置き換えようか。学歴じゃなくて学問ね。「人の差は、学問のあるなしによってできる」と福沢諭吉のおっしゃる学問。世の中にはいい方法がいろいろあるのだから学んで実践しなきゃ損でしょ、というのはある。

 畑で農作業になれないおばさんたちが作業をしていた。水を汲んで遠くのうねに運んでいた。挨拶を交わした際に、隣の用水路の水位が高く、畑の溝が低いのをみて、ホースでサイホンしたら水運びが楽でしょうね、という提案をした。おばさん達はいいアイデアだといってホースを用意したけれど、「このホースを口ですって水を満たすのはちょっとねえ」とおっしゃって停止していた。ホースを用水路に浸して水を満たし一方を指でふさいで畑の溝まで運ぶ、が正解。かみさんも理系なので1秒後にはそう答えていた。

 世間ではスマホめっちゃ触っている人がいるけど、手を動かしていろいろできるのだろうか。3kgのはまちを三枚におろしてあらはお吸い物にするとか。自転車の後輪のチューブを交換するとか。雪の日にチェーンを巻くとか。酸化剤と反応したヨウ化カリウムが放出したヨウ素を、チオ硫酸ナトリウムで滴定して酸化剤の量を定量するとか。ピザ生地を薄力粉、強力粉、イースト、塩、砂糖、からつくるとか。切り身を買ってくる、自転車屋にもってゆく、スタットレスタイヤに交換してもらう、できる人にやってもらう、電話して注文する、という手もあるだろうけど、そういうお金つかうばっかりの思考だとお金がたりなくなって生活が乏しくなるというのが貧困の正体なのだろうか、と思わないではない。

 

2017年4月30日(日)

 植え替えをちょっとやった。近所の杉林にいって杉皮をひろってきて、鉢の底にいれてやった。杉皮は、ナメクジが入りにくそうと思えてつかっている。

 

 さといもの種芋をもらったが、よくわからないので、畑の隅に植えた。

 今年も野菜の苗を買った。きゅうり2つ、ピーマン2つ、かぼちゃ2つ、ミニとまと2種、とまと1種。明日植える。

 

 隣国はなんでああいうあぶないことをやっているのかと不思議に思う人は多いのではないでしょうか。想像なんですけど、「日本にミサイルを売るため」なんじゃないですかね。武器を製造販売している世界的ななんやかんやから、さまざまな技術や資金の提供を受けてあの国はああいうことをやっている、と考えるといろいろ理解できてしまう。人口が減り続けているあの国はああやって食べているんじゃないでしょうか。そうじゃないとあれだけ派手にやれませんよ。米国、ロシア、中国は武器で儲けていますよね。そんで日本も儲けています。「あの国何考えているかわからん、コワイ」と、東京で地下鉄が止まってますますコワイ。あのなにするかわからない大統領がツイッターで「ひどい」とか書いて、空母が北上してくるとまたコワイ。そういうあれやこれやで日本中に高価な迎撃ミサイルが売れに売れるでしょうね。そんでまた日本の借金が数兆円増えると。

 東京が攻撃されたら、きのこ雲の影響を受けるのはこのあたり、という地図をテレビで示していた(マスコミはまた煽りますね。ぐるなんでしょうね)15日の夜、その危ない範囲で仕事をしていた私は、羽田からの帰途、横須賀上空を通ったとき、空母や艦船が港に居るのをみかけました。展開せずに港でのんびりしているようにみえたので、「まあ大丈夫じゃね?」と思ったのです。

 まだミサイル作って売るだけなら、人が死ぬわけでなし、がんばってるなあとおもうんですけど、ほんとに怖いのは国から金だけとって税金払わずに銭を転がして儲けている人たちかなあと思うのですよ。カネだけまわして太ると雇用になりませんからねえ。日本は先進国中最も所得税のとりっぱぐれが多いみたいですよ。消費税なんかめじゃないくらいにとりっぱぐれている。国の借金が増えた以上に預金総額が増えている。そりゃもう政治家がわざとそうしているようにみえる。金持ちから税金をちゃんととる気がないうえ、国民もしょーもない事案に幻惑されてみごとにごまかされている。なんか選択と集中でまちがえちゃうつまんない企業が増えそうでいやじゃないですか。働く人が技を磨いて光る国になって欲しいなあ。

 

