蘭にはまってはや7年

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カトレアを咲かせてしまって以来どっぷりはまってしまったという話(2000年頃)

ランにはまるきっかけは1鉢のカトレアだった。

カトレアという花については名前ぐらいは知っていた。カトレアは蘭の中でもひときわ豪華で、色彩豊かで、花も大きく、大変よい香りがする種類があり目立っている。繊細な花のためか、花のもちが他の蘭(こちょうらん、でんどろびうむ、しんびじうむ、ぱふぃおぺでゅらむ、など、ひらがなで書くとけったいでしょ。かとれあ、以外はちょっと店の名前には向きまへんなあ)に比べて悪いのか、そうそう売っているのを見かけることがない。たまに売っているのを見ると3000円だったり5000円だったりする。やはり高級なのだろうか。他の種類の蘭(胡蝶蘭の仲間、シンビジウム、デンドロビウム、パフィオペデュラム=スリッパみたいなやつ)は、よくは知らないが、確かに簡単ではない植物ではあるようだ。

その高い蘭も花が散るとたたき売られていることがある。私は昨今何でも節操なく扱っている関西の電気屋で花の散ったカトレアの小鉢を300円で購入した。98年の2月のことであった。葉っぱがとてもおもしろい形をしていたし、鉢の周りをその枯れてしまった根っこが取り囲んでいたことにおどろいていた。見たときから強く惹かれ、買ってからも気に入ってしまった。これほど面白くて300円とは安いともう一鉢買った。これまで見たこともない植物だったのだが、それがカトレアであるという認識はあった。

真冬のことである。当初は世話の仕方などはまったく知らなかった。ほどなく世話不足のためか葉っぱが黄色くなってしまい、これは死んだものだと思って柿木の下に放置していた。いろいろな植物をみてきて、鉢植えで長く生き延びる植物というものをまったく知らず、「鉢植えはいつか枯れるもの」という観念を持っていた。ところが、打ち捨てられた2鉢のうち、1鉢から夏になって新芽がでていることに気がついた。なぜ小さな鉢の中で生きつづけてゆけるのかと驚いた。いまだに不思議なのだから当時としては心底驚嘆していたのである。この植物はただものではない、と本腰を入れて育てることにした。

 購入当初双葉状の葉っぱは一時黄色くなりつつも適切な世話のためかこれも驚いたことに緑色に戻り、以来2年間緑色のままだった。初年度は2本の新芽がでた。気がついたのが夏だったため世話が遅れ伸び悩んでしまった。

その年から図書館から本を借り出して育て方について学んだのがよかったのか以来すくすくと成長した。二年目は春から肥料や水分、日差しに気をつけて育てていると4本の新芽がでて美しい緑色の双葉を4本増やしにぎやかな鉢になった。

だがそのころ転勤の辞令をもらってしまい、4歳の息子に水遣りを頼んで(妙に律儀で信頼が置けるところがある)上京した。

 転勤ののち、埼玉県川口市の宿舎は日当たりがよいところだった。ここならとおもい宅急便で鉢を送ってもらい、以来こちらで育てるようになってからむやみと根っこがでてくるようになった。2年目の11月になって、今回はまだ見ぬ花を見ることができるかもしれないと期待を抱くようになった。

 12月になって、双葉の間の小さな突起(シース=さや、と呼ばれる)が目立つようになり、内部に芽のような影が見られるようになった。いよいよ花を見ることができるという期待が膨らんだ。部屋の気温は最低で12℃という微妙なところだったが、カトレアは強健なのかなおつぼみがそだっていった。部屋は閉め切って湿度を逃がさないようにした(CO2たっぷり)。暖房器具は3000円の電気ストーブ1つだけだが、それをつけなくても暖かい部屋に感じられた。風呂場をあけっぱなしにするようにし(湿気たっぷり)、外気を入れないようにした。おかげで乾燥と寒冷からまもられて自分自身も風邪を引かなくてすむようだ(インフルエンザは、寒くて乾燥しているとかかりやすくなる)。

 1月20日に花のつぼみがシースを破って現れた。以来次第につぼみが大きくなるところを観察することができた。

 そこから開花までが長かった。つぼみは次第に大きくなった(2月10日)。そのうち、いったいこのカトレアはどういう色をしておるのか、ということが気になってきたのである。なにが咲くかわからないと言うのは楽しみでもあり不安でもある。

 2月27日になってつぼみがほころび始めた

 2月28日の朝、開花が始まる。仕事のため観察ができないのが残念であった。

 2月29日12時ごろ仕事から帰ってみると、扉の写真のごとくばっちり開花してしまっていた。さて、28日を開花日としてこれから何日間楽しめるのか興味があった。ランは開花期間が長いと本で読んで知っていた。その点にもつよい魅力を感じていたのだ。

 色については、それまで真っ赤っかやま黄っきのような景気のいい色を期待していたのであるが、白とも黄緑ともつかないおとなしい色だったため少々失望した。期待した香りはなかった。

 3月13日(月)そろそろ2週間になるが、見慣れるとこの花の良さがわかってくる。最初はさえない花だとずいぶん落胆したものだが、いまはぞっこんまいっている。輝くように白く、形が凛としている。呼びかければしゃべり出しそうな存在感がある。顔がある花とでもいう感じである。

 

