蘭馬鹿日誌2012および更新記録

ランのよしなしごとをつづる。下に行くほど昔 

連続有蘭花日数3910日(2012/5/7)

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2012年7月28日(土)

 バンダ.?「池田」(2009年12月28日)がみごとである。色が冬とは違うなあ。濃いというか。紫っぽいというか。

 

 仕事の山場をいくつも超えてぐったりしている。寝室のエアコンが不調で、熱帯夜で、職場も30℃を上回る気温なんやかんやの悪条件を耐え抜き、仕事を全部やっつけた。

 休日は何もする気にならないねえ。パソコンのある部屋にはエアコンがないので夜になっても30℃は超えているだろう。高温だととたんに文章の出が悪くなる。

 早朝から移動して兵庫県の山奥から東京を往復した。ひさしぶりに東京へ行くのであるが、東京ってけばくて、ゲーハーが多いなあ、と思ったくらいで、まったくあそびはなくて、とんぼ返りであった。

 道中伏見つかさ著「俺の妹がこんなに可愛いわけがない7」を読む。いいおっさんが図書館から借りたラノベにカバーも掛けずに道中新幹線ではずかしげもなく読むというのは神経が太くなったなあ、とあきれる。新幹線というのは在来線より恥ずかしい奴が多いから自分も少々はずかしくてもいいや、とおもっているのである。なんか新幹線の客って「こいつモラルひくいなあ」というのが多い。前の家族連れは電車が止まっているからといって座席で通話している。新幹線というのは羽目がはずれるんですかねえ。この小説を読んでヒロインに惚れ込んだ30男が、作者はヒロインをないがしろにしている、と怒って、9000通の脅迫メールを送ってとっつかまったという事件があった。裁判どうなったのだろうか。どんなすごい作品なのだろう。わたし気になります!、というわけで、まずアニメを借りてきて見た。まあ面白いことはおもしろい。小説の1巻を105円で入手できたが、このあたりの内容はよくわかっている。図書館で7巻を借りて読むと、なるほど大層面白いとおもった。このあたりはアニメの先の話なので興味深い。いったいこれは話をどう収拾するのだろうか。ラノベとして「萌え」にある種の輝きというか「華」があるねえ。今後が楽しみな作品である。

 面白いラノベといえば川原礫著「ソードアートオンライン」が一押しだ。5−9巻を読んだ。クリアーで美しい映像が脳内に展開されるのは著者の筆の冴えによるものだろう。特に9巻は圧巻だった。10巻読みたさに図書館でネット予約のための申請手続きをして、予約を入れて置いた。本が戻ってきたら普段利用している駅の分室に取り置いてくれるという便利さである。いやあ、読書って本当にいいですねえ。

 

 「スーパープレゼンテーション」なる番組をみていて、格差の大きさと、社会的問題発生の間には相関があって、格差はデータが存在する先進国中では日本が最小でアメリカが最大、おなじく社会的問題発生は日本が最も少なく、アメリカが最多というグラフが示されていた。まあ住めば都というから外に出て住めばそこがいいと多くの人がいうだろう。けど、日本人は外に出ると粗略には扱われないからねえ。日本人の良いところを日本人はよく理解していないかもしれない。

 「アメリカンドリームを実現したければ、デンマークへいったほうがよい」という発言もあった。どういう事かというと、リッチはリッチに、貧乏は貧乏のまま、というのがアメリカの本当の姿で、貧乏でも苦労してリッチになれるのはデンマークというのである。まあ納得できる内容だ。日本だって貧乏人はブックオフに行って105円の問題集を買ってまじめに勉強すればいい大学に入れると私は思うよ。金があって塾にゆけるから良い大学に入れる、というものではない。そんなの本人の志でなんとでもなる。高校時代級友にそういうと、本気にしてやたら勉強して学費の安い大学に行ったのを見ている。我が家は裕福ではなかったが、勉強には金がかからなかった。いまこのときだって金をかけない問題集主体の勉強法は有効だ。このしょぼいおじさんだってセンターで六割は堅いぜ。センターで点を取れば学費の安い質の高い教育を受ける機会を得ることができるのである。まだこの国には若者にチャンスがあるのだ、これでも。よそはもっとひどい。所得のせいにして勉強していない奴は真のバカとしてバカを見るのだ。くだらねえ遊びに時間を蕩尽してねえで勉強ぐらいすりゃいいのにと思う。高校生の六割が家庭学習時間0だっていうしなあ。どいつもこいつもすげーさぼっているようにみえるから貧乏人にはいまがチャンスだろう。

 格差が小さいほど平均寿命が長い、というデータも示されており、またしてもプロットの両端は日本とアメリカだった。なんか日本ってすげえなあと思う。でも世界一だった女性の平均寿命は最近落ちてとうとう香港に一位を譲ったそうだ。香港すげえなあ。日本の女性がなんで寿命が下がっているのか、表向きは地震のせいと言われているが、本当のところはどうなのだろう。

 こういう事を書くと怒られるかもしれないけど、若い女性ってなんか不健康そうにみえる。キモイくらい白いし細いし背が低い。なんつうか、ちゃんと育ってねえっちゅうか、食って体動かしてねえんじゃないか。男より料理が下手になっているっていうじゃないの。あんなんで骨モロモロで老後を乗り切れるとおもっとんのかねえ。あめえよ。医療費考えただけで恐ろしくなる。

 

2012年7月23日(月)バンダ.?「池田」開花

 バンダ.?「池田」(2009年12月28日)が咲いてくれた。毎年冬の開花が本番らしく、夏の開花は珍しい。調子がいいからなのか、それとも、調子が悪いからなのか、冬の開花に加えて2回の開花となった。

 

2012年7月22日(日)Encyclia tampensis開花

 Encyclia tampensis ‘Fine Green’×selfエンシクリア・タムペンシス「ファイングリーン」自家受粉が咲いてくれた。村上園芸で500円にて購入した株である。丸いロウ質のツヤのある12mmほどの直径のバルブにながーい1枚葉がぴーんとかっこよく伸びている。バルブは5代が連なっていて、それぞれに葉があるので、かなり長持ちするようだ。その丸いバルブのてっぺん、葉の付け根あたりから25cmもの花茎がにょーんと伸びて、つぼみが3つでてきた。そのうちの一つがぱかっと開花した。なんというか、つやのあるバルブの丸さ、葉の描く優美な曲線、伸びた花茎の直立する様、ひょうきんな花など、実に面白い。

 

2012年7月21日(土)デンドロビウム・モスカタム開花

 Den.モスカタムの赤花(2010年8月1日 )が咲いてくれた。1m級の古バルブの頂点付近から花芽がでておけけの生えた袋状リップのあるでかくて香りのある花を多くつける。我が家では唯一大株とよぶべきデンドロである。

 白いエピデンドラム(仲里、と呼んでいる)も咲いている。このエピデンドラムもつきあいが長いなあ。

 植え替えたデンファレのバックバルブを転がして置いたら新芽が出てきたので鉢に水苔で植え付けた。このデンファレどんなでんふぁれだったろうか。Den.Arikaだろうか。別のバルブからはなぜか花芽が出てきている。根っこもないのに花芽を出してくるとは無茶をするなあ。この花芽をみて、気を惹かれて、新芽を鉢に植えることにしたのだ。あたかもさぼり気味の世話人を促すように季節はずれの無茶花芽を出してくるとは、なかなかうまいランだなあ、と感心した。

 

 あっという間に土曜日がきて休戦になった。ぼーっと借りてきたアニメのDVDなどを見て過ごす。アニメ「けいおん!」を借りて見た。なんというかお茶ばかりしている。なぜかプリンアラモードやらケーキが食べたくなった。楽しそうな高校生活である。私の高校生活も楽しかったと思う。同級生は気持ちのよい奴らとええ感じの女子高生様だらけだった。日々お勉強攻略作戦の連続だったろうか。武将、知将、国盗り物語のような戦国時代がお勉強で展開されていた。よく闘ったと思う。これが中2から大学卒業まで続いた。中1まで劣等生だったので(最初の中間テストで英語42点、数学51点を取った)反動だったのかもしれない。戦国時代は、今も似たようなものかもしれない。合間に生徒会活動やらクラブ活動もあったから勉強ばっかりという生活でもなかった。楽しいことしか覚えていないのは私がじじいになったからだろうか。

DVDのレンタルが80円になる日がこようとは。競合店が近い店らしく、ずっと80円で商売をしている。同系列の別の店では100円なのだ。30分のアニメ、8時間のエロ、2時間の本格的な映画まで、どれもこれも80円というのはなんというか、あまりにおおざっぱすぎる商売のような気がする。8時間80円って、1時間10円の娯楽か。時代はどんどん移り変わってゆくなあ。デフレ感満載の娯楽である。

 本日は先週に引き続きまんが10冊を500円で借りてきた。10冊は多かった。2冊よみきれなかった。そうはいっても10冊単位で借りると安くなるので仕方がない。9冊だと1冊90円になってしまう。このほか今週は300pの文庫を3冊読んでいた。娯楽か、仕事か、寝ているか、の生活だった。

気がつくとすぐ休みになっていて、日付がぶっとんでいる。世間の話がまったくわからない。プロ野球だのオリンピックだのがあまりにも遠く感じる。1ユーロ95円という新聞の活字をみて驚く。いったい何がおきているのだろうか。たぶん世間のことに関心がなくなってきたのだろう。

 

 2TBのHDDの値段は、かのタイの洪水以前に6千円だったころがある。あの洪水の後1万円を超えて、しばらく下がらなかった。今月に入り久しぶりに8千円を割り込んできた。やっとWindows7を導入できるのだろうか。しかし気分的にはだるい。HDDが6000円になってもたぶんやらないだろう。なんというか新しいからといって仕事が楽になったり、効率的になったり、よいアイデアが出たり、ということはたぶんない。そういうのは手前の脳みそががんばる領域であって、やるべきことはXPでことたりてしまう。

 まあこういう考え方ってたいそう活力がないなあとは思う。なんか欲しいモノはないのか、と思う。

 ちょうどそんなときにNHKの「オイコノミヤ」なる番組で「貯金なんて意味がない?後編」を見た。貯蓄高にしめる39歳以下の割合は5.4%とか。大半は60歳以上が握っているという。その貯金ってのは、日銀が発行する銀行券83兆円が市中をめぐって信用創造した783兆円になったものなのだとか。信用創造の仕組みはいまひとつぴんとこないのだが、持っているお金を銀行に預けると、それを銀行が誰かに貸し、さらに借りた人が市中でまわし、というのを繰り返して、見かけ上お金が増えるというのである。お金というのは実体はなくて、人と人との間の信用を基盤に、経済をぐるぐるまわしているのである。不思議な。人と人、社会と信用あってのお金である。だからこの世の中他人や社会や国は信用ならない、頼みはお金だ、とお金にすがる人がわっと増えるとこの経済という奴はまじめーに働いている人が支えているので、そういう人たちが「なんだばかばかしい、もうどうでもええわい」と思ったらおかしくなってお金そのものがおかしくなるのではないかと思える。だから働き盛りで重労働で、ロストジェネレーションとか、非正規雇用とかで割を食っている人たちの貯金が貯蓄全体の5.3%ってのはちょっとやばいかもしんない。お金なんてちょっとしたことであっというまに価値が下がるというのは歴史的にちょくちょくあったことだ。ついこの間だってお隣の韓国の通貨が暴落して韓国のみなさんはえらいめにあった。日本がそうなっても「想定外」とはいえない。なにしろ多くの経済やっている人たちがそういう警告を出している。そうならないようにするためには、お年寄りがむやみと将来への不安からため込んでいるお金、あの世にも火葬場に持ってゆけないお金、それを子供や孫のために使うとか、自分の楽しみのために使うとかすれば、若い人たちの仕事ができて、お金もよくまわって、税収が増えて、年金財源も確保できるんじゃない。

 そういうわけで、私はへそくっていた小遣い、何が楽しくてためていたのかわからないお金を家族の楽しみのために努めて使うことにしたのだった。お金大事と変に我慢してきたのであるが、本当に使い道を思いつかないので、ちょっと財布のひもをゆるめることにした。やっぱりじっくり考えてしまうが、これまでのように数字が増えるのが楽しい、といのはやめにしよう。生活の質向上のために効果的なお金の使い方を研究するのである。そういう努力をせずにお金が自分にとって紙くず同然になってしまってはもったいない。

 

2012年7月20日(金)デンドロビウム・アフロダイト開花

 Den.アフロダイトが開花していた。かなり繁茂しているのだが、古いバルブから単発で1輪ずつ咲く。今回は2輪さいてくれた。ぼこぼこ玉がつらなったようなバルブが面白いでんどろである。

 

2012年7月16日(月)

 L.crispa(2012年7月7日)はなおきりりと咲いてくれている。ツニアは劣化が始まっている。

 

 3連休は仕事を忘れ果ててぐったりして過ごした。寝苦しい夜だった。日中はとっても空がきれいで夏が来たなあ、とおもった。

 ニュースを見ると、本日は35℃ちかかったらしい。ニュース映像で東京からみた富士山の画像がでた。富士山高いなあ。想像で富士山の変わりにヒマラヤのマチャプチャレ6993mを置いてみる。うわ、スゲー高い。富士山の倍近い高さである。富士山まで池袋から100kmくらいあったとおもうのだが、そこからみて富士山はすごい山だったのだが、その二倍近いというのはもの凄く高く感じる。

 マチャプチャレはヒマラヤの写真によく写っているものすごくとがっていて高く見える山である。ヒマラヤ観光に行くとカポラという街にゆく人が多い。標高800m。この町からアンナプルナ山系のこの山がみえる。NHKで夜中やっていた「ヒマラヤ大空撮 豊穣の女神アンナプルナ」なる番組をみてこの山にはまった。10回以上録画を繰り返し見ていた。妙なモノにはまるなあ。ヒマラヤに行ってみたいものである。

 

 原発ありなしを選択するために必要な情報が、相反する内容で示されているため困る。「放射線20mSvでは人体に影響はない」vs「少しの放射線量でも大きなリスクがあり得る」。「地球温暖化はCO2削減によって防げるから原発推進」vs「COは温暖化の結果であって原因ではない」。「チェルノブイリでの死者は数十人規模」vs「チェルノブイリが原因の死者は100万人になるだろう」。「化石燃料は枯渇するから原発」vs「メタンが安く多く将来もえられるので原発不要」。

 本でそれぞれこのような主張を見たので、「どっちやねん?」と惑乱している。どっちが本当のことを書いているのだろうか。書いてあるものはうそはつけないから、どちらもある条件で計量すると正しいのであろう。でもまあ我々に必要なことはなんなのだろうか、と思わないではない。

 原発は電力を支えてきた実績がある一方で、再生可能エネルギーは同じ年月研究開発を進めて1%そこそこと非力である。

 原発は、「トイレのないマンション」といわれるように、うんこにあたる使用済み核燃料の処理技術がへたれで(「トイレのパイプ」に相当するものが詰まったそうだ)、メルトダウンの危険性があるうんこが原子炉圧力容器の外のプールにたまりつづけ、まもなくうんこだめもいっぱいになるという。将来性に問題があるねえ。

 メタンだろうが原発だろうが、まあうまいことやってください。

 

 ぐだぐだの三連休だった。もうあきらめた。連休はもうぐだぐだでゆく。多量の娯楽を消化した。娯楽はともすると仕事よりしんどい。

 

 そういえばI氏から、かのカトレア(2012年6月24日)は、C. Sea Breeze ‘Fellraths Pride’ であると教えていただいた。どうもありがとうございました。

 

2012年7月14日(土)

 L.crispaはきりりと咲いてくれている。すげーなあこのカトレアは。秋に株分けの必要がある。

 

 庭のランをみまわっていると悪臭にいやな気分になる。先週298円で「ランの肥料」油かすのかたまりを買ってきて新芽のあるものに施してきたのであるが、梅雨の雨でよーく腐って庭中死体が転がっているような臭いがしてハエが飛び交っているのである。ラン栽培の優雅ならざる一面であった。まあ、なんか効きそう、とはおもう。

 

 激戦2週間の記憶がぶっとんでいる。

 おっさんの読書は最近ラノベなど変に若いものを読んでしまう。川原礫著「ソードアートオンライン」が面白い。2カ所の図書館でかり出せたのは5,6,7,8,9巻の5冊であった。そんな途中から・・・とは思ったが、この作者はストーリーテリングがうまいので、途中から読める、途中でもおもしろい、話がわかる、という希有な作家であった。「アクセルワールド」は、2,4,5,6,9,10巻をとびとびに読んで、それでも大層面白かった。8,11巻を借りてきた。人気の本は図書館で借りる場合予約行列ができるものなのだが、ラノベは人気が出るまでが遅い。こんなおもろい本を予約無しに借り出せるというのは、最近の若いやつらはよほど活字を読むのがイヤで、アニメが放映されるまでひたすら待っているということなのだろうか。原作ならアニメの2年先まで2週間で読めるというのにもったいないことだ。

 読書脳ががんばれば、アニメを超える楽しみや感動を得られる、と思う。読書脳を鍛えれば、安価で高品質な楽しみを手に入れた事になる。海外旅行や高級ブランド品購入、アミューズメントパークへのおでかけなど、お金のかかる娯楽にくらべ読書による娯楽が劣っているとはとうてい考えられない。それゆえ読書には圧倒的なコストパフォーマンスがあると思う。まあ20代後半になってからやたら読書をするようになったので読書に遅いと言うことはない。たぶん面白い本との出会いが大事なのだろう。

 

 いじめ問題の火の吹き方がすごい。加害者に怨念すら感じる。「そんなガキはぶち○してしまえ」と正直一瞬思った。鬼畜なガキあいてにこっちも気分だけ鬼畜になったわけである。だから憤りが去って気がついたのだが、マスコミの報道加熱を見るに「それって世間全体で加害者と加害者の関係者におんなじことしてねえか?」ということである。今は、「加害者の親兄弟親類がかわいそう。ちょっとみんなやめなよ」と思っている。自分の影響力を考えずに自身のブログで加害者と加害者関係者の実名をさらした芸能人がいた。このひと気持ちはわかるけど、やってることは鬼畜のがきどもと畢竟同じで、かなりやばい。

