蘭馬鹿日誌2021年および更新記録

ランのよしなしごとをつづる。下に行くほど昔 

連続有蘭花日数 停止中6544日(2019/7/19202105 2020072020032018-2017  201510-201612  201501-09 201409-12 20142-8 201310-20141 20135-9 20131-4 20128-124-720123-201112-1110-520114-201012201011-1020109-720106-420103-1200912-109-76-420093-1200812-1110-98-76-54-320082-1200712-1110-98-76-542 32月後半2月前半20071200612-111098765432200612002 12 11 10 9 8 7 6 200512-111098-76543220051200412-1110987654322004120031211109876543220031200212111098-320022-12001年以前   日誌迷作選

 

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20219月27日(月)

C. Miyuki ’Abe’が開花ちゅう。花は6つ。

 

 2020327日の日誌にも書いたけれど、納豆ってコロナ予防に効きそう、とは昨年から言われていて、茨城県での感染者が関東では少ないことからそんな噂が立ち、スーパーから納豆が消えたこともあった。デマだとは言われていた。私は、口内が納豆のねばねばでコートされるからこれにコロナのスパイクタンパクが絡まって働かなくなり、感染が防がれるのではないかというようなことは考えていた。こういうのは誰でも考えるとは思うが、実際に調べて実証し、報告するというのは大変なことだと思う。

 その後長崎大から納豆の成分でもある5-ALAがコロナウイルスへの感染率が低下させるという報告があった(Y. Sakurai et al., Biochemical and Biophysical Research Communications 545 (2021) 203-207)。化学屋なのにこういう論文を読むあたり、かなり納豆ファンになっていたのかもしれない。

 この度東京農工大学の水谷教授のチームが「納豆抽出液が新型コロナウイルスの培養細胞への感染を阻害することが判明〜感染予防対策への貢献に期待〜」というプレス発表とともに論文が報告されていた。やっぱ効果があるのか。へー。さすが「もやしもん」の東京農工大だ。

(論文はこちらhttps://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0006291X21010718

 2年前、自家製みそのために山口県産のわけあり大豆10s(2880円送料込み)をネットオークションで調達したのであるが、粒が小さくて、皮の色が悪いとかみさんから「いらん」と言われてしまった。用途に困った私は、豆乳を絞ったり、多量に出たおからを食べたりしたものの全然減らないので、納豆もつくれるヨーグルトメーカー(山善YXA-1003300円)を購入して納豆づくりを始め、1年半かけてこのほどやっと10sの大豆を使い切った(義母がこの納豆にはまって2sほど豆をもらってくれて助かった)。臭くて固い納豆だった。世間的には圧力釜を使ってさっとゆでると柔らかくなるらしいが、そういうものがないので、愚直に1時間以上ゆでて水をきり、熱いうちに市販の納豆を少し入れて混ぜ、45℃24時間かけて256gの大豆から500gの納豆を製造し、2週間かけて食べては次を作る、ということを繰り返していた。正直食べるのに勇気がいる納豆だったと思う。収穫から3年を経た大豆でつくる納豆はますますやばそうに見えた。何故か醤油もかけずにそのままを口に入れ、よく噛んで味噌汁で流し込むように食べていた。正直うまいものではなかった。「これおなか壊さないだろうか」と思って7時に食べると9時に必ず通じがある、という代物だ。納豆は口腔内と腸内環境を整え、免疫力を高めるということはよく知られている。内心コロナ予防になるだろうなあと思いつつ食べていた。やっと納豆から解放されたこのごろは、あの味を懐かしく思い出すとともに大豆に感謝している。

 それでその論文(M. Oba et al., “Natto extract, a Japanese fermented soybean food, directly inhibits viral infections including SARS-CoV-2 in vitro,” Biochemical and Biophysical Research Communications 570 (2021) 21-25.)は、タカノフーズの納豆(型番S903、おかめ納豆だろうか?)を用い、つぶして水に溶いて遠心分離した上澄みを使って、ウイルス(ダイヤモンドプリンセスから採取されたものと、英国株)の働きを調べ、細胞にとりつく際に使用するたんぱく質を劣化させる能力がある酵素が含まれていることを報告している。タイトルに「納豆、日本の発酵豆食品」とあるので、やはり世界的に知られている食品ではない。日本には世界に知られていないすごい食品がまだあるということだ。

 感染した人たちが日常的に納豆を食べていたかどうか、調査してほしいと思う。大阪と東京で明瞭に差が出た時期(英国株)があったけれど、やっぱり納豆嫌い大阪は納豆好き東京とで差が出たということなのだろうか。あのくっそせせこましいベビーカーもおちおち押せない東京で感染が抑えられているというのがとても不思議だったのだ。納豆のおかげだとしたら世界中で納豆食が流行るだろうなあ。納豆巻きが世界中のコンビニで買える日が来るかもしれない。

 

 7月から水道水をペットボトルで冷やして飲んでいたりする。標高200mの水のきれいな川のそばに住んでいて、浄水場は家から見て下流1qくらいのところにある。かなり水のおいしい土地だと思う。水道水が飲める国は15か国ほどだそうだが、うちの水道水はたぶん世界トップレベルのうまさだと思う。毎日夕食時に500mlほどを飲んでいる。1本のコストは5円もしないのではないだろうか。うまいのでぐびぐびいってしまう。のど越しも切れも最高だ。

 缶入りのお茶、ウーロン茶、0コーラなど各25円を時々飲んだりはする。清涼飲料水って30年前より安くなったとは思うが(当時コーラ1.5L298円していたけど、いまじゃ128円だ)、果糖ブドウ糖液糖なるものが入っているから糖尿予備軍の自分には危ない飲み物だ。もはやあまりおいしいとは感じられない。果糖ブドウ糖液糖って、トウモロコシ由来のものじゃないだろうか。「人間の体の半分はトウモロコシ由来の物質でできている」(稲垣栄洋、静岡大学教授『世界史を大きく動かした植物』)とかいうすごい植物がトウモロコシだそうだ。半分ってほんとか、と思ったが、家畜の飼料だったり(肉、バター、牛乳、卵)、ジュースだったり、酒に入っている醸造用アルコールだったり、スナック菓子だったり、なんやかんやで我々を支えているのがトウモロコシだ。安く大量に作れるので、もはや文明の根幹を支えているといえる。トウモロコシは謎が多い植物で、南米に1種、近縁種がただ1種、後者はとてもしょぼくて食用にできない(コーヒーは、アラビカ種とロブスタ種が飲めるが、近縁種は125種にのぼる)。トウモロコシだけが人類にとても都合よくできていて、南米の古代文明が宇宙人からもらったという説まである。それぐらいよくできている。

 人類70億人が1種の植物にそんなにまでもたれかかっているというのがなんかあやういなあと思ってしまうのである(バイオテロの標的にならないのか?。アイルランドのジャガイモ飢饉でケネディ一家が米国に渡った話を思い出す)。そんですげーデブがいっぱいなのも安いトウモロコシのおかげなのか。(世界の生産量トウモロコシ10.3億トン、米7.7億トン、小麦7.4億トン)

 酒って必要だろうか。日本酒は料理のためにも必要だと思う。汁物のコクがちがってくる。でも思考力を低下させ、多大な金銭を費やして、肥満とか、肝臓の病気とか、アルコール依存症とか、いろいろデメリットも多い飲酒を続ける意味ってなんだろうか。不安の解消とか、ストレス解消とか、人間関係の円滑化とかいうけど、酒が生活の向上に寄与しているだろうか。むしろ身を持ち崩すリスクがあるんだろう。職場でよっぱらって上司のあたまなぐる人見たぞ、昭和のころだけど。あんなこといまやったら一発アウトだろう。酒のんだら本が読めないから自分にとっての酒は損でしかない。酒の酩酊より、読書の際の脳が感じるある種さわやかさを楽しみたい。