2017年4月28日(金)

 Win10パソコンのスクリーンセーバー機能がなんかすごい。こんなきれいな写真とったっけ?というくらい不思議とキレイに表示される。これだけでも16043円もだしてWin10パソコンを買った甲斐があったと思う。ランの写真がとても魅力的にめくるめくように表示されるため、「ああ、やっぱランはええなあ」とかつての趣味がいろいろと復活しつつあるのだった。

 ランもだしっぱなしだけど、そろそろ遮光しないとなあ。

 Den.スペシオサムが開花しているのだが、庭においたまんまだった。もったいない。今年は2バルブからそれぞれ花茎1本ずつだ。

 

 本日は休日出勤の振り替え休日だったのだが、なにやら仕事をしていた。冴えないゴールデンウイークの幕開けである。明日はココロ安らかに植え替えでもしよう。

 

 4月初旬は東京に出張していた。空港やビジネスホテルで私用にネットができるなあといろいろやっていた。なにしろ家はモデムなので遅すぎて何も見ることができない。ユーチューブなるものを見ておきたいと思った。猫の失敗動画を見る。じゃーんぷ、滑った!、落ちた!。まあかわいい動画もあったけど、すごみあう猫のけんかを延々みることになって退屈した。

 以前、浅葉なつ著「サクラの音がきこえる あるピアニストが遺した、パルティータ第二番ニ短調シャコンヌ」メディアワークス文庫(2012)を読んで、図書館から借りたバイオリンのパルティータ第二番ニ短調シャコンヌを聞いた。なんか深刻そうな曲だったが、10回ほど聴いて気に入ってしまった。前述の小説にあった、ピアノのシャコンヌを聴いてみたいと思って数ヶ月、やっと聴くことができた。なかなかたどり着けない楽曲にカンタンにたどり着けるというのはネットの魅力だと思う。

 同じく探していた曲を本のなかから見つけた。三秋縋著「スターティング・オーヴァー」メディアワークス文庫(2013)にはタイトルとおなじ曲を軸にとてもココロ揺さぶられるラブストーリーが展開する名著である。この曲の歌詞が冒頭部分にあって、それをつらつら読んでいると、「あれ、これなんか聴いたことある・・・」と思い至った。35年くらいまえに友達のつくっていたテープにはいっていた曲と判明した。John LennonStarting Overであった。

 また、おなじく35年前に聴いて、以前から聴きたいと思っていた曲の歌詞で検索して捕まえた曲がある。冒頭「いっつあたーぐぼー」と聞こえる曲で、「It’s a tagboat」かなにかで検索したところ、「Tag of War」という曲がひっかかった(なんでやねん)。Paul McCartneyTag Of Warだった。

実は私、レノンさんとマッカートニーさんの声を区別できていない。かなり長いことびーとるずの楽曲を聴いてきたのであるが、聴くだけ聴いて誰が何を歌っているということにはまったく頓着してこなかったのである。このたびやっとそれぞれがどんな声をしているのか聴き比べることができたのだけれど、やっぱりまだどっちがどっちの声と区別できる自信がない。多分写真を見ても、どっちがどれといえない恐れがある。自分がいかに芸能にうといか思い知った。

4時間近くかけて、いろいろ試してみたのだが、ネットは結構疲れる。やりたいことはあらかたやりつくした。毎月3000円かけてネットを家でやる、というのはよそうとおもった。それよりも本を読もう。これに加えて録画したアニメの消化で余分な時間はのこっていない。ネットをなんらかの付き合いとして行っているのだとしたら、例えば「いいね」を押すとか、関係者のブログやツイッターを巡回してコメントだの足跡だのを残さなければならないのだとしたら、お疲れ様としかいいようがない。ラインで「この動画おもしろいよ」と教えてくれるのはありがたいのだろうが、「どうだった」と聞かれるのはしんどかろうに。

 

2chで「読書はなんの役に立つのか。効率が悪い。」というような書き込みを見かけた。どうも中学生がそういう問いかけをしたらしい。読書ってなんの役に立つのだろうか、という問いにとっさには答えが浮かばない。数日考えてしまった。

ショーペンハウアー著 鈴木芳子訳「読書について」光文社(2013)には「読書なんか無駄だ」みたいなことが書いてあったとかで、よく読書を不要と考える人たちが引用している。でもまあ、この本の中でいわれていることは、「本ばっか読んで蓄えた知識を使ってわしの著作を批判しやがって。バカが自分の頭で考えるってことをしろよ」ということがいいたかったのではなかろうかと読めた。

