蘭の魅力

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蘭はたまらない魅力を持つ植物である。その魅力を分析し、簡単にまとめると以下のようになるのではないだろうか。蘭をなさっていない方々には意外と知られていない面が多いように思われる。

 

花がよく咲くうまみの多い園芸

 種類を選んで50鉢もあれば1年中花を切れ目なく見ることができる。50鉢は室内なら高さ170cm幅80cm奥行き30cm程度の4段の棚に収まる数だ。年に3度それぞれ1ヶ月も咲く品種もあれば、半年間咲き続けているものもある。少しこつを覚えれば面白いように様々な花が咲く。

面白い種類が豊富

 それぞれおもしろみのある品種が10万種もある。いろいろな形態の花や草姿、生え方をする種類があり、成長から開花の様子など様々かつダイナミックに展開するため興味が尽きない。ものすごい数の種類から選んで意外と簡単に手に入れることができる。

少々では枯れない

基本を押さえ、環境を整えれば蘭はちょっとやそっとでは枯れない。病虫害も少ない。育てる人の環境にあった蘭もある。変化が大きく根や葉をよく見ることになり、このため観察眼が養われ、株の健康状態がわかりやすくなり、結果として枯らしにくくなる。「よくわからないうちに枯れてしまった」「球根がいなくなってしまった」という残念な思いをすることが少なくなる。

花がきれい

大変美しい花を付けるものも多い。ユリほどに大きく色彩も華麗かつ鮮やかで香りも素晴らしいというものから、造形が奇妙で滑稽なもの、小さいけれど作りが繊細可憐というものまで様々に楽しめる。

花がたいへん長持ちする

 美しい花が50日も机の上で咲いてくれたりする。環境を整えればかなり長く美しいまま花を咲かせ続けることができる。

香りがよい

 素晴らしい香りを放つ蘭も多く、それぞれに趣の異なる多様な香りを楽しむことができる。バタークッキー、ニッキ、バニラ、レモン、ムスク、バラ、水仙、チョコレートに似たものなど様々な香りがある。(ハエがたかりたくなるニオイというものまであるが)

案外安い

 100円から手に入る。蘭を見分けられるようになると様々な蘭が安く出ていることに気が付く。目を養えば2000円で売っているものを、苗や見切り品を300円で手に入れ、見事に咲かせることができる。蘭をやっているとお小遣いがあまるという現象が起きている。温室を持てばまた話は別かもしれないが。

室内や屋外、さまざまな場所で行える

 慣れてくると蘭によい環境というのが見えてくる。場所がないようでけっこうあることに気が付く。物干しに下げたり、職場の窓辺にこっそり置いたりしてもよく育つものがある。パソコンの上で76日咲いていた蘭すらある。

手間も要らないがどこまでも手をかけることができる

 数日水をやらなかったからといって枯れる植物ではなく、案外手間はかからない。一人で200鉢を育てることはさほど難しいことではない。一面手間がかからず簡単である反面、どこまでも手をかけたり、戦略を練ったりすることが出来るという単純にも複雑にもできるおもしろみのある園芸が楽しめる。

よく増えるものとまるで増えないものを選べる

 ぼこぼこ増やせるものもあるが、滅多に増えないものもある。つぼを押さえれば滅多に枯れないので減らない植物ではある。しかし蘭を始めると、いろいろな種類を持ちたくなるので、むやみと株分けなどをして増やさない方がよい、というのはある。

以上こんなところだろうか。

 

かつて記述した長文

最近蘭の魅力について、考えていることが多い。蘭と人間の関係をつづった「ラン熱中症」エリック・ハンセン著(NHK出版)を再読し、自分のラン熱中症がさらに進行したことを自覚した。その冒頭に「アルコールが癖になっても、やめることはできる。薬も女も食べ物も、車だって断つことはできる。だが、ランにとりつかれたら、おしまいだ。逃れることはできない……絶対に」と、あるラン栽培家の言葉が引用されている。昔は「タバコみたい、けけけ」と言って笑っていたが、今なら大いにうなずいてしまうのだ。いまやランをやめてしまう自分を想像できない。