酒の味をうんぬんするのなら、しっかり作った工業製品でない酒をちびちび味わうのはいいと思う。おいしいお酒はあるのだろうし、文化でもあるとおもう。でもねえ、トウモロコシが原料の醸造用アルコールとか、原料名にコーンスターチとか書いてある安い酒は、本当においしいと思って飲んでいるのだろうか。正直ビールは全然好きになれない。つきあいで小ジョッキを2時間かけて7割飲むくらい飲みにくい。うちの水道水のほうがなんぼかうまい。

 先進7か国で日本だけが人口当たりのコロナ死者がダントツで少ない。アメリカなんざひどいもんだよ。死者の多い国はデブの多い国らしい(イタリアフランスはしらんけど)。デブはトウモロコシがつくる。日本は飯もうまいけど酒もうまい国だから、トウモロコシのお世話になる割合が低いので、デブが少ないのではないだろうか。いい酒は、飲んでいただきたいと思う。

 

コロナの死者が先進7か国で日本が少ないというデータ。

 まず人口(単位億人):米国3.29、日本1.24、ドイツ0.84、英国0.68、フランス0.65、イタリア0.61、カナダ0.37

 コロナの累計死者数(単位万人:2021926日):米国68.4、日本1.74、ドイツ9.33、英国13.6、フランス11.7、イタリア13.6、カナダ2.77

 1億人換算の各国の死者数(単位万人):イタリア22.3、米国20.7、英国20.0、フランス18.0、ドイツ11.1、カナダ7.5、日本1.40

 ひいきのイタリアがあの米国よりも状況がわるかったというのが意外だった。国民性とか医療とかに関係する数字とは思うが、こんなに違うものなのか。

 参考:10万人あたりの殺人事件件数(2018):米国4.96、カナダ1.76、イギリス1.2、フランス1.2、ドイツ0.95、イタリア0.57、日本0.24 あまりコロナと相関はないが、国民性というのはすごい差だなあ。米国で年間15000人殺される一方、日本は240人か。人口割で日本で年間5000人も殺されたら、交通事故程度に人間が危ないってことになるな。

 

20219月21日(火)

毎年咲くC. Miyuki Abe2011924に例年になく数の多いつぼみが出ていた。

 

7月から植えていたオレンジ色のカボチャの勢いが落ちてきたので、その隙間を狙って畝を作った。

はつか大根、春菊、ホウレンソウ、カブ、大根などをちまちま植えている。野菜食うのって大事だわなあ。春にジャガイモを植える畝は冬の間これらの耐寒性の強い野菜を植えておく。

 

田舎のスーパーの値付けに時々、安すぎるのでは、と疑問を感じることがある。

資生堂花椿なる洗濯石鹸が3個パック97円(税込み107円、1個36円)で売られていたものを石鹸好きの自分が買って風呂洗いにつかっていた。なんかとてもよさげな石鹸なんだけど、恐ろしく安いとおもう。この値段で売っていいものじゃないような。実際1パック880円で売っているサイトもある。一体何があったのだろうか。在庫がなくなることもなく、かれこれ1年ほど売り場で見かけている。テレワーク中新品のこの石鹸1個が風呂洗いに何回使えるのだろうという計数をやっていた。対抗馬に風呂掃除液体57円330mlというものがおなじスーパーで売られていた。1回5ml(1平方メートル洗えるそうだが)使うとすると、66回使えるので、1回あたり約0.8636円となる。はたしてひいきの石鹸はこの超やすそうな液体風呂洗剤に勝てるのだろうか。1回の使用では、スポンジにこの石鹸をたっぷりとすりこみ、お風呂マット1平方メートルの裏表、浴槽全体、風呂椅子、排水の溝などを洗っていた。まあ普通にきれいになる。

ざっと4か月、67回目にしてこの石鹸使い切った。そんなのをエクセルの1行日誌の1列をつかってよく記録したと思う。108日間もかかった。我ながら細かい。42回使えれば36/420.847円となり液体洗剤より1回あたりの使用料が安くなる。石鹸はそれをはるかに超えて長期間使えたので、これはもうぶっちぎりの勝利といえよう。1回の使用で0.531円を記録した。すごいぞ資生堂花椿。えらいぞエフティ資生堂。あまりにファンすぎて8パック24個も買ってタワーを作ってしまった。手に取って眺めているだけで楽しい。でも使い切るまで何年かかるだろうか。多量の在庫を抱えていても面白くないので最近では食器洗いや台所の布巾洗いにも使っている。ただ、皿洗いでは油汚れには弱いようで、油汚れには中性洗剤(主成分、ドデシルベンゼンスルホン酸ナトリウム)を使う。

ところがある日同じ店に行ってみると、1パック3個入りがこれまで97円だったものが、なな、なんと77円(税込み84.7円)で売られているのを見かけてしまった。えー、安すぎる。つい3パックもかごに入れてしまった。それだけで1.8kgもある。とても重い。いい加減にしないと部屋が石鹸だらけになってしまう。我ながら本当に貧乏性だ。

 

昔中学時代から聴いていた(45年前)カセットテープをラジカセのヘッドフォン出力から、パソコンのマイクにケーブルでつないでテープの中身を電子ファイルにして取り込んだことがあった。2001年のことだ。ああいう方法って今もできるのだろうか。Win10にはボイスレコーダーというソフトが標準装備でインストールされている。機種にもよるようで、できる場合とできない場合があるみたいだが、マイクジャックに外からの出力を受け取って録音できるマシンがあった。別のマシンから音を出力して、録音してみた。音は取り込めたが、変なファイル形式で、普段使う形式に変換するためにフリーソフトをインストールしたりで結構手間であった。簡単にできそうなことでも案外いろいろ考えてさまざまな経験を思い出しながらやらないとできないものだ。

 

 たまねぎの種を植え付ける時期である。今年は9/5に植えた。これまで玉ねぎの苗づくりでは失敗を繰り返してきた。玉ねぎの種は畝に地植えすると何かに食われてなくなったりする。マルチを張って、その穴に植えると2平方メートルで200本ほどとれるが、必要量の800本には届かず、手間暇かけて実入りが少ない。一昨年は、苗箱に土を張って種をまいていたが、置き場所が縁側だったためか乾いて200本ほどしか取れなかった。昨年、同じ苗箱を今度は植え付け予定地の地面に設置して育てたところ、ほったらかしだったのに800本得ることができた。地面からの湿気が苗によかったのだろう。

種はここ5年間はダイソーの「泉州黄玉ねぎ」(2ml、イタリア産、発芽率70%、一袋55円)を8袋使っている。今年ダイソーに玉ねぎの種の新顔が現れた。「吊り玉ねぎ」(0.35ml、フランス産、発芽率70%、一袋55円)を4袋買った。これが失敗とおもったのは、1袋に65粒の種しかはいっていなかったということ。「泉州黄玉ねぎ」は324粒入っていた。ざっと5倍ちがう。泉州黄玉ねぎだと1袋で苗箱1つ分だが、この吊り玉ねぎでは、4袋で苗箱1つ分だった。165円の損失である。まあものがよければいいんだけどね。

 世の中の人は良く知ったもので、この吊り玉ねぎはよく見かけたけど、泉州黄玉ねぎのほうは品切れでさっぱり見当たらず、ダイソーを4軒めぐってやっと6袋を確保できた。今年の種代は550円もかかった。市販の苗が15円とすると、800本だと4000円もかかるから、まあ165円の損失で目くじらを立てることもなかろう。

 借りている畑の苗箱を置く場所を整地して、苗箱に土を入れ、草の根や茎、石などを取り除き、指3本でぷすぷすとくぼみをうがち、そのくぼみに1ないし3粒の種を落としていった。昨年は、種をパッと振りかけて終わりだったが、けちけち根性が出て今年は手厚い。

