「蘇る蘭」
1.
小島は警視庁からの応援要請で臨海線の車中にあった。近未来都市のような車外の風景を見回していた。
東雲駅で電車を降りると、あたりは東京の物流拠点である。指定された場所にくると大きな倉庫の前に警察車両が並んでいた。現場とおぼしき倉庫の入り口に携帯電話を片手に見覚えのある刑事がしゃべっていた。
「押収物は麻薬などです。殺傷力の高い武器もあり、なにやら物騒な感じですね。大がかりな組織のシッポをつかんでいるような感じがします。また、照会したいことがあるので電話します。じゃあ」
刑事は小島に向かって手を挙げた。長身のがっしりした体格で、角刈り、浅黒い、屈強そうな中年だった。
「ああ、小島さん、どうも」
田端は、小島が刑事にしては色白で、すこし腹がでた普通のおじさんしているなあといぶかしく思った。物腰が柔らかく、メガネのつらがまた官僚っぽい。
「いつぞはおせわになりました。田端さん、あなたが私を呼んでくださったんですか」困ったような顔で手を挙げて応えた。辣腕を買われて警視庁に栄転になった埼玉県警時代の別部署のもと同僚への挨拶だった。
「ええ、例のへんな植物が押収品にあって、ひょっとして小島さんが詳しいんじゃないかと思って応援をお願いしたんですよ」微笑はしつつも油断のない意図のありそうな目を小島に向けている。
大きな倉庫の奥へと歩いてゆく。麻薬密売人をつけていた捜査の過程で見つかったという商品集積所とのことだ。事務所のような小部屋があった。中には鑑識の警察官や麻薬課の刑事が押収品を調べていた。冴えない倉庫にしては真新しい電子機器がいくつも置いてある。
「これなんですが」
赤と黄色のまだらの例の人面草の鉢が3つばかりあった。
「これは…、めずらしい。ここにあるはずのない花です。パフィオペディラム・タナカナムですね」
「タナカナム?。人の名前みたいですが。」
「発見者が日本人なんですよ。つい最近発見されて大騒ぎになりました…、うっ、これは…」
「どうしました?」田端は小島の表情にただならぬものを見てとった。前にも見た何かに驚愕するあの表情だ。目は開ききり、驚愕に口がひらかれ、喘いでいる。
「大変だ。今すぐ非常線を張らなければ」
「なんだって!?」
「人身売買です。誘拐した少女達をここにある麻薬や特殊な薬で薬漬けにして売り飛ばしているんです。ここが押さえられたことで奴らは少女達をつれ、国外逃亡を図るでしょう。早くつかまえなければ」
「何を証拠にそんなことを」近くにいた麻薬捜査の刑事が寄ってきた。
「この薬はただの麻薬じゃない。体の自由や思考を奪い、いいなりにさせるために開発されたものだ。それから、そこにあるのは催淫剤だ。どんなおぞましいことが行なわれているかあなたには分かるはずだ」これらの麻薬に心当たりがあり、どうもそうじゃないかと思っていた矢先にズバリといわれたその刑事は納得してしまった。どうもよほどの達人が来たらしい。
「なるほど、あなたのいうとおりかもしれない。ここは人身売買の出先機関ということですね」
「これほどのブツが抑えられたとなると敵も必死になるはずです。田端さん、確か射撃の名手ということをうかがっているのですが、ご同行願えませんか。まだまにあうかもしれません」
「いいですが、どこへ」
「我々がつかんでいる敵のアジトです。詳しいことは車で。急ぎましょう。車を一台貸してください」
小島は田端が助手席につくとパトカーを急発進させた。田端はめんくらいつつも、無言で足を踏ん張った。小島は、サイレンを鳴らしつつ、なれた手つきでハンドルを操り、高速に乗ったところで電子パッドを起動した。そのパッドがしゃべった。落ち着いた男の声だった。最近流行の秘書ソフトの一種らしいと田畑は興味深くその会話を聞いていた。
「何でしょう」
「監視拠点の通信量に変化はないか」
「A1への通信に240%の増加が見られます」
小島は、ちっ、と舌打ちをした。
「通信をジャミングしてくれ。かねて用意しておいた撹乱情報をながしてくれ。本省に応援連絡と非常線の設定もたのむ。プライオリティはAAA(トリプルエー)で」
「実行しました。桂課長はすでにA1に向かっています」
「それは結構」
小島はアクセルをいっぱいまで踏んだ。先を行く車が右へ左へと流れ去っていった。
「小島さん、本省って言ったね」と田畑が低く言った。
「私の出向元です。まあその筋のものってことで」
「だいたいわかりました」田畑はおどろいて絶句していた。
2.
程なく埼玉県三郷近辺の丘陵地にやってきた。非常線の配備は完了していた。インターの手前からサイレンを消し、静かに丘の上に登った。そこは分譲地らしく、そのはずれに林があった。ここで車を降り、林を抜けるとそこは崖になっていた。その下に広がる下街のどこかに問題のアジトがあるらしい。
「あのマンションですよ。やつらあわてているようだが、まだうごいていない」と、小島は持っていた田端にオペラグラスを渡した。「4階の西の窓。男が2,3人うろうろしているでしょう」
「ああ、たしかに。しかしまあ、中の様子がよくわかりますねえ?」
「向かいマンションの鉢植えに集音マイクを2つ仕掛けてあります。音を立体的に再構成して間取りと人数がわかっている。奥のクローゼットに女性二人が監禁されている。男は4人。女をトランクにつめてずらかる準備をしていますね」
「鉢植?。お向かいさんはえらく協力的なんだな」と、向かいのビルをみると夥しい数の鉢がぶら下げられ、黒い遮光ネットが張られていた。蘭栽培に特有な設備だった。「ありゃりゃ。小島さんと御同好の士ってわけか」
「そういうことです。偶然ですが」といって小島は手荷物からなにかを取り出して組み立てていた。
「なんだい、そりゃ?」
「神経ガスのランチャーです。薬を仕込んだ針が飛び散ります。瞬時に敵の動きを止めたいもので」
「はあ?、なんでそんなもんがあるんだ。俺はそんなもんさわったこたあねえぞ」
「田端さん射撃特Aって話じゃないですか。あなたのぶれない腕と目があればあとはこいつがやってくれる。部屋の中にテレビが見えるでしょう。立ち上がって3歩進んで、そのテレビをねらってください。距離は219mです。照準をそれにあてて引き金を引いてくれればOKです」
「へー、そういうもんか。さすが防衛省の装備にゃすげえもんがあるな」
小島が腕につけたパッドに話しかける。「各員配置よしか?」
「各員配置完了。潜行して待機中です」
「Aポイント配備完了。閃光とともに各員突入のこと。送信」
「送信実行・・・・応答。各員了解」
「おや、やつらテレビの前に集まってきたなあ」
「む、いかん」
「え?」田畑は小島のつぶやきにスコープから目をそらした、そのとき室内では男4人が互いに寄り集まる様子が見えていた。
突如かのマンションの一室から強烈な光が発せられ、四方になにか飛び散るような煙、遅れて腹を震わす大音響が届いた。吹っ飛んだ物質があたりに散らばり、付近のいろいろを破壊してゆくのが見えた。煙が広範囲に広がってゆく。
「無線に切り替えろ。各員退避。消防通報。後の始末は俺が警察と行う。以上」
事の成り行きを田端は呆然と見ていた。黒煙が消えたあとマンションの一室はえぐるような穴になっていた。火はみえない。建物はかろうじて倒壊を免れた。崖の下から人々が互いに声を掛け合うのが聞こえてくる。
「なんだ!」「どうした?」「大丈夫か?」「あっちだ」「煙だ」。
消防のサイレンが早くも聞こえてきた。かなりの台数がこちらに向かってきているようだ。西日を浴びていつもと変わらない街の風景のなかで、破壊され煙がたなびく建物とあちらこちらに見える回転灯の光が毒々しく見えた。
「逃げきれないと判断して自爆したようです」、小島はしゃがみこんで片づけを始めていた。
「なんてこった・・・」、と田畑は呆然と立ち尽くしていた。
3.