とうとう完全に蘭にはまる

このランを見ているうちにいろいろなランの情報に心惹かれるようになり、いろいろなものを読んだりしているうちにラン展についても知るようになった。かねてより心待ちにして出かけた「世界らん展日本大賞2000」(東京ドーム)で完全にランにはまってしまった。

そのラン展の規模はすごかった。日常生活とはまったく異なる花だけを愛でる大集会だ。膨大な種類のラン、豪華絢爛なラン、可憐で美しいラン、それを見に何万という人が集まって展示や店にひしめき合っていた。ランの街が出現したかのような賑わいである。

そこで見た蘭の数々にまいってしまい、気がつくとカトレアの苗を手にしていたのであった。写真200枚を撮り、ほっとしたところでまたデンドロビウムとカトレアの苗を買ってしまい、この日3,700円の散財であった。戻ってからさらに自転車をこいでホームセンターに行き、水苔1,380円と植木鉢を買って、合計ざっと6000円の蘭セットになってしまった。

 次の週もこのラン展に出かけてさらに鉢の数を増やした。苗だけでなく1,000円のプロが仕立てた鉢植えを買ってきて観察した。その鉢は底を壊してひろげ、かけた鉢のかけらを積み重ねてあった。その後の鉢の仕立てはこれに習った。

 

蘭のその後 とうとう20鉢を数えるまでに…

 咲いた白いカトレアは当初さえない花だと感じていたものだったが、次第に愛着がわいてきた。4月10日に突如しおれるまで2月29日から6週間も咲いていた。しおれたときの寂しいことといったらなかった。これまでこれほど愛着を持った花はなかった。蘭はこわいと思った。現在は驚くほど旺盛に葉や根を広げ、2001年、2002年と毎年開花している。

いくつも手に入れたランはそれぞれがまったく異なった味わいを持っていて、その日々変わる姿に毎日楽しまされる。この部屋の中に生えて育つ植物なしの生活は考えられなくなるのだ。

さすがに最近では己の分限を知ってランの増加はとまっている。けれど、場所と日光のある限りそこにランを置きたいと思う日々である。

とうとう200鉢近くに→蘭中毒

 

これまでのラン栽培の歴史

我が家のランの歴史を簡単にまとめてみた。妙にごちゃごちゃしてわかりにくくなってきたからである。

 

1998年2月14日電気屋「ミドリ電化」において300円内税にて購入した1鉢のカトレアから始まって6年になる。2鉢目のこれも300円のカトレアはすぐ枯れてしまい、3鉢目は1999年に買ったと思われる300円のシンビジウムでこれは2003年につぼみぼこぼこの花茎3本の状態で同僚にあげてしまった(だから2003年は実質的に120件開花を達成していた、と負け惜しみを言う)。

 

1999年は最初のカトレアに関心を持って育てていた。東京に出向になった。長男(当時4歳)がしばらくそのカトレアを育て11月に宅急便でシンビジウムといっしょに送ってもらった。12月に花芽がシースにみえた。

 

2000年は球根のホームページを2月頃に立ち上げていた。

本格的にランにはまったのは2000年3月に初めて咲いてくれた最初に買ったカトレアからで、この開花がまったくの最初の開花である。ここから歴史をカウントするなら、ラン歴もうすこしで4年ということになる。この開花と期を同じくして東京ドームラン展を見物(2回)し、胡蝶蘭、カトレア、デンファレを購入している。この年の2回目の開花に当たるデンファレが咲いてくれた。胡蝶蘭の花芽が出てきた。

 

2001年は、大輪のカトレア、白いカトレアが開花し胡蝶蘭が開花した。さらに東京ドーム(2回)で初めてのノビル系デンドロWhiteRabbit、オンシジウム、リカステ、ジゴペタラムほかを購入。このほか関東の様々なラン展、ナゴヤドームラン展、夏のラン展などを渡り歩き、ランの数が増加している。夏に出向先から兵庫に戻り自宅でラン栽培を始めた。8月18日にデンファレ・クイーンサウスイーストが開花して以来今日まで花がとぎれずに905日間咲き繋いでいる(それ以前にも長くつながっていたが、この日以前に10日ほどとぎれている)。

暮れには加温できるランの棚を製作している。この年はむしろ球根園芸に多大な労力と費用をつぎ込んでいた。この年の開花は7件

 

2002年4月神戸ラン展に行った。春は球根のデータ取りで戦争のような日々だった。5月9日に明幸園に足を踏み入れてしまった。屋外のランの棚をつくりランの数が急増する。54件の開花を記録。このころにはラン栽培とホームページの現在のスタイルが確立していた。ラベルをつけにくく追跡しにくい球根園芸が下火になってきた。

 

2003年基本的にはあまり大きな拡張はない。4月に神戸ラン展、9月に豊橋蘭友会、10月に明石ラン会を見学させていただいた。119件の開花を記録。増えたランは50鉢ほどでほぼ等しい数のランがもらわれていった。半年を超えて咲き続けるパフィオに出会った(本日で240日間)。またカトレアが2ヶ月咲き続けることもわかった。

 

2004年はますます過熱気味ではある。

こういう歴史がきんきんに詰まったホームページになっているなあ。

 

2005年 開花件数130件 少々景気後退気味。少しはおっさんとしての落ち着きが出てきたのか。

 

2006年 開花件数165件 

 

2007年  

 

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