 種をみると3rあるだろうか。これが300gの玉ねぎになると、10万倍の重さに成長したことになる。すごいねえ。

 種をくぼみに格納したら、手のひらで上から押さえる。その後、土を薄くかけて、そっと畑の土の上に苗箱を置いた。今年は丁寧に整地したので、苗箱の地面にひびが入ったりはしない。ハイポネックスをキャップいっぱい入れたジョウロの水をかけて置いた。

 今年一番楽しかったことを思い出すと、つやつやのたまねぎが大きく育っているのを眺めていた日々だった。毎日玉ねぎが大きくなってゆくのを眺めるのがあれほど楽しいとは思わなかった。重労働であとで筋肉痛がひどい苗の植え付けからして楽しかった。

 幸せについて最近考えることがよくある。私は、幸せというのは、「現実に対処する能力と意思を保持した状態」と考えている。平たく言うと、「食ってゆけている状態」だ。こう書いちゃうと、ぼけて介護施設に入れられ、下の世話をうけつつ、ご飯を食べさせてもらっているところまで、幸せということになってしまう。だから、まあ、自力で自分の意志でという意味合いをもって、「現実に対処する能力と意思を保持した状態」としよう。

 引きこもり50歳もあるいみ意思を持ってそいういう生活をしているのなら「現実に対処する能力と意思を保持した状態」なので幸せとみえなくもない。

 若いころは幸せとは、「いい仕事について、お金があって、自分の好きな異性とひっついて、かわいい子供がいて、家があって、おいしいものが食べられて、欲しいものが買えて、楽しい旅行ができること」ぐらいに考えていた。まあ幸せそうだなあ。

 幸せって、「人から見てうらやましい状態」という定義ではないとおもうよ。タワマンに住む美男美女の夫婦、人からうらやましいと思われても実は旦那が浮気をしているとか、部屋を出てから建物の出口までがめっさ遠くて、駅から建物までが、入り口から部屋よりちかい(笑)とか、しまったこんなはずでは、というのは世の中あるようだ。

 自分は幸せだと思っている。意思を発揮すれば、ジジイであるとはいえ、様々なことを成し遂げることができるだろう。でもだるいのであまりがんばらない。食って、稼いで、したいことをして生きている。幸せではあるが、そう気分がいいわけではない。仕事はいっぱいあるし、いろいろ片付かないし、楽しい予定もなければ、食べたいものもあまりない。それでも意思をもって生きていれば、たまねぎを育てたり、じゃがいもをそだてたり、仕事をうまく転がしたり、家族の喜ぶ顔も見られる。結構な生き方である。いい教育を受けて、いい職について、そこそこの給料もらって、子供も育って、へそくりもあるおっさんってのは、幸せだけれど、心配もいろいろで、世間が思うほど楽しいわけでも羽振りがいいわけでもないのよ。

 幸せでないというのは、「自分の意志ではどうにもならない外力によって生きることが阻害されている状態」と考える。ようするに「俺のせいじゃないけど、嫌な目に合う」という状態。「つれのパチンコの借金で生活が苦しい。あいつ家の金くすねてパチンコにつっこんでやがった」「子供二人置いて女房が借金残してあまつさえ貯金700万円もって男と逃げた(まじで実話)」とかだろうか。頭来るだろうねえ。「政権が崩壊したので、軍部に強制される生活」とか、「政府に批判的な書き込みをネットにしたため収監されている」とか、「〇〇人というだけで収監される」などなど。でもまあ、一概に幸せでないといっちゃうのは失礼かもしれない。自分ではどうにもならない不幸な境遇に置かれたとしても、そこでどうしたらいいかを考え抜き、力を蓄えてその境遇を脱した人は、困難の中にあってさえ不幸ではないと思う。そういう経験したことがあるけれど、逆境をはねのけた自分かっけーて爽快だった。

 結局まあ、意思なのかなあ。生活が満たされていても、意思が弱くて、流されて、どうして生きていったらしいのかわからなくて、不安にさいなまれている人っていそうだし、そういう状態ははたから見えるよりも本人には不幸かもしれない。

玉ねぎを種から育てる、という「意思を持ってそれを遂行した」から私は幸せを感じているのかもしれない。やっぱり「現実に対処する能力と意思を保持した状態」が幸せな状態と考えてよさそうだ。こういうのは哲学書に書いてあるんだろうなあ。乏しい読書経験を露呈してしまっているよ。

 

20219月3日(金)

玉すだれデンドロに花が咲いていた。デンファレも開花。

 

やっと庭のチューリップの掘り起こしが終わった。5月に終わらせるべき作業が9月までかかった。最近気力が低いと思っていたのだが、一日1冊という読書が強烈な縛りになっていたようで、今日まで振り返ってみてこんな生活はあかんなあ、と思い至り、スパッとやめた。読みたいときに読みたいものを読めばいいのだ。続けてきた習慣をやめるのはなかなか難しいことではあるのだが、常に読書に追われまくるというのはまったくもってあほすぎるジジイである。ついに自由に。

 ずっと探していた曲を最近探し当てた。好きな鍾乳洞の動画を見ていたら、イタリアの有名な鍾乳洞、ファサッシというところでクリスマスソングを歌うオペラ歌手のおじさんの動画があった。おじさんはなんか渋くてかっこいいうえに、背景の鍾乳洞が猛烈に美しい動画でしびれた。そのおじさんAndrea Bocelliが歌うアルバムの中にNelle tue maniという曲があって、これが探していたメロディーと一致した。私が気に入って探していたのは女性のボーカルが歌うバージョンだった。なんでも映画「グラディエーター」で使われていたらしい。古代ローマ時代歴戦の強い軍人だった男が、ハメられて奴隷の身分に落とされ、家族を殺され家を焼かれ、という境遇から這い上がって自由になるまでを描いた映画じゃなかったろうか。女房や子供を殺されるのはかなわんなあ、とビビってみていた映画だった。Nelle tue maniって、「ついに自由に」って意味らしい。

本日菅首相退陣というニュースを見ていて、なんかAndrea Bocelliが歌うNelle tue maniが脳裏に流れるのよ。不覚にも涙が出た。こんなコロナ禍でオリンピックやりーのワクチンうちーのめっさ大変な時期に誰が首相なんかやりたいと思う?。この首相めっちゃかっこいいわ。こんなしんどい一年、何度もヤバい感じの東京で責任を投げ出さなかった屈強な首相だったと思う。ワクチン打ってもらってそこそこ幸せに暮らしている自分は感謝を禁じ得ない。

 

終戦時の首相って誰か言える人はあまりいないのではないかと思う。鈴木首相、とだけ頭に浮かぶ。「戦没者の60%強140万人は餓死」とかいわれているあたまおかしい軍部が戦争継続を主張する中、首相に就任させられ、軍部を上手にだまして転がして終戦に持ち込んだある意味日本を救ったような首相だ。こういう本当に大変な仕事をした人はあまり評価されず、なんか景気が良かった時の首相はみんなの記憶に残っているのであった。景気が良かったのは国民が頑張ったからで、首相のおかげじゃないと思うよ。

 

コロナもおっかないけど、不謹慎ながらコロナと人間どちらが危ないでしょう、と考えたら自分自身のものの考え方のほうがヤバイのよ。コロナの死者より自殺した人の数のほうが多い。コロナより自分自身が自分を殺しているわけよ。コロナも人の考え方で増減が決まるようなところがある。

 