警視庁で田端と同僚の三上警部が茶をすすりながら互いの情報交換をしていた。
「男性4人、女性二人、前科なし。身元不明。推定年齢、女性16歳、18歳、男性33歳、28歳、28歳、30歳。女性から例の薬物反応が検出されました。若い女の子ってのがなんだかやりきれないね」と田畑。
「女性の身元の特定は困難でしょう」と三上。
「はあ?。どうして?。」
「親の言うことを聞かずに好き勝手してふらふら都会に出てくる若い娘が多すぎるんですよ。一人暮らしで親とも音信不通っていう女性も多いし。捜索願も膨大なら、捜索願すらだされていないあきらめられたような娘も膨大で。今度の仏は煙になっちまってるもんでDNAだけじゃ探しようもない。最近では捜索願に髪の毛をつけるようにお願いはしてるんですけどね」
「やれやれ、世も末だねぇ」
「爆発物は国内で手に入るものを使ってつくられてますねえ」
「手作りであんなに吹っ飛ぶもんか?」
「むかしアメリカで肥料から爆弾を作ってビルのほとんどを吹っ飛ばしたっていうのがあったじゃないですか。あれに近いんですよ」
「かー、なんかプロって雰囲気だね。こんな凶悪事件みたことないよ。マスコミもうるさいね。一部始終を見てた俺は上から静かにしておくように言われているし」
「防衛省がらみってどういうことなんですかね」
「さあな、テロ対策だろう。あのありさまじゃなるほどね、と思うよ。警察は協力するしかないってことだろう」
「女さらってなにしてるんですかねえ」
「海外に売り飛ばすんだろう。日本の女は高く売れるらしいぞ。まえからものすごい数海外に売られているって話聞いてるけど。色白でよく肥えていてぷよぷよしたのが人気なんだそうだ。あんなコワイもんどこがいいのかわからんけどな」
「さすがにわしらのかみさんみたいになるとさらわれないでしょう」
「だよね」
人影がさして振り向いた田畑は小島を見つけた。
「田端さん、先日はどうも」
「ああ、こちらこそどうも。こちらは、同僚の三上です」
「はじめまして。鑑識の三上です。するとあなたがあの爆発騒ぎのときに田畑と一緒だった」
「埼玉県警の小島です」といって長身のやせた三上の鋭い眼光と目を合わせた。
「相当な鑑識眼をお持ちだそうですね。特に薬物に詳しいと同僚の亀山が驚いていました」
「ええ、化け学が畑でしたので。いまでもよく分析はやっています。放射光とか中性子とか」
「J-PARKやSPring8にもいかれるのですか」
「ええ、もっぱら測定は同僚にたのんでいるんですがね」
「そりゃすごい。今度ビームラインについて教えてください」
「そりゃそうと今日はどうしました。私も聞きたいことは山ほどあるんですが」専門があうのか目を輝かせ始めた三上をさえぎるように田畑は言った。
「ええ、実はこの間の草のことで聴きたいことがありましてね。パフィオペディラム・タナカナムについてです」
「たしか日本人が発見して名づけ親になったという」
「発見した人が自分の名前をつける例が多いようです。だから有名な蘭にはそれを発見した人の名前が多いのです。中には一人で4種類も5種類も発見して名前をつける例も多いようですね。蘭に名前を残すというのは大変名誉なことで、中でもパフィオペディラム・タナカナムは蘭の発見としては今世紀最大とさえ言われました。ニュースになったのをご覧になったことはありませんか?」
「ああ、そういえばそうかなあ」
「今日ではパフィオペディラムの新種が発見されることはほとんどなく、発見すれば世界中のパフィオファンが目の色を変えて欲しがるはずです。そのパフィオを手に入れるためなら驚くような金額を積む富豪もいます」
「えーと、それで、何の用件でしたっけ?」いつになく饒舌で(この人こんなにしゃべったかな)という小島の様子に驚き、田畑は何の話かさっぱりわからなくなってした。
「ああ、すみません、つい趣味に走ってしまいました。その発見者の田中教授が行方不明になっているのです」
「田中教授?」
「あ、たしか東京農業大学の先生でしたね。自然毒の相談でよく大学にいくんですけど、そのなんとかいう植物の発見で沸き返ってましたよ」と三上が助け舟を出す。
飲み込みの悪い田畑にお構いなく小島は続けた。「ええ、その田中教授は新種のパフィオを発見しただけでなく、そのパフィオを増やす方法も見つけたらしいんです」
「そのパフィオってのはたかが植物のくせに増やせないんですか」
「そ、そうなんです。多くの植物はクローン技術で増やすことが出来るのにパフィオだけはうまく行かなかったんです。自然に分かれて増えるのですが、それでは1株が2株になるまで1年以上かかってしまいます。それだけに優れた品種はものすごい高値で取引されているわけです」
「ということは、そういう植物を増やす技術というのは、パフィオとやらで儲けている人たちには都合が悪いんじゃないですか」と三上。
「そのようですね」、とその目は(いい勘してるね)と言っていた。
「草がねえ」と納得が行かない田畑。「有名な競走馬だってコピって走らせていた事件があったじゃないか」
「クローン馬のハイセイコーIIだったかねえ。たしかDNAだけじゃなくて、母親譲りのミトコンドリアとか、種々の細胞器官、特殊なたんぱく質までコピーして寿命の長いクローンを作り出す技術が出来てきてるんだそうで。そのうち人間でやらないか心配になるね」
「ところで、その先生がどうしたんですか」と田畑。
「私も何度かお会いしたことがあるのですが、研究室の助手の人からここ2ヶ月ばかり連絡が取れないので捜索届けを出したそうです。なんでも中国に採取旅行に出かけてこれまでもちょくちょく音信不通になることがあったそうなのですがそろそろ新学期で大学の行事もいろいろあるなかでここまで不義理をする先生ではなかったことから不振に思った助手が私にも連絡をくれたというわけです」
「2ヶ月は長いね」
「でもなぜこちらの管轄の話が気になるんですか」
「趣味とはべつに、今回の爆発事件と関連があるように思われるんですよ。見つかったものがモノですからね」
「なるほど。そいつはわれわれもうかつだった。」
「実は田中教授の研究室はたびたび盗難が発生して被害届が出ているはずなのです。大方のことは助手の木崎って人ですが、その木崎さんと伊藤という学生に聞いてあるんですが、肝心の田中先生には会っていないので状況がわからないんですよ。それで先生の被害届を受け取って話を聞いている担当者に合いたいと思いましてね」
「なるほど早速調べさせましょう」
そういって顔が利くらしい三上があちこちに電話をして担当者を探り出してくれた。
「ちょうど下の階にいるので、今上がってきます」
「いや、助かります」
4.
「田中教授の研究室の捜査を担当した斉藤です」と名乗った刑事は中肉中背で色が黒く目がぎょろりとしていた。さすが警視庁コワモテばかりだと「太陽にほえろ」を見てそだった世代の小島は内心ぞくぞくした。
「田中教授の盗難事件は通常の盗難事件とは様相が異なっており、きわめて専門性の高い特殊な盗難事件として本庁が担当したものです。まず、盗まれたものがDNAやたんぱく質といったものが入ったフラスコ類、研究ノート、コンピュータのハードディスクドライブやメモリ結晶などです」
「なんだいそのメモリ結晶ってのは」と田畑。
「さいころ大の大きさに映画1000本分の情報が書き込める素子です。ざっと5テラバイトにほどです。レーザーでナノメーターサイズのドットを立体的に書き込んで記録する記憶素子らしいですね」
「えー、もうそんなもんがでてきてるのか。おれっちは昔フロッピーディスクってもんに書き込んでたもんだったが」
「そのなつかしいフロッピーの500万倍の容量だね。それ、何が入っていたんですか」と三上。
「たんぱく質の立体構造のデータです。SPring8で測定したとかいう」
「すさまじいばかりの情報盗難だ。これは国家的な損失だぞ」と三上。「世界で最も注目されている研究の多くが日本でなされていると聞いたけれど、セキュリティの甘さが懸念されていたんだ。これはやられたなあ。ことの重大さがまだ認識されていないのであまり大きく扱われていないのだけれど、これは大変なことだよ」
「ああ、さいころ一個で研究室まるごとぬすまれたくらいのものがある。ところで、犯人につながる証拠のようなものはなかったんですか?」と小島。
「当初学会前であわてた学生が自宅に持ち帰ってうっかりなくしてしまったのではと教授は考えていたらしいのですが、だれも知らないということになり、調べてみるとあれやこれやがなくなっていたということらしいです。事が重大なので学生一人ひとりを洗ってみたのですがいずれもシロでした。よほど水際立ったプロの仕業という雰囲気でしたね」
「うーん、手がかりなしか」
「教授もときどき不審におもうようなことが盗難発覚の2ヶ月前からあったそうですが、データ結晶がなくなるまで気がつかなかったそうです」
「こりゃ、プロだ。ところで気になるのは教授が今どこにいるのかってことだけど」
「学生に聞いた話では中国雲南省の山奥だそうです。有名な桂林の近くらしいです。なんでも新種のすごいパフィオがねむっているとかで」
「あの気色の悪い人面草のなにがよくてそんな秘境にでかけてゆくのかねえ。あの草は何度か見たけれどさっぱりわからん。色は地味だし、形はよくみるとキモイ。うらめしやーででてきた爺さんみたいな面してるじゃないか。ねえ小島さん、あれはどこがいいの?」と田畑。
「どこといわれるとこまるんだけど、ああいう花はほかにはなくて、しかも長く咲いているんで、見ているうちに愛着がわいてくるというところはありますね。つやとか、渋い色合いとか、毛のつきかた、大きさ、花びらなどのねじれ方といった形の面白さとか。自然界で土地ごとの環境に適合して自生している原種と呼ばれるものは大体100種類見つかっているんですが、掛け合わせてつくる交配種はそれこそ数万種類にもなっていて、それらすべてが写真や系図と作り出した人のつけた名前とともに登録されています。系図は、交配種は掛け合わした順番と、原種のすべてがわかるようになっている」
「うわ、なんじゃそりゃ。血統証まであるのか。たかが草にそこまでするのか」
「世界中に愛好家が数十万人いて、しかも結構お金持ちが多いので、そのたかが草というのが結構な値段するんですよ。草1株が数百万円ということさえあるんです。とくに新しい原種が見つかったとなると愛好家の間でその価値は計り知れない」
「なぜですか?」と三上。
「愛好家なかには、自分の名前がついた新しい品種を作ることを喜びとしている人たちがいます。新しい原種が見つかれば新しい品種を多く作り出すことが出来ます。それら新しい品種は新しさゆえに注目もされるし、それまでなかった新しい特徴をこれまでの優れた品種に交配で取り入れることによってより優れた品種を作り出せる可能性が出てくるのです。そのような優れた品種はたびたび開かれているコンテストなどで賞を得れば大変名誉なことですし、その株は高値で売れます」
「でも見つかった原種が見た目しょぼい草だったらそれほど価値はないだろうに」
「そのへんがわかりにくいかと思うのですが、そのしょぼいところがたまらなくいいと思って育てている人もいるくらいでねえ。背丈が低くて、花が小さくて、斑点だらけで、めったに咲いてくれない、というのを極端に好んでいる人たちもいるようです」
「おれにゃわかんねぇ。それにしても何でも量産体制のこの世の中でなんとか大量生産して売れば安くなるんじゃないのかねえ」
「株自体は育ててみると結構増えるので、昔百万円していた超有名株でもいつの間にか愛好家が倍倍に増やして値段が下がってきています。それでも100万円が千円になるまで30年はかかったそうです。そんなに待てない人も中にはいます。金に糸目をつけない金持ちはいるもので、手に入りにくくてもどうしても欲しいものは値段が上がってしまうものなのです。
さっきも言いましたけど、馬がコピーできる世の中でこの草はコピーが作れなかったんですよ。多くの蘭はクローン技術で同じ遺伝子を持った株を何万株も作ることができるのですが、パフィオについてはそれがうまくいかなかった。ところがどうやら田中教授はその技術を開発してしまったらしいんです。これまでは植物の成長点をとってきて、その組織培養が中心だったんですが、教授の技術はまるっきり細胞からいじりたおしたらしいですよ。でもまあ馬の技術をたかがくさされど草に転用したらしいですね」
「おれが悪い奴だったらそんな先生はとっ捕まえてきてパフィオを増やして利益を独占するだろうね」
「やっぱり、そんなところでしょうかね」
5.