このおもしろい本はランの魅力をよく伝えているとおもうが、センセーショナルな事件が多くつづられていて、かえってランは恐ろしい魔力が備わった植物のように読者に思わせてしまい、牧歌的なランの喜びのようなものがあることを理解してもらえないと思う。そこで本稿では意外にもこれまで語られなかったランの魅力について述べてみたい。

 

詳しく述べると以下のようになる。

ランは多様

なぜ蘭はこれほど自分を惹きつけるのだろうか。一つには、多様である、ということがあるように思われる。よく駄菓子のおまけ、を集めているおじさんがいると聞く。1万円も駄菓子を買ってくる。ついてくるおまけだけを取り、本編の菓子は人にあげるか捨ててしまったりするのだという。

もっと一般的にはコレクターという何かを集めている人たちがいる。コレクターというのは、ある種のきっかけで何かが好きになり、その何かの良さを味わえるようになり、その何かが多種多様それぞれによい味を出していて、求めれば求めるほど目の前に現れるか、手の届かないところにあったりする、という状況に狂おしくはまった人のことであると考えている。私もいろいろにはまってきた。子供の頃はシール、なぜか牛乳瓶のふた、切手、コイン、長ずるに岩石・鉱物など。蘭はそれ以上に多種多様でありそれぞれに深い味わいがある。知れば知るほど種類が見分けられるようになり、それまでただの花だったものが見分けられるようになるにつれ、頭の中で種類がどんどん増えてゆくように感じられるのだ。未知の属の蘭にはつよい魅力を感じる。その蘭はどんな仕掛けのある花を持っているのか、どのような葉の出方をするのか、どこから花芽が出るのか、どんな環境を好むのか、などが気になる。多様さ、ということが集めてみたいという一種人間の好奇心を刺激する。このことが魅力の一つとしてあげてよいのではないだろうか。ただ、蘭の多様さが750属、原種2万5千種、交配種10万種(チューリップでも2000品種程度)もある。生半可な種類ではない。とめどもなくそれにのめり込んでしまった場合はすごいことになってしまうのは想像に難くない。私でさえ、金持ちになって大きな温室を持ちたいという野望がわいてくるのだから蘭好きのお金持ちのおうちがどこまでやるのか想像することが困難である。ランに関する大規模な掲示板があったのでのぞいてみたところ、「カトレア500鉢」「ラン千鉢」という記述を見た。私などはヒヨコもいいところである。これが万鉢の単位になり、商売をしている人も世界にはいるのである。

 

手元に置ける美しくもたくましい生命

多様である、という以上に、ランのコレクションには無生物の「品物」にない魅力がある。ただのコレクションではない。おまけや品物の多くは壊れる、なくなる、朽ちてゆくものである。それに飽きてしまう、ということがある。これまでコレクションをやめてしまったのは飽きてしまったからだ。けれど蘭は変化し、枯れてしまうこともあり、ときに花が咲き、根っこがでて、新しいバルブができ、枝分かれをして鉢の外に飛び出し、株分けで増える。掛け合わせてまったく新しい種類を自分の手で作り出すことすらできる。生き物である以上たえず持ち主はその世話に心を砕かなければならない。このコレクションは元来の魅力に加え、世話を要求し、持ち主の心を絶えず引きつけるある種強いつながりを育て主と結ぶのである

しかし、生き物であるためあまりにも多くのランを世話するわけには行かないだろう、と考える人もいるだろう。本棚の片隅で忘れられがちな切手ホルダーやコインホルダーとはわけがちがう。しかしランは犬や猫、金魚にハムスター、熱帯魚や庭木、観葉植物など他の生き物にない際だった特徴があるのだ。それは場所をあまりとらず、人間のいるところに限りなく接近し、長く咲くことができるということである。オフィスの机に座っていると想像してほしい。その机の上に花の咲いたランを置としよう。以前のオフィスの私の机には縦型のパソコンがあって、その上は何もものが置けないほどの小さなスペースがあった。そこに直径10センチほどの植木鉢に入ったつぼみつきのデンファレを買ってきて置いた。このランは一週間ほどで大きな美しい花を咲かせ、以来76日間同じ花がずっと咲いていたのだ。花は広いオフィスのどこからでも見ることが出来て、自分の机がどこか遠くからわかった。オフィスの机にはお気に入りのコレクションやペットを置くことは出来ないが、ランならば置けるのである。ふと視線をパソコンの画面からそらすとランのかわいい花を見ることができる。しかも、ランを選べば弱ることはなく毎年咲かせることが出来る。このような近い距離で、つねに目の前でその命の有り様をとっくりと眺めることが出来るのである。