おっさんがライトノベルばっかりよむのってなさけねーなーって内心思っていたのである。読みやすいからついつい毎日続けてしまったのである。この度、山岡荘八「徳川家康1」を読んだ。48年くらいまえに出た本だ。だれかの大きな蔵書印が押されたものが、職場に26巻まできっちりそろって、捨ててあったのである。10年くらいまえに。1冊でラノベ6冊分くらいの時間がかかった。濃いなあ。家康の母が水野家から松平家に嫁いで、家康を生んで、今川と織田の勢力争いへの対応から離縁されて実家に戻り、ちょっといかれた兄の差配で別の家に嫁ぐまでの話。筋は事実だが、フィクションパートが作者の力量でてんこ盛りで、かなり楽しめる。けれど、実母や産んだ子供と引き裂かれて出戻る於大の心情は胸に迫る。厳しい時代だねえ。

自分がいま生きている時代だってよく見ればとても厳しい面も見える。何もしなくて落ちる自由もあるけれど、何とかして切り開いて行く自由もあるのがいい世の中だと思うよ。YouTubeで「へライザー」とか見ちゃうけど、世界は美しいと思うので、そういう美しいところを見る目力を鍛えたいと思う。

 

ワクチン2回目接種(広島で30台男性が亡くなったのと同じロット番号だった)から2週間が経とうとしている。娘の職域接種に家族枠で呼んでもらったのである。ありがたや。

ワクチンを2回打ってコロナで死ぬ人は極めてまれだ。2回目のワクチンを打った翌日が結構しんどいという。私は、てんぷら定食をうまいうまいと食べて買い物で広いスーパーをうろうろしていた。ちょっと気分が悪いくらいだった。発熱はしなかった。なんとなく自分の体は平気なんじゃないかと思っていた。発熱したのは20年で2回ぐらいだから、発熱を楽しみにしていたのだが。

かみさんは高熱を出して24時間ほど頭痛と吐き気でろくに食事つもできずに転がっていた。ワクチンでこういう目に合うと中には死んじゃう人もでてくるかもなあ、と思った。ワクチンをうつというのはそれくらい真剣にコロナと向き合うということなのである。

 

2021年8月29日(日)

蘭に久しぶりに水をやった。活動がとても不活発で、YouTubeばかり見ているダメ人間になっている。

 

 近所の犬がイノシシに襲われて重傷を負ったという報が田舎特有の電話リレーで流れてきた。さらに、ハンターが駆除のため山に入るので、山に近寄らないように、というお達しもあった。イノシシに襲われて死ぬようなことってあるのか気になって調べてみた。ときどきあるようで、たまにニュースになるが極めてまれのようだ。

 怖い動物は、熊でもハブでもイノシシでもなく、蜂だそうだ。これが日本のチャンピオンで年間10人以上がお亡くなりになる。

 ではどのような死の脅威が存在しているのだろうか。

 日本の年間死者数137万人のなかでみた死因のいろいろは以下のとおり。癌(37万)>心疾患(20万)>老衰(10万)>脳梗塞(6万)>人間による(自殺2万、交通事故5000人、殺人事件300件)>コロナ(必死に抑えて1万)、インフルエンザ(1万)>>蜂(例年10人以上)>熊(5人以下)>ヘビ、イノシシ(数年に一人あるかないか)

 殺人事件は異常者のあほな行動なので、あほの考えていることはわからないからむやみと報道しても意味がないと思える。社会に変な人が発生しているという指標ではあるが、これは過去から一貫して減少傾向にある。報道が集中するため殺人事件が増えていると錯覚している人がいるが、年々減っている。結構なことだ。それにしても日本人殺人事件が好きだなあ。

 ガン、心臓、老衰、脳梗塞は、生活習慣に起因するものだろう。長年使ってきた体に遺伝的要素も加わって、ガタが来て生じる。そのうち細胞の若返りが検討されると大きく変わってくると思う。

 想像なんだけど、コロナ太りや経済の失速による貧困化などのほうがさまざまな疾患による将来的な死者を増加させ、コロナの放置より長い目で見ると恐ろしいかもしれない。

 また、コロナによる医療へのダメージで、コロナの死者を上回る別の疾患の死者が増加しているかもしれない。義母の心臓手術は、1波と2波の間でおこなわれたので、少々はらはらした。緊急事態下で、がん、心臓、脳梗塞を悪化させて十分な医療を受けられなくなった人のほうが、実はコロナ患者よりひどい目にあっているかもしれない。何しろ、死者数だけを見ると現状コロナの60倍なのである。こういうことをマスコミや政府はあまり言ってくれないねえ。マスコミのいうことを聞いていると、「なんでもっとコロナの患者を救うよう手当をしないのか?」「もっとケアできないのか」という気持ちになってイライラしてしまうのだが、それってガン、心臓、脳のお医者さんに、ICUよこせとかいっているようなもんか。コロナにこれ以上手厚くすると別の疾患や医療パワーの低下で死ななくていい人がお亡くなりになる可能性があるのだ。

 コロナが厄介なのは、割と派手に人が亡くなることや、これまでワクチンなどで制御ができていない伝染病だったからだろう。来年あたりには落ち着いていると思うけどねえ。

 

 職場の道を知らない動物が悠々と横切っていた。猫より大きい。アライグマではない。中型の犬くらいの大きさだろうか。クリーム色をしていた。顔がのっべりしているような。なんか闘ったら勝てる気がしない。たぶんハクビシンかアナグマじゃないだろうか。画像を見るとアナグマのように思えた。動物というのは若いころは好ましく見ていたが、じじいに近づくとなんとなくおっかなく感じる。

 畑を借りている裏の爺様は三毛猫を飼っている。ネズミなどの動物対策で買っているそうで、不妊処置済だという。その猫はエサはくうけど、全然なでさせてくれないそうである。人間になれず、近寄ってくることすらまれだ。なんとなく思うのは、不妊処置というのは、人間にとって必要なことではあるらしいのだが、猫の生存権があるとするなら、それを侵害する行為なのではないだろうか。そりゃそんなことを言い出したら、鶏の権利とか、豚の権利とか、牛の権利とか、殺生はいかんよねえという話になってしまう。でも猫を見ていると、エッチしたり子供作ったりしたいだろうなあ、生き物なんだから、という気持ちがわいてくるのである。母猫が子猫をぺろーんぺろーんしているのを見ると、したいからしているように見える。たぶん喜びに満ちた行為なのだろう。人間どんなときに幸せを感じますか、という問いに「SEX」を1番に上げることが他国では多いそうだ。人間の都合で猫のそういう機会をうばっているのか。なんか申し訳ないなあ。有名な女優さんがばーさんになって「子供を産んでおけばよかった」とおっしゃっていた。こういうことを書くと無神経かもしれないけど、子供がいるということは大層幸せなことだったと振り返って思う。だから、人類の古くからの友達である猫から子を持つ権利を奪うのは、とても申し訳なく感じる。

猫を飼う頭数は増えているらしいのだけれど、野良猫は減ってきて、猫を見る機会すら減ってきてしまった。まあ、人間はいい加減だから、飼うという責任をしっかり認識するための必要な手当てなのだろう。一方で殺処分というのがよくわからない。殺処分しないといけないのだろうか。ほっといてもええやんかと思う。「おさかなくわえたどら猫」を「〇ぬべし!」と憎むちょっと仏教徒じゃないような人がいるのだろう。猫の島とかつくってボランティアが食料をとどけて飼ってちゃだめなんだろうなあ。まあ、野良猫に強い嫌悪を抱く人もいるだろうし、猫アレルギーの人も結構いるらしい。猫は、昭和の時代は捨て猫としてわりとよく触れ合える存在だった。こちらが感化されるような人格者の猫もいれば、身勝手ないやな猫もいた。捨て猫があまりいないような現代だと、子供らは猫のすばらしさに触れる機会は少ないだろうと思う。人類の長い友達と疎遠になっているのはとてもさみしいことだ。

 猫アレルギーというのは猫をなでたりするとかゆくなったり、猫の毛などを吸い込んでせき込んだりなどの自己免疫疾患だろうねえ。現代の清潔な環境では体の免疫機能がこれまでの人類とは異なっているため、時代が進むほどに猫は人類と離れてゆく恐れがある。人類の古い友人を失うという流れは、自己の体の脆弱さにすら気づけない人類の危機なのではないかとさえ思える。身近に猫がいなくなることで精神疾患の患者がどの程度増えているのか、興味がある。

