蘭馬鹿日誌2019年および更新記録

ランのよしなしごとをつづる。下に行くほど昔 

連続有蘭花日数 停止中6544日(2019/7/19)2018-2017  201510-201612  201501-09 201409-12月 2014年2-8月 2013年10月-2014年1月 2013年5-9月 2013年1-4月 20128-124-720123-201112-1110-520114-201012201011-1020109-720106-420103-1200912-109-76-420093-1200812-1110-98-76-54-320082-1200712-1110-98-76-542 32月後半2月前半20071200612-111098765432200612002 12 11 10 9 8 7 6 200512-111098-76543220051200412-1110987654322004120031211109876543220031200212111098-320022-12001年以前   日誌迷作選

 

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2019年11月24日(日)連続開花は止まってしまった

 8月だったか、唯一咲いていたデンファレDen. Queen Southeastがしおれてしまい、「いつもなにかしらかの蘭が開花している」状態でなくなってしまった。6000日以上ずっとなにか咲いてくれていたのだが、とうとう止まってしまった。咲はじめと咲おわりが19年へだてて同じ蘭のDen. Queen Southeastというところがなんかすごい。ソーロング、いままでお花をありがとう、という気分である。

 まあショックっちゃあショックだったけど、母親が大腿骨骨折をやったり、死にかかっていたりといろいろあってちょっと心がマヒしていた。正直蘭の世話がかなりおざなりだったと思う。

 蘭の連続開花は難しいことではない。蘭が好きで、手をかけていれば自然と咲いてくれるありがたい植物である。毎日のように手に取って成長を喜んでいた自分ではもはやない。あの頃はとても楽しかったと思う。蘭は素晴らしい、というあの頃感じていた気持ちを思い出せないねえ。たぶん耄碌したのだろう。

 生活が苦しいとか、そういうのではないと思う。認知症の母が次第に弱ってそろそろ危ないという状況になりつつあるのは微妙に堪えているとは思う。仕事はしんどいなあと思うけど、いろいろやらねばと思うことに力と思慮が足りていないと感じることはある。

 

2019年8月4日(日)

 村上園芸様の展示会が87-11日ダイキ坂店(広島県安芸郡坂町平成ヶ浜2丁目1−48)であるそうです。

 はがきをいただいたのでほぼ誰も見ていないと思うけれど告知を出す。

 

 気になってどこにあるのかググってみたら昨年水害で報道されていた際にヘリコプターの映像でみたところだった。

 つい数時間前に見ていたアニメ映画「この世界の片隅に」で、この「坂」という地名が出てきた。舞台の呉から広島に行く途中にある。

 この映画、母の子供時代のとても近い地域でのお話なのだけれど、その生活の逞しさとか戦争のおっかないところとか本当に心揺さぶられた。瀬戸内の美しさと相まってなんというか、本当にすごい映画だった。日本のアニメは本当にすごいのだねえ。

 母は原爆直後に広島に入ったため被爆者で、私は被爆二世ということらしい。母はぼけてしまって、心臓も骨も弱ってきたのだけれど、原爆のせいとは思えない。あの時代からいままで生きてきたというのはすごいことだなあと思う。ぼける前にもっと親孝行をしたかった。ぼけてもよく笑ってくれるのでそういうところに勇気づけられる。私はぼけたらたぶん不機嫌そうないやなじじいになりそうなので、そう思うと母はやっぱり立派だなあと思う。

 

 昨日息子と36℃の大阪見物をしていた。大阪駅からあるいて日本橋まで6qくらいあるいていただろうか。途中適塾で大村益次郎についてのうんちくを垂れるが、結構忘れている。コーヒーを引いてドリップする自販機でくそ暑い中ホットコーヒー100円を飲む。ブックオフにでものはなく、なんか面白そうな品物はなく、HDMIケーブル2m2502本と、電池を買った。ライトノベル50円を10冊買った。金龍ラーメンは600円で腹いっぱい食べられて大変結構だった。なんというか暑さがぶっとんだ。体が暑さに慣れて結構な散策だった。かみさんへのお土産を買ってさっさと帰る。なんというかワンパターンというか、ほかに面白い企画を出せないのが中年の悲しさである。大阪の魅力がちょっと低下したような気がする。

 

2019年7月19日(金)デンファレDen.Queen Southeast開花

 2000年からの付き合いで、6500日の連続開花の始まりとなったデンファレが今年も咲いてくれた。我が家最古の蘭である。何度か枯れそうになったような気がする。あんまり株が大きくならないし増えも株別れもしない。お気に入りの蘭なのでもう少し栄えてほしいと思う。20年近くほぼ同じ姿を保っているし、毎年咲いてくれる。デンファレいいなあ。

 

 2007年のむかーし出張(20071112)で上海のホテルで使った石鹸を日本に持ち帰って、その独特な香り(樟脳みたいなウッディな香り)に心惹かれていたことがある。後生大事にしていたため12年経ってもまだ職場の石鹸受けに存在していた。石鹸すげー。さすがに当時の独特な良い香りは残っていなかった。この石鹸を手にするたびに、こういう好ましい石鹸を手に入れる方法はないか、というようなことを考えて12年を過ごしていた。

 その後サンフランシスコでの出張の際のホテルの石鹸を気に入り、ハワイ出張では安い石鹸をみやげに買って帰るようになり、古道具屋で50円ほどの安い石鹸を見つければ買うし、石鹸の詰め放題があれば540円で12個詰めるしで、だんだん「石鹸」という趣味が形作られていった。しかし手にできる石鹸は微々たるものだった。もっと石鹸を、とスーパーで売っているものはあらかた試したが、日用品はものが大きい上数もあるので(90円3個とか)長期間同じ香りのものを使っていると飽きる。小さくてパンチの利いた、なんつーかしゅっとしてビっとくる、ええ感じの石鹸どっかにないかなあ、と探していたのであった。

 オークションを始めてすぐ石鹸探しも始めていた。たまたま見つけた出品にさまざまな種類の古い石鹸69個というのがあり、落札額1100円、送料810円合計1910円で購入した。個数で割ると石鹸1個が28円になる。まあお得といえるか。見た目かなり古くて包装紙などは黄ばんでいるし、石鹸の表面が荒れているものもあった。こういうのは女性の方は避けるのだろうが、日ごろからげろげろ汚くて臭くて危険なものに真っ向勝負しているおっさんにはむしろ好ましいくらいであった。対象をよく見極めて感染症などのリスクは下げつつも、体表菌や腸内フローラを保全し、様々な自然のものに触ることを心掛けて、自己免疫疾患に陥らない努力をしている。人間の免疫系は外界の敵と適度に戦っておかないと自身を攻撃する恐れがある。

まあこれら多くのオークション石鹸は見た目ぼろかったおかげで安く入手できるし。小さいものが多かったので失敗したかと思ったのだが、まあいろいろ短期間で試せると思えばむしろありがたい。使ってみると頭を洗っても痒くならない「はちみつ石鹸」などもあって好ましい石鹸が多かった(おっさんの頭は石鹸で洗って終わりということが可能だ。超楽)。ここへきて「石鹸趣味」がどーんと立ち上がってきた。より独特な良い香りをもとめてオークションを徘徊していた。

 海外のホテルや国内のホテルのアメニティとして大変多くの出品がなされており、多くの種類の有名ブランド石鹸が、好ましい小ささで安く売られていた。そのブランドの一つを通勤途上の店に見に行った。ロクシタンなる有名ブランドがある。石鹸1900円もしていた。その石鹸のちっこいやつなら安価に調達することができた。おフランスの香り。しぇー、とか言っちゃいそう。中国ホテルの石鹼や、アメリカ・カナダのホテルの石鹸も手に入れた。