ランは多くの種類を小さな植木鉢に植えて手元に置くことが出来る。多くが着生といって木に張り付いて生育するためか、ごく限られた植木鉢の中で生命力旺盛に生育できる。デンドロビウムなどは茎や花などが60cmも伸びても根元は高さ10cm、直径10cmの植木鉢(3号鉢)で十分なのだ。地面に生える地生するランも水苔やバークといった共通する植え込み材料を使って素焼鉢で育てることが出来る。ごくふつうの家のリビングで南米、アジア、オーストラリア、アフリカ、日本のランが並んで水苔の植木鉢で元気に育っている。それぞれの世話はおどろくほど共通している。日光と水と肥料だ。基本的なルールさえ理解してしまえばあまり手間がかからない。世話は苦にならないのだ。金魚なら毎週水を換えなければならないし、フィルタも洗わなければならない。けれどランの植え替えは滅多にないことだ。それに、日頃興味をもっていた鉢の中を覗ける機会なのだ。ランの鉢の中にはミミズや気色の悪い虫は滅多にいない。それらを寄せ付けない環境で育てることが出来る。またずるずるに腐ったものも入っていない。それやこれやで植え替えも楽しみの一つになる。ただそのチャンスは2年に一度ほどしかない。

ここまでの話はランの魅力の本質から一歩離れ、ランは人のそばにやってこられるというものだった。近づいてきたランから受ける刺激は、その形、色、香りである。多くの人にはそれらはなじみのないものだ。こんなのはみたことがない、おもしろい形をしている、いい色をしている、よい香りがする、いつまでも咲いているなあ、根っこがでているけれどいいのかな、あんなちいさい植木鉢でよく枯れないなあ、などなど。私は、見たこともない葉と、植木鉢をとりかこんでいた根があまりに異質であることに興味を持った。それに安かった。初めて手に入れたそのランは、花のないカトレアだった。

私を惹きつけた葉は堅く、つやのある緑色で、厚みがあった。曲がらないほどに堅い葉だった。あとでわかるのだが、4年は生き続ける葉なのである。

根は株が生育するにつれ盛んに伸び、成長点のある先端はみずみずしいエメラルドグリーンをしており、伸びたあとに太く白いつやのある根をのこす。そのカトレヤは古代の遺跡に絡まる巨樹の根を想像して、すずやかな気持ちになった。これとは別に、根をみせて深い森にある巨樹を想像させる美しい鉢を持っている。その根を半年ほど鑑賞してきた。根の生命力を美しいと感じているのだと思う。

最初に買ったそのカトレヤはひどい扱いをしたにも関わらず生き延び、2年後に咲いてその花の美しさを強く感じた。花は、清浄で生きているという輝きがあり、ランの花特有の凛とした姿を6週間、しおれる直前まで保っていた。見たこともない形をしている。多くの花は放射状か六角形など多角形だが、ランは唇弁があるため左右対称になる。みているとが浮かび上がってくる。中には甚だしく顔を意識させる花がある。それが見る人に相対するように向く。その点も人の心にもっとも強く働きかける花となる要因ではないだろうか。

ラン科の特徴の一つにバルブという植物体をつくるというものがある。緑色のつややかな植物体で、水分と養分を貯蔵する役割がある。見事なバルブはそれ自体が鑑賞に値する。大きく堂々と屹立するものから、珍妙な小さくて丸いものまで様々な形態をしており、それ自体にも魅力を感じる。Orchidという単語は、丸いバルブが2つ並んだ姿から、「睾丸」が語源となっている。このバルブを数えて3つを植え替えの単位にしている。ランは基本ルールを覚えてしまえばちょっとやそっとでは枯れず長期間つきあうことになる。いつしか枝分かれをしてバルブが増え、それを数えて株分けをすることになる。増えやすいランがある、ということも人によっては魅力的かもしれない。増えやすいものはデンドロビウムとシンビジウム、及びカトレヤなどだ。