「あいつら○○だからむかつく、なんか言っちゃえ、やっちゃえ」というメンタリティが日本人にはあるということがよくわかりました。そこですよ。我々に必要なことは、「そんなん興味ないね、ほっとけば」というメンタリティなのである。「あの子○○だから、無視、いじる、いじめる」というのは、「おれはOKだから、ほっとく」の反対に「おれはいろいろ面白くなくてつらいから、誰かをおとしめたい、自分の気休めにした」というところからきているのではないか。「いろいろ面白くない」という時代は私にもあって、ねたみもひがみもそねみも見下したいも気分としてはいろいろわかる。それを長い年月かけて、ひとはひと、立派な部分はリスペクトし、へたれな部分は気にしないようにもっていった。そういうのは何年もかかる。やりたいことややらなければならないことが増えれば他人事にかまっている暇はなくなる。中学生は暇なんだろうなあ。だから、いじめというのはその現場の仕組みが悪いのだろうと思う。中学生と長くつきあってきたわけで、中学の荒れっぷりは実にすごかったと実感していた。加害者の鬼畜中学生ってのはもってゆきようによっては普通の中学生になれた、と私はおもうのだけど。

これからいじめバッシングが巻き起こるのだろう。それで中学がよくなるのかは疑問だ。マスコミはまた「思考停止」とまで書かれている媒体なので、先生方の置かれているつらーい立場をかえりみずに教師をたたくのであろう。中学がかなりよろしくない状況なのをマスコミはわかっていないんじゃないか。

子供に回っている税金って年寄りの15分の1というのを聞いたような気がする。ひでえなあ。それだけばかなことをやっているからあと14ヶ月で年寄りの預金が雲散霧消するって言われるようになるのだ。自業自得か。

中学教師の給料を上げて欲しい。そんでもって雑用を減らす。モンスターペアレントに負けないだけの強靱な人材、ともおもったが、モンペアは弁護士や警察や法令で撃退してしまおう。先生にモンペアの相手なんかさせたらいけません。そんなのは即顧問弁護士に話を回して裁判所にひきずりだしてやりましょう。

加害者を「ぶち○せ」という一瞬の感情のあとから、「まあまてよ、みんなおちつけ」といいたい。中坊なんぞはまだ人間がかたまっていないので、鬼畜にもなれば、普通の子供として将来の大事な働き手にもなりうるのだ。いまの子供を取り巻く環境が悪いので偶発的に鬼畜になっているだけなのである。

あの年頃の「うざい、きもい、死ね」という発言には慣れた。最近はテレビを見ていても「うざい、死ね」と言い放つ芸能人を見かけた。もう挨拶みたいなものかもしれない。もちろんそれを言われた方は辛いこともわかるが、言う方は簡単にいっているのである。理性としては、加害者をエスカレートさせた周囲の存在、しくみの悪さを感じる。被害者のみならず彼ら3人、自分たちと周辺の人々の人生に甚大な被害を与えることになろうとは「想定外」だったことだろう。これだけ大事になったおかげで、今後多くの命が救われた可能性がある。大人社会の我々は、現在強烈な攻撃に曝されている関係者を護り、先生や生徒がやりやすい仕組みを作ることだと考えている。

いじめたほうも今回はひどいめにあっているようだ、という点が大事だ。そうなることを仕組みに組み込む。法令かなあ。「学校の内部告発アドレスが公開され、投稿された内容は教育委員会と行政機関、警察に配信され、学校及び加害者の保護者が十分な調査、対応、報告を行わず放置した場合処罰がある」「暴力、窃盗などいじめ事案が疑われた場合、行政のいじめGメンが出動し、被害者および加害者、教師の観察を行うものとする」「人権侵害にあたる事例が担当する弁護士により確認された場合、関係者に警告を発し、事象が改善されない場合は行政処罰が行われる」「告発では、有力な情報には報酬(図書券)が供せられる」

行政からの警告一発で加害者の親も子供もびびって「じゃあほっとく」になるんじゃないの?。ある日いじめ生徒は担任から呼び出され、教頭ともう一人背広の紳士と対面することになる。そんでもって温厚そうな紳士(警察OBの方などいかがだろうか。見た目こわそうなんだけど声が温厚というかそういうおじさん)から法律的な警告をやんわりと説明されることになるのである。大変教育的な社会との出会いの機会となるのではないだろうか。中坊なんてのは親が言っても聞きゃしないことがおおいが、知らないオジサンに言われるとちょっとは考えるんじゃないだろうか。被害者を辛い目に遭わせたことで加害者も、それを放置したり助長したりした周囲もぎょっとしたりどきっとして懲りて欲しいのである。大事なことは、被害者が自殺という最悪の結果になる前に社会がおかしな関係をひっそりとたしなめるという仕組みだと考える。

学校のことを学校に丸投げにしすぎていると感じる。そのくせ、親は文句を言い募るのである。「警告一発」でちょっと頭が冷えるのでは。どうしても納得が行かなければその親は担当弁護士と懇談すればいいのである。学校も社会なのだから、社会の仕組みでサポートすべきだよ。世間からの一言が届きさえすれば今回の事件も防げたと思う。だから、加害者とその親の情報を詮索するなど「ばっかじゃねーの」というようなことはさっさとやめて、こんな世界から「日本モウダメネ」といわれそうな問題の解消に努めようぜ。

 

2030年に原発15%かなあ。

人の命の方が大事だから原発をとめろ、という人がいらっしゃる。じゃあたばこやめろ、くるまやめろ、って言ってよ。原発0%とした人は34%だった。過半数はいまのところ原発ありとしている。

結局のところ支払う電気代がモノを言う。他に選択肢があれば原発はやめときたい、というのが正直なところじゃないだろうか。

企業が電気を売れる仕組みを作って、様子を見たい。企業が安いメタン(日本が現在買っている値段の8分の1とか)をアメリカから買い付けて、発電し、余った電気を近くに売るのである。

 

鬼が笑うだろうけど。大事にゆくけど、半年先は闇か。中国の成長率は年率7.6%でしたっけ。やばそうだなあ。「ニッポン世界経済第二位奪還プロジェクト」ってやんない?。日本だけ経済成長率がずーっと横ばいで、アメリカも中国も、ほかいろいろの国が成長してきているわけで、なんかそういうグラフを見ると、日本はさぼってきたんじゃなかろうかとおもうのですよ。世界からかき集めた富をつかって日本以外の雇用をつくりだして、肝心の日本国内では雇用が失われている。英、独がAAAなのに日本がぐっと低いAA−だったかに格付けされているのは、税金で1000兆円借金して食ってきたためであろう。20年で割れば年間50兆円借金で食っていた。たとえて言うなら400万円の年収の家庭で、毎年900万円使って、毎年500万円の借金を20年間積み重ね1億円にふくれあがっているというざまである。さぼってたんだろう。

貯金をしていない世帯が28%になっているというじゃないの。はあ?。病気になったらどうすんのよ。くだらねえことに浪費してねえで昔のOLみたいに貯金が趣味ってのが多くてもいいと思うのだけれど。

 

2012年7月12日(木)ツニアとフウラン開花

 ツニアが久しぶりに咲いてくれた。植え替えない方が調子がよいランなのかなあ、とずさんな管理を振り返って思う。フウランは常連だが、今年は花茎3本がでて調子がよいようだ。

 

2012年7月7日(土)

 L.crispaをしつこく撮影した。シースが4つあったのだが、咲いたのはそのうち1つだけだった。バルブ一本で花3つをきりりと支えている。根っこから花の先、葉の先端まで実にきりっとしている。かっこいー。

 

 行きつけの業務スーパー付属の花屋にまたバンダが出現していた。2000円だった。3日後行ってみるとなくなっていた。

 

 仕事帰りにDVDを借りた。なんと1タイトル80円だそうである。デフレだなあ。安いと思うとつい多量に借りてしまうのであるが、見るのが大変だ。仕事も疲れるが、娯楽も疲れる。先週借りたマンガ10冊も返却日の本日読了に追われる始末である。娯楽過剰だ。まるで高校生みたいだ。

 娯楽過剰になるのは、試験前に逃げを打ってしまう高校生のようなメンタルにあるなあ、と反省している。少々きつい山場があるので娯楽に逃げてしまうのである。娯楽過剰の際は変に回転数が上がっているというか、処理速度やテンションがじわじわあがっている。パソコンの処理がもたつくと感じる。重たい作業が増えるのでパソコンの負荷も増えるが、こっちもクロックアップしているので少々いらつくのであった。

 

 企業のえらいさんの話を聞く機会があり、その内容はというと中国に移り住んで、マンションが安く買えて、広くて、物価も安い、というお話であった。130m2のマンションの家賃は6万円といわれてもぴんとこない。高級料理が800円で食べ放題、といわれても、そんなにはいらんし、1食に800円もかけたくないなあ。こりゃ、世代間ギャップというやつだなあとおもった。上海で水にあたって入院していたという話もあり、なんかぜんぜんうらやましい話がないなあ、とどろーんとしていた。えらいさんはえらいさんなりの企業哲学でも語って欲しかったのである。今後の中国の可能性があるならそれを知りたかったがそういう話はない。斜陽する日本といわれちゃったのだが、いわゆるバブル崩壊中、人件費高騰中と言われている中国で今後何ができるのか私のような凡人にはよくわからない。私のような本中毒者には外国は無理だ。あっちには日本にはたくさんある魅惑の図書館がない。

韓国にヘッドハンティングされた日本の技術者はええ給料でやとわれたかしらんけど、日本の技術を売り渡して、さほど長期間雇われたわけでもなく、日本に帰ってきているそうだ。

 えらいさんの話で気になった点が1つある。中国も韓国も昔ほど日本に一目置いていないということである。日本にはもはや敬意を払うなにかがない、という。そうかもしれないが、むかっときた。おのれ目にものみせてくれようぞ、と思った。そういう意味では変にやる気の出るお話であった。

 

2012年7月5日(木)L.crispa開花

 夜家に帰ると庭でL.crispaが咲いていた。

 

 結構な雨で庭はたびたび水浸しとなり、お庭山脈はあらかた浸食されていた。

 

2012年6月30日(土)ツニアにつぼみ

 バンダの花芽が伸びてきた。一方ツニアにひさびさにつぼみが出てきた。この花は大層美しいと思う(2010年7月18日  ツニア・マーシャリアナ)。

 

庭のどろ山脈は梅雨の雨に崩壊することもなく、異様な光景を保っていた。なんというか、土の柱がなにかを語りかけてくるようで、いい。今月は大変な落ち目で、惨めな気分で過ごしている。まあ期せずしてまったく偶発的にひどい目に遭うことはある。元気で頭もはたらいているのだから幸せと考えることだってできる。哲学者パスカルはその著書「パンセ」で、「人生ってのは基本的につらいもんよ」と書いている(というテレビを見た)。このトシまで私は「哲学ってのは頭のいい人が考えに考えて到達した真理なのだ」と思っていたのだが、かみさんいわく「そこそこいい線いっている考え方の一つ」なのだそうだ。この言葉で目からうろこが落ちた。大変よく考えて到達した考え方であっても、数学じゃないんだから真理ってほどのものではない。よく読めば、なるほどねえ、という良い考え方なのだ。だから難しく考えずに哲学を学んで生活に役立ててゆこう。だいたい、いけいけどんどんの景気のよい時代、若い頃、特段頭の痛い問題がなければ哲学は不要だ。「なんでわしがこんな目に」と、自己愛でうじうじしはじめるほどストレスや生活の負荷、不運、不幸に見舞われたときに哲学が必要になる。

 

原発の将来は少々くらいことがよくわかった。東京3000万人の避難に発展し得たかもしれない、とこれまで研究者として原発を推進してきた人で、事故後政府関係者であった人の著した本を読んだ。この本で述べられている課題はあまりにも大きい。使用済み核燃料は溜まり続けて数年で容量いっぱいになってしまうという。使用済み燃料の再処理と、核廃棄物の適切な処理が技術的にうまくいっていないのである。フランスでできて、日本でできてないってのが腹立つ。あんだけ金つかってできないというのは、世間に広くアイデアを求めず「原子力村」でやってきたからだろう。原子力の学問って、反対派を排除するあまり、ちょっとでも異を唱える学者に冷や飯を食わせてきたらしい。そういうことをすると学問は衰える。つっこまれてこその学問だぜ。たたかれてこそなにくそ、って新しい技術がたちあがってくる。原子力村と言われるように、少数の利益関係者で、かたくなな考え方をするようになってしまった。「15mの津波が来たというデータがあります」といえば、「極めて希な確率的に低い事象なので(儲けも減るので)検討する必要はないと考えております」とくるし。「原発内部で使用可能なロボットを開発します」といえば、「原発の事故はありえないので不要です(儲けも減るし)」とやられた。そうやって「絶対安全」とかたくなにつっぱねないとどこまでも反対派に踏み込まれてしまうという事情があったにしても、そのことが備えへの妨げになってしまった。

広瀬隆・明石?著「原発の闇を暴く」も強烈だった。ちょっと面白すぎる記述も多いので、誤解されてしまうおそれもあるが、いろいろ考えなければいけない重要な指摘を含んでいる。

これらの本を読んで、原発は危険な面もあり、再処理などの課題も多く、推進する政府や電力会社や専門家の多くが国民から信頼を失っているということがよく理解できた。それでも当座の電力のために原発は必要とは思えた。ところが「原発の闇を暴く」にはなにやら驚くべき記述があった。企業の発電する電力5200万kWを活用すれば原発は不要であり、実のところ資源量豊富なメタンを用いれば石油枯渇におびえることもなく、地球温暖化の犯人はCO2ではない、という内容だった。これは本当なのだろうか。いままでずっと言われてきたことを疑って調べてみる必要を感じた。

 

2012年6月24日(日)庭の蘭棚を整備

 朝から庭を掘り返して2時間くらいかけて整備(いや、砂遊び)して、撮影をいろいろやって、へとへとになったあたりで、そういえば棚の整備をするのであった、と手がける。ネットを取り付ける横棒をボルトで取り付け、ネットを張った。トレイを浮かせて置くための横棒を調達して、裏庭の蘭棚にあるカトレア類を移動した。8トレイを展開した。これでそれぞれ南北2つの蘭棚は蘭同士が葉をふれあわせないようにすかすかに置くことができた。

 

 庭の花壇の土は薄いところがあって、そういうところに植えたチューリップは花が今ひとつで球根の太りもあまりよろしくないと感じたことがあった。そこでそういう箇所を毎年どことなく深堀りしていたのである。硬い粘土の固まった層があるのだ。そういう層をがりがり掘って砕く。今年は深堀りして出た土を積み上げ、山をつくって楽しむ、ということをすると作業がはかどるなあ、と考えつつ行った。山をぺたぺた土を積み重ねて高くする作業は面白い。断面が三角形になるように付け加えてゆくと崩れにくくなるなあ、などと考えつつ調子に乗って高くする。庭中そういう高さ80cmほどのタワーを多数建てた。すると、掘り返す場所もなくなり、土地も不足するし、土も足りなくなって数時間の後にもはや何も手を加える場所がなくなってしまった。ここで飽きてしまうか、それとも、雨で全部壊れてリセットした後にまた新しいことを考えるか。なにか面白い新しいことができないか一週間考えてみよう。

 

 球根の皮むき処理が完了した。あとは秋まで風通しよく保存するのである。この週末は、体がきしむほどよく動かして、ジャガイモ掘り、タマネギ収穫、畑の整備、黒豆の植え付け、庭の掘り返し、蘭棚のたちあげ、球根皮むき、など懸案をかたっぱしからやっつけた。実に疲れた。頬が塩でざりざりしていたほどだ。

 

2012年6月23日(土)マキシラリア開花

 マキシラリアのテヌイホリアというのが昔持っていたが枯らしてしまった。I氏に頂いた別種のそっくりなマキシラリアが開花した。香りが似ていない。咲いている蘭のうちI氏にいただいたものの割合が最近高いように思う。

 

 バンダに夏の花芽がでてきた。ありがたや。夏冬咲いてくれるとは。

 

 結局かのルデマニアナじゃないかというカトレアには見覚えがなかった。かなりセルレアっぽいカトレアである。まあ結構なカトレアが咲いてうれしい。

 

 夏の蘭の棚の整備がまだ完了していないという異常事態である。1ヶ月遅れだ。蘭の数が減って困っていないというのはある。蘭の間隔を広くとれるから、棚を稼働させた方がよいのだ。明日やろう。

 台風4号が来た後棚の下に雨水が貯まって池ができていた。庭の山脈も一部雨で崩れていた。庭で土いじりをしているとついつい棚の整備そっちのけで砂遊びに走ってしまった。いやいやいやいや、庭の土は軟らかい層が薄く、基底部が堅い粘土質なので、そこを砕いて石を取り除けばもっと良い花壇になるぞ、とまあそういうことを考えて掘り返しているだけで、けっして土山を高くして遊んでいるばっかりじゃないんですよ、あはははははは。

 なんというか、土山をつくっているとひたすら高くする事を考えて、わしわし土を積んでしまうので、山というより塔だ。これはこれで面白いのだけれど、同じ形になりがちで、仕上がりがこんなので美しいのだろうか、と疑問を持つ。まあ砂遊びだからなあ。

 

 本日やっとたまねぎの取り入れをした。1ヶ月遅れかもしれない。まあそこそことれた。

 ジャガイモはなぜか早々と地上部が枯れてしまい変だなあと思っていたところ、いもの方も今ひとつだった。種芋が足りなかったので投入した芽の出たジャガイモのほうがむしろ収量が多かったのは異常だ。かみさんに、それだけ?と鼻で笑われるほどの量しか採れなかった。ジャガイモ栽培はいつも下手をこいている。

 畑をさっさと耕し、2週間前にマメをトレイに植えた黒豆の苗を植える。結局いろいろあって黒豆の苗は、20株しかできなかった。これも下手をこいた。

 蘭もへただが、農業もへただ。仕事も含めていろいろ下手で、砂をかむような気分になることもあるが、それでもやらんといけんことはやる。

 

 2年ぶりくらいに歯医者に行った。待合室に入るとつい先週のことのように変化がない。玄関のデンドロは見るかげもなく小さくなってしまっていた。まあノビル系を室内で育てるとこうなるか。奥歯の銀歯がかぽかぽ動くようになった。大事にしていたのだが。今週は、降ってわいたような災難に連続して見舞われ、防戦一方だったが、歯にまでがたがくるとはねえ。まあ時々歯医者に通えるのはありがたい。映画「メンインブラック」だったかで、異星人とのトラブルから地球を護る職にある犬型異星人に異動が言い渡されるとき「歯の保険付きだ」と言われた犬がにやりと笑うシーンがある。日本人にはわかりにくいが、私には「アメリカでは歯の治療に莫大かかるのだろうなあ」と思い至った。事情は中国でも同様で、思うに、日本というのは医療をうまく運営してきた国だと思う。だからもし医療が将来立ちゆかなくなるのであれば、今のうちに歯だけはしっかり手当てしておきたいと思う。ここの歯科医は、俳優みたいな声で患者に丁寧な応対をしてくださる。いろいろいやーなことを考えながら歯医者にくるのであるが、歯科医の声にうまくだまされてこれまで親不知をぬいたりという恐怖体験を乗り越えてきた。歯石を取りましょう、とおっしゃる。ああありがたや、こんなわたくしめの歯石をとってくださるとは、と感謝の気持がわく。問題の奥歯はすぽっととれた。さあこれから毎週どんなめにあわされるのであろうか。

