蘭馬鹿日誌2015年および更新記録

ランのよしなしごとをつづる。下に行くほど昔 

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2014年12月31日(水)

 カトレア・トリアネがほぼ開花。部屋の気温が5℃のだったので、しけないか危ぶまれたが、なんとか半開というところであった。

 天気がよいので庭に出して水をかけておいた。

 

 午後になると曇った。運動不足解消のために散歩に出た。田んぼの側の道に小さなへびがいた。なんで大晦日に蛇がにょろーんと地面を這っているのか不思議だった。体長20cmくらいの黒っぽい、首に赤い斑点がある子供の蛇である。昨日のオオサンショウウオといい、なんなのであろうか。

 夜にテレビタックルの録画をみていて、琵琶湖近辺の地震を予知している人の話が出ていた。

 1週間くらい前に滋賀で震度4くらいの地震があったようだ。P波到着時にどうっというざわめきがたって、かすかにゆれを感じたあとS波到着でぐわらと揺れた。その間4秒ほどだったろうか。

 秀吉のころ、桃山城に秀吉がいた際、大地震で城が崩れたことを異なる時代小説で3回読んだ記憶がある。幕末の頃にも京都で地震があった。京都の地震は160年周期でおきるようなことを聞いた。

 これらのことを思うに、地殻のひずみエネルギーもたっぷりたまっているだろうから近々大きめのがくるのだろうか。震度5ほどを想定して、家の中に危険なところがないか点検をしよう。ケータイやスマホをもっていないので緊急地震速報が入らないのよねえ。でも震源からの距離を考えたらほとんど余裕がなさそうだ。速報よりP波を感知するほうが多分早いだろう。

 

2014年12月30日(火)

 カトレア・トリアネのつぼみがほころび始めた。寒いリビングであるが、咲いていただきたい。

 

 近所を散歩していたら、川の石垣の隙間に頭を突っ込んでいるオオサンショウウオを見つけた。冷たく透き通った河の水の中で動いている。こんな真冬になにをやっているのあなた?とおもった。バックで出てきて体半分穴から出てきたかと思ったら奥へ入って見えなくなった。思うに穴の内部はオオサンショウウオですし詰めなんじゃないだろうか。すごいなあ、野生動物は。

 

2014年12月23日(火)

 そこそこ日差しがあったが 蘭は展開せず。

 

 ええかげんチューリップの球根を植えねば、と作業を始めた。購入球根15300円、ラベルつき名前つきの球根3袋各20012球を植えた。リサイクル球根をせっせと植え193球を植えたところで球根がなくなり、土地が1平米あまった。これまで282球のリサイクル球根を植えていたので、リサイクル球根は475球植えた。

 余った土地に植える球根を買って来た。一袋230円から260円と安くなっていたが、8袋も買うと2075円と結構なお値段だった。これら8842球を植えて、なお12球ほどの面積があまった。足りない分はまた補充するとして、庭に必要な球根の総数は、購入球根69+空き12+リサイクル球根475556個であることがわかった。今年の自給率は85%となった。もっとちゃっちゃと球根をほりあげて(腰を痛めてダウン)、迅速に処置していれば多数の球根が腐ったりすることもなかったろうにと思うと残念な結果であった。

 

 片田珠美著「やめたくてもやめられない」を読んだ。薬物依存について書かれている。さまざまな薬物依存についてその恐ろしさがよみとれる。好奇心、人が勧めてくれた、などでやってはいけない薬をやっちゃうひとが多い。国会議員とか、大臣の息子とか、薬でえらいめにあった人の例があった。医者が処方する薬にもさまざまな依存症を示す人がいる。ずっとその薬がないと、という状態は好ましくないねえ。私は、ある頭痛薬を飲むと、頭痛が治るだけでなく、気分爽快能率アップ、という状態になることを見出していた。それで、気の張るプレゼンがあった際に、ここ一番だからその薬をのめばうまくやれるようなきがする、と思った。しかし、同時に「それこそが薬物に依存していることに違いない」ということに気がついた。気弱になると助けて欲しい、助けになるものを手にしたい、と思うのは人情だけど、天然自然のものでないどんな未知の副作用があるかわからんようなくすりに手を出し、それにたよったら、たよりつづけたら、どないなるんじゃー、と思ったのである。これが、「俺は、ほうれん草を食えば元気が出るのだ」だったらいいよ?、でもそれが「パラベンゾアミノアセトフェン」とかなんとかわけのわからんもんだったら警戒する。じゃあ天然物だったらいいのか、というとやっぱ使ったらいけない薬物がいっぱいあるのでこれもだめだ。せいぜいかあちゃんに食わせてもらったくいものの範囲にしておけと思う。

 まあ頭痛薬ですら、「ちょっとくらいいいか」とおもわないあたり、私は薬物依存には程遠いところにいるようである。けちな私には値の張る薬は無理だ。米国では、「やる気が出て元気になり気分がよくなる」薬が盛んに処方されていたそうである。薬でやる気ださんでもなあ、どろーんとして、惨めな気分を味わうのも人生かなあ、とそういう沼に浸るような気分もしょうがないかなあ、と思って生きていますけどねえ。人によっては必要なのだろう。私の場合、ライトノベルを読んで馬鹿笑いして、脳内に自前の「おバカ物質」を出してどろーんな気分をやわらげているのであった。それに、手足をよくうごかすことって大事じゃないかとおもう。

 

2014年12月21日(日)

 そこそこ日差しがあったのでランを庭に出してみずをぶっかけておいた。カトレアのつぼみがいくつかある。

 

 かみさんがプリンセス・トヨトミの録画を見るか?と聞くので、まず原作を読むのでとりあえず見ないから消してよいといっておいた。でも、「プリンセス・トヨトミ」というタイトルに違和感を覚える。司馬遼太郎の作品などを読んでいると、たとえ豊臣家の子孫であっても凡庸な奴には関心を持ち得ない。プリンス・オダであったとしても、スケーターをなさっているのであればスケーターだ。日本は能力社会が実のところ原則だ。だから会社を家族で支配していたとしても、経営者はそれなりに納得の行く人物であることを社会が期待しているし、会社が続いていればそれなりに実績もあるのであろう。100億円バクチでどぶに捨てた経営者も学歴は結構なものだった。ところが、隣国では「はぁ?なにこいつ」というような人物がえらそうにしているそうである。お客様をないがしろにして自社の社員を恣意的にとがめ、飛行機を出発地点に取って返させた経営者が糾弾されている。(社員教育は会社に帰ってからやれ、と飛行機の乗客はおもったことだろう)。財閥だからおごり高ぶっているのだそうだ。財閥だなんてまあ懐かしい言葉である。小学校の頃、「GHQにより財閥は解体された」と習ったような記憶がある。そういう財閥の弊害で、百貨店がぺっちゃんこになったり、橋がおちたり、ということがかの国では起きると説明され納得した。

 今日隣国とは妙に仲が悪いようだ。生きていれば90になろうかというじいさまの下半身事情を糾弾して今後どんな得があるのか。いまの大統領のお父上は、日本に大変世話になり、日本の軍隊で教育を受けて、大統領時代は日本から多額の資金を引き出してかの国の中国との戦争後の復興をなしたそうである。その金は、本来なら国民にまわるべきものが、財閥にまわり、その財閥が太って今日のありようとなった。だからそういう経緯を知られ、財閥解体となることを恐れる現状から、国民の不満を日本に向けようとしているのではないかとうかがえる。日本のおかげで太ったくせに、日本に砂をかけるようなまねをしているわけだ。だからかの国の国民は、これを契機に、自国からパチンコを一掃したように、財閥を解体し、能力よりも門地により給与に大きな格差の生まれるばかげた社会をただされてはいかがかと言いたい。

 

 200回も成功している実験だったら結果が出るのは早いだろうと思っていた。私も実験は繰り返すけど、200回も繰り返したものはない。だからすごいちゃっちゃとできる実験なのだろうとおもっていた。何回もうまくいっている作業というのは、仕込みにそれほど時間や手間がかかるものではない。じーっとみていたからうまく出来ないということもない。そこでみていてください、ちゃっちゃとやって見せましょう、というくらいのものだ。だから出来たという知らせがないところをみると、こりゃないんだろうなあ、とはおもっていた。それゆえ、あの話への関心は低い。

 以下小説のプロット:日本の大学で学位をとった研究者が、米国の有名大学に教授の推薦で入学して、そこでCIAの接触を受けた、「あんた博士論文序文20pも我が国の研究機関の紹介文コピペして書いたやろ、そんであんたの最近の論文あれあやしいなあ、教授にばらされたくなかったら言うことを聞け」といわれ、そのあやしい研究を売りに日本の世界的研究機関に入り込む。怪しい研究にあれやこれや手管をくわえてすごい成果に仕立てて、華々しい記者会見のあと、いろいろな暴露がでる。ものすごくいい仕事をしていたその研究所は大迷惑、とうとう世界の宝とまでいえるような有名研究者が自殺(英語みてあげただけなのに・・・)。さまざまな研究開発がおくれて、自国の競争力低下に悩んでいた米国はうっしっしー。問題の研究者は退職後行方不明に。数年後、フロリダで悠々自適の生活。そこへあの眉毛の太い東洋人が現れて・・・(いや、こないなこと書いている僕が消されてたりして・・・)。