 

一日一冊本を読んで連続400日目。よく続くなあと思う。ときどききつい。安いので大量に買って積み上げてしまったライトノベル在庫1912冊ばかり読んでいる。直近の365冊では、定価224376円、調達金額2911円(1冊平均57円)。活字はストレス対策である。余計なことをくよくよ考えるのを阻害する。脳にテキストを流し込む。読むのが早いわけではない。13時間以上かかっているだろうか。脳内にアニメっぽい画像をつくってぐりぐり動かす。アニメ3話分ぐらいを毎日脳内で作るような感じ。「僕たちのリメイク」「無職転生」なるアニメが放送されているが、すでに読んでいたので「あれ、なんかこれ見たことあるなあ」と思うくらい読むとアニメを見たような感覚になる。本を読まないとネットの時間が増えてしまうと思う。ネットって残るものが少ないというか、使った時間のわりに思い出せるものが少ないように感じる。

 やったことのあるゲームには思い出がある。長い旅をしていたような記憶になっている。いったことのある電脳世界という思い出になる。ある程度の名作ゲームならハードもゲームも入手可能だが、ソシャゲとかは完全に失われて二度とその世界を訪問することはできないそうじゃないの。あとSNSってやめてしまったりすると何か残るのだろうか。残せばいいというものではないが、パソコンだと書いたものは1994年あたりから全部のこっている。ホームページも1998年から20年以上何も失われずに残っている。デジカメの画像も98年からある。音楽ファイルは、40年前のテープを電子化したりもしていた。

 本といえば、50年前の本などは部屋にざらにある。40年前に母に買ってもらった本は表紙こそ変わったものの中味はそのまんま現在でもAmazonで買える。

 通勤中大半の人がスマホをやっているのを見ると、あれって何が自分の中に残るのだろうか、自分が何を残せるのだろうか、とか思う。スマホって進歩速いからちょっと前までガラケーだった人はスマホに変わったときになにかを引き継げなかったりしたんじゃないだろうか。これから先もスマホは変わってゆくだろうなあ。iPhoneからアンドロイドに変わった人は困ったりしないのだろうか。ずっとWindowsだけど、MS-DOSの一太郎の時代から書いたものは残り、Windows3.1Win952000XP、7、8、1030年くらいの長い付き合いである。パソコンのバックアップなどは5台のパソコンのデータをあつめても1TBくらいだ。1TBHDD600円で調達できて在庫も多い。クラウドの1TBに毎月いくらか払っている人がいるのだろうなあ。ネットってお得かなあ?

 ネットの距離感というか関係性が人それぞれに違うように思う。自分にとっては、ネットがローカルで、自分を中心にいくつかあるパソコンに作業や記録があって、用があれば外のネットとやり取りをする。ネットを読んだり書いたりしている人は、ネットが自分の活動の舞台になっていて、多くの時間を過ごしているのだろう。それって外ですよねえ、と思う。その場所は渋谷よりもうつろいやすく、渋谷はなくならないだろうけど、ネットのプラットフォームはときにさびれてなくなったりすることもあるのがネットというものだったりする。パソコンや本があるとスマホは全く魅力的に見えない。スマホを持っている人が自分より魅力的なコンテンツを楽しんでいたり、なにかしらお得を享受しているのであればそれを十分検討して使う費用や時間を勘案して使用したいとは思う。でもまあ現状さっぱりお得さが見えてこない。高性能のスマホを安価に調達して安い通信費で運用することは難しいことではない。でもメリットが見えない。電車内でスマホをやるぐらいなら平均調達価格57円のラノベを読むほうがまし、という判断をしている。

 

 スマホを人がやる理由ってなんだろうか。

 SNS、ツイッター、FB、インスタグラムをやりたい人が多いらしい。:だるい。

 LINE:うざい。不要。ぼっちが楽。かみさんがいればOK.

 ゲーム、ソシャゲ?:やる気が出ない。

 ニュースのチェック:パソコンの右下らへんにマウスが当たると押しつけがましく最新ニュースを見せてくるからうざい。

 緊急情報、電車の運行状況、天候の急変など:まあパソコンで荒天時には確認している。

 電車の乗り換え情報。地図情報。:パソコンであらかじめ調べて覚えてゆく(異能かも)。2qくらいなら迷わず歩いてたどり着ける。

 決済:財布や貯金に大穴をあけているように見える。あまりお金を使わないのでありがたみがない。

 お得なクーポン?:家で料理して食べるので不要。少々の値引きにつられて将来必要なお金の貯めていない人が多いのはいかがなものかと思う。

 デメリットと思えるもの:画面がとても狭く、一度に表示できるアイテムが少ない。27インチの画面の前にいることが多いので、表示される情報が小出しになってしまうスマホの画面はちょっとむり。老眼だし。手持ちのスマホハード(4000円で調達した10個持っている)をWiFiでネットにつないでみてみたが、うげっと思った。情報が小出しすぎる。サルラッキョウのように画面をこすらないと必要な情報が出てこない。腕を掲げていると腕がだるい。だんだんかがみこむように覗き込むようになり頸椎損傷のリスクをかけることになるだろうに。中学・高校生はひかえたほうがよい。いや、むしろやめたほうがいい。

 スマホの恐ろしいと思っていることは、「なんかやりたくないなー」と思うことの前で、「ちょっとスマホやってから」になり、いつまでも本当はさほどスマホをやりたくもないのにずっとやりつづけてやらなければならないことや、やったほうがいいことを避け続けて時間をつぶしてしまうことだ。パソコンでやるネットでも覚えがある。やったほうがいいことをほっておいてあほみたいに時間をつかうことは自分もやってきたことだ。だからそういうものがそばにある中学・高校生はお気の毒というほかはない。気になるマンガのつづき、ゲーム、LINEのやりとり。私が現代の高校生でスマホをもっていたら、まっとうに学業を修める自信がないよ。そういう意味では悪魔のデバイスだ。私が耐性を獲得しているのは安い本を読む習慣のおかげだろうか。

 スマホは、かねと時間を失い、得るものは少なく、クズ情報で頭を染め上げ、人生を味気ないものにするデバイスになっている人もいるんじゃないの、と思う。仕事も学業もやることをきっちりやって、必要な情報を見たのちに、お付き合いですこしだけ手に取って使うというすごい人もいるだろうが。

 

2021年8月4日(水)

 ランみていないなあ。そもそも家から出ていない。

 

テレワークの日々、3回目が始まった。これまでだいたい2か月ほど蟄居していた。つぎ娑婆に出られるのは10月だろうか。秋だなあ。

 「ちょーあそびたいんですけどー」「どっかあそびにゆきたーい」「飲みてー、みんなと騒ぎてー」「田舎かえってのんびりしたい」「旅行したい、おいしいもの食べたい」「仕事せな生きてゆけん」という人々の欲望と切実さがあふれ出して感染爆発になったようであるな。「我々はどうしたらいいんだ」に対する答えは、「家に居て大人しくしてるんだ 夏が終わるまで」である。

小学校のころ聴いた井上陽水「夕立」(1972)の歌詞がなんか刺さる。ちょっともじって書くと「お盆の予定は全部中止だ。楽しい行事は全部忘れろ。嘘や冗談じゃないぞ。感染爆発(夕立)だぞ。おうちにいてどこにも出るな。秋がくるまで!」。45年前は、「一時の夕立ぐらいで、家でだまって秋まで過ごすって、すげーおおげさでおもろい」と思って聴いていたのだが、昨年の夏、なんか世相にぴったり、と感じて歌詞を思い出していた。まさに今年の夏のための予言の歌だったのか。今年は特に「ひどい目にあいたくなければ秋まで家にすっこんで大人しくしていろ!」と言われているようで、刺さる。