 

 老眼のためまんがを読まなくなったはずだった。1冊500円前後するし、100円の小説1冊がマンガにすると5冊ちかくなってしまうし、1冊出るのにやたら時間がかかるしで、出るのがおそい、かさばる、よみにくい、ということであまりよまなくなってしまっていた。気の迷いでレンタルにて600円10冊という借り方があり、これを試してみた。1冊くらいの値段で10冊読める。「バクマン」は老眼には読みにくい。めがねでは細かい字が読みにくい。ところが老眼が進むと裸眼でマンガが読みやすくなる。それまで30mmくらいだった焦点距離が50mmくらいになっているので、半ページくらいが両目で視野に収まるようになった。なるほどこういう読み方があるか、とよろこんで3週連続でマンガを読む。まあうちは人口が多いから安くて効率のよい娯楽である。山のようにマンガが積み上がってたまってゆかないのがありがたい。こういう商売が出現したのはやはりデフレなんだろうか。本の定価を下げることは難しいのだろう。安くなれば利用する私のようなけちけちデフレオヤジからゼニをゲットするには、こういう価格差別をするのであろう。1冊あたり60円とブックオフより安いので、全然知らない作家の作品を読める。気に入った漫画家をリサーチするにはありがたい。

 

2012年6月17日(日)なんかC.lueddemanianaっぽいカトレア開花

 なんとなく見覚えのあるカトレアが咲いた。むかしすごくしょぼいカトレアルデマニアナというのが咲いてがっかりした覚えがある。それによく似ている。ラベルが劣化して折れて飛んでいってしまったためわからなかったが、そこそこ立派なルデマニアナっぽいカトレアが開花した。まあありがたく鑑賞する。

 

 買い物に出かけた際にフォーミディブルを見かけた。5株入り、なんと500円。すごい。花が茶色になっていたため値段が下がったのだ。フォーミディブルはちょくちょく咲いてくれるありがたいデンドロだが、暑がるため都会での栽培はどうなるのかわからない。

 デンファレの切り花が98円だった。普段は気にもとめないのであるが、なにやら好みのよい花があった。もし、花茎から株が作れるのであれば買うんだけどなあ、などと考える。そんな技術があるのだろうか。

 

 黒大豆の苗が30本ばかりできた。来週植えよう。昨年不作であったのだが重要な作物なので再度挑戦する。

 

 土日仕事と激突しては跳ね返されている。じつにきつい。締め切りは本日中だ。このところ仕事がきつい。急坂をのぼっているような仕事が続く。仕事があるだけましと思っていたが、ちと多いような。なにしろものすごくがんばっても片づかずに土日持ち帰りになってしまった。屈辱的な能力不足といえよう。

 娯楽読書も過剰だ。通勤中に集中しすぎているのかもしれない。「もしどら」もよかったが、いまは「アクセルワールド4」だ。「おっさんあほか」、というチョイスだが、並行して「ルポ貧困大国アメリカ」「原発はいらない」をよみつつ、本日図書館で「女子モテな妹と受難な俺2」という「おっさんあほか」なタイトルを借りてきた。かわいい女の子の表紙がついたこの手のラノベを図書館で借りられるだけのふてぶてしさを持った腹の出た中年おやじである私はもはや恥ずかしいという感覚はどこかにやってしまったのだろうか。「もしどら」の表紙もよかったが、あれもラノベといえばラノベだ。「ガロアの群論」なんて読めるかなあ。

 父の日らしいが、仕事だ。英文を読んで、「なんでやねん」とツッコミを入れる仕事だ。突っ込みを英語でかく。読まなければならないその英文がやたらわからない。実に眠い。突っ込みの英文をよくよく推敲してまとめたら、英文審査のサイトにそれをアップすると任務完了となる。50ページ中まだ20pくらい残っている。とほほである。

 英検1級ってあるじゃないですか。あれ1級で「英語ができる」ということで、以下は「英語ができない」と見なされるものらしい。TOEICって800だったか850以上が「英語ができる」であって、以下は「英語ができない」という分類なので、750ぐらいで「できる」などとおこがましくも思ってはならないのだそうだ。まあ実際長年英語やってきて映画を字幕ナシで理解できないわなあ。だから私は英語ができない。すげーやってきたけど、英文で論文を残してきたけど、30年かかってもやっぱり英語はできない。食ってゆくスキルのうち英語が大半を占める人が英語ができるというレベルに達しているのであろう。多くの人にとっては英語は食うためのツールの一つに過ぎない。日本人として何が必要かと言えば国語だ。これがすべての食える日本人の根底にあるスキルである。医者、弁護士、役人、研究者、あれやこれや、国語なくしてはやってゆけないのである。読んで、書く。ほんと大事だ。国語をごはんとすれば、数学、理科、社会、英語はおかずである。ごはんをベースにして専門性のおかずをつけてこそ食える人間になれる。国語+英語じゃないと日本にいる意味がないよね。英語だけだったらそれこそ英語圏で仕事をすりゃいいわけで。だから日本人たるもの国語がとっても大事。

 国語の基本はおかあさんにはじまるという。乳幼児に語りかけるお母さんの存在がものすごく重要なのだそうだ。そのおかあさんがテレビを見ていたり、ケータイをいじっていたり、カートを押すばかりで子供に話しかけなくなったため、言語的な発達障害が懸念されているそうである。

昨日も書いたけれど、年寄りばかりに税金をあつくつけて、子供に薄くしたため、国の根幹がぐずぐずになっているそうな。昔の年寄りは「近頃の若いもんは」と言っていたが、最近の働き盛りは「ちかごろ若い人よりも年寄りが暴れるねえ」などと言っている。

 

20時か。やっとこさ仕事が終わりつつある。アップロードして終わりだ。ここまでひっぱられるのいやさに5月28日から何度もやっつけようとしたのであるが、戦力不足でその都度負けてきた。仕事は、時間、能力、意志の集中が大事だ。できないわけじゃないんだけど、やっつけられなければできないのと同じだ。これをへたれの状態と呼ぶ。へたれを脱してうまくマネジメントすることができないだろうか。今回の敗因は、長時間の集中が必要だったところを、日常業務ではそれだけの集中をしにくかったのではないだろうか。あるなあ、そうやって成立していない仕事が。

 

2012年6月16日(土)村上園芸展示会 ダイキ神戸北町

 村上園芸からはがきが来ていたので、ダイキ神戸北町店で開催中の出店をみてきた。レリアパープラタの時期で相当数のレリアが咲いている。うちでなかなかさいてくれないレリア・ロバータが咲いている。なんでも相当いじめないと咲いてくれないと村上社長はおっしゃる。

 この日、朝9時ごろからおじゃましていたのでお客がすくないのをいいことにいろいろとお話を伺った。

 バルボフィラムが咲いていたのをさしながら「蘭というのは、地球で最も進化した植物です。その中にあってバルボフィラムは最も種類が多く、様々な環境に適応していることから、地球の植物の中でも最も進化していると言えるでしょう」とおっしゃる。なるほど、そうですねえ。先輩植物がすでに占めている環境の隙間、ニッチに果敢に挑戦して様々な環境に適応した大変おもしろみのある植物、それが蘭だ。蘭よりも種類が多いキク科もあるが、ぱっと咲いて、タネを飛ばして枯れるキクとちがって、蘭も草でありながら、100年以上枯れずに生き続ける蘭もあるところがすごい。

 なんでも明石の蘭すきの若者が村上園芸に就職なさったそうである。給料をはたいて高いデジカメを買ったという話を聞いたので、村上園芸の温室で一年間みっちり蘭を撮影したらさぞかしすばらしい蘭図鑑ができるだろうなあ、と思った。村上園芸のサイトをたちあげてくれないだろうか。ちょっと期待している。まあたしかに蘭で食ってゆくのは大変だろうなあ、とおもう。ちょうど「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を読んでしょーもないうんちくおやじと化していた私は、「顧客の求めているもの」について暑く(ママ)語ってしまった。「初心者は遮光ネットが最初のハードルなのです」「おすすめのガイドブックの必要性」「木陰を利用できる顧客の割合はすくなく、多くは室内やベランダを利用しており、胡蝶蘭への需要が高い」などなど。

 今回もカトレアやパフィオも見事だけれど、この季節にしか出会えない珍しい蘭がいろいろあった。ツニアとか、スタンホペア、グラマトフィラムなど、つぼみや花のついた株が見られた。

 

 村上園芸の今後の出店予定は以下のとおり(予告なく変更になる場合があるので、該当地域のファンの方は、ダイキのチラシ等で確認していただきたいとのこと)

 6月21日から    喜田村

 6月28日から   

 7月5日から      上福岡

 7月19日から    新居浜

 7月26日から     ナーサリー

 8月2日から        明石

 8月9日から        宇和島北

 8月16日から     (サンコー熊本)

 8月23日から     EX坂

 8月30日から     和泉中央

 9月6日から        豊浜

 9月13日から     川島

 9月20日から     喜田村

 9月27日から     重信

 10月4日から     宝塚

 10月11日から   下関

 10月18日から   丸亀

 10月25日から   川内

 11月1日から     宇和島北

 11月8日から    

 11月15日から   (熊本)

 11月22日から   神戸北

 11月29日から ナーサリー

 12月6日から     上福岡

 12月13日から  

 12月20日から   EX岡山

 12月27日から   新居浜

 1月10日から     明石

 1月17日から     ナーサリー

 1月24日から     宇品

 1月31日から     西大寺

 

 すごい巡業日程だ。村上園芸がどかどか儲かる仕組みはないだろうか。「もしドラ」を読んだので考えてみよう。まず、顧客は誰か?。それは蘭を既にやっている人に限らない。私が蘭をはじめるきっかけになったのはミドリ電化にあった見切り品300円のカトレアからだった。その魅力に虜になってしまった時のことをよく覚えている。こういう植物を手元に置いて育ててみたいと思っているすべての人が顧客となりうる。村上社長にいわせれば、蘭そのものですらその顧客と言えるかもしれない。そういういみで、村上園芸はこの巡業によってまことに的を射たマーケティングをしていると言える。村上社長は、顧客の質問に真摯に耳を傾け、懇切丁寧に育て方について答えておられる。さて、この素晴らしい事業を、さらなる顧客にその価値を気づかせ、より多くの人と蘭の共生生活を進めるためには何が必要なのだろうか。

 イノベーションが必要だ。ITを活用し、蘭の情報を提供するだけでなく、顧客の栽培情報が貫流するようなサイトがつくれないだろうか。

 アマゾンで注文して自宅に届く、という方法も考えたのだが、それでは不十分だとおもう。顧客は個体差のある蘭を選べないし、配達道中蘭が劣化してしまうおそれがある。アマゾンの顧客からの商品評価はあてにならないしなあ。「もしドラ」ってすごくいい本だったと思うけど、書評はさんざんだった。

 村上園芸サイトを作るとすれば、扱う蘭の種類それぞれのページを作成する。ページに写真と特徴、栽培方法、顧客の書き込みができるようにする。在庫数もそこに表示される仕組みにする。顧客は、その蘭を欲しいと考えた場合、巡業スケジュールをプルダウンメニューからみて、いついつどこそこの蘭展に持ってきて欲しい、と入力すればよいのではないか。巡業の際、それら注文は自動集計され、そのリストを元に集荷し、トラックにつんで巡業に出かけるようにすれば、より多くの素晴らしい蘭と顧客の出会いがはじまると思った。

 

 

 原発反対の立場をとる本を探してきて7冊ほど借りてきたが、まだ読めていない。冒頭で「たかが電気と人の命はどちらが大事か」とやられたので、「いや、されど電気でしょう・・・」と思った。一方、お医者さんが書いた、放射線だのセシウムだの、神経質におそれるほどのものではないという意見の本がいくつかあった、それもまた今後読んでみよう。

 長崎原爆は6.2kgのプルトニウムを長崎市にまきちらしたわけで、半減期24000年というからには、まだ数kg以上はあのあたりにあるわけでしょう(これまでに核実験ではプルトニウム10tを地球にまきちらしたって話らしいが)。福島より多く検出されるとおもうけどどうだろうか。だれもなんもいわんでしょうそんなこと。私も修学旅行にいってご飯をおいしくいただいてきたわけで。日本人はだれも気にしていない。それなのに、じっくり本を読んで汚染のレベルを比較したわけでもなく、セシウムのことをことさらとやかくいうマスコミってのは風評被害制作企業として、福島を苦しめているというほかはない。1kgあたり500ベクレルの放射性セシウムと、誰もが持っているとされる1kgあたり500ベクレルの放射性カリウムの違いについて民放は説明していない。100ミリシーベルトの放射線を受け取った子供と、おやじが喫煙者である子供はどちらがガンのリスクが高いのか?。事故の教訓を生かして、中国が建設予定の60基の原発を日本の技術でつくれば、日本で大気汚染により死亡する人がどれだけ減るのだろうか?

 本日政府は原発再稼働を決定し、運転開始に入った。世論がどうしても原発反対だったとして、もしぼくが為政者だったら、「じゃあ夏場停電して、国民も電力不足というものに十分ご理解を頂いたところで再稼働にもってゆくか」などと考えるのだが、それだと死人がでるなあ、ともおもう。良心に照らしてみると、テレビでおもいっきりいじめられても死ななくていい人が自分らの決定で死んでしまうのはいやだから、まにあういまのうちに再稼働を決断しよう、と考える。そういう意味で大変良心的な決定だったと思う。反対派のみなさんには、自然エネルギーやLED照明の普及などで脱原発を推進していただきたい。

 

 業務スーパーでパスタ500gが78円から68円に下がった。トマト缶も一時78円に上がったが58円に戻している。デフレおやじは安いモノが大好きである。ああ、お金ってすばらしい。日本にはおいしいモノがふんだんにある。王侯貴族もかなわないよりすぐりの素晴らしい食べ物がある。人類史上最高の食生活状態といえよう。関西圏は三つ星レストランが12軒だったかある。京都、大阪、兵庫それぞれにある。いずれも店の前にだけは私だってちゃりんこでゆける距離にある。神奈川、千葉、埼玉にはないんですって。地球上には100店舗ほどあるそうで、人類の60分の1の人口なのに、三つ星の5分の1が集中している。本当に日本ってすごい。そのありがたいお金がまったく使えなくなったらどうしようということを考えてしまう。もし1億円の預金を持っていたとしよう。国債がデフォルトになると、国債をたっぷり買っている銀行は、預金でその穴を埋める。預金はそうやって消滅すると予想していたら、日経にもそういうことが書かれていた。そうなる前に資産を安全なところに移そうって、そりゃぼくみたいな貧乏人だって考えるけど、じゃあ、安全な資産って何?1億円をいったいどうしたらいいの?金なの?そりゃ減らないけど、金貨1枚でお米60kgくらいになっちまわない?それに金いっぱいもっていると物騒だよね。どこにも逃げ場はないなあ、とぼくなんかはげんなりしちゃったわけ。

 年寄りと子供にかけている税金の比って15:1とかいっていた。えー、なにやってんの。我が身かわいや、のいまの日本は急激な変化に耐えられるのだろうか。

 デフォルトで死ぬわけではない。世界同時デフォルトだとどうなるかわからない。かつて戦争で国民の財産が消えてしまうようなことがあった。それでも日本人は生きている。まあ体力のあるうちに、さっさとえらいことになっていただいて、しっかりそなえてやりすごし新しい世の中をしっかり生きてゆきたいと考えていたりする。

 どうせ世界同時デフォルトでわやになるのなら、増税せずにばんばんお金を使って、国富を増やす、という手はないかなあ。つまり、いまの借金ってのは、日本に今日の危機を見越したえらーいひとがいて、あほっぽい欲望資本主義の本質を早くから見抜き、米国で見られるような飢餓人口350万人ちゅうのを防いだということかもしれない。どうせなかったことになる借金なら、ぱーっと使って、デフォルト後の世界に備えよう、という事なのかもしれない。

 それならおすすめは、原発10基の増設と、再処理工場、高速増殖炉、溶融塩トリウム炉の開発、充電10分300kmを走れる電気自動車の開発である。なにしろ当分石油がまわらなくなるだろうしねえ。

 子供のガンが心配ちゅうんならがんばって日本のバイオ技術でガンなおしたらええやん、とおもっている。まっとうなうちに細胞のバックアップをとっておいて、臓器がガンになったらバックアップから臓器を作って交換する。でもなんかお金かかりそうだなあ。

 

2012年6月3日(日)

 村上園芸からはがきが来ていた。6月14-17日ダイキ神戸北町店で蘭の展示会を開くとのこと。都合つけてゆこう。

 

 フォーミディブルの花はしぶといのだけれど、端から茶色になることがある。水切れと乾燥が原因なので、フォーミディブルは、花のある時期水を張った皿につけておいてよいとすらいわれている。ほんとうかどうかはしらない。水をしょっちゅうかえるのならやってもいいかとおもう。

 

 名札の折れたカトレアに立派なつぼみがでてきた。咲けばわかるだろうか。

 

 オンシジウムの第二花茎がそろそろ咲きそうだ。時期的に珍しいのでありがたい。

 

 例年盛大に咲いてくれるシンビジウム(2009年6月13日 シンビジウム・スイートデボン ‘スイート’)が今年は不作で、花がちょろちょろ咲いているのが見出された。この時期滝のように咲いていたので残念である。 

 

 蘭棚を球根を掘り返した庭に引きずり出してきたのが先週のことだったろうか。蘭棚までの道と蘭棚の周囲をスコップで掘った。掘った土は庭を横切る山脈みたいになっている。毎年、チューリップを植えては、球根を回収し、掘り返し、また花壇をつくり、球根を植え、というようなことを繰り返している。数年前、その土で山岳地帯を作って遊んでいた(2009年6月20日 カランセ‘村上’)。いい大人が砂遊びである。いやいやいやいや、そうすることによって土がよく耕されてチューリップにいいんですよ、と言っておこう。現場を見れば、とっても手をかけた砂遊び場であることがわかる。言い逃れは出来ない。開き直ろう。子供の頃から大好きだった砂遊びをやるために広い庭のある家を買ったのだ。ガンプラだの、食玩だの、バスつりだの、バイクだ、クルマだ、ゲームだ、ネットだ、パチンコだ、風俗だ、SMだ、脱法ドラッグだ、覚せい剤だ、またたびだ、などといろいろ趣味(?)もある世の中で、砂遊びだなんてまあレアな趣味だ。ちょっとやそっとでは出来ない。ましてやおっさんにはできまい。うーん、実にレア。独創的な趣味というほかはあるまい。こういうバカをやっているときの楽しいことといったらない。脳みそは薔薇色に染め上げたもの勝ちだ。