「なぜかあんたと中国旅行ってことになってしまった。いったい、どういう手を使ったんだ」と成田空港で落ち合った田畑はやってきた小島に言った。
「上司がいろいろと顔が利くようで、私が推薦させていただきました。なにしろ田畑警部の辣腕ぶりは鳴り響いてますからねえ。警視庁の長谷川平蔵とか」と済ました顔で小島が答える。
「そりゃまたえらく買いかぶってもらいましたねえ。俺は海外は嫌いなんだが、よりにもよって物騒な国に行かされることになっちまった。これでも中国史は好きで、あの国は結構気に入っているんだけどなあ」
「北京オリンピック以来関係が冷え込んでいるうえ、日本人はマークされてるのでちとしんどいかもしれませんが、自然いっぱいの山歩きになるので田端さんの助けが欲しかったんですよ」
「まあ俺は山岳部でならしてきたからな。生まれも育ちも山で、ガキのころから鉄砲ぶっぱなしてきたもんだ」
「もうひとりお願いしている人が来ました。田中教授の教え子です」
「学生かぁ」
背の低いよく太った男が大きな荷物をしょってこちらに歩いてきていた。
「小島さんこんにちは」
「伊藤君こんにちは。田端警部、こちらは田中教授の研究室の学生さんで、博士課程1年の伊藤君です。田中教授が植物を発見した場所まで案内してくれることになっています」
「伊藤です。はじめまして。私は山歩きはあまり得意ではないのですが、先生がおまえは勘がいいからついてこいっていつもむりやりひっぱっていかれてました。あまり役に立てないとおもうんですが、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく(こんなでぶに山はむりじゃ)」
「ああ、桂課長、こっちですよ。田端さん、伊藤君、わたしの上司の桂課長です」
田端はその男をみて強烈な印象を受けた。長身、そつのない身のこなし、俳優のような端正な顔立ち。そんなものは単なる外見だが、全身ばねという雰囲気がある、なにより隙がない。(こいつ、できる)と田畑は思った。
「はじめまして、田端警部、今回は無理を申しましてすみません。よろしくお願いします。伊藤君、君も忙しいところ申し訳ないけれど田中教授のためにすまないが力になってください」
「ええ、わかりました。どうも今回はおしのび捜査って言うのでちと緊張してますが、どうもやまがでかいようですね」
「はい。詳しいことはのちほど。あなた方に危害が及ぶようなことは皆無とは言いませんが、極力防ぎます」
「先生のためならしかたないっす。先生が帰ってこないと卒業できないもんで」
「なるほど」
一行は旅行者を装いながらまず韓国にとび、そこから香港、桂林に飛んだ。機中で田端がぼやく。
「なんだか中国ってところはかわっちまったなあ。ヒコーキの中は金持ちばっかりらしいがなんでまあああキンキラキンに飾り立ててるのかねえ。また声がでかいというか。どいつもこいつも俺のガキのころにみた成金みてえじゃねえか」
「貧富の差がひろがっちゃいましたからねえ。小皇帝っていう階層だそうですよ。そういう新しい階層が国を動かし始めているそうです。けれど、大部分の人が悪化する自然環境や砂漠化で土地を追われ、貧困層が巨大化して危険な状態になっています」
「中国は人が食えなくなると流民が多量に発生して革命が起きるからそろそろあぶないんじゃないか。世界中で一番心配な地域になってしまった。そこへもってきて触らぬ神にたたりなしとばかりに日本政府まで何にも言わなくなってしまった」
「それが現代では読みにくいところです。これからどうなるのか予想がつかない」
「あのオリンピックからますますおかしくなっちまったなあ。選手村襲撃事件からね。暴徒が中国人選手の負けた腹いせに各国の選手を襲った事件で、幸いけが人がでた程度だったけれど、怒った選手団、主に日本、イギリス、アメリカはさっさと引き上げちまった。そうなる予感はあったんだけど、あれをやっちゃおしまいよ。人民が統制できなくなっているのかねえ」
「だれかうらでやらせているっていうことはあるかもしれませんぜ」
「だれが得をするの?」
「さあね」
6.
「雲南は温暖多雨の気候で、標高も高く、人間の多い中国にあってもなお秘境の部分が残されている、か」学生伊藤のガイドブックをよみながら田端が独り言を言う。「伊藤君。これすごい荷物だねえ。これ持って山に登るの?。なにこの『萌えワールド』って。『メイドさん写真会で萌えまくれ』ってちと古くない」
「でへへへ。警部こういうの好きっすか」
「(うわ、典型的バカ学生じゃん。ひょっとして分数苦手とか?)いんや、この年になるとさっぱり(なんでこんな萌えデブなんかつれてきたんじゃろうか)。まあ重そうだからふもとのホテルにおいていった方がいいんじゃない」
「でも結構足腰には自信があるんっすよ」
「ああそう(あー、まじかよ。でぶのくせに。でも何度も来てるって言うし)」
「街から船で移動です。途中までは観光船ですが、途中の村で小船を借ります」
「ふーん。それにしてもあの山すごいねえ。細長いって言うか、あんなにょろにょろみたいな山がたくさん生えていて妙なところだ。たしかに水墨画みたいで素晴らしい風景だけどなあ」
「にょろにょろってなんですか」
「おじさんたちの思い出の中の生き物だよ」
「あの山はもともとあのてっぺんより上まであったのが侵食されてこんな形になったんですよ。石灰岩の大きな塊があって、川に削られる侵食のほかに、石灰岩自体が炭酸ガスを含んだ水に溶ける性質があるので見慣れない地形ができるようですね。石灰岩っていうと2億年位前の古生代の生き物の死骸が積み重なって出来た岩なんですよ」
「じゃあこれぜんぶ骸骨の山?すげーなあ。想像もできん。何百メートルもあるぞ」
「骸骨ったって珊瑚礁がつみかさなったようなもんなんですけどね。広さもすごいですよ。幅数百kmになるところもあります。大昔それがプレートで数千キロも運ばれていつか陸地になって、侵食されてこういう面白い土地になるんですねぇ。いやあロマンだなあ」
「なるほど学生君、学があるねえ」
「先生は山奥にある大きな洞窟をさがしていましたよ」
「洞窟?。そんなもんまであるの。そういや石灰岩地帯ってのは洞窟だらけって聞いたな。でもなんのために?」
「植物が堆積している場所があるんだそうです。このあたりは世界でも有名なパフィオの産地で、そのパフィオの葉の一枚でも見つかればパフィオを再生することが出来るのだそうです」
「へー、じゃあDNAとかを抜き取るのか」
「我々の研究室では出来るだけ細胞のきれいなものを取り出して、ミトコンドリアやいくつかの細胞器官も再生して植物全体を再現する研究をしているんですよ」
「なんか難しそうだなあ」
一行は川をさかのぼり小さな村で小船を借りて上流を目指した。
「伊藤君、見直したよ。中国語うまいじゃないか(バカ学生かと思ったらびっくりしたぜ)」
「いやあ、それほどでも」
「それにえらく待遇が良かったなあ。食料もたっぷりくれたし、たすかったねえ」
「あの『萌えワールド』のおかげですよ。日本のおねえちゃんは中国では妙に人気がありますからねえ。それに高値で売れるそうですよ」
「なんだと、あれと物々交換だったのか。やるなにいちゃん(なかなかしっかりしてるんだなあ。それにしても妙なパーティーだ。あの桂って課長は小島もそうだが物静かで本ばかり読んでるし)」
「田端さん船頭姿が板についてますねえ」と小島が話しかける。
「なんかつかれちゃったよ。交替してくんない」
「はい。まだ流れが緩やかで助かりますね。明日あたりから降りて船を引っ張る場所もあるって言うじゃないですか」
「なんだかまるっきり自然だわなあ。東京で暮らしてると気持ちがなまっちゃっておっかねえほどだ。さっきヒルにくわれちゃってなあ。ちょっと足を浸してただけなんだけど。血がとまらねえや」
「ヒルもなつかしいですね。昔は田植えしてたら足首に引っ付いていて驚いてひっくり返ったことがありましたよ」
「小島さんの世代でもそんなんですか」
「それでも激動の世代じゃないですか。豊かさから一転不況時代へ。それからなにやらきな臭い時代にね。そりゃそうと、この川ときどき古代の青銅器が出るらしいですよ」
「へ?。そりゃへんですね。ここらは古代史の舞台からははるかに離れているはずですぜ」
「なんでも楚の末裔とかなんとか」
「楚っていうと項羽と劉邦の、項羽がわ?。四面楚歌の楚?」
「とか言ってたよねえ、伊藤君」
「ええ、先生が現地の人とそんな話をしていましたねえ。蘭という文字のおこりがどうとかいってましたが。ここから出る青銅器に蘭という字に近いふるい文字がレリーフで付いているって話でしたね。テンコクでつかうテン書体よりも古いらしくて、よくみるとパフィオの花そっくりなんですよ。これが変化して蘭という字になったという。真ん中の東ってのは袋状に垂れ下がっていたとか、草冠は伸びてあの独特なひさしみたいな『がく』に対応するとか。門の部分が左右にのびた花びらとかいって」
「へー、面白い説だねえ。なるほど、蘭の字はパフィオか。孔子がいう蘭草はキク科のフジバカマっていうけど、それよりぴんとくるねえ」
「そういえばおれも聞いたことがある。伝説の蘭王朝のことかな。楚漢戦争で劉邦にやぶれた楚の残党が南の山奥に建てたちいさな王朝があったという伝説で、結構長く続いたらしいけれどね」
珍しく桂が口をはさんだ「中国の学会では近年蘭王朝が存在したらしいという説が有力になってきているらしいよ。春秋時代の楚の前身にあたる王朝だったともいわれている。後漢の時代に南方に軍をやって攻め滅ぼした王朝があるらしいんだね。歴史書には、赤い人面草を献じて和を唱えるも、皇后に『怒ったあなたそっくり』と揶揄され、激怒した皇帝が『攻め滅ぼしてしまえ』とやったらしいんだな」
「むちゃしますねえ。かみさんがらみで国を誤る例が多いね中国史は(このおじさんけっこうさわやかに話すじゃねえか。えらく教養がありそうな)」
「赤いパフィオってのが世の中にあったらえらいことになりますよ」
「へえ?そうなの」
「ごく近年にまっきいろのパフィオが見つかったときはフィーバーになってコンテストの賞を総ナメにしてましたからねえ。赤色は深くて濃い赤色やうす桃色の花はあるんですが、明るい赤やピンク色のパフィオはないんですよ。赤い色が出せれば交配の幅も広がるでしょうねえ」
「そういえばタナカナムも一部鮮やかな赤い色が入っていましたね」
「あの赤色で結構高値が付いているっていう話です。市場に出せば一株100万円はしますよ。何しろ世の中に先生がつくった10株しかないというし。これ売って研究費を稼ごうなんてことを先生も考えていたのではないでしょうか」と伊藤。
「10株?それっぽっちしかないのか?」
「量産可能と実験室レベルでわかっただけです。特許と論文を出しただけで、技術の肝心なところは私ら学生と先生がばらばらに知ってるだけですね。その先生が行方不明という困った状況なんですよ。おまけに情報は盗まれるし」
「あんたら詰めが甘いなあ。大学ってのはそういうもんなのか。なるほどこりゃ国家的な損失だわな」
「はあ・・・。まさかあんな実験でうまく行くとは思っていなかったもんで、先生も好きなパフィオが咲いて浮かれてたんでしょうねえ」
「そのパフィオがなんで東京湾岸にあったんでしょうねえ・・・」
「・・・・」
桂が声をかけた。「そろそろキャンプ地を探しませんか。あの小川の近く、岩の下はどうですかね」
「腹も減ったしね。船頭のしすぎでつかれちゃったよ」
「釣りましょう。このあたりはうまいなまずが釣れます」と伊藤。
「釣り道具も入っているのか。恐れ入った。俺の分もあるといいんだけど」
「ありますよ。一緒に釣りましょう」
「じゃあわたしは飯でも炊いています」と小島。
7.