日本の若者は、高齢者のためにずっと我慢していたんだなあ、と思うと脳裏にコウペンちゃんがでてきて「がまんしてえらいっ!」とかいう。この間遭遇した阪急のコラボ電車がコウペンちゃんだらけでテンションが上がった。でもねえ、今回の感染爆発は高齢者はともかく、苦しむ中年と若者がものすごい数になると思うよ。「はげる(デートいけませんねえ)」「髪の毛がぬけまくる(おしゃれどころじゃないですよねー)」「ずーと味がしない(おいしいものが味わえませんねえ)」「ずっとだるくてやる気が起きない(仕事どころじゃないし、なにもたのしめませんねえ)」などの後遺症もこわいけど、「軽症でもめっちゃ苦しくて絶望感はんぱない」「人生で一番苦しい」というめに合う人がわんさと出ることである。「なんか政府や行政がいってるけど、もういいやと思っちゃって」たような7月までとはまったくちがう日本の恐ろしい姿が89月に現れてきて「こんなに大変なことになるとは」「これからどうしたらいいんだ」ということになる。私は家で大人しく読書と仕事をして過ごす。

 

北海道がめっちゃ暑いらしい。3週間ほど真夏日だとか。それってもう北海道のありがたみがないじゃんとか思ってしまう。この時期たまねぎが生育していたはずだ。暑いとたまねぎが不作になりそうな予感。すると1100円くらいになり、うちで貯蔵している500玉が5万円の価値になるのか(種代440円、マルチ800円、牛糞800円、あほほど注ぎ込んだ労力プライスレス)。ジャガイモも暑さに弱いだろうに。うちの50sの貯蔵品がまた貴重になりそうな予感。ただ、豊作だったジャガイモは昨年とはえらく違い、食感がわるい。昨年のジャガイモは口の中でほろほろと崩れて味もよかったのだが、今年のは固いのでかじって食べる感じ。秋ジャガイモ植えようかなあ。

 

オリンピック選手村の飯がうまいと世界で話題になっているそうだ。映像を見ると確かにうまそうだ。世界の料理が一堂に会する一流アスリートのための食堂なんてロマンがある。人類史上最も素晴らしいおもてなし食堂かもしれない。「オリンピック選手村食堂」としてリニューアルオープンしたら世界中から人が食べに来る東京の新名所になるのではないだろうか。ものすごい種類の世界の料理が24時間食べ放題だなんて楽しいだろう。食の万博だ。ぜひ行ってみたい。1回の入場で5000円くらいならゆく。韓国料理(本場韓国の韓国料理と、東京で世界の料理としのぎを削っている韓国料理だと、後者のほうが世界性がありそうだなあ)とかイスラムのハラル料理とか食べてみたい。こういう話題で喜んでいる感覚からするとオリンピックは十分な成功を収めたと思う。日本は飯がうまいという宣伝を世界中に発信したので、海外からすごい数のお客が来ることだろう。まさにおもてなしの真髄はめしだったのか。どなたが指揮したのだろうか。名のあるホテルのシェフだろうか。アスリート以外では最も活躍したのが食堂の人々だろう。

 

東京からの帰省や旅行の予定を中止して、という呼びかけがなされているなあ。東京の人民度高いから、現状すごい状態にこれからますますなるので、そんな東京から地方へ行こうという勇気のある猛者はそうそういないと思う。田舎のワクチンを打った親の顔を見て家で大人しくしているならまあわかるけど(とはいえ移動中のリスクがある)、「田舎の友達と遊ぶ」、などという輩はもはや「頭がおかしい人」認定される場合もあるだろう。けれど現状でも地方にかなり拡散されているようなので、どこの医療も相当厳しいから最大限の注意が必要であることは言うまでもない。

 

 

2021年7月25日(日)

 ランみていないなあ。

 

 激動の4連休が終わりつつある。木曜日にワクチン接種のため大阪に往復。金曜日は蟄居。注射した腕が打ち身みたいに鈍い痛みで腕を上げにくい。土曜日は義母の検診のため車で周防大島へのお迎え往復800qの旅。到着するやいなや「駆けつけ1個」と小玉スイカをまる1個だされた。食えるものだなあ。980円くらいで売っている奴だ。スイカって高いよねえ。スイカを食べ終わったタイミングで畑のスイカとカボチャとそうめんウリを収穫する。すごい汗が出る。驚くべきスイカとカボチャの量だった。あるところにはあるなあ。島の住民には接触しないようにさっさと帰る。お金使わなかったなあ。道中はトイレ休憩5回だけだった。きつい往復だった。

 あくる日曜日は地域の活動で草刈り。8時から。ワクチン接種後のちょっと頭痛がする感じの青白いデブが屈強な村人と草刈りをすると、なんつーか役立たず感ぱねーんですけど。早く終わってくれえとおもいつつ、いつ果てるともなく炎天下で2時間を過ごした。その後家でぶっ倒れて寝ていた。

 

 オリンピックかあ。オリンピックを楽しむ習慣がないので、勘所が分からない。報道番組で結果だけ聞く。開会式は165億円(リオ五輪は4億円)かけてとても不評だったらしい。なんでももともとの案がよかったのが、電通が乗っ取り、いろいろをごった煮にしたテーマのよくわからない安っぽいものになったらしい。「金返せ」とか言われていた。中抜き体質の電通は、過労死自殺事件以来気に食わないので滅んで欲しい。あそこ使っている企業の製品は中古じゃないと買わない(最近中古か見切り品しか買ったことないが)。超感じ悪い食い物にされている五輪にかかわると企業イメージが低下するのでCMをださないというのは賢明な判断だと思う。まあオリンピックはアスリートが頑張れればいいと思うよ。早速素晴らしい活躍をなさってくださってうれしい。

 五輪で浮きたち、ワクチン接種で油断している東京からガンガン日本中がコロナ一色に染め上げられているなあ。本日の東京は日曜としては最多の1763名の感染との報道。後遺症については有効な治療方法がないため、かなり長期間にわたり不調を訴える人がいるそうじゃないの。20代のような肝心な時期に後遺症でけっつまずいたらあとの人生に重大な結果がもたらされるかもしれないじゃん。若い人たちすげーかかると思うよ。「しまったぁ、もうちょっと辛抱していれば秋には終息していたものを」って後で後悔する人がたくさん出ると思う。もうちょっとの辛抱だったんだよ。6月くらいにたるんだ東京でインド株が広がり、この4連休なんかわんさと飛行機で全国にちらばってたりして、緊急事態宣言かの東京でおかしいだろうが。空港閉鎖してもいいくらいだよ。全国の若者や働き盛りのおっさんが危険にさらされたのである。うわー。ここからの2か月、多くの大事なものが壊れて失われてみんなすげー後悔すると思うよ。

 

 22日木曜日22時のニュースステーションを見ていて、隣国の火災の報道で、「現地メディアによると炭酸カルシウムに洪水で水が流れ込んで爆発」とテロップつきで報道していた。噴飯ものである。天下のテレビ朝日が、まさか高校生レベルの化学の知識で盛大な誤報をやらかすとは。東京には武甲山という石灰岩の採石場があって、東京の高いビルの屋上から見える。都民はこの山が炭酸カルシウムを主成分とする石灰岩でできていることを知っているはずだ。炭酸カルシウムは卵の殻の主成分でもあるし、真珠の主成分でもある。卵をゆでようと水にいれたら爆発するか?。炭酸カルシウムというのはせいぜいが二酸化炭素をふくんだ水にわずかに溶ける、という物質だ。