考えて書く、という点において、考えることはもちろん大事な部分、である。でも書く段になって考えをどう表現するか、という場合これまで読んできたものがモノをいうのではないでしょうか。だから書くためには読まなきゃならないと私は考えます。

書かなきゃならないのか?と重ねて問われることでしょう。実は、稼ぎの多い少ないは、書くことと密接に関係しているのです。医者、弁護士、弁理士、研究者、会社員などなどは、扱う文書の質と量によりそこそこよい給料を得ています。ベースに国語、英語、数学があって、これに専門性のトッピングをして、それら情報の処理能力、つまり読み書きする力が高いことが高収入に繋がっています。これらの読み書き+専門性があまり求められない職ほどお給料はすくなくなるようです。書くことは、食ってゆくために大事な能力で、中学生のみなさんにはじっくりそだてていただきたいと考えます。

書くことはときにとても難しく感じる人がいるようです。論文をかけと迫られて帯状疱疹がでた会社員がおられました。論文といわず、報告書はのべつまくなし、四季折々にもとめられます。いや、そういう仕事につけるのはありがたいこですよ。

さて、中学生のみなさんは、「ネットにたくさんの文章が転がっているのだからコピペすりゃいいじゃん」などとおもっているかもしれません。そういうことをした人が大学院にはたくさんいることが明るみに出てみなさん卒業を控えて大変困ったことは記憶に新しいのですね。それに最近ではコピペはソフトでカンタンに検出されてしまいます。

こういう駄文を書き連ねたり、ツイートしたり、ラインでなにかおくったりすることと、求められた文章を書くこととはかなりちがうということを体験する機会はあまりありません。ためしに、「自転車のパンクの直し方」をレポート提出してもらうと、どんなものがでてくるでしょうか。ポイントは、それを読んで実際に道具をそろえてパンクが修理できるかどうか、という点です。お店に依頼すると1000円はかかるパンク修理ですが、20分で100円程度でパンクを直せる作業ではあります。これがあんがいできる人がすくないらしいので、体得することも一苦労のようです。私は、中学生ごろ、自転車屋で修理の様子をみて技術を盗みました。使う道具や対象物の写真などもつかって、勘所なども記述して初めて読み手がパンクの修理ができるようになります。多くの取り説を読み込んでいる人なら書きやすいでしょうし、取り説から実際に対象を扱うこともしやすくなります。読むことに慣れていないと、取り説すら忌避してしまう人すらいますから、できることがかなり違ってきて、そのことが所得に反映するのです。実際おどろくほどいろいろなことが苦もなくできていていろいろと便利になります。家庭で食べるものの質とか、作ったもので安く上げる知恵とか、壊れたものの部品を自分で取り替えたり、高いタイヤをはかなくてもチェーンをまけるといったようなことです。経済は「バカほど高くつく」ようにできています。

そういうことをつらつら考えながら、「読書はなんの役に立つ?」に対する答えは、「世の中のさまざまな仕組みを理解し、働く上で必要な知識を得て、報告を求められれば書くという技能のベースになる。食べてゆく上で、よりよい生活のために必要。安価で質が高い娯楽ともなりえる」というところでしょうか。でもこれ書いていて気づいたんですけどちょっと嘘じゃないかなあ。読書して得た知識からいろいろができるようになったわけではないと己を振り返っておもうのです。読書の効能は、とても微妙で、それまで使い方の悪かった頭脳を、とてもアグレッシブなものにしてくれる場合がある、という体験をしました。