手に入れた石鹸は、写真を撮り、使ってみて使用感などを記録している。「うーん、なんか嗅いだことがあるようなこの香りなんと表現すべきか」という独特な好ましい香りのものが多い。ホテルアメニティを購入すると石鹸のみならず、小ボトルのシャンプー、コンディショナー、シャワージェル、入浴剤などがついてくる。これらも海外の独特な香りを楽しむことでお風呂が楽しくなる。

 こうやってオークションでの買い物が無駄遣いにならないように購入の記録をエクセルに整理して、そのお買い物の事後評価をしている。「コスパ良好」「役に立った」「微妙な買い物」「超お得」などを記録する。使用するうちに評価が上がることもあるし、やっぱり無駄遣いだった、という評価になることもある。一番の高額商品であるCore i5のノートパソコン14449円が稼働率が低く「反省物件」であるが、あとで取り返せないわけではない。

 失敗したなあ、という買い物は、大豆10s2880円。これは、豆が小さくて、今年度の自家製味噌の原料には採用してもらえず、ものすごい手間で120gの豆から豆乳100mlをつくってもおからが出すぎて微妙。夕方の空腹防止に煮た大豆を食べるようにしたがあまり消費がはかどっていない。この大豆を食わねば、という負債を負った気分。まずくはないのだけどなにせ量が莫大。

 超硬い鬼胡桃3kg1800円は莫大な量あったが、うまいものが大量にあるという認識になっている。瞼に超巨大ニキビができた原因かもしれない。実が少ないので食べ過ぎてはいないと思う。食べ過ぎなければ良質なあぶら(70%がナッツあぶら。健康に良いあぶららしい)と、めっちゃ体にいい食物繊維が豊富だそうだ。おっさんの高度な技術を活用してやっと食べることができる美味なナッツである。大好きなくるみを好きなだけ食べられてうれしい。

 3159円で購入したプレステ3で、4月からやっていたTales of Gracesfはプレイ時間53時間でクリアーした。楽しい内容だったけれど、その時間学問していたら有意義だったんじゃないか、と考えてしまう。娯楽に興じるということは、楽しい時間をもつという意義はあるけど、将来のために投資する時間を失うことでもあると認識した。誰しも結構厳しい世界に生きているわけで、そうそうぬるいことをしていると己の首を絞めることになる。ゲームやネットをやると、なんつーか、モノを考えたりアイデアをだしたりという風に頭を切り替えるのが難しくなっているように感じた。いや、まじで。そのうえゲームやネットに実際に使った時間以上にだらーんとした時間が失われ、将来に備える時間を一層奪うのである。ありていに言うと自分で自分をおバカにしている実感がある。ゲームは素晴らしい。しかし、ゲームをすることは、自分が必要とする時間とお金の両方を差し出さねばならない。

 オークションには、詳しくは書かないけど、「おいそれとは調達できないすさまじいばかりのお得な品」というものが存在していた。しかもジャンクで。そういう世間の人があまり競ってこない安価なものにもとんでもない「お得」が潜んでいる場合がある。そういうものを射幸心で買いあさる気はさらさらない。狙って得られるものではない。淡々と必要でありかつお得なものを少しずつ買ってゆく、というスタンスである。ただ、そういう文物を見て回るのに使っている時間は結構かさむので、やっぱり時間がもったいないかもしれない。世の中にはいろいろとまだまだ素敵で必要なものがあるのだなあということを教えていただいた。

 

2019年7月14日(日)ピンクのストライプのデンファレ開花

 デンファレって夏に咲いたり冬に咲いたり節操がなくていい。デンファレが咲いてくれると、開花期間が長くてありがたい。とてもきりりと咲いてくれる。鉢が場所を取らないので机の上における。そうなると「ランはええなあ」という気分がよみがえってきて蘭の世話を始めるのである。ネットやるよりましだとは思う。

 

 毎日のようにオークションやYouTubeを見てしまう。とくにYouTubeはやばい。興味深いパンチの利いた動画がつぎつぎと現れ、ガンガン時間が過ぎてゆき、気が付くと深夜まで見ていたりする。CMすら面白かったりするから質が悪い。(落ち着いた声のおねえさんが3Dアニメで腕をぶんぶん振りながら力説する絶対痩せるダイエット食品のCMは何度も見てしまった。そんなに簡単に痩せられるわけね―じゃねえか、ばかこくでねえ、と思いつつも、なんかそのCMだけが好き)。ネットって確かにいい面もあるけど、ちょっとヤバくねー、とも思う。たぶんもっと有効な時間の使い方があると思う。現実と闘うための準備時間が削られているように感じる。簡単に言うと「勉強時間」というやつ。あの手この手でYouTubeからの離脱を計る。

 石川結貴著「スマホ廃人」を読んだ。スマホ不所持の自分はこれまで、「スマホやるってのは、カネと時間をすげー損をすることだ。なぜあんなものをやるのか不思議」と思っていた。しかしネットを4か月もやってみれば、お得な情報はあるし、ついついみてしまうものもある。明らかにお得な情報、お得な文物、様々な見たいものがネットにはある。スマホは手軽にそれら魅力的なあれこれにアクセスできる強力なツールだ。そりゃまあ高いカネだしてやろうというのも分かる。きっかけはそれで十分だろう。その魅力には抗いがたい。

けどそのあとがしんどい人もいるようだ。つながりすぎてがんじがらめな目にあっている高校生。幼児をおとなしくしてもらうためにスマホに触らせるおかあさんの心情も理解できる。明らかこっちが損な要求をしてくる奥様方のしがらみ。なんか自慢話を読まされてげんなりする書き込みのフォローとか。入ったら抜けられない世界がある。よほど意志が強くて、「これほんとにためになっているのか」という疑いの目で用心深く現実を観察できて、うまく運用する行動力のある人間だけが、まっとうにスマホと付き合うことができる。一方、ほんとそれでヤバいことになる人っていると思うよ。「自分に必要なことをきちんとやってから少しだけスマホをやろう。スマホの適正な使い方を十分に学んでおこう」という意思を持った人になってからじゃないとああいうものは触ったらだめだ、と己のダメっぷりを振り返って思う。

 社会人にしても、社会から求められる変化する仕事に即応できる自分の能力を保持でき、安定した収入を確保できることに不安を感じる人はスマホをやったらだめだと思う。働いている社会人こそやめるチャンスがあると思う。せめてパソコンでやんなさいって思う。

 いっそ免許制にしたらと思う。だから未成年は原則スマホ禁止にするか、国家資格でやりたい人は試験を受けに行くべき。そうしないとどうなるかと言えば、ただでさえ少子化で国力が減ってゆく上に、現状国際競争力を保つために必要な人材の力が低いばっかりに必要な人材が確保できていない。人手不足というのは、必要な能力を持った人が少ないという意味で、能力が足りない人は余っているのである。私もこの「人手不足」を勘違いしていた。仕事はあるけど、仕事に見合う能力を持った人が足りない。じゃあその能力どうするの、というところで、能力をぶちこわすようにスマホが働いている恐れがある。今後スマホの恐るべき害悪が顕著に見えてくることだろう。

 

 スマホは個人的にヤバい脅威だけど、世の中なんか最近いろいろやばそうな状況があるなあと思う。先月までドイツ銀行がやばいということを知らなかった(これもYouTube情報)。韓国は半島統一を本気で目指しているそうだし(かの国の半導体産業が打撃を受けるのはあの大統領には思うつぼらしいが)。イランもヤバそうだし、もうなんなんでしょうねえ。

 

 一方、オークションは楽しい。いろいろと発見があった。

 クルミが大好きだったので、クルミが安くないだろうかと検索してみると、「オニグルミ、3s、即決1800円、送料無料」という出品があった。「濃厚な味で美味」「殻がものすごく硬い」とある。「え?あれ食えるの」と驚く。50代のおっさんのくせにオニグルミを昨年まで見たことがなかった。近所の山の遊歩道で「オニグルミ、リスが食べます」という記述と実物の殻をみつけた(肝心の木はどれかわからなかった)。普通に売られているクルミ(西洋クルミ、主としてアメリカ産)よりもかなり小さかったので、食べるところはないだろうと思っていたのである。「濃厚な味で美味」という記述を信じて落札した。