 今年は、山の高い位置から、山の間を縫って、庭をぐるりと巡って蘭棚のしたにできる池にそそぐという長い川を作った。最近ヒマラヤのアンナプルナ山系にはまっていて、それっぽい配置で山をつくる。ヒマラヤをみていていつも疑問に思うのだが、地球の山はどこまで高くなれるのであろうか。過去に1万メートルを超える山があったのだろうか。どこかよその地球に似た惑星にいってそういう山を見てみたい、というのが夢だ。

 

 先週藤沢数希著「「反原発」の不都合な真実」についてふれた。ブックオフを4軒はしごして、反原発関連の本を探した。「原発はいらない」など3種類ほど見かけた。105円ではなかったので、図書館で借りて読もう。過去に広瀬隆著「危険な話」、高木仁三郎著「プルトニウムの恐怖」、田中三彦著「原発はなぜ危険か」を読んで、なんかあぶなそう、とはおもっていたのだが、どういうわけか原発好きになっていた。チェルノブイリの放射線被害についてもう少し調べないとええかげんなことはかけないと思えたので、反原発からのデータを見てみたい。

 本日もある報道番組は、コメンテータ5人全員が「原発再稼動を決断した総理大臣の国民への説明」をぼこぼこに評していた。総理はよくぞ国民に説明してくださったと思うのだけれど、番組では産業や国民生活への影響についてはなんら言及せず、5人が総理たたきをしていた。「既得権を持った人をまもるために再稼動をしている」(これは、やっかみ好きな視聴者にストライクなコメントだ。いやほんとは貧乏人がわりをくうんだよ)。「論理的でない、証明もされていない」(コメンテーターがこうやってぶった切ると見ている人はすかっとするらしい)。「情けない」「原発は40年以上は止めるべき」(本では50年はOKとかいていたがそのあたりはどうか)「技術的に100%ではない」(100%安全な技術ってあるの?大地震で新幹線の橋脚落ちるよね)「総理はとちくるったのか」(ひどいなあ、国民の代表を)。

 国民生活が立ち行かない、とは私もそう思う。核燃料3000億円というけど、原発を止めて火力でやろうとすると燃料費が4兆円かかるという。200万人分の生活保護費に匹敵する。一人3万円少々をご負担願うことになるのか。平均的な年収を400万円として、4人家族とすると、油代一人当たり3万円×4人で12万円アップ?。年収の3%を原発をつかわなくなっただけでもってかれるかなあ。そんなことはないとは思うけど。日本製品のコストが上昇してまた競争力が落ちる。工場が海外に逃げるという。雇用が減る。「電気代あげるのはけしからん、東電のせいだ」と怒るかもしれないが、そうじゃないでしょ、原発とめて火力を選択したんだから油代がかかるっていってるんだし、純粋に原発のせいじゃないでしょうが。だから電気代があがってるんだったらそのぶん徴収しないと電力会社ももたないよねえ。まあ東電のボーナスってのは値上げに含めただけ人を怒らせてしまったようだけど、コスト増加分は電気代を上げなければもたない。国のせいにしたところで、年寄りの預金が消える日が早まるだけだぜ。

 原発って止めてても、全電源消失したらおなじことになるらしいねえ。つまり運転していても止めていても、プールに蓄えた燃料は全電源消失で、冷却できなくなってとろりととけてしまう。そうならないように手を打ってあるわけですから随分安全になったはずだ。なにしろ次やったらもうだめだし、真剣みが違う。止めても稼動してもリスクが同じなら、稼動したほうが得だ。

 「「反原発」の不都合な真実」にあったけれど、9.11で2300人の犠牲者、2兆円の被害があったそうだ。ブッシュがテロとの戦いをぶちあげたときに、「戦争なんかだめよ」という意見を述べた人はマスコミにつるし上げをくった。イラクには大量破壊兵器はなく、その保有は米英のでっちあげだった。6000人の米兵が死亡し、イラクとアフガニスタンで20万人の民間人の犠牲者がでて150兆円かかったという(うろおぼえ)。すごい大損だね。

 いいたいことは、産業も生活も原発に頼っているのは間違いないので、脱原発をやるにしても、マスコミと一緒になだれをうってみんなで勢いで、ついこの間まで動かしていた原発を全部止めるのではなく(とめたってリスクは同じ)、段階的にやってゆけばいいと思う。40年くらい研究開発して0.1%の電気をまかなっている太陽電池とか、電気の需給をうまくやらないと大停電になるリスクがある風力とか、高止まりする燃料代に大きく左右される火力について、もうぐるぐるぐるぐる考えちゃうねえ。

 香山リカ著「キレる大人はなぜ増えた」を読むと、「電磁波のせいで私は体調が悪い」と精神科医を訪れるおばさんがでてくる。まあ本当にそういう電磁波(電場と磁場の波、ガンマ線、エックス線、紫外線、光、赤外線、電波などがある)により体調不良になる人はいるとはおもうが(日焼け、放射線障害などが知られている)、人間なんか怖いとおもうといろいろ怖いらしい。だから、誰の体にもある放射線カリウム1kgあたり500ベクレルだったかが、ほぼおなじ効果の放射性セシウムのほうが怖いと感じる人がいる。

 「何万年も消えない核のごみ、プルトニウムや放射性物質」っていわれてなるほどいやな気分になったけれど、長崎って猛毒のプルトニウム(半減期24000年だったか)6.2kgだったかを原爆でまきちらしたんだけど他の地域に比べて特別体に支障のある人なんかいないよね。海水にはウランが45億トンとけているというし、アフリカでは天然原子炉(ウランがあつまっちゃって核分裂が臨界になっちゃった場所)もあって、そういう原子炉で生じた放射性物質ってやっぱ何万年も消えないでしょうねえ。地球だって核分裂で中心温度が6000℃になっているというから、地球だって原子炉じゃん、と思わないではない。東京から逃げ出した外資系の会社が香港に移って、放射線を調べてみたら東京より高かったって書いてあって、なんでも石炭に含まれる放射性物質を大気に放っているからだそうな。本当かなあ、と思うような面白い話である。

 政治が悪いっていう報道になっちゃってるけど、「誰かのせいにしたい」昨今の日本人への迎合とみえる。そういう私も含めてへたれな日本人だから、政治にもいい知恵が反映されない。給料は高いマスコミは、そういうへたれな日本人にこびへつらって「悪いのは視聴者のみなさんじゃございません、みなさんの代表の政治家や既得権益にしがみつく役人が悪いのです」とやっている。お給料の高いマスコミが、「8割中流の下」とされる視聴者を不安に陥れ、なにかをさせようとしているように見える。ちょっといびつな感じを受ける。

 

2012年6月3日(日)

 フォーミディブルのわけた2株がそれぞれ満開で見事なので写真を撮った。写真写りがよい品種だと感心する。しばしば実物よりきれいに撮れる。あまりたくさん撮影したので、今回のトップページは花の少ない方の株だけで埋まってしまった。

 

 先週庭の球根掘りを、今週畑の球根掘りを完了した。畑の球根は量が2倍くらいに増えていた。畑では40輪ほど花が咲いていたから来年はもっとたくさん咲きそうだ。それにしても重労働だった。さらに球根の余分な皮を取って、より分けてざるに入れて乾かすという作業を延々やっていた。実に疲れた。まあこういう手を動かす体を動かす作業と言うのは精神衛生のためによろしいと思う。なんだかど暗い悪だくみを考えてふふふと笑っていたように思うが、すっかり忘れてしまった。

 

 原発再稼動に関連して報道番組がなにやら一方的で気持ちが悪い。

 政府は再稼動に向けた対策についてろくな説明もない。(そりゃしとるやろう。あんたらの都合で報道されないだけで。あんな事故しょっちゅう起きるもんか)

 政府は原発事故の原因究明をしていない。(地震だっちゅーの。アメリカ製の古い原発を東電が「絶対安全なんだからこれ以上の対策は不要」と自己暗示にかかり、対策に手抜きしていたためである、とぼくは思う)

 政府は秘密会合でこそこそやっている。(会合すべてをオープンにする必要はない)。

 総理は原発に乗り込んできて作業の邪魔をした。(東電が情報あげてこないから、どうなっているのか危険を冒して乗り込んだのだ。よくやったと褒める人がいてもいいとおもうが、そういうのは報道されない)

 枝野官房長官が総理を止めたことをさして、もめているのがけしからん、という(悪く言うマスコミもいるでしょうからあとでたたかれるといってとめたのかもしれない。行かなければ行かないで叩かれていたかもしれない)

 

 以前「総理がそんな細かいことまで指示しているなんて・・・ぞっとした」と報道されていた。この報道を聞いたときなにか強烈な違和感を感じていた。バッテリーの大きさを聞いているのがおかしいかなあ。総理大臣の質問なんだから担当者は張り切って答えるだろう。私が聞かれても頑張って答える。むしろ現場から総理に直接状況を伝えるチャンスだと考えるよなあ。それを細かくうるさく仕切ったように言うけど、それで迷惑をこうむったと言う現場の人間って誰よ?。実際これは、総理がこちょこちょこまかく口を出す、というふうに曲解されて報道されているが実は、「総理があんなに言っても情報がなにもあがってこない。出来ません、やっていませんしかいわない。当事者なら、こうなっていますので、こうします、と言わなければならない、総理が具体的なことを聞いても答えられない。当事者(東電)の対応にぞっとした」ということらしい。なんか全然違う。後者だとすると、総理はあたりまえのことをしているのだが、報道されるとまったく異なる印象にされている。そういう報道にぼくはぞっとした。

 

 昔教科書問題と言うのがあった。私は、「文部省の指示で、教科書の記述が侵略から進出へと書き換えられ、そのような教科書が出回っていた」ものと記憶していた。これは大間違いで、そもそも文部省からそのような指示が出た記録はない。まあ「侵略」を「進出」となおすなんてそもそもお役人様のセンスじゃありえない。それなのに、マスコミは当時「文部省からそのような指示が出た」ように各社報道し、これに中国、韓国が噛付いたのである。以来ありもしなかった教科書書き換えのおかげで中国韓国から教科書の記述についてとやかく言われるようになったのである。おかげで私も「そのような教科書がかつてあった」とすら記憶していたものが藤原正彦著「日本人の誇り」の記述により、「マスコミの単なる誤報(いや、なんらかの作為的誤報か)」であることを知って大変驚いた。

 

 マスコミって、太平洋戦争前に、変な報道をしたおかげでまっとうなお仕事をしていた総理大臣が東京駅で刺されるということになってしまったように記憶している。現在も我々が民主的な手続きを経て選ばれた総理をおとしめるような報道をすることがおびただしい。得にショックだったのが、被災地を視察する菅総理に地元の人が「総理、もうかえるんですか!?」ととがめるように背中になげつけた一言、その映像がテレビで流れたことだ。「もうかえるんですかっ」て、総理大臣は大変お忙しくていらっしゃるのに、まあなんということでしょう、と驚いた。被災者の要求もあるんだろうけど、マスコミはあれで総理というものを貶めたと感じ、マスコミに不信感を持った。これじゃ肝心なことを決める際に国民がいうことを聞かなくなる。それこそ総理けしからんと暴れだす人間が出てきてしまう。そんなマスコミのありかたってどうかとおもう。

 

 新潮新書には藤沢数希著「「反原発」の不都合な真実」のような、反原発へのつっこみもあれば、反原発派の本だっていろいろあるわけですよ。マスコミの報道だって、原発反対一色でなくて、原発再稼動派のお話をしっかり聞かせてくれてこそ、公正な報道だと思うがどうか。いまや反対派一色で、両論報道しているのはNHKぐらいではないか?民法は20mSvの線量でどれほどのリスクがあるのか視聴者にわかるように報道しているのだろうか。

 

 橋本知事が「条件付で再稼動を容認」といったときにマスコミはかみつかなかったでしょ。噛付いたら多分大声で逆襲されるよね。だから淡々と橋本知事容認、「関西の経済界から、会社がつぶれる、企業がよそに逃げる、といわれたから」とだけ報道されている。そういう経済や産業、雇用についての大事なことは全然報道せずに、声のでかい人はつつかずに、東電や政府を攻撃ばかりしているわけよ。

 

 マスコミがこういうことをして国民の利益を損なう背景には、実は中国の手先、ということもあるかもしれないけれど、本当は、「原発再稼動派にしゃべらせると電話がじゃんじゃんかかってくるんです」という情けない事情があるんじゃないだろうか。想像だけど。そんなしょうもないものに左右されるんだろうか、日本の国民の意思というものは。じゃあ電話をかけてくる人はだれかといえば、原発が動かなくて儲かる人たちなのかなあ。太陽電池を日本に売りつけようとする外国の資本家に雇われたほにゃらら関係の人たちだろうか。いや、化石燃料を扱う人たちか。儲かるだろうなあ。だったらここでこういうことをかいていたらやばいか。いや、たぶん漢字が多いのでそういう人たちは読んでいないと思う。

 

 消費税にしても、自民党がいままでずーっと先送りにしてきたことを民主がやろうってんだからたいしたもんだねえ、とぼくなんかはおもってしまう。どの国も、国民からぶーぶーいわれるような大事なことがらは先送りされてきて、すごいつけを溜め込んで、結局国ごと首が廻らなくなっているのである。それをやろうというのだからみあげたものだ。どこの国もなしえなかったことではないか。さすが日本国民はえらい。アメリカなんか昨日も書いたように、国民が甘いことばかり考えているところを企業につけこまれ、議員への献金で企業に都合の良い、国民をないがしろにした福祉、医療、年金、雇用、刑罰により国が疲弊してしまった。中国も足腰がよわってきたし、ヨーロッパもへろへろだ。ひょっとするとこれは「日本以外全部沈没」という状況が起こりえるかもしれない。なにしろ世界の預金の3分の一は日本人のものだし、世界の主要国が日本から借金をしているのだから。

 

2012年6月2日(土)

 フォーミディブルのわけた2株がそれぞれ満開で見事だ。この株はよく咲いてくれる。1株余剰ができたので譲渡株に出そう。本日は何もしていない。

 

 またきつい一週間だったなあ。まあ仕事がつらいときもあるわなあ。

 世界経済だいじょうぶですかねえ。

 藤沢数希著「「反原発」の不都合な真実」を読んでいる。著者は科学者から金融機関に転職した方で、現在の日本の反原発空気に突っ込みを入れるというスタンスで本書をかかれている。フクシマで誰が放射線の被害でお亡くなりになったのか?と常々思っていたのであるが、あのチェルノブイリにしても当初4000人はお亡くなりになるだろうと予想されていたものが、100人もお亡くなりになっていないようなことがかかれている。ほんとかどうかは今後しらべてみたい。一方、タバコによる害で日本では19万人お亡くなりになっている。「ニュースバリューのあることを日本のマスコミは報道する」タバコでばんばん人が死んでいてもあたりまえなので誰も気にしないが、原発で作業員の方が心筋梗塞などでお亡くなりになるとニュースになる。放射性セシウムがどんだけあぶないのか人がよくしらないのをいいことに、セシウムが出たと言ってはマスコミは騒ぎますなあ。また、原発を全部止めてその分は火力で埋め合わせると、大気汚染によって3000人死ななくても良かった人が余分にお亡くなりになるそうである。大気汚染ってけっこうばかにならない害がある。自分は平気とつい思ってしまうかもしれないが、世の中には一時的にせよ弱っている人がいて、酷い咳にさいなまれて呼吸困難に陥ってしまうということだってある。最後の一押しがコワイのである。40歳の人が残りの人生40年として、人に殺される確率0.05%、20mSvの被爆が原因で死ぬ確率は0.1%、交通事故で死ぬ確率0.15%、交通事故で後遺症を負う確率は2.1%、喫煙者ならタバコが原因で死ぬ確率は17%だそうである。原発を止めるなら、タバコも法律で禁止して欲しい。あれだ、離婚次点でダンナがタバコすっていたら慰謝料が総額300万円くらい上乗せされる世の中になるかもしれない。

 資源エネルギー庁のデータによると、太陽光、風力、地熱、バイオマス利用などの自然エネルギーは、全エネルギーの0.3%を占めているそうだ。太陽光は0.1%。テレビを見ていると太陽光でなんとかまかなえるんじゃないか、と私も思っていたのであるが、なんとなくまたマスコミにだまされちゃったよ、という気分である。原発1基分の発電量をまかなうには山手線内と等しい67平方kmの面積が必要とか。エネルギーの密度が薄いのだそうです。

 熱中症で死人が出てもつまらないので、再稼動してから、またじっくり考えればよろしいと思う。ああ、再稼動か。今年はいっぱい休みを取ろうと思ったのになあ。

 

 藤原正彦著「日本人の誇り」を読んだ。日本は世界に6つある固有な文明のひとつだそうな。確かに日本には人類が生存する上で必要な何か素晴らしいものがあるように思う。大変説得力のある本で、日中、大東亜戦争は、ソビエト、中国共産党、米国の利害により巻き込まれた無理からぬ面があり、南京事件では一部殺害事件はあったにしても虐殺を示す証拠は見出されず、東京裁判は裁判の体をなしていなかった、という整理を理解した。当時の視点でみれば、私が考えても満州をとりに行きたいと考えたし、日中戦争は利益がなく巻き込まれたくなかったが、中国が満州に手をつけようとしつつあり、租界を攻められて、ああならざるを得なかったと考えた。米国との戦争も避けたかったが、かといってハルノートに従って中国から手を引いたその後は飢え死にだったかもしれず、日米で戦うしかなかったと判断したと思う。真珠湾攻撃は、卑怯なだまし討ちではなかった。原爆投下や東京大空襲に見られる都市攻撃は民間人をねらった卑劣な攻撃だった。東京裁判の結果、池袋のサンシャイン60の横にある公園に立つ石碑のある場所で戦犯の方々が絞首刑に処されたのであるが、裁判のあり方を思うに、戦犯とされていいのか、と思う。これらの歴史的なあれこれは、我々が十分に理解した上で、無駄に騒がずに、今後の世界とのお付き合いを真剣に考えるようにしたいと考えた。思うのは、憲法を改正し、自衛隊を日本防衛軍とする。米軍基地を、日本防衛軍基地とし、日本中に配備する。日本企業は、敵の武器を無力化する最新鋭の武器の研究開発を行い、世界平和の実現をねらう。まあ、憲法改正からの手続きは大変困難だろうなあ。世界経済の変容後の世界を見ながら考えるのだろう。