自分は、中学生の頃「赤毛のアン」シリーズくらいしか読んでませんでした。読書を本格的に始めたのは27歳からでした。頭がいい、というある種能力は眠っている能力ではないかとおもうのですが、読書のおかげで劇的な覚醒を中学二年の頃に経験しました。私は中学1年のときの最初の中間試験で数学51点、英語42点でしたので、かなりショックを受けた記憶があります。この点数は平均を大きく下回っていました。自分はできない、いままでもできなかった、これからもできそうもない、と思っていました。「赤毛のアン」は、そのアニメをみてから読んだように思います。「赤毛のアン」は、頑張れば優等生になれる、という、こうありたい自分という成功モデルを脳内に注入してくれました。中二でしたのでいわゆる中二病のように、ブタもおだてりゃ木に登るように、努力して勉強ができるようになったのです。中の下から上の中くらいの躍進でした。そういう己を鼓舞して調子付かしてくれる体験を読書から得る人は多かったと思います。自分はどうやって生きてゆこう、ということをあの年頃で考えて、悩んでいました。頼りない、どうなるかわからない自分に不安や危機感、劣等感がありました。とくに思春期ですから好きな女の子がいたりするわけで、その女の子と自分のことを強く考えてしまうわけで、ことさら自分とはなにか、ということを考えてしまうわけですね。当時は、LINEとか学校裏サイトとか、ある意味人からの雑音をぶっこんでくる無粋なツールはなかったので、ひたすら考えるわけです。そこに、こうしたらどうだ、というビジョンを読書から得たのです。これはものすごい効能だと思うんですけど、誰にでも効くわけじゃないですから、「読書は効率が悪い。無駄だ」と思っている人にはまず効かないんじゃないでしょうか。

 若い頃の読書がなぜいいのか、といえば、この中二病という言葉に代表されるように、何かに熱中できるということがあるからじゃないでしょうか。脳内で調子付く物質が出やすい年頃なんでしょうかね。いわゆるセロトニンが出る、というやつでしょうか。

自分は頭がいいと思ってしまえば学生は勝ちです。私は勝ち方を「赤毛のアン」の読書から学んだのです。これがその後の人生でどれほど大きな恩恵をもたらしたか。ジョンとポールの区別がつかないあほな私ですが、本当に勉強だけは上手でした。ありがたかったというほかありません。

翻って、現代中学生のみなさんにはそういうチャンスはあるのでしょうか。ネットが断片的になるのはコンテンツがこぶりだからです。ネットですごく感動したという人も居るでしょうが、なんとなく感動する部分が違うような気がします。すごい動画を見て、「おおすげー」という気持ちは、人生に悩んでいるような人への指針になるでしょうか。本では電車の中で立って読んでいても泣けることがあります(宇野朴人(さんば挿)「ねじ巻き精霊戦記 天鏡アルデラミンIX」電撃文庫2016、これはうるうるきました)し、思わず噴き出してしまうようなケッサクな記述があります。「赤毛のアン」のようにアニメにしても4クールという強力なコンテンツがスマホを通って中学生に届くでしょうか。そういう強力な存在がないとはいいませんが、とりあえず本を薦めたくなる親や教師の気持ちもわからないではないです。私もできれば本を読んで欲しいなあ、思います。先日人に勧めた筒井康隆著「旅のラゴス」は大変面白かったと感謝されました。ネットより面白いと思う本はたくさんあります。私はとりあえず高価なスマホより安価な本をとります。

読書がものすごい恩恵をもたらしてくれる、という体験もあるわけなんですけど、一面読書というのは中学生にとってデリケートなものでもあると思います。基本、勧められて読めるものではない。こんな私の体験の話を添えて勧められたらまずもって読んでもらえないでしょう。そんな大層な本、身構えちゃいますよね。「これは俺の人生を変えた本だ」などといわれて渡されたら、「おっさんあほか」って思いますよね。脳科学者の茂木さんも「赤毛のアン」を勧めておられましたねえ。少なくともうちのこどもら3人には効果がありませんでした。

まあいい本と出合えるといいですね。

 

2017年4月18日(火)

 村上園芸展示会のお知らせ ダイキ宝塚店4/19-23

 村上園芸さんが展示会をなさる。

 

 デンファレに新芽が出た。今年は大事に行こうなどと思う。

 

 昔から花粉症には縁がなかった。家の横は杉林だが、春のマスクは他人事であった。風邪もあまり引かない。アレルギーもない。だいたい元気に過ごしている。ありがたいことだ。

 子供の頃ギョウチュウがいたことがある。うんこのなかにくねる白い蟲をみてぎゃっとなったので親に申告したところ虫下しを飲まされた。ギョウチュウは夜にケツの穴まででてきて卵を産むという。そのためかギョウチュウがいるとケツの穴がかゆくなる。いやな体験だと思っていたが、最近ではいろいろと効能があったのではないかと思う。