 

2014年12月20日(土)

 気温は低いし、雨が降るので蘭をどうこうできない。せっかく咲いてくれているバンダがこのところの低温で花が終わりそうになっている。せっかく出ているカトレアのつぼみもなんとなくしけそうな雰囲気がある。寒さでこっちの気分もすこしどよーんとしている。

 

 ランの花は途切れずに咲き続けて4864日目である。もうすぐ5000日か。201555日だそうである。ちょっと戦力ダウンしているので果たしてこの冬を越せるのだろうか。

 

 まもなく2014年が終わろうとしている。始まった頃はいろいろと燃えていたのだが、なんというか「尾羽打ち枯らして」的な敗戦ムードでこの年末を過ごす。戦って負けたのだ。まあそういうことはあるよ。気がつくともうジジイという年齢だ。ばーさんは本格的にぼけるし、仕事では失地を重ね、かつての戦友は他界し、いろいろ気分的にはさんざんだったが、おおむね幸せに暮らしていると思う。

 予定通り、読書は500冊に到達した。ライトノベルばっかり読んでいた一年だった。いくらおもしろいからといってこんなに読んだらいかんと反省している。めずらしく推理小説、似鳥鶏著「理由あって冬に出る」(創元推理文庫2007)を読んでみたら、なんというか活字のつまり具合がとあるライトノベルの倍に見えた。読む時間も倍くらいかかっていた。たいそう面白かったのでおすすめです。

 上司が親切にも塩野七生著「ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍」(新潮文庫2008)を貸してくださった。思えばこれまで100冊近く借りておいて、オススメできる本がないというのが情けない。いくら面白かったからといって風見周著(イラスト:なつめえり)「らぶちゅー! −ボクが女教師!?−」(電撃文庫2010)をオススメするわけにはいかないだろう(この作家好きなんだけど・・・)。そのお借りした本のなかで「キリスト教世界に向けられたイスラム教徒の海賊の来襲の最初は、紀元652年だとされている」とあった。大化の改新のちょっとあとくらいでしょうかね。シチリア島に攻め込んで800人を拉致してドレイ市場でうっぱらったんだそうです。んま!、そんな大昔から「古式ゆかしい伝統行事」みたいにおっかないことをなさっていたのですかねえ。ついこのあいだも学生130人をあやめたり、嫁になることを拒否した女性150人を殺害したりとすごいことをしている。いや、かの宗教はそんなにひどい教義ではないとおもうのだけれど、なんか無茶したい悪い奴がいるんですかねえ。殺生はいけませんよ。

 最近けしからんと思うのは、人があやめられる動画を繰り返しテレビでやっているという異常さである。なんかこう世の中が暴力にまみれになってゆくように思えてしまう。コワイですねぇ。真似する馬鹿がでてくるからやめていただきたいと思う。警官がパトカーのドアを開けた2秒後に子供に向かって発砲って何事。職務質問なのに首を絞めて殺害ってそりゃあんまりでしょ。日本の警察をみならっていただきたい。(日本でも、暴れたので取り押さえたらぐったりして死亡した、という事件が2件ほど記憶にある。)あれって、医療費が高いから下手に捕まえて怪我されるよりやっちゃったほうが安く上がるとかおもっているんじゃないだろうか。ひでえなあ。

おっかない世の中になってきているなあ、という見方もできるけど、大昔から人類はげろげろな闘争を繰り返し、おっかないのが本来の人間のありようで、日本のようにそういう事件に震え上がるほど安寧な社会に生きていることが幸せなことなのかもしれないなあ、と思う。そういう安寧な社会を希求してきたのだから下手に刺激を求めてああいう動画をみなくてもええんじゃないか。

まあいろいろあったけど一年間やってこれてありがとうという気分だ。

 

2014年12月13日(土)

 気温は低いが日差しがよいので庭にランを展開して水遣り。

 9月に庭に植えたサラダ菜の種から株が数多く育ったが、まだ小さい。チューリップを植えたいので、株をとって、畑に植え替えた。かなりの数があった。霜にも強いようである。このまま越冬できるのだろうか。

 翌日チューリップを西の花壇に152個植えた(ここまで282球)。やっと西花壇がおわってまだ3分の2ほど作業が残っている。

 

2014年11月30日(日)

 天気がよいので庭にランを展開して水遣り。よく知らないカトレアのつぼみを見つけた。トリアネだろうか。

 

 ちび球根を畑に植える作業をやっていた。腰に来る。ちび球根をよく吟味すると咲くように思われる球根が多く出てきた。庭に植えたら80球あった。先週の50球とあわせると、畑で太らせた球根は130球以上(推定300くらい?)でなかなかの収穫だったのではないだろうか。まあなんにせよ、今年も球根を植えられる幸せと思って運動不足には重労働な作業を続けた。休んでは作業をして午後やっと15時ごろ完了した。腰が痛い作業だった。週明けにまた筋肉痛で苦しむのだろうか。でもまあ筋肉痛になるほど体を動かしていないのは問題だとおもった。

今年は、掘った球根の扱いが悪くて小球が軒並み腐ってしまうということがあった。多分腰痛のため作業が遅れたり不手際だったりしたためだろう。昨年20mの畝が埋まった畑に小球が足りなかった。4m分ほど不足した。来年は、作業するつど球根の掃除(余分な土や皮をとるなど)後、風通しのよい保存までをしっかりやろう。

 円安で、輸入物の球根が高価になり、市価が高いのだが、それゆえに売れ残って暴落することを予想している。そういう球根が多く出て処分されそうだったら買ってきて植えてあげようなどと考えている。それでも土地が余ったらジャガイモでも植えよう。

 

2014年11月29日(土)

 ボーっとしているあいだにバンダが3輪、カトレアが2輪咲いてくれている。バルボのエリザベスアンやら、デンファレも3株ほど咲いてくれた。

 

 先週畑のチューリップを掘り起こした。6月に腰を痛めて中断していた作業を再開し、開花しそうな球根50球を見つけ、根がでていたので速攻庭に植えた。小さい球根も、畑で例年チューリップ仕様に作った畝に植えた。かなりの重労働だったらしく、週明けは2日間筋肉痛に苦しみつつ仕事をしていた。この週末は掘り起こしたちび球根を畑に植える。雨が上がったので畑を耕す。なんというか土が軟らかくてよくほぐれてくれる。耕すのは雨の後がいいのだろうか。20mほど畝を耕して球根を植える作業は明日だ。この時期の球根は根を出そうと肉が盛り上がってきているし、いくつかは芽がでている。活きのよさそうなものはその活動をみればよくわかる。毎年の仕事なので、あまり手をかけない。手をかけなかった昨年のほうが大変キレイに咲いてくれたように思う。

 植えたたまねぎは昨年よりは調子がよさそうに見える。およそ400本の苗が元気そうだ。マルチが効いたのだろうか。いまのところそのマルチも強風に飛ばされるようなこともなさそうに見える。

 

 選挙だそうな。まあ行くけど。アベノミクスで活気ありそうに見えたけどGDPがマイナスだったとかで焦った政権が選挙をおっぱじめた、というふうにみられている。いや、そう見せて実は・・・ということがありそうだけどよくわからない。

 今月朝日新聞に「働く男性のへそくり平均35万円」とでていて、やっと人並みに近づいたことを知った。女性は100万円を超えているそうだ。まあ、男より我慢してしっかりためたのだから見習うべきだろう。おいしいものを食べたり家族に振舞ったりして多めに使うようにしていたのだが、へそくりは増え続けた。ちょっとずつへそくりが増えた理由は、お金を使わなくても十分に健康によくておいしいものを食べたり、欲しいものを買ったり、楽しいものを見たりできるからじゃないの、と思うのである。使うお金の額が減っても、なんというか生活や娯楽の質は向上していると感じている。ニッポンはいいなあ、ニッポンありがとう、と日本の皆様に感謝してしまうほど、日々使用する食料、製品やサービスはいいと思う。これだけ享受して、今度はこっちががんばってお返ししないと申し訳ないと思えるほどだ。日本人の生活の知恵と技術と経済観念がけっこういい線いっている、ということじゃないのか。そういう深い経済の充実はGDPには現れないのではないだろうか。売れもしない住宅をつくってみたり、スマホを安く多量に作ってみたり、でかいテレビやら、むやみと高い製品を作って売ろうったってなんか無理がある。