学生の伊藤と田畑警部はそろって釣り糸をたれていた。
「このあたりは釣りえさになる芋虫が多くて助かった。いや、伊藤君、最初はとんでもないバカ学生かとおもったんだけど、いやなかなかどうして、君やるじゃないか」
「ひどいなあ。まあ研究バカかもしれませんがね」
「そりゃそうと君どこまで行くの」
「洞窟の地底湖までって話です。そこから先は私も知らないんです」
「地底湖!。なんてこった。なんとか探検隊みたいじゃないか。おっかねえなあ。そりゃそうと桂課長ってなにもんだろうねえ」
「小島さんからはなんもかんも知らない方がいいってことらしいですよ」
「なんかすごいえらい人みたいだなあ。なんか俺たちあぶないところにきたんじゃないか。お、ひいてるぞ」
「うわ、でかいね。こりゃもってかれそうだ。ちょっと弱るまであそんでいられる雰囲気ではないんですが」
「まあなんとか岸に寄せろ」と田畑は手じかにあった棒を手にして岸に近づいた。「でかいな、これほんとにナマズか。とりゃ!」とナマズを殴ると魚は動かなくなった。
「剣道ですか。いや、うまいもんだ」
「ナマズ相手に剣道もねえが、まあ警察官のたしなみってもんだ。でけえな、こりゃ」
よく火を通して焼き魚でナマズをいただいたあとで、小島と伊藤はあたりを散策した。深い谷底で周囲は絶壁である。絶壁の中ほどに洞窟の入り口が見えた。苦労して登ってみると洞窟の入り口付近にパフィオが生えているのを小島は見つけた。パフィオはすこし湿り気のある木漏れ日のあたる斜面に群落になって生えていた。模様のある葉が美しい。かつて花をつけていた花茎の枯れたものがいくつも立っていた。洞窟の奥から涼しい風が流れ出してくるのが春とは言え初夏のような空気の中では心地よい。眼下に澄み切った川がみえる。だれも居らず、声の大きな野鳥のさえずりと水の音だけが聞こえる。上を見ると視界は森と白い崖と山と空しかない。
「これはたぶんパフィオ・ディレナティーだろう。このあたりはパービセパラム亜属とパフィオペディラム亜属、それにパービセパラム亜属が主だったよね」と小島。
「いや、ぼくはパフィオには詳しくないんですよ」と伊藤が頭をかく。
「あのパフィオに目がない先生もさすがに生徒に趣味を押し付けるようなことはしなかったんだね」
「ええ、へんな趣味をいろいろもっておられたようですが、エネルギッシュでなにかと頼れるすごい先生です」
「ラン科は地球上に約750属25000種が見つかっているそうだよ。比較的新しく進化してきた植物なので、地球上は実績ある先輩植物に多い尽くされていたから、乾燥した日当たりのいい場所やら、あまり日が差さないくらい場所などにむりやり適応して生えてきたので、実にさまざまな形態がある。パフィオ属は約100種で6つの亜属に分かれていて、パービセパラム亜属、パフィオペディラム亜属、ポリアンタ亜属、シグマトセパラム亜属、ブラキペタラム亜属、コクロペタラム亜属がある。とくにこの雲南省一帯はパフィオの宝庫で、有名な原種の多くはこの地方特産なので、パフィオファンには憧れの土地なんだよ」
「それで先生はたびたびやってきていたんですね。でもパフィオを持ち出すのは厳禁なんでしょう」
「ワシントン条約というのがあって、パフィオはコレクターにとってあまりにも魅力があるため採り尽くされる危険があった。なにしろ蘭のコレクターというのは主にイギリスなんかが18世紀から地球の森という森を草の根わけて蘭を探すという男を数多く雇って世界中から蘭をへっぺがしてくるということをしていたんだ。
パフィオは特に絶滅が危惧されていたから、強い規制がかかる種をまとめたリスト、付属書Iというんだけど、それにパフィオの全種類が指定されている。かつては枯れた標本の国外持ち出しも禁じられていた時代があったんだけど、この条約はその後改正されて、いまでは検査を受ければある程度は国外に持ち出せるようになった」
「国際的なやり取りができない方が生育地からの乱獲が減っていいように思うんですけど」
「インドネシアなどでは焼畑で減る蘭の生育地から蘭をとってきて増やしているそうで、そういう蘭については国外への持ち出しを許可できるような技術開発をしたんだ。科学の進歩ってやつで、人工的な苗は天然のものと重金属の不純物組成が違うことが簡単に蛍光X線で調べられるようになったんだ。
「蛍光X線というと、あのひき逃げなんかやらかした車の塗料片から車種をわりだすっていう分析法でしたっけ」
「そうなんだ。ポータブルの機械が開発されて手軽に利用できるようになっているんだ」
「それならたしか先生も一台持っていたようですよ」
「そういう機械で調べてみると蘭は、人口のものの方が不純物に重金属元素があまり混ざってこない。だから生育している国で人工的に育てられた個体は国外に持ち出せるようになった。これでパフィオの価格が下がって密輸や乱獲が減ったんだよ」
「タナカナムについても、先生はちゃんと手続きをして標本として大学に持って帰ったものでした。ところでその危ない組織のアジトで見つかったというパフィオ・タナカナムの検査結果はどうだったんですか?」
「もちろん人口栽培だった。ただ不純物元素の比率が妙だった。日本ではあまり見られない不純物元素がいくつか検出されているんだ。ランタンとかセリウムとか、一般に希土類とよばれる元素で、中国でよく産出する。それに、これらは中国本土で人工栽培された蘭によく見られる特徴でもある」
「じゃあ田中教授が中国でそのパフィオを育てたということじゃ。それはしかし変か。そういえばもともと中国から持ち帰った植物サンプルなので、義理を通して中国に培養した細胞のかたまりを差し上げたという経緯はありました」
「それがどういう経緯で日本に送られたのか。あの物騒な犯罪組織がどうからんでいるのか。よくわからない」
8.
3日間キャンプを重ね、川をさかのぼると、次第に流れが速くなり船で進むのが困難になり、それぞれが分担して荷物を背負って進むことになった。川の側に石灰岩の崖がそびえており、川は淵が連続して進行が困難だった。そういう難所は崖をつたって越え、河原を歩き、あるときは石灰岩の天然橋をくぐり、滝を遠巻きに越えたりして支流の1つにたどり着いた。人間の多い中国でまったく人間に会わない。
「ああ、山はいいなあ。伊藤君すこしやせたんじゃない」と田畑は元気だった。
「ここは何度きてもきついっすねえ。早く日本に帰って秋葉をぶらついていたい。小島さんも桂さんもぜんぜんへばってませんねえ」
「いや、私らもおじさんだからこれで結構こたえてるんだよ」と桂。
「これからカミソリで切ったみたいな峡谷に入ります。途中にたような支流もいろいろありましたけれど、先生はどういうわけかこの川をえらんで入っていかれたんですよ」
「ああ、なんだかわかるような気がする。あそこの崖にパフィオがいる」と小島。
「ほんとですかぁ。ぜんぜん見えませんよ。よくそんなものが見つかりますねぇ」
「あと、川の砂を調べておられなかっただろうか?」と桂。
「へ?。そういえばポータブルの検出器を使ってなにか調べておられました」
「このあいだ日本が打ち上げた資源探査衛星でみるとこのあたりに少し有望な鉱脈らしいものが見えるんだ」
「へー、例の青銅器なんかと関係あるんですかね」と中国史が好きな田畑。
美しい峡谷だった。切り立った崖はうっそうとした植物で覆われている。玉砂利を敷いたような川原をしばらく進むと垂直な崖に挟まれた淵があった。その先に低い滝が見える。水は美しいが怖いほど深く澄み切っている。
「ゴムボートで突破しましょう」と小島がいうと桂が頷き、小島はすぐに荷物を解き始めた。
「なにかいますよ。時々みかけるオオサンショウウオですね」
「おい、そいつはうまいんだけど気をつけたほうがいいぞ。あまり近づくな」と田畑。
「へ?危ないんですか?」
「魚などの動くものにわっと食いつく性質があって、しかも歯がかみそりみたいだって聞いたことがあるぞ。この時期上流で結婚相手をみつけて産卵するっていうらしいから滝の手前にうじゃうじゃ集まっていたらやだなあ」
「うへえ、想像しちゃいましたよ。なんかやだなあ」
「さあ、ボートに乗ってゆこうか。野郎4人でちょっときついかもしれないけどね」
「深いですね。底が見えない」と田畑の顔も真剣になっていた。
「なんかいやな予感がするなあ。ゆっくりこいでくださいよ。転覆はいやですよ。板子一枚下は地獄っていう雰囲気わかりますよ。何かいそうですよね。主とか」
「こわいこわいと思うから怖いものが見えたりするんだよ。ほれ、あそこに巨大オオサンショウウオが・・・」といって指差している田畑は口をあけて絶句していた。
「・・・・でかいね。2m近くあるんじゃない。1mってのは聞いたことがあるんだけど、これはちょっとコワイね。ワニみたい。静かにしていようね」と小島が言い、こころもちパッドを持つ手がゆっくりになった。
「ちょちょちょちょちょちょっと、落ち着いてないで岸にもももももどりませんかっ」
「騒ぐなデブ、ここまできてあとにひけるか。てめえ静かにしてねえと食いつかれるぞ」という田端も顔が引きつっていた。桂はもう一本のパットをしずかに動かしている。
「あわわわわ、まえはあんなもんいなかったのに。けけけけっこうたくさんいるみたいですね。ああ、もう僕みたくないです」
「でかいなあ。足ぐらい食いちぎられそうだ。何年くらい生きているもんなんでしょうかねえ」と小島は落ち着いている。
「100年くらいかなあ」と桂がぼそっと答える。「伊藤君もしボートからおちたら浮かんで動くんじゃないよ。ゆっくりひっぱってってあげるから」