 

 堤未果著「ルポ貧困大国アメリカII」だったかを読んだ。アメリカってさっぱり関心がなかったので最近どうなっているか全然知らなかったので大変驚いた。かのアメリカ、トモダチ作戦をありがとうのアメリカはいま大変なことになっている。10万人中700人は刑務所に入っているそうだ。人口10万人のわが市で700人も刑務所にゆくかなあ。どんだけ治安が悪い市だよ。ありえへん。7人いても結構な数だと思う。137人に一人がムショ暮らし。全米で200万人くらいだったか。ぴんときませんねえ。刑務所予算が6兆円だったか。キャラホーニャ州で1000個所も刑務所がある。驚いたのは、3回ムショに入ったら「スリーストライク法」で終身刑、つまりもう出られないのだそうだ。えー、コンビニでスナックパン万引きしてもそれが3回で終身刑って、あんたらそれ更正ってのまったく期待してねえだろ。民間の刑務所が激増中だという。そんなにムショをつくって何が楽しいのか。実は、時給10円から40円ほどで囚人の皆様をこき使っているそうだ。メキシコや中国に外注するよりもムショの人件費は圧倒的に安くて、米国内の労働者すら圧迫している。ムショで歯磨き粉チューブ1本買うと600円、ほかにもいろいろ金を取られるらしく出所時は借金が増えているというから、それで飢えてまた犯罪をおかして立ち直れなくなる。どんだけ悪徳なムショよそれ。日本は立ち直ることが目標だから職業訓練をして、働いた賃金をもらって生活をはじめるが、あっちはまるで受刑者が増えるのを期待しているかのようだ。ぶったまげたのは、ホームレスがムショにぶちこまれているということだ。アメリカは、失業するととたんに路頭に迷う。知合いもとたんに冷淡になると言う。ええ?生活保護はどうなってんの?そんなものはない!?。日本のように200万人の生活を支えているこの麗しい制度でムショから多くの人を真人間にできるんじゃないの?。そのうえ、ホームレスへの炊き出しも禁止する法律まで出来た。あのキリスト教的美風が法律で禁止されるなんでなんということでしょう。

 実のところ、受刑者はビジネスの道具と化しており、刑務所経営は儲かる投資の対象として債券まで売られているそうです。そして、運営する会社は多額の献金を議員にして、会社に有利な法律をつくってもらい、ますます儲け、議員に献金をするということを繰り返し、アメリカ市民は合法的に奴隷に落とし込まれ劣悪な環境で酷使されているのです。これを人権侵害といわずしてなんといいましょう。人権活動家はなにをやっているのでしょうか。キリスト教徒はどこを見ているのでしょう。

 マイケル・ムーア監督の「シッコ」という映画を見ました。「電動のこぎりで指を2本飛ばして、つなぐのに1本400万円、2本目は200万円といわれ、1本あきらめたよ」。えー、ちょっとなにそれ。この人の基本的人権はどうなっているのだろう。一方日本の医療って素晴らしい。決して医療げろげろのアメリカのようになってはならない。本によると、風邪の診察予約で1週間待たされ、5時間病院で待たされ、3分の診察ののち、高い薬を買って帰るのだそうだ。治療の方針は、医者じゃなくて保険会社が決めるらしい。「そんな手術の保険金出したくないからやめて」と保険屋が口を出す。お医者様と患者の緊密な人間関係というのはない。ここでも、儲かっている保険会社と製薬会社は、(コピペ)「多額の献金を議員にして、会社に有利な法律をつくってもらい、ますます儲け、議員に献金をするということを繰り返し、アメリカ市民は合法的に」バカ高くて低劣な医療に命をすり減らしているのです。

 アメリカの学生は、学費の増大と、学資ローンの利率増加、ローンの選択肢のなさで、多額の借金を抱えて身を持ち崩しています。ローン会社は、自社に有利な法律をつくり、学生の借金は雪ダルマ式に膨れ上がり、勤め先や知人にまで取り立ての電話をかけるあざといやり方はもうサラ金地獄みたいだ。アメリカの大学って学費高いなあ。これも、(コピペ)「多額の献金を議員にして、会社に有利な法律をつくってもらい、ますます儲け、議員に献金をするということを繰り返し、アメリカ市民は合法的に」学生ローンの借金漬けにさせられているのです。

 米国の年金もわやです。老後はもうめためたらしいです。なんでもかんでもキャピタリズムにゆだねた挙句、人間は労働者という道具や消費者としかみなされなくなってしまいました。キャピタリズムでは人は幸せになれないことをアメリカは壮大な実験により明らかにしてしまっているように見えます。

 オバマはこの「コピペ部分の仕組み」にどっぷり取り巻かれてしまい、米国民にとっては悪夢のチェンジが続いているそうです。どうもあの昔はかっこよかったアメリカ市民は、過剰に恐怖をあおるテレビの見過ぎ、学ぶことを忘れ、スーパーサイズの食事により、大多数がバカで被害妄想のつよいデブとなり、「オバマたのむぞー」と丸投げにして他力本願で汲々とすごしているうちに状況を悪化させたようです。実質失業率は17%(失職1年以上は雇用統計からはずれる)とか。日本は、トモダチとしてひとこと言ってあげたらどうだろうか。また、あんなに強力だった愛すべきアメリカ市民が兵隊にとられ、銃や犯罪の恐怖に脅かされ、借金漬けにされ、医療を奪われ、職を失い、年金を失い、投獄され、住宅をまきあげられ、奴隷となり、貧困にあえぐほど食い物にする極悪強欲キャピタリズムは日本にどのような害を及ぼすか、考えると恐ろしい。

日本の皆様も歩きながらするほどのケータイはおひかえになって(どけっ、じゃまなんだよ!ったく。そのひじをひっこめろ。もぞもぞうごいて読書のじゃますんじゃねえよ)今後の日本のことを真剣に考えたほうがいいと思います。

 日本にはアメリカにない固有な文明があると思います。産業や商売は、生産者、資本家、労働者、消費者を含めた、「人よし、家よし、世間よし」という考え方があるからです。人のためにならない企業は消えてしまうべきです。「合法的にしてしまえばいくら稼いでもええじゃん」は通らないのです。その稼ぎは、世間の人あっての稼ぎであり、世間の人のおかげでそのお金で価値のあるものが買えるのですから、世間を大事にしない経済活動は行過ぎてしまえば世間を破壊し、己の存在すら危うくしてしまうのです。キャピタリズムは今日機械的にその自己崩壊に向かいつつあるように見えます。我々日本人は、我々のもつ優れた文明をもってこの大波を乗り越え、ポストキャピタリズム後の世界にたくましくあってほしいと思います。

 

 今週は行きつけの菓子屋で好物のカールが59円だった。毎日3袋買って帰る。かさばるので多くは買えない。わーい、カールがいっぱい。

 勝間和代著「自分をデフレ化しない方法」を読んだ。いや、わたしどっぷりデフレ化してるんですけど。もう高いものは買えない。欲しいものはない。お金があっても、買おうと思っているものを買わない。デフレで日本はえらいことになっているのは本のとおりなのだろう。これまで日銀は素人だったが今後はできる白川総裁のもとで金をばんばん刷ってゆるやかなインフレを目指せ、という話はなるほどそうか、と思う。いろいろ結構な提言だと思う。まあたしかにこのデフレの世の中は楽しくない。

 ここ数年の大きな買い物を振り返る。デジカメ2万円→6000円、自作パソコン5万円→3万円、ノートパソコン6万円→28000円、自転車3万円→15000円、HDDレコーダー4万円→15000円。性能が上がって値段が下がった。まことに結構なのだが、なんというか私という人間までちょっとみみっちくなってしまっているように感じる。なんというかしたいことが少なくなって、人間としての強度が下がっているような気がする。行って楽しいところは図書館だけになった。最も楽しい時間は通勤中の読書。うーん。

 

2012年5月27日(日)デンドロ開花

 新たにノビル系交配種デンドロが開花した。

 本日初心者用蘭セットを発送した。いろいろもたもたした挙句3ヶ月がかりでやっと発送にこぎつけた。

 

 金曜日の晩に仕事で遅くなり門をでたのが20:13だった。700m彼方の20:20の電車に間に合ったのは過去1度あったか。もうトシなんだから無理は出来ないわなあ、ととっとこ走っていたが、なんというかペース配分がうまかったのかラストスパートで呼吸困難になったものの電車に間に合った。おかげで土日は筋肉痛である。

 そこへもってきて庭の球根掘りをやって二日がかりで球根を回収した。ピアノ曲を聴きながら掘る。球根掘りはなぜかピアノ曲を聞いていることが多いなあ。球根はまあそこそこ出来ていた。畑の球根掘りにかかったが、期待に反して球根が小さい。何がいけなかったのか、何が気に入らないのかたわけた球根になっている。「増えろっつたんじゃねーの、太れちゅーたんじゃ」、と毒づく。

 ピアノ曲というとこれまで知らなかった結構な曲が多いことが最近わかってきた。流行の曲は飽きるのが速いが、クラッシックのピアノ曲は中学高校の頃に聞いたものをいまだに飽きずに聞いている。しかも図書館でタダで借りられて大変お得だ。図書館で許光俊著「世界最高のピアニスト」を借りて読んでいる。この方慶応の法学部の先生らしいのだが、ぶっとんだ抱腹絶倒の記述で当代最高のピアニストを紹介している。高校時代に聴いていたショパンピアノ協奏曲2番を弾いていたポゴレリチについて紹介されている。「異常な領域に突入したピアニスト」なんだそうだ。これがクラッシックの紹介本かと思うほどとてつもない記述がこれでもかと繰り出される。「よれよれのショパンに唖然」「奇人変人ピアニスト列伝」「成人指定必至のエロいブラームス」などなど。電車内で笑いをこらえるのに汗をかいた。紹介されていたピアニストのうちウィルヘルム・ケンプ、マルタ・アルゲリッチ、イーボ・ポゴレリチなどを図書館で簡単に見つけることが出来た。イーボ・ポゴレリチの弾くショパンピアノ協奏曲2番は20年以上経つのに結構脳みそが覚えていて時々再生している。別の人が弾く同じ曲は、「うーん、そこはちがうなあ」などと脳みそがつっこみをいれている。

 ところで音楽を好きになるってのは人それぞれだろうけど、結構手間暇がかかると思う。「なんかこれいいなあ」と思うまで5回聞いて、「これはすごい」とわかるまでさらに10回くらい聞いているように思う。その先には「涙が出るくらいいい」がある場合も時々、しんどい目に遭っているときなどにある。だから「クラッシックは聞いたら眠くなるから聴かない」なんていっている人はいつまでもその良さにたどり着くことが出来ない恐れがある。まあそれでええっちゅうふうに考えている人が多いのであろう。多くの良いと言われている学問芸術音楽は味わうためにそれなりに手間暇がかかるものと思っている。そういういいものに触れていないと損だと思う。金と暇があってギャンブルや薬物をやっているような方々は、ひょっとするとあんまりいいものに触れてこなかったのではなかろうかと思ったりする。学問芸術音楽は味わうために手間暇はかかるが、実のところお金はそれほどかからない。

 500円のプレーヤーで聴いているのであるが、電池がよくもつなあ。買って1年ちょっとになる。スマホって電池が1日しかもたないって聞いたけど、マジっすか?よくそんなしょーもないもんまいにちうれしそうに使ってるなあ。

 

 もうかっている漫才師の母親が生活保護を受給していたという件がかまびすしいなあ。漫才師の生活が不安定なのはわかる。かの漫才師は見ているかもしれないが私は知らない。あのつぎつぎ現れては見なくなる漫才師のみなさんはどうしているのだろう、と思う。かように不安定な芸能界ではあるが、ある程度稼いだら生活保護受給を停止するべきではなかったろうか。「漫才師は、親に生活保護生活をさせて恥じない不孝でやくざなものか」という悪い印象を世間に与えたんじゃね?。テレビ業界ってますますすさんでますなあ。グーグルの次はニコニコ動画にええようにやられまっせ。

 ニコニコ動画は我が家では見られない。モデムだからだ。「バカと暇人の」って言われちゃってるネットに興味はねえし。まあ確かに「日本のためにはなっていない」とかの当の経営者もいうように若い人の大事な時間を蕩尽しているように見える。でもまあ、コンテンツを作った人にお金が入る仕組みというのは大変将来性を感じさせる先進的なものだと思うし、これに広告や、海外から金を集める仕組みをうまく組み込んだら、テレビ、検索、SNSよりも面白いものになるんじゃないだろうか。日本発で。ニコ動で漫才ってのはありだと思う。どんな親不孝者でもニコ動で面白ければ金が安定して入ってくる世の中になるかもしれない。

 それにしてもフェースブックってなにが面白いんだろうか。スマホといいパッドといい世間がなにをうれしがっているのかよくわからない。たぶんトシなんだろうなあとはおもうが、一面おもうのは世間全般に学力低下が進んで、本当に面白いものを味わう能力が低下しているんじゃないだろうか。なんだかああいう世界は、最近よく聞く「ザッピング」という言葉に象徴されるように、ぱっぱか切り替えて面白そうなものを渉猟してうろうろするのである。じっくり腰を据えて数時間かけて味わうのではなく、「あ、なんか面白い、つぎいこ」というノリだ。感覚の刺激で成り立っているというか、もうなんだか動物じみている。

 一方で作り手には素晴らしい人材が育っているのだなあ、と思うことがある。「ハジメテノオト」なる曲を10回くらい聴いてこれはすごいとただならぬものを感じた。大変美しいメロディで涙が出た。変なはなしだけれど、クラッシックは形として自由なのに、若者の楽曲はある種形に縛られていると感じた。主題の繰り返しに終始しているというか。これほど素晴らしい曲なのに、曲想が一本調子というか、57577みたいな型にはめなくてもと思わないではない。そういう型にはめない曲が妙に名曲として残っている例はクイーンのボヘミアンラプソディで、ああいう曲想の自由な形を日本人はやれる力があると信じている。近いうちに遠い将来まで生き残る素晴らしい音楽が日本人の若者によって生み出されるものと期待している。

 

2012年5月25日(金)オンシジウム開花

 オンシジウムの別の鉢が開花していた。オンシジウムは我が家では秋の開花がほとんどなのだが、今年は2株が冬から初夏にかけて開花している。オンシジウムは野性味があって、バルブがぷっくりしている様子や、丈夫であるなどから好んでいる。それがしょっちゅう咲いてくれるのは嬉しい。

 

 フォーミディブルがわらわら開花している。それ以前にデンドロが4株開花した。

 

 このところ涼しいのであるが、5月の最低気温はほとんど15度を切っていたように思う。ちょくちょく9度を記録していたようだ。それなのに蘭を出しっぱなしにしていたなあ。

 

 この2週間は仕事漬けで蘭のことはぼっかり頭から抜けていた。本日懸案がきれいにけりがついたので生き返った気分ではある。

 明日はお楽しみ重労働の球根掘りである。

 

2012年5月13日(日)

 植え替えの必要のある鉢はすべて植え替えた、と思う。トレー1つ分を処置した。ちょうどミズゴケがなくなってしまった。

 フォーミディブルの鉢は中身がよく鉢から外れて転がっていたものだが、今回3つに分裂して3鉢に株分けして植え替えた。これまでよりも随分まともになったと思う。2鉢にはつぼみがついている。

 譲渡予定のカトレア・ロディゲシーをやっとこさ鉢からはずして植え替えることが出来た。2株になってしまった。

 カトレア・トリアネも植え替えた。これも2株に別れてしまった。

 古いバルブに葉がなくなると、つい取ってしまうのであるが、そこから別れている場合どうしても2株になってしまうのである。

 まあなんとか今年もすっきり植え替えて生育期のスタートを切った。

 

 ノビル系デンドロが開花し始めた。

 

 コンプリートガチャにからんだニュースを聞いて、以前から疑問に思っていたことがらを調べていた。10種類の玩具がランダムにでてくると考えられるチョコエッグがあるとする。10種類集めるには何個ぐらい買わなければならないのか。実際そういうチョコエッグを買っていて気になったのがかれこれ7年くらい前で、以来ずっと気にしていたのである。

「n種類の玩具が等しい確率ででてくるガチャをn種すべて集めるために購入する個数の期待値を求めよ」という問題だった。

 そんなに難しくないだろう、と考えていたのであるが、いつも解答にたどり着けなかった。n=3の場合を考えた。たった3種類である。起こり得る場合それぞれについて、個数とその場合の確率を計算して掛け合わせ、すべての場合について無限級数を足し合わせると期待値が得られるはずと考えて場合の数を計算する。最短で3個買えばコンプリートする場合は3!=6通りあって、確率はそれぞれの場合について1/27である。4個買う場合、5個買う場合、と延々計算してゆくのであるが、もうそのあたりで恐ろしいような場合数の計算になってしまった。なんじゃこりゃあ!2項係数の和が出てくる。かなりでかい数字だ。計算方法を忘れた。わずか3種類のコンプリートですらこれほど計算がしんどいとはおもわなかった。それでもっとも単純であるはずの2種類をコンプリートする場合について計算してみたのだが、無限級数の計算が結構めんどくさいので、エクセルで11個買った場合まで計算して、やっと期待値は3個という数値に収束した。

 結局計算が大変であることがわかったので、ネットに知恵を求める。あるサイトでは考え方を変えて、「n種のガチャを何個買ったら何%コンプリートしているか」という漸化式を用いた計算結果が示されており、考え方をなんとか理解できた。

 単純に考えて、10種類のコンプリートだと、9個集めても最後の1個の出る確率は10分の1だから、なかなか得られるものではない。まあこういうものにはまらないほうがよい。1個か2個、欲しいものを出して、一番欲しいものをねらったり、コンプリートしたいなどと考えないほうがよろしい。

 

 ネットゲームってパチンコ的という印象をNHKの解説を見ていて思った。ゲームで得たアイテムをリアルな世界のお金に換える、という行為があるからである。ゲームでは、元締がそういうことを表向き禁止していても、ユーザーにその気があればそういうことが出来るようになっているというのである。元締も儲かるが、換金行為を主催する一部ユーザーも儲かる。パチンコでは大多数がお金をすっているわけで、ゲームのユーザーもかけた金に比例してお金をすってしまうのだろう。パチンコがある種の人に大変魅力があることは論を待たない。そういうバクチ的なものに嗜好がある人を無料・一部有料で誘えば大変多くの人をバクチ的なゲームに誘い込むことができるのである。うまいことやってるなあ。日本的バクチを世界規模で展開しているようである。規制しようがなにをしようが、どうせ誰かがそういうことをするのだろう。やりたければやれば、と思う。