 この報道は、正しくは「貯蔵していた炭化カルシウムCaC2に洪水で水がはいり、生成した反応性の高いアセチレンに引火して爆発した」が正しいのだろう(CaC2+2H2OCa(OH)2+C2H2)。武甲山の石灰岩は一部炭素と混合して焼成し、炭化カルシウムが合成されており、この無機物からアセチレンをつくり、アセチレンから様々な有機物やポリマーを作ることができる。このようなポリマーはサンダルの底などに利用されている。無機物から有機物が作れるところがすごい。石油がいらんというところがすごい。

 話を戻すが「現地メディア」というところがこの報道のミソなんじゃないだろうか。もちろんテレビ朝日の担当者も十分に確認したとおもうよ。センターの点くれる問題レベルにひっかかるわけがない(次のうち誤りのある記述を選べ。@炭酸カルシウムに水をかけたら激しく燃焼した。A塩化カルシウムを乾燥材に使用した。B炭化カルシウムにはC22-イオンがふくまれている。C金属カルシウムを水にいれたら水素と水酸化カルシウムが生成した。みたいな)。想像なんだけど、その現地メディアさんは、「炭酸カルシウムといったら炭酸カルシウムなのです」。まるで「これは何に見えますか」「鹿です」「いいえこれは馬です。ここにいるみなさんはどうですか?」「はい馬です」。趙高かっ!。「あれが炭化カルシウムじゃなければ、なんと呼ぶのか(溶融金属アルミっていうのもあるけど)、僕は知らなかった」。

朝日は、現地メディアさんのいうとおりにしか報道できない約束になっていて、そうしないと現地から追い出されてしまう。そんなこんなで朝日は、現地メディアとその背後にいるほにゃららのヤバさを正しく伝えたのではないでしょうか(好意的に見れば)(もしくは、ただ単に「はい馬です」というその他大勢の官吏のように言いなりになっている)。

 隣国のとある都市が洪水で水没し、地下鉄も水没、地下自動車道も水没、恐ろしい数の死者が出たとみられている。現地メディアはさっぱり報道しない。支配者層がかっこつけてやったことのいろいろが民衆にひどい被害をもたらすのがかの国の伝統である。ダムを守るために水を放水したらこうなったみたいな。すげー人災。放水路つくっとくべきだったなあ。

 洪水の際にトンネルで海に直通する流路をつくったら建設費高いんだろうか。                                                                                      

 

 この時期の日本の桃って世界最高のフルーツだと思う。外国にこんなのあるのだろうか。いや、こまやかな配慮の行き届いた育成と梱包と運搬と流通の配慮があってこその奇蹟のフルーツだと思う。農家の皆様ありがとうございます。こういうのは世界中に空輸して富裕層に提供してがんがん外貨を稼ぐべきものだと思う。脳波で「うまい!」が測定できるのなら高い数値をたたき出すことだろう(そういう測定をすれば食品に付加価値がついて金になるだろうなあ)。桃に勝てるフルーツっておる?。富良野メロン、ブドウのピオーネ、ドリアン、メロゴールド、小夏あたりが頭に浮かぶが、桃は頭一つうまいとおもう。しかしうまいだけあって桃は高い。2780円くらいする。これまでうまいだろうなあとは思っていたが、そのうまさを味わうことができなかった。高価だからである。しかし桃は味に当たり外れがあるし、傷みやすい。ちょっと手が出ない。

傷みやすいおかげでちょっと見てくれの悪い桃は恐ろしく安くなるのだった。日ごろ見切り品を見に行く果物屋さんがあって、冬は林檎3100円、メロゴールド1100円、この時期桃は2個から6個で100円になる。この2週間で13個を400円でゲット。はずれは13個中2個(傷みが進んで味落ち、硬くて甘くないやつ)、他は甘くて、香りが良くて、柔らかくて濃厚な果汁がたっぷるりと、じゅわっと口の中いっぱいに広がって、冷たくのどに流れてゆく。とてもうまい。桃はあらって、色の変わったところは抉り取って、皿においてナイフとフォークで食べる。皮ごと食べる。桃はお店にいつもあって、なんでこんなうまいものが猛烈に安いのにほうっておくのか、不思議だ。たぶん世間様は、打ち身になって茶色になったりした桃が苦手なのだろう。なんか変な菌がいるようなきがするのだろうなあ。菌が居れば味が変わる。打ち身くらいなら十分美味しく、むしろ傷みかけのほうが甘みが強くてうまいくらいである。あかんのは、見た目綺麗でも硬い桃にあたったときで、甘みも薄く口の中でとろけるような感覚がなくて、ごりごりしている。見切り品を安く売ってくれる果物屋は本当にありがたい。おかげで財布に堪えるような高級フルーツをさまざまに味わうことができる。

 

2021年7月22日(木)

 オンシジウムだったかの原種の花がほぼ終わり。デンドロの原種も咲き終わり。何にも咲いていない状態に。

 なんかいろいろやる気が出ない。

 

 仕事でぐったりした状態で連休に。本日は職域接種とかでコロナ肺炎の予防接種をうけた。遠路はるばる大阪市内にゆく。痛くはないとは聞いていたが、受付から5分後には打ち終わっていたという手際の良さで、痛みはまったく感じなかった。628日に出勤制限が終わってその日に献血があったのだが、400mlを吸い取るぶっとい針にくらべれば蚊に刺されたようなもんだった。あの太い針が血管壁に吸い付く感じが嫌で、10分ほど動かないようにしていた。注射嫌いだけど、なんでもないので2回目も特に心配はない。

 なんかワクチンの反対派みたいなのが適当なことをいっているようである。何か問題があれば世界中の科学者がわんさと論文を出すだろう。コロナに関してもなにか情報が流れてくるたびに、原著論文にあたって確認したりしている。そういう論文のリファレンスもあげずに未確認の情報を流すべきではない。ツイッターであっても「接種は核のDNAを置き換える。論文はこれこれ」(デマ)と論文のDOIくらい記述できる。そういうことをしているひともいる。コロナのおかげで医学系の論文も読んだりした。すぐに原著論文に当たることができるいい世の中になったのに、あほが適当なデマを流して、その風説を鵜呑みにする。英語教育受けてるんだからアブストラクトくらい読めるように高校で教えりゃいいのに。なんのためのスマホじゃ。

 職場でワクチンについての説明動画があがっていた。RNAワクチンというのは、たんぱく質を細胞内でつくらせる設計図であるRNAを注射で注入してやって、細胞内のたんぱく質をつくる細胞器官(リボソームだっけ)で、コロナウイルスの外側に突き出しているイボイボのたんぱく質を作らせる。すると免疫系が、「なんか怪しいたんぱく質が居る」「おどりゃー、どこのもんなら?」「ぶっ殺す!」と、免疫反応を起こし(この際、イボイボと戦って熱が出たりするらしいが)、手配書みたいなものを作成して体がこのイボイボを覚えておいて、コロナがやってくるとやっつける準備をするというものだそうな。

 

 洪水めっちゃはやっているのか。ドイツとベルギーにつづき、ロンドン、エジンバラ、ニューヨーク、北京、ムンバイなど、どれか昔の動画だったりしないのだろうか。中国のは人が浮いたまま流されているのが見えたがえらいことだなあ。

 

 本日感染者は急増中だ。東京で1979人と大幅アップ。とってもおっかなかった大阪からみると、すごくたるんでいたようにみえた。大阪がひどかったときは東京は上手に抑えていたので、「さすがは東京、民度たけえ」と感心していたのだけれど、その後なんだか東京は嫌な感じを振りまき、とっても不吉である。せっかくやることに決めたオリンピックを盛り上げて選手を応援するいい感じに持って行けるところだったのが、なんつーか、もう「オリンピックいじめ」とか言われている。いまの感染拡大ってオリンピックのせいじゃなくて関東の人たちの行動の結果でしかなかろうに。しばらくげろげろな状況がつづきそうだなあ。またテレワークの日々に逆戻りだよ。