「ぼぼぼぼぼく、かなづちなんですよ。あははははは」
「ああっ!」突然小島が声を上げた
「どっ、どうしたっ!?」とちょっと半泣きの顔で驚く田端。
「パフィオ・マリポンセだ。すごい・・・」
「はあ?」と田端は露骨にいやなかおをしている。
「ほら、向かい岸の崖の上に。すごい大きな花だ。あんなのは見たことがない」
「はーん、あれか。緑色の変な花だなあ」
直径15cmほどの丸いボールのような花が、60cmほどの花茎に支えられて5つ並んで崖のテラスに生えていた。近くで見るものがいれば、それはエメラルドグリーンを基調につややかな黒い斑点をつけた大変存在感のある魁偉な花にみえるだろう。小島が驚くほどそれは標準をはるかに超えた大きさだった。
「あれを蘭ハンターはほうっておかないでしょう。危ない花だ・・・」
「滝の側に岸辺がある。あそこから崖に取り付こう。崖の途中に洞窟があるね」
「ありゃ、一匹ゆっくりこっちに向かってくるぞ。あれでもけっこうでかいな。ゆっくり急ぎましょうや」
「色がやたら白いねえ。日本のオオサンショウウオとは別種のチュウゴクオオサンショウウオって種類がいるらしいけど。色がすこし薄くてサイズも大きいって聞いたことがある。そりゃそうとあの向うに頭だけ見えている奴むちゃくちゃでかくねえか。あれにかみつかれたら俺なんざひとたまりもねえな。くわばらくわばら」
一行はあとを付いて来るオオサンショウウオをふりきり、なんとか岸にたどり着いて上陸した。あわてた伊藤はボートから転げ落ち、深みにはまっておぼれ、オオサンショウウオに急接近されたところを辛くも桂に救出された。
「ひゃああああ。ありがとう桂さん。こえーよぉ、こええよ。もう、涙出ちゃったよ」
「たくしょうがねえなあ、あんな両生類相手に、しっかりしろい」
「でもなんかやばそうな雰囲気だ」小島はボートをたたむのもそこそこに崖に取り付いて登り始めた。
みると親玉クラスが浮上して水面に頭を出していた。机が浮いてきたのかというほどの大きさである。なにやら一行をじっと見ているようにさえ見える。
田端は心底びびっていた「うわぁ、なんぼなんでもありゃでかすぎないか。夢に見そうだぜ。早いとこ登っちまおうぜ。お、伊藤。えらい馬力でのぼってくじゃねえか、滑って落ちるなよ。それから下を見るな」
「もうちょいで洞窟です。ちょっと落ち着いてきました。わあ!」
「どうしたぁ!?」
「でっかいゲジゲジがぁ。ああああ」
「手を離すな。ゲジゲジなら襲ってきゃあしねえよ。待ってろ、すぐいくから」
田端がのぼってみると伊藤はゲジゲジに行く手を阻まれて硬直していた。
「うわ、ゲジゲジまででけえなあ。俺の靴のサイズぐらいあるぜ。まじキモイこわい。キモコワってか。なんかきみわりいからよけてゆこうぜ。ほれ右へ行け」
「なんかもういやになってきました」
「おまえ顔青いぞ」
「きっと来てはいけないところに来てしまったんです」
「まえに来てるんだろ」
「ええ、ですがこんなに恐ろしいものばかりじゃなかった」
「たまたまでくわさない時期があるんじゃないか。こんな秘境だからこんなもんじゃないか」
「そういえば先生もここは冬しか来ちゃいけないところだなんてことをおっしゃってました。それに船を借りたときに地元の人も、危ないからやめといたほうがいいっていってました」
「ふーん・・・」
伊藤と田畑はなんとか洞窟にたどり着くことが出来た。
「なんかいやな予感がする」と伊藤。
「そうだな。でもお前懐中電灯もってたよな」
「覗いてみるんですか。やめといたほうがいいような」
「一休みできるかもしれないじゃないか。へんなもんがいても困るし」
「そうですね」といってしゃがんでリュックから懐中電灯を取り出しているところで小島と桂がのぼってきた。中を照らした伊藤が、ひっ、と叫んで懐中電灯を下に向けた。
「おい、何が見えた?」
「ひひひひひひ、人影が」
「なにぃ。ちょっと貸してみろ」と田畑は懐中電灯を引っつかむと洞窟の入り口に進んだ。「おっ、誰だそこにいるのは」田畑は用心深く洞窟の中に入っていった。
「仏だ・・・」
「しししし、死んでるんですか」
「けっこう古そうだぞ。白骨化してるし。ここで座ってるうちにしんじまったって雰囲気だな。おや、足首がない」
「ききききっと、あれあれあれに喰われたんですよ」
「命からがら逃げて上がってきてから動けなくなっちまったんじゃないか。気の毒になあ。ナンマイダー」
「この人は蘭ハンターだ」と小島が言った。
「え?、なにハンターだって」
「持ち物に植物採取の入れ物がある。我々同様この時期にパフィオを取りに来てさっきみたいなやつにやられたんじゃないかな。あの崖に登って、今みたいな時期に咲いているパフィオ・マリポンセをみつけて、どうしても採取したくなった。苦労してパフィオを採取して戻ろうとしたらやつらが浮上してきて、焦ったこの人はあやまって川に落ちたんだ。おとなしくしていれば食いつかれないんだけど、必死に岸まで泳ごうとした」
「ちょっと、小島さん、実況中継みたいでコワイんですけど・・・」とがたがた震えながら伊藤が言った。
「おいおい、たかが草で命を粗末にするかねえ・・・」
「我々は危険な時期に危険な場所にきてしまったようだな」と桂がしんみりと言った。
9.
死者を懇ろに葬ったあとで一行は先へ進んだ。葬られた蘭ハンターは所持品からイギリス人でランカシャー出身のヘンリー・E・スミスという名で、1893年ごろこの地を訪れたらしい。有名な蘭コレクターのサンダー氏が雇った蘭ハンターの一人らしいと蘭に詳しい小島には見当がついた。当時イギリスでは蘭に対する熱病にも似たブームが王侯貴族の間で進行しており、巨額の資金が世界の蘭の探索に向けられた。英国人は粗食と劣悪な環境に耐え世界を席巻したことから考えても蘭を求める飽くなき探索が精力的に世界中の密林、高地、秘境で展開されたのであった。当然彼らの仕事は危険も多く、転落、毒蛇、毒虫、熱病、原住民とのトラブルなどで不帰の人となった蘭ハンターも多い。
遺品の手帳は遺族にかえしてあげようと考えた小島が荷物にいれて持っていった。
「この人は蘭が好きだったみたいだな」と小島がつぶやく。この男が蘭がらみでやたら勘がいいのはいまに始まったことではないので田端は黙って聞いていた。
「どうして分かるんですか」と伊藤がかえす。
「手帳にね、見事な蘭の絵が描いてあるんだ。うまいんだよ。蘭に対する思い入れが伝わってくるような絵だよ」
「へえ、そういうもんですか」
「伊藤君、のこぎりみたいなもの持ってませんか?」
「何です、桂さん」
「なんとなく物騒なので、杖代わりに木刀でも作って持っていようかと思ってね。とても堅くて良い木があったから」
「キャンプ用の十徳についてましたね」伊藤はリュックに手を突っ込むとさっと十徳をとりだし桂に渡した。整理の良い学生である。
「ありがとう」と微笑んだ桂は振り返っていってしまった。
「いいなあ、しぶいなあ、桂さん。木刀ですって」
「桂さんは剣道得意みたいだからなあ」
「田端さんも得意みたいですよ」
「じゃあたぶん田端さんもつくってたりして」
桂は目をつけた木を切ると、ナイフで形を整え、荒削りな木刀を作った。それを見た田端は、
「おっ、桂さん、それかっこいいですね。ちょっと貸してくれませんか」桂は笑みを浮かべて木刀を田端に渡した。「うーん、なんか血が騒ぎますね。このそりがたまらんですねえ。桂さんも剣道なさるんですか」
「ええ、子供の時からやってました」
「はあ、そうですか。なんだかそうじゃないかって思ってたんですよ。姿勢と身のこなしにでますよね。実は私もたしなんでおります。これいいですね。私も作っていいですか」
「ええ、どうぞ。あちらにまだいい木がありましたよ」
「へへへ、じゃあさっそく」
田端は夢中になって木刀を作っていた。
「田端さん熱中してるなあ。そろそろごはんなんだけど」そこへちょうど田端が現れた。
「いやあ、堅い木だなあ。じわじわ削ってゆくしかないから今日はこれぐらいにしておこう。はらへっちゃったよ」
「へえ、できましたねえ。かっこいいですね。僕もつくってみようかな。岩場で杖が欲しいときがありますよ。ご飯食べてから作ろう」
「桂さん、すこしお手合わせ願えませんか」
「え?」っとぎょっとする伊藤。
「そうですね、いいですよ」と桂はこともなげに言った。
木刀を持った二人は少しだけ広い砂の河原にでて互いに青眼に構えた。伊藤と小島が遠くから見ている。
「小島さん、いきなり剣客対決が始まっちゃいましたよ」
「さあ、あっしはやっとうのことはさっぱりでさあ」
「ぷっ。はははは。小島さん実はひょうきんなんですね」
桂も田端も構えたまま動かない。お互いに互いの気を感じあっているようだ。
(桂さん、できる。こいつはただもんじゃねえ。武者震いがしそうだぜ)と田端は思った。
なおも静かににらみ合っていた二人だったが、やがて田端がさっと踏みだし目にもとまらぬ突きを入れてきた。渾身の気を込めた本気の突きだったが、桂は紙一重でかわし、気がつくと田端の肩に木刀が乗っていた。
(桂さんの動きがまるで見えなかった。こんな使い手がいるのか。すげえ・・・)
あまりのさりげない無音の動作に伊藤も小島もなにが起きたのかよくわからなかった。ただ圧倒的な力量の差で勝負がついたらしいということは理解できた。
「まいりました」と田端は膝を折って頭を下げた。自然とそういう所作をしていた。
「すばらしい気合いでした」と桂は言った。
10.