 産業的にどうかなあ、という思いはある。つまり、ゲーム機もいらず、ゲームソフトも買わず、パチンコにも行かないわけである。スマホを手に居心地の良い部屋でどこまでもゲームをしたらどういうことになるのか。なんというか、そんなんで経済まわるのかしら、と思う。ニンテンドーだのプレステだのが売れなくなって赤字になったことを考えると、まあもはやゲーム機の時代ではないといっても、スマホって海外からくるので、ハードの技術の衰退を感じないではない。ソフトの時代なんですかねえ。

 

 業務スーパーのホールトマト缶58円が78円になってしまった。不作、円安にふれた為、デフレのおわり、などいろいろな原因が考えられる。これまでの58円が安すぎたのではある。こういう安いものがあると、78円に手が出なくなる。この心理が、デフレ化されているのだなあ、と思う。安い生活をしていると、なかなかリッチでゴージャスなお金の使い方が出来なくなる。この10年物の値段は一貫して安くなりつづけているのだそうだ。

 

2012年5月8日(火)

 蘭日誌の整備をやってみたりして。2007年まで完了。

 

 検閲削除部分の復活記述

50円で買った文庫本に凄いあたりがあった。エロい本なので記述は控える。まあエロくない本が昨今めずらしいくらいかもしれない。昨日読んだ「婚活したらすごかった」にしても結構エロい。日本がすごいのは面白い読み物がたくさんあるということではないだろうか。海外のものもいろいろ読んでいるけれど日本の読み物はものすごく層が厚いんじゃないだろうか。英仏独米日あたりが読み物の産地だと思うけど、日本がダントツのように思える。映画のおかげで米国あたりが目立っているが、映画より原作のほうが面白かったという体験がやたらと多い。映画と本だと、映画1本に対して本10冊のペースで消化している。本は脳みその勝負である。映画は100人や1000人が頑張って映像にするわけだが、本は作家と(編集者や社会の皆様のおかげをのぞけば)自分が主に頑張る。脳が作り上げる映像は映画のようにはしょりがなく、精緻で、色や音、触覚、においまで想像で作り出せる。至福の読書脳はせっせと本を読んで開発したものである。われながらすげーエンジンに育てたものだ。まあ最近ちょっと読書は娯楽に走りすぎているような気もするなあ。

連休が過ぎ去ろうとするこの日曜日は「サザエさん症候群」などと天声人語で言及されていたように勤め人や学生さんは仕事のことを考えていやーな気分になるなるらしいねえ。しかし通勤中の読書は至福の時間である。通勤があると思うだけで楽しい。通勤中ケータイとにらめっこをしているか寝ているか新聞を読んでいる人がいるが、ぼくに言わせれば「何をしているのだ!もったいない」ちゅうくらいのものである。ケータイって一秒間に何文字読めるのだろうか。だから自分はケータイが不要なのか、と思った次第。読書の魅力にくらべればばからしくてやってらんねー、というほかはない。朝7時、夜8時、どっちも脳みそフル稼働である。行きかえり3時間もあるお仕事日の楽しみである。以前は、2時間勉強していたものが最近は娯楽読書に呆けている。たまたま面白い本が3ヶ月間めじろ押しだったためそっちに傾いているだけでまた風向きも変わるのであろう。

その50円の文庫本を読み終わってしまったので、図書館に探しに行くと同じ作家の本が多量に存在することがわかり、金鉱を掘り当てた気分であった。どエロい本が図書館にはずらりと並んでいるということだろうか。読書ってのはなんというか、書くほうもそうだけど、大変自由だなあとおもう。ぼくが仮に「少々の放射能ぐらいがたがたいわねえで貧乏になりたくなけりゃ原発動かせや」とかいうとたたかれることもあるだろうけど、小説中の人物がそういうことをいうのはOKなのである。なぜなら多くの人は、世間にはそういうことをいう人物がいるのをある程度知っているからである。それは作者の意見かもしれないが、想像力で作り上げた作中の人物の意見であって、そういう人物を読み手もある種手ごたえを持って想像することができるからである。読み手は、「極端だけれどまあそういう意見はあるのか」と頭の片隅に置いておくことが出来、ものの考え方に奥行きが出てくるのではないでしょうか。すごい悪党がでてきて極悪非道を働いても小説の中なら「まあそういう奴はいるだろうなあ」と思って、少々スカッとするくらいなのである。だから小説がすごいのは、とても表明することがかなわないような発言を作中の人物が言ってくれちゃうところである。そういうのはマスコミやテレビ、マンガではNGで、本や小説だけが突出してスゴイのである。これは多分活字媒体以外では単純な判断から文句を言ってくる輩が多い一方で、活字というものがそういう輩の手の届かない媒体であるからかもしれないし、著者が「刺されてもいい」ぐらいに腹をくくっているからなのかもしれない。おかげで、「そういう考え方もあるのか」と物事を多面的にみて驚愕することができる。読書というのは脳みそがしびれるほど強烈な魅力がある。

こんなことを日誌に書くと不思議なことにこの絶好調な楽しい読書の日々がぱたっと止まったりするから不思議だ。

 

「ここはカンザスじゃないみたいよ」ってのは竜巻と聞いて頭をよぎるせりふである。竜巻といえばアメリカが本場だった。私の脳みそは夢で7つの竜巻を出現させ、びびった私は駅に逃げ込んだ。すげーリアルな夢だったので、近い将来そういう目に合うのではないかと思ったくらいである。しかし本日発生した竜巻はその心配が現実のものになりそうでびびった。もはや世の中危険なことがいっぱいですな。

まあ関西はえげつない猛暑で計画停電必至ぐらいにおもってその際はお仕事もお休みして読書でもしよう。電気のありがたみがわかってええんじゃないの。

 

図書館への返却期限が来ていたので川西図書館に本を返しに出かけた。三田、川西、池田の図書館を利用している。川西にはなかなか読みたい本が多くヒットした。

石神賢介著「婚活したらすごかった」を借りて読む。確かにすごい・・・。女性の婚活者の意見もよく取材しており、小説のように面白い。アマゾンの書評で悪口がたくさん書き込んであると面白い本に感じることが多いのだが、今回もあたりだった。女性の婚活条件によくある身長175cm以上ってのが不思議だ。175cmって、それなんに使うの?なんの役に立つの?(バールじゃないんだし)見栄えがいいから?いいの?。女性って、同性を気にしすぎて己の人生をゆがめているようなところがあるから、このへんてこな数値もそれか、と思わないではない。見栄では幸せになれない。本当に自分にとって必要な尺度をきちんと育てていないから、行動も相手選びもちぐはぐなことをしているように見える。

本には記述がないようだが最近女性の料理の下手がすごいらしい。うちの男子高校生の日常は、「友達(男)が誕生日なのでもう一人の友達(男)とチョコレートケーキを焼いて贈る」という耳を疑うものだった。男三人スイーツを囲んで趣味の刀鍛冶談義に花を咲かせるらしい。ケーキは大変美味だったという。

こういう本が出て思うのは、女性側からも男の「あいた口が塞がらないような」ところを指摘したような本が出て欲しいということである。

 

米澤穂信著「クドリャフカの順番」を借りてきた。アニメで「氷菓」というのがスタートしたのであるが、同名の著作「氷菓」に続く3冊目である。私は、秋に「ボトルネック」「追想五断章」につづけてシリーズ5冊目とおもわれる「二人の距離の概算」を、ハードカバーだったこともあってシリーズとは思わずに借りて読んだ。変わった推理小説だなあ、と思って読んだ。アニメを見て驚く。いまどきのアニメは、ヒロインがゾンビだったり、幽霊だったり、謎の人物だったり、宇宙人だったりと、まあいろいろぶっ飛んでいるものなのだが、この「氷菓」には超自然的な要素がなさそうな点に驚く。あんまり超現実的なぶっ飛び世界に浸るのもどうかと思うので、「氷菓」のような作品は重要だと思う。これは読まないわけには行かない。

さらにブックオフ山本で50円の本のワゴンから6冊を買って帰った。この店はよく売れた本がだぶつくと50円にしてしまうらしく、えらく綺麗な新しい本が安くでているのだった。

 

原発は好きだが、仕事は原発を追いやるようなことをしているなあ、と思う。正直今こそ原発の息の根を止めるチャンスだ。いやあ、そうしたいってわけじゃないよ。商売敵だけどね。「海外から見た福島事故」なる録画を見ていると、やっぱベントさっさとやっちゃえばあの爆発はなかったろうなあ、と思う。ベントしにくい構造になっていたらしい。改善の機会があったのに、日本の原発は安全です、とかいって海外からの忠告を袖にしてきた、と海外の技術者がいう。2030ごろには原発のコストが自然エネルギーのコストを上回るという。そのころまでだましだまし使えていればよかったのだが、僕が思うに、あんまり原発ばかり優遇しすぎて、かたくなに安全と思い込んでもろい部分が出来ていたように見える。もうちょっと柔軟に、「危ない場合もありえるなあ、今のうちに手を打っておこう」としておけば防げたかもしれないのに、「危ない部分があることを認めると反対派にうるさいことを言われるから認めるわけには行かない」とかたくなになってしまった。それ以上に、原発以外をないがしろにしすぎて産業構造までもろくしてしまったのではないだろうか。太陽電池とか風力とか燃料電池とか、育てておきゃいいものを細らせてしまった。そっちが仕事の僕としちゃなんだか意地悪されていたような気分になるほどにね。だから原発は敵を作りすぎてしまった。

アメリカで34年ぶりに原発の建設が決まったのは福島のあとからである。さすがはアメリカさん、わかってらっしゃるって思った。東芝がつくるんだって。ありがとう。応援してるよ。あのウエスチングハウスを買っちゃうなんて東芝さんすごい、って思っていた。マスコミの底の浅いショーをみている日本の茶の間のみなさんはどれだけ気がついているかしらないけど、僕たちの何人に一人が原発のおかげでおまんまを食えているんだろうねえ。あんな大きなものを作ったり動かしたりを国策でやってきて、なおかつ世界展開も図ってきたわけだろ。そんなものをとめて、やめて、うちすてたらただじゃすまないわけよ。 父ちゃん、おじさん、いとこ、友人、自分、誰がわりをくうのか。どんだけ失業者が出るのか?。ほんとぼろぼろ落ち目のわが愛する祖国に更なる雇用不安に対応する余裕があるのだろうか。目の前に貧乏が迫っているというのは実感としてある。貧乏より安全を取るって?。そう?。貧乏って怖いんだよ。貧乏野朗にトラックで殺されかかったし、貧乏オヤジに電車で殺してやるっていわれたからね。貧乏は怖いんだよ。グーグルのおかげでジリ貧絶滅危惧種のマスコミの皆さんには、まずだれが割を食うのか、その辺りから教えていただきたいねえ。たとえ商売敵であって、あいてをぶっつぶす好機であるとわかっていても、それは共倒れになる可能性が高いって僕なんかはおもうわけよ。

 

2012年5月7日(月)

 日誌がまたファイルサイズ上限に達してしまい表示されなくなってしまった。いつものように日誌をぶった切ってサイズを小さくした。

 

 日誌には連休中ほざきまくった過激な記述が多数含まれていたため自主検閲により多量に削除した。なんとまあ無駄なことをいろいろやっているなあ。

 

 仕事でちょっと飛ばしすぎたか。しんどい。

 

 コンプリートガチャにからんだニュースを聞いて、削除した記述を復活させる。中学生が40万円つぎ込んだという。ひどい商売だなあ。

芦崎治著「ネトゲ廃人」を読んだ。正直に言って、ゲーマーをうらやましいと思った。そこまで何もかもなげうってやりたいことがあるというのはある意味うらやましいと思う。大学に入ったときにおじの家に居候していた。世間ではファミコンがはやっていて、従兄弟達は楽しそうにスーパーマリオをやっていたのである。私はうらやましさの裏返しに、「あんなものをやっていたら馬鹿になる!そうにきまっている」とカタクナに思っていた。ちまちまドイツ語や英語の予習をしたり大学が終わったあと5時から5時間生活費と学費を稼ぐバイトをはじめていた。大学2年から3年にあがる際におよそ3分の1が留年する。世間は大学生というと遊び呆けていると思っているかもしれないが、いまごろはともかく、理系というのは遊んでる暇なんかないのである。大学入ったら遊ぶだとぉ、バカいってんじゃねえ、ちゅうくらいのものである。小心者の私は、流行のファミコンで遊ぶというような豪胆なことはとても出来なかった。やりたくても出来ない。それでも単位を落としたときはへこんだ。当時もやっぱり必死だった。だから思う。「ネトゲ廃人、はっ。結構なご身分だな!」

ネットゲームではゲームで使うアイテムを本当のお金で購入するのだそうだ。それに200万円をつぎ込む人もいるという。

ネットゲームは、大変魅力的なのであろう。参加者同士連帯感のもてる仕組み、抜けにくくなる仕組み、金を注ぎ込みたくなる仕組みが実に巧妙に作られている。なにしろすごい収益が上がるそうだから、金を儲けるほうからすれば大変な才能を大金で雇って本気で作っていることだろう。「参加は無料」「一部有料」に誘われ、パソコンの時代よりも敷居は低く、スマホでネットゲームはやりやすくなったようだ。

私がゲームに手が出ないのはたぶん金がかかるからだろう。けちけち園芸をやっているような人間は、ゲームへの支出が理解できない。スマホなんて財布に大穴があいているとしか思えない。毎月5千円かかるというではないか。高校生などは勉強させないように親が毎月5000円以上かけているようなもんだろう。スマホでどうやって勉強しようってんだ、あん?。「辞書にもなるしぃ」っていわれたら「だったら辞書引け」っていうよ。

市内第一の学力を誇る進学校では電子辞書ありにしたら英語の学力ががくっとおちてあわてて紙の辞書に戻したっていう話だ。たぶん視野だろうか。画面で見えているのはせいぜい2番目の意味までだろうけど、紙の辞書だと、語源だの、名詞形、形容詞形、副詞、ついでにまわりの単語まで見て覚えていたものである。人間の能力は思いのほか高いので電子機器では受け取る情報が少なくなってしまう。読書で貪欲に取り込む情報のほうが、ネットで漫然と拾う情報よりも全般に濃い、と思う。

ネトゲ廃人とされる人々の異口同音の意見として「自分が親だったら、自分の子供にはやらせない」とのことである。

ゲームがもたらす楽しみには大変素晴らしいものがあるのだろうと思う。意志薄弱で自業自得という廃人もいるだろうが、それにのめりこむしかなかったようなある種気の毒な状況であったという場合もあっただろう。商売である以上あざとい仕掛けになっていることもある。生活や人生に重大な影響を及ぼしてまでゲームに熱中しないでいられるということもある種幸せといってよいのではないか。いろいろ考えさせられたなあ。

 

2012年5月6日(日)植え替え

 本格的に植え替えを行う。もっと早く取り掛かっておけばよかった。トレイ2つ分を処置したが、まだ完了していない。

 植え替えは、古くなったコンポストや通気性の悪くなった鉢の交換、蘭がはみ出してしまっている場合や、このまま新芽が伸びても先々うまくないなど、さまざまな理由で行う。植え替えて小さな鉢に蘭がええかんじにびしっと収まったときは楽しい。

 

 4株4種1000円で買ってきたブルーベリーの実がそれぞれ膨らんできた。ブルーベリーらしい実になっているものがある。ちょっと楽しみだなあ。ネットに解説があって、入手も困難だったり栽培も難しい品種が混ざっているようである。まあうちはクール系のリカステが育つような変な気候だからひょっとしたら適しているかもしれない。

 昔蘭友にいただいたすずらんが綺麗に咲いている。年々株が増えている。

 

図書館で借りてきたCDに入っていた曲、「ブラームス ワルツ変イ長調作品39の15」が、Eテレ2355のトビハゼトビーのバックミュージックであることが判明した。したり顔で「きっとベートベンじゃ」とかほざいていたのだが大はずれじゃったか。いや、まあべつにどうでもいいんですけど。最近は「」の部分を検索するだけでずばりその曲が聴けるという、まあいい時代になったもんですなあ。

 

2012年5月5日(土)植え替え、カトレア開花

また一日ボーっと過ごしてしまった。

譲渡株の用意とおもうのだが、リクエストのあった株の状態がよろしくない。この冬カイガラムシが発生したので薬をかけて無力化はしたのだが、見た目がよろしくないなあ。こういうのを送っても先方が困るかもしれない。時間とともに株も元気になって活力を取り戻すとは思うが、なにぶん先方がどう思うか、といろいろ気にする。すこしきれいにして様子を見よう。

植え替えをすべき時期ではある。用具、資材を結集してかかる。トレー1つ分を処置した。

柳井で200円だったかで購入したカトレアが開花した。すぐ咲きそうなカトレアだったのだが、妙に時間がかかってしまった。えらく小さなバルブから開花している。

 

2012年5月4日(金)

また一日ボーっと過ごしてしまった。ちょっと肌寒いが気温は15度以上あるので蘭はだしっぱなしだ。

 

2012年5月3日(木)

一日ボーっと過ごしてしまった。あっという間に夜だ。あーあ。連休の谷間の仕事が強烈だったからな。

 

 

2012年4月29日(日)連休:植え替え時期だなあ

裏手の蘭棚で蘭をながめていたら、植え替えをサボってきた株が目に付いた。連休と言えば植え替えだろうなあ。すっかり忘れていた。後半戦で頑張ろう。

カトレアインターメディアが終わって珍しくカトレアの花を見ない状況になっている。いや、エピデンドラムが咲いているからつながっているか。おっつけ別のカトレアのつぼみが咲きそうだ。カトレアも数が多いと結構頻繁に咲いてくれるなあ。

シンビジウム・デボニアナムがまもなく開花してくれる。

 

庭で草むしりしかしていない。ジャガイモは15株がきっちり生えてきた。ブルーベリーは花がぼろぼろおちているのでなんだか実がならないんじゃないかと心配になってきたが、よく見ると実になる部分が残って、花だけが落ちているようである。蜂が来て盛んに花にたかっている。これはひょっとして結構ええ実がつくんじゃないだろうかと期待している。

 

ひたすらだらけた連休を過ごす。本日はブックオフに行ったぐらいが最大のイベントであったろうか。変な本がたくさんあった。

勝間和代著「結局、女はキレイが勝ち。」ってまあなんつータイトルだ。姉さんそりゃないっすよ、というみもふたもないタイトルだ。ぼくねえ、アンジェラアキが「手紙拝啓十五の君へ」を歌っているのを聞くと頭の中では勝間和代が歌っているように感じるんだよねえ。なんか歌詞が前向きだからクロスオーバーしちゃう。アンジェラアキが「会社に人生を預けるなぁ、リスクはちゃんと負え、資産は分けて運用しなさい、結局女はキレイが勝ち」って歌っているところを想像して吹いちゃう。まあどうでもいいんですが。

芥川竜之介「羅生門」の中国語版。内蒙古人民出版社ってまあどこで刷っているのだ。328元って、うわ、高っ?!。上海の地下鉄は2元で結構乗れるし、ケータイ2000円(150元くらいか)であっちではネットもメールも通話もし放題っていうから(日本のケータイ通信環境がぼりすぎなのではないか)、この本結構高いんじゃないか。現地では1元100円くらいに感じていた。いまはどうかしらないが。慣れ親しんだ文章だから中国語の勉強になるかと思って買ってみたが、2行目でこけた。まあよい中国語の教科書になるか・・・?