届いた量をみてたまげる。3sはものすごい個数だった。殻付きくるみは8個入り500円くらい、とおもっていたが(最近殻付きのクルミは全然見かけなくなった)、ものすごい数と体積できた。

早速硬いもの(タングステンカーバイドのブロック400gの角)でぶん殴ってみたのだが、「殻がものすごく硬い」との触れ込み通り1つも割ることができなかった。

まじか。

昔中学1年のころに国語で今昔物語の「実因僧都の剛力」を丸暗記させられたので今でも覚えている。寝ている実因僧都の両足の指の間に小僧がいたずらをしてくるみ8つを挟んだところ、実因僧都は背伸びをした際にそのクルミを全部割ったという話だった(それ誰が食べたの?スタッフ?)。

うっそー。

西洋クルミなら両腕の力でなんとか割ることができるが、このオニグルミはちょっと無理。

ほんと全然歯が立たない。これは何らかの道具が必要である。

プライヤーなる道具でオニグルミを挟んでみたがこれもまったく歯が立たなかった。リスはモンスターか?。ハンマーと金属の台でたたくと10回くらいぶん殴ってやっと割れた。やっとナッツを口にしたが、まあクルミの味がするという程度の実入りの少なさだ。これではとてもやってられない。

一般的な方法としてこれもYouTubeには「炒って隙間が空いたら、ナイフを差し込んでナイフの背を金づちで殴ると真っ二つにできる」という方法が紹介されている。でも炒ったクルミは生のクルミとは味が違う。実は、クルミというのは生で食べられるナッツで、今回入手したオニグルミは植えれば木が生えてくるそうである。普通に売られている西洋クルミは生で、時々ローストしたものがあるが、生のほうがうまいと思う。

大きな万力があった。これで結構な力をかけると割と簡単に割ることができた。その日食べる分20個ほどを割るようにした。食べるのにも先が細くて曲がったピンセットで少しずつかけらをそぎ取るようにして食べる。ピンセットを差し込むと実から油がしみだしてくるのが見える。本当にちびっとずつちまちま食べるいじましい食べ方になってしまう。ここまでやって確かに美味で食べ出のあるお得な食品という認識になった。クルミ好きの私には堪えられないお宝である。でもこれらの道具は一般家庭にそろってないので、このオニグルミはちょっと難物なのではないだろうか。逆に、加工設備があれば安くておいしい最高のナッツである。(二つに割ってある500g300円という出品もある)。採取や皮とり、発送などあまり高くもない代金で売ってくださる方々は大変ありがたいなあと思う。またまたYouTubeに収穫と洗浄作業の動画があった。こういうおいしい素敵な食材を味わってほしいなあ、という日本人的な親切心なのだろうかと勝手に考えてうれしく感じる。山の中で皮の付いたクルミをたくさん拾って持ち帰り、皮を丁寧に取って、乾かしてから送ってくださるのである。あんまり売れていないようなのだが、とてもありがたい出品だと感謝している。

 

2019年6月9日(日)なんか大きなオンシジウムの花芽が出てきた

 厳守のオンシジウムとして村上園芸より購入したものからでかい花茎がでている。記録がここ数年へろへろなのでこれなんだったかなあという状況である。

 

 蘭の棚の設置は、ものすごい手抜き。昔は太い木の支柱をボルトで止めるなんてことをやっていたが、園芸支柱1.8mを4本、ビニールひもで括り付けて、その上にネットをかけて支柱にくくりつけるだけ。作業時間15分。風で飛んだらまたくくりゃいいじゃないかという手抜き。やらないよりやったほうがいいから、しんどいのを理由にやらないより、手抜きでもやってしまう。やればいろいろ手が入ってそれなりのものになる。さあつぎをやろう。

 

畑の耕しなど農作業で汗だくだが、涼しい気候なので助かる。昨年の記録を見ると、本日当たり黒大豆を植えている。黒大豆植えは今年はすごく手抜き。昨年はすごく丁寧に作って苗を作り、数が多すぎて、畑がこみこみになってしまって、肝心の豆がさっぱり取れなかった。今年は、「どうせ連作障害で取れにくくなっているようだから、苗を減らして様子を見る」くらいに思って、「ちゃんと生えたら植えてやるぜ。ちんけな苗は不採用だ」みたいなスタンスで、昨年のような苗用の用土はケチって、下は畑の土、上は使い古しの用土をかけるだけ、というとても投げやりな植え付けである。昨年あれほど手をかけたのに(台風などで5回も倒れた株をその都度引き起こした)パッとしなかったためふてくされ気味に作る。

 

 YouTubeなどみているとわれながらろくでもないものに影響されているなあ、と思う。とあるYouTuberの言説によると「中国経済は破綻しない仕組みになっているという。破綻は資本主義に組み込まれているが、共産主義に破たんはない」という。ああ、そういうことか、と思い当たるところがある。たしかにかの国は国民が大暴れしない限り破たんはしないんじゃないだろうか。たとえ鎖国しても国内でなんとかやってゆくようなところがある。もはや中国のおかげか太陽電池で電気は賄えそう。どこからかお金を借りているようでもなく、お金を刷ればいいし、世界の工場なんだから必要なものは作れるし、資源はあるし、売れば外貨は入ってくる。アメリカがもう最後のチャンスとばかりに牙をむいているけれど、知的財産盗用うんぬんの問題がクリアーになって公正な世界ルールに従った中国はまた一段と強くなってたりしてなあ。自前でCPU作ってるくらいだからもうアメリカに学ばなくてもOKだったりして。囲碁っぽく地を数えると中国の勝のようにも見える。でもまああのえげつないアメリカだからわからんなあ。

「2014年、中国は崩壊する」など、中国に関する「経済破綻もうまもなく」という本は割とたくさん出ていた。中国嫌いの人は多いので、こういうタイトルにすると売れるのだろうなあ、と思う。でもこういう本をみて相手を侮っているうちにGDPで抜かれ、技術でぬかれ、そのうち平均所得で抜かれそうな気がする。

 何が起きているかと言えば、低かった所得が増加し、頑張れば頑張るほど収入が増え、ものすごい数の人が頑張っているから、ますます栄えるという日本の1985年以前に似た状況なのだろう。一方、日本は、仕事が減り、頑張っても以前ほど給料は伸びるどころか、自分のいる職場の行く末さえ危ない、という状況なのでいろいろ衰亡感がただよっている。日本企業めっちゃ守りに入って内部留保をためまくって、技術開発や人材開発をないがしろにして、ただただ過去の遺産をくいつぶしているようにみえる。そうこうするうち超優良企業も傾きはじめ、多くの企業の影が薄い。日本発世界企業はどこへ行った。日本企業は、戦後の昭和の1代目、Japan as No.12代目、平成の三代目と、いわゆる「唐様で書く三代目」的な、「お坊ちゃまじゃ、笑えよ」時代である。

このままゆくとどうなるか。これまで部品生産でもうけていたけど、買いたたかれたり、中国に営業に行くと、もっと安くしろとか、もっと技術の高い中国企業に仕事を奪われたり、あとアジアの大学のランキングでは日本の有名大学はそうとう下に見られつつあって、そりゃまああっちは激烈な13億人の競争をやっているわけで、大学を聞かれて鼻で笑われたりすんのよ。すげー肩身が狭いぞ。プライドが無駄に高い日本人耐えられるか?。ちょっとまえまではそんな馬鹿な、と思っていたけれど、外から見たら、アジアのOne of themでしょう、いまや。