 モイセズ・ベラスケス=マノフ著、赤根洋子訳「寄生虫なき病」文藝春秋(2014)を読んで仰天した。花粉症、アレルギーにかぎらず、喘息、I型糖尿病など、免疫が自身を攻撃して起きるさまざまな疾患は、清潔な現代の生活がもたらしたもので、それまで人類と共存してきたさまざまな寄生虫や菌類の不在によって起きたという数多くの証拠が報告されている(学術論文の引用がすごい)。それらの疾患を総称して自己免疫疾患というそうな。

 どうも過度な清潔は体に悪いらしい。よく土に触れる私は世間の人たちより花粉症などからまぬかれているようにも思う。体には菌の森があって、その森の健全さは、清潔な生活を目指すほど貧相になってゆくという。

 屋外でどろんこになって育つブタと、清潔な室内で育つブタでは、前者の体内の菌は種類が豊富で、ブタも健康であるという。

 つり革が不潔に感じてもてないお姉さんがいたとしてよ、その人のうんこの60%は細菌でできてるんですぜ。大腸菌を手では触れられなくても体の中なら菌まみれでいいのか。自分のうんこのほうがつり革よりきれいなのか。並べてどっちか触れっていわれたらどっち?。300gのうんこなら200gが菌、のこりはたべもののかす。過半数が菌。すげー、まいにち200gも菌をつくってるなんて。

清潔なお姉さんほど菌の森は貧相になる。その菌のゆたかさが健康に寄与している。そういう菌を診断するビジネスがあってもいいのではないだろうか。

 体の人間以外のゲノムの情報量は、人間の100倍なんですって。

 そういう古くからの人の体の住人達は、「あっしらがいるんだからそうそう免疫がいきりたたないようにやわらげてあげましょう」というようなことをして免疫系の調節をしてくれているという。

 そういう調整は、母親の体の中に居る頃から、乳児のころになされるそうで、無菌だった赤ん坊がうまく菌をひきついで体内の菌の森が成立するという。硬い食べ物をおかあさんがかんでやわらかくして与えるという現代ではあまりやられていない行動が、生き物としての人間には大きな意味があった。あんまり清潔すぎる環境で育った子供は、免疫系に必要なスイッチが入らない(菌や寄生虫がそのスイッチを押す)状態で、さまざまな自己免疫疾患を発症するリスクが高いという。

 この本を注意深く読んで、孫ができたときにいろいろ仕込んでやることにしよう、などと危ないことを考えているのだった。俺の菌はすげーぜ。

 清潔好きは女性の病気みたいなもので、そんなんで慢性的に体調が悪くなってもつまらないから、いい菌を仕入れるためにもランをやって、植え替えなどしていろいろいそうな植え替えのコンポストをしっかり触っていただきたいものですな。

 この本「寄生虫なき病」の表紙は、アメリカ鉤虫の電子顕微鏡写真で、この寄生虫は、腕の表皮から体内にもぐりこむのだそうだ。皮膚からもぐりこむんですって。著者が1匹1万円で30匹ウデにはりつけて入っていただいたそうで、いろいろ効果がみられたという。今年もっともココロゆさぶられた本だった。人間はやっぱ生かされているんだよ。

 

2017年3月18日(土)

 村上園芸展示会のお知らせ ダイキ明石店3/22-3/26

 村上園芸さんが展示会をなさるのか。年度末、時間がつくれるかどうか。

 

 パソコンを買って最初の休みであることからいじり倒していた。早速筺体をあけてパーツを見る。HDDが増設できる雰囲気ではない。遊んでいるHDDTBと現状の150GBHDDを交換し、リカバリーディスクからシステムを導入してみることにした。

 HDDの交換は5分ほどで完了し、変な指示に惑わされつつも、Win102時間ほどで導入できた。でもなにやら雰囲気が違う。互換オフィスがいなくなった。また、画面表示にシャープさがないというか、どこかとぼけている。Win10の認証がなされていない。パソコンを売った会社の技術が高いのか、かなりうまいことチェーンされていたように思う。正直、某つぶれかかっている国民的老舗メーカーの10倍高いパソコンより使い勝手がよかった。