小林昌平ほか著「ウケる技術」。大爆笑の連続だった。真剣に技術を体得してみたいものである。

橘木俊詔ほか著「日本のお金持ちの研究」。日本のお金持ちってなんとなく渋そう。フェラーリ乗ったり、カジノで散財したり、というのはまあお金持ちの範疇には入るのだろうが、そんなのは成金であって、さまであらまほしきものにはあらぬ。金持ちだからといってスペシャルゴージャスウインドウズが用意されているわけでもない、車も走れば渋滞にもかかろうし、飛行機だって落ちるときには落ちる。いくら高いものを食べても出るものは同じ。座って半畳寝て一畳。悩みもあれば煩悩もあって、同じ天のもと同じ空気を吸って生きている。雲と泥との相違あるや如何というのは、能力の差であって、お金の差ではない。能力、才能、尊敬、愛情、健康、財産などと並べてみたら、お金持ちであることは人生の欲求の1つに過ぎない。お金持ちってどういう状態なのだろうか。研究してみましょう。

フィリップ・マグロ-著勝間和代訳「史上最強の人生戦略マニュアル」。厚い、なんか気合の入った本が105円だったのでつい手にとってしまう。勝間和代はアマゾンの書評でえらくやっかまれているようなので「買だ!」と思っている。低い点をつけている奴の書評を読むと「こういうことを書かれてクヤシイッ!」ていうのが行間ににじんでいて、「けけけ、ざまあ」と著者にほくそえまれている、という風にぼくなんかは感じてしまう。

松本亨著「英語演説」。気の迷いで買ってしまった。英語演説ってかっこいい。日本人だってすばらしい講演ができると思うのだが、あんまりやってくんないなあ。首相の演説などが動画で人気が出るようになったらええのにと思う。うまいことしゃべり倒して欲しいなあ。

どれもこれも105円だ。もう本だらけだ。

 

本だらけなのに録画やら映画やらをせっせと消化していた。ぐーたらは楽だ。連休かくあるべし。明日の仕事は何をしようかと休みボケの頭で考える。

 

2012年4月29日(日)連休:蘭棚復旧

裏手の蘭棚は、冬の嵐で大破してぼろぼろの状態で打ち捨てられていた。これに昨年使っていた木材をかき集めてきて、柱を立て、木ねじでひっつけ、斜めの棒で補強し、巻きついていたネットをほどいて張り、横木をわたし、4トレイ分拡張して、リニューアルオープンにこぎつけた。13トレイを並べる。すべての蘭に手が届くようにした。これでやっと本格的な蘭の手入れができるだろう.

作業は1時間ほどだったろうか。なれたものである。蘭の棚というものは誰でも案外簡単に作れるものなのではないかと思った。

方法を記述する。

用意するもの:1.8mの棒材、厚さ10mmちょっと、幅40mmほどだったか。これを20本ほど用意する。2000円ほどで購入した覚えがある。縦に4本、横に4本、ネットのために4本を使う。補強用の斜めにつかうものをいくつか用意すると良い。細い木ねじ、長さ40mmほどを多数、ドライバー、のこぎりを用意しよう。遮光ネットは、100均で105円で売っているもの、2枚ほどあればよいだろう。

1.8m間隔で平行に置いた棒の真中と端に棒を渡し、木ねじで止める。「円」の字の真中縦棒1本がないような形になる。これを2つ作る。この2つを、好みの間隔で、上と真中で、4本の棒を木ねじでつけてとめる。横から見ると、鳥居みたいな形になるようにとめる。この状態で棚は自立し、地面から90cmの高さに横木があって、その横木間に適当な間隔で横木を置けばトレイを置くことができる。

強度をあげるために斜めに何本か木をわたしてとめておくとよい。

適当なことを書いたが、現場の状況に合わせて適当に、簡単に、棚を作ることが出来ると言うことである。

 

本日も暑かった。今年の夏は暑そうだなあ。節電まみれの夏になりそうな予感。

 

ミニトマトの苗59円を2株を買ってきて庭に植えた。

 

2012年4月28日(土)連休:デンドロ6種香り比べ

デンドロが6種も咲いている。それぞれ香りがある。写真をとって、香りを楽しんだ。

別の場所でもデンファレが2株咲いていたから、なんと現時点でデンドロが8種も咲いている。カトレアは終了した。シンビジウムが咲いている。リカステもまだ咲いている。オンシジウムも咲きつづけており、花芽がどんどんでてきた。Den. Formidible ‘Ryouma’ にもつぼみがどこどこでてきた。デンドロのほかの株にもつぎつぎつぼみがでてきた。世話は行き届かなかったが、いろいろ咲いてくれてありがたい。

L. crispaにシースがあるバルブが3本もある。これはひょっとするとすげー咲くのでは。

本日から蘭は屋外にだしっぱなしとなる。

 

例年連休は有意義に過ごさなければといろいろ策をめぐらしては毎年失敗していた。連休はついついのんべんだらりと過ごしてしまう。子供らも大きくなったので子供らの楽しみなどを企画する必要もなく、なにか特別なことをしたいとも思わないので、今年はせいぜい家の掃除だの、蘭棚の整備だの地味なことだけを考えて、特別奮発してどこかへ行こうとか、猛勉強をしようとか、うまいものを食べようとか、欲を出さないことにした。

家にある粗大ゴミをカナノコで切て切て切りまくった。やるべきことをちょこちょこやっつけてゆくのはなんというかいい。連休だからと遠くへ出かけていたら疲れる。

本日は道路の温度表示で31℃というのをみた。目を疑ったが、どうも本当にそういう温度だったらしいねえ。大変汗をかいた。

娯楽が山のように積みあがっている。本、録画、映画、マンガ、なんやかんや。全然消化しきれない。今日娯楽は過剰に存在する。娯楽と言うのは並列処理できないし、どれも結構時間がかかる。まあ連休だからと言って特別なことをしようと毎年頑張ってきたが、今年はあきらめた。そのほうが実に楽だ。

 

内田樹著「下流志向」を読んだ。子供らや若い働き手が経済効率というものにどっぷり漬かりこんでしまった現代では、「その学問(仕事)はどれだけ得をするの?」ときて「わかんなーい」ものはないも同じことになってしまうのだそうだ。学問はまだやってもいないんだからその価値がわかるはずもなく、わかんないからやんない、ということをしていると学ぶことに大穴があいてしまう。もう一度書くと、「勉強して何の得になるというのですか。得になるとわかったらやりますよ」「得になるかどうか勉強しないとわかんないんじゃね?」と言ったところで「そんなわからないものはやらない」というまあジレンマみたいなもんでしょうかねえ。いろいろ思い当たるフシがある重要な考察が記述された本だ。高校生の60%は、学校外での勉強時間が0なんだそうな。正直言うけど、勉強や学問が実は一番面白いのであって、学校外での勉強は高校時代5時間あってもたりず、テレビを見た記憶は、トモダチに勧められてみたガンダムぐらいしかない。当時はありがたいことにゲーム機もケータイもない。高校では生徒会活動をしたり、級友には萌えアニメもびっくりというくらい美少女だらけで(もちろん全然モテなかったけど)、先生の覚えもめでたく、チャリンコで好きなところに行ったりしていたかなり楽しい生活をしていた。授業は感動的なほど面白かった。家での勉強時間が0だなんてまあどんだけつまらなそうな学生生活を送っているのであろうか。お気の毒と申し上げるほかはない。ニッポンの若い世代は、学問をする機会と権利を自らどぶに捨てると言う人類史上初の壮大な「モッタイナーイ」をやらかしている、とその本には書かれている。ほんとたまげました。

 

2012年4月26日(木)

業務スーパー付属の花屋のバンダが消えていた。3000円で売れてしまったのだろうか。まあこのお店蘭がちょくちょくでてくるので毎日見に行く価値があるなあ、と変な楽しみが出来てしまった。

 

2012年4月25日(水)

業務スーパー付属の花屋に青くて大きな花を10輪つけたバンダがあるというのが不思議だ。ちょっと見かけないほど立派なバンダで3800円というのはお得だと思って毎日見物に行っていた。本日はこれが3000円に値下がりしていた。はたして買い手がつくのだろうか。

 

2012年4月22日(日)

低気圧の通過のためちょっと寒いので蘭を出さなかった。

 

以前から目をつけていたサティ付属の園芸店の4鉢1000円。本日は、ねらっていたブルーベリーが4種類売られていた。サザンハイブッシュ系(だったっけ)ばかり4種オニール、マグノリア、ミスティ、??、をまとめて安く手に入れることができた。ラベルには、「酸性土壌を好むのでピートモス6に赤玉土4の割合で混合して植えよ」、とあった。ホームセンターを二軒まわってピートモスと赤玉土を探す。ピートモス20Lは698円もした。赤玉土は、298円もする。3軒目の金錦園で、ピートモスの小さい袋158円と1L50円の赤玉土を3L買った。しめて308円。これで庭の一角にブルーベリーを植えた。

 

球根園芸館のトップページを水仙特集で作成した。

 

HDDレコーダーに録画がたまりまくってしまい残り時間が乏しくなったので、週末は見ては消しというのを繰り返してHDDに空きをつくった。教養番組はとっつきがわるい。本日は緒方洪庵の話やら福沢諭吉の番組を消化した。緒方洪庵、えらい先生やなあ。まさに仁術。福沢諭吉はたまたまそのお弟子さんですなあ。「学問のすすめ」に関する番組で、「知識は役立てられなきゃだめよ」ってまあごもっともですな。

教養番組のほかは、深夜のアニメが多い。アニメオタクかもしれない。しかし2期まえのアニメまで消化せずにたまっている。まあアニメよりやりたいことがあったのだろう。消化しきれないくらいアニメが放映されていると言うことかもしれない。結構ついてゆけないアニメもあるなあ。

 

2012年4月21日(土)Den 2株開花

曇りだったが、蘭を庭に展開した。先週の薬が効いたのか、カトレア類のカイガラムシが干からびている。水遣りをした後もう一発農薬をかます。

デンドロビウムのレインボーダンスとキンギアナム系の株が開花していた。

 

スマホから大規模な個人情報の流出事件があったそうな。なんでもアプリをダウンロードして使う際に「はいはい、同意しますよ」と同意ボタンを押すと「電話帳の情報供与に同意」などいろいろ己と知合の情報をさらけ出すことに同意することになるような詐欺めいたアプリがあるんだそうな。ふーん。ご相談サイトに1000万円つぎ込んだりするような人もでてきたそうで、なんというか不思議な機械である。パソコンでインターネットすんのもだりーのにまあ、みなさん元気がいいねえ。

スマホは結構電気をくうらしい。すぐ電池がなくなるという。あれって、2Ahくらいの電池容量があるんだろうに。つまり2Aの電流を1時間流せる容量である。ざっと3.7Vの電圧とすると、1秒あたり2A×3.7V=7.4W、つまり7.4J/s。これに3600秒をかけると、えーと、26640ジュールになる。1ジュールのエネルギーは、およそ100gの物体を1m持ち上げられるエネルギーだわよ。つまり電池をフルに充電したエネルギーは体重60kgのおばちゃんを高さ45.3mまで持ち上げるエネルギーをもっているということである。結構なもんだなあ。いまどきビルの階段を9階までのぼるおばちゃんはそういないだろうけど、スマホでへらへらげーむするうちにそのくらいの仕事をさせとるわけよ。スマホのダイエットアプリのほうがおねえさんの脂肪燃焼エネルギーより大きかったりしてなあ。

その電池にくぎをさす試験があるそうだけど、電池のプラス極とマイナス極がくぎを通じて接触し、くぎを多量の電流が流れ、高温になり、有機物の電解液が噴出して熱で発火、激しい爆発を起こすという。これまで、ノートパソコン、アイホーン、GMのボルトなど種々の電池が火を噴いてきた。スマホの普及で、電池の安全性がますます重要になってきている。

 

テレビの録画でドラッガーのマネジメントの解説をみていると、「企業は、社会のために仕事をするもんで、社会から要らんと言われたら一夜にして消えてしまう存在である」というものらしい。かつてはすごい技術で世界を席巻していたかの企業は、大変優秀な人材でもばんばんリストラして、いつのまにかゲーム機の会社みたいになっており、最近は種々の技術で負け負けして、こらえ性のない子供の財布をあてにするような企業に成り下がっているように見える。世界に先駆けて素晴らしい電池を開発したかの会社が消えそうなのは寂しい。

 

2012年4月20日(金)

例によって業務スーパーへ行くとバンダはまだあった。なんかストーカーっぽいなあ。

 

2012年4月19日(木)

一昨日業務スーパーへ行くと、付属の花屋の店先に白いキンギアナムが「どれでも100円」の籠にはいって売られていた。100円ならと思ったが、500円の値札がついていた。どっちやねん。どうも500円らしいなあ、と手をださなかった。

昨日、まだそのキンギアナムがあるかどうか期待していってみたが、なくなっていた。ふと見上げるとすげー青いバンダが売られていた。3800円。バンダとしてみればお得な値段だろうねえ。10輪ですぜ。ちょっと10輪もなかなか咲くもんちゃいますなあ。いやあ、立派なもんみてありがたや。横に大輪カトレアが2500円で売られていた。なんかこの店目が離せなくなったなあ。

初めて買ったバンダV. Sansai Blue 3800円のところを半額で買ってきたのだった。1900円+税。枯らしてしまうまでものすごく咲いてくれた。本当に素晴らしいバンダだった。

本日も業務スーパーに行って近くのレジから蘭を観察する。果たしてこのバンダは売れるのだろうか。もし売れ残るとすればどこまで値段がさがるのだろうか。はたまた返品されてしまうのだろうか。変な楽しみが出来てしまった。

バンダというのは案外育てやすい植物かもしれない。うちでは電球つけっぱなし、ファンまわしっぱなしで冬を過ごしてきた。バンダ「池田」2010年12月30日は毎年咲きつづけてまもなく8周年である。職場がなにかのお祝いに贈られた鉢に4株も入っていた。花がなくなるとさすがに職場には育てた経験のある人はほとんどいないので、総務担当者に名乗りをあげておくことでいただくことが出来た。すご、めちゃめちゃ咲くバンダを4株もやすやすと入手できたとはわしどんだけ行いがよろしいのだろうか。三株は、一夏育てて花芽が出た秋に蘭友3人に贈った。調子がいい年は初夏と冬に2回咲いてくれた。

 

小説を読んでいたら興味深いネタがあった。「お好きな3桁の数字を頭に思い浮かべてください。あなたの選んだ3桁の数字を2つひっつけた6桁の数字は、あーら不思議7で割り切れるのです」。へぇ、ほんとかなあ、たとえば666とかをおもいうかべたとすると、その数字を2つ連ねた6桁の数字666666を7でわるのはちょっと骨が折れそうだ。商は95238とでた。たしかに7で割り切れる。

小説を読んで48時間経って、証明にかかる。そんなにかかってしまったということである。しつこいけど、あほだよ。「a,b,cを1から9までの自然数のどれかとすると、6桁の自然数abcabcが7の倍数であることを示せ」という問題になるか。

証明:abcabc=abc×1001=abc×143×7。

そっけないねえ。

999999も111111も全部いろいろ7の倍数というところが面白いなあ。これであなたは1000個も7の倍数をとっさに思いつくことができるよ。

ababやabcdabcdの場合も試してみたけど、7で割り切れるというほどインパクトのある数字は出なかった。よくこんなの見つけてくるなあ。

 

2012年4月17日(火)

続くと続けてしまいたくなるのが人情というか、本日もなにかネタをひねり出してはつづけようという魂胆である。

登録画像を増やすか、という案である。

昨日登録した画像。

C. intermedhia var Orata ‘Rio’ なかなか見事、と自画自賛する。

HDD内の画像をあさってみる。

C. Bow Bells ‘Wright Person’アップロードを忘れているらしくよそから見えない。

Epi. porphyreum ‘PinkShower’:ええ感じの画像がころがっていたので登録してしまう。

2009年あたりのファイルから「なんかええなあ」という画像を発掘してきた。こういう作業が好きって時代には汲めども尽きない楽しみがあったなあ。

Bark. melanocaulon coerulea: すでにアップロードされているようである。

交配種でええなあ、というものをつかまえてみた。

Blc. California Girl ‘Sweet Ange’:

Bc. Roman Holiday ‘Harada’:

Bc. Pastral ‘Innocence’:

Bc. Langvedoe ‘Singopore Wecome’:

Bc. Pastral ‘Fairy’:

Blc. Greenwich ‘Elmburst’:

全部アップロードずみだった。なにをやっていのであろうか。

 かつて繁栄していた「蘭」サイトを「古代蘭」とでも呼ぼうか。当時は世界最大の蘭関連サイトなどとほざいていいかもしれない。むちゃをいうなあ。当時の作業量はぱない。ローマの水道橋遺跡をみて、キリスト教徒が「悪魔の仕業」というくらいの失われたすごい技術であったかのごとく、古代蘭はこれでもかというほどの広がりと深さがある。正直どうやっていたのかわからない。その遺跡が当サイトのいたるところに転がっており、リンクが失われて寸断されている。まあ元気があったら発掘に行こう。

 