 このところ自分のために1点1万円以上の買い物をしたかエクセルの小遣い帳を調べてみた。2011年9月1日に15650円の自転車を買っている。うわ、ここまでさかのぼるか。この自転車で日本橋まで往復100kmのサイクリングを息子とやった。あれはかなりいい思い出になった。1万円を下回るとっても深い高機能の商品がたくさんあるので高いものを買わなくなった、というのはある。高い金だして買いたくなるほどの魅力ある商品を出せていないと見ることも出来る。

いま欲しいものがあるかというと、実のところない。読みたい本はいっぱいあるが、手持ちの読みたい本をよんでいれば、そのうちいずれ足を使って安く手に入れることができるだろう。こういうのを経済学では「時間割引」とかいうんじゃなかっただろうか。経済学は、「○○ほど高くつく」という原則がある。「今欲しい、すぐ欲しい」という人は、定価で買うだろうし、辛抱のいい人は図書館にリクエストを出してしばらくして読む。私は、すぐ買ってはずしたときのリスクは大きいと思う。だから、安くたくさん買っておいたり、図書館でいろいろ借り出して経済的リスクを減らし、多量に読む。

米国でクリスマス時期に多量の消費を行う、という意味がわからない。たぶんに「お盆の帰省ラッシュ」みたいなものなのだろう。多くの人々が義理人情のからんだ難行苦行の移動で苦しむお盆にこそ、動かずのんびりと読書、が有効だと思うのに、自分にあうかどうかもわからない新製品が投入されるクリスマスに高い値段でそれを買うってどうよ。評判も値段もこなれた時期にじっくり選んで買えばとおもう。まあじじいの考えそうなことだ。

 

2014年11月11日(火)

 カトレアの大きなつぼみが開花した。タイワンキングだったろうか。毎年律儀に咲いてくれる。

 デンファレがいろいろ咲き始めたので、来年の春までは花が途切れずに咲いてくれそうだ。

 

 今年咲いた庭のチューリップ画像をみていたらむらむらとチューリップをやりたくなってきた。チューリップブームといってもいいかもしれない。土日チューリップの植え付け作業をする。昨年の暮れにチューリップを植えた際はえらく手早く楽をして植えつけていたような記憶がある。読書にいれあげていたため、簡単にちゃっちゃとやっつけ仕事のように植えていた。ところが春に見事な開花をしたようで、画像を見るとなにやらすごかった。

 ぎっくり腰だったのか6月に放置した畑の球根ほりの作業が全体の3分の1ほど残っている。つまり、畑で育てた開花予定球根がたくさん残っているということである。これを土日に掘り出して庭に植えようということをもくろんでいる。円安の影響で今年はチューリップの球根が高い。例年1球20円で調達するものが、今年は40円以上している。そういうわけで、畑にお宝が埋まっているように思えるのである。

 今年も90%はリサイクル球根でまかなえる予定だ。今年咲いたチューリップも90%リサイクルだった。これは都市の家庭ではなかなか望めない数字じゃないだろうか。

 

2014年11月9日(日)

 カトレアの大きなつぼみが2株あるが、まだ開花しない。

 

 昨年は苗の購入に失敗して玉葱栽培に失敗している。昨年は、適切な時期に苗を購入して植えていればよかったものが、1116日見切り品しか手に入らず200800円を投入して購入したそれらは厳しい寒さにみんなやられてしまった。昨年作った苗300本は、小さくてこれも育たなかった。近所では穴の開いたマルチを畝にかぶせて栽培を行っている例をよく見る。やったことはなかったが、マルチをかけて栽培を行ってみることを検討した。

 昨年の苗づくりもうまくゆかなかった。植える時期になって苗がとても小さかった。今年は苗作りからして幾分前倒しに開始し、マルチを利用して苗を作った。

 畝はよく耕して、先週のうちに化学肥料をしこんでおいた。

 昨日マルチかけをやってみた。このあたりは冬場強風が吹くのでマルチが飛んでしまうことがたたある。念入りにマルチの端を土の中に埋め込んでおいた。また、マルチの上に重石として一部土をかけておいた。

 ところで、マルチは何のためにするのか、ということを理解していない。ここでこういうことを書いていて思うのは、自分はこれまできちんと農業を学んでこなかったなあ、ということである。それで毎度いろいろ痛い目にあってきたことを思うと、自分って馬鹿なんじゃないだろうか。マルチは、たぶんやっておけば太陽熱を逃がさず、夜間土の中が幾分温かいのではないだろうか。それゆえ、霜などが防げるのではないか。そういうものに土をかけたら、保温性が幾分低下してしまうかもしれない。マルチには、水分を適度に保つ効果とか、雑草が生えにくい効果とかあるのだろう。だんだん気になってきたので勉強してみよう。

 雨の中マルチの敷設は二日がかりで完了した。すでに腰が痛くなってきた。

 庭でつくっていた玉葱の苗を収穫しておく。簡単に掘り出せた。200本くらいあるだろうか。元手は種代108円と3m分のマルチである。安いが、労力がけっこう必要だった。買った方がはやいかも、などとおもう。けちが趣味なんだからそこはケチに徹するべきだなあ、とも思う。

 かみさんに購入を頼んでおいた苗、50300円6束、合計300本が届いた。雨の中植え付けにかかる。日没まで1時間半しかない。雨にぬれながら作業した。

 本日の朝に、玉葱を植えつける内容のテレビ番組があったそうで、通りがかりのばあさんが、「2cmの穴をあけて苗をいれ、土をかけて押しておく、と朝テレビでやっていた」と2回にわたりやってきて話し込んでいった。気分よくジャズなどを聞きながら作業していたのを話しかけてくるもんだから、イヤホンが泥まみれになってしまい具合が悪い。それに、最後に「と、テレビでやってたよ」というもんだから「プロの意見じゃないんかーい」と突っ込みそうになった。あれで20分はロスしたかも。

 畝のマルチの穴は、3列がいいところで、畝の斜面にそれぞれ1つずつ植えられそうなところがある。その5つないし6つの穴が98列ある。真ん中のいいところに買って来た苗を植える。畝のヘリの斜めの穴に我が家で育てた元気そうではあるが、いくぶん小さい苗を植えていった。ざっと500個の穴に全部苗をねじこんだ時には手元が見えにくいほど暗くなっていた。暗い中、我が家の苗が幾分あまったようではある。もったいないからどこかにねじ込んでやりたいのだが、もう真っ暗で見えない。それにしても腰が痛い。

 玉葱は今年178円まで高騰した(近所スーパーの値段)。秋から北海道産が出回って58円まで安くなってきた。例年になく高かったといえる。だから、1個できれば家計に50円ちかい節約効果が生じる。300個利用するとして、15000円の家計応援になるわけだ。これをほうっておくことはケチ道に反する。

 まあ立派な畑を借りているのだからちゃんと生産しないと罰が当たる、という気分もある。植え終わった際の達成感もなかなかのものだった。果たして、かつての母の技量を超えることができるだろうか。 

 あの通りすがりのばあさんは「2月と3月に追肥をするように、とテレビでいっていたよ」ともいっていた。家に帰るとかみさんが、「玉葱の植え方をテレビでやっていたので録画しておいた」という。「Too late!」とはいったものの、「あとで見ますので残して置いてください」といっておいた。

 

 はつか大根をすべて収穫し終えた。大根部分だけでボール4杯取れた。ものすごい量だった。あれがダイソーの2108円の種の1袋分、200粒に満たない種から出来たというのがすごい。朝昼晩、弁当などでもはつか大根の煮物がしょっちゅう出てきた。

 

 次はチューリップの植え付けが控えている。円安の影響でチューリップの球根は高い。昨年9割リサイクル球根で植えつけた今年の庭のチューリップ写真は圧巻だった。チューリップというのはものすごくいいとおもった。是非気合を入れて今年も植えつけよう。

 世間では、チューリップはリサイクルできないものと思われている。チューリップは高温に弱く、地上部が十分に養分を作り出す前にかれてしまうことが次年度の球根を作れない原因である。一般に5月の都市の気温が高いことから、十分な大きさの球根が出来ないようだ。それゆえ、日本では5月に気温が低く十分な日照もある富山や新潟での栽培が盛んである。当地は標高200mなので5月は都市よりも気温が低く、その分チューリップの球根が太る。我が家も似たような状況にあるようで、ちいさい球根を畑にもっていって太らせて庭で咲いてもらっている。

 ところが今年6月、その球根の収穫作業中腰に痛みが走り2週間の療養を余儀なくされた。結果3分の1のリサイクル球根を回収できていない。果たして来年の自給率はどうなる。けちけち園芸のピンチだ。

 

2014年11月3日(月)

 3連休天気が悪く、3日目にしてやっと日差しが得られたので庭にランを展開して水遣りをした。カトレア・ラビアタの写真を撮る。カトレアのつぼみを2株ほどみつけた。バンダのつぼみがある。バルボのエリザベス・アンに花芽がでてきた。