 

 以前ネットオークションで2890円で購入したノートパソコンが相変わらず遅いのでSSDによる高速化を検討した。Win10Proの更新もなんか問題があるのかうまくいかなくなっているし、中身も使い勝手が悪いので、現状の環境を捨て去ることに未練はない。SSDというとアマゾンあたりでいつも値段を見ていたのだが、相場は128GB2200円という感じだった。ヤフーショッピングで1980円というのを見つけた。謎のクーポンでさらに安くなり、コンビニ決済手数料や送料無料などで1642円だった。注文して、コンビニでお金を支払ったら翌日に封書で届いた。早速Win10Proを入れた。インストール楽になったなあ。30分くらいだろうか。これまで起動に340秒かかっていたのが、PINを入力できるようになるまで10秒くらい、23秒で起動した。いろいろサクサク動いていい感じである。まあ文献を読むのに使うノートなので凝った使い方はしない。

 

 

2021年6月20日(日)

 オンシジウムだったかの原種が開花。

 

 一週間があっという間に過ぎた。世間は緊急事態解除にむけてしびれを切らしたように活動を始め、リバウンドも始まっているようである。感染拡大がおさまったと思っていた英国では1日の感染者が1万人に増えつつあるという。どうも人はワクチンを打ちたくないらしい。ワクチン接種後196人亡くなったという話を聞いてワクチン危ないと思っている人がいるそうである。12400万人の日本人は年間137万人お亡くなりになるそうで、一日では3000人だったかになる。ワクチンを打った人は1000万人くらいになるそうで(このうちお亡くなりになるのは年間13万人とすると、1日当たりでは300人くらい)、多くが高齢者だとすると、結構な数のひとがワクチンとは関係ないごく自然な理由でお亡くなりになることはありうるだろうなあと思った。だからワクチン接種についてはあんまり心配していない。打てばたぶん結構痛くてしんどいのだろうなあと思うが、まあ打つ機会が来れば打とう。

 

 ジャガイモの集計をしたら54sあった。植えた芋がだいたい20倍になったようだ。すげーなジャガイモ。たまねぎとじゃがいもが畑からいなくなってちょっと寂しい。黒大豆の苗を作っているのだが生育が思わしくない。今年のセンチュウ対策はどうしたもんだろうか。

 

 日課の読書と勉強と、テレワークはなんかきつい。仕事場で立ち仕事がいろいろあった日常のほうが体も気分も楽ではあった。書き物に打ち込んで日課の時間を圧迫し、日課をじゃまくさく感じるので前倒しにやっつけるように心がけていると毎日せわしない。急坂を無心に登るようなこんな感覚は久しぶりだ。ネットもつまらなく感じることがある。

 

 ベーグルの生地を発酵させてパン生地にして焼いたらフランスパンみたいな味になってうまかった。冷えたらやたら歯ごたえのあるパンになった。賞味期限切れ半年を経過した強力粉(業務スーパー、1671s)がベーグル2回、パン2回で使い切れてよかった。かみさんがフレンチトーストに加工してくれたのでパンを消費することができた。

 スコーン4回目を別のレシピで焼いたが、またもかみさんに不合格を食らった。ちょっと本物を買ってきて食って勉強しようか。

 

2021年6月13日(日)

 デンドロの珍しい原種が開花(えーとなんだったかなあ。笹みたいな細いバルブに1輪ずつ咲く奴)。カトレア1種、垂れるシンビジウム(デボニアナムの交配種)がかろうじて咲いている。

 

 昨日ジャガイモ堀をした。3sの種イモ(900円ぐらい)を買って2分、3分割して90個にして植え、80株が育った。Youtubeの動画を見て、「下の葉が黄色くなったらもうそんなに芋は大きくならないから掘ってもよい」とのことだったので、2週間前に試し堀りをした。その1株からは1047gのイモが取れた。いやこれはたまたま生育が良かったのだろうとおもった。3sのイモが80sのイモになるはずがない。それに芋は昨年よりも小さく感じた。

 昨日掘ってゆくと、「えっ?」というほどでかい芋がごろごろでてきた。でかい芋はうまい。スーパーでは規格外で売られていないタイプのイモが1株に1つはでてくる。中堅クラスのイモで、1個だけ買うとだいたい58円だ。1株あたりだいたい6個はでてくる。すると1株当たり360円、これが80株で、28000円くらい、などと皮算用をする。まあそれぐらいの労力は捧げていると思う。

はじめは丁寧に掘っていたが、だんだん疲労が蓄積する作業で、ええかげんに備中ぐわをつかって掘るようになったところ、せっかくできたお芋にフレンドリーファイヤーをかまして負傷者がでてしまった。小分けして運搬していたが、すごい量だった。本日は腰が痛い。

とても甘いたまねぎもできたので、この芋とクリームシチューをつくってもらった。ジャガイモもタマネギもよく使う。

 

 本日誌を編集するパソコンの液晶画面は古いもので、21インチである。普段使っているパソコンは、23インチのIO-DATAを使っていたが、職場みたいに27インチを使ってみたいと思うようになった。そういうでかいものを中古で買うと、はずれを引くとバカを見るだろうなあ、と思いつつ、例によってオークションサイトで安い出物がずらりと並んでいたので入札してみた。買い手の心理だと、落札時間に差がある場合、最初のものが安く、後に行くほど高くなるという現象がみられていた。これは、あとのもののほうがまだ値段が安く見えることや、まだ次があるさ、という安心感から最初の入札で模様眺めをしてしまうというようなことがあるのだろうと考えた。だから3台あるうちの最初の1台を競り落とした。案の定後の落札分は値段が上がった。まあモノによるとは思うけれど、こういう競り合いで相手がどう考えるか、しっかり考えてしまう。結果送料決済手数料込みで6129円という市価の3分の1で27インチディスプレイを調達した。もう新品は売っていない三菱様である。想像だけど、いいものを作ってきた日本の製造業は価格競争で海外勢に敗れ、いいものである三菱様は市場から姿を消してしまったのであろう。世界の消費者の目線は、いいものよりも、なにかあたらしいもの、ということなのだろうか。使ってみて値段の割にものはいいと思う。たぶん長期間使えるだろう。大事にしよう。

 海外メーカーの製品ってちょっとあたっただけでぱりんと割れたやつを見たことがある。薄くて軽くてもろかった。こんにちはそういうものでいいのかもしれない。数年後でかいディスプレイよりもっといいものが出てるかもしれないし。ひょっとするとかぶるタイプのディスプレイで、没入感がすごくて、自分の周囲にウインドを開き放題になっていたりして。まあ仕事がはかどるかどうかは疑問だが。

 緻密な図をA3の大きさで集積するなんていう作業をやってみると、なるほど広い方が助かる。

 

 上野秋葉原をぶらぶらする動画を見ていると、昔あの辺に行くのを楽しみにしていたものだが、今はさして行ってみたいと思わないところになった。あの界隈はさすが地方であまり見かけないものを見たり手に取ったりできた時代があったが、いまではそんなに魅力を感じなくなってしまった。5月ごろの動画だったのだが、人込みなのにマスクがルーズな人を多く見かけた。露天の店で若者がすごい近距離で肩寄せ合ってご飯を食べている映像などをみると、よくあれで感染がおさえられるなあと不思議に思う。これまで「東京うまいこと抑え込んだのかすげーなあ」と感心していたのだが、最近はリバウンドを始めつつあるようにも見える。まあゆるんじゃうよねえ。だからオリンピックやるんだったらここらでえげつない締め上げをいっぱつかましておいた方が、ということを政府は考えたりしていないのだろうか。

 この50日間飲食店で飲み食いをしていない。すしくいてー、と思うことすらなくなってきた。おうちごはんに順応しきっている。本日はレーズン入りベーグルを作った。

 

 

20215月まで

20206月まで

 

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