この「日本だけ沈没」状態(個人的感想です)について物申すことがあるとすれば、栄えている諸外国に学ぶことと、教育ですかねえ。「いじめ」なんつーダサいことを学生さんにやらせているような教育は、手厚さが足りないんじゃないでしょうか。子供らが後で苦労しないように、考える力や、学ぶ心を授けるのが教育だと思うのだけれど、うまくやれていない。学生さんたちがとても大事であるという認識で手厚く教育されていないという印象をもっている。昭和のころ学生していた自分が思うに、当時は社会からかなり大事にされていたように思う。これは現場の先生方のせいじゃなくて、日本人のものの考え方が歪んじゃってお金の使い方が間違っているからじゃないだろうか。いじめちゃう子も大事な人間なので、そういう人間を研修所(「重点生徒」とかいって「見どころがあるから」とか、だましてでも連行)にいれて人を一人つけてでも重点的に指導するくらいのことをしたほうがいい。生徒も「出向」とか親元を離れて勉学に集中する機会を設ける制度にしたほうがいいのか。このへんのさじかげんはAIにでもやってもらうとか。金も雇用もかかるけど、長い目で見ると国の財産になると思う。このあたり企業の内部留保使えば一発で将来明るくなりそうなものなのだけれど、とにかく金遣いが下手。もう金にしがみついているようにしか見えない。ドイツ銀行破綻一発で吹けば飛ぶような日本企業の内部留保だったりして。そりゃ転がしゃ数字は出るけど、企業さんそれで世の中に貢献したことになるの?経団連で話し合って日本の人材を育てる機構でもつくりゃいいのに。

ひきこもっておられる方々にしても、人間を大事に教育しなかった社会のやり方ゆえかなあ、大事な人材なのにもったいないと思う。人間を大事にしないからカネカネいっていろいろしょーもない状況が見られているように考えている。我が国は人材しかないんだから。

ひきこもり対策は、温泉付きリゾート訓練施設にご招待するのがいいのではないか。やさしいカウンセラーに悩みやいろいろを聞いてもらいながら、さまざまな職業訓練を受講できるような、いや最初はただあそびにくるだけでもいいよ。行ってよかったと思えるようなそういう施設。家族に手を出すような行為や、金銭の浪費などを行う方は行政・警察により連行され、こんこんと諭されるとか、まあ要するに大事にされるわけですよ。

「自己責任」とかいってほっとくのは人間社会のありようとして間違っているとおもう。「自己責任」ってのは「めんどくさいからみんなおまえのせい」、という頭の悪い言葉である。

国のために粉骨砕身して働いてきた人が人を殺めてしまうようなところまで追いつめられるというのはすさまじい状況ですよ。

私は勤続30年のおっさんだけど、メンタルは豆腐。日々様々なことにビビっている。引きこもったら外に出られなくなると思うからだましだまし乗り越えてきたさまざまないやなことを思い出す。学校時代努力して力をつけてうまく世の中に出て仕事にしがみついて生きてきた。私も世渡りが下手だと思うけど、世の中にはもっと下手な人がたくさんいることだろう。そういう人たちがうまくやってゆける仕組みがあったらいいなあ。

 

2019年6月2日(日)フォーミディブル「竜馬」、レリア・クリスパ開花。

 フォーミディブル「竜馬」とレリア・クリスパが開花してくれた。5月はシンビジウム一鉢だけ、という連続開花7000日手前の綱渡り状態だったが、少しだけ綱が太くなったような。よく咲いてくださるねえ。

 

 タマネギを収穫した。昨年の夏に植えた種(ダイソー、324円)から育てた苗635本のうち、玉ねぎとしてカウントできた収穫は430個だった。過去最大の出来なのだが、己の技術としてはまだまだだなあ。我が家のタマネギは、今年は特大、大、中、小、極小の選べる5タイプ。保存性が低い特大から食べて、小以下は来年の4月まで持つ。今年4月まで自家製玉ねぎが食べられたので驚いた。年々生産性が上がっているのか数が増える。

 苗が15-7円にもなるので、600本も植えると3000円もかかってしまう(このたび購入したプレステ3は2590円だったのでバカにならない)。種から育てるのは慣れればなんということもないのであるが、なんというか、できた苗をみてちょっと絶望する。一般的には鉛筆の太さの苗が望ましいとされるが、とても細くて短い。鉛筆どころかつまようじくらいである。長さは8pほどしかなかった。こんなのが玉ねぎになるのか、と植えるとき毎年思う。しかし、ここ3年そんなしょぼしょぼ苗で10か月分の需要が賄えるどころか超頻繁に玉ねぎを食うはめになっている。あのちっこい苗がこんな大玉に、と思うとちょっと感慨深い。

 マルチを畝にかぶせて、ヘリを土だけでとめて、1列5穴で植えている。マルチがないと標高200mの当地では霜柱で苗が突き上げられて枯れてしまう。強風で飛んだりしないところがわれながらうまいのかもしれない。ただ、なぜか真ん中の列近いところに植えた苗が枯れてしまい、635本の苗のうち育ったのが430個なので、歩留まりが低いなあと思う。

 畑の面積が限られているのであとは歩留まりを上げれば生産性を上げることができる。たぶん畝の中央を膨らませてマルチをむっちりと張ることができればうまくいくのではないだろうか。

種から苗を作ってがっぽり430個のたまねぎ、というのはうまくやったほうかもしれない。

 

 

2019年6月1日(土)明幸園、ジュエルオーキッドを買う

 かみさんが明幸園にコメを買いに行くというのでついて行く。相変わらずすごい賑わいである。蘭も相変わらず安くていいものが見られる。なんとジュエルオーキッドがあった。種名は忘れたけど、あこがれていた蘭だ。なんと500円だった。むかしめっちゃ高かった記憶がある。衰退中の蘭の趣味で、最近世話が行き届かず、枯らしてしまうことが多いので、購入は控えていたのであるが、かみさんがきれいだから買えというので購入した。

 

2019年5月7日(火)

 シンビジウムの垂れるやつが咲いてくれている。咲いているのはこのほかデンドロが1株。綱渡り状態が続くなあ。カトレアのつぼみが1つしけていた。

 

 連休が終わった。やれやれ。

連休開始の2日目に床を雑巾で拭いていてぎっくり腰になった。運動不足に体重増加が原因である。このままじゃ人生の後半は悲惨だろうなあ。デブは万病のもとだ。

 腰が痛いのでへこへこ歩いていた連休は、田舎に帰ってもさしたる農作業はできず、せいぜい文献を読むか、読書をするか、というおだやかーなものだった。令和?、そういえばそうらしい。テレビすら見ていなかったような。お祭り気分には全くならなかった。

 かみさんのお義母さんは年々気難しくなっており、家族の間で軋轢が生じることがしばしばである。あの強くて料理上手のお義母さんは、たいそう立派な人だと思っていたのであるが、耳が遠くなったことや体のあちこちにガタが来たことなどで心の余裕がないのかもしれない。子供らもそれぞれにしっかりしてきた一方、自分もまた年を取ってガタが来ているのだろうなあ、と思う。何事も幸せなまんま保つというのは並大抵のことではない。日々の努力で少しでも日常を良くしようと生きている。働いている娘が、子供なんて仕事がきつくて稼ぎが少なくて持てないという話をしていた。世間のお悩みは我が家のお悩みでもあるわけだ。

 世間の考えはいろいろぶっ飛んでいることをYouTubeの動画などで感じることがある。世の中の未婚の女性は、年収500万円の男を捕まえることはごく普通なことであるという意識を持っているそうである。YouTuberは、そういう旦那をゲットできる女性は数パーセントと切って捨てる。日本人の大半は、ぽわぽわした豊かさの幻想をもっているのかなあ、と思う。富裕層、資産1億円少々を持つひとは17世帯に1軒のわりでいらっしゃるそうです。人数で350万人。数としてみると多い。我々庶民には関係はないのだけれど、そういう割といるお金持ちだけのバブルが進行しているそうで、株だの不動産だので金持ちだけのバブルが起きているという。昔はじけたバブルのころ、アホなお金の使い方する人がいたけど、今頃そういう雰囲気がある。似てる。