 

 本日は本来ならたまねぎの苗をうえるべく作業をする一日だったのだろう。なにやら肌寒かった。自作の苗は小さかった。今年は気合を入れてたまねぎ用にマルチをかけないとだめだろうか。遅れていたうねを整えて肥料をやる作業をしていた。

 はつか大根は、3週間かなりな量の収穫があった。

 

 仕事の不手際等でごっついストレスをくらって連休中反省などしていた。10月読書をしすぎて、月間読書量の新記録64冊(14089p、定価30596円、調達コスト1982円)などやってしまったものだからちょっと仕事に気合が足りなかったということを反省した。おかげで111日は1冊も読めなかった。しかしストレスへの対抗手段は読書とばかりに読みつづけ、おりしも古本屋が半額セールなどするものだからラノベや新書など59冊も買ってしまった。ちょっと読みすぎなので11冊に制限して仕事に集中しよう。

 

2014年10月30日(木)C.ラビアタ開花

 カトレア・ラビアタが開花してくれた。東京出張から帰ってきたら咲いていた。1輪なので花が大きめに感じられる。

 

 東京というところは世界一うまく運営されている都市だと思う。展望の素晴らしいゆりかもめにのって写真など撮っていた。その画像を見ても、すごいビルの数だなあと思う。ものすごい人口がいて、食事が安くてうまいと国際的に評判である。ミシュランの星の数はパリを抜いて世界一だそうだ。地方に住んでいると東京というのは「ありゃもう日本じゃねえ」と思うくらい別格の変な土地だ。仕事の終わった夜に歩いたりしていたのであるが、実のところ行きたいところがなかった。まあくたびれたおじさんには用のない都市である。行きつけの好きな場所というものがない。それにしても山手線で7人がけのいすに座った際、7人中5人がスマホを一心不乱にいじっていたのには引いた。関西とは気合がぜんぜん違う。車両を見渡してみてもそののめりこみぶりはすごい。一体スマホのなにがいいのだろうか。

外国人も東京に来ると、ブログに「Kyotoに行った」などと書くそうで、意外と東京の知名度は低いそうだ。先月行った広島はもっと外国人の密度が高かった。そりゃもう驚くくらい。原爆ドームの南に店構えが美しいカフェがあった。オレンジが山盛りに飾られていて、白い壁や開放的なテラスには外国人がいっぱい。海外の観光地に来たのかと錯覚したほどきらきらしていた。それに市電にのると、立っているおじいさんに白人のお姉さんが完璧な日本語で「席が空いているからすわってはどうですか」といっているのを見た。この人広島が好きで住んでいるようにみえた。広島の国際化ぱない。平和公園のあるあたりは活気があって美しく、おもしろいものがいろいろあった。ブックオフへゆくと、宝飾品の展示がすばらしく、魅力的なカメオが売られていて、品数は大阪の店舗の3倍もあって、大変魅力的な品をみつけて本気で買おうかとおもったほどである。なんか広島の印象はめっちゃよかったが、東京はまあいまいちだった。なんつーか、高いビルの根元あたりがみょうに暗い。「あそこ日があたってないなあ・・・」などと思ってみていた。夜、ウオーターフロントの超高層マンションなどは照明に懲りすぎているのか妙に暗い。「墓標みたい・・・」などと失礼にも思ってしまった。東京に行くときにはかならずカンパンなどの非常食を用意してしまうし、自分の現在位置からの避難経路を念頭に置いてしまう。エボラはいってきたら麻痺すんじゃね?とおっかないことを考えていた。けれど東京は人情がいい。この殷賑の都が今後も栄え続けることを祈る。

 

2014年10月25日(土)

 オンシジウムの花がえらくきれいなので写真を撮りまくっていた。

 カトレア・ラビアタのつぼみがのびてきた。11月に咲きそうだ。

 

 ラノベの安売りをせっせと買っていたら在庫が907冊になった。読了したラノベはまもなく800冊に到達する。若干読むペースのほうが買うペースより速い。まもなく在庫数と読了数が逆転し、以後逆転することはなくなるだろう。だんだんペースがあがってきて、一日三冊読むにはどう時間をやりくりするか、というようなことを考えていたりする。

 本日は松原真琴著「猫耳父さん」(電撃文庫2009年)を読んだ。冒頭からペットロスの話で、14年連れ添った飼い猫を亡くしてびーびー泣いていた主人公のおっさんにもらい泣きしてしまった。命って大事だなあ、と思う。こういうちょっと重たいけれど笑いあり涙ありの良作ラノベもあるのだなあ。しかしながら、世間ではアニメになっていないような作品は本屋の棚では見かけないところまでいってしまっている。もう売れ筋ばっかり。アニメ化された作品って確かに華はあるのだけれど、心に残る作品かというとかならずしもそうではないように思う。案外絶版になっちゃったようなマイナーな作品の中に琴線に触れるようないい感じの作品が多くて、それゆえ安売りラノベ買いがやめられないのであった。アニメ化されたラノベ作品は、おおむね6巻を超えたものが多い。なんかがんばってひっぱってるなあ、という作品があるように感じる。それだけにお金も取れるわけだ。けれど、1冊、もしくは4巻までで完結した、などの作品の方が、パンチが効いていたり、作者のたくらみが十分に生かせていたりというようなことがあって、アニメ化はされないけれどなかなか読んで楽しいものが多いのである。そのアニメ化ってやつもなんとなく大人が売れそうなものを狙ってしかけているようなある種作為を感じるところもある。これはアニメにならないだろう、という覚悟を決めて作者が書いている作品などは結構面白いものがある。最近はアニメを見ている時間がなくなってしまった。

今後は電子書籍のおかげでかなりマイナーな絶版作品まで読めるようになるのではないだろうか。

まあ、本屋が売れ筋だけ置くというのもわからないではない。多分スマホだネットだ、と競合すれば、本屋に行く人の活字を読むための時間というのは相当限られているはずで、売れ筋作品を読んだらもう時間の余裕がないのであろう。人それぞれの本を読めるキャパシティは減っているのだろうから。けれど、読書の多様性、奥の深さはいろいろ読まなければわからない。そういう意味で売れ筋だけってのはその業界がジリ貧にならないかという危惧はある。実のところ、売れ筋以外のラノベというのはものすごい点数が出版されている。そうでもしないと次のヒットを生み出す作家が育たないのだろう。それゆえかなり多くの本が売れ残ったりして、新品で帯つき、チラシや感想を書くはがきまで入った本が95%引きで売られているのじゃないだろうか。それを私が買って読んでいるということなのだろう。われながらけしからんおっさんだ。

 

 本日HDD2TBUSB3.0)が7280円(税込7862円)先着5台と広告にでていた。午後にたまたまその店に行ったついでに覗いてみたらまだ残っていたので買ってきた。不要不急の買い物であった。HDD2TBはかれこれ7個目くらいじゃないだろうか。これってあれか、なんぼでもバッグが欲しいって言うあの気分か。なんか買っていい気分になるとそれをくりかえしちゃうという。昔からストレージに飢えていたので、2TBが安いとうれしくなって買ってしまうのである。HDDTBを買っては家族に進呈して使ってもらっているからまあええとしよう。

 

 エボラのことを知ったのは、1994年にリチャード・プレストン著、「ホット・ゾーン」を読んだときであった。もう20年になるのか。当時おっかねー、と思っていたのに、現状その怖さがよくわかっていなかった。2ちゃんねるなどをみていると、時々妙に深い考察に出くわすことがありなにやら侮れないものを感じる。エボラ感染者のこれまでの増加速度から70億人まで感染者が増加する見積もりをやった人がいて、その時間は3年ほどだった。国連の発表によるとエボラと人類の勝負の結果が60日以内に出るという。これに負けると、その3年という時間の間に人類はエボラ感染にさらされるという話だろう。人類は滅亡はしない。10%だったかウイルスに勝っちゃうひとがいるからだ。けれどもし70億人が7億人になったとしたら文明は大きく損なわれ、社会は跡形もなく変容する恐れがある。現在は、国境なき医師団の方々が戦ってくださっている。しかし現場で戦っている医療従事者の半数がお亡くなりになっているという厳しい現実がある。2ちゃんねるには、その戦士の方々がエボラをひろげちゃったことへの批判があがっていたが、こういうコメントはまったくあたらないと思う。プロが命がけでやってもこういうことになってしまう、ということにむしろ肝が冷えた。

 光明はある。インフルエンザ薬として認可されている富士フィルムの「アビガン」という薬が効くらしい(なんかモビルスーツみたいな名前だなあ。「アビガンいきまーす」とか「私がアビガンで出るしかない」「アビガンが量産のあかつきにはエボラなど敵ではない」などなど)。エボラに承認されていないとかなんとか言っている場合ではないので増産がはじまっているという。また日本が世界に貢献するのだろうか。ほんと最近の日本ってすごいなあ。「モテモテなニッポンは世界まで救っちゃうんだぜ(泣)」か?。