現政権のおかげでお給料がごーんと減るそうだ。給与明細を待っていたのであるが、システムのトラブルとかで届かなかったもようである。かなり、恐ろしく、減るらしい。びびっている。仕事は増えて、成果も増えて、それでも給料は減るのである。復興に必要なんだからしょうがないと思う。明日給与明細を見て荒れるだろうが(あれなかったけど)、とりあえずしょうがない。正直何党が政権でもそうなっただろうと思う。何党であったとしても原発は再稼動だろう。バランスからいってそうなる。今後は、みんなで懲りたことだし、原発以外にもエネルギー開発に精進していろいろとエネルギー源の分散を図るのだろう。お金がないなりにも太陽電池のローンをやりくりして払ってゆくのである。電力会社が「原発でえげつなく儲ける」という方針であったため、太陽電池の電力の買取価格はずーっと安いままだった。また、燃料電池の発電した電力はまだ買ってくれないそうじゃないの。ライバルつぶしや。ガス会社へのいやがらせちゃうか。そういうことをして原発へ依存せざるを得ないように政財官一体となって誘導してきたんだよね。脆弱なエネルギー構造にしてしまったわけだ。大失敗だったねえ。おかげでこっちも大損こいたという次第。

 

2012年4月16日(月)

本日は球根園芸館の活動のため更新をした。ヒヤシンス愛好家からこのサイトで紹介している品種を譲って欲しいというメールをいただいた。正直その品種の球根は10年前に庭にいただろうけど、いまはどこに植わっているかさっぱりわからない。HDDを検索して画像を集めてみたが手がかりはつかめない、というか見分けがつかない。折角ヒヤシンスの画像を集めたのであるからヒヤシンス特集のページでも作ろう、と適当にトリミングしてべたべた貼り付けてアップロードした。

 

なぜか更新が4日つづいている。めずらしいことだ。かつては途切れることのほうがまれだった時代もあるのである。「蘭」でググると1位だった時代があるほどだ。このように連日更新しているわけは、これまで2年ほど続いてきたお勉強が停止しているためである。本当に毎日欠かさずよくお勉強をしてきたのであるが、ここ2ヶ月ほどスランプというか、老眼でしんどくなったためなのか、はたまた読書が面白すぎるのか、原発のように停止している。何度か再稼動させようとしてきたのであるが、その都度面白い本にじゃまされて失敗している。このまま凋落してゆくのであろうか。

勉強は仕事のためにしているのであって、その仕事の妨げになったら本末転倒だなあ、というようなことを感じてもいた。仕事のことを考えるのではなく勉強のことを考えてしまいがちだったのである。もっとも大事なことは仕事への集中なのである。勉強もやればいいというものではない。そのあたりがまだうまく整理できていない。勉強を停止していると、アイデアを転がす余裕ができるし、仕事のキレもいいようである。かといって勉強をサボりつづけているとやはりなにがしかの不利益もあるように思われる。うーん。まあ成り行きに任せよう。

 

2012年4月15日(日)

天気が良いので一週間ぶりに蘭を庭に展開して水遣りをした。カイガラムシをカトレアの葉に結構見かける。ラベルがはがれてわからなくなっているが、カイガラムシ用の薬を水で薄めてかける。

4月初旬までずっと寒かった関係で、庭も野も花が一気に咲き始めた。順番に咲くはずのものがいっしょくたに咲いている。

カトレアやリカステをチューリップを背景にして撮影した。やたら興が乗ってというか、花が大変きれいなのでものすごい枚数撮影してしまった。

 

ええ?殺害された被害者の手に練炭の粉がついてなかったことが殺害されたと言う証拠ですって?。別れ話で自殺をしたという説明がうそ臭いから怪しいと?。そんなんで死刑にすんの。すげーなっとく行かないんですが。手口はどうなのか。それは被告に可能だったのか。それをトレースしたときに被告の尻尾を科学の力でつかめるだろうか。

クルマで練炭自殺をしたと言うことだが、被害者とは別の人間が体重をかけて作業すれば、タイヤがひずんで痕跡が駐車場に残ったはずではないだろうか。まあ、そんな簡単じゃないわなあ。そもそもあのおばさんがその日その時刻にそんな作業をすることがどのようにしてできえたのであろうか。いつどこで睡眠薬を盛られたのか。盛られたとすれば、着衣にこすれた痕跡が残らないか。

もし自殺とすれば脳内に悩みぬいた際に生成される物質が存在していないだろうか。睡眠薬を飲んだ際に使用したコップなどがあればそれに被害者の指紋がのこっているはずだが、盛られたのなら使用したコップがない、といった検討。そもそも胃の内容物はどうだったのか。

またフィクション。

「そもそもここまで物証をうまく隠している被告は、なぜメールの記録から裁判員に怪しいと思われるような、「別れ話から自殺した」という見解を裁判で持ち出したんですかねえ?」

「確かに事件直前のメールではラブラブだったけど、実は本当にほれていた男のことを突然思い出して本当に直前別れ話を切り出し、ものすごいひどいことを言ってしまった、ということは男女の仲なんだからありえんことじゃないよねえ。だから本当のことを言っているかもしれない。あるいはまったく別の見解として、3人をやった真犯人に被告はほれていて、そいつの罪をかぶるつもりでいるとか」

「えー、昨日の話のつづきですかぁ。それじゃ真犯人と被告は両想いって、まあなんちゅう話にするんですか。だったらはなっからその男とひっつきゃいいじゃないですか」

「そこが女心というやつで、以前付き合っていた際に、「こんな私とつきあっていたらこの人の将来がだめになってしまう」と泣くの涙で別れたという演歌のような世界があったりして」

「ぇー」

こんないちびりをやっているとそのうちおこられるだろうなあ。すんません、ちょーしこいてました。

怒られたら消そう。

 

 

2012年4月14日(土)村上園芸蘭展

本当にひさしぶりに蘭を見に行く休日である。I氏と宝塚ダイキに行った。じっくり蘭を見る。さすがにいろいろ蘭を買ってきたため多くの属は経験済みである。なにを育てようかと途方にくれる。蘭に対する想いのリハビリみたいな見物である。

なにやら詳しいおじさんが話し掛けてくださった。さまざまなパフィオの原種について解説してくださる。パフィオの原種を30種持っていたこともあるそうだ。なんでもPaphエマーソニイを18年前に買ってずっと咲かない、子株も出来ないという不思議な話を聞いた。Paph. emersoniiか。うちに戻ったいまとなってはつづりやらバービケラム亜族(ブッブー、パービセパラム亜属でした)と頭の中からでてくるが、話をしているときは忘れ果てていた。写真をとっていたので思い浮かぶ。「夏目友人帳」にでてくる一つ目の妖怪みたいなパフィオである。えらいいっぱいパフィオについてお話を聞いたのだがトリ頭なので忘れてしまった。そのうち思い出すであろう。

サイトをみてくださっているご婦人がなぜか自宅から持ってきた蘭を植え替えしながら、当バカサイトの「素数の話」が面白かったとおっしゃっていた。(こんなしょぼいサイトをみてくださる人がいるのに驚く。どうやってたどり着いたんだろう?)。店の中で植え替えをしているというシュールな光景に驚きつつも植え替え談義をしていた。

かなり見て廻った後で、ふと値札のついていないカトレアの鉢を見つけた。名札を見るとカトレアインターメディア 「C. intermedia Orlata ×sib」裏面「Inperial de Ruby × 02503 ‘Ching Hua’」とある。Ching Huaってなんとなく中国最高というわれる青華大学を連想するなあ。青花、すなわちセルレアなのだろうか。なんにせよ、インターメディアにはめがない。たとえ今現在家に昨年村上園芸で購入した見事なインターメディアオルラタが咲き誇っていたとしても、見つけた以上は値段を聞いてみる。ななな、800円ですと!?。これはかうしかあるまい。

その鉢のちかくにあったこれまた値札のついていない株、「1577 MF190×Lc.Sea Breeze ‘Fellraths Pride’ 4N」とあるわけのわからんカトレアの値段も聞いてみる。500円という。こういうわけのわからないものが面白いとおもってしまうのでこれも買った。葉が横に寝ている。

 

 道中I氏とおやじ談義をする。ソニーやシャープの大赤字の話。北朝鮮のしょぼいミサイルの話。原発再開の話。日本の過剰なまでのミサイル防衛態勢の話。京都の自動車事故の話。男三人を殺害したとされるおばさんに死刑判決が出たと言う話など。ここにはかけないようなめちゃくちゃいっちゃってる話をおっさんたちはあられもなくほざくのであった。

 そのおばさんの話は時々聞くのでたいして知っているわけではないが勝手なことを書く。なんでも殺したとする物証がでていないそうな。3人の男が殺されるほどめろめろになっていたのであれば、ほかにもこのおばさんにめろめろになっていた男がいて、その男がこのおばさんによってくる男を嫉妬のあまり殺害したということは推理小説ではありそうだなあ。その真犯人は、このおばさんが普段使う睡眠薬や大好きな焼肉を焼くための炭をちょろまかして犯行に及んだというのはありえるのではないか。そういう方向から捜査はしとらんように見える。

「その真犯人は多分そこそこ小金もちだったけどおばさんに貢ぎすぎて蓄えをなくし、金の切れ目が縁の切れ目で相手にされなくなったようなやつじゃないかなあ。そんでもってまだ未練たらたらで、おばさんには下手に出てしまうA型野郎だ。」

 「けど真犯人がいるにしても、にくからずおもっているかのおばさんを罪に陥れるのが目的なのか?」

 「真犯人はおばさんから男を遠ざけるために殺人の嫌疑をかけたかった、そしてその嫌疑にもかかわらず自分はそばにいますということをアピールしてこのおばさんの心をつなぎとめる作戦だったとかじゃないか?。誤算はよってくる男が一人ではなかったと言うことでつぎつぎ殺害する羽目になってしまったということか」

 「でもなんでああいいうみため××みたいなおばさんにそこまで入れ込みますかねえ?」

 「本人も言っているように、男を蕩かす強烈なテクニックの持ち主だったんじゃないか。ほんと男が貢ぎたくなるくらいに。昔「サル」と呼ばれた男は人たらしの天才で天下をとったというじゃないの。男も女もみてくれじゃないんだよ。世の中の女性は勘違いでもしているのか女性が女性のためにみてくれを競うのは動物の行動としてはどんな益があるんだろうね。銭をうしなうことはあっても、銭にはならない。美人なんて大半は脳がみせる幻想みたいなものだ。三日見れば慣れるというのは真理なんじゃないか。それにあのおばさんくらい稼いでいる風俗関係のお姉さんっているんじゃないだろうか。あれも技術があるんだよ。開発している人は少ないだろうけど、技術なんだから誰でも身に付けられる。銭の取れる高度な技能ってことだろうねえ。世の中私みたいな市井の人間では推し量れないようなあっと驚く人間がいると思うんだけど、そういうのをわたしらと同じ市井の裁判員やら法曹界のエリート様が理解できるかねえ。検察なんてやっぱり市井のおっさんが考えたようなしょーもない筋書きで捜査資料をつくるってのはこのあいだの事件でみんなわかっているよねえ。こんどもなんか怪しいねえ。そりゃまあああのおばさん限りなく黒に近いけどねえ。こんだけ死んでて決定的な証拠を掴んでないってほうもどうかと思うよ。3人もあんなに上手に殺せるだろうか。被告のおばさんの知能にとても興味がある。人となりとか、読んできた本とか。おっさんを抱えられるほどの腕力とか。とても納得が行かないのである。なんだか今後は逆転無罪って雰囲気だなあ」

 いや、I氏とこういう話をしていたわけではないのですよ。しらんと好き勝手いうてるフィクションです。

 

 ジャガイモの芽が出てきた。結構同時に出てくるものだ。

 

 ロケットでしくじったかの国の科学者に同情する。かの国は将軍様の都合で500万人も人口を減らしている人類の恥部ともいうべき猛悪国家である。科学者が処刑された、などというニュースが届こうものなら私は断固北朝鮮での「ありよう」を地球上から消し去るためのあらゆる努力を惜しまないのである。人命をなんだとおもっているのだ。

 

2012年4月13日(金)あすは村上園芸蘭展

宝塚ダイキに行きましょうというI氏からのお誘いがあった。持つべきものは蘭友である。じつにありがたい。久しぶりに蘭をじっくり見に行ける幸せである。

 

今週はまた記憶が飛ぶほどなんやかんやしていたなあ。

 

チューリップ球根畑で15本花が咲いていた。切花にする。庭のチューリップはなぜか白ばかりが目立って咲いている。やっと咲き始めたか、という感じの庭だ。

 

2012年4月9日(月)

急に春になった。一昨日まで氷が降っていた空から暖かい日差しが振ってくる。昨日同様蘭を庭に展開して水をやった。

庭の草むしりをした。まだ頭も体もこわばったようになっているが、春が来て少しはほぐれたように感じた。

 

子供の高校ご入学にかこつけて休みを取った。入試の修羅場はもう思い出したくもないので何も書くきがしない。親として幾度となくきつい時期を過ごしてきた。親はしんどい。正直お勧めできる人生ではないが、さりとて親をやることは人生の宿命とでもいうか、生き物としてのありようではないかと思う。親をやらない人生もしんどいだろうが、親をやる人生ももちろんしんどい。しんどい人生ゆえにいろいろ捨てている。お釈迦様は執着を捨てろとおっしゃったという。子は親の所有物ではない。そんなことはとうに思い知っている。歳を取って目が見えにくくなり、じじいになったなあというこの春、なんというか執着がどこかにいってしまった。大好きだったお金だが、己の意思にかかわらずかかるものはかかるのでどんどん出てゆく。そんなもんに執着してもつらいばかりである。仕事で格好つけようってのも実に骨が折れる。親かみさん子供同僚、人間関係も諸行無常だ。好きだったアニメもなんだか急に飽きてしまった。読書は絶好調で、日常のあれこれが色あせるほど強烈な魅力にひきつけられている。まあそれも一過性のものだろう。己は「空」という感覚はなんとなくわかる。やがては衰え消え去る身であるが、いまこのときによく生きることを考える力と意思だけはある。なにかしら冴えたやり方が見えているようにも感じる。

すしの好きな息子に寿司を振舞う。はじめていった回転すし店のテクノロジーにたまげる。まわってくる寿司のほかに何かを注文したければ、これまでだとインターホンを使って注文していたのだが、今はやりのパッドをしゃこしゃこやって目的のものを探し出して注文処理をおこなうのだ。最初はすごく抵抗があったのだが、こういうものを触ったことがないはずのかみさんがばんばん注文しているのを見てつられてやってみるとこれは楽だ。注文してしばらくすると新幹線の形の運搬機が寿司などを乗せて席まで届けてくれる。すし屋なのになぜかラーメンが何種類もある。283円で結構おいしいラーメンが食える。寿司はいつもゆくお店ほど好みの味ではなかった。しゃりの味に出汁が効いていないというか、うす味のしょうゆが今ひとつだった。それでもネタの新奇性や、ラーメンに釣られてまた来てしまうかもしれない。3人で2300円ほどだったので案外安かったなあ。息子がおやじに遠慮するというのもちょっと残念な親子関係かもしれない.

 

2012年4月7日(土)

先週の土曜日だったか、3月31日にインターメディアが咲いていた。昨年買った株だったかと思う。リップが濃い赤で、なかなか立派だ。

別のリカステも咲いた。交配種のカトレアも咲いた。蘭の花はいつも途切れることなく多くの種類が咲いてくれている。ただ諸事に忙殺され、気候もやたらと寒いため水遣りや世話がままならない。本日も10℃を超えない気温で、みぞれが降ってくるほどである。

水仙は咲いているがチューリップはまばらだ。雰囲気としては3月20日ごろの庭である。寒いなあ。今夜もいやに寒いけど。

 

年度末のどたばたは終わった。きつい一ヶ月だった。ぼーっとすごす休日であった。何をしたものか。たまりにたまった録画を見て消化する。仕事か寝るか、読書しかしていないのでテレビに違和感を感じる。世の中がどうなっているのかあまり把握していない。

 

高名な先生の講演を聴いた話。太陽、風力、地熱など、自然エネルギーに投資した金額は日本人一人当たり年間3000円だそうだ。中国で4000円、ドイツで5万円という。原発反対といっているからこれから真剣に考えるのだろうか。一人当たり年間5万円は必要と言う。我が家は太陽電池があるのでかなり投資しているほうなのだが、年間5万円×家族の人数払えといわれるとちょっとひるむよねぇ。ここでその先生は言う。「5万円、大きい金額だと感じた人も多いでしょう。でも日本人一人当たりパチンコにつぎ込む金額は年間25万円ですよ」。私は正直その莫大な金額を信じられない。そんなはずはない。私はパチンコに費やした金額は23年前に200円だけと記憶している(金属原子構造模型を作成するためにあの玉を借りた。最密充填構造が2種類あることが実感として理解できなかったからだ)。私の分まで50万円もパチンコにつぎこんだ奴がどこかにいるというのか。月に2万円もパチンコをするやつがいるというのか。私以外の日本人はそんなに裕福なのか。私の小遣いの大半に匹敵する金額をパチンコにつぎ込むだと?。なにその遊興費は?どんだけ金持ちやねん。へこむなあ。パチンコに25万円もつぎ込んでいったい何をしようというのか。

パチンコは、北朝鮮に貢いでいるようなもので、ミサイルをつくる財源となっているとか聞いたことがある。税金も払って高価な迎撃ミサイルもつくってこのたび大規模に展開しているわけですわなあ。儲かるのは武器を作っている人だろうか。もうかるやろうなあ。北朝鮮さまさまやろうに。北朝鮮金もらってああいうことしてるんちゃうか。ほたらイージス艦やらハイテクミサイルやらうはうはうれるでえ。70億円かしらんがしょぼいミサイルへろへろ打ち上げりゃあ、3隻4500億円のイージス艦やらすごい値段のミサイルシステムがうれてぼろいもうけや。アメリカ商売うまいなあ。ソニーもみならわんといけんでえ。

みんなで日本製の太陽電池だの風力だの、国産のエネルギー関連製品を買って使えば原発なくせるし、景気も良くなり、雇用は守られ、電気代は安くなるだろうに。安易に金が欲しいと思うからパチンコをやるんですかねえ。25兆円も金が流れ込むパチンコになんでもっと課税しないの?。25兆円って医療費に匹敵するよね。こんだけ自然エネルギーに無関心でさっぱり身銭を切らずに、ギャンブルに入れあげて、原発のリスクは地方に押し付けて、原発反対なんてまあ日本人はどの口でいっているのでしょう、って思わない?。いや、うちはソーラーつけてるもんね。でも原発再稼動は賛成だよ。次用心すりゃいいじゃん。原発より東京で大地震に遭うほうが確率が高いリスクだろうが。10万死ぬかもっていわれている中にどれだけ子供らがいるか考えて東京をあのざまにしているのである。危機意識の重み付けをまちがってませんか。

 

2012年3月

201110、 20114、 2010年11月

 

 

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