 バブルがはじけたとき、清貧な生活をしていたわたくしには何の影響もなかったような気がする。実はちょっと楽しみだったりする。株価8000円@2021年(ちょっとまえまでそんな値段だったような)を予想。上がるわけがねえじゃねえか。企業価値を増すようなことしているのかよ。人材を磨けよ。イノベーションしろよ。若い人たちが貧困にあえぐのは気の毒だと思うんだけど・・・・・・それにしても遊びすぎなんじゃないだろうか。

 

 YouTuberが「家電量販店でパソコンを買うな」みたいな動画を上げていた。「スマホなんかよりもパソコンのほうがインターネットやってて面白いにきまってます。能率が全然違う」みたいなことをおっしゃる。スマホでネット見たことがないのだけど、そうなのか。でも家電量販店が面白くなくなったのは確かだ。

 かみさんの古いパソコンのHDDが壊れて、粗大ごみみたいに部屋に転がっていたのだが、HDD2.5インチをオークションで仕入れて(320GB11個+250GB4個、6000円、1個あたり450円)、HDDをつけかえ、YouTubeの報告を参考にしながらネットのWindowsやオフィスソフトをもらってきてインストールしたら見事に復活した。パソコンの調達と修理がえらくコストダウンしている。オークションで仕入れた故障したHDDレコーダーも10分で修理できた。ネットさまさまだなあ。

 

2019年4月27日(土)

 カトレア・インターメディアがしおれてしまった。今年はちょっと早かったような。まあいろいろつぼみがでてきた。何かしら咲いている。

 

 3159円で自分用に購入したプレステ3におまけでついてきたゲーム「Tales of Graces f」をまじめにプレイしている。プレイ時間4時間少々。サクサク進んでいい気分だったけど、何度やっても勝てないモンスターに行く手を阻まれて停滞してしまって4日目である。勉強ができなかった中学1年のころを思い起こさせる気分に陥った。なんとなく嫌だから避けてきたアイテム収集やレベル上げをサボってきたつけがボス戦で壁にぶち当たる結果となった(予習復習をサボった結果、学業不振に陥った、というのと似た状況)。ゲームもかなり勉強が必要である。挫折1日目は、「俺にはプレステ3は無理なのか」と撤退を検討した。二日目は、「いやいや、あきらめるの早すぎでしょ。3000円もかけているのだからもう少し粘ろうよ」と勉強を開始。三日目はこつこつアイテム集めや、戦闘でレベル上げと技の検討を行っていた。こういうプロセスって勉強ができるようになることと似たようなところがある。どっちも大事なのは何とかしようという本人の意思だ。逃げずに踏ん張るには、何らかの成功体験が必要なのだろうか。人はどうやったら直面した困難に打ち勝つことができるのだろうねえ。

かなり昔にMYSTというゲームをパソコンでプレイして以来まじめにゲームをやったことがない。世間一般に知られているゲーム機、プレステ3にはあこがれていた。25000円出してかみさんにプレゼントしたことがある。それから5年くらいになるが、まっとうに触るのは今回が初めてである。2万五千円が3159円・・・・・・。世の中はこの5年ほどで大きく変化したような気がする。

 ゲームで感じる世の中の大きな変化。今やゲームはスマホやネットゲームが主流なのだろうなあ。そのスマホってユーチューバーが日本のとある製品のゆきとどかないところをあげつらい、中国製品の痒い所に手が届くさまをほめそやしていた。え?いまそんなことになっているの?。ものづくりニッポンはどこへいった。使いやすさは日本のお家芸じゃなかったか。いやいや、なんか最近の日本企業は消費者をよく見ていないような。株主ばっかみてんじゃね?人は切ってもイノベーションはしない。

 日本製品は、世界の売れ筋に遠く及ばない実力しかないようである。サムソン、ファーウェイ、アップルなどなど。日本のメーカーはどこにいったのだろうか。自動車もそのうち、グーグル、テスラ、中国メーカーの電気自動車が主流になったりするのか。

 そうやってだんだん日本の工業力はかつての恐ろしく高かったレベルからだらだらと下がり続け、気づけばそこそこの国になってゆくのだろう。あるとき気が付けば、部品生産でも韓国のほうが日本より出荷額が大きくなったりしないだろうか。半導体に13兆円も投資するそうだし。技術で中国、韓国に負ける日本。

 仕事がだんだん減っているのではないだろうか。人手不足というけれど、仕事に見合う能力のある人が減っているという印象もある。身近な人間を観察して思うのは、コンビニのバイトなどはなかなか採用されるものではなく、接客能力が高くないと務まらない。全体に給料の割にきつい仕事になっていっているのである。それって、諸外国の労働生産性が高いから、相対的に日本の競争力が下がっているちゅうことじゃないか。景気が良くて、働けば財産が残せる昭和のころから思うに、きつい仕事でも生きてゆくのにかつかつである。

 先進7か国で日本だけが給与が下がっているというグラフを目にすることは容易である。アメリカに行くと、ごはんの値段が倍以上になっていた。12000円くらい。日本の600円相当のめしが、2000円かかる。日本は先進7か国からすると給与が安いのでご飯が安い。それゆえ、海外からのお客さんが増えたのである。ごはんはおいしいうえに安いとなれば日本に旅行にきたくもなるだろう。非正規雇用を増やして、人材を育てず、人材の循環をせず、給与を下げ続けたやりかたに問題があったのだろうなあ、と思う。

 昭和の国立大学は、時給550円のすし屋のバイト(週6×5時間)で学費、下宿代、食費、授業料、本代をまかなえていた。4年生の卒業研究時に借りた奨学金100万円の返済が結構ながいことかかったような。それが今では世の中に出た時点で500万円とか1000万円とか借金を負っているそうである。毎月1万円から2万円返して40年かかる計算だったか。

 オリンピックが始まるちょっとまえくらいに建設ラッシュが一応おちついたころに、はっと気が付く人が増えるのではないだろうか。なんか日本ってかなり貧乏になったような、って。今でも関東はぎすぎすしたいやな雰囲気のニュースを垂れ流しているけど、そのぎすぎす度が一気に上がって花の東京がえぐい東京になりそうでいやだ。

 正直言って、日本人にかつてあった謙譲・勤勉の美徳は失われたと思う。それゆえ、みんなしてかなりつらい思いをするだろうとは思うけど、昭和のころにあった貧乏な時代に磨かれた人々がまた盛り返してくる時代が30年後くらいに来るかもしれない。

 明治が「坂の上の雲」なら、大正・昭和で「大戦の煉獄」に転がり落ちて、昭和ののこりで「Japan as No.1」に。その後の平成はひたすらだらだらと坂を下るような時代だったなあ、と思う。「坂の下の沼」みたいな。そこそこ楽しいこともあったし、感謝すべき平穏なよい時代だったと思う。次の令和は、石油をめぐる戦争の起きない結構な時代になるかもしれないけど、日本人の心はすさんでつらい時代かもしれない。せいぜいいやーな雰囲気に巻き込まれないようにしたい。

 話を少し戻すけど、企業経営者ってその地位に安住してやりかたが甘かったんじゃないだろうか。それに諸外国に比べて税金をあまり納めていない。給料は上がらずに内部留保がものすごく増えている。会社で必要なくなったスキルを持った人を円満に辞めさせて世の中に返し(人事課は他社と連携するとか)、会社に必要なスキルを持った人を雇う、といううまい仕組みがあればいいのだが、日本人の特質なのか、人材の循環が下手。金持ちが太り、庶民がやせる国になってしまった。それゆえそのしわ寄せは消費税が堪える庶民におっかぶさってくる。政治家は、お金持ちにやさしく多くの国民にかつかつの生活をさせるようなやり方をしてきたのだろうなあと思う。よその国で給料が上がっているのに、なんでうちの国は、っておもう。それで金持ちから税金とりっぱぐれて消費税を上げるとはどういう料簡だ。飯がうまい、なんて言われていい気分になってたらだめだ。政治主導とかなんとかいって国民のことを結構考えて粉骨砕身働いてきた官僚の力をそぎ落したようにみえないこともない。そりゃ官僚のなり手も減るだろう。エリート不在の日本。婦女暴行するような政治家やあほな発言かます政治家など、そういうのを選挙で通してきたみなさん、もう少し投票前に予習をしませんか。みなさんネットでは結構ゴーマンでいらっしゃるし。なんつーか今年の後半は荒れそうな予感。