 さて、政策はどうでるだろうか。外出禁止状態になるというところから考えをめぐらす。人同士が極力接触しないように生活するのだろうなあ。ご飯だな問題は。みんなマスクと手袋をしてものをやりとりする。外部から手に入れた物資の表面からどうウイルスを除去するのがよいのだろうか。紫外線か?。公務員は配給要因として、自宅にこもっている人たちに食料を配って歩くのだろうか。なかなか大変そうだ。私は、たぶん備蓄した食糧でほそぼそとやりながら、畑を耕したり、本を読んだり、職場に自転車でかよったりしているのだろうか。

 

 2年位前に日本酒を飲む趣味があった。現在は読書の速度が落ちるのですたれてしまった。先日仕事で広島県東広島市に出張した際、仕事のあとで飲んだお酒がおいしかった。賀茂鶴ゴールドという。オバマ大統領が阿部首相と三ツ星で有名な寿司店で食事をした際に供されたお酒だそうだ。どひゃあ、大統領がお召しになったお酒でございますか。西条駅で588円で売られていたので買って帰った。ネットでも阿部首相がオバマ大統領にお酌をしている写真つきで売られていた。家の近くのマイカルでも売られていた。そういうお酒がだれでも手軽に飲めるというのはなんというか日本はすごいなあと思ったしだい。

 東広島というところは日本三大酒どころ(伏見、灘、西条?)だそうで、国立のお酒の研究所まである。その東広島で飲んだお酒に竹鶴酒造の「飲み比べセット」があった。竹原の酒造メーカーだそうな。朝の連ドラの「まっさん」の主人公はその竹鶴の分家だそうで。それを聞いたため元広島県民としては誇らしく思って朝の連ドラを録画しているのだけれど、ドラマをみる習慣がないためむやみとHDDの容量を圧迫しているのであった。

 お酒って素晴らしい文化なのにその扱いがなっていないということを昔「おいしんぼ」「もやしもん」というマンガで知った。その素晴らしさを認識して日本人の意識がどんどん向上したのか誇らしくも海外に売られて販路も広がり、さらにお酒が洗練されてきているようである。お酒に限らず、日本食や飲食業にもその洗練さに磨きかがかかり、いまや世界の三ツ星レストランの半数ちかくが日本に存在するという。驚いたのは、香港の三ツ星店4店舗のうち1店は日本の築地から食材を空輸した日本人の日本食のお店だと聞いた。一種のなぐりこみですかねえ。無駄に他国の悪口をいわなくても、日本トレビアーンって言ってりゃそのほうが効果があるんじゃないの。

 

2014年10月19日(日)

 オンシジウム「元気」の2株から花芽がでていた。いいなあ、オンシジウム。

 気温は21℃から5℃くらいになったりする。夜は耐寒性のある株以外は家に入れている。

 

 昨日から電気ストーブを使ったりしている。夜のジョギングは三日も続かなかった。だるいし、寒いし。

 ちょっとまえに庭に植えたはつか大根がものすごくとれてしまった。1粒ずつ種を数えながら、たしか150粒ぐらいだったろうか。54円の種からボールいっぱいにはつか大根がとれた。まだものすごい数庭に生えている。かじると甘い。あまり数が多いのでサラダで食べられないから、これはカブだとおもって煮物にしてみてはとかみさんにいうと、甘い食べやすい煮物になった。上品な桜色をしていた。これならいくらでも食べられる。

 黒大豆はまだ30株くらいのこっている。元気があれば、蘭のわけ株におまけでつけて発送しているところなのだが、そういう元気はなかなか沸いてこない。職場で配るのもだるい。かさばるし。結局、かみさんの親戚に送ることになるのだろう。隣の奥さんまで動員してダンボール5箱(各4kgの枝豆)を送ったのである。自分の家で冷凍食材として豆を処理すると莫大な手間だ。これを親戚に送ると玉葱、かぼちゃ、ジャガイモ、みかんなど、ほかさまざまな野菜となって時間差で返ってくるのである。残った豆も来週末には収穫してまた親類に送るのであろう。本日一株収穫して食べてみた。1株で400gのさやいり豆がとれた。塩茹でして食べる。うまいのはたしかにうまいのだろうが、正直めんどくさい。この時期この黒大豆の枝豆をもとめて丹波地方は渋滞が発生するほど人が詰め掛けるそうだが、ご苦労なことだ。

 

 エボラウイルスの感染拡大により、文明崩壊の危険があるらしい。患者を扱う医療関係者が、防護服着用にもかかわらず感染してえらい動揺が広がっていた。なんとなく脇が甘いような気もしたが、命がけなわけで、特異な心理状態から思わぬミスをしてしまったのかもしれない。現場の方を応援したい。

 人類が死に絶えるわけではないけれど、行き来が阻害され、経済も混乱して、いろいろ大変なことになるかもしれない。こういうとき自分はつい食料でも溜め込むか、などというさもしいことを考えてしまう。日本はワクチンを開発しており、医療関係者の技能と訓練が高いと聞いている。めっちゃ円高になるかも。だから食料は潤沢に輸入できたりして。こういう危機的状況において日本人は結束して強く賢いと思うので、私は安心してできうることを最大限やろうとおもう。

 まあ家にこもっていろ、ということになったらたっぷり本を読もう。

 

 一ヶ月に1冊も本を読まない人は47%もいらっしゃるそうです。私も若い頃はさっぱり読まなかったのでわからないではない。いろいろ楽しいことがあるのでしょう。現状の生活の楽しみがとても偏ったものになっていて、本当は世の中にいろいろと楽しいことがたくさんあるのに、読書に集中しすぎているのかもしれない。本日プレミアムアウトレットを歩き回ってみたのですが、さっぱり興味を引くものがなかった。ああいう場所でのショッピングをとても楽しんでいる人がたくさんいるのに、私は場違い感はんぱなかった。読書はお金がかからない楽しみなので、思うに日本人ってほんとお金持ちだなあ、と思ったしだいです。

 

2014年10月15日(水)

 オンシジウムの小さな株が花を咲かせていた。こういう小さいやつががんばっているような鉢は蘭の醍醐味じゃないか、などと思う。

 寒くなるとのこと、蘭の大半を家に入れた。

 

 母の病院のため休みを取って、出かけたのであるが、本日は定休日と診察券に書いてあった。親子ともどもボケていると思った。情けないなあ、と一日どろーんとしていた。

 読書はあっさり400冊の大台を超え、秋なのでさらに加速している。「なぜ韓国ではパチンコを全廃できたのか」を読むと、韓国では大統領の甥がパチンコ業界から不正な献金をうけていたような事件があったそうで、国民感情に火がついてパチンコ全廃にこぎつけたということらしい。一方、日本ではパチンコ議員と目されている方々はいるものの、まあ献金で目を付けられるようなヘマをする議員や業界はいないとおもう。なにしろ儲けておられるみなさんは足るを知るというか、手を後ろにまわしてまでがつがつすることはないと思っているのじゃないでしょうか。本を読めば、かなり気をつけているというか守りが堅い。著者が知恵を絞って書いた本からは、皮肉なことに正直日本でパチンコ全廃は難しいのではないだろうかとことが読み取れた。なにしろ20兆円産業であるから力もあるだろう。かつて30兆円産業の時代が長かったのだが、金融業への法律で分不相応な借金がしずらくなったためなのか20兆円まで縮小したようにみえる。それだけパイが小さくなるとかなり痛い目をみた人もおおいのか、ずいぶん引き締められているのだろう。

 国民の意識が、バクチというものに対して甘くなっていると思う。バクチのCMが堂々と流れている。言われるまで関心がないので気がつかなかったが、世界的には異常らしいし、昭和の日本でも考えられない暴挙だ。バクチは、父や母を失う危険性を持った行為なのですぞ。それでも人数からすれば学校の1クラス(30人くらい?)にひとりか二人くらいバクチで身をもちくずすくらいの割合だ。そんなのまあ普通か、などと昭和を知るおっさんは思う。

 クラスメートが家に遊びに来て、5000円の現金と電卓を盗んだ事件が高校時代にあった。その電卓を犯人が学校で使っているのを見た、というタレコミで犯人を締め上げたところ、そいつは涙ながらに「親が借金まみれで、借金取りが毎日のように来る」といっていた。そんな風に、親の経済的失敗というのはありふれたものだという認識があった。いまや子供の6人に1人、1クラスに5人は貧困であるという。