 

高級にも安価にもさまざまに工夫できる趣味

ランは選べば安い。これほど安上がりな楽しみはないのではないだろうか。先日有名品種のデンドロを400円で購入した。500円まで、と決めても花が終わったものなどは300円のものが多く、これらを咲かせておもしろいように咲かせることが出来るのである。私の「育てているラン」を見ていただけば、株それぞれの購入金額を記しているので、相場をわかっていただけると思う。花が終わったものを安く売る店を探せばこのような値段で手に入れることが出来る。

ランを育てる環境を工夫して安く作ることも一つの楽しみではないだろうか。木造ランケースを自分で作り、換気装置をつくり、太陽電池式の送風機なども作った。一戸建て最低気温8度の環境で、苦労しながら胡蝶蘭を3月に咲かせることができた。

ランの効果についても目を向けてみたい。ランのある部屋は湿度に気を配るようになる。暖かく、湿度を保つことは人の健康にもよいことだ。インフルエンザは、寒く乾燥している場合かかりやすくなるから、自然とインフルエンザの予防になっているのだ。ランに気を配るとともに、自分にも気を配っていることになるのである。精神衛生にも役立っているのではないだろうか。

最後に蛇足かもしれないが、植物全般への興味と理解が深まる、という点について述べる。ランは、ごく近年その魅力が人間に知られることとなったため、種の系統がよく記録され知られている。ランを手に取ったとき、原種の何に当たるか、等を考えるようになる。形態が多様で様々に仕掛けのある世界のランがリビングに集まってくるため、知れば知るほどに属やら学名やらをよく目にして興味を持つ。さらには自生しているランを一目みたいと近所の山に踏み込むようになる(山取りはしないが)。それまでただの草と木だけの世界がまるで違って見えてくるのである。この世界はどこまでも奥が深くて美しく見えるようになるのだ。

 

香りを楽しむ

最近特に関心を持っているのは、蘭の香りである。2500年前、孔子は「詩経」の中で「蘭は香りのあるものの王」と讃えている。中国や日本では蘭の香りを楽しんできた。蘭の中には第一級の香りを持つものが多くあり、その香りをかぐこと自体がすばらしい体験になる。花の香りを楽しむようになったのはユリのカサブランカの香りを体験してからだったと思う。この香りは日本のヤマユリやサクユリから受け継いだもので、オリエンタルハイブリッドという一群の交配種がよく流通している。このオリエンタルハイブリッドユリは種類によりあまり香りの変化はないように思われる。サボテン科の月下美人もすばらしかったが、香りは繰り返し体験しないと忘れてしまうのか思い出せない。水仙の香りもすばらしく、種類によりさまざまに変化する。バラも実によい香りで花ともども楽しめる。こうして思い出してみると、花の香りに気をつけていたくせに蘭以外ではあまり体験していない。

さて、蘭の香りについて、思い出すものから書けば、蘭展で出会ったカトレアにまずすばらしいものがあった。香りの名高いアングレカムは、捜し求め、育てて咲かせてにおいを嗅いだ。あくまで甘く、さわやかな素晴らしい香りだった。リカステとアングロカステも甘い香りだ。フウラン。鷺草。セッコク。かすかに香るデンドロビウムやフォーミディブル。いずれもそれぞれの種に固有な香りを持っている。このほかにも未体験な香りの名高い品種が多数あるのだった。しかも開花期間が長いため、楽しめる期間も比較的長いという利点がある。

蘭の中には、その香りをアレンジした香水になったものも幾つかある。胡蝶蘭の原種のなかで香りがよいことで知られるシレリアナというのがある。この名前をもつ香水さえある。

蘭を通して香りを楽しむという新しい世界が開けるひともいるのではないだろうか。

 

以上ランの魅力について、雑ぱくな意見をざっと述べてきた。しかし、いかなる良薬でも副作用はある。人生の良薬たるランにしても、いろいろと問題があることを認識している。それをまた近いうちに記述してみたい。

 

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