 でもまあこうやって誰が悪い、という思考はよろしくない。むしろ日本人全般に甘あまという気もしないではない。個々人が現実を見て厳しく学ぶことや働くことについて考えればそれぞれの幸せを追求できると思う。

 

2019年4月22日(月)

 別のカトレアのつぼみがでてきた。シンビジウムの花芽もでている。

 

 玉ねぎが越冬後すくすくと育ち始めた。ここまで育てば今年もたくさん収穫できそうである。昨年はちっこいたまねぎを500個ほど収穫している。ちっさいからなのか、恐ろしく保存性がよい。本来なら12月ごろには食べられなくなるほどしわしわになるものが多いのだけれど、いまだに食べられる。へたくそゆえ小さな玉ねぎになってしまい、そのため貯蔵性が向上するという変な利点が生じた。1年間玉ねぎを完全自給できた。毎日のように玉ねぎを食べている家である。

 

 今年のじゃがいもの作付けは昨年を上回る103株だった。けちけちして小さな芋を半分にして植えた。どれもしっかり芽がでている。昨年40sほど収穫できていた。あれはすごい量だった。今年も調子がよろしいようだ。今年は植え付け過ぎて、しばらく何も植える余裕がない。野菜の苗を買ってきては失敗していたので、それはそれで無駄を省いたのかもしれない。

 

 ネットオークション漬けの日々も終わったようで、もはや買いたいともう品がほとんどない。世の中にはむやみと落札したい人がいるそうだが、欲しいものがはっきりしていたのと、欲望が有限だったので、オークション熱も下火になった。ありがたいことだ。現状買ったものを味わうフェーズに移行している。パソコン2台はじわじわつかっており、多量にあるHDDはいくつか使って運用方法を模索中、購入したプレステ3については、ゲームというものを学んでいるところである。

 まじめにRPG2時間プレイした。当初さまざまな仕掛けに「なんじゃこりゃー」、と思いつつ我慢のプレイをしていた。動く絵だわなあ。やたらフルボイスでしゃべるし。展開が唐突だったり、必然性がよくわからない魔物の討伐などがあったりする。「ているずおぶぐれいしすえふ」とかいうゲームだそうな。10年くらい前の作品で、7000円で購入したプレステ2+プレステ3+HDDセットについてきていたゲーム10本のうちの1本である。発売当初は8000円ほどしていたらしい。ネットで検索すると評判の良いゲームだそうである。丁寧な攻略解説サイトまである。ゲーマーの方のプレイ時間が65時間とのことだった。「え?65時間もやんの?」とビビる。ラノベ30冊分に相当する規模だ。ゲームが高いわけがよくわかる。よくこんなに絵がつまっていると驚く。

 高校時代毎日4時間は家庭学習をしていた記憶がある。例えばそのうち2時間をゲームに差し出したとしても1か月少々かかるわけだ。学習時間を半減させても1月もかかるわけで、高校生がこのゲームを一生懸命やったとするとすごいハンデを背負うことになるのだなあ、と考えてしまった。数学、国語と英語に2時間割くとして、理科と社会が1か月できなくなるのは痛いだろう。うわあ、どうすんのそれ。

 「のーげーむ、のーらいふやねん」という高校生もいるだろうけど、人生は選択と集中である。学生が勉強しいへんでどないすんねん。勉強しなはれ。まあ若いんやから融通利かせてゲームも勉強もできまっしゃろう。

 このゲームはまあ様々な違和感に慣れてくると、優しい色合いのええ感じの絵やらほほえましいキャラクターなどが好ましく見えてくるので2時間もやっているとゲームの楽しさが分かってくる。まず日課のお仕事をきっちりしてから遊ぶことにしよう。うまくまわせば良質な楽しみになるかもしれませんし。

 YouTubeで、ジャンクパソコンをよみがえらせる話をぼーっとみていたり、オークションサイトで何かお得なものはないかとだらだら探しているよりはいいかもしれない。

 

2019年4月20日(土)

 カトレア・インターメディアが毎年のことながら律儀に咲いてくれている。毎年必ず2輪。律儀だなあ。

 

 ネットオークションにどっぷりつかっていた一か月間だった。妙に疲れた。ものすごく頭を使ったような気がする。

 遠方に行った息子の餞別にノートパソコン、外付け4TBHDDHDDレコーダなどを与えたため、これらの機器への特需が発生した。我が家にネットがやってきて2か月、それじゃネットオークションでも、と思って眺めていた。なかなかエキサイティングである。時間で締め切られるので、それまではかなり安い値段だったりするのだが、間際で値段が吊り上がってゆくようである。自分が欲しいものは人様も欲しいようで、それなりの値段が付く。ただ、大多数の人が欲しがらない品は、驚くほど安価に調達できる場合がある。よく眺めていると相場がわかってくる。その相場から外れた意外な品物、ニッチな品物を総額39000円かけて1か月間7件落札し、入手した。

 オークションでは、携帯電話認証という資格を必要とする出品が大半だった。当方携帯電話をもっていないという原始人なので、携帯電話認証のない出品(全体の5分の一くらいだろうか)だけに入札資格がある。認証ありの物品はどことなく筋目がよさげで、品物が良く、値段が高い傾向にある。一方認証がなくてもよい出品は、ジャンクよりというか、古いものとか、難ありとか、持っていても仕方がないので売りたいのだけれど少々怪しい人にも声をかけますよ、という意味合いから認証なしにしているように見える。しかしながら、この認証なし、というハンデが、妙にコスパがよく満足感のあるお買い物につながったような気がするのは気のせいだろうか。

 最初の落札は、「ジャンクHDDレコーダ」3500円だった。ジャンクとあったのでやはりHDDが壊れているような症状が見られた。この商いははなからジャンク狙いだったのである。この手の機器はたいてい不調になるとHDDが壊れている。品物が届いた翌日街にいってHDD200GB2.5インチを1000円で買ってきた。これを交換すること10分の作業で容量は500GBから下がったものの(録画時間が減った)使えるマシンになった。まっとうに買うと15000円する品物が4500円で手に入った。不思議なことに世間ではHDDレコーダのHDDを交換するという簡単なお仕事をしない人が大半らしく、おかげでHDDレコーダは、オークションにおけるもっとも利幅の大きな買い物となっている。

 いつもストレージには需要がある。上述のHDD交換同様、HDDレコーダ5台を家族で保有しているとHDDの交換の必要性がたまに起きる。HDDの安くてよさげなものを探していた。出品物は川のように刻一刻と流れてゆくのを眺める。2−4TBに人気があって、眺めていると大まかな相場がわかってきた。なぜかわからないけれど、HDD10個11TBというHDDのセットが人気がなくて入札されていなかった。プレゼンがあまりよくなかったのか、「動作確認済み」と記述されていたのに人気がなかった。たぶんあまりHDDの個数が多くてもこまる、ということで忌避されたのだろう。この商いでこれまでの購入実績では1TBあたり2500円だったストレージの値段が一気に1TB880円に急落した。もうストレージに煩悩することはなかろうとさえ思った。とっても得した気分である。HDDの健康状態を調べるソフトがあるのでそれによって評価してみても悪いところは見られなかった。

 HDDがえらく増えたので、HDDの台帳を作成して全体を把握することにした。SATAタイプになって壊れたHDDをみたのはわずかに3台である。私が扱う機器で壊れたものは記憶にない。全体で39TBを管理していることを把握した。