 同じ著者の本のタイトルが「日本は20年で540兆円パチンコに使った」だったろうか。パチンコに課税して1100兆円の借金を返せよって思う。正直そんなに遊ぶ金があるのだったら消費税10%でもええんじゃね、って思う。年間20兆円でも中位の国5個分くらいの国家予算になりそう。著者の記述に、パチンコの利益が北朝鮮に流れて核開発やテポドンになったような記述があった。いや、そんだけのカネが流れたのだったらもっと豊かな国になっているだろう。800万人から500万人まで人口が減ったようなことを聞いたけど、どんだけやりくり下手なんだろうか。教育に投下して、産業を興して、貿易で食えば一流国になれるぞ。だから、パチンコのお金がかの国に流れているとは到底信じられない。人間あそこまでお金を下手に使えるはずがない。

 日曜日に祭りが中止になってしまったため例によって日本橋に出かけた。食事に少々張り込んで香港飲茶なるものをたべたのですが、たいそううまいものですなあ(あとで通じがよくなりすぎたけど)。ブックオフを3軒はしごして、中古ラノベを安く売っている店で30冊を購入(在庫が891冊に。1冊10円コーナーは消滅していた。がーん)、HDDTBを5980円で購入して、HDDケースUSB3.0を1380円で買って帰った。なかなかの豪遊。しかし、食事をのぞけば、まったくいつものパターンをトレースしていた。これがおっさんの行動というものなのだろうか。パチンコ愛好家については、正直もっとほかに楽しいことを開発すればいいのに、と思っていたのである。しかし自分がこういう型にはまった行動をしていることに驚愕してみると、いろいろと「これじゃいかん」と思う点が多い。おっさんになると、過去に経験した「いい思い」をトレースする習性があるのじゃないだろうか。だからパチンコをやってしまうのか!、と思い至った次第。

 岡田正彦著「人はなぜ太るのか −肥満を科学する」(岩波新書2006)を読んだ。BMI25以上は痩せるべし、痩せるに王道なし、節食と運動である、とあった。耳が痛い。仕事、読書、寝る、というぐだぐだ中年パターンを打破する必要も感じていた。なんというか、最近自分自身に元気がないと感じている。考える内容も暗い。「人生って、しょーもないもんだなあ。楽しいことはあまりないなあ。このさきいいことはないなあ。自分がつまらない人間に思えるなあ」などと感じることが多々ある。それに反論する声が脳裏にこだまのように響いてくる。「昔は世の中きらきらしていてなんでもみてやろう、学んでやろう、ってがんばってたじゃないか」と。30台半ばに単独富士山頂日帰り、埼玉県川口奥多摩日原鍾乳洞往復150km日帰りサイクリング等をやっていたくらい元気だった。このくたびれたおっさんと昔の自分の差はなんなのだろうか、と考えたとき、いつも思うのは「運動不足じゃね?」であった。「いつやる?今でしょ!」という脳内の声に、「いや、仕事あるし」「今日本読みたいし」で逃げてきたのである。しかしBMIがえらいことになっている現状このままでは糖尿当確である。そこでまあ本日も2冊読んだことだし、ジョギングに出かけた。おお、なかなか爽快。でもすぐ歩く。ちょっと走ってみる。腕を大きく振って足を上げる。まあ歩く。天の川がきれいだ。鹿の声がぴゃーぴゃーうるさい。走ったり歩いたりでもまあやらないよりはましだ。なんとか習慣化すれば現状のどろーんとした感覚も変わってくると期待してみたりして。

 

2014年10月11日(土)

 ミルトニア・が開花していた。

 

 3連休はやることが多くて憂鬱だった。まず母の病院。歯医者がはやばやと終了して拍子抜けした。糖尿・高血圧の医者もさっさと終わった。本日予定されていた重労働の祭りの準備は台風の影響で中止との連絡が来た。予定が午前中で様変わりしてしまった。祭りが中止になったのはこっちに越してきてはじめての経験だ。

 空いた時間をつかって黒豆の枝豆を収穫して予定された送り先に送ってしまおう。株高80cmにもなるでかい大豆である。低木といってもいいかもしれない。マメ科が不思議なのは、葛、小豆、大豆、インゲン、エンドウのような草や、ねむの木のような木など、木や草が含まれているということである。大豆もある環境を与えたらひょっとすると木になるのだろうか。木と草の違いはなんなのだろうか。そういうことすら知らないのかといいおっさんが情けないなあと思う。

 ものすごい大きな豆が鈴なりの株がいくつかあった。今年は過去最高の豊作のようである。畑の北よりの場所では豆のつきがいまひとつの貧相な株が多かった。豆の量で6倍くらいの開きがある。このような差はどのようにして生じたのだろうか。肥料なんだろうか。ばあさんの肥料テロのおかげで肥料の濃い場所と薄い場所があるのだ。また南側は、LED街灯に近い。最近水銀灯からLEDに変わったらしく、恐ろしく明るくなった。夜通しその灯りに照らされている領域の株はなにやら実の付がよいように思われた。ノーベル賞技術が我が家の豆にまで影響したのであろうか。

 そのLEDのノーベル賞に話は脱線するが、本当に日本の研究開発というのは世界を変える力がある。我々は大変優れた部分と、それを育む恵まれた環境をもっているといえる。今回のLEDは徹頭徹尾国産だった。日本はいろいろだめだ、とおっしゃってアメリカにいっちゃったかの教授にしても、ご自身の成果は全部日本のその会社で成し遂げたように見える。大学もすごいけれど、会社もすごい。日本はすごいなあ、とおもう。

 豆をみながら思うのだけれど、野菜の多い少ないが貧困のバロメータじゃなかろうかとおもう。「貧困のアメリカ人が太っているのはおかしい」という。太っているから貧困なんじゃないの?。偏食でガリ痩せしているのもある種貧困ではあるとおもうが。あの太り方は安い炭水化物と脂質過多でああなっているので、ビタミン、ミネラル、植物繊維を含んだ野菜がとれないと、脂質を上手に体内で利用できないためああなってしまうということではないのだろうか。野菜は、炭水化物に比べれば調達コストが高い。野菜は、種類が多く、調理に知識、経験、技能を必要とする。野菜の調達と調理は手間だ。つまり、野菜を食べるには、時間に余裕があって、食費が潤沢で、そこそこ教育がなければならないのである。貧困とは、時間に余裕がなく、金もなく、教育も低水準という側面がある。貧困なめしとは、やたら炭水化物、砂糖たっぷりの飲料、安いあぶらでべとべとした揚げ物など、塩がたっぷりで手間がかかっていない。そういうものを食べる人が多いと3億人もいて三ツ星レストランが8軒だったか、関西12軒よりもすくない食の真空地帯になってしまうのである。だから食卓の野菜の量が少なければ貧困とみなしてええのじゃないだろうか。そういうことを考えれば、豆を育てる重労働をやる理由にはなるなあ。ああしんど。

 

2014年10月8日(水)

 かみさんが足を捻挫して往生していたので仕事を休んで家事をしていた。6:45起床。ごみだし。庭の台風復旧。植え替えた蘭を庭に出して水遣り。丹波黒大豆の枝豆を15株ばかり収穫。おとなりさんにおすそ分けしたらえらくよろこばれた。今年黒豆は豊作のようだ。正直収穫作業はしんどい。枝豆として出荷できない豆のつきが悪い株を収穫しておく。これらは豆をとって茹でて冷凍し食材として用いるのである。さやつきを収穫したら3kgぐらいあった。大鍋でさっと茹でて、中のまめを手作業で丁寧に取り出す。すげー疲れた。

 買出しにでて、夕食をつくった。朝、昼、晩とばーさんの薬の世話をした。

 

 西原理恵子著「この世で一番大事なカネの話」を読んだ。冒頭「父はアル中でどぶにはまって死んだ」というような文に度肝を抜かれた。この本は、児童書に分類されている。「ヤリマン」という言葉もあった。とてもリアルな記述だった。読みすすむうち、二人目のおとうさんは、「お金をめぐって母とケンカばかり」「バクチで追い詰められて首をくくって死んだ」とあった。この父と著者の関係については少々感動して泣けた。著者の仕事に関しての考え方に大変感銘を覚えた。お金をめぐる生活と人間関係、仕事についてのあまりにも見事な指南書で、子供らに是非読んでもらいたいと思う。親の経済状態、お金でひどい目にあうのはむしろ子供らである。うちも父がバクチでえらいことになって母子家庭になった。ある種危機意識から勉強はよくやっていたと思う。幸い母がしっかりしていたのでおおむね幸せだった。お金で苦労している子供らは自分の置かれている状況を知るためにもこの本は光明かもしれない。

 なんでもカジノはやらないみたいな報道がなされていた。カジノをやってパチンコの客をこちらに流したほうが全体としてみれば国民生活に寄与するんじゃないかなあ、と思った。浅い考えかもしれないが。19兆円の利権構造はなかなか崩せないだろう。パチンコ業界からの献金が減るから政治家としてはうまみがないのだろう。カジノは公営ギャンブル扱いになり、収益が国民に還元されるのじゃないか。一方パチンコ業界のカネがどこに行くのかよくわからない。若宮健著「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」を読んで考えてみたい。