一行は連日次第に急流になる川をさかのぼっていった。季節は日本ではまだ冬なのだが、こちらでは次第に暑くなりつつある。時折雨が降り、川は次第に水量を増しているようだった。
伊藤は眉間にしわを寄せるようにして辺りの景色をながめながら田端に言った「麓の人の話ではこの時期になると大雨がくると、しばらくしてものすごい鉄砲水がくるってことらしいですよ。なんだかいやな予感がしますね。以前先生とここに来たのは11月ごろでしたので、こんなに雨も降らなくて川は少しばかり流れている程度でした」
「妙なのはこの谷の先があの向こうの断崖絶壁で終わってるように見えることだな」
「ええ、あそこで谷はおわりで、絶壁の下に洞窟があります。川は洞窟から流れ出しているんですよ。そういえばなんだかすこし涼しくなってきたような気がしますね」
「いよいよ洞窟か。なんか暗いところってあんまり好きじゃないんだよな。なんか出そうで」
絶壁の下にたどり着いてみて一行が驚いたのは、洞窟の入り口から轟音を立てて流れ出る滝だった。洞窟の入り口は、高さ100mほどの絶壁の下にあり、入り口の高さ20m、幅10mという大きなものだったが、幅いっぱいに水が噴き出しており、そこから中にはいるのは不可能と思われた。
「すごい水量だ。以前来たときはこれほど急流ではなかったんですよ。流れの横を通って中に入れたんです。どうしたもんでしょう」と伊藤が困惑している。
「水が引くまで待ちましょうか」と小島。
「引きますかねえ。それになんだか雨まで降ってきましたよ。空が真っ暗だ」
「伊藤君が聞いたという鉄砲水が来たら大変だから川から離れましょう。あの上の方に別の洞窟の入り口が見えますよ。あそこで待ちましょうか」といって小島は絶壁の上にある雨をしのげそうな別の洞窟を目指して登っていった。しばらくすると、たたきつけるような大雨が降り始めた。一行はその洞窟で一泊することになった。
「すごい降りだ。こりゃあ何日か足止めをくらいそうだ」食後一休みをしながら田端が言った。「この洞窟は目的の洞窟につながっていると言うことはないのかな」
「探してみる価値はありそうですね」といって小島は装備の中から手回し発電式のLEDライトを出してきた。
「うわ、えらく明るいですね。見慣れないタイプだ。秋葉でも売っていないような雰囲気ですが」
「伊藤君するどいねえ。防衛省備品です。ちょっといろいろ仕掛けがあるので貸し出し禁止だそうです」
「はあ」ひょっとしてやばいものでは、と伊藤は思った。「桂さんからあらかじめたのまれていたので洞窟探検の装備は一通りそろっています」
「道理で荷物が多いと思った」と田畑。
洞窟の奥は深かった。どんどん奥へ進むと次第に天井が低くなり最後には這って進むのがやっとという小さな穴になった。その穴からは風が吹き出していた。本来なら引き返したくなるような小さな穴だったが、風のつよさがその先に大きな空間があることを予感させた。そこを腹這いでしばらく進むと、少し広くなって立って歩けるところに出た。そしてそこからは別世界が広がっていた。
まるで宝石で飾り立てたように鍾乳石で飾られていたのだった。天井を覆い尽くして透明な石のつららが無数に垂れ下がっていた。彫刻のような石が床から点を目指していくつもそそり立っていた。さらにはギリシアの神殿のように石の柱が天井を支えている。滝のように流れる姿をした石が洞窟の壁を覆っていた。床はあぜのような石で縁取られた美しい池が並んでいた。どの石の表面も水にぬれ、表面がライトの光を反射してきらきらと輝いていた。そういう美しい造形が広く奥までどこまでも広がっていた。時に天井は高くなり、床には高いところや低いところがあって変化に富んでいた。どこまでもこの世のものとは思われない美しい造形にあふれていた。
圧巻は最も広い空間と思われる場所の中央にそそり立っていた8mほどの彫像のような石の集団だった。下からタケノコのように伸びた石を石筍というが、その巨大なものが7本ほど、頂を競うように高くそびえていたのだ。周囲の多くの石筍の林のなかから他を圧倒するような巨大な石筍がそびえる様は壮観だった。
「これはまさに素晴らしい鍾乳洞だ」と桂が感嘆の声を上げた。
「ほんとうに、すげえな、ここは。なんだか来た甲斐があったぜ」
11.
大鍾乳洞のホールの中央にそそり立つ巨大石筍の周囲をめぐると奇妙なものが見つかった。
「これ人工物じゃないでしょうか」と小島。
曲線ばかりでできた洞窟の内部に不自然な直線と直角に近い角を持った石の台が見えた。高さは50cmほどで、横幅は2mほどあり、上に容器のようなものがいくつか置かれている。これらを巨大な石筍が見下ろしている。
「祭壇のような四角い石と器のようなものがあるね。鍾乳石が覆い隠すようについている。これは鼎みたいにみえるねえ」
「こっちは壺ですかねえ」小島はそういって壺らしいものの上に生えている石筍の長さを目測していた「15cmほどにもなっています。石筍がこれほど成長しているところを見るとものすごい昔のものですよ」と興奮気味に言った。日本にも弥生時代の遺跡が洞窟にあって、弥生式時が鍾乳石にひっついている例があります。高知の龍河洞というところですが」
「この鼎みたいなものは緑色の錆が下のほうにみえるから青銅器かなにかじゃないだろうか。そんな文明の器にこれほど鍾乳石が付くというのは古代文明の器に違いないね」
「石筍は1cmのびるのに100年かかるとも200年かかるともいわれているから、この長さからすると千年以上前のものじゃないですかねえ」と伊藤。
「なんにしても大発見じゃないか」と田畑が興奮している。
「よく先史時代の人間が洞窟に土器や石器、骨角器を残したり壁画を残したというのを聞いたことがありますが、これはもう金属器文明になってからの遺跡ですね。こういう発見に立ち会えるなんて感激です。なにか証拠の品を持って帰れないでしょうかね」
「あー、だめだめ、こういうのは現場保存が原則だぞ。だれも持って逃げやしないだろうからそっとしておこうぜ。証拠に写真でも撮ってさ」
「それもそうですね。現場保存なんてまあやっぱり刑事さんですね」といいつつ携帯パッドを取り出して伊藤が撮影を始めた。「あれ、緯度経度が表示されないなあ。そりゃそうか、地の底じゃ衛星の信号が届くわけがないか」
一行はさらに奥を目指したが、四方に洞窟が伸びており、どう進んだものかわからず、迷う危険もあったのでとりあえずその日は引き返すことにした。
もとの宿営場所に戻り、洞窟の外に出てみると雨は上がって星空が見えていた。滝の轟音を聞きながら食事をしていると音が変化し、もっと大きな音が響き渡るように聞こえてきた。
「なんだ!すごい水音だぞ。大丈夫か」田端が立ちあがった。
「あれが鉄砲水ってやつかな」伊藤も続いて立ちあがる。落ち着いていられなくなったのだ。
「おい、また音がかわったぞ。すこし小さくなったような。出てみよう」といって田畑が洞窟を出て行った。かすかな星明りで田端は異変を見た。「おい、谷が水で埋まっているぞ。すごい水量だ。洞窟の入り口も水没してるぞ、こりゃあ。いったいなにがあったんだ」
「ほんとだ。洞窟の入り口付近でキャンプしてたら危なかったですね。谷が細いから水があふれてますよ。こりゃ1日到着が遅れてたらわれわれも谷の途中のどこかで流されていたかもしれない。いや、たすかった・・・」
12.
昨日激流で入れなかった洞窟の入り口に翌朝一行が戻ってみると、流れはすっかりなくなっていた。天井から滴る水の音がいまは静かな入り口に響いている。
「いまのうちに入れそうですね」と伊藤が覗き込んだ。
「でもまた水がどばーっとでてきたら俺たちゃ中に閉じ込められやしねえか?」
「あの水量からして地底湖の水が抜けたんじゃないでしょうかねえ。当分水が溜まるまで流れ出してこないかもしれない」
「はあ? どうやって? 水洗トイレみたいになってんのか」
「地底湖の底につながるサイフォンみたいな部分があって、その途中の空気が激流で追い出されてしまうと一気に水が吸い出されてしまうというようなところがあるのかもしれませんね。あの石油ポンプで勝手に灯油がタンクに注がれてゆくような状態でしょうか」
「なるほど、雰囲気はわからないではないねえ。でもポンプで水は10m以上吸い上げられないじゃないか」と桂。
「桂さん詳しいですね。でも、急流がサイホンの中を流れていたりすると案外10m以上の高低差があっても水が吸いだされてしまうかもしれません。中のことはよくわからないので、なんにしても神秘的です」
「よくわかんねえけど、いけそうなんだな」と田畑。
「行ってみても当座は大丈夫だと思いますよ」と小島は洞窟探検の装備を取りに戻って行った。伊藤が続く。
一行は伊藤を先頭に壁を伝いながら洞窟に入っていった。洞窟にもいろいろあって、鍾乳石で飾られた宮殿のようなところもあれば、まるっきり石灰岩のごつごつした岩肌だけの洞窟もある。ここは激流に削られることが多いのか、後者だった。
「昨日探検した洞窟と違ってここは荒削りでそっけないねえ」などと田畑が言う。
「この竪穴の上から滝が落ちてきていました」といってにわかに高くなった天井を伊藤がライトで指し示した。
「夜中ここが水でいっぱいになってたんでしょうかねえ」と小島。
「ここ全部が水でいっぱいか。なんかすげえなあ。そりゃそうとこんなところ登れないけど道があるのか」
「こっちに小さい穴があります」と伊藤が進んでゆく。全員がこれに続く。かがんで進まなければならない洞窟があった。そこには小さな流れがあった。かなり長い時間地底の小川に沿って登ってゆく。ときおり大岩がふさぐ場所などを登ったり、腹ばいになって細い穴を通り抜けたりした。2時間ほど地底を苦労して進むと、洞窟は次第に天井が高くなり、天井には鍾乳石もいくつか見られるようになった。やがて真っ暗な広い空間に出た。
「なんじゃこりゃ。外に出たのか。もう夜か」
「着きました。この広いところをすこし進むと地底湖があるはずです」
「はあ、地底湖?。なんかここ広すぎないか。光が届かないぞ。ありゃ?。うっすらと天井らしきものが見えるか」
「ボルネオ島のサラワクというところに世界最大の鍾乳洞があって、そこはさしわたし500mくらいあるそうですよ。なんでもよほど強力な懐中電灯でないと天井がよくみえないとか聞きましたよ」と伊藤。
「地底湖はどこだ。どこまでも岩が積み重なって下っているようだが」
「なくなっています。やはり昨日水がサイホンを伝うように抜けてしまったんですかねえ。先生とパフィオの植物体を採取したのはこっちですよ」といって伊藤は浜辺のような砂地を歩き出した。「ここは以前地底湖の岸辺だったところです」
しばらく進むと池があった。「地底湖が満ちているときには地底湖とつながっていました。この池には地底湖にうかぶごみのようなものが寄せられてくるようです。主に流入してくる植物の葉みたいなものが多く溜まっています。田中先生は偶然ここからパフィオの一部を見つけたんです」
「なるほど。水が冷たいから比較的古い植物の遺骸も腐らずに残っていたのか」そういって小島が池に近づいていった。池に入ると水の中に植物の葉などがみえる。小島は丹念に探してみた。「この地方ではパフィオは昔にはもっと多くの種類がいたのではないかと思います。かなりの数が絶滅したんじゃないでしょうか」小島の動作は時折止まり、まるで何かの話に耳を傾けているかのような表情をしていた。やがて1枚の葉らしきものを拾い上げた。
そのとき突如桂が跳躍し、小島に飛び掛った。桂の木刀が池の底を刺し貫きその側で大きな生き物がもがいていた。桂は潜んでいたオオサンショウウオの頭を木刀でつらぬいていた。
「こんなところにも居やがったか」と田畑は絶句した。
「あやうく食いつかれるところだったな」と桂。二人はさっと池から離れた。
「でかいですね。あのオオサンショウウオですか。ちっとも気がつきませんでした」と小島はこころもち青ざめた表情をしていた「ありがとう、桂さん。助かりました」
「どこから入ってきたんだろうか。妙な生き物だ。人を襲おうってのがまたコワイ」と田畑。
「もともと洞窟で暮らしているような種類もいるそうですよ。地底湖の水がぬけるのでこの池に避難していたのかもしれない」そういいつつ小島はさして驚いたふうもなく、手にしたパフィオの葉のようなものをビニールの採取袋に入れていた。伊藤はそれがなんなのか気になった。
「小島さん、それパフィオなんですか」
「ああ、見たことがないような柄なので採取する価値ありと見ました。ここはなぜかパフィオの葉などがふんだんにあります。まるで供え物でもしたみたいに多い」
「まあともかく教授の足取りを追おう。伊藤君なにか妙なことはないかい」
「あそこに何か見えますね。行って見ましょう」
そのなにかというのは何者かが置き忘れた荷物だった。
「先生の持ち物のようです。見覚えがあります」と伊藤が言った。「こんな危ないところまで一人で来なんて・・・。なんて無茶をするんだろう。こんなことになるなら学会の1つや二つさぼって付いてきたのに・・・」
「ほんとむちゃくちゃだなあ。おまえの先生はインディージョーンズか?」と田畑はあきれたように言った。
「パフィオの魅力に抗しきれなかったんでしょう」と手にした葉を見ながら小島はつぶやいた。
13.