話はそれるがその大企業様はあれよあれよというまに調子が悪くなったなあ。原発の世界戦略はいい線いっていたと私はおもっていた。でもなんというかかのたっかいノートパソコンでプレゼンで何度も不具合のため辛酸をなめてきた。それでも大事な技術と雇用が失われるのは惜しいので応援するべきなのか、と思いはしたが、このたび洗濯機を買い換える際に、「モーターは強いかしらんが主婦のことをわかっていない関東の」H社とおなじく、もう白物はつくっていないはずのこの会社は、主婦のかゆいところを知り抜いたP社に敗れてしまった。なんか日本の家電メーカーは寂しくなって昔ほど選択の余地がなくなってきたなあ。洗濯機だけに残念だ。

いろいろいじってこのパソコンも2TBで使えるようにはなったものの、ネットに接続できない不明な不具合があることがわかった。更新のためのパソコンという位置づけなので、折角セットアップしたのであるがこのままではちと困る。まあXP機の後継と考えてこのHDDは保管して、もとのHDDに戻して運用するか、と考えた。

 

自分のためのパソコン購入16000円はなかなかの巨額の買い物だなあ、と思いつつも、家族のためにゲーム機を買った数は数知れずだなあと思う。任天堂のスーファミだの、ゲームキューブだの、ロクヨンだの、SONYのプレステ1,2,3だのをかったような記憶がある。しかし、自分がプレイしたゲームは、スーファミのマリオ関連のものしか思い出せない。

ぶっちゃけ、ゲームより読書、本さがし、仕事、ランの世話、勉強、畑仕事、家事をしたいと思ってしまう。ゲームの多くは、画像が美しくない(パソコンゲームのMYST、リブン、エグザエルのシリーズは最後までプレイした。エボリューションはかって30分プレイしておいてある)。他のゲームは、ゆびがつりそう(トゥームレイダーでは練習ステージで挫折)、むずかしそう、めんどくさそう、じかんがかかりそう、ぶっちゃけ魅力がわかっていない、などで縁がなかった。世間の多くの人たちがしっかりはまっているものなのでなんか人生損をしたかなあ、と思わないではない。いまさら始めるのもだるい。

最近はバーチャルリアリティ体験ができるゲームが出ているそうで、パリの上空を鷹になって飛ぶというものがあるそうだ。そういうのが安くなったら手を出してみようかと思う。

パチンコとか、スマホとか、ゲームとか、世の中いろいろはまるものがあるみたいだけど、まあそれにかぎらずさまざまに奥深いものがあり、何かにはまって忙しくしてればいいか、と思わないでもない。私は、本はみんなが読んでいるものは避けてしまう。評判を聞いていると、そんなにいいかなあ、と思ってしまう。だからたくさんの人がはまるものは避ける。

かみさんの好きなCDドラマ「王子様(笑)」だったかを聞くとちゃらい光源氏がでてきて、とても楽しいのだけれど、その公証が結構深い。かみさんに紫の上が光源氏の家に来た経緯を質問したら、めっさ語られてしまった。ちょっとはかじったつもりだったけど、かみさんの口からはでるわでるわ固有名詞の嵐だった。源氏物語すげー。私もなにかにはまるにしてもこれほど語れるものをもっているだろうか。自分がとってもそこの浅い人間に感じる今日この頃だ。

 

2017年3月16日(木)

 ええ?この間の日誌が1月?。月日の流れが速すぎるように感じる。

 このサイトを記述しているパソコンがいまだにWinXPであったためセキュリティの観点からネットの接続をやめていた。プライベートのネット接続をやっていないのでいろいろ不便である。じつのところ家でネットなんか無くてもよいということもできる。でもまあこのサイトを更新しなくなってなんとなく不景気な気分で1年を過ごしていた。

 さすがにいつまでもネットなしというのもちょっとどうかとおもったので、このほどパソコンを1式買った。2011年以来、自分の買い物としては6年ぶりくらいに11万円を超えた買い物だった。いや、自分の金の使い方もどうかと思う。いろいろひどいなあ。

 パソコンは2010年の富士通製だった。アマゾンで14900円だったか。なんかパソコンの値段じゃないような。2011年に買った自転車が12000円だったなあ。22インチの液晶とセットだ。リカバリーディスクもついて、オフィスものどきもついて、ものすごく安く感じる。なんつーか、画像のスライドショーをやってみると素晴らしくキレイに感じる。2010年製のパソコンにWin10Proって動くのだろうか、とおもったのだが、かなりさくさく動く。互換オフィスというものがはいっていて、私が組んだマクロもしっかり処理されていた。互換オフィスすげえなあ。でもまあ、生産性はオフィス2002のほうが2013より高く感じるので相変わらずXPパソコンは手放せない。