昔ラスベガスで遊んだことがある。2ドルで4時間遊べた。華やかで広がりのあるカジノで、5セント玉をスロットにかけて遊んでいた。食べ物が安くて豊富でいろいろ見て楽しいものがたくさんあった。アメリカのバクチは4兆円産業、日本は20兆円にもなるから国民一人当たりでアメリカ人の8倍もバクチにカネを使っていることになる。しかし、日本のバクチは、さまざまに見てきた感想を言えば、貧相で暗く、たばこくさいので寄り付きたくない。ベガスは、開放的で、大掛かりな建築が興味深く、明るく、どこまでも続くようなきらびやかなカジノを夜店でもあるくような気分で見物できて楽しかった。アメリカ人レジャー得意だなあと思う。バクチのカネが落ちるぶん、リゾートに高級感が漂い、遊んで回るには楽しいところだった。夜通しやっている華やかな温泉宿みたいな雰囲気になると思う。日本のカジノはその上をいっていただきたいとおもう。誰もが行って、楽しめる、明るく健康的なカジノがあったらいいなあ、などとおもう。そういうバクチのありようをみれば、バクチについて人々の思うところが変化するのではないだろうか。

 

2014年9月28日(日)植え替え

 結局村上園芸の展示会には行きそびれて家で植え替えをしていた。鉢を40個使った。久々に大規模な植え替えをして疲れた。

 

2014年9月23日(火)C. Miyuki ‘Abe’開花

  C. Miyuki ‘Abe’ 2011年9月24日が開花した。まいどありがとさん、という開花である。

 

 村上園芸の蘭展示会のお知らせ:92416時−(この間ダイキの営業時間)−2817時、ダイキEX明石店。

 村上園芸がくるのであるが、はたして日曜日に都合がつくであろうか。明石遠いなあ。

 

 日曜日に、北の棚からランを南側のリビング前に移したのであるが、日差しがきつかったので、うまいことあちこちにひっかけたり、紐でくくったりして遮光ネットを張った。今年はけしからんことに例年使っていた蘭棚を設営しなかったというさぼりっぷりである。まあなんとかやっているという状況だ。

 

 山の中を子供と歩いてみた。ちょっと体を動かさないとだめだなあ、と思ったためである。谷川を探索して歩いた。道中田舎道がごっそりと9割がたえぐられてがけになっているような場所を目にした。道がえぐれて切り立ったがけになっている。落ちたら怪我をしそうだ。最近よく耳にする豪雨災害の爪あとがここにもあった。最近の豪雨はすごすぎだろう。このほか、山道がどことなくくたびれている。使わなくなって補修しなくなったというのもあるのだろうが、それはそれで田舎の衰退やら、行政予算の枯渇なのか、やっぱり最近の気候が凶暴であるためなのか、なんにせよ「日本は衰退中」という風に感じられてしまう。田舎で、マキが積んである家を見た。木が燃料という家はなんというか逞しさを感じないではない。森に入ると、枝がたくさん落ちている。それらを全部燃料として利用できるということだろう。谷川をさかのぼる。人間おかまいなしのぼこぼこの地面に岩がごろごろ、ねっこがにょろにょろ。いよいよ急斜面になってきて、泥に足をすくわれてすっころんでしまった。あちこちうちつけて痛い思いをした。ふとみると、鹿の角が落ちていた。うげ、なんか不気味。でもまあ需要があるように思えてそれを拾う。するととたんに急斜面で動きにくくなったため、そこから引き返した。まあ深入りは禁物だったので鹿の角を拾って助かったかもしれない。鹿は5月ごろ角をぽろりと落とすのだそうで、珍しいものではないらしい。あんな急峻な場所で、テレビも、パソコンも、エアコンや暖房、お風呂もなしで生活しているなんてすごいと思う。

 

2014年9月16日(火)Den.Queen Southeast開花

 Den.Queen South Eastが開花した。2000年からの付き合いでかれこれ1414回目の開花だろうか。東京ドームラン展でハナジマオーキッドから500円で苗を購入した。苗なので植木鉢にミズゴケで植えた。ほどなく葉が枯れて丸坊主になってしまい焦った。5月ごろだったか新芽が出てきたのでほっとした。午後1時から日が差す団地のベランダで、新芽はそこそこ育ってくれた。秋になってバルブの先端から花芽がひょろーんと出てきたときには驚いた。デンドロビウムとあったので、花はノビル系をイメージしていたのである。当時はデンファレというものをまったく知らなかった。秋に咲いてみるとぱっとしない花だった。しかし咲きそろうにつれ、発色もよくなり、なんともいえず見事なランになり魅了されてしまった。

 デンファレは、よく咲いてくれるという利点のほかに、花期が長いという特徴がある。数鉢もっていると9月ごろから咲き始め、秋から冬中咲いて、春を過ぎてつつじのころまで花が続く。初夏に咲く株もあって、もう少し探せば1年中デンファレの花が咲いているという状態にできるかもしれない。

 Den.Queen South Eastが咲いてくれたおかげで当分花は途切れないだろう。14年たってもちっとも大きくならないのが残念というか美徳というか、ある意味不思議な植物である。

 デンファレにはいろいろと思い出がある。名なしの「宮島」というデンファレが忘れられない。いまは大きくなりすぎたため人にあげてしまったのである。見切り品の花の終わった鉢を500円で購入して、3株あったものを素焼きの鉢に植えつけて、2株を人に差し上げて、1株を育てていたところ、よほど環境がよかったのか猛烈に大きくなった。鉢のそこから、花の先端まで1mに達し、なんとも雄大な株になってたいへんうれしかった記憶がある。

 デンファレにまつわる楽しい思いではいろいろあるけれど、まあ大事なのは今とこれからだなあ、と思った。

 Den.Arikaにいまごろ新芽がでていた。いまからでも肥料をやって大きくしてみようと思う。

 

 高山正之著「変見自在シリーズ」を読むと、数ページに1度の割りで某新聞社への告発が記述されている。このシリーズ売れているだろうなあ。とにかくたびたび我が国の国益を損なうべく人心を誘導する記事を書くということらしい。そういう例がとてもたくさん挙げられており、著者の主張にも説得力がある。あの「KYさんご」とか、とてもたくさん「げっ!」と思う内容が紹介されている。ただ、なんで日本の、日本人が勤めている新聞社がかくも日本人のためにならない記事を書いているのか、その動機が読み取れなかった。

和田秀樹著「「依存症」社会」を読むと、「マスコミは、酒、賭け事、スマホゲームなど、人々を依存症に誘導するような広告で儲けている」という。これらの類の広告は諸外国では制限されており、日本だけが過度に広告にさらされている。日本は、これら依存症ビジネスが盛んで、近年のスマホゲームや酒もすごいけれど、ギャンブル、とりわけパチンコが19兆円と突出しており、「500万人もの依存症患者から1人年間100万円近い金が吸い取られている」というような内容が記述されていた。同書によれば「マスコミにとって、日本人が依存症ビジネスにのめりこんでくれたほうが儲かるのだ」という。つまり、日本人はマスコミによって食い物にされているという構図がみえてきたのだ(個人の感想です)。だから、お金持ちの日本人が、ぐだぐだになるように、国益を損なうように、世界で恥をかくように、いらいらするように、あほになるように、極論すると不幸せになって依存症ビジネスにのめりこむようにすれば、儲かるということらしい。穿った見方をすれば、お隣の韓国でパチンコが国を挙げてやらなくなったのは、日本でパチンコ産業で稼ぐ韓国系資本が自国までもぐだぐだにしないように、ミイラ取りがミイラにならないようにそのようにしたのではなかろうか。

まあうちもその新聞だけど、この会社に限らず、マスコミってのは「国民のため」てなことをいいつつ、やってることは国民のためにならない依存症ビジネスの片棒担ぎのように見える。かの新聞社への別の新聞社の攻撃もなんかはたで見ていてえげつないなあ、と思う。

そもそもその慰安婦問題っていま生きていれば90台のじいさんがやったとされる時代の話だ。70年前のことをとやかくいってお互いの利益を失うのもどうかと思う。変に熱くなっている人たちは、自分の利益を最優先に考えたほうがよくないだろうか。

 

 本屋で見かけた情報。成人男性の腕時計の平均のお値段、なんと52000円!。えー、そんな買い物したことねーよぉ。パソコンだって3万円分のパーツで組んだし。5万円はここ2年分の本代約900冊分より多い。腹時計で十分だと思うけどなあ。ここ数年遅刻したことないし。腕時計してるとアセモできるし。でも5万円というと定価ベースでこの2ヶ月間に読んだ本80冊分(うち1200円は自腹)でしかない。

 お金ってなんぼのもんよ、と思っている自分をなんかじじむさくなってきたなあと思う。私も若ければ「アイホーンの新しいのが出る、欲しい、めっちゃほしい」とか思って盛り上がっていたかもしれない。実際のところ「けっ、指1本で操作するようなもん、脳みそが暇でかなわんわい。ボケるぞ」と思っているのである。なんか「これ欲しい!」と思うようなものないかなあ。