田中教授の持ち物からパッドがでてきた。起動しては見たが、もちろんパスワードが仕掛けてあるので中身を見ることは秘書ソフトが断固として拒否するのだった。パッドは高性能のコンピュータであり、通信機器でもあり、電子秘書としても用いられている。高度な仕事をする人間が主に使う高価な機械とソフトウェアであり、判断能力と強固なセキュリティ機能を持つ特別な訓練を受けた秘書ソフトが組み込まれている。それなりの職能をもっていなければ使いこなせない機械だ。また、一般には秘書ソフトのない携帯通信端末をケータイと称している。
「教授は行方不明で手がかりが欲しいんだけど」と伊藤が懇願するように聞く。
「さあ、なんともいたしかたがありませんな。教授に関する情報を教授に許可なく漏らすわけにはいきませんので」と品の良い初老の声が答えた。
「警察だ、情報提供願いたい」と田畑がデカの声で迫る。
「警察でもダメです。警察にはパッドに情報開示をさせる権限はありません」
「うーん、まあそうなんだけどなあ。あんたのご主人様の命がかかっているんだぞ。なんとかならんのか」
「ご主人様の一大事という通信にまじめに取り合っていたらいまごろご主人様の銀行口座には1円も残っていなかったでしょう」
「なるほど。そりゃそうか。どうしましょうかねえ」と田畑は小島を見た。
「私のパッドに話をさせましょう」といって小島は自分の懐からパッドを出して起動した。「田中教授のパッドと通信してくれ。よくよくこれまでの経緯を説明するように」
「了解」と小島のパッドが言い終わった刹那、教授のパッドが話し始めた。
「失礼しました。報告いたします。教授はここで植物の採集をしたのちに、ゴムボートで地底湖の対岸まで行くとおっしゃっていました。いまから44日前のことです」
「うわ、パッドの言うことは聞くのね?人間様のいうことはちっとも信用してくれないのに。ちょとくやしいぞ」
「パッドはうそをつきませんからねえ。パッド同士しっかり情報の吟味はしているから納得しやすいんでしょう。ところで田中パッドさん、なにか変わったことはありませんでしたか」と小島が聞く。
「今回は旅の途中、峡谷や洞窟の入り口で人に出会ったようで、私もなんどか通訳をさせられました。相手は中国人にしては妙にがっしりしていて、顔のいかつい男達でした。この画像の男二人です。どこに行くのか、なにをするのか、というようなことをしきりに聞いていました。教授は日本の女性の写真が多く載った本を渡して適当にはぐらかしていました」
「なんだ、先生までエッチな本持ち歩いて旅行してんのか」
「旅行の知恵ってやつですよ」
「この男ら怪しいな」と画像を見ながら田端が言った。「伊藤君、心当たりはないか」
「そういえばかつて一度だけ峡谷で釣りをしている男に行き逢ったことがあります。写真の右の男に見え覚えがあります」
「こいつがどこかで教授を拉致したのかもしれない。しかし妙なのは物取りだとすればここにある荷物が妙だ」
「こんなところまで命がけで荷物を取りに来たりしないでしょう。単純に追いはぎにあったとか、この洞窟の奥で遭難しているとか考える方が自然でしょう」と小島。
「ああ、そうだな。男の面があんまりあやしいのでつい変なことを考えてしまった。どうも刑事の勘ってやつがぴぴっとくるんだよな。だが、なんにせよ、この地底湖の探検に出かけたのは確かなんだ。
まあちょっと腹ごしらえをしてから出かけようか。幸いさっき桂さんが食料をしとめてくれたみたいだし」
「えー、あのばけものを食うんですか?」
「めったにないチャンスだぞ。じいさまから大変美味だと聞いているのだ。あれを食わない手はない。おれがさばくから安心しろ」
「はあ」
なるほど田畑お勧めのオオサンショウウオ汁は大変な美味だった。乾燥野菜とミソ仕立てで肉はふんだんに入っていた。照り焼きもすばらしかった。癖のない鶏肉のようで、やわらかく、うまみたっぷりの食材だった。生命力の強い日本のオオサンショウウオが絶滅寸前なのはこの美味であることが一因だといえる。一行は満腹と疲れのためしばしうとうととしていた。
周囲から何かが迫っていた。田端はその気配を察知した。足音を盗みながらも砂地からおきるかすかな音を数え間合いを測る。寝返りを打つふりをして木刀を懐に巻き込んだ。その刹那何者かは声もなく一斉にかかってきた。跳ね起きた田畑はLEDのかすかな明かりの中に網を持って迫ってくる何者かを見た。網は投げられたが、田端の踏み込みが早く、一人が脾腹を打たれてもんどりうった。さらに、上段に振りかぶった田畑はなにか武器を構えようとする二人目の肩を砕いていた。目にも留まらぬ早業に相手はひるみ、何か一声叫んで闇に消えていった。追いすがって相手の背中に一撃をくれたものの、その先は真っ暗で何も見えず、追うこともかなわなかった。
「なんじゃこりゃ。ますます物騒になってきた」
「田端さん、大丈夫ですか?怪我はありませんか」と小島の声が聞こえる。
「見たか、人間が襲ってきたぞ。こりゃもうただごとじゃない。田中教授はさらわれたんだ」
「それは遭難して洞窟の奥で野たれ死んでいるという話よりは明るいですね」
「おっ、そういやそういうことになるか。伊藤の手前だまっていたが、おれはもうあきらめていたんだよ。なるほどね。伊藤はどうしたんだろう。桂さんは?」
「桂さんはさっき奥のほうへトイレにいかれました。本を持っていったので大でしょう。桂さんのことだから多分大丈夫でしょう。伊藤君は寝ていますね」
「うへえ、こいつは大物になるぞ」
もどってきた桂は意外そうな顔をしていた。「はあ、田端さんがやっつけてしまわれたんですか。それはすごい・・・」
「ええ、この木刀のおかげでなんとか助かりました」
「なにやらうかうか出来ませんね。奴らをおいかけて移動しましょうか」小島はそういってやおら荷物の中から双眼鏡らしきものを取り出してきた。
「そんなことが出来るんですか」
「赤外線暗視スコープがあります。かなり遠くの下がったところに人影が見えます。地底湖の底を横切って移動しているのでしょうか。人数は8人。3名負傷という雰囲気ですね。銃らしきものを手に持っているようですが、同士討ちをさけて使わなかったみたいです。もっと遠くに赤外線の光源が見える。やつらはあれを頼りに移動しているようだ」
「一人ぐらいとっ捕まえてやればよかった」
「そうなると敵も死に物狂いになるでしょう。あの連中は威力偵察という雰囲気ですよ。まさか侍に出くわすとは思わなかったでしょうね」
「いろいろ考えてみると、奴らはあのマンション爆破事件をひきおこした犯罪組織のやつらということになるんだろうか」
「そうらしいですね。田中教授はやつらに拉致されて奴らのためにパフィオを作らされているというところじゃないでしょうか」
「そうすると、東京湾のやつらのアジトにパフィオ・タナカナムがあったのもわかる。ところで、われわれは何で襲われたのだろうか」
「たぶん田中教授のところの学生が教授を探しに来たと思って拉致しに来たのでしょう」
「おれが警察だとわかったら?」
「たぶんやられてたかもしれませんね」
「げー、あぶなかった。なんてやばいことになっているんだ。まいったな。飛び道具もないし」
「用意はしてあります。これをどうぞ」
「なんじゃこりゃ。小島さんの手回し懐中電灯じゃないですか」
「レーザーガンです」
「なんだとぉ。そんな銃が開発されていたのか」
「安全装置をはずすとレーザー結晶が装着されます。内部にLEDアレイがあって、結晶の周りで発光してパルスレーザーを発振します。レーザーが当たったところは、瞬間的に3000℃の高温になって気化するので、局所的に爆発して吹っ飛んだように見えます。けれど貫通力と殺傷力は低くて、当たり所がわるくない限り相手は死なない程度ですが、高い確率で失神するようです。重心に近い腹をねらってください」
「手回しハンドルを3分回すと内部の電気二重層コンデンサに充電されます。このコンデンサだけで7発撃てます。さらにまわして充電しておけば内臓のリチウムイオン電池に充電されて最大21発打つことが出来ます。その場合7発撃つごとに1分休む必要があります」
「相手を殺さずに無力化できる銃なのか?。しかも弾がいらない。驚いたなあ。いつまでも鉛の玉ぶっとばして、むごい死人がでるから人間てやつはバカじゃないかと思っていたんだぜ。アメリカなんざいまだに未開社会みたいに撃ち合ってるじゃないか。要は無力化すりゃよさそうなもんじゃないかと思っていたのよ」
「まあ使い方しだいで悪魔のような武器にもなります」
「同僚がやくざに撃たれて殉職したときはつらかったぞ。銃で人を殺すなんざ人間のすることじゃねえと思ったねえ」
「だからいつもふとももをねらっておられたんですか」
「よく知ってるじゃねえか。悪い奴にゃあ死にゃあしないが痛い目にはあってほしいわけよ。どんな悪人だってそいつにゃ母ちゃんがいるんだ。まあそれはさておき銃をもらったおかげで100人力の気分だ。奴らを追いかけよう。おい、伊藤、てめえ起きろ」
「・・・もう腹いっぱいです」
「コノヤロウ、しょうがねえなあ」
14.