 息子にもってゆかれたノートパソコンの後継機を調達しようと考えていた。通勤中文献を読んだりする勉強に使いたいと考えて携行重量の軽いものが欲しかった。ノートパソコンの出品はあきれるほど多い。1分間に10台は流れてゆく。お店が商売として出品しているものの中に、時々個人の変な商品が混じる。その中に、やっぱりあるなげやりな出品に面白いものがあった。まず説明が雑。中身がよくわからないから警戒されて食いつく人があまりいない。でも画像にある型番を目を凝らして読み取って検索し、スペックを推定するなどすると値段の割にいいものが出ていたりした。そんな出品のなかから、1015gの新品のノートを3700円でゲットした。これまではアマゾンでノートパソコンを15000円以上かけて購入してきた。アマゾンのそういう安いノートは電池が2時間だったり40分だったりした。今回の恐ろしく安いノートは、電池が2時間以上もつ。たたんだ状態から開くと3秒で画面に表示しておいた文献を読み始めることができる。きっちり要求仕様を満たした買い物となった。こんなに安くなかなかの品が入手できるとはネットオークションすげえなあ、と思った。

 そうやってパソコンでは満ち足りた生活を送っていたのだが、こっちのアンテナにびんびんくるような個人出品のデスクトップパソコンが現れた。本体Win1023インチ液晶+キーボード+マウス(なぜかおまけでUSBメモリ16GB付)と一式そろって6800円送料込み。いま自分が使っている奴は2年前アマゾンで16000円だったので、ものすごくお得にみえた。娘にこんなのあるけど要る?と聞いたところ欲しいというので落札した。そりゃまあ世間的にはゲームマシンとしてみるととっても使えるものではないだろう。でもまあパソコンは事務機器という見方で見てしまうので、届いたものを見て値段の割に大層立派な品に見えた。この買い物は必要なものを調達するという観点から見ると自分の小遣いの無駄遣い、と反省すべきかもしれない。実際、付属の立派な液晶にあったHDMIの口を見たときにろくでもないことを考えていた。

 裸のHDDを使えるようにするためのケースのようなものを検索して探していた。するとまた変なものが引っかかってきた。「プレステ2,3、ゲームソフト、HDD」という雑多なセット3000円だった。こういう的を絞りにくい出品が多くのお客様には不評なようだ。しかしよく型番などを調査していると「あれ、このHDDひょっとしてええもんじゃね?プレステ3って昔25000円でかみさんにプレゼントしたけどえらく安くね?」と、おまけの方に気が向いてしまった。聞けばかみさんのプレステ3は息子に巻き上げられて家にないという。この出品の値動きに注目し、送料込み7600円で落札した。お店の出品なので支払い時に少しだけ複雑な処理があってまごつく。支払いは、その都度通勤途上のコンビニ支払いにしていた。届いてみて、7000円の内訳は、HDD2000円(1TBが入っていて外付けとして使える。中身を4TBに入れ替えて使用している)、プレステ3で3000円、プレステ2で2000円、ソフト10500円という感じにみていた。子供のころからゲーム機にあこがれてはいたが、なんというか「今それをやっている場合ではない」、という強い意識が沸き起こってきて、ゲームができないのである。難儀な性格である。こういう忌避意識は、酒、たばこ、かけ事、風俗などに対して抜きがたく存在する。憧れはあるので、なんというかこの落札でゲーム機に興味を持ってしまった。

 自分用のプレステ3の入手をもくろむ。時々妙に人気のない出品があったりしてあっさり3200円送料込みでプレステ3を入手することができた。届いたものを見て「漆でも塗ってあるのだろうか。輪島塗か」というくらいつやつやした美しい筐体である。重い。でかい。部屋が狭くなった。あらかじめ買っておいたHDMIケーブル(980円+税)で前述の6800円パソコンセットのLCDディスプレイに接続し、前述のHDDプレステセット付属のゲーム「Tales of Graces」なるソフトを入れてみた。まずこのLCDはパソコンからの画像は見えるけど、音が出ない。プレステ3からの映像や音は当初でてこなくて、困惑した。ネットでLCDの型番を検索し、取説をみつけて調べ、なんとか映像が出て、つぎに音声がでたところで力尽きた。これで使えるようになった、という状態で満足してしまい、肝心のゲームの方は「だるい。今夜は勘弁して。週末がんばる」という状態である。

 最後に、家のHDDレコーダは、息子がリモコンを壊してしまって3年間ほかの2台のリモコンを融通しあって操作していた。リモコンが欲しいと考えてまたまたHDDレコーダを3700円で落札した。リモコンゲット。本体は、またまたHDDが壊れていたので、HDDを交換後、裏番組の録画にでも使おう。

 1か月で7件の落札、総額39000円という巨額を投じた。ちょうど、特許関連のお小遣い収入があったのでへそくりが減ることもなかったが、それにしても大層使ったなあと思う。振り返ってみてオークション調達はものすごくお得だといえる。お得であるがゆえに、お得に弱い自分は時間もかなり多く突っ込んでしまった。その時間が惜しい。もっと仕事しろよ、というくらいオークションの検討を夜中してしまった。オークション疲れでまいった。まあ疲れるほど面白かったというのはある。

 言うまでもないことだが、送料はバカにならない。送料も合わせ必要な金額の全体で買い物を評価する。それゆえ、1000円というような少額の落札は半分が送料みたいな買い物になるので、なんというかお得感が吹っ飛ぶ場合もある。パソコン、プレステ、HDD、レコーダといったまっとうに買うと明らかに高いものの買い物には向いているが、好んで見ている石鹸のまとめ売りなどは、送料を含めた値段を個数で割り算してあきらめることが多かった。

 煩悩と闘う買い物も多かった。スイスの有名なチョコレート、トブラローネ4.5kg2800円+よくわからない送料、には煩悩した。ものすごく大きなチョコレートである。コストコで9800円で売られていたことがあるそうだから、相当お得そうにみえる。しかしながら、「おっさんの体重1sの減少は10万円の価値がある」、と最近考えているので、そんな巨大チョコを食べた場合健康面での悪影響がコワイ。

 プレステへの興味には負けてしまったわけだが、おおむね強い自制心を働かせて必要なもの、コスパのいいもの、使用により利益もしくは有意義な時間に寄与するものを求めて今夜もネットオークションを徘徊したのであった。いや、疲れてるんだからとっとと寝ろよ、と自分に突っ込む。

 

2019年3月2日(土)

 カトレアが咲いたりした。Den.スペシオスムの花芽が大きくなってアブラムシがついたので薬をかけた。

 

 己の幸せについて考察する機会ってあまりなかったなあと思う。仕事がきついときなど、幸せってなんだろうって思う。

 若いころ、幸せって感じている自分は例えばなにかを成し遂げたとか、何かを手に入れたとか、収入が増えたとか、漠然といいことがあることが幸せで、理系的ものの考え方で、自分のポテンシャルPの時間変化がプラスの状態であること、dP/dt>0、が幸せだと思っていた。ポテンシャルというのは、自分の状態、財産、健康、体力、地位、収入、若さ、などの関数、と漠然ととらえていた。お金持ちはPが大きく、若いなにももっていない自分は健康だったり若さだったりでそこそこのPだ。このPが増えている状態を人間は幸せと感じているのではないか。

でもそれってなにかおかしいと感じることがあった。Pが変化しなければ幸せを感じられないというのはわからんではないが、やっぱPの大きさは幸せの指標ではないのか。それではお金持ちはもれなく幸せなのか?。大きなPでも加齢や財産の目減り、健康悪化など、不幸に感じるお金持ちもいるだろう。