 どこかの掲示板で「100万円のバッグが欲しくてしょうがない、誰か止めて」という投稿を見かけた。「ふーん、買えばいいじゃん」とおもったが、世間も同様な書き込みを返していた。パチンコで年間100万円しぼりとられている奴なんてざらにいるらしいじゃないの(どうやってそんな大金捻出しているのだろうか)。世間は人の金には冷たい。

 福沢諭吉は学問のススメのなかで「自分の金だからといって、蕩尽したら世間にしめしがつかねえからそういうことはするな」と述べている。ちょっと前までそういう世間があったとおもう。でも「飲む打つ買うは男の甲斐性」などというようなことを聞いた覚えもある。昔から蕩尽する人はいた。

 パチンコで月に10万円すったというおじさんの話をうかがった。「パチンコってどのへんが楽しいんですか」「そりゃ、数字がこうそろって777なんて並ぶともう感動的に楽しいよ」とのこと。うーん、わからん。

 娯楽がすくないのかなあ、と思う。そういえば、飲み会って減った。楽しい飲み会ってもっと減ったかも。遊園地が減ってけっこうさびしくなった。なんというか、楽しそうなことをしている人がすくなくなったような。

 お金がそこそこたまっていても買いたいものがないという自分の感覚について考えてみた。多分、自分にとっては「円高」なんじゃないか。モノが安く、大事に効率よく消費しているためお金の価値が高いという状態。娯楽の調達コストが安い(3時間の読書にかかるコストはパチンコの2秒と等価、実に5000倍コスパ)。一方、パチンコやバッグで100万円使っちゃう人は「円安」で、モノやサービスへの需要が大きく、お金が不足しがちなのだろう。お金って自分の稼ぎだとすると、「円高」は自分についている値段がモノやサービスに比べて高い状態で、「円安」はその逆。これらを引き起こしているのは、おのおのの脳みその感じ方、ということになる。少しのお金をつかうことで満足して生活している人がいる一方、1年貯金してでもあのバッグが欲しい人や、かみさんに内緒で家の貯金に手をつけてでもパチンコに行きたいという人もいるのである。別にバッグの趣味は、毎月500円程度の蘭の趣味でもいいわけで、パチンコも蘭と置き換えりゃいいわけですよ。そりゃもう単なる気の持ちようで100万円の貯金ができたりできなかったりするわけで、人間のココロのもってゆきようをどうするか、というのがいかに重要かということじゃないでしょうか。

 同様に、モノのねだんは人間様のココロが決めているものがあって、その例が腕時計52000円ということでしょうか。技術のことをいえば、5000億円の工場で作られる人類技術の粋を集めたCPU4000円くらいだったりしますから、「手作り時計の職人芸の素晴らしさ」にココロがふるえたり、「美しさ」みたいなものにココロで値段をつけているのでしょう。実体経済の10倍はココロの経済。そのココロのもちようを、いや、そのココロの見つめる先にあるものをちょっと横にそらすだけで世の中が大きく変わって見えるのではないでしょうか。

 

2014年9月15日(月)

 3連休の三日目である。ちょこちょこ蘭の面倒を見ている。ほったらかしだったと反省している。Lc.MiyukiAbe’につぼみが上がってきた。

2株だけ咲いてくれていて、終わりそうではある。デンファレの開花に引き継げそうだが、それに失敗すると4700日連続した開花が途切れることになる。まあそのときはそのときだ。それを契機にこのサイトをやめるというようなこともない。蘭のある限り、やるべきことはつづけるだけである。

 

くさぼーぼーだった庭を耕して畝を作り、穴の開いたマルチをかぶせて、穴に6つぶずつたまねぎの種を植えた。ちょっと遅かったかもしれないとおもいつつ、昨年に引き続きたまねぎの苗づくりに挑戦した。たまねぎの苗づくりを母は得意にしていた。その技を息子は引き継げていない。苗は15円もする。400本も植えると2000円苗にかかる。種は二袋ダイソーで買ったもので100円だった。

土地が開いていたので、同じくダイソーで買ったはつか大根とサラダ菜を植えた。サラダ菜は、春に借りている畑に植えて付け合せに大変重宝した。はつか大根も育てやすく、たくさんとれた。庭でこれらを育ててちゃんとできるかどうかわからないけれど、土いじりはなんというか本ばかり読んでいる自分にとって精神と肉体の健康のためによいように思われた。もちろん蘭の世話も思い出してしっかりやろう。

 

土曜日に仕事仲間の葬式に行ってきた。10年来の付き合いだった。気さくでナイスガイだったその仲間は、9日のスーパームーンを3人の子供らや美人のかみさんと楽しんだ夜更けに、多分たいそう幸せだったろう生涯を突然終えた。享年43歳。わたしはすこしおどろきはしたのだけれど、心情がほとんど平静だったため、自分という人間がかなり冷たいのではないか、といぶかしく思っていた。喪主の奥様のスピーチからは、夫を如何に愛していたかということがよく伝わってきた。しまいには号泣してものすごい数の参列者からすすり泣きの声が会場に響いた。その場であってさえも私は平静だった。2日ほどして、故人の人懐こい笑顔をたびたび思い出して、寂しい気持ちがわいてきた。

この5月にもかつての同僚が52歳の若さで通勤途上の駅で心臓が止まって他界しており、その葬儀に東京までいってきた。出向中大変お世話になった。仕事ぶりが素晴らしく、きつい案件からも逃げず、仲間を助け、雄々しく立ち向かっておられたのを目の当たりにして私はものすごく尊敬していた。そのもと同僚が亡くなって私は棺の前で泣いた。不謹慎にもかの有名なセンテンス「おお、勇者よ死んでしまうとは・・・・」を思い出していた。この方の奥様のスピーチが「最近はあまり会話もなく」というのに驚く。あまりにもかっちょいい男だったのでさぞかし楽しい家庭だったのではと思ったが、まあこころのもちようはひとそれぞれだろう。

葬式というのはしんどいのだけれど、人はあっけなく脈絡もなく突然死んでしまうし、自分もいつか死んでしまう、ということを考えさせられるある意味大事なシーンである。メメントモリ、だったか、死を想え、という言葉があって、含蓄のある言葉だと想う。ひごろは死のことをすっかり忘れている。今年はその死をたびたび想う機会がある。

かみさんが飛び出した猫を轢いてしまう事件もあった。その直後私が腰を患ったりもした。そこへもってきて最近「ジバニャン」なるものが流行っていて、そいつは猫の霊なのだそうだが、トラックに轢かれて、飼い主の少女から「死ぬなんてダサい」などと言われてさまよっているというのをアニメで見た。なんというかとってもかわいそうで、ちょっとうるうるきた。その少女の言葉がとても不条理なようで案外そういうふうに人は感じてしまうというのを表現したものかもしれない。

5月のもと同僚の死に奮起して論文を書き上げ、張り詰めていた8月に、その論文の発見が50年前になされていたという証拠を見出して愕然としたことがあった。手塩にかけてきた研究の根幹が吹っ飛んだことを理解したその30秒後、絶望のどん底に向かってダイブしていたそのとき、背後から声が聞こえた。「笹井さんがお亡くなりになったそうです」と秘書のおねえさんがいつの間に後ろに立っていたのかそのようにおっしゃる。誰のことかわからず、「佐々木さん?誰ですか?」と聞き返した。しばらくたって内容を理解したときには私の絶望はなんとも間の抜けた気分へと変化していた。ある意味あの瞬間私は救われたのかもしれないとさえ思う。理研のSTAP細胞論文捏造疑惑でマスコミに責任者の立場上追いかけ回された渦中の人物の自殺を、大変お気の毒に感じて、自分の絶望とやらを小さく感じた。かつて燃料電池の触媒で脱白金として期待された成果が捏造であったとわかった際にはこれほどの大事にはならなかったのである。成果の大きさや、マスコミ受けする内容であったためとうとう死人まで出してしまった。マスコミが大事な研究人材を殺したようにみえた。

認知症で糖尿病を患う母はなんとなくいつ死んでもおかしくないような雰囲気がある。部屋がかびくさいので、ショートステイにいっている昨日など、布団やら畳やらを日に当て、部屋の掃除をしていた。これでなんとなく死を遠くにおいやったような気分になる。

死後の世界というものはその存在を感じる体験もあるにはあるが、さっぱりあてにしていないというか、死んだらはいそれまでよ、という風におもって暮らしている。死ぬまでの限られた時間、今この瞬間をどう生きるのか、ということに集中するべきなのだろうなあ、とおもっている。夜更けに突然この世を去った仲間のように、明日の朝をむかえられないとしても、あまり心残りはないかなあ。

 

 

2014年2-8月

 

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