 買ったパソコンは、そういうわけでネット接続が目的だった。本日、モデム(バザーで100円で買ったもの)をUSBに突っ込んだらあっさり認識してくれたので、そのままダイヤルアップの設定をする。

 WiFiの時代にダイヤルアップ・・・。Win10もよく対応してくれるなあ、こんなオールドユーザーに。

 うーん、つながらないねえ。ああ、うちパルスだった。トーンじゃなくて。まいど引っかかる設定だ。世間の人はこんな設定なんかしらないだろうけどね。息子の下宿じゃLANケーブルさすだけで繋がるんだから楽なもんだよね。

 接続したあともブラウザにはしばらく何も表示されなかった。10分ぐらいして検索結果が10個ばかりでてきたので、動作はしているらしい。すごいね、職場のパソコンだと0.1秒くらいで表示されるものが10分だって。しかもリンクをクリックしてもどれもつながらないという。

 猛烈におそいけど、接続は確認したので、サイトへファイルをアップロードするためにFTPソフトを試す。Win10って結構大昔のソフトが平気で動作するのに驚く。5分くらいかけてこの日誌のファイルだけアップロードできた。更新って10ヶ月ぶりくらいじゃないだろうか。

 このサイトの更新のために14900円+送料・代引き手数料しめて16043円も使ったというのは少々悲しいので、せめてヤフオクぐらいはできるようになりたいが現状この応答速度を見るに無理そうだなあ。なんか納得がいったような。

 あとは、Win10を研究しようと、早速図書館からWin10に関する本を借りてきた。いや、ほんとけちだなあ。けちはつまんないよねえ。ケチに縛られて趣味が読書なんてことになると本をよむか散歩をするかくらいしか趣味が無くなるような。こういうのを「自分をデフレ化する」っていうのだろう。パソコンを買って(ど中古、きれいだけど)景気浮揚策である。まあ蘭の趣味を再起動したいものである。

 

2017年1月5日(木)

 新年がめでたいという感覚はもはやない。クリスマスなんかサバと味噌汁だったしなあ。当分トリくってないなあ。酉29、っていう年なのに。

 ランはまだ咲き続けている。すげー。よくやる。つぼみもでている。まあなごむねえランは。

 

 年賀状をながめつつ思う。かみさんと別れた人。だんなに死に別れた人。本人がガンになってしまった人。本人が亡くなってしまった人。なんか頑張って大事に生きようと思う。

 

 読書に制限をかけることにした。原著論文1報読んだら本を1冊読んでよし、というきまりごとを大晦日に誓った。こういう決まりを作ると、われながら結構守る。おかげで読書より勉強が先行する。

昨年は451冊を読んだ。23941円かかっている(定価ベースでは284754円)。スマホ代3か月分という巨費を投じてラノベばかり読んでいた。こんなに読む時間があるならもっと勉強しろよ、と自分につっこんだ結果、まず勉強してから読書枠を獲得するという発想が出てきたのである。われながらうまい手だなあと思う。勉強をラノベ読書の邪魔とおもうか、ラノベ読書を楽しむための手続きとみるかで生活が変わる。

元日からせっせと論文を読んで勉強をしていた。いろいろいいことが書いてある。いろいろ試してみたいことを思いつく。さまざまな滋味があっていい味出している。論文って面白い。

「勉強が楽しいヤツなんておらへん」と人はいう。「うそつけ」と思う。結構おるぞ。オタクなんかそういう人種じゃないか。知りたいから知識を貪欲に得ようとする行為は勉強ではないのか?その知識が食べてゆくための力になるのなら幸せなことだ。だから楽しいうえに役に立つ勉強はある。そういうのをかっこつけずにやれば楽しく生きることができる。だからそういう勉強をことしはいっぱいやろう。

原著論文は昨今PDFであることが多い。これまで読んだ3600報は2gUSBメモリに収まるし、キーワードを覚えていれば簡単に読んだものを呼び出せるように読んだ文献記録を作成して、論文のPDFファイルにリンクを張っている。

ラノベは、在庫1500冊と読んだ本1000冊で質量が数百kgになっている。時々本の山が崩れて往生する。まあラノベはUSBメモリに入れたいとは思わないが。

 

 

 

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