 じじいになってPの時間変化が幸せ、という感覚をうたがっている。それはただの感覚に過ぎないのではないか。この感覚だけで幸せをとらえると、幸せになれないような気がする。人はdP/dt>0となるような行動をとる。お金を稼ごうと無理をするし、よい体験をしようと海外旅行に行くし、スマホを駆使して娯楽をむさぼるなり人との関係を深めようとする。でもそれらの行動によって結構疲れたり失敗したり必ずしも期待したPの増加が得られるわけではない。Pの大きさを変化させるのは人それぞれにそれなりの大きさがあって、結構犠牲を伴う行動なのではないかと思うことがある。

 実のところ、幸せの本質とは、現実対処能力(Fと定義)なんじゃないだろうか、と思い至った。Pなんてたまたま日本に生まれたから高いとか、お金持ちに生まれたから高い、私のように母子家庭に生まれたから低い、などなど本人とは関係ない部分で決まるけど、現実対処能力はそれを持つ人が生きてゆく中でつかみ取った能力やら周囲との関係性であって、そうやって日々のあれやこれやをさばいていること自体が幸せということなんじゃないだろうか。すごい有名人になって稼いだけど使い道がなくて、日々案外つまんないから麻薬に手を出す、というような生き方は現実対処能力が低い。そんな生き方は幸せとは思えない。つまんない結論だけど、「それぞれの人がそれなりにちゃんと働いて食える」状態が幸せってことなんじゃないか。

 P(富、名誉、地位)や、Pの変化に目を奪われがちだけど、じつのところ、Pに寄与する己に作用するもしくは発揮する力Fのほうが幸せに必要なもので、Pはその結果(Fの時間積分)と考えている。

 Fが大きな人というのはいますよね。別にお金持ちとかイケメンとかでなくてもこの人は幸せだろうなあという人。PじゃなくてFを見るという考え方はなんとなく心安らぐ。もっと稼がなければ、いい車に乗りたい、高いバッグが欲しい、いいスマホに機種変更したい、などなど様々な欲望はさっぱり湧いてこないけど、大事に生きてゆくためにさまざまな努力を重ねている。この考え方は、さまざまな努力を「貧乏人があくせくしている」ととらえるのではなく「さまざまな能力を高めている」とポジティブにとらえることができてちょっと楽しくなる。

 それでまあ、幸せというものは、いや状態は、世間一般に漠然ととらえられている状態変化「憧れの彼氏・彼女をゲット(直後の浮気、修羅場、破局については予見できない)」「お金持ちになる(悪銭身に付かず)」「大学に受かる(卒業やその後が大事)」「成功をつかむ(失敗もある)」というような事柄ではなくて、「堅実な伴侶と末永く暮らす」「手堅く稼いで堅実に暮らす」「学問で研鑽を積む」「長年の努力が実を結び、それなりの評判を得る」みたいな、持続的なしぶーいところの近くにあると思う。あんまりうらやましいと思う人はいないけれど、わかる人は分かっていると思う。割とつまんなく見えるものが(個々人が様々に長年の努力でつかみ取る生きる力だもんで)、実は本当の幸せなんじゃないでしょうか。

 たとえ話をすると、努力をしていい大学に入って人を見て人間を学んだものの分かった男がいたとしましょう。よい仕事を得てええ給料をもらい、よき伴侶に恵まれてええ感じの家に3人の子供がいたとしましょう。この男をうらやんだ、あんまり勉強も好きでないちゃらちゃら遊んですごした同年代の家族も財産もない男がいたとして、仮にこの二人の男の中身が入れ替わったら、遊び人の男は幸せになれるだろうか。そりゃまあ一時はまじめな男に成りすまして良い環境に喜ぶかもしれないけど、やっぱ長年の努力で得た能力がないと何もかも回らなくなるのではないか。やっぱ幸せの本質は能力に立脚していると思うのですよ。まあ思うってだけの話ですが。

 

2019年2月26日(火)光回線のネットがつながって・・・

 蘭はほそぼそと続いていたのであった。リカステ、デンドロ、デンファレ、セロジネ、バルボなどが咲いてくれている。連続開花もまだ続いていた。

 

 ネットがつながって2週間ほどたった。まあ便利ではあるような。なんとか月額使用料以上の価値があるように使う。英語がふんだんに聴けるのはいいかもしれない。一番感激したのは、「素数が無限に存在することを証明せよ」を鮮やかに証明したおっさんの動画だった。

 ネットがあると、「みんななんでスマホつかってるの?」って思った。椎名誠をして「あれはかっこわるい」と言わしめるスマホ。NHKクローズアップ現代では「スマホ脳疲労」により、前頭葉の働きが低下するという。「子供は1時間以上使ってはならない」とおっしゃる川島隆太教授。「スマホが学力を破壊する」は読んでみよう。「子どものスマホ使用で2時間以上の勉強効果が消える!」とかおっしゃっているそうな。

 実際どのへんがいいのか不思議なのがスマホ。研究しているのだけれど、費用に見合うヨロコビが見えてこない。音楽を聴くのにたまに使う程度のデバイスである。圧倒的に本のほうが面白いようにみえる。SNSという仕組みがどうも皆さんお好きらしい。インスタグラムとか、ツイッターとか、ふぇーすぶっくとかいうやつ。ああいうのって、疲れそうですごく抵抗がある。将棋みたいなもので、自分がやらないからといって嫌っているわけではないが、偉い先生のツイッターを読んでも、どの辺が面白いのか、将棋をやってみるように実際にやってみないとわからないのであろう。逆に言えば、読書があって満たされているのであるから、無理にスマホをする必要はない。パソコンとネットがあるのだから、始めてゆく場所は予習をしてメモでも持って行く。駅前の地図を見ればそこから2km離れたところにてくてくあるいてたどり着けた。スマホがなくても全く困らない。新幹線の切符の変更はみどりの窓口でやったしなあ。キャッシュレス決済で困ったことはない。そんなこじゃれた店いかんし。基本1万円もの大金を使う機会がめったにない。ビバ現金。

 家族がGAFAA社のスマホに機種変更した。14万円の45回払い。毎月3000円もハードウェアの料金をもってゆかれるのか。スマホのすさまじいばかりの料金を払っている人たちはすごいお金持ちなんじゃないかと思う。ぶっちゃけどういう経済観念で生きているのだろうか。そんな遣い方してたらカネカネ気になってストレスになるのではないか。わしそんな生活はいやだ。

 まあこんなことを書くと「スマホからはもう離れられない!」という人には気分が悪いでしょ。このおじさんはね、ただ単にスマホについてやっかんでいるだけなんですよ、と思っていただいていいと思いますよ(げへへへへ)

 

 こんな原始人のような私だが、職場で発見された新物質をこのほど合成する方法を編み出した。3rしか存在しなかったその物質を3g、高純度で合成した。特許出願、文献調査、プレゼン作成、論文作成などに、スマホの出る幕はない。

 世間の人がスマホの使い過ぎでリアルな世界と戦う能力を喪失してゆくのであるなら、原始人のおっさんにはおしごとが選り取り見取りというわけである。げへへへへ。

 

 まあ世の流れですわねえ。スマホは。でももっといいものがそのうち出てくると思う。昔のザウルスみたいに。「ああ、スマホかあ、懐かしいなあ」というものになってゆくのではないだろうか。

 5Gから折り畳み式の広い画面のブック型がでてきそうだなあ、と思った。透明で、向こうが透けて見えるけど、文字も画像もくっきり見える。CPUはコアi9相当(いや、ファーウェイは自社のCPUか。どうもアメリカ分がわるそうだなあ)でメモリも2TBが標準。秘書AIが標準装備で、予約だの役所への届だの、風呂の湯はり、車の暖機運転、冷蔵庫の中身と夕食のレシピまで会話しながら教えてくれるすぐれものだ。正直AIと会話しているほうが人と話しているよりも楽しいというヤバいデバイスである。あたまにサークレットをつけるとキーボードなしで文書入力をしてくれる。「こんな報告書の書式出して」と考えるとAIがあつらえてくれて、文書を思い描くと、「こんな文ですかねえ」と対話しながらあつらえてくれる。

 いや・・・、まっぴらですな。

 

 

 

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