4人はこれまでの出来事を整理して、犯罪組織が研究データや資材を田中研から盗み出した上でパフィオを栽培し、さらに田中教授を拉致してパフィオの繁殖をさせているという結論に達した。状況を見極めたうえで教授の救出を試みることにして用心しながら敵の追跡を開始した。
一行は出発し、敵の逃走地点目指して地底湖を横切り始めた。岩がるいるいとしているゆるやかな傾斜をくだると一行は妙なものを見つけた。
「人工物がみえるぞ」と田畑。
近づくにつれて周囲に奇妙な形の石が敷き詰められるように転がっているのが見えた。
「おい、こりゃ人間の骨じゃねえか?」
「そうですか、そういえばそんな形をしていますかねえ。うわ、この丸いのはしゃれこうべだ」注意してみるとその丸いものがるいるいとしてころがっていた。「石灰分がひっついて石みたいになってるんですね。骨の真珠みたいですね」
「すごい数だなあ。こりゃ、地底湖に身投げでもしたんだろうか。ナンマンダー、ナンマンダー」
「これだけ石灰がつくということは古い仏なんだろう。後漢に攻められたときに集団で湖に飛び込んだということなのだろうか」と桂。
「古代中国史ってすさまじい話がおおいですよね。20万人を崖から追い落としたりとか、1つの戦いで45万人も戦死するとか」
「なにがなにが、おれのおやじの世代の世の中も結構悲惨だったぞ。そのころの中国の死人の数はまじでギネスブックに載ってるほどだぜ」
「うへぇ、コワイからもう死人の話はやめましょう。足が笑い始めたじゃないですか」
人工物は、四角い大きな石が何段かに組んであった。幅4m長さ8mの石組みだった。
「飛鳥の石舞台に似ているけれど、あれよりはきっちり四角いな。これも古代の建造物だろうか。お墓みたいだぞ」
「水中墳墓か。水が抜けている間に作ったのだろうか」
よくみると金属器もいくつか置かれていた。話に出ていた蘭という文字の元になったらしいパフィオの姿に近い文字のレリーフがついていた。
「蘭王国の墳墓ってことみたいだな。とするとこれは相当古いだろう。考古学上の大発見かもしれない」と伊藤。
「でも歴史ってやつは書いてあるものがものをいうからなあ。残っている実物もさることながら物語ってものが重要視されるようなところがある。ここにあるのは新しい謎ってことじゃないかな」と田畑。
「この遺跡と例のテロ集団は関連があるんでしょうか」と伊藤。
「いいところに目をつけるね。さっぱりわからないけど」と田畑。
「なんとなく思うんですが、民族紛争ってことはないんですかね。あのテロ集団は自爆までするあの気合の入りようからして、集団で何かと戦おうとしているような雰囲気がありませんか」と小島が言う。
「やくざならもっと人のいるところで商売してるし、自爆なんかしないだろうな」と田畑。
「蘭王国は後漢に滅ぼされたんでしょう。これだけの遺跡を残す王国は後漢に恨みを持ったりしませんかねえ」
「漢といえば漢民族か。漢民族も異民族にはよく支配されてたよね。満州女真族に支配された清とか、モンゴル騎馬民族に支配された元とか。それでもその都度漢民族は大きくなってきているみたいだが」
「それほどほかの民族に根深い恨みを持てるものですかね」
「うらみは知らないけれどひどいことをされている民族はいるよね。民族や宗教で血みどろの戦いというのはずっとあったわけで」
「ごく最近近隣の民族に恨まれるようなことをしてませんでしたかねえ」
「日本もしてみるとうらまれてるみたいだねえ」
「なるほど。日本ですか。雰囲気はよくわかります。それでも日本国内のテロはほとんどないですね。この間の爆発は自爆ですしね」
「自爆してまで何を隠したかったんだろうな。そうとうな悪だくみをしていたんじゃないか」
一行は地底湖の底を流れる川をわたり、あやしい一団が引き上げていったところまでやってきた。足跡はたくみに消しているが、大人数だったためかすかに通って行った筋道が見える。地底湖のある広い空間をあとにして、さらに奥に通じる洞窟へと足を踏み入れた。
「待ってください、うかつに入ると罠があるかもしれない」といって小島はパッドを起動した。「センシング機能起動。電波、赤外線、マイクロ波、超音波、低周波で走査してモニターしてくれ」
「了解・・・。30m前方に細い糸が引いてあります」
「トラップだな」といって小島は伊藤の杖を借りて投げた。火薬のバンという音がしてがらがらと岩が崩れ落ちてきた。
「いきなりやるなっつーの。耳に来たぞ。つーんとする。あたたた」
「びっくりしたぁ。コワイなあ」
このほか、落とし穴やら、矢が飛んできたり、岩が落ちてきたりと、古典的な罠がいくつかしかけられていたが、小島のパッドがその都度見破って事なきを得たのだった。
「おや、光が見えませんか」
「たしかに。外がちかいみたいだぞ。外が恋しいぜ」
「待ち伏せの可能性があります。目をならしながら慎重に行きましょう」と小島。
15.
小島が先頭に立って綿密な調べをしながら洞口を探し出し、敵がいないのを確認して地上へ出た。そこは谷の急斜面の森の中だった。そこから上に登ってみることにした。石灰岩地帯は水が地中に吸い込まれてしまうため、木が生えにくいらしく、次第に草地が開けていった。しばらく登ると頂上と思われるところに出た。比較的なだらかで大きな山塊の一部、あまり高くない山の上に立っていた。タワーのような山が数多く連なっているのが遠くに見える。我々が何日もかけてさかのぼってきた谷が見えた。
絶景だった。空は広く、山は高く険しく、谷は深く、水は黒々としていた。
4人がはるかに見渡す遠くの大地が砂色をして見えている。よく目を凝らして見つめるうち小島には思い当ることがあった。あれは過度の開墾や灌漑の失敗、気候の変化で砂漠化してしまった領域だった。北の地平はよく見るとその砂色が一続きに見える。あまりにも広い砂の舞う土地がどこまでも広がりつつあった。近年莫大な量の砂が日本にも降っている。このままこの国と人々と豊かな自然はどうなってしまうのだろう、という思いに小島は駆られた。
振り返ると我々がいましがた登ってきた谷がみえる。青々とした木がこんもりと茂っている谷で、その先は広いくぼ地のようになっているようだ。
「これからどうしたもんでしょうかねえ」
「我々が登ってきた谷の先にあるあの広いくぼ地が怪しい。山の上から様子を見よう」
「いや、どうもそうも言っていられないみたいですよ」と小島が言った。周囲にぐるりと人影が現れたのだ。
「うわ、出た。どうしましょう」
ざっと30人ほどはいるだろうか。それぞれが画一的な茶色い服を着て、銃をもっている。浅黒い色をしたえらの張った顔をこわばらせて屈強そうな男たちがきびきびと接近してくるのが見える。
「中央突破だな。伊藤、お前は身を軽くして俺のあとに続け。おじさんたち3人は例のレーザーガンで奴らをなぎ倒して進む。遅れんなよ」
「わかりました!」
人影は急接近してきた。銃らしいものもみえるが撃ってくる様子はない。
小島が落ち着いた声で言った「レーザーの弾数は足りてますから、桂さんと私で後方を、田端さんは前方を一斉にやりましょう。伊藤君は撃てといったら伏せていなさい」
「了解」と田畑は胸ポケットに手を入れ引き金に手をかけた。
「準備OK」と桂も田畑にならう。
「撃て!」といい小島は後方の敵をねらって撃ち始めた。反動はなく、なにやらフラッシュが光るような感じは受けるが音らしい音はでないのに田畑は拍子抜けしていた。ただ自分がねらい定めた相手の胸や腹で何かがはじけ飛んで、直後吹っ飛んでゆくのが見えた。これはたまらずとばかりに敵も銃を構えたが、凄腕三人衆にたちまち吹っ飛ばされてしまった」
「よし、あらかた吹っ飛ばした。逃げましょう」そういって4人はわっと駆け出した。前方にいる屈強な敵がしぶとくも体を起こして銃で狙いをつけようとしていたが、田端に2発目をくらってダウンしてしまった。
「うわ、桂さんものすごい足速いっすね。僕の荷物しょってもうあんなところにいる」
「遅れるな!。てめえデブもっと気合入れて走れ」
「む、いかん。新手だ」と小島がみた右手後方から雲霞のごとく敵が現れた。これではレーザーの充電が足りない。逃げるしかない。
「こっちだ」と田畑が急旋回した。
伊藤の背中を押しつつ進む小島もこれに続く。横目で見た桂は猛烈な速度で別方向に突っ走りもはや視界から消えつつあった。
小さな谷を猛スピードで飛び降りるように下った。後方から大勢の足音が聞こえてきた。逃げ切れるか。
「跳べ!、跳んで逃げろ」
釈迦力になって跳んだところがもはや斜面がなかった。
「くそっ、追い込まれたか」空中から下をみた田端の視線にずらりと並んだ敵の姿が見えた。3人はブッシュを突き抜けて長距離を落ちたのち斜面を猛スピードで転がり落ち、全身打撲の末敵のまえにのびて転がっていた。
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